2021年12月31日金曜日

来年は良い年でありますように

 私にとって今年1年は再生の時期だった。すっかり弱ってしまった足腰の筋肉を呼び戻すことが日常の課題。だいぶ足元がしっかりしてきた。ここ3年ほどは人生の過渡期、心が折れたり諦めや悲しみや様々に心が揺れ動いた。片足立ちができない、常に足がしびれている等々体も絶不調だったのが、先日整体に行ったら「体良くなったね」と先生に言われた。

体調が戻ってきて気持ちも楽になってきた。毎日のささやかな筋トレが功を奏して足元がしっかりしてきたので、ヴァイオリンを弾くのも楽になった。楽器を弾くためにはいかにインナーマスルが必要かを実感した。周囲の人達がいなくなって心寂しく日々鬱々、そこにコロナが絡んでキリキリと胃が痛む。これはいかん。検診の結果コレステロール値が最悪とわかった。毎日ブロッコリーとキャベツを青虫になったような気分で食べている。胃の痛みは食べすぎが原因。食い意地がはっているから目の前に美味しそうなものがあると食べ過ぎる。

体重を少し落とすと体が軽くなって動けるようになる。膝への負担も少なくなり痛みも消える。いい事ずくめなのだ。私は猫だから元々肉食系、でも食事の割合に魚を多くして野菜中心にしたら、すごく元気になった。絶好調とまではいかないけれど、回復の兆しが見えてきた。お蕎麦と鴨肉、御餅などささやかなお正月の食品をスーパーで購入した。大晦日には友人と過ごそうと話していたのもオミクロンで気がすすまないからやめて、一人静かに家で過ごそうかと思う。

野良猫二匹、最近はむくむくと太って我が家のベランダのダンボール箱でぬくぬくと日向ぼっこ。毛の艶もよく、特に雄猫の方はよほど気を許しているとみえて、寝ているところを起こすと寝ぼけて半分うつらうつら、野良猫にあるまじき振る舞い。普通野良なら、体に人の手が触れたらハッとして一目散に逃げていくはずなのに。それで生き延びてきたであろうに何という無様なデブ猫に成り下がったものか!でも半分寝ぼけた顔の可愛いこと!秋頃には彼らは駐車場で餌を食べていた。通りすがりの人達に大人気だった。けれどあまりにも寒いのでベランダの陽だまりで餌を与えるようになった。

昨日駐車場に立っていたら、きれいな女性から声をかけられた。「あのー、ここにいつも白黒の猫がいましたよね。あの子たち最近見かけないけど元気でいるのでしょうか」「元気ですよ。すっかり太って2階のベランダで毎日寝ていますよ」と答えるとホッとしたようだったけれど「あの子は私が不妊手術を受けさせたんですよ」となぜかちょっと棘のある言い方。なるほど、野良猫にも先有権があるのかもしれない。我が家に居ついて最近その人のところへ行っていないとか?

野良たちは生き延びるために数軒の家を掛け持ちで回っているようだ。時々もう満腹でこれ以上お腹に入れられないというほどの様子で日向ぼっこにくる。食べ物を与えるとゲップをしながら無理やり食べることもある。食べられるときに食べないと次に必ず餌がもらえるとは限らないから。そのせいで、二匹ともまるまる太りツヤツヤの毛並み、もはや外見では野良とはわからない。彼らの耳を見ると不妊手術のあとに耳の先がカットされているので野良とわかる。かの女性も最初に保護したのは自分だと言いたかったのかもしれない。申し訳ない、人間が野良を選ぶのではなく、野良が餌を選ぶのでこういうことになったので。

白黒のメス猫は時々家に入ってくる。それでも我が家に先住民がいるのを知っていて、賢い彼女は決して長居をしない。少しあたたまるとさっさと帰っていく。「おぶ漬けでもいかがどすか?」なんて言わなくても出ていく。

今一人でやっている筋トレは、腹筋を緊張させながら左右にお腹回し10回、スクワット50回、つま先立ちでお尻の筋肉を緊張させるのを10回、それらをワンセットとして一日2~3回ほど。いつもやりすぎで筋肉を痛めるのでこれ以上は絶対にやらない。それとウオーキングを30分から1時間。その日の体調によってはどれかを省略というペースでもかなり効果はあるようだ。筋肉がいかに体と心の健康に必要かということを実感したここ数年。高齢者はまずそこから攻めていくといいかも。私のようにやりすぎる傾向がある人は注意しないと逆効果になるけれど。

来年か再来年、私はさっそうとヨーロッパでの山岳スキーを夢見ている。夢で終わってもいい、でも終わらないことを願っている。オミクロンよ、賢い野良のようにさっさと出ていってください。

この駄文を読んでくださっている皆様ありがとうございます。

来年もどうぞよろしくおねがいします。😸😻









2021年12月14日火曜日

初滑り

今シーズン初めてのスキー、とはいえ、北軽井沢の小さな人工雪のスノーパークで。

去年初めてこのスノーパークのことを知った。ノンちゃんの家から車で約15分。幸いお天気が良く 少し前に積もった雪が道の傍らにわずかに残っているけれど、路面は全く乾いている。年末に家を閉める前にちょっと滑ってみたい。

連れは友人の娘さんと彼女のスキーのお仲間で指導員資格を持つ男性。私が先にノンちゃんの家に入って夕方到着した彼らを近所の温泉に連れて行った。そこは風情のある古風な温泉宿で、仄暗い玄関の灯りが木造の格子戸から漏れて郷愁を感じさせる。私は北軽井沢にいるときには、毎日ここの温泉に行ってお風呂に入れてもらう。中はすべてピカピカに磨き上げられていて、お風呂もいつもきれいになっている。ノンちゃんの家がなければこの旅館に長逗留してもいいくらい。

温まってから家で寄せ鍋をたらふく食べた。彼らが到着する前に近くのあさま鶏牧場へ行って大量の卵を買い込んだ。猫の面倒を押し付けてきた姉へのお土産と自宅のぶん。このところ何回も通っているので顔見知りとなったそこの奥さんはとても品が良い。物静かで、毎日山の景色を見ながら暮らすと、こうも穏やかになれるのかと思う。都会暮らしに疲れ果てた人は老後をここで暮らすといい。しかし今や北軽井沢にも開発の手が伸びてきている。毎日木々が伐採されて新しいカフェも増えた。便利になるのはいいけれど、私の好きな雑木林が無残に開発されていくのを見るのは胸が痛む。

最初の夜はにぎやかに過ぎて次の朝、スノーパークへとでかけた。気温が高く、これでは降雪機を使っても中々雪がたまらないだろうと思っていたら、やはり初心者用のゲレンデの下の方にわずかに雪が固まっている。メインのゲレンデは修学旅行の生徒たちでいっぱいだから下の僅かな雪溜まりを恐る恐る滑り始めた。

気温が高いとはいえ午前中なので雪は固く凍っている。去年は八方のリフトの連結部分のほんの数十メートルを滑っただけだから、ブランクと言ってもいいくらい。2年ぶりということになるかな。若い頃のブランクとは質が違う。手足が固まってぎこちない。こんな緩斜面は斜面でもないくらいなのに怖い。なんてこった。しかも自分でブーツを履こうにも大変な苦労をするし、スキーの板を持つとふらつく。

私達のスキーの仲間「雪雀連」には元気な高齢者が沢山いて、会長の山田さんはつい3年ほど前までしっかりと滑っていた。流石に最後のスキーではリフトから降りた傾斜で転んだりしていたけれど、志賀高原の一ノ瀬の急斜面をしっかりとこなしていた。彼より10歳以上年下の私はまだまだいけるはずなのに、もうダメだ感が強い。毎年必ずスキーは欠かさなかったのにコロナのせいで最後に滑ったのはフランスのヴァルトランス、羽田空港に帰ってきたときには再入国できるかどうかドキドキしたものだった。それが一昨年の1月。まる2年のブランクは厳しい。

スノーパークは雪も悪いし、板を痛める恐れもあるし、2回だけでやめて私一人で帰宅した。若い彼らはまだまだ滑ると言って居残り、最終リフトまで滑ったらしい。帰ってくるのを待って温泉へ。次の日は私は家を閉める作業に追われて遊ぶ暇はないから、朝食で解散。二人はパルコール嬬恋まで滑りに行った。家を閉めるときには特に湿度が気になる。一度でもカビを出すと大変だから、鬼のように水分をなくすことに専念する。食器類は完全に乾かしてから食器棚にしまい、ベッドはすっかりシーツ交換をして人の寝た形跡をなくす。

大木の下に眠っているノンちゃんに挨拶をして日差しが暖かくなったころ山を降りた。浅間は半分くらい真っ白に雪に覆われていた。今年最後の姿をしっかりと目にとめて帰宅した。

帰宅したら猫社会は大騒ぎだったらしく、いつも必ず家の近所に待機している白黒ねこがいない。姉の話によれば、前夜、ベランダで茶トラの雄猫とうちの野良猫2匹が大立ち回りを演じたらしい。野良たちの餌を狙って盗みの犯行に及んだ茶トラが、撃退されたらしい。この寒いときにご苦労さん。野良たちは一時も心の安らぐことはない。けれど、そうやって緊張して生きているから、頭がすごくいい。頭が良くないと生き延びられないのかもしれない。この子達を北軽井沢の雑木林に連れて行ってやりたい。彼らがのびのびと林を走り回る姿を想像すると気分がほっこりする。でも冬場だけ、春から秋までは熊が出没する。人も犬も猫も危険なのだ。

たった2年のブランクなのに、フランスのトロヮバレーを滑ったときの元気は今や全くない。日本とヨーロッパのスキーはスピードが全く違う。すごく早くて本当に楽しかった。しかし今や、もう全く立っているのがやっと。膝がゴキゴキ折れる。果たして復活なるか!頑張れ私!

先日の健診で悪玉コレステロール値がひどく高く、医師から薬を飲むか運動するか食事の改善をするかと迫られた。食事がんばりますと言って逃げてきたけれど、ブロッコリーは2日で飽きた。運動はスキー以外に興味はない。薬は飲み始めたらずっと続くからいや。なにか運動を始めようかと模索している。さあて、何がいいか。














2021年12月13日月曜日

高齢者運転免許更新その2

認知検査の結果は満点、免許はゴールドだから、すぐに 次の運転技能講習と視野の検査が受けられることになった。やはり教習所に行くのとは大違い、どなたにも運転免許センターでの講習をおすすめする。認知検査が良いと次の運転技能講習料金も安く時間も短くてすむから、行く前にネットなどで調べてしっかり用意をすることもおすすめ。16通りの絵を見せられてその場で記憶するなど普通の生活ではしない。私の友人はなんの準備もせずにおっとりと構えていたら訳がわからず、認知機能に問題ありとされて長時間の講習を受けることとなった。本当はすごく頭のいい人なのに。

三年前の検査のときには教習所で受けたので予約もなかなか取れず苦労した。教習所の方は混雑に対してなにか偉そうに振る舞われたのも癪の種だった。私は神奈川県だから他の地域の運転免許センターのことはわからないけれど、受付も講師たちも非常に感じよく、時間的にも融通がきいて楽な気持ちで受けられた。教習所の待合室は大混乱で、コロナ禍の中、あんなところで受けなくてよかったと心底思った。

時間の融通がきくので、早めに行っても席さえあけばすぐに認知機能検査を受けさせてもらえた。各自一斉にというのではなく、タブレットを渡されて個人別に受けられる、これは時間の有効な使い方。机の間が広く他の人に邪魔されることもない。前回の教習所で受けたときには、隣の女性に悩まされた。携帯電話の電源を切るように言われているのに頑として切らない。あげく、ひっきりなしに着信音がなって集中力を妨げられた。今回は教習所の教官のくどい説明でなく、録音された簡潔な説明がイヤホーンで流れてくるからすぐに理解できる。説明はわからなければ何度でも繰り返し聞ける。ただし答案にかかる時間はキッチリ制限される。イヤホーンのおかげで余計な雑音は聞こえない。それぞれのペースですすめることができる。

運転技能講習は予約より30分早いグループに入れてもらえた。受験者はすごい高齢者ばかり。へー、あんな足元もおぼつかない人でも受けるの、なんて感心して見ていたけれど、自分もその中のひとり、傍から見たら全く同じように見えるのだと思うと否応なしに歳を思い知らされる。椅子から立ち上がるときには用心してそろそろと、歩きだしはこわばってうまく歩けないなど。しょっちゅうトイレに立つ人がいたり、口がよく回らず試験管の質問にうまく答えられなかったり。となると、車の運転はもうおやめになったら?と言いたくなる。私?私もやはりそういう年齢なのだ。こういうことも今回が最後かな?

しかしそれでは田舎暮らしができなくなる。せめてあと2回は講習を受けたい。運転技能講習の車はトヨタのプリウス。やはり私には少し大きめ。ダッシュボードがゴツく張り出して、座高の低い私には首を伸ばさないと周りがよく見えない。こうなると今私が乗っている車「ニッサン・ノート・パパゲーノ」は私のために作られたようなサイズ。日産さんありがとう。

最初の一歩は段差乗り越え。段差の手前に低い傾斜があって車はそこに乗っている。傾斜から段差に車を載せてすぐに停める。教官が助手席の窓から飛び出さないようにゆったりと衝撃のないように停めたら、遅すぎると言われた。なんだ素早さを見るため?それならそうと言ってくれれば電光石火で載せたのに。どちらかといえばそちらのほうが得意。

トヨタ・プリウスは運転しやすい。私の運転のはじめはトヨタ・パブリカ、そして初代カローラからしばらくトヨタ車が続いた。日産の車の走りは直線的、トヨタの車は曲線的、それぞれの特徴があってその後はずっと日産。しかし最近はトヨタも日産もあまり違いは感じない。昔のふわふわしたトヨタ車の面白みは消えたようだ。そのかわりどの車も運転のしやすさはほとんど変わりなくなった。あとは私の体の大きにさえ合えば。

体が低く沈んでいて周囲がよく見えないから脱輪一回。あとは順調で楽しそうに見えたらしい。教官が「ああ、やっぱり運転お好きなんですね」と。車に乗る前にいくつかの質問があって、その中に運転は好きですか?というのがあった。もちろん好き。車を買い換えるときに試乗車に乗ると、たいてい運転お好きですねと言われる。ハンドルを握ると生き生きする。これもボケ防止に役立っていると思う。高齢者が運転を誤るのは、普段あまり車に乗らないからではないかと常々思っている。私は高齢になってからはむしろ運転回数を増やしている。楽器の練習と同じように毎日運転をして腕を落とさないように。長距離も以前より頻繁に出かける。そのかわり自分に常に言い聞かせる。若い頃のように反射神経だけで運転をしてはいけない、と。確認に次ぐ確認。だから少し動作が遅くなる。今回の車庫入れはいつもより真っ直ぐに入れられた。いつも誰かに見られていると思えばいいのだ。

人が見ているとちゃんとやるというというのは楽器のときも同じ。一人で練習しているとダラダラ、ステージに立つと背筋が伸びる。ところが9月の「古典」のコンサートのときには背筋がかなり緩んでいたようだ。老けたねと言われた。でもね、そういうあなたも一緒ですよ。長年のお付き合い、歳だけは誰にも平等に訪れる。自分はまだまだなんていう人は己を知らない。人は大抵自分は他の人より若くみえると思っているそうなのだ。鏡の前の自分と無意識でいるときの自分と、もし傍から写真を撮られたらギャッと言いたくなるほど惨憺たる映像になる。他人がいなくても鏡がなくても背筋だけは伸ばす癖をつけておいたほうが良い。

無事に高齢者講習が終わって新しい免許証を手に入れるまでは、違反をしないようにと注意を受けた。違反するとこれまでの好条件が帳消しになってしまい、再度講習を受ける羽目になるらしい。講習料金も高くなる。あと3ヶ月間、ドキドキしながらコソコソ運転、そういうときに限って一方通行を逆さまに走ったりするのではないかと、いやいや、考えないでおこう。実現してしまったらいけないので。







2021年12月7日火曜日

検診の結果

いつもと同じコレステロールが高い。いつも検診ではコレステロールの高さを指摘されて薬をすすめられるけれど、頑として拒んでいた。けれど今回は断れないような数値が出て、それでも拒んできた。頑張ってみますと言って。

なにを頑張る?もちろんコレステロールの値をへらすこと。今までは総コレステロール値が250、これは10年以上変わらなかった。けれど今回は278に跳ね上がった。さすがの私もギョッとする数値。HDL76,LDL202ということで、いわゆる悪玉コレステロールが高い。 

悪玉というけれどコレステロールは悪くない。ただバランスが悪いから病気の元となるだけで、悪いのは過食、糖質、油脂取りすぎる、みんな私が悪いのよ。美味しいものはたいていコレステロールのもとなのだ。それと体を動かすのがあまり好きではなく、毎日必要最小限の運動しかしないのも良くない。かと言っていざ奮起すると絶対にやりすぎて体を壊す自分の性格はよくわかっている。要は体の健康は頭脳の制御力に比例すると思えばいい。

なにをやればいいのかはググればわかるから、医師の手を煩わせないで直してみようと固く決心をした。検診の結果を伝える医師には3年ほど前からお世話になっている。あまり自分の考えを押し付けず、患者の言うことをきく良いお医者さん。こういう人が良いのかどうかはわからないけれど、少なくとも私のように我の強い患者には受けが良いかもしれない。それがわかっていてこういう態度を取るのかどうかはわからない。単に無口なだけかもしれないけれど、やたら薬を勧めない。それとも私が怖くて口がきけないのかも、そのへんは一番の原因かもしれないけれど、帰り際に「薬はいりません。とにかく頑張ってみます」と啖呵を切る私を放任してくれた。考えてみたら幼い頃から今に至るまで、私は放任され続けている。

幼児期からお世話になっていた近所のお医者さんがいた。名医で診立ての名人だった。その方が亡くなってしばらくあちこち探して見つけたのが今のかかりつけ医。無口で薬を無理強いしないところがよく似ている。子供の頃のかかりつけ医は風邪をひいたくらいだと注射もなし、薬もなし、「あったかくしてねてなさい」と一言で診察料もただ。そのかわりいざというときには大きな病院の医師たちよりもずっと頼りになった。私の家族はどれだけこの人に救われたことか。

さて、啖呵を切ったはいいが、これからキャベツとブロッコリーを山のように食べ、ケーキを横目で見るような生活に入るとなると、今日のうちに美味しいものを食べておこう。さっそく病院の並びにあるレストランへ。ちょうど午後のティータイム。季節のケーキはモンブランですという店員さんの言葉に素直に従って、紅茶とモンブランをいただく。料理も美味しいその店でテイクアウトのサーモンのパイ包みを一切れ?いや二切れはいけるかな。それとオリーブオイル漬けのトマトとナス、これも100?いや150グラム。サーモンパイは今晩と明日の朝用に。しかしそれらは儚くも胃袋に全部収まってしまった。

検診の時期に沢山バターを使った料理をたべたから数値が上がったのだと言い訳を考える。そういえばパイの皮はバターがたくさん使われている。ケーキと合わせると、今日だけでもぐんとコレステロール値が上がった。何事も明日から。延ばせるものは延ばす、それが私のモットー。

先日大きな葉付き大根を見つけた。葉をごま油で炒め白ごまとシラスを振りかけて食べたら、もう何年も味わえなかったほどの美味しさ。北軽井沢で見つけた美味しいタマゴで卵かけご飯。ニャンニャンと言って食べた。こういう日本のご飯は本当に美味しくて満足感がある。それなのに、ほとんどの食事が洋風になってしまったのはどうしたわけか。洋風の食事をしているので最近の私は足が長くなった・・・かと思いきや、足はますます短く検診の時に測った身長は、一番高いときより8センチも縮んでいた。いいさ、そのうち地面を匍って歩くから転ばないですむ。








2021年12月4日土曜日

シューベルトは特別

コントラバスの友人からもう一度シューベルトの「マス」を弾きたいから遊んでもらえる?と言ってきた 。望むところと請け負った。別にどこかで弾くあてはないけれど、コンバス奏者Hさんの仲良し2人は優秀なピアニストとヴィオリスト、あとはヴァイオリンとチェロを調達すればいいというので、私に声をかけてくれた。チェロは古い仕事仲間だけどだいぶ私より若いKさんに声をかけてみた。喜んで弾いてれるというからばんざい!美人でおっとりしていて素敵な人なのだ。

コロナが少しずつ感染者を減らしてきたときで、やっと日常が戻ってきた。楽器がひけるのはなにより嬉しい。それも大好きな仲間たちとの共演はなおさら。最近流行り始めたオミクロン株の脅威はどの程度かわかっていないけれど、私の周りでコロナの感染者はゼロ。みんなとても用心深い人たちなので。それとやはり健康なのだと思う。楽器をひく作業はとても体力を使うと同時に良い運動になる。人間はやはり運動が大事。コロナで演奏会が軒並み中止となったとき、不貞腐れて練習を怠った時期があった。そういうときは体調が悪い。それで一気に老けたようで、周りからさんざん指摘された。

ところがステージやスキー場のゲレンデに立ったりしたとき、急に若く見えると言われた。緊張が年齢を牽引しているのかもしれない。それで今日は自撮りした写真を見ると・・・やっぱりすごい婆さんが写っていた。おやあなたどなた?ま、仕方がない、今後はこれでいくっきゃない。

体を動かそうと散歩は欠かさない。けれど何事も私はやりすぎる。足が痛いときにはそうは歩けないけれど、今朝はどこも痛くないので少し長めの散歩。近所の古墳のある丘に登って富士山を眺めてきた。この山が噴火して形が変わってしまったら、どれほど悲しいか。そうならないことを祈っている。帰ってきたらどっと疲れて、練習をサボる口実を探している。

「マス」を弾き「ます」の会は今年の暮に練習が始まる。その前におよそ50年にも亘る共演者のSさんとやはりシューベルトの「ソナチネ」を合せ始めた。短くて可愛らしい3曲のソナチネ。天才というのは常に前進し続けるものだといつも思う。モーツァルトもそうだしシューベルトも例外なく、作曲年の遅いほうが深くなっていく。ほんの少しの年月で、次の作品は間違いなく彼らの高みに登っていく。

シューベルトといえば転調を繰り返し長い曲が多い。このソナチネたちはそれほど長くない。多分初期の作品かと思ったらそうでもないらしい。技術的にはそれほど難しくなく、音符を弾くだけだったら今どきの子供なら楽に弾けそうなレベル。しかしシューベルトの難しさは、私にとっては転調なのだ。ふっと次の調に変わるときに音痴にならないように非常に気を使う。ヴァイオリンのような自然な音階を弾ける楽器の音程は、5線の同じ場所にあっても和音の第何音かによって微妙に変わる。ピアノと一緒ならピアノの和音につければいいけれど、弦楽四重奏などの弦楽器だけの曲であれば、喧々諤々、低いの高いのバランスがどうのと一生涯が過ぎてしまう。しかも最近曲がってきた指が音程の悪さを助長する。しかしこのソナチネたちは弾いていてとても楽しい。練習が終わってもニコニコしていられる。楽しみがあるのはすごく幸せ。コロナの闇は早く忘れて、今年後半から来年までシューベルトにどっぷりと浸かることになった。

シューベルトといえばやはり歌曲。「冬の旅」は中学生時代からずっと私の愛聴曲だった。レコードではもちろんのこと、生演奏はディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウと伴奏者はジェラルド・ムーア、次にペーター・シュライヤー、そしてフランスのジェラール・スゼイの来日公演を聴いている。ディスカウは勿論20世紀最高のバリトン、素晴らしかった。けれど一番印象深かったのは、ペーター・シュライヤーがギターの伴奏で歌ったときのこと。コンラッド・ラゴズニックというギターの名手、始まったときには音の小ささが心配だった。しばらくするとギターがどんどん主導権を取り始めた。負けじとシュライヤーも応える。至福のコンサートだった。あんなふうにシューベルトが弾けたらなあ。







2021年12月3日金曜日

水上生活

遅い昼食を終えて食器を洗っていてふと床を見ると、水がジワジワと床に広がっている。一瞬なんのことかわからなかった。午前中外出して帰宅してもまだ日が高い。これなら洗濯しても外に干せると考えて洗濯機を回していた。洗濯機の下から水が染み出しているのを呆然と眺めた。あっという間にキッチン付近はヒタヒタと水浸し。

水というのは始末が悪い。容器に入っていればいいけれど、野放しにされると際限なく広がる。とりあえず食器を洗うのは中止してなすすべもなく眺めていると、洗濯物が少量だったのが幸いして、しばらくすると水はもれなくなった。床は湖のようになった。エライコッチャ、どうしよう。この水どこから漏れたか知らないけれど、掃除機で吸い上げるのはダメだし、かと言って雑巾で拭いても時間がすごくかかる。そんな悠長なことをしていると床暖房の故障につながらないとも限らない。さてどうしたものか。それでも床に水が表面張力でこんもりと膨らんでいるのが面白いと楽しんでいる自分には呆れた。

そこで登場、いたいた、吸水のプロフェッショナル。猫のトイレに使うシート。厚手で大きいからたっぷり吸水できる。何枚か置くとさすが超厚型は仕事ができる。とにかく部屋の隅に水が貯まるといけないから隅っこにまで水が行かないうちに必死で吸い込ませた。猫さんごめん。そこからデッキブラシで残った水を玄関まで流し、ドアを開けて外に追い出す。部屋は2階だから水は階段を使って外玄関へ。そこから外に。私が現れたので大喜びで飛んできた野良が、異様な光景にぎょっとして逃げていった。

ちょうど帰宅した上の階の住人がびっくりしていた。何が原因かわからないけれど、今夜は水が使えない。夕飯の支度もできない。トイレは?関係あるかしら。水のトラブルを請け負う業者もいるけれど、どこに頼んだらいいかわからない。それでいつも家のリフォームをしてもらう会社のボスに電話をしたら出ない。どうしたのかな、いつもならすぐに出るのに。しばらくして相手から返信があった。

間の悪いことに今日これから手術なんですよと。

びっくり仰天!心臓のバイパス手術が今から始まるって・・なんとまあ、そんなときにこの騒ぎ、どうしよう。それでも社長の右腕の職人さんが来てくれた。よかった。ワイヤーの先が螺旋状になった道具でしばらく給水管をゴソゴソとかき回していたら、そのうち急に水の流れが滞らなくなって、これで多分大丈夫です。後光がさして見えました。これから帰ってお風呂でも入って夕食という時間だから悪かったわねえと言うと、いやまだこれから仕事があるんですと言う。本当によく働く。

先日IHヒーターに大量の吹こぼしをして壊したので、家電のお店にでかけた。私の家のキッチンは小さく寸法が限られるのでちゃんと大きさを測って、コンセントの形状も写真に撮った。たまたま近くにいた店員に声をかけて大きさを確かめ、コンセントはこれでいいと写真を見たその人が言うから決めて、なるべく早く配送してもらうように頼んですぐに商品は届いた。けれど、コンセントが違った。配送されてきたヒーターを使うには工事が必要だと言われて、それではこの差込口に合うヒーターはないの?と訊くとありますと言う。

最初からおかしいと思った。その店員さんの周りの人が心配そうに覗き込んでいく。声をかけていく。でも彼は反応を示さない。ほぼ即決だったのに、書類を作るのに1時間もかかる。軽いノリで接客することが良いことだと思っているらしく、ヘラヘラと冗談を言う。流石にこれは変だぞと思っていたら案の定、この始末。どうやらなんら専門的な知識もないらしい。私に20アンペアですかと訊くから家の電気の契約量かと思った。そんなに少なくないわと答えたのに、後でさっき20アンペアと言ったからと意味不明なことを言う。20ではないと言ったでしょ!何が20アンペアなのかもわからない。これってIHヒーターの電力のこと?こちらは本当に素人だから、そんなこと訊かれても知るわけはない。

中途採用かなにかで転職したのか。それだったらわからないことは周りに聞けばいいのに。周りの人たちが気を使っている様子がわかる。それを下手にプライドがあるのか無視し続けている。コロナ不景気などで気の毒なことになったのかもしれないけれど、それだったら捨て身で働かなければ生き残れないでしょう。わかったふりをしてトラブルを起こしてしまう、こういう人っているんだなあ。たぶん高学歴で育ちもよく身綺麗で、でも一旦挫折すると弱い。

水漏れを直してくれた職人さんはいつも作業着で、黙々と誠実に仕事をする。ボスはひどく口やかましい人で、時々たまりかねた私が親方をたしなめるという余計なことをしている。それでも穏やかで決して手抜きをしないその仕事ぶりは、親方も裏では信頼しているのだと思う。最近は監督なしで仕事に来ることもあるのだから。今日はボスはステントを埋め込んでいる最中だから来られないのだけど。

水浸しになったおかげでめったにしたことのない拭き掃除ができて、床がこざっぱりときれいになった。階段も時々掃除機をかけるだけなので、なんとなく薄汚れていたのが今日は小綺麗に。こうして強制的に掃除をしないといけない状況でないと私はやらないから、今回は掃除の神様のお導き?かな。

ヒーターが壊れたおかげで原始生活、石を打ち合わせて火をおこし、そんなわけないけれど、カセットコンロを取り出した。最近は一人暮らしで鍋料理をすることもなく、使われないでしまわれていた。やっと出番が回ってきたとヤツは喜んでおる。今までIHヒーターだったから使える鍋が違う。使っていた鍋を試しに使ってみたら全部共用できることがわかった。これで馴れておけば震災などの災害時にも役に立つ。カセットコンロ用のガスを少し買い置きしておこうかと。富士山はまだ噴火の兆しはないらしいけれど火災と地震保険の保険料金改正があって、多額の保険料を収めるようにと会社から知らせがきた。ひどい値上がりに音を上げましたよ。これはひどい!大地震が起きる時期は目前に迫っているのだろうなと、納得した。明日、水とカセットボンベと買い出しに出かけよう。

NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」を見ていたら手相芸人という人が出ていた。それで最近めったに自分の手なんて見ていないので久しぶりに眺めたら、いつの間にか感情線が半分になっていた。以前は人差し指と中指の間にすうっと伸びていたのに。そのかわり運命線が中指の第二関節まで届くくらい上昇、生命線はくっきりと長く2重になっている。頭脳線は下のほうがややかすれてきているけれどまだ健在。

頭脳と感情は衰退、その代わり欲と本能だけが強くなってきているのかも。感情は、コロナ禍の中でさんざん我慢したことの顕れかも。


















2021年11月20日土曜日

さようならハイヒール

 職業柄ロングドレスを着る機会が多く、ステージ用の靴は全部9センチのハイヒール。わたしは小柄なのでドレスの裾を踏まないようにと靴で上げ底していた。その靴で歩けたのに数年前、突然歩行困難になった。

前世はムカデだった私は、気に入った靴を見ると我慢できずに買ってしまうから、クローゼットから玄関まで靴で埋まっている。一度真っ黄色な変わったデザインの靴をネットで見つけた。買おうと思ったけれどサイズが無く涙を飲んだ。でもサイズが無くてよかった。あんな変な靴、どんな服と合わせて履こうというのか。

ところが最近変な服を買った。グリーンと黒と白と黄色のワンピース。おや、あの靴があったらぴったりだったのにと未だに未練たらたら。

それやこれやで変な靴がいっぱいで、ほとんど履かない靴がホコリを被っている。ある年の冬に差し掛かった頃、足首が寒いので急に思い立ってブーツを探した。そして見つけたのはグレーのバックスキンのブーツ。これなら足首が寒くない。デザインも色も素材もなにもかも気に入った。試着することに。それはそれは履きにくい。サイドにファスナーが無いのに足首部分は細くできている。わずかに伸縮する足首もデザイン優先だからほっそりとできている。店員さんに手伝ってもらって足がようやく入った頃には息が上がっていた。

でも素敵!その後お呼ばれだったので意気揚々と、それを履いて目的のお宅に到着した。初めての訪問だったので行儀よくブーツを脱ぐつもりが脱げない。どうやっても脱げない。最初に玄関に出てきたのは、先に到着していた友人。ご当主はまだ奥にいて、先客の友人は私がブーツと格闘しているのを見て目を丸くした。手を貸してくれたけれど勢い余って私は玄関の上がり口で転倒、床に尻もちをつきながらなおももがいているところへご当主登場。何をなさっているんですか?びっくりして見ている。そのうちやっとブーツが脱げた。

その時のブーツはあまりの着脱の難しさにその後は2,3回履いたかどうか。もったいない。素敵なデザインなのに、でもまだ捨てられない。

今日はやっと靴を捨てる決心をした。足首を痛めたのでヒールの高さが問題になる。たとえ歩けても足首を捻って捻挫しかねない靴は捨てることにした。たった2度ほど履いた靴も情け容赦なくゴミ袋へ。ヒールが5センチ以下のものだけ残して、それでも捨てられない靴がある。捨てないからと言って履けるわけでなし、この未練がましさは私らしくない。物に執着しないのが私のはずなのに、靴だけはだめなのだ。ヒールを低くするために新しく注文した靴がさっそく部屋を占領し始めた。それでヒール5センチ以上、ここ数年履いていない靴等条件をつけて捨てることにした。

ずっとスニーカーを愛用していた。そのスニーカーがどんどん増えていまや部屋の主になっている。長い間スニーカーを履いていて少し飽きがきた。それでも歩くには最適なんだけど。かなり前のはなし、私のコンサートのお客さんがスニーカーを履いてきたことがあって、少しムッとした。コンサートにスニーカーを履いてくるなんて!と。その頃はコンサートのお客様は大変オシャレだった。私もコンサートに行くときにはおしゃれをしていった。

それでも今や、おしゃれなスニーカーが人々の足元を席巻していて、私も履いていくようになってしまった。随分昔、ニューヨーカーが出勤のときにはスニーカーを履いてでかけ、オフィスで革靴に履き替えるというニュースを見たときに、へー、そんなことをしているのかと感心したことがあったけれど、今や普通のことでしょうか。ハイヒールが履けなくなって普段履くのはいつもウオーキング用の靴。ずっとそんなだったので最近オシャレな靴が履きたくなってきたのに足首が痛くてままならない。

だいぶ前の話だけれど、テレビを見ていたらデヴィ夫人が出てきて、履いているのはなんと20センチのヒールだそうでえらく感心したことがあった。年齢はわからないけれど、それだけの努力をしているということ。足がよほど健康でないと履けないでしょう。彼女は以前リポーターから「整形はしていますか」と訊かれて「していませんよ。でもその他のあらゆることをしています」と答えていたのが印象に残っている。お金があるからあらゆることができるのでしょう。お金のない私はとりあえず靴を捨てることから始める。今朝はほんの5足ほど捨てた。結局は2,3足あれば事足りると思うけれど、おしゃれ心は捨てないようにしたい。クローゼットの奥深く潜んでいる靴を明日も見つけ出してゴミ袋へ。そのうち間違えて自分をゴミ袋へいれたらだれも助けてくれないかも。

早く早く、本人が気が付かないうちに早く捨てちまえ・・・なんて








2021年11月19日金曜日

高齢者免許更新

 今月8日に認知機能検査を受けたばかりなのに、次の高齢者講習で運転技能などの講習が受けられることになった。前回のときには近所の教習所に行ったので、予約にも長い間待たされてジリジリしたけれど、今回は運転免許センターで受けることにしたので、すべてがスムーズにいった。なぜ、最初から運転免許センターで受けられると言わないのかが不思議なんだけど。

最初に教習所の名前がずらりと並ぶはがきが来て、ここで受けてくださいと書いてある。取説の読めない私は、ここでも最初のページしか読まなかったので必死に教習所に電話した。どこも2ヶ月くらい先まで予約が一杯で、最初の認知機能検査が終わるのが免許証期限ギリギリ、そこから次の運転技能の講習にたどり着く頃には更新期限が切れている。もちろん情状酌量で少しは待ってもらえるらしいけれど、その間とても不安になる。何件目かで電話がつながった教習所のオペレーターが親切に教えてくれたのが運転免許センターでの受講だった。

おかげで運転免許センターの認知機能検査は高得点でクリア。すぐに次の運転技能の検査の予約も取れた。予約電話の受付は平日8時30分からで、29分にはスタンバイ、30分に変わった瞬間ダイアルした。すぐに予約が取れて12月初旬には晴れて更新できる運びとなった。実技は脱輪しても道を間違えても、よほどのことがなければ落とされることはないと聞く。私のように小柄なものは車が大きいと色々不都合が出る。それで当日背もたれとかクッションとか持ち込んでいいですか?と訊くと構わないそうで、そちらにはそういうものはないの?と訊くとごめんなさいと謝られて恐縮した。

世の中のものは標準的な人に当てはまるようになっている。極端に大きい、小さい人に合わせると、コストも手間もかかるから両サイドのサイズはカットされてしまう。だから私には世の中のすべてのものが大きすぎるのだ。

飛行機に乗るときにはいつもエコノミーだったから、たまにはビジネスクラスに乗ってみようと思った。航空会社のカウンターで、今日はビジネスクラスが割引になるからと勧められたので乗ってみることにした。で、すぐに後悔した。座席は大きすぎて足が足載せに届かない、背もたれも高すぎてヘッドレストに届かない。すごく疲れた。身の丈にあった生活をしようと、その時思った。

今度の講習の車はトヨタのプリウスだというから、どこかでシートに座って見たいと思っている。プリウスに乗っている知人はいないから乗っている人を探そう。前回はスバルのなんとかいう車。あまり良く知らないので名前を忘れてしまったけれど、とても大きくて教習所の教官が気の毒そうにクッションを勧めてくれた。その時は断ったけれど、今回は持参することにした。プリウスってどのくらいのクラスかな?トヨタのショールームで座らせてもらおうかしら。買わない人はお断りっていわれるかな。図々しい、塩まいてなんて追い出されるかも。いやいやトヨタさんはそんな小さいこと言わないでしょう。帰りにお持ち帰りでどうぞなんて1台お土産にもらえるかも。あはは、てなわけないか。

講習の予約が取れた頃、大谷翔平くんのMVPの受賞の発表があって、大喜び。惜しかったなあ、予約電話の最中にこのニュースが報道されたら、オペレーターさんに知らせてあげようと思っていたのに。二人で手を取り合って喜んだのに。電話の向こうだから、しかもコロナ感染のこともあるから手を取り合うわけにはいかないけれど。

知れば知るほどすごい選手なのだ、翔平くんは。例えば宇宙飛行士などの顔に共通するものがある。とても落ち着いている。目がキョロキョロしない。やたらに興奮しない。派手な言葉も態度もない。ごく淡々と話す。生活のすべてが野球につながっている。行動のすべてが野球のため。それでいて独りよがりのところや奇をてらった行動、思い上がりなどが一切見られない。稀有の存在なのだ。









2021年11月16日火曜日

狩猟解禁

 毎朝、北軽井沢の森の中で聞くのは地元の有線放送。なにを言っているのかよく聞き取れないことが多いから、今日も元気でとかなんとか言っているものと思っていた。けれど昨日は風向きのせいかはっきりと聞き取れた。

今日から狩猟解禁日となりますと。森の動物が人間の言葉がわかったらさぞ怯えることだろう。ハンターが入るので気をつけるようにと続く。どう気をつけろっていうの?私はもしかしたら新種の猿と間違えられて撃たれるかも。でもこんな人っ子一人いない森で撃たれても、そのへんに埋められてしまったら誰にもわからない。サスペンス映画の見過ぎ。

あの人最近見ないわねえ。きっとまた中国の山の中かペルーのマチュピチュかどこかに行ってるんじゃない、変わり者だから。などと言われて誰も心配しないに違いない。コロナのせいで日本にいるけれど、数年に一度は空を飛びたくなる癖があるから。

朝から嫌な気分になったし、猫が早朝素敵なナニを出してくれたから、今が潮時、帰宅することにした。本当は朝10時半に予約に行って、地粉やさんという評判のお蕎麦屋さんで蕎麦を食べることにしていたけれど諦めた。

猫のトイレ事情はよくわからない。最近車中のケージで用をすます癖がついてしまって困っている。ただいま4連敗。出かける前に済んだからと言って決して安心はできない。走り始めると急に大騒ぎしたらそれはもう出したということ。はじめのうちは山の急カーブが嫌だからかと思っていたら、帰宅してケージの中が悲惨な状況なのを見てびっくりした。私は昔から嗅覚障害だから幸い(?)なことに嫌な匂いに気が付かない。反対に匂えばすぐに対処できるのだから猫にとっては不幸のどん底。

でも今日こそはあんなに立派なものがあったのだから大丈夫と、安心しきって出発した。高速道路に入る直前騒ぎ出したけれど、でもあんなに立派な・・安心。固定観念が出来上がっていた。家についたらちゃんとあった。あらま。もうこれは条件反射というしかない。飼い主さんたちはどう対処しているのだろうか。

帰ってきたら北軽井沢より寒い。ノンちゃんの家は北海道出身の建築士の建てた寒冷地仕様の家。床暖房だけで素敵に温かい。掛ふとんは薄い羽毛の布団1枚。窓を開ければそれはこちらより寒いけれど、家の中にいる以上は全く寒さを感じない。床暖房だけでこの暖かさ。さぞや電気代が・・・ブルブル、考えると寒くなる。自宅はなんだか足元も背中も寒い。どこかしら窓を開けてあるので、そこから冷気が入り込む。ノンちゃんの家は換気のために屋根裏部屋の窓は昼間だけ開けてあるけれど、それでもTシャツ一枚で過ごせるほど温かい。

猫が文句を言う。あっちより寒いじゃん。これでは眠れない。押し入れにヒーター入れて!

はいはい、お姫様。では巣穴にヒーターを入れて差し上げましょう。いかがでしょうか?

あくまで猫は女王様、私は端女。

久しぶりにテレビを見たら、予定が空くのを恐怖と感じる人達が多いという。私はフリーで仕事をしていたから、予定が空くのは即仕事が入らないということで、そういう意味で空白は嫌だった。昭和天皇ご崩御の時期に恐ろしい空白が1年以上続いたことがあって、今のコロナの社会状況と似ていた。収入はどん底になってまいったこともあったけれど、仕事をやめてから予定がないというのはむしろ嬉しく感じる。体は休んでいるけれど、頭の中は騒々しく働いている。一人で笑っていたりして、あの人「ちょっと、あれ?」なんて思われているかもしれない。大抵は古今亭志ん生の火焔太鼓などを思い出しているのだけれど。頭の使い方もアインシュタインみたいに建設的ではなく、落語の思い出し笑い。思い出すだけで笑えるのは実に経済的。志ん生の天才のおかげ。








2021年11月13日土曜日

又々大変

 前回北軽井沢に来たとき空を仰いで雲の行方を眺めていたら、目についたのが一本の枯れ枝。ベランダの真上にあってベランダと同じ向きに伸びている。見た目なにかおかしい、と思ったのは今年の夏この枝には葉がつかなかったから。枯れているのかどうかは素人目にはわからない、でも、もしこの枝が枯れていて頭上からドサリと落ちたら、下にいる人はただでは済まない。とにかくプロに確かめてもらわないと、どんな事故が起きないとも限らない。

いつも世話になっている工務店の社長が一目見るなり「あ、枯れてる」どうして分かるのと訊くと、ほら途中の皮が剥けて白くなっているでしょう。ああなるともうだめなんですよ。どうしてこのベランダを作るときに気が付かなかったんだろう。悔やんでも仕方がないけれど、仕事を依頼された方は頼まれたことしかしない。そのときに木の状態も確かめておけばよかった。

足元が悪く普通のはしごや高所作業車は入らないとなると、クレーンで吊り上げて下ろすしかないという。それも足場の関係上屋根の反対側から屋根の上を通って下ろすという。もしクレーンのワイヤーが緩んだら屋根にドシーン!

ノンちゃんの大切な家は可哀想なことになる。工事が見たいと言ったら社長は返事もしない。好奇心丸出しで現場をウロウロされたら危なくてしかたがない。なるべく留守のうちに終わってしまおうという魂胆が透けて見える。前回も木を切る依頼をして「見積もりを」と言ったのに、正式の契約もしていないのに、さっさと私の留守中に切ってしまった。かんがえていたよりずっと安かったから良かったけれど。

あれやこれやで森の木の維持はたいそうお金がかかることを初めて知った。相手は生き物、猫でさんざん苦労しているのにまさか木でもこんなに苦労するとは思っても見なかった。だから私は古い穴の空いたシャツで我慢我慢。何十年も前のものを引っ張り出して着ているのだ。

別荘地はもはや人影がない。車も殆ど停まっていない。その中で真っ黄色の車がミノムシのような木の壁の家の前にいると、目立つのなんのって。どうしてこんなに気持ちの良い季節に皆いなくなるのか考えた。今一番きれいな時、紅葉も山も空気も空も。なんでかえってしまうの?

北軽井沢はとにかく寒い。雪が少ない分骨身にしみるような寒さ、それにからっ風が吹こうものなら歯がガチガチいうほど寒い。まもなくその季節がやってくる。あと数日で氷点下になるらしい。水道が凍ってしまうから、水管から水を抜かないと破裂の恐れがある。11月になると業者から水抜きの注文のはがきがくる。私は12月にもまだ来るつもりだから水抜きは頼んでいないけれど、注文書を見ると水道が破裂しては大変という気持ちになるらしい。あっという間に人も車も消えた。どうしてこんなにいい季節に帰ってしまうのかしらねえ、と言ったら社長は「寒いからでしょ」にべもない。

でも今日も昨日も私はシャツ一枚、ダウンのベストを羽織って外にいる。寒さに強いというよりは気温に鈍感というほうがあたっているかも。風呂上がり、湯冷めして歯をガチガチ言わせながらパソコンのゲームがやめられなくて風邪をひくなんてことも。

今夜もベランダで音がする。カチカチと石を打つような音。なんの音かしら。今朝はベランダになにかの木の実が砕けた跡があった。だれか、リスかハクビシンかそこでかじった残骸?どうやらここのベランダは自宅の駐車場のように動物の餌場になっているらしい。そういえば今朝、庭の下を流れる小川のほうへ猫がおりていこうとしていた。最初はうちの猫が出ていったのかと慌てたけれど、少し毛色が薄い。声をかけたら飛び上がって逃げていった。このへんで飼われている猫なのか、それとも避暑客がおいていったものかはわからないけれど、この森でどんな生活をしているのだろうか。

こうして暇を持て余して夜の音に耳を澄ませていると、童話が書けそうな気がしてくる。主人公は避暑地で置き去りにされた猫。白いメス猫、それを守る茶トラの雄猫。さあ、どんなストーリーになるかお楽しみに。なーんちゃって。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  














2021年11月12日金曜日

消えたハサミ

 前回来たとき追分の友人に助けてもらって庭の木を切ってもらった。大木のそばにポヨポヨと伸びている細い木はどうせまた生えてくる。ほつれ毛のように見苦しいからバサバサとカット、随分こざっぱりした。切った木を庭の片隅に積んでおいたので、今回片付けようと思っていた。家には剪定ばさみしかないから、それで細かくカットして大きくて丈夫な紙袋に入れて捨てようとハサミ片手に庭に出た。

その前に庭の主の大木の前に家から持ってきたヴィオラの束を植えたい、ハサミを置くところは?庭は落ち葉が降り積もっている。黄色の落ち葉の上なら鉄のハサミは目立つからすぐに置いたところがわかるだろうと。

それが甘かった。どうして、どうして、どうして?・・・・ない。未だに見つからない。

ヴィオラを植え終わって、さてハサミはたしかこの辺に。落ち葉の下に沈んだかとそのあたりをかき分けてみる。ない。

さては地面に潜ったか。来年春になったらハサミの木が生えてくるかもしれない。楽しみだなあ。

昨日鍵のことで相談に行った工務店からの帰り道、浅間山に会いたくなって牧場まで行った。無風で日差しが暖かい、絶好の散歩日和。いつもは売店などある入り口を通り越して頂上まで車で行ってしまうのだが、手前の売店の駐車場から登っていける階段を発見。そこから登ってみた。ちょうどカップルが同時に出発、私が避ける方避ける方とついてくる。うざいから途中で立ち止まってやり過ごそうとすると、すれすれを通って先に行った。ソーシャルディスタンス守って欲しいなあ。

いつも思うけれど、日本人は他人と自分の距離が近すぎる。電車の中で周りが空いているのにも関わらず、ベッタリとくっついてくる男性に恐怖を覚えたことがある。彼は別に痴漢などではなく、人との距離が取れない人。多分家の中でお母ちゃまにベッタリとくっついていたものと思われる。くっつかないでくれというと怒り出した。困ったなあ、こういう人。海外に行くと心地よいのは他人との距離が適正にとられること。どんな人混みを急ぎ足で歩いても、日本のようにわざとのようにぶつかる人はいない。それだけでもストレスが無くなるから海外で町を歩くのは楽しい。

さて、彼らをやり過ごしたのは正解で、私は息切れがひどくなって何回も深呼吸を繰り返さないとならなくなった。標高は1000メートル少し上がったところ、景色に見とれるふりをしながら呼吸を整えては先に進む。呼吸器系は私の弱点で、チベットではひどい高山病にかかった。今考えると非常に危険な症状だったのに、次の日、5000メートル越えのコースに登るという無茶をした。よく生きてかえれたものだ。若かったのね。

やっと上までたどり着くと、そこはいつものピクニックの場所ではなく、その少し下で、いつもの景色とはまた違った浅間山の表情が見られる。ちょっと得した感じ。そこを下っていつもの山頂までのコースに行って、やはりこちらのほうが雄大だと納得。しばらく景色に見とれてきた。この季節にしては暖かく穏やかな日が続く。でも雪の便りはもうすぐそこに迫っている。

おーい、ハサミよ、出てこーい!

でもこれで働かなくて済むともうひとりの自分が言う。朽ちた木の枝を切ってもらうように頼んであるので、その時一緒に片付けてもらおう。ハサミが見当たらないのよ、口実ももう決まっている。

昨日の浅間牧場の2度の登山に疲れたのか、朝食の後森の中を散歩したあとぐっすりと眠ってしまった。しかも3時間も。目が覚めると部屋に燦々と陽が差し込んでいて早くもお昼。猫も私と枕を共用しながら気持ちよさそうに日差しを浴びて眠っている。こんなに昼間寝てしまっては、今夜も猫の夜鳴きに悩まされて眠れない、昼夜逆転の元凶はこの猫かも。でも私はこうして毎日nekotamaに愚にもつかない投稿ができるのだから、そして一日どう使おうと制限なしの生活なので昼夜など関係ないわけで。

IHヒーターでお湯を沸かしていた。ラップをヤカンのそばに落としたので慌てて拾うと、熱いっ!ラップを切るためのノコギリ状の切り口がヒーターに触れて、僅かな時間で温まっていた。なるほど、ヤカンでなくてもアルミホイルでもヒーターで調理ができるのだ。目からウロコ。もし災害時など鍋やヤカンがなくてもヒーターさえ動いていれば調理ができる。大発見だあ。

大抵はその反対、鍋釜やヤカンがあっても通電していないということのほうが多いけどね。さて明日からは友人が山を登ってくるのでやっと人間と話ができる。口が錆びてしまったのでうまく言葉が出てくるかどうか。









野良は元気かな?

今朝の朝食は昨日見つけた卵屋さんの卵でオムレツ。車を走らせていたら鶏牧場の看板が目に飛び込んできた。ほう、さっきはヤギ牧場というのがあったけれど。ヤギはちょっと苦手。ここの鶏たちは広い土地に放し飼いにされている。囲いの外から餌を投げ与えられるように餌が置かれているので一袋買って手近の鳥さんに投げてみたら・・・鳥だから足音はしないけれど、ドドドドド・・・みたいに何百羽?の鳥が出てきてびっくりした。私の目の前でひしめき合いながらこちらを見ているのには圧倒された。店の人は、奥にもっといるんですよと小屋を指差した。

今朝オムレツにさっそく使ってみた。割ると白身がこんもりと盛り上がって新鮮そのもの、チャボというのかしら、茶色い小型の鶏さんたちの 栄養を美味しく頂いた。後で卵かけご飯にしてみよう。キャベツは美味しい、卵もすごい、肉屋さんは何軒も良い店がある、プリンの美味しい有名店もある、気持ちの良い温泉旅館やホテルもある、浅間山がすぐ目の前に見える、こんなに素敵な場所がどうしてこんなに過疎なのかと以前からずっと思っていた。私がノンちゃんの家に居候を始めた13年前から今まではほとんど変化がなかった。

ところが最近、村がどんどん様変わりしている。コロナ禍のせいで人々が都会にいなくても、仕事はリモートでもできることに気がついて自然回帰が始まっている。このあたりの素晴らしさにようやく気がついたらしい。カフェがあちこちにでき始めた。森の木が切り倒されて新しい家が建てられている。リゾート開発業者はそのうちにバス路線を増やすのではないかと思う。そうなってしまうと私はつまらない。

開発を望んでいる地元の人には悪いけれど、私はこの手つかずの自然が好き。林の木々はボサボサで山間の道はわかりにくい。お蕎麦を食べに行くのに道に迷ったりする。志賀高原、草津に近いので気が向けば雄大な自然と向き合うことができる。何よりもこの静けさが素晴らしい。

若者は群れるのが好き。私もかつてはそうだった。群れるのが好きなら鶏牧場の囲いの中に入れてもらえば満足できるでしょう。突かれても鶏ならそう痛くはない。

今はもうこの別荘地に人影はない。こんなにいい季節なのに。地元の水抜き業者は雪になる前に早く水栓を空にしたい。管が破裂すると大事になるから。でも私は冬もここに来たいからまだ水抜きの依頼をしていない。

雪の季節、こんな寂しいところは本当に人っ子一人いないに違いない。今でさえ人の姿はないのだから。もしかしたら雪女が出てきてさらわれるかも。雪女の友達を持つのも悪くはない。先日この家の中に動物が入り込んでいた。どうやって入ったのかは謎だけど、それも楽しい。さっき、動物が餌を食べている音がした。庭の方から聞こえるからそーっと立ち上がって覗きに行ったら、なーんだ、窓際の餌場でうちの猫がカリカリ食べている音だった。いつの間にかこの家に入り込んだのかしら、この猫は。いやいや、あなたがつれてきたのでしょうが。

そろそろ野良たちのことが心配になってきた。ちゃんと餌食べてるかな、いじめられていないだろうか。寒さに震えていないだろうか。

しかし彼らはしたたかに今まで生きてきたのだから大丈夫と自分に言い聞かせる。いつでも心配の種は尽きない。私のほうが里心が出てきたかな。そういえば人と話すのはお店に買い物に行ったときだけ、人間は群れる動物なのだと改めて思う。

夜明けを待つ

この季節は夜が長い。睡眠時間の短い私にはつらい。都会と違って森の中は真っ暗だから、夜は表が歩けない。ほんの僅かの街頭が照らす部分以外は真の闇。自分の足元も見えない。

テレビもないこの森の中でどうやって過ごしているかといえば、こうしてパソコンと向き合っているか、食べているか、寝ているかしかない。今回はハリー・ポッターの原書読みの最後の追い込みのために 来ている。第7巻の22章まで読んだ。あとまだ15章くらい残っている。これを完読したからと言って私の英語がうまくなるわけでもないのに、始めてしまったからには完読しないと気がすまないという厄介な性格のためやめられない。これで面白くない本だったら最初から読み通す気はないけれど、作者のローリングさんの罠にハマってしまった。大人こどもを問わずお読みになることをおすすめする。単なる子供の本ではない。

今最初の巻で始まった様々な筋書きの謎だった部分がピシャリとハマってゆく面白さに取り憑かれている。ああ、あのときの意味はこうだったのかと。そのすべてを作者は頭の中にきちんと保存しておいたのだ。最初のうちは小学生くらいの子供向きに語彙も少なくフレーズも短い。しかし今や曲がりくねった路地の先に突然否定形が出てきて意味が逆さまになり、そのまた奥に目に見えない路地が隠されて・・・私にはお手上げの難しさ。パズルのように、しかも深い哲学が隠されていたり。

私は言葉に関しては国粋主義、日本語大好き。英語には興味なかったから学校でも最小限テストのための勉強しかしなかった。こんなことならちゃんと勉強をしておけば、というよりこの本が当時出版されていたらなあと思う。私には難しいけれど、今どきの高校生なら軽く読みこなせると思う。

それで夜が更けてようやく寝ようかというときに猫が騒ぐ。今夜は表に動物がいてウッドデッキでお食事。さっき庭の落ち葉をかき集めていたら、中からどんぐりが出ること出ること、これで春までリスなどの保存食となる。さっき来ていたのは誰だかわからないけれど、美味しそうにバリバリと食べる音がしばらく続いた。どんぐりが大量に降った日の夜は大勢の動物の声がした。「うまいねえ、これ」

今日はお一人様かな。夜の森には様々な音がする。今日来た動物は少し大きい感じがした。でも熊さんではあんめえ。おっと、落語の口調になってしまった。見たくてウズウズしたけれど、シャッターを開けたら熊がいたら大変だからやめておいた。人間だったらもっと怖い。

シャッターは夕方5時過ぎには閉めてしまう。外は真っ暗、少し怖い。5時に閉めて翌朝6時までは外は暗い。だから今の季節は13時間も家のなかで早く夜が明けないかと待ちかねている。

今朝やっと表が明るくなって6時ころシャッターを開けた。木の葉がすっかり落ちた落葉樹がほのかに明るい朝の光を背景にシルエットになって浮かび上がる。まだ太陽は眠そうにゆるゆると明るくなっていく。少し目を離して振り向いて窓の外を眺めると、わあ!山火事?

木立の一部分が真っ赤に燃えている。あっけにとられてよく見ると、そこだけ雲があって、その雲が登ってきた太陽の光を受けて真っ赤に染まっていた。しばらく呆然と眺めていた。

いつまで見ていても飽きないから、私の朝は空と雲を見るのに2時間ほど費やされる。

春夏には木が生い茂って湿度が高く、それなりには美しいけれど、ここの一番いい季節は今頃なのだ。それなのに森の住人たちはさっさと家を閉めて都会に戻ってしまう。木枯らしが身を切るように吹きはじめ空気が一層澄んで浅間山が冠雪する頃、名残惜しいけれど山を降りる。

ここでの一人暮らしも3年、はじめのうちはまだ仕事も忙しかったけれど、今はかなり時間の余裕ができた。それでも野暮用が多く帰宅しないといけない。やっと最近1週間以上逗留できるようになった。年寄りの割にはチャカチャカと動き回ることが多く、馴染みのお店も増えてきた。今日は合鍵の相談にここを建てた工務店まででかけた。

以前の持ち主のノンちゃんはきちんと書類なども保存してあって、でも、そのことを私に伝える前に急逝してしまった。先日合鍵の1本が見当たらなくなった。受け継いだ鍵は3本。ドイツ製の複製が大変難しいという立派な鍵。そうなのだ、ノンちゃんはなんでも良いものを好む。私は簡単なものを好むから、複製するのにドイツに注文しなくてはいけないなどというのはとんでもない災難のようなもの。あるいはドアごと取り替えるか、他の鍵を別につけるか・・・など手段はあるらしいけれど、ひとまず施工した会社へ相談に行った。15キロ離れた山の奥の集落の一角に会社があった。

初めて会う社長はまだ若く礼儀正しい。一通り最善策を考えてセーフティーカードの番号をドイツの会社に送ってもらうことにした。帰り際、何気なく社長がこんなものをもらってと見せてくれたのが木彫りのフクロウ。今私は表札になるものを探している。未だに表札はノンちゃんの名前のままなので、可愛い動物の木彫りとか陶板の表札がほしいと思っていたのに、大きさもピッタリ。ほってくれる人を紹介してほしいと頼んだら、これ差し上げますよ。

いやいや、くださった方に悪いでしょうというと、なに、めったに来ませんから。結局頂いてしまったけれど、社長が事務員の方をちらっと見たのが気になる。もしかしたら彼女は奥さんで、奥さんのお父さんが彫ったのかもとか妄想を膨らませた。私が帰ったあとで大喧嘩になっていないだろうか。

あなたって人は女と見ればやたらにものを上げて、キーッ、悔しい。

いや、女と言ってもあれは婆さんだぞ。金髪になんかしているけど、よく見てみろ。マスクしているからわからないけど百歳近いかも。

おおいやだ、年はとりたくないものだわ。マスクは一生つけていよう。







2021年11月10日水曜日

冬の雑木林

 認知症検査も受けられたし、この検査ではよほどひどい出来でなければ次の運転技能の講習を受けられるらしいからホッとして北軽井沢の山荘にやってきた。前の日に出発のつもりが悪天候で1日遅れになった。関越道の半ばまでは少しだけ曇っていたけれど、こちらに近づくにつれて青空が広がって清浄な空気が呼吸を楽にしてくれる。猫はといえば相変わらず文句たらたら、トイレは一応済ませてきたから今度は大丈夫と思っていたのに、途中の山道のカーブで車酔いをして嘔吐した。毎回随分気を使ってカーブを運転するのに。

山荘に着くと今までの弱り様はどこへやら、まっしぐらに冷蔵庫の前に行く。いつもそこで餌を食べているので。早く水と餌を用意して!と小うるさい。そしてむしゃむしゃと食べるは食べるは!自宅での食欲とは全く違ってぺろりとたくさんの餌を平らげる。これほどの違いは空気なのか水なのか気圧の違いなのかしら。

最近この猫がひどく泣きわめく。夜中に羊のようにメエメエ泣くのでしょっちゅう目が覚めてしまう。このせいで私の昼夜逆転が始まったと言える。私もそうなんだけれど、年をとると色々不安なことが多くなる。例えば私はこの先たった一人でどうやって人生の最後を迎えるのだろうかとか、私が先に逝ってしまったら野良たちはちゃんと面倒見てもらえるだろうか、とか。優しい人達が私の面倒は見なくても野良の面倒は見てくれるだろうとか。猫だからそんな考えはないとは思うけれど、なんでこんなに絶叫するのか、そのところを動物に詳しい人に訊いてみたい。夜中の絶叫に疲れて昼間は押し入れに入ってぐうぐう寝ている。いい気なものだ。

その猫もここに来ると物珍しげに落ち葉がひらひら舞い散るのを眺めたり、ふかふかとした腐葉土の匂いを嗅いだり、普段の仏頂面からは想像できないほど可愛らしくなる。私もそうだといいけれど。数週間前に来たときに植えていったヴィオラがしっかりと固まって色鮮に咲いていた。ノンちゃんの大好きだった庭の主の大木の周りが華やかに見える。

手入れを極力避けて自然のままにしてあった木もだいぶ朽ちて、大きな枝が危なっかしく手を広げている。先日、ウッドデッキの上に張り出している長い枝の一本に葉がつかないことに気付いた。ということは枯れ枝?とするとまさしく人が座るためのベンチは危険地帯。この枝がドサリと落ちたら大怪我をする。早速工務店に電話をして切ってもらう手はずを整えた。

この枝は相当高いところにあるけれど、下がデッキだから高所作業車は載せられない。だとするとどうやって作業をするのか、とても興味がある。私が滞在しているうちに作業をしてもらいたい。私は建築現場を見るのが大好きで、ショベルカーなどの特殊機器の動きをいつまでも見飽きない。工事現場の守衛さんにいつも危険だからと追い払われるのが残念。

森の中は木々の葉がほとんど全部落ちてしまったので日差しが明るい。夏にはびっしりと葉がついて湿気が多い森なのに、いまやカラリとした空間が広がる。新緑の季節、芽吹きもきれい、でも枯れ木が多くなっても陽射しの陽気さが夏よりも一層森を明るくする。木の葉が全部落ちたおかげで顕に全景が見られるようになった清流が陽気に迸っている。この森は今頃が一番綺麗かもしれない。

先月来たときよりももっと人影は見当たらず、また一人ぼっちかと思ったら、川向こうの家に入って行く人が見えた。静かな森もいいけれど、多少人影があったほうがホッとする。

夕方友人に電話をして遊びにこない?と言ったら、半分気のない返事。年をとった上にコロナのせいで皆無気力になっている。私だって毎回自分ひとりで4時間も運転するのは辛い。けれど、動かなくなったら人はいかにだめになるかということをコロナ禍の中で学んだ。動かさないでいた足腰は恐ろしいほど弱ってしまった。当面の目標は足腰を鍛えることなのだ。









2021年11月8日月曜日

認知機能検査

 行ってきましたよ。免許証の更新に必要な認知機能検査を受けてきましたよ。

全く面倒くさいけれど、これを受けないと免許証がもらえない。高齢者になると色々七面倒臭いことが多い。私はまだ免許がないと生きていけないので、返納などとんでもない。必死で検査を受けてこの先何回も更新しないといけない。今の世の中、車自体に安全対策が施されているからかなり事故も減ったことだろうと思うのに、未だに暴走自動車の事故があとを絶たない。自分に余程の自信があるならともかく、高齢になったら安全な車に乗らないといけない。そういうことにお金を惜しんではいけない。

先日判決が下った池袋の暴走事故など、お金がある人がタクシーを使わないで多分安全装置のないクルマに乗って走り回る。走る凶器とはまさにこのこと。彼は今までなんでも自分の言い分が通ってしまう環境にあったに違いない。奥さんの言うことも子どもたちの意見にも従わず、車が悪いと宣う。これでは事故の被害者のご遺族は、歯ぎしりしても慟哭してもやりきれない思いはなくならない。

他人のことを言っても、自分だって事故を起こさないという保証はないのだから、最大限の努力はしますよ。歳を取ると毎日の体のコンディションの差に驚く。例えば視力。昨日は良かったけれど、今日は霞んで見えないなんて言うのはザラにある。今年の春ころだったか、足が攣って大変だった時期があった。運転の最中に起こったので直ちに車を路肩によせ、治った時点で自宅に引き返した。目の前に関越道の入り口があって、時間をかけてここまで来て引き返すのは甚だ無念だったけれど、この先こんな状態で高速道路を走るわけにはいかない。その日は自宅で休息して、次の日、足攣りに即効性のある薬持参で再出発した。

私は非常に用心深い。大胆なことをする割には臆病者で慎重でもある。だから今までは事故はなかったけれど、この先認知機能に問題が出てタガが外れたら恐ろしい。その前に自分で気が付けばいいけれど、徐々に蝕まれていったらどこで線引きができるのかわからない。この検査は私にとってはとてもありがたい。

検査申込みのハガキが届き、近所の自動車教習所に電話をしたら、すでに数カ月先まで空きがないと言われて目の前が真っ暗になった。数日後に再申し込みができるので電話をするようにと言われたけれど、その時点でも予約がいっぱいと言われて諦めた。こんなことでは期限切れになってしまう。

他の教習所に電話をすると、教習所でなく運転免許センターに電話をしてみたら?と教えてくれた。そちらに行ったほうが早いですよ、と。ハガキに書かれたものでない電話番号も教えてくれた。その教習所でも3月半ばまで空きがないという。

次の日、運転免許センター受付時間ぴったりにかけたら、即つながった。やれやれありがたい。そうしたら次の日にはもう受けられるというではないか!電話のオペレーターの親切なことといったら、びっくり。駅からバスに乗る道筋や、現場に着いてから会場までのエスカレーターの乗り方まで教えられ、最初にかけた教習場の横柄な応対とは雲泥の差だった。次の日はこちらが空いていないので4日後の今日、試験場に行った。妙に空いているので気がついたけれど、コロナのために外国人がいない。海外渡航者もいないからその分手続きも簡単で時間がかからない。オペレーターの親切さは時間つぶし?いえいえ、本当に親切な人だったのだ。

試験場に行くと部屋の前に椅子が並んでいる。先客が10人ほど座っていたけれど高齢者講習にしては若い人もいる。はて、若くみえるのか、本当に若い人が別の講習を受けにきているのか。私のように歳不相応に若作りというのもいるけれど、前回の高齢者教習のときに教習所で一緒に受けたときは爺さんばかりだった。女性は私一人だったから、あちらも「へえ、こんな婆さんでもまだ運転しているのか」と思ったのだろう。

今回はかなり広い部屋で、静かに作業をしている人たちが見える。しかも途中で入っていったり出てきたり・・はてな、これは?

呼ばれたので部屋に入っていくとタブレットを与えられた。なるほど静かなわけで、試験の受け方の注意事項も質問もイヤホーンで出るのだから。時間の制限はあるけれど、自分のペースで進められるから、非常に具合がいい。私は試験対策バッチリ、しかも前回の高齢者講習と全く同じ問題「これでできなかったら本当のバカ」なんてのんきにゲーム感覚で楽しんできた。

しかし、帰りの電車で考えた。私は拙速が欠点。答案の見直しもしなかった。いつでも最後のツメが甘い。名前の欄に住所書くのは日常茶飯事、取説もいい加減に読むから製品が完成しない。ビスが余ってはてな?なんて。結局認知機能の再検査なんて言うことになったらどうしよう。このように非常に心配性なんです。

運転免許センターの電話番号を教えてくれた教習所の受付さんは、仮おさえで教習場で一番近い日の予約を受けてくれて、もし、運転免許センターでもっと早い日が取れたらキャンセルしてもいいですよと言ってくれた。そのとおりになったのでキャンセルの電話をすると「良かったですねえ」と一緒に喜んでくれた。世の中親切なひとばかり。











2021年10月31日日曜日

昼夜逆転

東京都知事の小池さんが極度の疲労により入院のニュース、コロナ感染拡大以来彼女は 心が休まるときはなかったと思う。なぜか小池さんにはマスコミも冷たい。パンデミックとオリンピック、普通の人なら耐えられないほどの緊張を、この2年間味わってきたと思う。人前では落ち着いた顔をしているけれど、自民党からは悪く言われる日々、よくぞ耐え抜いたと思う。そういうしたたかさが可愛くないと思われるのだろう。しかし毎日落ち着いて淡々と都民に語りかける姿は大したものだと思う。けれど、そこが又可愛くないとおじさんたちの受けが悪い。

小池さんの生活には及びもつかないけれど、私の疲労も極限になっていたらしい。私の場合は小池さんと違ってなにもすることのない生活の虚しさからの睡眠の乱れから発生した。

毎日食べて寝て、食べて寝て、それだけ。友人たちと話す機会も制限され、コンサートを開いてもやたらに規制が多くて演奏者も観客もこわごわ、万一自分たちのコンサートでクラスターが出たらと思うと安心していられない。ビクビクものの毎日は体にも影響する。言っておきますが、私は見かけによらず臆病者なんです。

で、数週間前から変だ変だと思っていた。まず左耳が痛い。私の風邪は耳の痛みから始まる。その後喉、鼻ときてたいていそのへんで治ってしまうのだけれど、今回は妙に体調が戻らない。しかも眠りのリズムがひどく狂って、たいてい丑三つ時に目が覚める。お化けか、私は!目が覚めると妙に元気でそのまま起きてしまうので次の日一日、ひどい眠気と戦いながら過ごすことになる。

目が覚めるとスッキリしているのでそのまま本を読んだり筋トレしたり、猫の夜鳴きに付き合って朝まではいい。けれど5時ころになるとお腹がすくから朝食は午前5時。とんでもない時間になる。朝食を済ませるとまた眠くなるけれど、その日の予定によってはその時間に眠ることができないことが多い。その後は睡魔との競争。食事ごとに眠くて他の予定がなければ昼寝。その昼寝がぐっすりと眠れてしまうので、夜の睡眠は浅くなる。その循環がいけない。

体調はどこと言って悪いことはないのに、一日中ぼんやりして思考力は最悪、足元はおぼつかない、のらに餌を持っていったところで転んで肋骨を痛めた。この私とあろうものが食欲がなくなる。なくなっても習慣的に食事をしていたら、体はヒッチャカメッチャカになって、何もせずにただぼんやりと椅子に座って過ごすだけになった。ああ、私も認知症の始まりかと、気持ちが暗くなる。大腿骨骨折をして寝たきりになるとそれが引き金となって認知症になるとよく聞く。これはいかん!最後には食事中飲み終わった味噌汁のお椀を持ったまま居眠りをして取り落とした。かかりつけ医に相談に行った。

私の必死の訴えも先生にはあまり通じないようだ。私は人と会うのが好きだから、表に出ると元気になるタイプ。ついハキハキしてしまう。見た目何でもなさそうで、先生は困っている。「なんでしょうねえ」言葉少なく考え込む。喉を見ても赤くない。熱もない、咳も出ない。呼吸も大丈夫。元気そうで不眠症には程遠く見える。心音も確か。別に病気とは言える症状はない。

しばらく考えてから先生は「昼夜逆転しているかもしれませんね。そのためのお薬を出しましょう」夜のスッキリに比べ、昼間の異常な眠気。これはそうかもしれない。もらった薬をその夜から飲み始めた。夜の睡眠時間は今までと変わりない。すると次の日、とんでもなくめまいがする。足は萎えたようになって歩く気力もない。そしてその日は昼寝を2回もしてしまった。眠って眠って眠りすぎてずーっとぼんやり。これはたまらない、普通の生活ができない。

次の日も同じような状態で、いつになったら普通の体調になることやら。2日間で3日分、眠ったような気がした。この薬飲み続けていいのかしら。それが4日め、やっと夜の睡眠が少し深くなって5日めには昼間の眠気が軽くなった。逆転していた時間が徐々に戻ったようだ。まだ予断を許さないけれど、1ヶ月試しに飲み続けるようにと医師の指示だからしばらく試してみることにした。でも薬が効きすぎるような気がする。この薬を飲むと午前中ずっと眠気がとれない。車の運転はしないほうがいいらしい。これは困った。

東京都知事の小池さんも今頃はぐっすりと眠れるような薬を飲んでおやすみしているのでは?コロナ以来、こんな症状で悩んでいる人が多いかもしれない。もし、体調が悪くて眠れない人がいたら早めに病院へ行かれることをおすすめします。だれでも体のリズムが狂ってしまうほどの大災害とも言える。感染しなかっただけでは済まされないパンデミックの恐ろしさを自分の体で感じた数日間だった。まだ完全に治っていないけれど、とりあえず光が見えてきたのでご報告まで。










2021年10月17日日曜日

木を伐る

 北軽井沢の家はノンちゃんの砦だった。彼女はそこで理想的な10年間を過ごした。自分の体力がなくなってきたと悟ってから彼女は私にこの家を託した。私がこの家を気に入っていることを知っていたから。家が気に入ったこともあるけれど、なによりもほとんど人工的に造園していない庭の周りが私は特に気に入っていた。木は生えているだけ。花は咲いていない。寒いから草はあまり茂らない。それぞれの家にはべつの考え方があるから、きれいに造園している家はそれはそれで素敵だと思う。けれどノンちゃんと私はそのまんまの状態が好きだった。

引き継いでから3年が経った。いなくなった人たちを悼む気持ちはまだ消えないけれど、最近は少しずつ傷が癒やされて前向きになることができるようになった。よく見ると前庭はボサボサの風情。細い木が雑然と生えていていくら花の咲いている苗木を買ってきて植えても目立たない。日当たりが悪いのでそのうち枯れてしまう、そんな繰り返しだったから最近時間の余裕ができて来たところで、もう少し華やかな庭にしようと動き出した。

低温で多湿、日当たりが悪い、悪条件が揃っているので多年草でも次の年には枯れてしまう。昨年はヴィオラをまとめて植えてみた。12月に山を下りるときにははまだ花が咲いていた。今年春、最初に行ったときにはヴィオラだけは花が咲いていたけれど、夏になったら全部枯れてしまった。あまりに多湿なのがいけないのかもしれない。もうすぐ冬になると家を閉めることになる。もう一度ヴィオラを植えて越冬ができるか今回も試すことにした。今咲いているのはヴィオラだけ。コスモスの群れを咲かせたかったけれど、飛び飛びにしか来られないので時期を逸してしまった。

次の計画は前庭を整えて、そこにあじさいやツツジを植えようという魂胆。冬になって木が枯れてきたら手入れもしやすい。今日は追分に住むKさんが手伝ってくれた。彼女は女子にしては背が高く力も強い。建築家を父に持ち、本人も建築にすごく興味を持っているけれど、職業はヴィオラ奏者。たまたま花の名前と楽器の名前が一致した。

彼女はいつもは追分にいるけれど今回は所用があって都内の家に帰っていた。昨日都内からこちらにくるというので庭の手入れを約束してくれた。今朝、私は手ぐすね引いて待っていた。用意した道具は華道で使うような剪定バサミだけ。今年の春買ったオーバーオールもスタンバイ。サイズがXSなのに、ブカブカ。ブティックで今年春物新作が入荷したときにあまりにも可愛くてつい買ってしまった。黄色のデニム、大きなポケット、ブカブカのお腹周り、大きすぎるから裾を折り曲げると足がものすごく短くなってまるでペンギン。

それを着たくて庭仕事をするようなものなのだ。ゴム手袋をして手には剪定バサミ。一方のKさんはスラリと長い足にジーンズ、手には大きな長ハサミと、もっと強力な重たい枝切りハサミを交互に持ち替えてバッサバッサと細い木を切っていく。あっという間に足元に枝の山ができていく。それを短く切るのが私の役目。手に力がないからなかなかはかどらないけれど、なんとか片付いてあたりを眺めると、今まで細い木に遮られて全容が見えなかったノンちゃんの家が現れた。ミノムシのように木の皮の壁をまとって泰然と森と融合している。こんな素敵な家を残してもらってノンちゃんに感謝しないとね、と、Kさんが私に言う。もとより私はノンちゃんにはどれほどの感謝を言っても言い切れない。家のことだけでなく、いつでも私のことは全部受け入れてくれた。それなのに私は彼女になにをしてあげたか、記憶にもない。月山の夏スキーで初めて出会ったときの笑顔が、その後の私の道を照らしてくれた。

木を切りながら昨夜の動物の話をした。家の中になにかいたのよ。入り口もなさそうなのにどうやって入ったのかしらね。するとKさんは、よく動物がはいるよ。うちなんかハクビシンがはいっていたんだから。

こういうところでは珍しくもない話らしい。昨夜のハクビシンかもしれない生き物は、今は気配すら感じられないから、我が家の壁から出ていったのだろう。いったいどうやって?入ってどうやって出て行ったのだろう。謎。

この辺は明日から一気に気温が下がるらしい。庭仕事を終えてKさんが帰ってから、私は一人で近所の旅館の温泉に浸かりに行った。自宅のお風呂は様々な問題を抱えていて、私には大きすぎる。縦も横も大きい上素材がタイルで冷たい。追い焚きできないタイプで、この寒冷地ではお湯を張っているうちにどんどん冷めてしまう。ぬるいお湯に冷たいタイル、大きすぎる浴槽で半分溺れそうになって入るのは危険極まる。夏ならシャワーだけでもいいけれど、冬はゆっくり浸かって温まりたい。それでよく入りに行くのは風情のある旅館のお風呂。

先客がいて色々話をした。世田谷からきてもう1週間も泊まっているという。コロナでもう飽き飽きとか。私が熱いお湯に入れないで困っていると、外に露天風呂があるからそちらに先に入ればとアドバイスをくれた。外だからお湯がぬるくなっている。そこでしばらく温まれば熱い方のお湯にも入れる。露天風呂はとてもぬるく、しばらくしてやっと温まったから室内の湯に戻ったらやはりなかなか入れない。その人に熱くないの?と訊いたらぬるいくらいよと返事が戻ってきた。そして明日から急に寒くなると言うので、私は明日自宅にかえることにした。寒さ対策はあまり考えていいなかったのと、姉に託して残してきた野良たちの様子が心配なのと、少しだけ都会の刺激が恋しくなったので。






誰かが住んでる!

 低血糖で朝の目覚めが悪いのではと指摘されてから思うに、ダイエットのために夜間の食事を極力制限していたのが原因かと、食事のパターンを変えることにした。

朝食は起床してから1時間以内にどっさり食べる。米粉と雑穀粉とミックスしたものに卵と豆乳、塩だけのシンプルな味のクレープを焼く。それに肉または魚を少々、バナナとヨーグルト、野菜少々。昼は一人なら冷蔵庫の余り物を少し。時々軽井沢からランチ持参で山を登って来てくれる人がいるとバランスの良い食事にありつけるけれど、そうでなければ猫の餌より粗末。夜は飲兵衛が好む酒のつまみ風、例えば昨夜は茹で野菜の塩麹漬、ごま豆腐、前日ランチの残った雑穀米のご飯をバターで炒め、トマトとチーズのせで食べた。それに焼酎のお湯割りを少しとなると、まるでおっさんの食事。

炭水化物が夕食に出ることは滅多のないけれど、昨日から血糖値を上げる食事に切り替えて睡眠の状態をテストすることにした。そう言われれば最近の起床時には物言うのも面倒なくらい元気がない。朝食でやっとげんきを取り戻すから低血糖で体調不良というのもあたっている気がする。結果、今朝は6時間睡眠でちょっと寝すぎかも。ぼんやりしている。

昨日昼ころから雲行きが怪しくなって鈍い色の雲が空一面を覆っていた。ぼんやりと森の木々を見て過ごしていたら、そのうち風も出てきた。森は枯れ木の枝がポキポキと折れて、風が強まるごとにどんぐりの実が機関銃のような音を立てて、にぎやかに冬に入る準備をしている。夕方何気なく庭の下を流れる小川の対岸を見たら!!!家が燃えてる!!!

めったに人影を見たこともなかった古い家に赤い炎が上がっているのが見えた。

うわ!どうしよう。とりあえずお隣さんに駆け込んで火事よと叫んだ。その場にいた人たちが私の跡を走ってきた。あら、ホントだ。中に冷静な人が一人、でも火がまとまっていて動かないでしょう。あれは燃えているのではなくて燃やしているのよ。それにしても家の中であんなに盛大に炎を燃やすか?樹の葉の間からなのでよく状況はわからないけれど、どうやら家の中の2箇所で篝火のようなものが燃えているのが見えた。ほっと胸をなでおろして皆さんに早とちりを謝ってことは済んだけれど、これが本当の火事だったらと思うとゾッとした。どうやらずっと不在だった家に人が入るのでリフォームのための明りとりだったらしい。日が暮れるのが早くて電気工事が間に合わなかったみたい。1時間もすると電気がついて、夜遅くまで工事が続いた。

昨夜はそんなわけで人声がかなり長いこと聞こえていた。しかし、それに紛れて私の家の中でも物音がしていた、実は数日前にここに来たとき、どんぐりの音に混じって小動物の足音らしい音が時々聞こえた。家の外か中かは判然としないけれど、屋根のひさしにトンとねこなどが飛び移るような音が時々聞こえていた。小鳥とかイタチやリスなど、そんな者たちが屋根の上でどんぐりの貯蔵にいそしんでいるのかも。しかし、昨夜ははっきりと家の中で動物の足音がする。階段脇の斜めにロフトに伸びる壁は中が空洞になっているらしい。どこからどうやって入ったかはわからないけれど、その中を動き回るものがいる。こんな荒れた天候だし避難場所を求めてどこかの隙間から入り込んでいるらしい。動物なら別に怖くない。もしかしたら座敷わらしかもしれない。

しばらくすると家の脇でなにかバリバリと剥がすような音がした。飛び上がりそうになった。人らしい足音も聞こえる。それも直ぐ側で。動物ならいい。けれど泥棒だったらどうしよう。それで家の中に自分がいることを知らせるために音楽を大きな音で流したり、電話をするふりをしたり・・・

今考えるとおかしいけれど、真夜中に一人で真っ暗な森の中にいると妄想が膨らんでくるのだ。壁の中の動物はますます活発に動くし風と雨の音が激しくて、だんだん怖くなってきたけれど、炭水化物摂取が効いたのか、ぐっすりと寝てしまった。なんのことはない、夜中に物事を考えるとなんでも大げさになるから考えないで肝を据えることが大事なのだ。長年の経験からわかっているのに。

夜中には物音のするあたりの壁をどんどん叩いたりしたので動物の気配は消えた。けれど、あの雨風の中やっと避難してきた場所を追われた動物はどこへ行ったのか。一晩我慢してやればよかったと後悔している。かわいそうに寒さにふるえていたのでは。まさか昨日見たあの猫ではあるまいか。夏が過ぎて別荘地ではペットを捨てていく人が多いと聞いたことがある。そうでないことを祈る。

夜の物音はずっと遠くまで届くらしい。昨夜の人の気配もリフォームしていた現場の物音だったかもしれない。モンゴルに行って草原に張ったテントで寝ていると、頭の上を馬が通っていく。人声もすぐ近くで聞こえる。テントの入り口を開けて外を見ると、はるか遠くに馬の群れと人が見える。草原で遮るものがなく雑音がないから、遠くの音もはっきりと聞こえる。懐かしいモンゴル。私はいつも自然に憧れて今こうして森の中。



2021年10月15日金曜日

本日も晴天なり

今日は完璧な快晴、無風。ここ北軽井沢でもめったにお目にかかれないほどの清々しさ。最近睡眠障害でいつ寝ていつ起きたいかわからない。適当に寝ると必ず3時間しか眠れない。もともとショートスリーパーだから驚くことはないけれど、その時間帯が不規則すぎて自分でもこれでいいのかい ?と身体に訊いてみると、構わないんじゃない?とのんきな返事が帰ってくる。テレビや雑誌などで睡眠をちゃんととらないと脳が休まらない、脳細胞が死滅するとか脅されているので私としてはちゃんとした時間に6時間は寝たい。けれどいつも丑三つ時には起きていて、結構楽しくコーヒー飲んだりしている。猫も喜んで遊んでくれる。結局私達夜行性動物なのだ。昼間時々うたた寝、パソコンを使っているときも気がつくとコックリコックリしていたり。それで睡眠不足を補っているらしい。

そんなわけで今日も睡眠が3時間なのに、ちゃんと眠れた日よりも調子がいい。朝食を終えて、今日は訪問客がいないから昼ごはんはお蕎麦が食べたい・・・ふと思った。昨日大型犬がいたのに定休日だったお蕎麦屋さん、あそこに行ってみよう。でも、まてよ!4.5年前に随分山の中なのに評判のいいお蕎麦屋さんにつれていってもらったことがあって、とても美味しかった。あそこに行ってみよう。うろ覚えの記憶をたどってネット検索。たぶんここだというお蕎麦屋さんが見つかった。その時食べたのは天ざる。天ぷらもお蕎麦もそばつゆも美味しかったけれど、一番感激したのは蕎麦湯。濃くて単なるそばのゆで汁ではない。別に蕎麦湯用の汁を作っているのかと思ったくらい。

距離は家から15キロほどだけれど、目印の少ない山道だったので迷子になるといけないから早めに家を出た。もうかなり秋は深まって川沿いの道の左右に迫る山の紅葉がきれい。今月末ころには全山燃えるように色づくに違いない。でもよくよく見ると土台である崖の土が危なっかしく崩れている箇所も見える。あれが落ちてきたらイチコロ。それで至るところで工事が行われていた。途中迂回路があって迷子にならないかと思ったけれど、カーナビはたよりになる。見覚えのある道まで連れて行ってくれた。少し時間が早いので車を止めて近所を歩いてみたけれど、本当になんの特徴もない田舎道、畑と山が見えるだけ。

一番乗りで入っていくと記憶にある古民家に、見覚えのあるそば打ち職人さんが待っていた。天ざるを注文。天ぷらも美味しい、そばも美味しい、けれど蕎麦湯はがっかりしたことに薄くて記憶にある濃厚な蕎麦湯とは違う。それにそばも10割だと思っていたけれど、どう見ても10割そばではない。私が前回行ったときに連れて行ってくれた人が特別に注文してくれたのかもしれない。おいしいけれど、なんのへんてつもないと言ってしまうと気の毒だけれど、ここもコロナの影響で経営が苦しいのかもしれない。ネットの口コミを見ると平均点は星2.5、随分点数が辛いと思ったけれど仕方がないかも。ちょっと気落ちして帰ってきた。これなら大型犬のいるそばやに行けばよかった。多分ピレニアン・マウンテン・ドッグのミックスと遊んでもらえばよかった。

早めのお昼だったから帰ってもまだ13時にもならない。最近庭に花が欲しくて咲いているものを買ってきて植えていたけれど、この秋は球根を育ててみようと思いたった。手始めに日陰でも育つという種類のヒヤシンスの球根を植えた。来年花が咲いてくれますように。姉の家の庭に落ちていた椿の種も拾ってきた。この森は水の環境保護のために木々が守られているからやたらに木を切ってはいけない。もともとあった木を伐採するには許可がいる。それで日当たりも悪い、木の種類も限られるから見た目地味。ほんの数本でも花があればそれだけでも華やかになる。きれいに造園している家もあるけれど、私はこの自然のままのボサボサした雑木林が好き。

ふと表に目を向けると、私の猫が道路を歩いているのが見えた。しまった!あまりにも気持ちがいいので玄関開けっ放しだった。そこから出たにちがいない。いろいろな動物が生息するこの森で箱入り娘の猫が迷子になったら生きてはいけない。必死に名前を呼んで追いかけたら顔をこちらに向けた。

ん?あんた誰?みたいにこちらを見ている。びっくりした。たしかに毛並みはうちの猫、だけど顔はもっと若い。近所に飼われている猫なのか、驚いた様子もなく消えていった。半狂乱の私を道を隔てたお向かいのご主人が見ていたらしい。ああ、恥ずかしい。








2021年10月14日木曜日

こんないいところがあったなんて!

 北軽井沢に来て4日め、最初は晴れ、次の2日は雨、そして今日は朝から晴れ。2日間雨で運動ができなかったせいなのか体調が悪い。胃のあたりがムカムカするし、なんだか熱があるようで軽く咳まで出る。ああ、大変、コロナ新型肺炎に感染したかしら?どこで誰からどうやって?心当たりは皆無だけれど、デルタ株はすごく感染力が強いらしい。

でも今日は軽井沢在住のY子さんと約束があって、ランチのあとで近所にドライブする予定なのだ。せっかくの予定がだめになったらがっかりするだろうな。最近飼い始めたチワワの桜子ちゃんと出かけるのを楽しみにしていたので。

起床して1時間、2時間・・・それにしてもいいお天気。森の中を散歩してみよう。今の季節、森は音に溢れている。ペキペキと細かい木の枝が折れて落ちてくる。どんぐりの実がぱちんと弾丸のようにおちる鋭い音。冬に向かって植物たちは繁殖と防寒対策に忙しい。それにしてもたくさんのどんぐりはこれが一斉に芽を出したら森はしいの木だらけになってしまう。しかし実際にはそうならないのは、どんぐりはたくさんの動物の餌としてリスなどの越冬のお手伝いもしている。今朝もベランダのどんぐりの実は昨日あれほどたくさん落ちたのにほとんど残っていない。

散歩を終えたら、あれっ!気分がいい。コロナ感染はどこかへ飛んでいってしまった。

毎日目覚めると体調が色々で、良い日も悪い日もある。たいていは気分が悪い。コロナ以前は寝起きが良すぎて困るほどだった。それがこの頃は気分が良かったためしがない。睡眠が分断されて2度寝、3度寝あたりまえ。目が覚めると咳き込んだり寒気がしたり。熱が出たのかと思って体温を測ると低体温の35度台。少し動くと気分が良くなる・・・の繰り返し。結局コロナノイローゼと言うことみたい。

今朝は朝の散歩で気分が少し良くなったので、約束通りランチ後の遠足は実行された。遠足と言っても私の家から車で数分の鬼押出しが目的地だから近足。こんな近くにあるのに今まで行ったことがない。鬼押出しは子供の頃遠足に来たことがあって、その時の印象ではなんだか奇っ怪な形をした溶岩がゴロゴロあるだけのつまらないところだった。いつも交通標識を横目に見て通り過ぎるだけの場所だった。今日は志賀高原にでもと思っていたけれど、昨日までの天候が良くなかったので気分が上がらず近場でということになった。

Y子さんとはよくランチを一緒に食べる。常に家政婦さんがいる家でそだったお嬢様であるにも関わらず、彼女は料理が上手い。料理に限らず家事全般は知能プレーだからIQの高さが関係あるらしい。身近なものであっと驚く料理をこしらえる。ランチが終わって、結局私の不調は低血糖であるらしいと結論が出て、食べ終わったら元気になった。

晴れ渡る空、微風、明るい日差し、雄大な浅間の姿、今日は歩けないかと思っていたのになんの問題もなく歩けたのはこの景色たちの後押しがあったからか、美味しく食事を頂いたからかわからないけれど、エセコロナはすっかりどこかへ消えていった。

それにしてもこんなに近くにこんなに素晴らしい場所があったなんて。ノンちゃんは全然教えてくれなかった。彼女も10年間暮らしたのに知らなかったのかもしれない。知っていても興味がなかったのか。これからはせっせと通うことにした。森の散歩に飽きたら鬼押出しへ、浅間牧場もお気に入り。キャベツ畑しかないと思っていた北軽井沢は日に日に私の中で美しく進化していく。








2021年10月13日水曜日

これ、だーれだ!

 



この写真は先日美容院でストレートパーマをかけたときのもの。担当美容師のKさんのカラーリング、最高。
白髪が増えた私の髪の色の配合は1年ほどかけて我慢強く作っていただいた。私の意見も彼の意見も取り合わせ、例えば紫入れようか、黄色を消してください、もう少し明るめ、今夏回はグレーを多めに、とかなんとか。

二人共満足したのがこの色。
当分これでいきます。
ブリーチするまでもなく地毛はもう白いのが色がきれいに出る要因となっている。
そしてかなりの縮毛なのでボリュームが出すぎるのを抑えるために新しいタイプのストレートパーマをかけてみた。

以前カットしてもらっていたカリスマ美容師と呼ばれた人は、私がパーマかけたいと言ったら「こんな毛にパーマかけてどうするんだよ。手に負えないぞ。うちに毎日来るならかけてもいいけど」散々な言われようだった。そのくらい癖がひどくて子供の時から母が嘆いていた。

しかし、技術は進歩した。今回のパーマはKさんがわざわざ大阪まで出向いて新技術を習得してきたので、以前のストレートパーマのようにぺちゃんこにならない。ふっくら感は残しつつボリュームを抑えるので自然でなおかつ扱いやすい。生まれてはじめて自分が自分の髪の毛をコントロールできるようになった。
今は後ろでまとめて低めの位置でポニーテール。

試行錯誤の最中にはボサボサになった白髪交じりの髪の毛の扱いに手こずった。
髪の毛がまとまらないと余計に老けて見え、だらしなく見える。
このパーマの素晴らしいのは、効果が長く続くらしいこと。1年持つと言われたのでご機嫌なのだ。

髪の毛の前の方の顔、これはパーマもかけられないし化粧もしないから見る影はないけれど、今はコロナ感染対策でマスクを常用しているとなると、これで随分助かっていることもある。口紅をつけなくてもいいのが何より良い。どうも唇になにか塗るというのは気持ち悪い。仕事に行くときには仕方がない、ぬっていくこともあったけれど、ここ2年は口紅がどこにあるのかわからない。どうしても塗らなければならないときには見つからないから100円ショップで新しいのを買うことになる。

美人というのはつまり骨格の良さなので、骨格の悪い私は化粧品を塗ろうと塗るまいと同じこと。以前口紅を忘れて仕事に行った。本番前に慌てて放送局の売店に買いに行った。
「色はどうなさいます?」店員さんが言うから「なんでもいいの、塗ってあればいいのだから」と言ったらえらく怒られた。「なんでもいいじゃありません!」

コロナ時代に知り合った人々はこの事態が収まってマスクを取ったら、随分お互いに印象が変わるのではないかと思っている。口元の印象は表情に影響が大きい。目が素晴らしくきれいで好きになった人がマスクを取ったらなんだか下品な口元だったりしたら・・・百年の恋もなんとやら。運命変わるかも。

私はタレントの木村拓哉さんが苦手だった。なぜかと言うと彼は口元を歪める癖があって、それが下品に見えて嫌だった。ずっとそうだったので、それは変わらいのかと思っていたら最近誰かに言われたのか、自分で気がついたのか、口を普通にするようになったら案外いい男だと気がついた。あの口の歪みは何だったのだろうか。もしかして自分で格好いいとおもってやっていたのかしら。せめて奥さんが気がついて注意してあげればよかったのに。

マスクが全廃になる日、何組かの恋人の別れがあるかもしれない。新しい恋の可能性もありうるから、蓼食う虫も好き好きだし、あまりご心配なさらないように。









今日も雨

 絶対晴れ女の栄冠を返上。2日も雨に降られっぱなし。

今年払いすぎていた住民税を返すという連絡が入ったので町役場まででかけた。雨で散歩もままならないからドライブを楽しもうという魂胆。町役場までは25キロほどもある。今まで慌ただしく行き来していてゆっくり街を見る機会もあまりなかったから、今日は知らないレストランでも探してみよう。

午前中にでかけたので途中でランチの計画。走り出すと霧まで出てきて、何という素晴らしいドライブ日より!一度だけ町役場に行ったことがあるものの、そのときはお隣さん同伴だったから道を覚えていない。途中で街の施設の支所などに引っかかりながらやっと辿り着くと、想像だにしなかった立派な町役場に生まれ変わっていた。スッキリと緩やかな曲線を描く外観。今は周りの山と釣り合っていないけれど、そのうち人口が増えればという思いで建てたのかもしれない。職員の数もまばら。

今年も去年も町の施設を貸してほしいというと断られたのに、ちゃっかりと住民税だけは取られるので今日は少し話し合いをしたいという魂胆もあった。去年と今年の2年間、コロナ感染を防ごうという必死の姿勢が見えるからゴリ押ししなかったけれど、町民は施設を使っている。部外者はだめということで涙を飲んだ。それなのに、住民税?しかも過剰請求されてはちょっと物言いたくなるのは無理もないでしょう。他府県の人はウイルスを持ち込む悪い人、自分たちは大丈夫とは言い切れないからこの姿勢はもはや改善の必要がある。初期の訳のわからないコロナの振る舞いは随分解明されてきたから、予防策も改善されてワクチンも行き届いた今、よそ者排斥でなくそれぞれが自己責任で予防すれば、こんな空気の良い広々としたところでは随分安心だと思う。けれど、町のコロナ対策委員会というのがあって、そこの上の人たちが決めるのでと言いながら職員が天を指差したのにはびっくりした。日本独特の上下関係が露呈した瞬間だった。

職員は皆非常に親切で、混み合っていないから丁寧に対応してくれた。コロナ関係の縛りはどういう状態なら解除されるのかは「下」の人たちにはまだわからないらしいけれど、来年には私は施設を使わせていただきますからよろしくとお願いしてきた。今年弦楽アンサンブルの生徒たちが合宿をしたいというから準備していたのに施設が借りられず涙を飲んだ。来年は新しいこの役場を    東京もんたちに見せてあげようではありませんか。若者たちであっても私の生徒たちは常識のかたまりだから、けっして非常識に振る舞わない。それが証拠には、誰一人として私の周りにコロナ患者は出なかったのですよ。

役場からの帰り道、お蕎麦でも食べようかとそば屋に寄ったら定休日で巨大な犬がお出迎え。お蕎麦はだめでも大好きな大型犬と戯れたのが収穫、次のレストランが開いていたので入ってみた。ちょっとエキゾチックな装飾なのでどこの国の?と訊いたら無国籍だって。ランチはひどく不味くここはバツ。私の料理より不味いお店に入ったのは久しぶりだなあ。夕方、近くの温泉に行ってたっぷりの熱いお湯に浸かって命の洗濯をした。


人恋しい

 3日前、北軽井沢に到着したときは清々しく晴れ渡り、やはり自分は晴れ女と思っていたら今日は曇り、今にも泣き出しそうな空模様に気落ちした。何事もすべてうまくいくと思ったら大間違い、曇りあってこその晴れた日のありがたさ。

今朝は夜明けを待ち焦がれていた。いつものように4時ころには目が覚めたので高窓から夜明けの光が差し込むのをひたすら待ちわびていた。夏ならばとっくに明るくなっているという時間にもまだ外は暗いまま。1時間半ほど待ってようやくあかるくなってきたのでシャッターを開けると、意外にも向こう三軒両隣に明かりが見えた。昨日到着したときにはどの家もひと気がなく、この森にまた一人ぼっちかと思ったけれど、そうでもないらしい。これもコロナの影響か、地球温暖化で都会の耐え難い温度上昇から逃れてきているのか、北軽井沢は最近新しいカフェなども増えてきた。

すでに飽和状態と思える軽井沢より伸びしろは大きいかもしれないけれど、如何せん鉄道の駅がないのが敗因となっていつまでも垢抜けない。でも私的にはこのまま10年は変わってほしくないというのが本音なのだ。今のこの北軽井沢がいいのであって、ここが原宿みたいになってほしくはない。5~10年後には私はたぶん小田原で小田原提灯ぶら下げて駕籠をかついでいる。いえ、お猿の駕籠やに担がれているかも。

小田原の介護施設の職員は旧友のお嬢さんのN子ちゃん、彼女が子供の時から知っている。しっかり者で、私をお姉ちゃんと子供の時からの呼び方で呼んでいる。お姉ちゃんの面倒は私がみると。それで今年の大晦日は彼女の家で過ごすことになった。ここ3年間、大晦日はいつも私一人。近所に姉と兄がいるけれど、それぞれの家族の中に入っても話題が噛み合わないし、子供の世話はしたくないし、わがまま婆さんは一人が一番なんだけどやはりお正月一人は寂しい。今後は足腰たたなくなったらNちゃんの施設に入って最後はそこで過ごす予定。もうひとり一人ぼっちの友人もNちゃんの司令で同じ施設に入る予定。なんでも素敵にうまくいくものだわ。これでもう安心して独身生活を謳歌することにした。

高齢になってからの初めての独居生活はかなり寂しかった。大家族での幼少時代はにぎやかで楽しかった。結婚してからもいつでも訪問者の絶えないにぎやかな陽気な家だった。それが生まれてはじめて一人になると孤独感が身に滲みた。なれるのに3年かかった。もともと一人でいるのは嫌ではないのと、大好きな音楽があるのが幸いした。最近は独居が楽しくて仕方がない。

こうなれないで寂しく亡くなる高齢者がいると思うと気の毒に感じる。誰も他人のことなんて本気で考えてくれるわけではないから、自分で運命を切り開いていかないと。幸い私には古くからの友人たちが多い。その中の一人がこうやって心配してくれている。運の良さというのは、本当に周りの人によって決まるとつくずく思う。周りの人達を大切にしない人は幸せになれない。他人の自分に対する振る舞いは自分の鏡なのだ。もし、自分が友人からいやなことをされたときには、それは自分がその人を識らずに傷つけているからなのだ。お金よりも何よりも友人は宝物。母がよく言っていた。どこで誰にお世話になるかもしれないのだから、他人に威張ってはいけない、と。

そう言われてもねえ。気性の激しい私の周りではバトルが絶えない。だからこうして森の中での静かな生活が必要なのだ。この家を買ったときに私の周りでは先を危ぶんでいるのが見て取れた。こんなところで一人ぼっちで一体どうするのか。高齢になってからの生活はもっと都会でするのが最近の常識。医療施設や役所も遠い。買い物も車の運転ができなければ不可能。でも今は、宅配が便利になってきた。ネットで注文ができる。なにも不自由はない。物質的にはすべて大丈夫。でも友人たちはそれ以上に大切。

昨日用事があって管理事務所に行って事務の女性と話をした。彼女も森の中の一軒家の住人。私が一人ぼっちの心配事をこぼしたらえらく共鳴してきた。普段は一人暮らしの楽しさ、ここの自然の素晴らしさを熱意を持って語るのに、それが崩れた最近の経験を話してくれた。

彼女の家のウッドデッキは多少古くなっており、それをだましだまし使っていたら、ある日、左足で床板を踏み抜いてしまった。その家は傾斜地に建っているのでウッドデッキの前の部分は高足になっていて踏み抜いた足が地面に届かない。骨折はしていないようだから痛みを堪えて足を引き抜いた。引き抜いた途端、みるみる足が膨れ上がったという恐ろしい話だった。その時すぐに足を抜かなかったら誰にも知られずに数日過ごしたかもしれない。しかも自宅だったから携帯も持たない状態。どこにも連絡しようがない。

きゃー!怖い。友人にその話をしたら、必ず携帯は持っているように、首から斜めにかけておきなさいとアドバイスされたけれど、ただでさえ何でもどこかに置き忘れるからこれは無理。でもそうなったら素直に運命を受け入れるっきゃない。独身の女性と話をして、だれか一緒に住んでもらいたいということを二人共考えているけれど、でもね、たった1日だけでも一緒に暮らし始めたらすぐに後悔するわねと。人恋しい、でも邪魔されるのは嫌、これではねえ。







2021年10月11日月曜日

どんぐりの音

 9月中はやや忙しく、以前ならこの程度のスケジュールは難なくこなせたのに、最近は少し忙しくなるとパニックになってしまう。一度に複数のことができなくなった。若い頃は掃除しながら洗濯と料理を同時にできたものだった。もっとも家事はあまり好きではないので、溜まりに溜まった家事をこなすときにだけれど。

9月のスケジュールが終わるともう当分コンサートもない。それでも常に練習だけはしておかないと、急に入る仕事は恐ろしい。だから目的がなくても練習だけは欠かさない。この練習だけというのはなかなかモチベーションが続かない。誰かが聞いてくれるから真剣になるのであって、猫に邪険にされての練習は面白くはない。ある声楽の先生のうちの猫は、飼い主の先生が歌っているときだけは静かにしているけれど、生徒さんが歌うとかかとに噛み付くそうなのだ。あな、恐ろしや。それはまあ、生徒さんのほうが先生より下手ということもあるかもしれないけれど、猫にしてみれば餌と温かい住まいの提供者が誰だかわかっているということかもしれない。

夏に北軽井沢に行ったときに謎の水たまりを見つけたことはnekotamaにも書いたけれど、その謎は一向に解読できなかった。部屋の数カ所の片隅や窓の近くに水の滲みたような跡があり、触るとじとじとした感じ。どう見ても水分の滲みなのだ。

車の整備に行って時間待ちをしていたときに馴染みのスタッフがやってきたのでその話をしたら、突然「私が見ましょう」でも北軽井沢は都会から4時間近くかかる辺鄙な場所。鉄道も通っていない。「構いません、なにか気になることがあるとどうしても原因が知りたくなるので」と言ってくれるから、ある日、一緒にでかけた。もとレーサー、もとメカニック、そして現在はトップ営業マンの彼の素晴らしいドライブテクニックを披露されて約3時間半後到着。私のパパゲーノはご機嫌で走った走った。私がいつも手こずる急カーブの連続はあっという間に通り過ぎた。

ところが夏には水浸しだったその箇所がやや乾き気味、それでも水の痕跡は残っている。例えば窓の2枚のガラス戸の合わせ目とか、玄関の四隅とか、およそ水場に関係ないところが濡れている。上からのものではない。上からなら天井もシミができていると思うけれど、それはまったくない。そして浴室の脱衣所の床にある蓋を開けると床下に潜り込めるようになっている。そこに潜り込んだ助っ人さんは「おかしいな、普通こういうコンクリートの基礎だと空気抜きの穴があるはずなのに、それがない」と。周りの家の基礎を見ると、なるほど、コンクリートでぎっしり囲んでおらず、床下に薪などの収納できる空間がある。私の家には通気孔がまったくない。しかもコルクの床のすぐ下にコンクリート、そしてコンクリートの下に断熱材???とにかく床下に乾燥剤の大きいものを入れてどれほどの水がたまるか様子を見ましょうということになった。あまり複雑な症状ではないので、やや肩透かしを食らった表情の助っ人さん、素人考えではコルクとコンクリートの間に断熱材があるのが普通なのではと思う。コンクリート下の断熱材はなんのため?とりあえず夏よりは状態は良くなっているけれど、次の夏に備えて対策を考えるなり、建築士に訊くなりしておかないといけない。それでも水道管の不具合とか水回りの故障でなくてホッとした。これがわかっただけでも助かった。緊急事態でないと知ってひとまず安心。

以前から床暖房が壊れていると地元の管理会社から言われていた。それでわざわざ大型の石油ファンヒーターをつけたら不格好で幅広く邪魔な存在だった。本当に壊れているのかどうか助っ人さんに電源を入れてもらって家をあとにした。帰りもあっという間に帰宅したので、北軽井沢はちょっとそこまでと言える距離だったのかと思えた。カーブ続きの急坂も走り方次第。

それから数日、今度は一人で北軽井沢にきた。カーブ続きの急坂はやはり難所だったみたい。軽自動車がカーブを曲がりそこねて側道にゴロンとはまり込んでいた。警察車両も来ていたし、関わりのあったと思われる車が2台、ドライバーらしき人が二人。すると側道に転がっている車のドライバーは救急車に載せられていったのかな。

家に着いて昼食を食べていたら、急に大勢の子供が駆けてきたようなぱたぱたという音がした。何事?しばらく聞いていてわかったのはどんぐりの実の落ちる音だった。風が吹くと一斉に揺れる枝から音を立てて落ちる。ああ、こんな音は最近全く聞くことはないなと郷愁を覚えた。そして今、シャッターの降りた窓の外から聞こえるのはなにかの動物がそのどんぐりを食べている音かもしれない。これが夜の森の音。

床暖房は壊れていなかった。床が温かい。裸足で歩くとコルクの感触が気持ちいい。今日の東京は夏みたいに暑く気温は30度だと友人の電話。床暖房なんて言ったら聞いただけで熱中症になりそう。床暖房の効果で床の結露は跡形もなくなり、コルクの床の触感の良さを実感した。問題は梅雨時、7月に床暖房はつけられない。その季節にどうするか考えておかないと。






2021年10月1日金曜日

怒って帰った人

定期演奏会 再開の喜びを味わっていたら水をさされた話。

古典のテンポは総対的にゆっくりめ。コンマスを初めとして優等生が揃っているから慎重にことをすすめる。それに対して私はカッ飛び派。早ければ早いほど愉快になる。どうやら前世は騎馬民族だったらしい。中国の砂漠地帯に初めて行ったとき、故郷に戻ったような気がしたものだった。成吉思汗の末裔だったらいいなと思っている。

定期演奏会当日、私はアルビノーニの合奏協奏曲のソロを弾いた。初っ端なので私がコケたらあとずっと転けそうで、そういう意味でえらく緊張した。緊張したおかげでかっ飛びもせず、落ち着いていられた。やれやれ無事に終わった。でも演奏会の翌日変な話を聞いた。

この曲は合奏協奏曲という形式なので、普通の協奏曲と違ってソリストが前に出て立って弾くという形はとらない。要するに合奏の中に出てくるソロなので、あくまでも合奏が主体であるから合奏もソロもずっと一緒に弾く形式なのだ。だから合奏協奏曲はどの曲もソロもトゥッティも全員座っている。ソロが始まると合奏は休む、合奏が始まると今まで一人で弾いていたソリストも一緒に弾く。

当日の第一曲目が終わって会場から出ていった人がいるという。彼はひどく怒っていたそうで、「この合奏団は素人か」と。「ソリストが立って弾かないなんて非常識にも程がある」という。いやいや、この曲は「合奏協奏曲」ですからといえる人がたまたま受付にいなくて、若い女性のスタッフたちがオロオロする姿が目に浮かぶ。「いえ、私は立っていましたよ、でも小さいから座っていたように見えたのでしょう、ウヒヒ」と私がその場にいたらそう言ってはぐらかすところなんだけど。

困ったなあ。まさかこのブログを読んではいらっしゃらないと思うけれど、もしもし、その御方。私達の合奏団は来年70周年を迎えます。あのイ・ムジチと同じくらいの歴史があります。私は他のメンバーよりも少し遅れて参加したけれど、初期の頃からいる人達はもう半世紀超えのベテランたち。だからといって間違えないとは言えないかもしれないけれど、この形は世界の常識。ヴィヴァルディの四季なんかも合奏協奏曲として演奏するならば、ソリストは皆と一緒に座って演奏する。

別に法律で決まっているわけではないけれど、どのような形で演奏するかはそこの合奏団の決まりであって、傍からとやかく言うことはない。例えば今回の曲をあの有名なイ・ムジチ合奏団が「古典」とおなじように全員座って演奏したら、文句は言わないと思う。なんでも外国人がやっていれば正しくなるのが日本の常識だから。

ネットで誹謗中傷されて傷つく人もいる。この人がネットで中傷しないことを祈るのみ。私は鈍感だからなにを言われても大丈夫だけれど、合奏団自体が常識がないと言われるのは困る。でも、私の友人たちも私が座って弾いていたから、足でも傷めたのかと心配してくれていたのだそうだ。こういうのって、どうすればいいのかな?要するに立って弾こうが座って弾こうがその時時の演出であって、会場の音響などの諸条件によって最良の方法をとるのは決して非常識ではないということ。演奏が悪かったのなら私がいけない、素直に謝ります。でも小柄だからと言って見間違えないで!私は立っていたのに。アハハ!

またこういう冗談言うと叱られますので、おあとがよろしいようで。














2021年9月30日木曜日

帰ってきた古典音楽協会定期演奏会

 昨日は1年半ぶりの再開となった「古典音楽協会」定期演奏会。一昨年3月のコンサートがコロナ感染拡大のため中止となって次もその次も流れて、これではもう私達高齢者はこのまま朽ちてゆくものとおもっていた。しかししぶとく生き残っておりましたぞ、我が古典のメンバーたちは。誰ひとり欠けることなく集まりました。

驚いたのは、これだけブランクがあったにもかかわらず誰の音も生き生きと、むしろ以前より張りもありリズム感も若々しくなっていたこと。幼少時から辛い練習に耐えて黙々と練習を重ねた習慣が身についていたのが幸運の源。

上野の東京文化会館の小ホールは、いつもの入りよりはすくなかったものの、ステージに出ると客席からの熱いエール、こちらから見るとどのお顔もニコニコと歓迎の表情で、嬉し泣きしそうになった。「古典」は自分たちだけでできていない、聞いてくださる方々と一緒に長年歩んできたその結果であると感慨深いものがあった。

今回は全面解除とはいかないのでお知らせは控えめだったので、いつものように満員御礼とはならなかったものの、次からはまた座席を探すのに苦労するという嬉しいお小言を頂戴したいと思う。とにかくこの小ホールのステージに戻ってこられたのが何よりの幸せだった。しかし元気な高齢者集団だなあ。コンマスの角道さんは83歳、信じられない若々しい音で協奏曲を弾く。

ヴァイオリンという楽器はゼロ・ミリ単位の指の動きで音程を作る。耳も運動機能もよほどの訓練をしていないとすぐに衰える。私は1年半、コロナが流行り始めてから8つものコンサートが中止になってがっくりとして練習に身が入らなかった。その間も着々と練習をサボらなかった我がコンマスは、全く変わっていない。恐れ入りました。

再開がきまってからメンバーが集まって練習ができたのがたったの一回。だから当日のステージ練習はあちらこちら破綻だらけ。いつものさっさと終わるゲネプロと違って時間がかかった。これで本番?しかし、数十年来の団員たちの絆は強く、本番はいつもの音、いや、いつもよりもずっと力強い音が聞こえた。全員の顔が生き生きと弾ける喜びで輝いていた。

文化会館は馴れているせいもあるけれど、とても弾きやすい。小ホールの舞台に立つと「ただいま」と言いたくなる。厳しい審査を通らないと立てないこのステージで「古典」のメンバーであるということで毎回演奏できることはこの上ない幸せだとおもっている。私達メンバーも高齢化が進み、あと何回できるかわからないけれど、来年の創立70周年までは頑張らないといけない。しかし、自分でも驚く。こんなに長いあいだ所属した団体は「古典」が初めて。

私は今までいくつかの団体に所属しても長続きしたためしはなかった。どこに入ってもなにかしっくりこない。「古典」は競争の激しい業界を生き抜いてきた人たちなのに心底優しく、うちに秘めた強さが忍耐につながっていく。そこに私は深く共感を覚えるのだ。思いは一つ「いい音出したい」そろそろ天国の入り口に到着するので浄化作用が働いて、音はこれからますます良くなるでしょう。乞うご期待!


2021年9月16日木曜日

積み重ね

朝、目が覚めると最近はいつも「調子悪い。デルタ株にやられたか?ミュー株に感染したかしら?」まともに気分が良かったためしがない。
今朝も一旦起床して朝ごはんを食べて、それでもちゃんと目が覚めないからもう一度眠ってしまった。目が覚めたらすでに正午過ぎていた。よほど疲れていたようだ。

といっても最近は音楽教室の発表会に合わせてアンサンブルの指導にあたっていただけで、どちらかというと面白く楽しいことだけしかしていない。
今週の土曜日に本番があるのだけれど、その最後の練習のときに今までで一番いい音が出たのが嬉しかった。今までとは違う余韻が練習場に鳴り響いたときには、私はしてやったりと思った。長い年月がかかった。

まずは音程を合わせることから始まるけれど、それをハモらせるには音のバランスをとることなど一つ一つ限られた時間で積み重ねないといけないから、同じメンバーで長く続けることが肝心なのだ。ビブラートひとつとっても出来る人もいればできない人もいる。幸いこのアンサンブルにはできない人はいない。けれどビブラートの質や速さなどまで問題にするほどのクオリティーは求められない。
楽譜を読むのがやっとだった彼らが、ずっとやめずに我慢して小うるさい小言を聞いてくれたからここまで来られたと感無量。これで本番で舞い上がらなければ大丈夫。
ほっとしたけれど才気煥発なメンバーたちの若さのエレルギーに対抗するのは中々大変。彼らの元気なことと言ったら、コロナも寄せつけないから私も自分がコロナにかかるわけにはいかない。

この感染症と来たら罹った本人が苦しむだけではなく周り中に迷惑をもたらすから、そこが厄介なところ。万一罹ったら濃厚接触ということで他の家族や友人たちまで巻き込んで公演が中止になったりするから、おいそれと熱が出たとも言えないし、言わなければ言わないで、これも後々のトラブルになると思うので、厄介な話しなのだ。
今朝もあまりにもどんよりしていたので数回熱を測った。もしやというわけで。氣のせいかゾクゾクするし。36.2度、な~んだ平熱。コロナが流行り始めてからいつもこの繰り返しで、体温計は現在の私の一番親しい友人となった。
久しぶりに沢山寝たらすっかり気分は良くなった。

さて久々に投稿するにはなにか理由があったのに思い出せない。ということは、ボケ自慢をしたかったのかも。これがすごいんだから。いやいや、もっと大切なことを書くつもりだったのかも。ま、いいわ、思い出したらまた投稿しましょう。

話は転じてうちの野良の近況を。
野良は只今2匹。(元)メスの白黒、(元)オスのトラ猫。毎朝7時ころと夕方5時ころの2食を食べに来る。駐車場で私の車の下で待機している。
以前は私が行くのを足踏みしながら待っていた。餌を容器に入れるのが待ちきれず、入れるそばから盗み食いするほどお腹をすかせていた。ところが最近は、すでにお腹がポンポンに膨れた状態で来ることが多くなった。どうやらうちの野良猫食堂に来る前にどこかで食べてくるようだ。それでも野良猫の悲しさ、餌があるときにはできる限り食べておく習性であるらしく、見ているとはちきれんばかりのお腹になおも詰め込む。
その後、コンクリートの床にゴロゴロと横たわって「ささ、早くブラッシングをしなさい。早く早く、耳の後ろがかゆいんだから」なんて。

最近は私が野良たちと楽しげに遊んでいるのが通りすがりの人達には羨ましがられているらしく、困ったことにこっそり餌をおいていく人がいる。駐車場の外の道に餌の残骸が散らばっているのをよくみかける。それを狙う他の野良たちもいる。
こういうことで近所でも嫌がる人が出てきてしまうのだからやめてほしいと思っている。
単に可愛いだけではすまされない問題なのだ。一旦餌を与えたら最後まで責任をもってやらないと、そういうことから近所迷惑でかわいそうな野良たちが迫害を受けることになる。私も今の野良たちが死ぬまで続けないといけない。
旅行に出るときには餌やり人を確保して、日常と違うやり方で猫が警戒しないようにお願いしないといけない。たかが野良猫というなかれ、彼らは日々危険に直面しているから警戒心が強い。今通ってきている野良たちは私には抱っこされるし、ブラッシングを要求したりすっかりなれきっているけれど、見知らぬ人が手を出そうものなら引っかかれる。子供でも引っ掻いたら大事になってしまう。そこのところを大いに警戒しているけれど、ただ可愛いとだいうだけで遠慮なく近寄ってくる人たちが悩みの種。

家の近くに小さな公園がある。そこに多頭飼育崩壊した野良たちの残党が屯していていつも気になっていた。けれど、私が責任を持って餌やりできる範囲を超えているから滅多なことでは手を出さないことにした。ここ数日、そこの公園の木が数本切られ、下草が刈られてこざっぱりとしていた。するといつもは10匹近くいる野良たちが一匹も見られない日があって、私はえらく心配した。全員捕まって三味線になっているまいか。
そこへ一匹の黒猫が現れて、とりあえずその子だけでも無事と知ってホッとした。
環境が変わると野良たちは警戒する。私も、もしや彼らの追い出し作戦が始まったかと思ったけれど、次の日にはほとんどの猫が舞い戻ってきて、毎日夕方餌をやっている人もいて胸をなでおろした。

最近我が家の周りで地域ネコの意識が高くなって、それぞれの家で野良の面倒を見ているようだ。猫好きのご近所さんが通りすがりの立ち話。
「可愛そうな猫を棒を持って追いかけるおじさんがいるのよ、ひどいわねえ」
「そういう人は同じ目に合わせるといいのよね」と過激な発言はこの私。
だってねえ、自分より遥かに大きい動物が棒を持って追いかけてきたら、それはそれは怖いでしょうに、そういう人はなんでそんなことをするのだろうか。もしかしたら家庭内で奥さんからいじめられている鬱憤を吐き出しているのかも。









2021年9月4日土曜日

人生の佳境

 すでに一ヶ月ほど、投稿を休みました。

なぜかといえば書き始めると腹の立つことばかり思い出して精神衛生上非常によろしくない。読む人たちもうんざりだろ思うし、まだブスブスと胸の奥にくすぶっている熾火が再燃するといけないから黙っていたけれど、相変わらず・・・いやいややめておきましょう。

これがどれほど脳みそに悪いことかというと、私は急激に痴呆症になってしまった。物言わぬは腹ふくるるわざなりというけれど、腹はやけ食いで膨れたのであって、これは筋トレでしばらく頑張れば解決すると思うけれど、心のケアは自分だけでは難しい。せめての慰めはだんだん日常が復活して来て、古典音楽協会の定期演奏会が再開の運びとなったこと。でも一年半のブランクは私達の年齢の者にとっては相当厳しい。すでに筋肉や反射神経が衰えているところにもってきて、脳みそが萎縮し始めているので何回も弾いた曲なのに、あなた誰?みたいに忘れている。

9月はめずらしく忙しい。音楽教室の発表会に出演する弦楽アンサンブルの指導と本番で一緒に弾いてほしいとの要望。少し前なら本番で初見でもいけたと思うけれど、それがなかなか早いパッセージが覚えられない。あ~あ!

本当なら今頃は北軽井沢の私の家に生徒たちが集まって盛大に合宿をしていたはずなのに、コロナ感染が異常に拡大したために直近で中止の憂き目にあった。ほら、又ぐちが始まってしまった。オリンピックなどやらなければお盆の時期にも国民は里帰りを我慢したと思う。けれど8割もの人達が反対したにも関わらず海外の感染者を国内に入れて、それで国民に我慢しろというのが無理というもの。メダル量産とか言って喜んでいるのがバカバカしい。選手たちは本当に気の毒に思うけれど、この人達に罪はないし恨みもない。頑張っている姿を子どもたちに見せたいと言って、すぐに引率者の陽性が見つかったり若年層に感染が拡大したり、当たり前じゃないですか。一本筋の通った政策ができない政府に対して国民は皆呆れている。教育は臨機応変に、こんな時期に混雑する場所にどうして子どもたちを連れて行くのかしら。

たしかなにか面白いことがあったのでブログ再開するつもりだったのに、なんだったかそれすら思い出せない。そうそう、先月の北軽井沢でのフェスティヴァルで演奏が終わったときに、地元の人からたくさんきゅうりを頂いた。なんでもたくさん獲れ過ぎて余ったのでということだった。その量が半端でなくずっしりと重いので、楽器を置いてきゅうりをケースに詰めて帰ろうかという冗談まで出た。こんなに食べきれるかなと思ったけれど、それがとんでもなく美味しかった。

見た目は形も色もバラバラ、曲がっていたり太ったのや痩せたのや様々。帰宅してから塩麹に漬けて見た。一日おいて食べたら「エッ、きゅうりってこんなに甘いの?」バリバリと食べて私はキリギリスになってしまうかと思えるほど毎日きゅうり三昧。もともときゅうりはそれほど好物というわけではなく、毎年夏の暑いさなかにしか食べない。あとは他の料理に付け合わせとか添え物でしかないと思っていたのに、この期間だけは主食になってしまった。きゅうりもこんなに喜んで食べてもらえて本望、少なくとも生産者は得意になる資格十分だった。

先日北軽井沢の我が家にしばらく滞在していった人からお礼のメールが来た。彼女は半分ドイツ人。なぜかというとドイツの企業にいまだ在籍していて、今後、余生を日本で過ごすかドイツに戻ってドイツ人と結婚するかの選択肢があるということなので、その決断のために私に相談したいという。私だったらドイツを選ぶかもしれない。しかし無責任に私が決めるわけにもいかないから、とりあえず残りの数年を仕事がんばってみたらという無難な返答になってしまった。それからでも決断することができる。彼はずっと待っていてくれるというなんとも羨ましいお話なので。いいないいな、私を待っているのは猫ばっかりなのに。

メールは北軽井沢は「期待していたのより遥かに美しいところ」だったとのお褒めの言葉。そうでしょう、そうでしょう。浅間山の全景が見られるポイントに長い時間座って雲の流れを見てそよ風にふかれて、幸せな時間を過ごした。それが彼女の選択に一役買ったかもしれない。

更に嬉しかったのは、北軽井沢は日本のバイクのレースの発祥の地だったということを知ったこと。浅間牧場の売店で見かけたのがバイクの展示室。入ってみると懐かしいバイクがずらりと並んでいた。こうしてみると私は子供の頃から車やバイクに興味を持っていたらしい。よく覚えているのがその証拠。女の子なのに珍しい。なるほど、北軽井沢への入り口となる山道は、走り屋さんたちの絶好の走り場。2年ほど前、そこで事故で亡くなった女性が倒れているのを見てしまった。バイクと命の危険は隣り合わせ、ご主人らしき人が呆然と立ちすくんでいた。それでも亡くなった人はその瞬間まで幸せだったのではないかと。

こう言うと生真面目な人は私を不謹慎と思うかもしれない。けれど、自分が大好きなことをしている瞬間に死ねたら本望。私はオーケストラで演奏している最中に鳴り響く音の中で、ふと、今死ねたら・・と思うことがあった。












2021年8月12日木曜日

オリンピックの陰で

今、医療現場はとんでもないことになったらしい。今までにない爆発的な感染状況。ワクチンを接種していても新しいデルタ株なるものが出てきて、今までの安心感に水を差す。金メダルで隠蔽された情報が今頃になって小出しにされているらしい。医療関係者の憤りの声は、今頃になって情報を出してくるなんて遅すぎるという政府に対する不信感。まったくこのバカ者共!と「ガースー」はじめ隠蔽体質の政府関係者を怒鳴りつけたい。

広島、長崎の慰霊祭でも「ガースー」は遅刻や原稿の読み落としなどのチョンボしたらしい。目が死んでいる。彼は一国の首相をつとめる器ではない。 莫大なオリンピックの費用をワクチンやコロナ治療に回せばいいのに。徹底的に経費を切り詰めればいい。バッハ会長が広島の原爆記念碑を訪問したときの警備の経費が300万超え、それをIOCは日本に払わないそうで、だったら警備なんてしなければいいのだ。なにが起きても彼の自己責任にすればいい。だいたいオリンピックの会長がなんで他所の国の警備を要求できるのかわからない。警備なんてする必要ない。怖ければ自腹で警備員を雇えばいい。

オリンピックの存在自体が価値を持っているのかどうか、そろそろ考え直したほうがいい。よく競技を見て励まされたなんて言う人がいる。見て励まされるとは?自分で懸命に努力してこそスポーツの意味があるのに、現場で実行しなければ単なる見物人。見終わればビール飲んでうだうだ眠るだけ。

タキミカさんという90歳の筋トレの女性インストラクターがいる。歳をとっても筋肉はつくれるそうなのだ。だからテレビの前で感動だけしているあなた!自分でやったらいかがかな。というわけで私は最近筋トレを実行している。スクワット、腹筋、つま先立ちをセットで一日3回。昨年からの足のむくみやしびれや痛みがかなり改善されてきた。まだ階段を降りるのは怖いけれど、登る方はスムーズになった。片足立ちも進化を遂げている。

どこの整形外科に行っても、それらの症状は加齢で片付けられていた。湿布薬と痛み止めを出されるだけ。歳をとったらヨボヨボしておれとでも?健康で楽しくなければ長生きしたって少しもめでたくはないのだ。病気なら仕方がないけれど、少し努力すれば筋肉は生き返る。歳を重ねて体の機能が衰えるのは当たり前と思っていたけれど、私はもうヨロヨロ生きるのはうんざり。自分で元気にならなければ誰が元気にしてくれる?

というわけでこれからの私はもうヴァイオリンを弾くのは諦めて体力づくりに励もうと思っている。なぜヴァイオリンを諦めるかというと、こればかりは仕方がない。薬指がひどく曲がってしまって、音程に重大な影響が出てしまったから。どのようにしても音程が定まらない。クロイツェル・ソナタの冒頭部分の重音がうまくいかない。若い頃、なんでもなく彈いていたのが、ここ3年ほどでどうにもならなくなった。それならばヴァイオリンは諦めて、他のことを始めようと思っている。

もともとなるつもりがなかったのに演奏家になってしまったのだから、原点に戻って子供の頃から好きだった日本の古典文学なども勉強してみたい。そのためにはハリーポッターの原書講読を早く切り上げないといけないのに、遅々として進まない。最終の7巻の半分まで到達。あと少しなのに、ますます難しくなるローリング女史の文章に翻弄されている。もし中学生の頃この本に出会っていたら、私は喜んで英語に取り組んだと思う。つまらない文法の授業で英語が嫌いになってしまったのが悔やまれる。

計算すると、1回のレッスンで1章の半分進む。残すところあと20章、1ヶ月2回のレッスンで20ヶ月かかる。1年と8ヶ月とすると再来年までかかることになる。ただし最終巻は少し短い章もあるからもう少し短縮できるかも。はじめのうちは子供向けの文章だったけれど、最後はハリーが17歳になる、ちょうどそこから上の年齢が対象になる。

ここがローリングさんの頭の良いところで、主人公の年齢に合わせて文章も大人になっていく。単語も難しく長いものが多くなる。言い回しも非常に難しくなる。けれど易しいところから始めるから自然にレベルアップしていける。時々1年近く休講したこともあるけれど、ようやく最後まで読み通せる目処が立ってきた。粘り強い先生のルースさんと始めたら終わりまでやるという私の性格とが一致した。一言一句、重箱の角をつつくように読み通すのはなかなかホネではありましたが。

英語の得意な人ならさっさと終わったと思うけれど、全く英語に興味のなかった私が中年すぎに始めた読書、しかし面白かった。今からでも遅くはない。皆さんのように英語の素養のある方たちには良い頭の体操になるでしょう。おすすめです。








森に逃れる

 今日から北軽井沢の森に逃げる予定だった。昨夜にはすっかり荷造りができていた。車は、楽器と猫と運転手が乗ればすぐに出発できる状態だった。最後に天気予報を見たら、あらまあ、予定の日程は全部雨。それも西から災害規模の猛烈な雨が北上してくるらしい。考えた。

あの森の中でずっと雨はつらい。他に行くところはない。緑の美しい木々を眺めているのは本当に心癒される。それでも限界がある。もちろんテレビもラジオもないから、外界の情報は入ってこない。猫と二人で暮らすのも1週間もすれば飽きる。何度も言うけれど、本当に森は美しい。軟弱な都会っ子にしては漆黒の闇も好き。でもやはり人声が懐かしいことが多い。一度取りやめにして様子を見よう。

雨の状況を見ながら家にこもっていたら、こちらはなにやら良いお天気になってきた。やはり行けばよかったかも。軽井沢に様子を尋ねると晴れているらしい。しまった。一度沈没すると容易には浮かび上がれない。何がなんでも行くべきだったかしら。しかし最近疲れが溜まっているらしく、以前のようには動けない。これが老いと言うことか。

今回特に行く予定にしたのは、北軽井沢の家にちょっとした不安が出てきたせいで。先日風呂上がりにふと足元を見ると、足ふきマットの周りが水浸し。それほど激しく入浴する習慣はないから。マットに溜まった水でもこぼれたものが広がったのかと思った。

しかししばらくすると、そこから数メートル離れた脱衣所の扉付近で水たまり、またそこから数メートル離れた玄関とトイレの間に水たまり、その向かい側の寝室の扉付近にも水たまり。どれも10センチくらいの範囲でじっとりと濡れていた。はてな?まさか猫が粗相した?でも絶対に違う。その水は床から滲み出てきたような様子なのだ。雨漏りかと思って天井を見てもなんのシミもみあたらない。床材はコルクで水を吸収しやすい。だから本当は掃除のときにコルク用のワックスをかけるのが良いらしい。

家の掃除をしてもらったときに、経費をケチってワックスを断ったのが裏目に出たらしい。それと冬場の水抜き時になにか手違いがあって、水道管に亀裂が入って水がじわじわと滲み出ているのかしら。その話を車の点検のときに元メカニックで元レーサーのスタッフに話したら、目を輝かせて私が行って見てあげましょうと言ってくれた。でもあんな遠くまで本当に来てくれるの?整備が終わって車を出すときにも再度「本当に行きますから」という。何が原因でどうすれば直るのかと言うことに非常に興味があるという。ありがたい!

それから庭の落ち葉の堆積のことを話したら「そのための道具は揃っていますから軽トラでいきます。テントを軽トラの荷台に積んであります」とも。世の中には物好きで親切な人が大勢いる。本当に興味があるのでいつでもお声をかけてくださいと。今回はお盆休みで車業界はかき入れ時だと思うので遠慮して工務店に見てもらおうと思うけれど、3人目の心強い男手現る。優秀な電気屋さん、人の良い工務店さん、そして物事の仕組みに興味のあるメカニックさん。若い女の子だけでなくて片足棺桶の婆さんにも親切にできるあなたは偉い。私は車はボロボロになるまで買い替えないから、私にいくら親切にしても彼は成績が上がるわけではない。本当にこういうことが好きらしい。世の中うまくしたもので超絶無精な私のようなものがいて、ものの仕組みやその取扱いに目を輝かせる人がいて、うまく回っていくらしい。












オリンピック開催のツケ

 コロナ感染が爆発的に拡大したのはオリンピックのせいではないと、某大臣が言ったとか。少し考えただけでオリンピックに原因があるのは明らか。だいたい空港で陽性反応が出た選手やスタッフを入国させるとは思いも寄らないことだった。それほどオリンピックは特別なの?バッハ会長の銀ブラはご本人が10数日蟄居したあとなので許されるとか?

血の滲む努力をしている選手たちには申し訳ないけれど、たかがスポーツ、されどスポーツ、今やオリンピックはお金のための手段に成り下がってしまった。本来高邁な目標のもとに集まった各国の選手団は、もはやIOCの傀儡と化し、莫大なつけは次世代の子供達が背負うことになる。それも一部の政治家や関係者のメンツのために。

醜い政治とカネの祭典はやっと終わった。その結果は爆発する感染拡大、それをオリンピックのせいではないという馬鹿者たち。特に丸川とか言う気持ち悪い大臣が見当外れなことを云い、頭と性格の悪さを露呈した。彼女がおじさん議員たちに媚びる姿は超醜悪。なんだか情けない。他人の金メダルを囓んで顰蹙を買う市長まで出る始末。日本は終わった・・・と思うのは私だけではないでしょう。もし私がメダリストで、目の前で自分のメダルを囓られたら平手打ちしてくれる。下品すぎてユーモアのかけらもない振る舞い。どんな教育を受けてきたのか。

オリンピックならなにをやってもいいらしい。気の毒な居酒屋の瀕死の状態に追い打ちをかける自粛政策に従わないと罰金では国民は自殺に追い込まれる。どれほどの人たちがオリンピックに反対したことか。メダルラッシュなどと喜んでいる場合だろうか。特にマスコミはオリンピックが始まると手のひらを返したように、国民の意見を無視する。政治介入で報道規制が働いているとしか思えない。こんなマスコミにテレビを占領させていいものか。国民は無気力になり政治やたちの下品さが顕著になり、日本人の品性が下落の一途をたどる。世界の笑いものになっているのにも気がつかない。

このところブログに投稿する気力もなかった。書けばぐちばかり。こんなに品性下劣な政治やを放し飼いにしていいものか。不思議なことに波が引くと、日本人は何事もなかったように怒りを収めてしまう。選挙をすればいつもどおりの政党が勝利する。要するに変化を好まない。それに付け入って、不祥事を起こした議員も再当選する。結果を聞いていつも絶望する。だから政治が停滞して悪臭を放っているのも自分たちのせいなのだ。ネット民よ立ち上がれ。

怒ったらますます腹がたった。やだやだ!私は猫になりたい。







2021年8月3日火曜日

北軽井ミュージックホールフェスティヴァル

 北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルはひっそりと・・・と思っていたら、時がたつにつれて雪雀連アンサンブルの知名度がじわじわ上昇して、リピーターが増え続けている。ワクチン接種済みということはメンバーの年齢の高さを物語る。白髪頭のおばさんたちが楽しそうに楽器を弾く姿が、彼らの心に響くらしい。演奏の水準も高く、曲目もバラエティーに富んでいる。特に普段あまりソロを聞くことのできないヴィオラとコントラバスの演奏を目玉として前面に出している。私の選曲はメンバーの年齢に斟酌しない。どんどん課題は増えていく。これが年をとっても元気の秘訣。今回は音楽に飢えていた人たちが皆さん喜んで聴いてくださったらしい。今までおとなしく聴いているだけの人たちから感想が届いた。

観客が少ないからと言って私達は手を抜かない。練習はきっちり3回、現地に入ってからステージで2回、たっぷりと時間をとった。野外同然のホールは正面にステージ。ぐるりと練習室や控室などが円形に中庭を囲む。そこに大きな木が数本そびえている。自然と同化して空や雲を見ながら演奏できる。晴れていれば素敵なんだけど。今回は開演直前まで激しい雷鳴、天気予報では晴れだったのに。開演30分前、近くに落雷したかと思えるピカッ・ゴロッと光と音がほとんど同時。私は晴れ女だから少しも心配しなかった。そして演奏に入ったら、雨も雷もいなくなった。みあげる空は青かった。私は最強の晴れ女。

野外同然のステージは弦楽器にとって最悪の状態で湿度調整ができない。特に樹木の多い北軽井沢は湿度が高い。今回はヴィオラの弦が切れた。弦の値段はびっくりするほど高価で、その時の相場によるけれど一本1万円近くするときもある。それがプツンと切れると「ああ、1万円!」羽が生えて飛んでいく。私達は一応入場料金はいただくけれど旅費宿泊費とも大赤字、それで弦が切れたらもう泣くっきゃない。でも、それ以上にこの仲間たちとこの自然の中での演奏は何ものにも代えがたい喜びなのだ。地元の人達に聴いてもらえることも嬉しい。

ヴァイオリン族は胴体が木だから、湿度が高いとたっぷりと湿気を吸い込む。そうすると、乾いていればよく振動するものが湿気で重くなった木は微妙に鳴りが悪くなる。鳴らないから力むともう最悪。弦は羊の腸が材料だから湿気で伸びる。絶えず調弦していないとどんどん音程が下がってしまう。

なぜこんな条件の悪いところで弾くかと言うと、こういうところだから生の演奏を聴けることは少ない。大都会周辺ならいくらでもコンサートは聴けるけれど、キャベツ畑の真ん中でクラシックのコンサート、特にプロの演奏に出会えることはまれなのだ。住民は穏やかで文化的な水準は高い。フェスティヴァルをボランティアで支えるサポーターズは地元の文化を支える重要な役割を担っている。コロナで去年はフェスティヴァルが中止となった。今年こそと思っていたけれど思いがけないほどの感染拡大で、規模を縮小してのフェスティバル、その中で久しぶりに生の演奏が聞けて本当に嬉しいとの感想を頂いた。

こちらも恐る恐る気を使いながらここまで来て、感染に最大限の注意をしての参加。車での往復はいつまでできることやら。今年は特に聴いてもらって本当によかったと思った。感想で一番うれしかったのは「ピンクの靴がとても素敵でした」あはは、そこかあ!









オリンピックと国民の命

コロナが 凄まじく感染拡大している今の時季にいけしゃあしゃあと他府県に行くことを書いていて申し訳ないけれど、何度も言うように北軽井沢に行くのは私自身と他の人たちへの感染の危険がほとんどないからで。

家から出て車に乗りそのまま山の家へ。前日食料などは買い込んで山荘には冷凍食品、レトルトやフリーズドライなどの食料の備蓄があるから、ほぼ人に会うことはない。サービスエリアでのトイレだけは許していただくとして、まさに一直線に森の中。最近はお隣さんとも行き来をしない。猫と二人でにゃあにゃあおしゃべり。これで納得いただけるだろうか。

もっとも今回は北軽井沢ミュージック・ホールフェスティヴァルのために来たのだから、仲間とは合流する。それでも常識豊かなわが友たちは、かならずマスク着用、余計なことはしない。練習のとき、いつもならみんなで持ち寄った食べ物をいただくのが今回はお弁当のみ、徹底的に簡素化した。しかも全員ワクチン接種済。ここまですれば万一なにか事が起きてもそれはもう災難と許していただきたい。

何回も練習した曲を捨てられない。本番は無観客でもいい。ミュージックホールは何回も書いたけれど、まるで屋外同然、屋根と壁はあるけれど、前面のシャッターを開けるすぐに庭に繋がっている。かなり広いステージなのでお客さんとの距離も十分とれる。

去年このフェスティヴァルが中止になったので、今年は去年の参加予定者だけをエントリーさせることになった。演奏者の人数も制限、入場者も制限とあってはたしてフェスティヴァルがそれらしくなるかどうか。私達はとにかく演奏がしたいというそれだけ。これはオリンピックの選手たちも同じだと思うけれど、選手には頑張ってほしい。けれど、開催までのドタバタを見るともう日本は終わったと思うくらいひどかった。

信じられないほどの不信感を抱いて、もうテレビは見ないことにした。腹立ち紛れにテレビにものをぶつけたりしかねない。だれかれとなく電話で話していると最後にはそこに辿り着く。政治屋さんたちは想像力が欠如しているらしい。そしていつの間にか様々な問題は論点がずれ、嘘と言い訳ばかり。最初のうちは国民の過半数がオリンピックに反対だったのに、始まってみるとグズグズに崩れていつの間にか喜んでいる。そりゃあ、私だって涙ぐましい努力をしている選手にはエールを送りたい。けれど、迎賓館の歓迎レセプションなんて必要でもないことに人を集めおカネをつかう。何が嫌かと言って菅総理が「オリンピックは大丈夫、中止にはなりません」といったこと。

大丈夫って?今感染して死に直面している人々は大丈夫ではないのに。国民の一部が死ぬのはオリンピックの中止より軽いのか。なんだか情けなくて涙が出そう。居酒屋さんいじめが続いているというのに議員たちは平気で人集めお金集め。今だって絶対隠れてパーティーをしていると思うのはわたしが特别疑り深い性格なのかしら。菅さん、こう言っては申し訳ないけれど、ものすごく頭が悪いように見える。説明に筋道がなく、前回言ったことは忘れてしまうのか、それとも自分で言ったことの意味がわかっていないのか、誰にでも納得のいく説明をしてほしい。

オリンピック、今は金メダルに目がくらんでお祭りムード、でもオリンピックが終わったら感染が爆発的に増えたことに対する政府の責任が追求されるのは必至。日本の政治家の能力のなさには世界中が呆れているに違いない。


2021年7月29日木曜日

寒い

 都会で暑さにあえいでいる皆さんには申し訳ないけれど、ここ北軽井沢は肌寒い。こんな事言うと殺されそうだけど。

今朝目が覚めたら午前時2時半、猫のトイレを見たら立派な「ぶつ」が鎮座していた。今だ!出かけよう。猫と一緒に北軽井沢に来るときには猫のトイレ事情に配慮しないと、とんでもないことになる。このところ3連敗。途中で大鳴きに鳴くからどうしたことかとケージを覗くともうあまりの悲惨な状態に鼻が曲がりそうになる。私は嗅覚障害だから大抵のものは臭わないはずなのに、これだけは我慢できないほど臭い。

今日はトイレにしっかりと出していたからこれで安心、今出れば向こうに着くまで静かに眠っていてくれるだろうと、急遽車を出した。近所に気兼ねしながら夜逃げのようにそっと荷物を積み込み、野良がのっそりと出てきたので少し餌をやり、いつもの渋滞が嘘のように空いている道路を走ってきた。ところがかかった時間はいつもとあまり変わらない。空いていることでスピードを出しすぎないように注意したので。

わたしはずっとゴールド免許でこれは免許書き換えの高齢者講習のときに非常に有利に働く。まず講習時間が短くなる。次に講習料金割引がある。それに免許の有効期限がながくなる。わたしは一度免許停止をくらったこと以外は模範的なドライバー。この先何年運転ができるかわからないけれど、常に一番有利なポジションにいたいということで、頑張って安全運転を心がけている。車自体がこの先も進化し続けると思うので、完全自動化が夢ではなくなる。

例えばベッドで寝ていると車が起こしに来てくれる。「そろそろ出発しませんか」なんて。「今日の服装はこれでいいですか」と着るものを揃えてくれる。ベッドから車椅子への移動もサポート、運転席まで運んでくれてスターターセットしてくれて、ナビに入れた道をスイスイ走って目的地へ。なんて夢のよう。でも現代の科学ではもうそんなことは簡単にできそうな。

到着は午前6時半、やはりいくら空いていても3時間はかかる、渋滞なら4時間近くなる。北軽井沢の森に中に入ると、いつもよりたくさんの車が停まっている。4月ころ頻繁に来ていたときには、広い別荘地に2,3台、閑散として人気がない。ほとんどわたし一人で住んでいるようなものだった。コロナが異常に感染拡大している今、都会を逃れてきた人たちがリモートで仕事をしながら定住するようになっているらしい。

さて到着、ドアを開けて猫のケージを取り出そうと助手席側のドアを開けたら、ん?なにかおかしい。ケージのファスナーを開けたら、あらま、今日もまたやられてしまった。ちゃんと確認してからでかけたのに、まだ残っていたのだ。途中でなにか騒がしく騒いでいたけれど、カーブがきつい山道がいやで鳴いているのだと思っていた。きっとその時に粗相したのだ。

動物を飼っているとこういうことはしょっちゅうある。これを汚がっていたら動物は飼えない。もちろんすごく煩わしいけれど、そういうことも含めてすべてがその動物の愛おしさだと思えばいい。可愛く元気なうちだけ飼って病気や老いに瀕した動物を平気で捨てる人がいる。信じられない。わたしの猫も最近毛艶がなくなり腰が曲がってきた。それを見ているとわたしに連れ添ってくれた年月を感じる。いつまでも元気でいてくれるように願わずにはいられない。

楽器のために一番小さな部屋を乾燥室にした。部屋の大きさよりも容量の大きな乾燥機を設置してもらったので、小さな洗濯物ならあっという間に乾く。そのくらいにしないとこの森の木々の吐き出す湿気に対抗できない。到着時の湿度は80%もあった。これではヴァイオリンはたまったものではない。しばらく乾燥機を動かすと50%まで落ちた。今回はヴァイオリンとヴィオラの両方弾くのでヴィオラを2台持参。なぜかというと、片方は弦がガットでないと音が悪い。けれど北軽井沢の湿度のことを考えると、万一雨でもふった場合、ガット弦の方の楽器はピッチが狂いやすい。その点もう一台の方はナイロン弦が張ってあるので湿度の影響を受けにくい。本番で一番いい状態で弾くにはガット弦がいいけれど湿度が高くては調弦ばかりすることになる。

ヴァイオリンは常にガット弦しか使わないので、湿度が多いときには泣きの涙。仕事で名古屋万博のイベント会場で弾いたとき、会場に入ったら高窓が開いて外気が入ってくる。しかも外は雨。それを見た途端、わたしは全部の弦をナイロン弦に変えたことがある。ヴァイオリンなどの弦楽器は常に湿気との戦い。北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの会場はシャッターを開けると目の前は庭。野外ステージに近いからお天気の心配が常にある。

数年前は激しい雷雨でシャッターを大慌てで閉めた。雨が上がったのでシャッターを開けるとものすごいセミの大合唱で皆笑った。今年は天気予報では本番当日8月1日だけ晴れるそうで、今回もわたしの晴れ女が証明されるかな。







2021年7月16日金曜日

落下速度

今朝テレビを見ていたら、アメリカのユタ州の湖に、マスの稚魚を小型飛行機で放流する映像が流れていた。周辺に大きな道路がなく釣り人のために放流するのだそうで、湖の上に到着するとハッチかなにかが開くのかあるいはバケツみたいなものでドアから流すのか、どっと水と一緒に魚が湖に撒かれる。そうまでして釣りをしたいのかとおもうけれど、アメリカらしくスケールが大きいと感心した。

ところがその映像に関するコメントが???

女性アナウンサーが「落下の衝撃で魚が死なないかと思うけれど、稚魚は体が小さくて軽いので落下速度が遅く、それで大丈夫なようです」みたいなことを言ったので、ん?これはほんとに?としばらく考えた。

たしか習ったような、落下速度は物体の重さとは関係ないって。

もちろん大きさや形で抵抗を受ける大きさが違うからその差は出ると思うけれど、これってどうなの。魚の大きさでなく水と一緒に流れ落ちるので、例えば滝から川に流れ落ちるように自然に湖に到着するのではと考えた。急流で死んでしまうような魚だったら魚として生きては行けない。魚の体型は急激な水流にも耐えられるようにできているのではと思う。

落下速度で調べてみたらなにやら数式が出てきて、それはさっぱりわからないけれど確かに落ちる物体の速度は大きさに関係ないそうだ。ただしこれは自由落下のときのみ。自由落下とは物体が空気抵抗などの影響を受けずに、重力の働きのみで落下する現象のこと。

空気抵抗というものを考えるとまたこの法則は変わるようなのだ。

今頃テレビ局に質問が来ているかもしれないけれど、朝の通勤時間にのんきにテレビ見ていられる人はあまりいないと思うし、それに私だって忙しく働いているような時期だったら聞き逃す。けれど今は暇でのんきに朝からテレビ見ていられる。

よく他人のことをあれこれ詮索する人がいるけれど、そういう人も暇がなくなったら他人をかまっちゃいられない。暇というのはときには文学の名作や学問的な素晴らしい発見をもたらすときもあれば、犯罪者を生み出すこともある。シャーロック・ホームズも流行らない医者だったコナン・ドイルの患者待ちの空き時間から生まれたと聞く。ちょうど殺人の場面を考えているときに患者が来たとき、先生が異様な顔で興奮していたら怖いだろうな。

犯罪者といえば、常連のオレオレ詐欺からしょっちゅう電話があって声ですぐわかる。昨日も、あ、またかと思って「あなた誰?」と訊くと「おれ**だよ」まだ同じ名前を名乗っている。なんと進歩のないこと。随分この人も詐欺師稼業が長い。一生詐欺で生きていくのかな。だったら少し勉強して詐欺のノウハウ本でも書けば面白い生活が送れるのに(刑務所で)

あら、魚から詐欺師にいつの間にか話題が。でも探ることをfishというから、と、無理やりオチをつけました。ちなみにほら話をfish storyという。このブログもまんま信じてはいけない。書き手が猫だから魚好きでして。






2021年7月14日水曜日

古典音楽協会定期演奏会再開します

 9月29日(水)東京文化会館小ホール 午後7時開演

待ちに待ったというか、幾分諦めてもいた「古典」の定期を再開することになりました。

まだコロナ感染の拡大が止まらないけれど、人々はこの感染症との付き合いがだんだんわかってきた。メンバーは9月にはほとんどワクチン接種が済むし、聴いてくださる方々も似たような年代が多く、その点では若者の多いライブよりは安全だと思う。私の周囲には全く感染者が出ていない。と、いうことは世代的にも行動範囲も私達はかなり安全圏にいるということで、油断大敵ながらこの先も気を引き締めて今までのように行動すればいいのかと思う。

楽しみでもあり不安でもある。一番緊張するのが、今回の曲目の初っ端で音を出すのが自分だということで、そこでコケたらおしまいなのだ。覚悟はしているけれど、久しぶりの文化会館、ドキドキするなあ。8月に北軽井沢で本番があってよかった。ジリジリと勘が戻ってきているのであとは度胸で行くっきゃない。体調が問題だけれど、火事場の馬鹿力で乗り切れるかも。

コロナ感染が始まったときには、こういう時間を持て余すような時期にはしっかり基礎から楽器の練習をしようと思ったものだった。それがひと月ふた月過ぎてグズグズになり、どんどん深みにハマって練習どころか息をするのも面倒になってしまった。それでも今年に入って1月に姫路、4月に横浜市内、8月に北軽井沢となんとタイミングよくコンサートが続いた。8月に毎年入る予定のコンサートは一つ中止のままだけれど、これだけあれば十分。

足の故障はだんだん改善し筋肉が戻って今は片足ずつ立つこともできるようになった。これで無茶しなければ安心、と思ってもこれがやってしまうんだなあ。そこが私の一番悪いところですぐに調子に乗る。

古典音楽協会第160回定期演奏会プログラム

アルビノーニ:合奏協奏曲 イ短調   

ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンの協奏曲 イ短調

エマヌエル・バッハ:オーボエ協奏曲 変ホ長調

J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲 ヘ長調 BWV.1056

カール・シュターミッツ:ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲 ニ長調

一昨年練習までしながら本番で弾けなくなったプログラムがやっと演奏できる。

「古典」は良くも悪くもマンネリで似たような曲を毎度聽かされるのに、文句を言うお客さんは一人もいない。あのテンポが私達には心地よいのよと言ってくださる。どれも似たような曲ながら名曲には変わりない。常に満員御礼でもクラシックのコンサートの客席はいつも静か。嬉しさと心配が入り混じってやや複雑な心境ではあります。







2021年7月13日火曜日

脳崩壊寸前

コロナ禍で生活習慣が根本から見直されることになって、会社に行かなくても自宅で仕事ができるようになったのは大変いいことだと思う。私のように半分隠居の者にとっては出かけないと只々だらしなく老いてゆくばかり、人の名前が出ないのは序の口、最近は約束を忘れるようになってきた。以前は決して人との約束の日を間違えることはなかったのに。オーケストラ時代の超絶多忙なスケジュールのなかでも、複雑なスケジュールを完璧にこなしてきた。ステージ衣装の色も決して間違えなかった・・・ああ、それなのに。

今は年間通じて衣装は黒?私達の時代は夏は白、冬は黒で、衣替えの時期には複雑に白と黒が入り混じって、それでも時間と場所、演奏曲目、衣装の色、絶対大丈夫。若さとはいかに素晴らしかったことか今更ながら実感している。

昨日も自動車保険の更新で午後に日産自動車に行く約束をすっぽかした。それもその日の午前中までは覚えていたのに、昼食をとる前までは大丈夫だった。御飯の時間が30分しかないわ、などとちゃんと計算していたのに。食べ終わって、アマゾンのプライムビデオを見始めてしまった。気がつくと約束の時間を30分過ぎていた。慌てて担当者に電話して急いで、でかけた。担当の日産マンはそれを聞いて大笑い。お腹の中では、この人運転はそろそろ怪しいのでは?と思っているのでは。私も自分を信用できないので、最近の運転はたいそう慎重になってきた。

プライムヴィデオはありがたいことに、テレビよりずっと面白い映画がいくらでも見ることができる。往年の名画が楽しめる。ドラマのシリーズ物が一気に見られる。なによりありがたいのは、私はドラマの途中ですぐに居眠りするので、同じドラマを飽きることなく何回も新鮮な気持ちで見ることができる。結局同じものを10回くらい楽しめるのだ。居眠りをしなくてもすぐに忘れるから更に楽しむ回数が増える。今日も全部見たはずのドラマを、結局ほとんどちゃんと見ていないことに気がついた。

仕事がかなり暇になったのとコロナで出かけなくなったので、友人たちともあまり会えないし会話もほとんど猫とのみ。ストレスは体に良くないなどと世間では言うけれど、私は修羅場を好む体質。ストレスがあると逆に頑張れる。ただし、それは多分自分で作り上げた妄想で、ストレスは確実に体のどこかに影響する。それで自分が今ストレスに晒されているのだと気がつく。

今年のはじめに仕事をしたとき、報酬の支払いにマイナンバーの申請が必要になった。私はとっくに申請をしたつもり、その後申請の請求の手紙が来てまた申請したつもり、ついに3度めの請求が届いて慌てた。その後税金の督促状が届いた。どうやら住民税だか県民税だかが支払われていなかったらしい。今まで私は税金の支払いは忘れたことはなかった。請求書が届くとほぼその日のうちに払わないと気が済まなかったのに、最近はそれすらおぼつかなくなっている。脳みそにスカスカの穴が空いているようだ。

先日8月のコンサートのために集まったメンバーたち、会話はほとんど記憶を呼び起こす努力で費やされる。「ほら、あのオーケストラの音楽監督の名前・・・誰でしたっけ?そういえば最近見かけないわね、ほら、あのひと。コロナだからコンサートもできないわよね。でも、あの人はやっているみたいよ、えーと、えーと」てな具合で、話が進まない。

ありがたいことにまだ楽譜は読める。まだ弓を左手に持ったりしないでちゃんと右手で弾くことができる。今私がしなくてはいけないのは、コンサートのプログラムの作成なんだけれど、どうしても面倒で取りかかれない。何事も時間がかかるようになってきた。ヴィデオ見て居眠りしている暇はないはずなのに、気がつくと毎日同じドラマを見ながら居眠り。

母がちょうど今の私くらいの歳の頃、よく居眠りをしていた。母が眠っている間に姉たちと母の頭にリボンを付けたり、顔に口紅を塗ったりいたずらをした。近所の人が来て母が起きて出ていくと裏でクスクス笑い。悪い子たちでした。近所の人たちはびっくりしたかもしれないけれど、多分慣れっこだった?平然と会話していたから。




猫の夜泣き

 テニスのジョコビッチがグルテンフリーの食事で、それまでのスタミナ不足のために優勝を逃すパターンから抜け出したと聞いたことがある。何度も優勝を目の前にしながら、試合途中で急に力が入らなくなってバテてしまうのが彼の弱点だったようだ。それで一念発起、徹底的に小麦粉の食品を排除して世界の王者に上り詰めた話は有名だけれど、彼の実家は皮肉なことにピザ屋さんだった・・・というオチがついて笑った。

どうして今頃思い出したかと言うと、最近私はコロナで仕事もなく家にばかりいるから当然運動不足。時間に制約がなくて、一日中自分の思いつくままのことをしているので睡眠も不規則になった。そのせいで睡眠障害になった。夕食が終わって椅子に座ってビデオを見たり本を読んだり、いつの間にかうたた寝。ハッと気がつくとまだ22時ころ、今寝たら夜中に目が覚めてしまうと思って無理に起きていると今度は眠れなくなる。夜中の3時ころ眠っても5時ころ目が覚めて、その日一日中眠い。とにかく食事をするとやたらに眠くなってしまう。それが3食ごとだからたまらない。

昨日、夕食になにを食べようかと冷蔵庫を開けたら、野菜が不足していることに気がついた。玉ねぎ、人参、じゃがいもの3種類しかない。これだけあればカレーを作るには十分だけれど、野菜料理となると変化に乏しい。それで考えたのは良く使う手だけれど、スペイン風オムレツもどきを作ろうと考えた。野菜をそれぞれ薄く切って炒め卵で固めてしまえば残り野菜の始末ができる。卵だけではまとまらないといけないから米粉で固めてしまおうと。

米粉を天ぷらの衣にすると軽く揚ると聞いたので、そのうちやってみようと買いおいたものがある。一人で天ぷらを揚げることはまずないので、そのまま冷蔵庫にしまい込んでいたものがある。それをつなぎにすればピザみたいになるかもしれない。

野菜を炒めつなぎに米粉をいれた卵を流し込んで蓋をして熱を通すと、なかなか美味しそうな外見のものが出来上がった。ところがフライパンいっぱいに作ったものだから食べ切れない。今朝も食パンの代わりに米粉入りオムレツ。昼も主食はそれ、夕食は新しく買い込んだ青い野菜と生ハムを添えて。

ついに4回食べてたべきれない。明日朝には流石になくなるはず。ところでオムレツの話がしたかったわけではなく、米粉を使ったせいなのか、あまり今日は眠くならないのに気がついた。いつもなら特に昼食後は起きていられない。ベッドに入ってしまうと何時間も眠ってしまうので椅子でうたた寝。でも今日は違った。米粉のせい?思いがけずグルテンフリーになったわけで、そうなればもう少し続けて観察してみようかと思う。

睡眠障害は食事のせいだけではなく猫が夜泣きをするせいもある。年齢は人間で言えば100歳ほど。最近特に夜中激しく私を呼ぶ。何事かと思うほど泣きわめくので体のどこかが痛いのか心配するけれど、傍にいてやればすぐに鳴き止むからどうもそうではないらしい。爪を切ろうと思うと暴れるので中々切れない。それを放っておくと伸びた爪が肉球に食い込んで痛いと思うので、こちらも必死。でも切られる方もくねくねと逃げるので、間違って肉を切ってしまうと怖い。ときには獣医さんに切ってもらうこともある。ここ数日かかって右手の爪だけやっと切れた。左手にとりかかったら、ものすごく暴れて抑えておくこともできない。

この猫も認知症にでもなったのかしら。夜泣きは日を追うにつれてひどくなってきた。特に私の姿が見えないとなぜ?と思うほど大声で呼びまわる。最近はトイレにまでついてくる。どうも目が見えにくくなっているらしい。トイレの私の前に座ってじっとこちらを見上げているから、はなはだ具合が悪い。いくら猫でも見られるときまりが悪いけれど、ドアを閉めると大騒ぎだから放置。

グルテンフリーやってみようかしら。最近口内炎ができることが多くて、これは口の中を清潔にすればある程度は防げるにしても、栄養の偏りとかストレスも原因になるようだ。今は睡眠障害とビタミン不足が原因の一つかもしれない。いつまでも若い頃の食事と同じではいけないと言っても相変わらず肉食動物でお肉大好き。健康のために毎日お豆腐を食べるようにしていても、ある日突然ライオンになる。ライオン日が数日続くとやっと満足してお豆腐に戻れるけれど、ライオン日にはなんだか元気で楽しい。でも数日続くとライオンが加速して太り始める。食べ物の調節は本当に難しい。






2021年7月5日月曜日

生きてますよ!

 コロナ禍の中でどんどん怠け者度が加速してきた。元々勤勉なタイプではない。幼少時に体が弱かったのと親兄弟の過保護とで、やりたくないことはやらない。やらなければならないこともやらないという典型的な末っ子体質。母は私がこれやりたくないと言うと「いいよいいよ、やらなくて」食べたくないといえば「いいよ、食べなくて」学校行きたくないといえば「いいよ、行かなくて」これではねえ。

その後社会人になったら自分がいかに何も知らないか、何もできないかということに気がついて、ある程度は頑張ったけれど、もう遅い。その上、コロナ蔓延で何もしないほうが感染拡大防止に役立つと思って、いまや誰はばかることなく怠け続け放題。いいですねえ、こういう言い訳できるのは。

それでもnekotamaに投稿しないと、もはや死んだものと片付けられそうなので、私は生きてまーす!と声を大にして叫びます。今年に入ってからようやくコンサートの復活があり、細々とステージをこなしている。今年はじめのコンサートでは楽器を鳴らすこともままならず不本意な出来に終わった。それでも最近は少しずつ音が出るようになって、楽しくなってきた。

一時期足がしびれて明け方ひどい足攣りに悩まされたのが、どんどん快方に向かっている。今は階段の降りが怖いだけで、上りも歩行も大丈夫。近所の商店街にある流行らない薬屋さん。前を通りかかったらたそこのご主人が店の前に立っていたので訊いてみた。「足がつるんですけどツムラの68ありますか?」ツムラの68とは足攣りによく効く漢方薬。

「あれはね処方箋で出されるので販売はしていないけど今あるだけ出してあげるよ」とご主人。「それから、これ飲んでご覧。すごく効くから」と言ってビタミン剤を進められた。本当によく効いたのだ、これが。この薬局は私が小学生くらいのときからあったので、店舗も古く、その分ご主人も古い。いまはチェーンの大きなドラッグストアが駅前に並んで2軒。こういうところではもちろん相談はできるけれど、お客さんが並んでいるからじっくり相談するわけにはいかない。その分この古い薬局が細々ながら営業できるのは、相談に乗ってもらえる安心感からではないだろうか。

私はコロナワクチンは無事に済んだけれど、7歳年上の姉は副反応がひどく体中が痛んだという。それで電話のない庭の片隅にあるログハウスでずっと寝ていたらしい。道理で何回も電話しても出なかったわけだ。2回の接種終了で安心してどこかに遊びに行っているのかと思ったら、5日めくらいに電話がようやくつながって事情がわかった。

私の兄弟は仲がいいけれど、お互いに深入りしない。これは大家族で育った暗黙の兄弟間のスタンス。だからめったに頼ったりしないから、はたから見れば少し冷たいと思えるかもしれない。それだからこそトラブルが少ないのだ。とても仲の良い家族が反目し合うと決定的な破滅を呼ぶということはよく聞く。そんなこともない淡々とした関係の兄弟で、お互いに干渉しあわないから心地よい関係が築かれる。それでもなにか事が起きれば協力を惜しまない。そんなだから姉も私に頼らなかった。けれどそれは少し水臭いと思う。近所なので呼んでくれれば買い物くらいしてあげたのにと。

年をとってやたらに人を頼るのはよくないから、なんでも一人でできるうちは自分でと、かねがね思っている。それが結果として自分の健康につながるのではないかと。先日老人施設に勤めている知人と電話で話していたら、私の終活は引き受けたと言われた。自分の施設にいらっしゃいと。話を聞いたらその施設の姿勢が気に入った。自由に最後まで自分で決めて行動できるという。施設はそれを最小限の補助をするだけ、それがモットーだそうですごく安心した。事故を恐れてがんじがらめに保護するなんて、とても窮屈で、それなら最後まで自宅にいたいと思う。

熱海市で土石流災害が起きた。その熱海市の傍だから災害の危険はあるかもしれない。老人ホームはたいてい自然環境の良いところ、言い換えれば辺鄙な山の中とか川のそばとか。大雨が降れば流され、山が崩れれば土砂で流される。人生最後の場所でそういう目に遭うのは些か剣呑ではあるけれど、私のことだからあまりひどい目には遭わないだろうと高をくくっている。ただしその施設に入れるのは介護3等級からで、まだ介護保険使うようなことに至ってないから審査に落ちるかも。

終活は考えているけれど、これから楽しみもいっぱいある。今年の冬は北軽井沢の家に知人のお嬢さんがスキー仲間と泊まりに来るという。そうすれば近くの小さなスキー場に車で連れて行ってもらえる。先日見にいったら、小さな人工雪スキー場で、今の私には練習用にピッタリかも。そこで足慣らしをして、できればコロナ前に行ったフランスのヴァルトランスにもう一度行きたい。前回は団体で滑ったので自由がきかなかったので、今度は個人でガイドさんと二人がいい。ヨーロッパの山岳スキーはこれぞスキーの醍醐味!スケールは日本と桁違い。本当に素敵なのだ。スキーヤーなら絶対一度は行きたい。私は何度でも行きたい。

ところが先日からパスポートを探しているのに見当たらない。困った。コロナ収束になったら飛んで海外に出ていこうと思っているのに。老人ホームはまだ先の話。でも頭は確実に老化が加速している。







2021年6月27日日曜日

ノンちゃんの旦那様

ノンちゃんの最愛の旦那様、絵本作家の田畑精一さんを偲ぶ展示会が開かれているとご案内を頂いた。田畑さんの代表作は「おしいれのぼうけん」「ぴかぴか」「さっちゃんのまほうのて」など。

またしてもコロナ感染者が増え始めているのでいささか恐怖ではあるけれど、力強い我が仲間のコントラバス奏者のHさんとそのお嬢さんのYちゃんが行くというので、二人の陰に隠れるようにしていればウイルスにはとりつかれないだろうという非常に非科学的な 考えで行くことにした。池袋の会場に行く前にベトナムのフォーを食べていこうというからさっそく便乗することにした。なんでも大変評判の行列のできるお店らしい。お店が混んでいないといいけれど・・・

B1にあるお店は混んでいた。私達が食べ終えて店を出ようとすると階段の上まで行列ができていて外に出るのに一苦労。でもフォーはたいそう美味しかった。メニューは牛肉のフォーしかなくトッピングが選べるようになっている。卵やパクチーなど。もちろんパクチーは必須だけれど、随分あとまでマスクの中がパクチー臭くて参った。お腹を拵えてから行かないと途中で無気力になってしまうので、この順番は非常に良い選択だった。

池袋はもはやコロナの警戒の気配もない。人の波。隣の席でフォーを食べていた中国語を話す女性が大声で絶え間なく話しているのが怖い。でもワクチン2回めも終わったことだし、以前よりは多少安全かもしれない。

会場は丸善に隣接した道草というギャラリー。ゆったりとした空間の正面に田畑さんの大きな写真が飾られている。見れば見るほどハンサムで、いつも上等なものを好むノンちゃんの審美眼の正しさに脱帽する。気骨のある性格と京都大学の理学部という頭脳とこのお顔では、ノンちゃんが惚れ抜くのは当然のこと。ノンちゃんは夏はほとんど北軽井沢で過ごしていた。精一さんは都内でお仕事。時々北軽井沢の家に精一さんが見える日は、朝からワクワクと乙女のように待ち受けるノンちゃんは本当に可愛かった。

田畑さんの絵本は知っていたけれど、原画を見るのは二回目。絵本になってしまうと印刷の関係で色目が少し違って見える。けれど原画の色のなんと鮮やかなことか。精密な絵筆のあとを辿っていると、スーッと引き込まれそうになるくらいの奥行きを感じる。本当にうまかったのだと改めて感じさせられた。妥協しない性格がありありと見て取れる。息を呑むほどの美しさ。戦争を体験したことで、二度とあのような悲惨なことにならない世界を子どもたちに示したいとの思いから絵本作家になったという。単にかわいい子供向けの絵本とはすこし違う。私達すごい人とお付き合いしてたのねとHさんが言う。ほんとね、いつもスキー宿で飲んでる姿しか知らなかったものねと私。

雪雀連とはそういうグループなのだ。だれもが自分の自慢話をしない。だから彼らがどんなにすごい人達か数年を経てやっと知ることになったりする。黙々と細かい作業を積み重ねていく人たち、好きだなあ、こういう人たち。

昨夜メンバーの一人から電話があって、田畑さんの絵見てきたよ。彼はあんなにいい男だったんだねと。男性の目から見ても文句なしの美男子。そしてもう一人、先日人形作家の岡本喜八さんとアニメーショウと題して国立映画アーカイブで展示会が開かれた故岡本忠成さんのことに言及、岡本さんもすごくいい男だったんだね、あんないい顔しているのに気がつかなかったよとも言う。少し前に岡本さんのドキュメンタリーをNHKで放送した。それを見て私もそう思った。二人共なんといういいお顔なんだろう。スキー場で呑んだくれたり麻雀やっていたりするのしか知らないので、改めてお二人の仕事の素晴らしさを見せられた。

岡本さんの展示会で作業場の動画を見たら一瞬ノンちゃんが出てきた。いつものゆったりと微笑んでいる彼女とは全く違うプロの表情を見て、思わず涙ぐんでしまった。今日会場で田畑さんの近日発売のエッセイを買ってきた。次に北軽井沢に行くときに持っていって、庭の大木の下で眠っているノンちゃんに読んであげようと思っている。









2021年6月25日金曜日

雪雀連夏のコンサート

8月1日(日)午後2時開演


毎年北軽井沢で行われる北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加し始めてから、何年経つのだろうか。雪雀連の会長の山田さんが軽井沢の家と東京の家と半々くらいに暮らし始め、コロナが流行り始めてからは殆ど軽井沢、私も仕事が減って北軽井沢に行かれる日が増えた。以前はほとんどの時間を自宅で過ごし、北軽井沢には一月のうち数日しか行けないことが多かった。この家を買って本当に良かったのかどうか自問したものだったけれど、今となっては正解だったと思っている。

今年4月からは隔週で行けるようになった。ウッドデッキも庭の奥の清流に向かって降りる階段も出来上がった。これから庭の整備をして、花を植えたいと思っている。森は自然のままにしておけばどんどん樹木が伸びてしまうので、一度人の手を入れたいと思っている。積もりに積もった落ち葉を一度吹き飛ばす、木の下枝を伐採するなど、少し大掛かりな清掃作業が必要になる。

ノンちゃんは本当に自然がなすがままにして森の景色を楽しんでいた。私も今の景色が非常に好きで、ここを受け継いだのだけれど、あまりにも花が少ないのが少しさびしい。もう少し華やかさがほしい。若い頃目のさめるようなオレンジ色のワンピースを着ていたら、他人から言われた。「本当に派手好きなのね」

こういうのを派手好きというの?とにかくきれいな華やかな色がすき。もっとも普段はブルーのものばかり身近に置くけれど。色を決めるのにまずはブルー、そしてグリーン、ピンクとかオレンジとかも。

ロンドンアンサンブルの人たちと箱根に遊びに行ったとき、ケーブルカーの信号を見て「なぜ日本人は信号の緑(グリーン)を青(ブルー)というのか、これは緑だ」としつこくチェリストのトーマスに絡まれたことがあった。彼らは曖昧なことは許さない。日本人はグリーンもブルー系として受け入れてしまう。国民性の違いを面白いと思った。

懐かしいなあ。ピアニストの松村美智子さんが亡くなって、アンサンブルは解散してしまった。毎年小田原公演だけ私がヴィオリストとして参加させてもらっていた。オーケストラの様々な曲を5人で演奏するように美智子さんの夫のリチャードさんが編曲して大わらわで演奏したものだった。人数が少ないからオーケストラの他の楽器の分まで弾かないといけない。難しいのなんのって、頭から湯気が出そうだったけれど、本当に面白かった。ロンドンアンサンブルはリチャードさんという有能な編曲者がいたからいいけれど、雪雀連の私にはそんな才能はない。だからチェリストのいない雪雀連はコントラバスが縦横無尽に活躍する。

チェロがいなくても、Hさんという女流コンバス奏者の草分け的存在がいるのでなんでもござれなのだ。私がオーケストラに入った当時、女性のコンバス奏者は数えるほどしか居なかった。その中でも颯爽と登場したのがイタリア帰りのHさん。彼女は結婚してお嬢さんが生まれ、スキーにアンサンブルにとずっと私達の仲間でいてくれた。チェリストを探すのもいいけれど、コンバスの魅力が十分に聴ける今のままの形態でいいのではと私は思っている。編成はピアノ、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、コントラバス。実際海外ではこの編成の団体が活躍している。

今年のプログラムは

第一部  バロック音楽を楽しもう 

バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどを聴いてもらうことにした。ヴィヴァルディは2本のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調3-11。テレマンのヴィオラ協奏曲は私がヴィオラで演奏させてもらうことにした。以前からこの曲が好きでヴィオラ奏者に弾いてもらおうと用意してあった楽譜を弾いていたら、こんなに素敵な曲を他人にとられてなるものか、自分で弾きたい!となって私がぶんどった次第。これはディレクターである私の役得なのだ。

第二部  様々なジャンルを楽しもう

バロックより近代に向けて進行。日本のうたなども含めてのリラックスタイム。電子チェンバロでヘンデルの調子の良い鍛冶屋、今までもよくプログラムに入れたロッシーニのソナタなど。私の独断と偏見に満ちたプログラムになった。実に素晴らしい曲ばかりなので、遠い北軽井沢まで来てくださろうという奇特なお方の出現を期待しております。毎回来てくださる方もいて、もう感激。

面白いのは今回入場料金はなし。お金を扱うのがコロナ的に良くないという事情なので。それはちと寂しいというので、お賽銭箱オット!投げ銭箱を用意。ご奇特な方がいらしたらチャリンと投げ込んでいただこうと言う了見。なるべくいい音のするワンコインがいいなあ。1円では音もしないから5円以上。もちろん投げ銭無しでもお楽しみいただけます。でも良心が痛むでしょう?え、痛まないって?むしろ遠くまで行って聴いてやるからありがたく思えって?本当にありがとうございます・・・と先にお礼を言われては行かないわけにはいかないでしょう?90歳超えた山田会長も2回めのワクチンが終わり、来てくださるそうだから張り切って練習に入れます。






 


2021年6月16日水曜日

副反応

昨日は腕が腕が重く、肩から肘にかけて1回目のワクチン接種時よりも痛みが大きかった。しかし今朝目が覚めるとその痛みは消えて、代わりにやや熱っぽいかなと思えた。体温を測ると36・4度。平熱。それにしては気分が良くないと思ったら、もしかしたら、熱中症になりかけ? 私は毎年軽度の熱中症にかかって、気分が悪くなる。

それでも起床して朝食を食べる頃には気分が改善されてきた。いつもより元気と思えるくらいになったので安心した。午前10時ころ、野良たちの餌が底をついてきたので買い物にでかけた。野良たちは最近贅沢になってきて、美味しい餌でないと召し上がっていただけない。端女としては冷や汗をかきながらお気に入りの餌を買いに走り回る。家猫はもっと高級な餌をほんの少し口をつけて、半分くらい残す。なぜお気に召さないか訊くと、だっていつも同じだからとふくれっ面をする。困ったものです。

それで雨の中車を運転してスーパーへでかけた。なぜか頭が重い。雷がなったし低気圧が来ているのだ。ああ、ワクチン接種の副作用が出ているのかもしれない。キャッツフードを山ほど買い込んで、人間用はほんの少しだけ。猫の餌と人の餌とどちらがお金を使っているのかしら。こんど計算してみようなどと無駄なことを考えながら車を自宅駐車場に入れた頃、言いようのない倦怠感が襲ってきた。

私の車が帰ると野良たちが飛んでくる。いつもならそこでしばらく遊んだりブラッシングをしたり相手をするのに、今日はそんな気分になれない。おあいそにちょっと頭をなでて荷物を運ぼうと思ったら手に力が入らない。キャッツフードは今まで小分けの袋に入ったカリカリを食べさせていたけれど、あまりにも野良の食欲が旺盛であっという間になくなってしまうから、今日から1.8キロ入りの大きな袋に換えた。それが2つ、3.6キロ、あとはパウチの柔らかい餌を大量に買ってきた。それでも重さは合わせて4キロくらい。以前は缶詰だったのでものすごく重かった。

あとは僅かな人間の餌。それを小分けにして運ぶのに、普段なら2往復で済むところなのに3往復。しかも2階までの階段が上がれない。びっくりした。ほんの30分くらいの間に体調が急激に悪くなったようなので。這うように家に入ってこれはどうしたことかと考えた。これはワクチンのせい?。少し吐き気がするのはお腹が空きすぎて?昼食をとらずにでかけたのでスーパーの中にあるレストランで食べようかと思ったけれど、昨夜電話してきた人から「ワクチンをうったからと言って油断してはいけない、今まで通りの感染対策をしてください」と言われたのを思い出した。外で食べるのは危険度が増すから家まで我慢しよう。

なぜか普段買わないインスタントラーメンを買ってきたので、それを作って食べるとベッドに転がり込んでそのまま寝込んでしまった。目が覚めると遅い午後になっていて気分は改善されていた。本当に脱力感で力が入らなかった手足に感覚が戻ってきた。その後気分は急速に良くなった。今はもう大丈夫。単なる疲労なのかワクチンのせいなのかはっきりしないけれど、こんな感じの症状は初めてだったから、多分これが副反応というものだと思う。中にはひどく悪い症状になる人もいるらしいから、この程度で過ぎてよかった。

小さなウイルスに人が翻弄されている。個人の生活はもとより国家の経済まで圧迫、社会の構造を変えるきっかけになるほどの力を持っているコロナ肺炎。今後も次々に新型のウイルスに人類は翻弄され続けるのだろう。ワクチン接種後2週間位は効果が出ないそうだからまだじっと我慢。







ふざけた人生

 コロナのワクチンを打つ前に問診票に記入する。例えば今まで薬でアレルギーがあったとか、注射で具合が悪くなったことがあったとか、問題があったときには申告しないといけない。それは医師の側からすれば後で問題が起きないようにという配慮なのだけれど、私が少しためらったのが20年ほど前、狂犬病の予防注射で発熱したことを言うべきかどうかだった。よりによって狂犬病?日本で狂犬病は絶滅しているのに?このばあさん、なに冗談言ってるの?みたいな反応をされないかと思ったから申告しないでもいいかと思ったけれど、一応言っておいたほうがいいだろうと思ったので書き込んでおいた。でも見事に無視された。

それはそうだ、狂犬病なんて!でも世界で本当に安心なのは日本だけかもしれないのですよ。

1回目のワクチン接種時のときはためらったので白紙にしておいたら訊かれたから、チベットに行く前に受けましたと申告した。けれど医師も看護師も格別興味は示さなかった。これも嘘だ~い!と思ったのかもしれない。このようにいつもちょっと変な生活を送っているのでいちいち説明しなければならないのが煩わしい。狂犬病の予防注射を受けるには特別な病院へ行かないといけない。私の場合は新横浜の伝染病予防の専門科がある病院へ行った。世界の僻地に赴任する人たちはこういうところで予防注射を受けるのだろう。

日本人は特に清潔で、今までは大した伝染病も流行らなかったからのんきに構えている。けれど今度のコロナ禍のように今後も何が起こるかわからないのだから、そういった専門医を知っておいたほうがいいかもしれない。そこでは高山病の予防薬と治療薬も出してくれたけれど、中国人のガイドさんの「大丈夫、大丈夫」の連呼に騙されて飲まなかったら見事に高山病でひっくり返った。一晩中酸素ボンベで酸素吸入をして次の朝5000メートル級の山越えをするというからホテルの医師に相談したら、血中酸素量の検査をして「大丈夫」とお墨付きが出た。その時の数値が76%。帰ってから調べたら、平常値は99%~96%だからとんでもなく危ない数値だったことがわかった。もう少しで命を落とすところだった。

呼吸はかすかになり数メートル歩くこともやっと。本当に苦しかったけれど、現地の人の大丈夫に騙されて無事に還って来た。なんでも心配しないほうがいいのだとその時思った。心配しながら歩くのと、大丈夫と思って歩くのでは気分が違う。万一命を落としたらそのまま感覚がなくなるわけで苦しさも消える。ラインホルト・メスナーという人がいる。1986年、人類初の無酸素で8000メートル級の全山登頂を成し遂げた。写真を見るとちょっと原始的な感じの男。こういう男が私好み。おっと脇道にそれた。

中国人運転手の車の運転もすごかった。カーブで前が見えないのに突っ込んでいく。曲がった途端に対向車がすれすれに避けていくことが何度もあった。最近You Tubeの中国の動画でよく見る信じられない運転、あれは事実なのだと経験者は語る。中国人のお得意のセリフは大丈夫。そう、なんでも大丈夫なのよ。死んじまったらちょっと運悪かったねといえばいい。こういうのも私好みなのだ。とにかく面白かった。また行きたいけれどコロナが・・・

モンゴルで馬から落ちて紫色に腫れ上がった顔で帰国したことがあった。その顔でその数日日後、ニュージーランドから帰ってきたスキー仲間を空港に出迎えに行った。同じ仲間で成田空港に迎えに来た人が私とわからずウロウロしていたこともあった。こちらはその人のヤッケ姿しか知らず背広姿を見たことがなく、似ているけど違う人という認識で見過ごした。相手も私の顔にあんな大きな痣はないからと見逃して、結局お互いに気がつくまでたいそう時間がかかった。私の周りをウロウロしてチラ見してくる変な人がいるなと思っていた。飛行機から降りてきた連中が大笑い。やっといつもの仲間だとわかった。

ずっとふざけながら暮らしてきたので高齢になっても性格は治らない。ネットで最近見つけた言葉がある。宗教で来世の天国を願うなら現世を天国のように楽しく暮せばいい。なんだ私の考えと一緒じゃない。でも実際は常に天国のように暮らしてきたわけではない。そのためにつらい仕事もやってきたし、本気で勉強しないと仕事はもらえない。ちゃらんぽらんでいられるには本気の部分はまさしく本気。その落差が又面白い。確かに私はよく他人に言われるように幸運だった。言わせてもらえるなら幸運は運が8割、あとの2割は自分で作るものなのですよ。そこらに転がっているわけではない。恐れない、妬まない、ずるいことをしない。それが幸運のもと。特にずるいのはだめ。

さて、昨日受けた予防接種で腕の筋肉が痛くなったけれど、重大な副反応はまだ出ていない。今朝は平熱、腕のいたみもすでにやわらいでいる。やはり歳を取ると副反応も出なくなるらしい。狂犬病で熱を出した頃が懐かしい。






2021年6月15日火曜日

コロナワクチン接種2回めと夏のコンサート

今朝ワクチン接種2回め終了。 なんでも始まれば終わりがあるものだと感無量。しかしながら私達高齢者よりもこのワクチンが必要なのは働き盛りの青年~中高年。申し訳ない。まだ副反応は出ない。

接種はなぜ働き盛りを優先しないのかと訊いたら、それは政治家は票がほしいからだと物知りさんの答えが返ってきた。要するに若者が選挙に投票しに行くよりも中高年の投票率のほうが高いので、票の集まる高齢者のご機嫌取りだそうだ。票のためには死なれちゃ困るってわけ。

今頃になって企業ぐるみや家族ぐるみのワクチン接種が始まった。最初からサークルで接種すればいいのにと私は思っていた。せっかく家族の一人が・・・例えばおじいちゃんがワクチンを受けても息子が感染してきたら家族が危険にさらされる。だから地域ぐるみとか学校全体でというのが望ましいのは、予約のとりにくさ(鶏肉差この変換すてき!)から言っても理にかなっていると思いませんか。個人個人でパソコンやスマホ未経験者が予約するのは至難の業なのに、あえてそれをやらせる。しかもお役所にもパソコン使えない人が居るらしいから、その人達のためにもまとまった単位で専門家が予約できるようにすればいい。

そんなことすら考えつかないというのは情けない。私の地域のネット予約は初日始まって2,3分でパンクしたらしい。たまたま私は復活した瞬間に手続きをしたのであっという間に取れたけれど、今日2回めのワクチン接種に行ったら、病院には他人の名前で入っていた。しかし私に送られてきた接種券はちゃんと私宛だから、どうなっちゃってるの?このために役所の職員がどれほど苦労したことか。いやはやご苦労さまです。

1回目2回目と別に取るようになっていたけれど、最初から2回分予約すればいいのになぜ分けるのか理解に苦しむ。そのために私の2回めが別人の名前になっていたのだ。ぐちぐち言うのはもう、うんざりだけれど、やはり行き着くのは企画力の貧しさ。普通に考えたら一番かんたんな方法が一番間違えなくことは迅速に済む。なぜ単純な方法を取らないのか。

でも本当にホッとしました。これで自宅の駐車場で野良に餌やりするときにマスクを付けなくても後ろめたくなくなった。立ち話もワクチン済みだからと言えば少し長めにできるというもの。Tシャツにワクチン2回済と書いて着ようかしら。というのも、今朝病院に行くときにマスクを付けないで出てしまったので。途中で気がついてバッグから取り出してつけたけれど、おっさんがこちらを睨んでいたのでつけていないことに気がついた。バッグには必ずマスクを入れておくことにしていたので助かった。

夏のコンサートは例年通り北軽井沢で8月1日(日曜日)に行われることとなった。北軽井沢にはミュージックホールがあって、そこでのフェスティヴァルが恒例だった。私達スキーの仲間の「雪雀連」には数人のミュージシャンがいる。ノンちゃんが北軽井沢に家を建てて私がそこに遊びに行くようになってから、毎年の行事として定着したけれど、去年はせっかくの企画もコロナのせいで流れてしまって残念な思いをした。今年は規模を縮小して去年エントリーしたグループだけが申し込めることになった。

このミュージックホールというのは、桐朋学園のオーケストラの合宿所として使われていた。シャッターを開ければすぐに中庭になる野外コンサートのホールに屋根がついただけのような広いステージ。中庭をぐるりと取り囲んで練習室があり、こけら落としには秋山和慶さん指揮でマーラーの5番が演奏されたという。使われなくなって朽ち果てそうなこの建物を地元の有志が保存に協力して、このフェスティバルが始まった。音響はいい。ピアノはグランドが2台。けれどなんと言ってもシャッターを開けるといきなり外。これはすごい!

もちろんエアコンはなし。ある年にはセミの大合唱、あるときには突然の雷雨、雨上がりに日がさすとすごい湿気。私の楽器は膠が剥がれて散々なことになった。激しい雨のときにはトタン屋根に雨があたってすごい音が聞こえる。しかし、こういうキャベツ畑の中にも文化的な遺産を残そうという地元の人たちの意気に感じて、協力することにした。なんと言ってもノンちゃんの家で皆、さんざん遊ばせてもらったのだから。

一昨年はフィンランドと日本の国交樹立100年というのでチェリストの舘野氏の主催するコンサートに参加した。その時の曲などを中心にしてフィンランドに似ているという北軽井沢の地にシベリウスの曲を響かせようと思ったけれど、コロナで中止。今年はバロック音楽で決めてみようかと思う。ヨーロッパ音楽の基礎を築き上げたバッハ、ヘンデルなどだれでも知っているポピュラーな曲を楽しんで貰う予定。例えばヴィヴァルディの2台のヴァイオリンの協奏曲やパッヘルベルのカノンなど。ただしメンバーは5人。メンバーはまだ少なめに抑えないといけないけれど、全員高齢者なので本番にはワクチン済となると思う。「雪雀連」は「安全地帯」

ワクチンの2回めが終わるまではなにかと落ち着かなかったけれど、やっとコンサートに向き合えるようになった。おかげで少し生きるのぞみが湧いてきた。私達は演奏していないと呼吸困難になるのですよ。











2021年6月4日金曜日

木との対話

なるべく人のいない所に いたいので、夜明けの光を感じるとすぐ車を走らせる。まっしぐらに北軽井沢の森に向かう。高速をおりると街中を通らずゴルフ場の間の道を抜けて山を登って我が家に到着する。必要なものはすべて車に積み込んであるから、あとは猫と二人ひっそりと暮らす。時々職人さんが来て庭の工事をする以外は人にお目にかかることはない。

新しいベランダができて見違えるように広く感じる。たった数十センチ広くしただけで、部屋から外を見るとゆったりした気分になる。いままでドデンとキッチンに居座っていた邪魔な食器棚を撤去して低めの食器棚を置くと、それだけで日差しと風通しが良くなる。こんなにも違うものかとびっくりした。

そして待ちに待った庭の下に流れる川まで降りられる階段が出来上がった。丸太を並べて手すりを附けただけの素朴な階段は雑木林にぴったり。作業する工務店さんは出入りの電気屋さんが紹介してくれたので、一生懸命に仕事をしてくれる。庭の奥は急な傾斜なので今までは川まで降りることができなかった。夏はいつも水の音だけ聞いていた。冬になって落葉樹が葉を落とすと、やっと姿が見える。階段ができたのでその川辺まで降りてみると、天然のクレソンが群生している。それでこの清流で山葵やクレソン、水芭蕉などが栽培できないかと訊いてみると、工務店さんは「天然のクレソンは毒があるのでおすすめしない」と。又「わさびや水芭蕉は水の流れが早すぎて育たないでしょう。もし栽培したいなら淀みを作ってあげることです」と言う。そのあたりにゴロゴロしている溶岩を一つドボンと川に投げ込めばかんたんによどみができそうだと思ったけれど、溶岩の塊は重くて容易には動かせない。さて、どうしたものか。

家だけでなく庭に手をつけるとなると際限なく夢が広がっていく。殺風景な保護林は水源を守るために規制があってやたら木を切ってはいけない。反対にやたらな木を植えてもいけないのだと思う。自然保護の最低限な線を超えてはいけない。植物の知識のない私には予想もつかない自然のルールというものがあるに違いない。手始めに雑木だけの庭に少しだけ花をさかせる木がほしい。紫陽花、躑躅などは?と訊くと「紫陽花は腐葉土が多いこの地面には根がつかないかもしれない。躑躅ならいいでしょうと。

私が子供の頃育った家は、四季それぞれの花が咲く庭があった。祖父が風流人だった。庭の真ん中に大きな牡丹の株、それを取り巻くように松の木や池があってその周りには千両、万両という丈の低い花木が植えられていた。ユスラウメや梅の古木、イチイの垣根、ゆずの木など。離れに続く廊下脇には3本の棕櫚の木。広い裏庭はぶどう棚、花が綺麗だったリンゴの木の実は食べる前に大きくならず落ちてしまった。びわの木が数本、竹やぶでは竹の子がとれた。薄暗い厠のそばにはお決まりの南天の木、欅の巨木は今、姉の家の庭に切り株を残している。

子供の頃に育った環境は年をとっても染み付いている。しかし北軽井沢の気象条件とはあまりにも違う。はじめてこの家を訪れたとき、子供時代の家の裏庭を思い出したけれど、色とりどりだったその庭とはあまりにも色彩が違う。春から秋の初めまでは緑一色、それはそれは美しい。けれど自分で手がいれられるとなると、少しは花が欲しい。花のことはおいおい考えるとして、気になったのはノンちゃんがこの上なく愛した巨木が2本。年齢はわからないけれど、大きく広げた枝の中に葉がついていない枝が数本ある。この枝たちはもう枯れてしまっているのだろう。万一枯れ枝が折れて下の道に落ちたら大事故になる危険性がある。それも工務店さんに依頼して切ってもらうことにした。

その作業は私がいない間に終わっていたので見ていないけれど、かなり危ない作業だったようだ。特に庭の主である大木の枝の一本は、いつも私が車を止めている真上にあった。その枝にほんの少し刃を入れた途端、ドサリと落ちたらしい。当たれば命にかかわる程の太い枝。本当に危険だったのだ。台風が来る前には切ってね、なんてのんきに言っていたけれど、今切っていなかったら大事になっていたかもしれない。私の真っ黄色なパパゲーノが潰れていたかもしれない。それよりも真下を人が通って大怪我!なんてことにならないで本当に良かった。

森の中に住む以上、木との付き合いは大切。今まで動物のことばかり考えていたけれど、これからは木の言葉に耳を傾けようと思っている。花はほどほどに、木のお邪魔をしないように控えめに数本もあればいい。







2021年5月26日水曜日

予後

 一夜明けて、世はすべてこともなし。

ワクチン接種後だんだん腕が痛くなってきたから、これは副反応、腕が腫れ上がったり熱が出たりしたらどうすればいいのかと思っていたけれど、痛かったのはその日の夜まで。今朝目が覚めたらけろりと治っていた。とりあえず1回目のワクチン接種ができて安心したのか、いつにもなく熟睡できたらしく、全てスッキリとしていた。腕は横に上がらなかったけれど、ヴァイオリンを弾く体勢を取ると全く痛まない。どこまでもヴァイオリンを弾くことは体にいいのだと妙に感心した。けれど2回めとなるとそうはいかないらしい。1回目よりも更に反応が大きいというから気持ちの準備だけはしておこう。

昨日はワクチン接種後ということで、あまり激しく動いてはいけないという良い口実ができたから、思い切り怠けられた。普段はぼんやり怠けていると、気持ちは後ろめたい。なぜこうなってしまうのかしら。だれでも自分の中に驚くほど勤勉な部分と、休みたい気持ちがあると思う。私の場合は怠け者7割、勤勉で恐ろしく集中するところが2割、あとの残りは半分勤勉半分怠け者。

大学時代、友人の別荘に泊まり込んでいた。野尻湖の湖畔にあって外国の老婦人がゆったりと木陰の籘椅子に座っていた。その姿を見たとき「あんな老後が送りたい」とつぶやいたら友人が笑っていた。まだ19歳くらいだったから、友人たちは老後のことなど考えもしなかったと思う。けれど、私はいつもはるか先の年齢のことを考えていたようだ。

若い頃猛烈に働いたのもゆったりとした老後が送りたかったから。老後と言われる年になったら、実際にはゆったりとできないことがわかったけれど。理想はオオナマケモノのように数時間でもじっとして木にぶら下がっていること。飛んできた虫をパクリと食べると、あとは次の獲物が飛んでくるまで待つ。なんて幸せなの!

そういう私の姿を間近で見ている人たちの目には、私は保護するべきものと映るらしい。おかげで皆さんにお世話になっている。ちょっと頭の弱い虚弱な年寄と思うらしい。実際そうなんだけれど。そこが思うつぼで知らない人まで荷物を持ってくれる、スーパーのお姉さんはカゴを運んでくれる、お兄さんは重たい水や猫砂などをカートに積んでくれる。家に帰ってその荷物を持ってえいや!とばかり階段をのぼる姿は見せられない。

そんなわけで、昨日午後はずっと映画を見ていた。「リリーのすべて(The Danish Girl)」デンマーク・コペンハーゲン。主人公リリーはゲルダのもと夫のアイナー。二人は画家夫婦。実は彼は性同一性障害者で、妻を深く愛しているものの自分が男であることに耐えられない。ゲルダはそんな夫を励ましアイナーとしてでなくリリーとして生きたいという夫を助け、リリーは性転換手術を受けて女性となる。しかしその手術の予後は悪く、彼はゲルダに見守られて死んでゆく。美しくも哀れな物語。

画面が美しい。二人の作品である絵も美しい。リリー役の俳優の物静かな振る舞いが生き生きとしたゲルダと対照的で、心を揺さぶられる。決して大げさな苦悩の表情をしないから、なおさら彼の深い悲しみが伝わってくる。近来まれなほど感動した。アマゾン・プライムヴィデオでは、様々な古い映画や日本ではマイナーな映画などが見られて、その中でも秀逸ではないかと思う。決して劇場にまで足を運ぶことはなかったと思うけれど、こうしてみると映画館まで観に行けばよかったと思う。









2021年5月25日火曜日

ワクチン接種1回目

 今朝ワクチンうちました。肩のすぐ下、チクッとしますよという医師の言葉に身構えたけれど、なんと言うことなくチクリともしない。手がしびれませんかと言われてもなんのことはなく終わった。元々痛みには強い。赤ん坊の頃から虚弱児、予防注射やペニシリンはお友達。一切泣くこともなく、良い子だと褒められても単に鈍かっただけ。終戦間近の買い出しで、じゃが芋を詰めたリュックサックを背負った人たちで混み合った電車の中にぎゅうぎゅう詰められてもニコニコしていたらしいから、馬鹿なんじゃないのと自分で思う。

幼児期の写真はいつもキョトンと大きな目を見開いて、あたりを見回しているらしきものばかり。それもほんの僅か、両親は一番上の姉をお姫様のように育て、記念写真はいっぱいある。しかもプロの写真やさんが撮っているのだ。兄はがくんと写真の枚数が減り、二番目の兄は池に落ちて泣いている醜い写真くらいしかない。最後の私に至ってはほぼ全滅。他の者達の添え物としてだけしか写っていない。フィルムがもったいないから一人でなんて撮ってはもらえなかった。

今日は30分かけてテクテクと歩いて、予約したクリニックにでかけた。予約開始の初日、朝から午前中まで試してみたけれど電話もネットも繋がらず。あとで聞くところによれば、開始から数分でネットがパンクしていたらしい。そうとは知らず午前中無駄に悪あがきをした。諦めて日常の生活を送って午後6時ころ、何気なくアクセスしたらぱっとつながった。ニュースではちょうどその頃回線が回復したらしい。だからラッキーといえばラッキーだけれど、そうとも知らずずーっと努力していた人たちは本当に気の毒だった。だめならだめと通知すればいいのに・・・グチグチ・・・いつもの怒りがふつふつとこみ上げる。テレビでもそういうことを言えばいいのにとも思った。繋がりませんばかり言っていないで、今なら取れます!とかなんとか。

最初の予約をとったとき、6月15日から2回めが予約できますと出たから「ああ、そうなのか、2回めもとれるんだ」と思って手続きをしてしまった。同時に2回分取れたので一安心したら、全く別のページに2回目は取らないでくださいと書いてあった。慌てて2回めをキャンセルしようとしても、それをキャンセルするにはせっかく手に入れた1回目もキャンセルしないといけないようになっていた。精魂尽きていたのにまたこの時点で同じ作業をしなければならないのだ。なぜ片方ずつ訂正できないのかわからない。とりあえず1回目だけは保存して2回目はなにか役所から言ってきたら対処しようと思って保存しておいたら、正式の接種表が2回めの分も届いた。ならいいんじゃない。わけわからん。2回目は予約してはいけないと、その同じページにどうして書かないのだろう。

今朝行ったクリニックでは、1回目を注射した時点で2回めの予約を取るようになっていたらしい。それが私はもう2回目は他に予約してあると言ったら、看護師が、ヒエッ!というような素っ頓狂な声を上げたので、やはり悪いことをしたらしい。ありがとうございますと言ってそそくさと逃げてきた。

副作用が出ると聞いていたけれど、今のところ腫れも倦怠感も特にない。以前チベットに旅行するために狂犬病のワクチンを打ったことがある。そのときには次の日から3日間くらい熱が出た。ただそれがワクチンのせいなのか風邪なのか知恵熱なのかは、はっきりしない。高山病の予防薬とか、色々あって薬をどっさり持参したけれど、結局ひどい高山病になった。毎年日本人は高山病で死んでいますよ、とは予防注射をしてくれた医師の言葉。あまり世の中にはしられていないらしいけれど、スキューバダイビングや高山病で亡くなる人は多いらしい。狂犬病とは言われなかったけれど、狂犬病が安心なのは世界でも日本くらいしかないらしい。しかもこの病気は確実に死に至る病だという、しかも苦しいらしい。コロナも苦しいらしい。

こういう禍々しい病が流行って、時々人数を淘汰しているのではないかと自然の摂理は恐ろしい。私の長い人生の中で、こんな怖い病気は初めて。スペイン風邪、サーズは対岸の火事だったけれど、コロナ新型肺炎はもう誰もが隣の人を怪しいとみなすくらい身近なものになっている。しかも変異株が次々と現れて、今回のワクチンがパーフェクトであるとは言えないのではないか。この先ずっとマスクをして暮らすのは私のようなオヘチャにはありがたいけれど、美貌を誇る人たちは早く外して顔を出したいかもしれない。初対面の人などは目だけしか見えないから、マスクを外したら案外ハンサムだったり意外とブサイクだったり、今後の展開も面白い。病が去って素顔になるころ、私はファンデーションくらい塗ることにしよう。それまでは猫みたいに顔を洗うだけ。楽でいいけど・・・ああ、しんどい。







2021年5月24日月曜日

可哀相なヘビさん

気持ちの良い日曜日、素敵なカフェでのコンサートは無事終了。開け放った窓から爽やかな風が吹き渡り、気温も湿度も申し分なく、お客様からの温かい拍手を頂いた。帰宅して聞いたのは網戸を開けて逃げ出した巨大ニシキヘビが捕獲されたというニュースだった。随分探し回ったのに結局自宅の天井裏にいたという。

アミメニシキヘビはやっと保護された。あんなに大きな蛇と同居するには どれだけ平常の生活を我慢しなければならないのだろうと、飼い主に聞いてみたい。案外無口な蛇は飼いやすいのかもしれない。保護された映像では少しグンニャリしていて元気がなさそうなので、逃走中は食事も摂れず寒さは寒しで飼い主がすぐ下にいるのに帰れず怯えていたかもしれない。とりあえず元気で近所の動物にも被害がなくてよかった。

しかし天井裏から音がするのを聞いた隣人は怖かったろうと思う。ちょっとした隙間からチロチロと舌が見えたりしたら心臓麻痺を起こしそう。爬虫類好きの気持ちを理解したいけれど、私には全くできない。蛇を飼うのが子供時代からの夢だったという飼い主さんは、夢を叶えたおかげで今後色々罰金の支払いとか大変だと思う。しかし彼のことを悪く言う人は少ない。それは最初からの彼の態度が心底反省しているように見えたからであり、蛇への愛情がよく汲み取れたからであり、どこぞの国の政治家さんたちの態度とは月とスッポンだったから。

平気で嘘をつく人たちがいる。厚顔無恥、どの面下げて、白を黒と言い急に物忘れをしたりするのか。国民の過半数から疎まれいるのに、命よりも経済が優先される。私達の命はオリンピックよりも軽いのだ。それに比べて蛇の飼い主さんは仕事も休み、毎日謝りながら必死で捜索していた。ただ自宅の天井裏を探さなかったのはなぜなのか知りたい。隣人は蛇が逃げてからわりとすぐ、上から物音がすると言っていたらしいのに。

蛇は温かい密林あたりでのうのうと暮らすはずだったのに、狭い日本の小さな部屋のケージの中で過ごす毎日。本当に蛇が好きなら飼い主があちらへでかけて、密林で一緒に暮らせばよかったのだ。まず、命の保証はないとは思うけれど。3メートルを超える長いものが部屋をズルズルと歩くことを思うと、鳥肌がたつ。それでも飼いたいと思うなら、動物園の飼育係とか爬虫類専門の水族館に勤務するとかではいけなかったのかしら。やはり自分ひとりの所有蛇でないと我慢できないのか。

だから私は蛇に同情する。不思議なのは、あんな長くて手足のないものになぜ他の動物は恐怖を覚えるのか。見ればきれいな模様もあり、シンプルで毒さえなければ別に嫌悪する理由がないのに。私は本のなかの挿絵に蛇がかいてあったら、その本に触れなくなるくらい怖い。子供の頃は蛇を掴むこともできた。それがいつごろからか恐怖と嫌悪の対象となってしまった。

だから最近は蛇を見ても、これを好きな人もいるのだからきっとなにかいいところがあるに違いないと思おうと努力している。顔を見ると小さな目にチロチロと細い舌、ヌメヌメした肌・・・きゃあ、書いているだけで鳥肌がたつ。子供の頃に何が原因で蛇が苦手になったのか思い出せない。

ところで蛇さん自身は飼い主のことをどう思っていたのだろうか。冷凍のネズミが餌だそうだけれど、それをくれる人だと認識していたのかどうか。目の前に美味しそうな若者がいるのにまずい冷凍ネズミで我慢していられたのはなぜか。ちょっと巻きつけば温かい食事ができたものを。来世には捕まらないようにして暖かいボルネオで暮らすのだよ。

なにか今回のアミメニシキヘビには情が湧いてしまった。これからどこかへ売り渡されて優しい飼い主さんとお別れ。飼い主も反省してすべての蛇を手放すらしい。今後の人生を蛇なしで過ごせるのかな?

時々猫が気持ち悪いという人がいる。私も気持ち悪い。しっぽの長い猫がそれをくねらせるときに猫嫌いの人の気持がわかる。それでも毛がふさふさしているから平気でいられる。それなら蛇も毛があったら可愛く思えるのか。どうだろうか、巨大な毛虫のようなものが向こうから近づいてきたら・・・ウワ~!











2021年5月15日土曜日

年の差演奏会

 あまり長いこと投稿がないと私がコロナで動物病院に入院しているなどと思われるといけないから困った!私は無事です。もう書くことが尽きたというか、話題がコロナばかり。怒りは沸点に達して吹きこぼれてしまいました。ほんとにもう全く、ブツブツブツブツ・・・毎日家にばかりいるので話題が限られてきた。体重は毎日厳重に管理して増えないようにしてはいるものの、体型は明らかにブヨブヨになってきたのが悲しい。それでも・・・

最近の楽しいことは、はつらつとした若き音楽家たちが訪れてくれること。我が家の古ぼけたレッスン室がその時だけ華やぐのが嬉しい。チェロ、ヴィオラ、ピアノと私で演奏することになっているのは、とあるカフェ。大規模なコンサートはできないので客数は予約のみにて10人限定。もういっぱいなので皆さんにお知らせする余裕はなくごめんなさい。でも年の差半世紀の人と共演できるときが来るとは思いもよらなかった。

私を引っ張り出してくれたのはヴィオラのFUMIKOさん。彼女は相変わらずファッショナブルでモデルさん顔負け。チェロの女性はよく笑う明るい人。ピアノはそれこそ半世紀の年齢差で、達者になんでも弾きこなす。若いパワーについ私もノリノリになるけれど、目が霞むし老眼鏡かけて弾くのはいささか気がひける。でもこれが私の健康のもとなのだ。

運転もそうだけれど演奏のテンポ感も私は早めなのでちょうどいい。会場が薄暗いといいのにと私は思う。夜目遠目笠の内でないと年齢差が一目瞭然、なるべく肌の露出のない衣装を選んで着ることになった。しかし暗いと楽譜が見えないし、良し悪しではあるけれど。オーケストラのエキストラであちこちに顔を出していた時期、若いコンミスに言われたことがある。「nekotamaさんは私達と全く同じ。少しも年齢差を感じない」と。喜んでいいものか、悲しむべきなのか、ま、良いほうにとっておきましょう。

私が音大を卒業してオーケストラに入ったとき、エキストラで来ていた人がいた。N響を定年退団した北川さん。初心者の私に様々なことを教えてくださった。「ここの指使いはね、どんなポジションでも同じ指を使って弾くのがいいよ」とか、あたふたしている私に的確な助言を頂いた。それから年を経て出会ったのがお嬢さんの靖子さん。私がお父様にはさんざんお世話になってと言うと、あら、私にはなんにも教えてくれなかったわといささかおかんむりだったけれど、それから長いお付き合いが始まった。最後のメールは彼女がなくなる前日まで続いた。その日私が彼女のメールに返信したら、そのあとプッツリと返信が途絶えた。

私が今若い人に伝えられるほどの知識がないことが悔やまれる。もっといっぱい何かを教えることができたらと思うけれど、ぜめて一緒に弾いて楽しかったと言ってもらえればいいかな。子供のいない私には愛情を注ぐ相手は猫しかいない。こうして時々にでも若者に会うのは、私が以前年上の人たちから頂いた沢山の愛情を彼らに還元しているような気がする。私の知識はとんと役たたずだけれど。

ほんとうのところ書きたいことはいっぱいあるはずなのに、それを思いついたときにすぐ書かないと忘れてしまうのよ。脳みそはもうスッカスカ。頭が軽くなってなかなか良い気持ちです。もうすぐワクチン接種するから動物病院への入院は延期ですのニャ。












2021年5月8日土曜日

スワッテクダサイ

大谷翔平くんの大活躍を連日テレビで見ることができる。スポーツのなかでも特に野球が好きというわけではない私も彼の活躍を楽しみにしている。彼のことを知って以来、私はショウヘイファンなのだ。顔が可愛い、性格が可愛い、足が長い、何をやっても可愛い。

最近はアメリカで片言の日本語を使っての実況中継が聞こえる。翔平君が討ち取った打者に対して「スワッテクダサイ」これはベンチに戻って座っておれということらしい。こう言われては立つ瀬がないこの打者も、苦笑いするっきゃない。一種の怪物。コロナ禍の中での明るい話題はこれしかない。オリンピックが中止になるかもしれないこの時期に、うれしいニュース。テレビ東京のアナウンサー、片言の日本語でと言いながら「シット・ダウン」と片言の英語で解説していたのがおかしい。なに?嫉妬駝運?

スワッテクダサイの反対は立ってください。

私はいつも言うように非常に小柄で、弱い犬ほどよく吠えると言うように気性が荒い。それでよくトラブルを起こす。ある時期、オーケストラに男性の小柄な人がいた。私より少し高いくらいの身長。オーケストラピットでバレエの音楽を演奏することがよくあって、彼はコンサートマスターをつとめていた。

チャイコフスキーの「白鳥の湖」には非常に有名な場面、王子と白鳥の化身のオデット姫との愛のシーンがある。音楽はヴァイオリンとチェロの美しいメロディーでよく知られている。そこに来るとコンサートマスターは立ち上がって演奏するのが、当時の流行りだった。オーケストラピットは客席から低いところにあるので、音が聞こえにくいということもあるし、誰が演奏しているのか見せたいという理由でもあったのだと思う。今はどうなっているのかは知らないけれど。彼はいつも美しく演奏して拍手を浴びていた。

その後私はオーケストラを離れ数十年後、彼に再会した。色々懐かしい思い出話などで彼が話し始めた。「僕はね、白鳥の湖のソロを弾いていた時立って弾いてくださいって言われたんですよ。僕は立って弾いていたのに」

「あら、誰がそんな失礼なことを言ったの?」すると彼は私をじっと見て、人差し指を私の鼻先に突きつけて「あなたですよ」アハハ冷や汗かきました。

言った方は軽い冗談と思っていたけれど、言われた方はずっと覚えていたのだ。私自身は多少の不便はあるものの、小柄なのは苦にならない。けれど人によっては気にする人もいるのだということを忘れていました。ごめんなさい、コンマス様。

若さにかまけて傍若無人に振る舞っていた私。今でもその気はあるものの、今だったらそんなこと・・・うーん、まだ言うかも。口は災いのもと、お気をつけて。

翔平くんは大活躍、それを日本のこととして喜んでいるけれど、彼はもはや日本の枠を超えている。日本という狭い枠にとらわれず純粋に応援したい。まさか私が野球のファンになるなんて思いもよらなかったと言うと語弊がある。野球でなくて翔平ファンなのだ。