2014年9月30日火曜日

突然の訃報

昨日ベッドに横になって携帯のメールのチェックをしたら、友人のご主人の訃報が入っていた。
ビックリして飛び起きて、もう日付が変わっていたけれど、詳細を訊くためにメールの送信者に電話をした。
連絡が上手くいかず、私に連絡があったのは前日の21時ころ。
メールに気がついたのは今日の0時すぎ。
すでにお通夜は過ぎていて、今日お葬式だそうだ。

慌てて喪服を引っ張り出すと、クローゼットで遊ぶねこのお陰で、ワンピースの肩が穴だらけ。
それでも上着を着てしまえば、それは隠れる。
今日は良いお天気で気温も高く、でも肩の穴のお陰で上着が脱げないのはつらい。

そして靴やハンドバッグ一式、お香典など慌ただしく用意した。
いつものことだけれど、黒い服には猫の毛がついていて、これの除去にたいそう時間がかかる。
ようやく毛を取り除いていざ出かけようという段になると、忘れ物を思い出す。
部屋にとって返して用が済んで出かけようとすると、もう、ねこの毛が付着している。
それを又取るのにイライラして、やっと表へ出ると、部屋の中では分からなかったような毛が、日差しの中では良く見える。
そのへんになると諦めてしまうけれど、只でさえ目が悪くて細かいことは見えないのだから、目の良い他人から見たらまだ沢山見えるかも知れない。

お葬式は大勢の人がみえていて、亡くなった方はトローンボーン奏者だったので、金管アンサンブルの演奏もあった。
演奏で死を悼むのは、天国にとても近いように感じる。
奥様は私の古くからの仕事仲間で、しっかりとご挨拶をしていたけれど、さすがにお終いの方では声が震え、嗚咽が漏れそうになるのを堪えているのが、皆の涙を誘った。
故人は15年前に心臓の手術をして、その時に医師からトロンボーンを吹くのは命と引き換えだと言われたのにも拘わらず、今月の15日までしっかりと吹き続けていたという。
そして23日に亡くなられた。
まさに生涯現役だった。
しかし、まだ若い、亡くなるには早すぎた。
先天的な心臓の疾病があったそうな。
それでも、トローンボーンのような大きくて大変な楽器を選んだのは、命と引き換えても良いくらい魅力があったのだろう。
フリーで様々な音楽活動、企画、マネージメントもこなし、演奏家としても立派に最後を全うし、言うことなしの生き様だった。

帰り道一緒に参列した音楽仲間たちと、食事をした。
去年の11月にご主人をなくした友人の話。

ご主人が最後の息を引き取る時に「面白かったわ。ありがとう」と話しかけたという。
音楽家の不安定な生活や重労働に耐えていけるのは、とにかく面白いから。
楽器の演奏はいつまでも完璧にはならないから、生涯を通じて勉強だし、知れば知るほど音楽は奥が深くなっていく。
分け入ってもまだ先がある。
こんな面白いことを生涯を終るまで出来るのは、本当に幸せな事だと思っている。
最近は仕事をリタイアした音楽家たちが、本腰を入れて勉強をし直すのを、目の当たりにする。
私はなまけもので、早くリタイアしたいともう10年ほど前から言い続けている。
それでもやめられないだろうな。
やめてなにするの?と訊かれると、うーん、ヴァイオリンでも弾くか・・・だったりした。




















2014年9月29日月曜日

たまさぶろうの擬態

一昨日は夜通し眠れなかった。
その前日からたまさぶろうがエサを食べなくなった。
そして部屋の隅に行って固まったように寝てばかり。
しかもハイトーンのテノール歌手ばりの鳴き声すら、ここ数日聞いていない。

思えば、たまも、人で言えば、100才を越える。
いつ何時、お別れが来るかもしれないから、覚悟は出来て居た。
しかし、毎晩私の横でベッタリ寝て居たのが、ベッドにも登ってこない。
登ってこないのか登れないのか。
とにかく冷たい床にぺたんと寝たまま、一日中動かない。

歳をとって毛艶も悪く、体の動きも堅くなってしまって、時々ベッドにも登れないときがある。
でも、そんな時は良く観察していると、甘えて私に引っ張り上げてもらいたいから。

そんなことも分かっているから、今回も心配はないとは思いたいが、余りにも鳴かない食べないが続くと、そろそろお別れがと、つい考えてしまう。
一昨日夜中に目が醒めると、私のベッドの下で固まったような姿勢で寝て居る。
思わず「たま、どうした?」声をかけても動かない。
血の気が引くような思いで、そうっと体に触ってみた。
何回か揺すってみると、ほんの少し目を開いた。
よかった!まだ生きてる。

それからは眠れなくなった。
明日朝獣医さんに連れて行こうか。
でも、今まで数十匹のねこを飼って最近思うのは、具合が悪くなって食べなくなったら、もう、そっとしておいてあげた方が良いということ。
先頃亡くなった、なっちゃん。
治療をして、良くなっては具合が悪くなりを繰り返して、最後に治療をやめたら、苦痛もなく天国に旅立った。
それを思うとたまも、この辺で諦めないと。

次の日も1日たまさぶろうは、寝たっきり。
時々揺すってみると薄目を開けて、ちょっと口をにゃあの形にするが、声は出ない。
老衰かもしれないけれど、ほんの3日位前までは、ドア越しにでも聞こえるほどの大音声で鳴いていたのに。

ん、もしかしたら、ここ数日私が少し邪険にしたから?
あまりにもベッタリ張り付かれて、少し疲れていたので膝から追い出したり、ベッドで背中を向けて寝たり、抱っこを拒絶したり・・・

それでご機嫌を取ることにした。
「たまくん元気?」なでたりさすったり。
暫くすると目を開けてにゃあと鳴いた。
それから少し相手をしていると、だんだん声が大きくなって、ついにえさ場に来て食べ始めた。

なあーんだ、拗ねていたのか。
今やすっかり元気で、いつもの大声で鳴いている。
元気になったのはいいけれど、またもや甘ったれ攻勢が始まって、毛繕いしろの、エサよこせだの、抱っこしろだの・・・
際限がない。
全く男ってヤツは。




























2014年9月27日土曜日

アルゲリッチ

生徒が新しい楽器を探していて、今日は世田谷のヴァイオリン工房に。
その前に丁度今日から澁谷で公開される、アルゲリッチの映画を見てから行くことにした。

渋谷駅には計算違いで、映画が始まる1時間も前に着いてしまったので、どこかでコーヒーでも飲もうと立ち寄ったのが、駅近くの喫茶店「トップ」
ここは古くからある喫茶店で、いかにもコーヒー店の主人というタイプの蝶ネクタイのマスターがコーヒーを入れる。
客層も中年過ぎのおじさんたち。
土曜日の午後なのに空いていて、美味しい濃いコーヒーが熱々で出て来る。
目立たない古い建物の地下にあるので、知らない人は通り過ぎてしまう。
店員さんもマニュアルで物を言ったりしないで、途中で上着を羽織ったら、送風が寒ければ停めると言ってくれる。
こんなお店がまだ澁谷にあるのが嬉しい。

さて映画だが、私はアルゲリッチの事をよく知らないので、詳細が掴みにくい。
彼女の娘が撮った映画なので、非常に私的な部分にまで踏み込んでいるものの、登場人物の関係がよく分からないまま終った。

娘が撮ったので、逆に説明の必要がないとでも思ったのかもしれない。
赤の他人が撮ったなら、ここまで彼女の内面にまでは踏み込めなかったかと思う。
天才の孤高な世界がとても身近に感じられた。
「人の高みに登った者は孤独の罰を受ける」という。
何回かの恋で、(元)夫や娘がいてもなお自分自身でしかいられない・・・彼らのために生きるのではなくて、自分の音楽のためにしか生きられない孤独と不安感がにじみ出てくる。
彼女の母親は非常に変わった人で、子供を可愛がったり世話をしたりということが、出来なかった。
会話に時々出て来る、母親への深い思いを淡々と話す。
その様な育ちだから、自分の娘達にも、普通の母親のように接することは出来ない。
それでも娘達は彼女を女神のように崇拝する。

しばしば彼女の顔が大写しになる。
若い頃の美貌はともかく、年老いた彼女は美しい。
表情は時には狷介に、時には童女のように天真爛漫に、時には苦悩に満ちて変化する。
髪の毛はバサバサ、無造作に服を着て、裸足でいることも多い。
それでもなお、眼差しは非常に力強くチャーミング。

そして、その音!
一度聴いたら忘れられない、まるで弦楽器を弾いているかのような、オーケストラではないかと思える様な多彩な音色と響き。
それでいてあくまでも、こんなにピアノそのものである音もない。

運命の神様は私たちに、時々すごい贈り物をしてくれる。
モーツァルトだったりミケランジェロだったりハイフェッツだったり・・・そして彼女もその贈り物の一つだと思う。




































2014年9月26日金曜日

世の中が明るくなった

音楽教室のサキソフォーンの生徒さんに、白内障の手術を受けた人がいる。
彼はまだ若い、若年性?白内障。
自身が医者で、それでも手術を受ける1ヶ月ほど前から憂鬱そうだった。
どんな風な展開になるのか、先が良く分からないというのが、大抵の心配の元。
土壇場になれば、なんだこんなものかと思うけれど。
今どき麻酔の技術も発達しているから、痛みを感じることもない。
危険も少ない。
それでも手術の部位が目というのは、本当に嫌だとお察しする。

彼の先生のサキソフォーン界の大御所のO先生は、情け容赦もなく脅している。
手術前というのに「目に注射するの?」なんて遠慮なく訊く。
いやだろうね、失敗したら見えなくなっちゃうの?もう一度するのはいやだろうね、等々。
それに対し大きな体をすくめながら、気弱そうに答える「患者さん」
かれも患者の気持ちがよくわかる様になって、すごく良いお医者さんになることでしょう。

昨日教室に行ったら、「患者さん」がいた。
「手術は?」と訊いたら「ええ、終りました。世の中が急に明るくなりました」と晴れ晴れとした顔をしている。

それは本当に良かった。
他人事ながら私も嬉しい。
私は今3つの眼鏡を用途によって使い分けている。
これがものすごく煩わしい。
一つは楽譜用に距離を合せたもの。
他はいわゆるシニアグラス。
カタカナでいうと、なぜか少しは良さげに聞こえるけれど、ハッキリ言えば「老眼鏡」
そしてパソコンなどの電子機器の前では、拡大鏡が登場。
大画面で見ているのに更に拡大鏡をかけているのは、目のレンズが曇ってきているから。
時々今日はやけに目が見えないと思ったら、眼鏡を取り違えていることも。

私も手術で良くなるものなら受けたいくらいだけれど、先日眼科で、白内障の手術が出来ないかと掛け合ったら、症状もないのに出来ないと断られてしまった。

今年の夏のコンサートのメンバーが、全員眼鏡使用。
グループ名を「ロウガンズ」にするとかしないとか・・・。

レッスンが終った「患者さん」は足取りも以前より軽くなったようだ。
「世の中がこんなに明るいなんて」と幸せそうに帰って行った。
良かった、良かった!





















2014年9月24日水曜日

当たらない

生涯で一度だけ毛蟹を当てたのが、私の最高賞。
あとは全く当たることがない。
まず、身近なところから。
我が家は居住空間とレッスン室に、階段をはさんで別れている。
それでドアはそれぞれの鍵が必要。
キーホルダーに鍵が2本。
どちらも特徴のない普通の金属の鍵だから、ぱっと見には見分けがつかない。
物置の鍵と3本あって、その内の真ん中のものがレッスン室。
だから三つ折りの皮のキーホルダーを開いて確認すれば、どちらの鍵かはすぐ分かる。
ところが稀代の不精者、開いて確かめる前に当てずっぽうに鍵穴に差し込んでみる。
それが又、殆どはずれ!

いつも外れるから反対側のキーを差し込んでみる。
すると、これも外れ。
要するに、私がやることは常に、外れなのだ。
それはそれは面白いほど外れる。
それでいて、車はよくポールなどに当てる。
これが不思議。
ここで当たり運を使い果たしているようだ。
キーの場合は2本しかないのだから、確率は半々。
なのに、めったに当たりはない。
それほどのくじ運の持ち主だから、宝くじなぞ全くあたらないと信じている。
それで買わない。
人に言わせれば買わなきゃ当たらないと言うけれど、買うだけ損という気がする。
その私が一度だけ、高松で町中をフラフラしていたら、目の前の信号が赤になりかけていた。
渡ってしまおうか、停まろうか・・・でも停まった。
そして何気なく後ろを振り返ると、目に止まったのが宝くじ売り場。
旅先だと少し気が触れてくるから、これは運命なのだと思った。
きっと、当たるに違いない。
生まれて初めて買うから、買い方がわからない。
窓口の人に教えられて10枚、連番で買った。
楽しみにしていたけれど、見事外れ。
それ以来、全く買う事もない。
人生全て当たることがないというのは、良いのか寂しいのか。

やることなすこと全部外れの生涯で終りそうだけれど、案外それは安穏として良いことなのかもしれない。

もし私がもう少し才能があって、世界を飛び回って演奏する羽目になっていたら、それは大変なことだと思うので、毎日あくびしながら食っちゃ寝の「猫の幸せ」を味わえない。

もし私が絶世の美女で、大富豪の3番目の奥さんになれたとしたら、遺産目当ての係争に巻き込まれていたかもしれない。
もし私が凄い頭脳の持ち主だったとしたら、とんでもない発明をして悪さをしていたに違いない。
猫は猫らしく、これからも平和に。


















2014年9月22日月曜日

秋はブラームス

友人Sさんの主宰するピアノコンサート。
代々木上原のムジカーザにて。
音大を卒業してプロとして活躍中の、若きピアニスト達+おばん2人。
GROUP Largoと名付けられて、毎年コンサートがある。
そこに、毎年賛助出演としてお招きに預かって、Sさんと演奏させてもらっている。
今年はブラームス「ピアノとヴァイオリンのソナタ第3番」を弾いた。
この名曲は長いこと私の中では敬遠されていたもので、スケールの大きさ、息の長さ、音量の多様さによって、非常に難しい。
たしかに以前どこかで演奏してはいるが、満足した記憶がない。
特に2楽章の、ほとんどG線で弾くところが、息切れする。
高いポジションを、ヴァイオリンの一番低い弦であるG線で弾くので音色は素敵なのだが、1本の線の中を行ったり来たりするのは音程的に難しいのと、豊かな響きを要求されるので、弓の圧力、スピード、ヴィブラートなど、様々なことをクリアしなければいけない。
それを本番でいかに上手くコントロールできるか。
最近体調を崩してからは、体力、気力ともに衰えて、豊かな音が出ない。
楽器の調子は悪くない。
弓も良い。
悪いのはその持ち主だけ。
リハーサルはまあまあ上手くいった。
体力も少しずつ回復に向かっている。
食べ歩いたりした甲斐があったらしい。

リハーサルから本番の間の時間が長かった。
その間、元生徒が復帰したいと連絡があり、空き時間に会うことにした。
その女性はたいそうエリートの仕事で、世界の超一流大学大学院を卒業して日本に戻ってきた。
アメリカに行く迄教室に来て、私のレッスンを受けていた。
そしてアメリカに行ってからは音沙汰がなく、帰国してもそれこそ国家の中枢に携わるような仕事だから、ヴァイオリンを弾くどころではないと思っていた。
ところが、又復帰したいというので事情を聞くと、笑ってしまった。
留学中にアメリカでヴァイオリンの先生を探して、レッスンに通ったらしい。
ところがその先生がクソ真面目で、ものすごいスパルタだったという。
私とのレッスンは終始笑っていたのに、信じられない程厳しいので大変参ったそうだ。
音階ばかり弾かされて、本当に辛かったと言う。

私はアマチュアでも、もの凄くやる気のある子には、ビシバシレッスンをつける。
特にプロを目指すなら音階は必須。
でも、気晴らしで楽しく教室に来て、ほんの少しヴァイオリンを弾いて楽しもうという人には、私も楽しみながらおしゃべりをしたり2重奏をしたり、殆ど遊びかカウンセリングかみたいなレッスンをする。
そうでないと、厳しい仕事で疲れている人達は、息抜きも出来ない。
その女性が言うことには「先生(私)のレッスンはメッチャ楽しかった」らしい。
私も彼女とはウマが合って、面白かった。
なんと言ってもずば抜けて頭が良いので、説明がすんなり理解してもらえる。
仕事が激務だから、練習はレッスンの時だけなのに、なんなく言われたことをクリアする。

それで最近、あの人はどうしているかしら?と考えていた矢先の連絡だったので、こちらも嬉しかった。
暫くおしゃべりをして時間が過ぎ、さて、私はこれからブラームスという段になって、結構疲れ果てていることに気がついた。
プログラムの一番お終いだから、楽屋は出演者がどんどんいなくなっていく。
イスに腰掛けたまま眠ってしまった。
おそろしいことにアラームも設定していなかったので、気がつかなければ本番まで寝てしまうところだった。
寝起きのまま、ボンヤリ着替えてボーッと出て行くと、なんだかドキドキする。
最近では珍しい緊張感。
やはり眠ってはいけなかった。

そうは言っても演奏時間は迫ってくる。
本番はなんとかいったけれど、弓を持つ手が震えそうでコントロールが難しかった。
ただ、音色は震える寸前が、なぜか一番良い音がする。
良い音がしていたら幸いなのだけれど、どうだったか。






















2014年9月21日日曜日

栗ご飯

五日市街道を車で走っていたら、毎年お馴染み「栗」の看板が見えた。
五日市街道の松庵付近の大きな民家。
石の門に「栗」の看板が掛かっているのを見ると、次の細い路地を右折して、その家の裏手の販売所に。
毎年この時期、看板がいつ掛かるのかと心待ちにしている。

今年の栗は例年よりもできがいいらしい。
立派なLサイズの栗が1ネット1300円。
家に帰って思案した。
栗ご飯にするには数が多すぎる。
半分は栗の入った中華風炒め物に。
半分栗ご飯に。

ところが栗というのは皮を剥くのに難儀する。
ネットで調べれば、簡単に剥く方法はいくらでも出てきそうな気がするけれど、自分で考えてみよう。
猫頭だから未来のことは予測できない。(猫には未来を予測する脳の部位がないそうだ)
半分は人間だから、しばらく考えて、一晩お水に浸けてみた。
今朝、栗はいくぶんフニャッとして、包丁で剥くことが出来た。
本当は丸ごと茹でて剥いてみようかと思ったけれど、そうすると中身に火が通ってしまい、生からお米と一緒に炊きたいので、やめた。
少し傷を付けて、電子レンジでチンもありかとも。
皮に傷をつけないと爆発するかもしれないから、粗忽者の私はつけそこなった物が大抵一つや二つ、大惨事を招きかねない。

中華風炒め物は栗を少し茹でて、ネギ、キノコ類そして豚バラ肉と一緒に炒めた。
オイスターソースを入れて、ふんふん、なかなかの出来映え。

栗ご飯は今炊飯器にセットされて、お昼に炊きあがる予定。
シメジを一緒に入れてみた。
キノコからすごく良い出汁が出るし、多分くりとも相性が良さそうだから。
味付けは酒、みりん、醤油。
中華街で食べ過ぎを反省、先日は友人とのお昼ご飯を少なめにしたのに、今日もたぶん食べ過ぎる。
この食べ過ぎが体調不良の全ての原因ではないか。
これから、ナントカの秋・・・困った。
















2014年9月20日土曜日

イグ・ノーベル賞8年連続受賞

日頃日本人はクソ真面目でユーモアの感覚がないように思われているが、どうしてどうして、今年も又、ユーモアのある研究に贈られるイグ・ノーベル賞を日本人が受賞したとのこと。
私は【粘菌の研究】がすごく印象に残っている。
去年の受賞は「こちら
2012年は「おしゃべり撃退装置
2011年は「わさび警報装置
2010年は「粘菌の研究
このブログを書き始めたのが2010年。
延々と飽きもせず書いています。

「バナナは滑る」証明 北里大教授らにイグ・ノーベル賞 日本人8年連続受賞

9.19 13:07 [科学]
 ユーモアで笑わせた後、なるほどと考えさせる研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の2014年授賞式が18日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で開かれ、物理学賞にバナナの皮の摩擦係数を測定して実際に滑りやすいと証明した北里大の馬渕清資教授ら4人を選んだ。日本人のイグ・ノーベル賞受賞は8年連続。人工関節の研究をしている馬渕さんは「痛みの元になる摩擦を減らす仕組みはバナナの滑りやすさと同じだが、実際に滑りやすさを測定した学術的なデータはなかった」と語った。授賞式でも実際にバナナや人工関節の模型を掲げ、研究内容を歌いながら説明し笑いを誘った。「記事詳細

    2014年9月19日金曜日

    中華街

    もう何回も書いたけれど、ずいぶん以前、松本でのアマデウス合奏団のコンサートがあまりにも楽しかったので、その時のメンバーが時々集まる。
    指揮者兼ソリストの外山滋氏は鬼籍に、他のメンバーも中々消息が分からない中、ヴァイオリン、ヴィオラの数名が連絡を取り合っては飲み歩いている。
    外国で生活していたり、日本にいても多忙(何回も離婚するなど)だったり、東京から遠い人達は参加が難しいけれど、5、6人はいつも集まる。
    そして何故か幹事はいつも私。
    皆、演奏活動は相変わらず盛んでも、ヒラヒラとあちらこちら飛び回って落ち着きなく生活しているのは私で、お店をよく知っていることから、そういうことになってしまう。
    今まで、お蕎麦やさん、イタリアン、フレンチ、中華(日本の)
    など食べ歩いたので、今回は横浜の中華街に足を伸ばすことにした。
    先日、元町のイギリス館でのコンサートの帰り道に立ち寄ったお店が良かったので、今回はそこに皆さんを案内した。
    中華大通りからほんの少し脇道に入ったところにある「獅門酒楼」
    雰囲気も料理も家庭的で、しかも味がすごく洗練されている。
    値段も安いから、ここはお薦めです。

    女5人、騒がしいと周りに迷惑だから、小さい個室を予約。
    なんの気兼ね無しにおしゃべりに花が咲く。
    アンサンブルの名手たちは会話も面白い。
    話し上手で聞き上手、会話がつきない。
    よく食べよく笑う。

    お腹いっぱいになって外に出ても名残惜しいので、又コーヒーを飲みながらしばらく別れを惜しんだ。
    各人は演奏を通じての知り合いだから、あまり私生活に立ち入ったりはしないけれど、ちょっとした会話の中でそれぞれの生い立ちを知ると、戦後の中国で劇的な幼少時代を過ごした人もいる。長年の付き合いなのに今回初めて知って、驚くこともある。
    そして一様に口をそろえて言うことは、私たちがいかに幸せな時代に生きてこられたかということ。
    戦争の怖さを知らず、その後のバブルの時期に仕事に恵まれてやってこられた。
    こうして歳を重ねても健康で楽しく生活出来るのは、私たちの両親の世代の苦労があったから。
    私たちを育てるのに、どれほどの苦労をしたことか。
    そして今の若者達は仕事も減って、世の中もなにかきな臭い。
    これからの日本がどこへ向かうのかがとても心配なのに、人々は選挙の投票にも行かず、変な候補者が相変わらず当選している。
    本気で政治家を選ばないと、大変な事になるかもしれないのに。

    再会を約束してそれぞれの家路に。











    2014年9月18日木曜日

    負けた!

    病気の時に猫の治療法は、なにも食べずに暗闇でジッとしていること。
    それが出来ない私は猫に負けたと書いたけれど、今日はもっと負けたと思ったことがあった。
    食料の買い出しに近所のデパートに行った。
    駐車場に車を停めて中に入ろうとしたとき、変な音のする小さな車が一台。
    やたらに騒がしい。
    でも、暴走族がやるように、マフラーをいじっているとかではなく、エンジン音そのものがなんかやたらに、軽々しくうるさい。
    例えば昔、空冷式の車があったけれど、そんなような音。
    薄暗がりだけれど、ボディーが傷だらけなのは一目瞭然だった。

    私も車は雑に扱って、エンジンとブレーキ、タイヤがちゃんとしていれば、見てくれは全く気にしない。
    つい先日まではバンパーが半分とれかけていたし、トランクの蓋がゆがんでいるので、力の加減によっては上手く閉まらない。
    車体には3カ所に擦り傷が。
    以前はもっと酷くて、初代カローラに乗っていた頃は、左側のドアが半分取れかかっていたことも。
    それ以来10台くらい乗り換えているけれど、相変わらず粗忽で、しょっちゅう擦り傷をこしらえている。

    今日デパートの駐車場で見たその車は、まず、運転席側の車体はグズグズに傷が入って、ボンネットに不思議な紐状のものが出ている。
    どうやらバンパーとその上の部分、そしてボンネットとを停めてあるらしい。
    いかにも几帳面に、まるで飾り糸のようになってはいるが、ボンネットが開いてしまうのを結んでいるようだ。
    持ち主が車から離れた隙に、よく見ようと思ったけれど、挙動不審、車上荒らしと間違えられるといけないから、少し離れたところで見るだけにした。
    本当は前後左右グルッと回って見てきたかった。
    私みたいに擦り傷などを平気で放置する人は日本人には珍しいけれど、こんなに素敵にボコボコの車を見て思わず「負けた!」と思った。

    それに、この車、正体不明。
    見たことのない車だから、相当古いか外国のものか。
    色も見たこともないような、薄いグレイがかった緑色。
    ドライバーはごく地味な普通のお兄さんだけれど、けっこうマニアだったりするかも。
    これも逆の意味で自己顕示なのかしら。






















    2014年9月17日水曜日

    変り目

    今年に入ってから何かと不調が続いた。
    肌のケアをしすぎて顔が赤らんでしまって、それがなおるのに約半年間。
    病気の手始めが、肺がん騒ぎ。
    これは一応シロと決まってほっと一息。
    次は転んで胸骨を痛めたこと。
    それからが様々な症状が続出して、さすがの私も、この世も末と思ったくらい。
    胸骨が痛いので殆ど外出もせず引きこもっていたら、それが良くなかったようで、体に老廃物が溜まる。
    老廃物が溜まると体が自然にそれを排出するために、風邪をひいたりするようになる。
    水分が不足したり食べ過ぎたりすると、必ず風邪をひくので、体ってすごいといつも思う。
    風邪をひいたりお腹を壊したりして食べないでジッとしていると、その後は見違えるように良くなるから、断食なども時々必要なのかも知れない。
    それでも断食はさすがにきついから、中々出来るものではない。
    美味しい物にはどこまでも目がなくて、今も沢山の御菓子を頂いたのを、他人にあげてしまえばいいものを、どうしてもあげられない。
    食後のおやつに一つずつ・・・・これが又老廃物のもと。

    先日の副鼻腔炎も、喉の奥を覗いてもほとんど赤くもなく、腫れも少ないから、近所のお医者さんも軽い風邪の初めだと思っていたようだ。
    私もそれほど大事になるとは思ってもいなかった。
    それが鼻を覗く内視鏡で見たら、ビックリするような大けがだった。
    それで沢山の強力な抗生物質を飲んだ結果、その後はだるくて体中の力が抜けてしまって、歩くバランスもなくなってしまった。
    漸く回復してきたけれど、先週の金曜日にブラームスを弾いたら絶不調!
    まだ本番ではないのにピアノのSさんはパニックになって、4楽章を弾くのやめようかと、言い出す始末。
    でも私たちはずっと仕事をしてきているから、あと1週間もあればなんとか立ち直ると考えている。
    そうでないと仕事は出来ない。
    オーケストラに入った時、先輩から「仕事が休めるのは本人が死んだときだけだから」と言い聞かされた。
    kさんは「オケの仕事をしていたら俺の死に目には会えないぞ」と常々元オケマンのお父さんから言われたそうだ。
    私たちの仕事は現場にいなければ、絶対にできない。
    クラシックのコンサートは練習に長い時間をかけるから、当日人が変わると言うことはあり得ない。
    だから多少の事でも、這ってでも行く。
    熱があっても行って弾くと大抵治ってしまう。

    そんな風に長年やってきたから、まだまだ大丈夫だと思っていたけれど、それは年齢を忘れていたからで、今回はいやというほど思い知らされた。
    体の変わり目なのだ。
    それでも教室の発表会はなんとか無事に終った。
    この次は来週日曜日のブラームスの本番。
    調子は上り坂だけれど、体力がどこまで持つか。

    猫は調子が悪くなると、エサを食べずにジッと隠れている。
    あれが治癒の極意。
    賢い!
    私は、気持ちが悪くても無理に食べる愚か者。
    ここで猫に負けている。
























    2014年9月16日火曜日

    息も絶え絶え

    音楽教室の発表会が終った。
    打ち上げでヘロヘロになって午前様。
    さて、この教室も発足当時よりも恐ろしくレベルアップして、みんな上手くなった。
    生徒達のがんばりは半端でない。
    今日もメンデルスゾーン、ブラームスなどの難しいヴァイオリン協奏曲を弾く人も居て、室内楽も充実してきた。
    伴奏する方は指揮者無しで、難しい曲を伴奏をするので、神経が張り詰める。

    皆それぞれ仕事を持ち、忙しくて楽器の練習どころではないと思うのに、本番間近のがんばりは半端でない。
    仕事や私生活の充実がそのまま、音楽にも反映されて、よくぞここまでやるものだと感心する。
    中には純粋に楽しめば良いという人も居る。
    出来映えはともかく、楽しくステージで演奏するのが目的で、この方が元々の、この教室の姿かとも思う。
    初めの頃のこの教室は殆ど全員がそうだったので、ステージも客席も大笑いしながら、そのまま打ち上げになだれ込む豪快さがあった。

    今回弦楽アンサンブルの演奏も、殊の外上手くいったようだ。
    夏に合宿までやって頑張ってきた成果が出た。
    できの良かった人も不本意だった人もいたけれど、どちらにしてもオリンピックと同じ、参加することに意義がある。

    自分の技量を恥じたりせずに参加してほしい。
    周りを気にせず、マイペースを貫くのはアマチュアの特権だから、もっと、堂々と権利を主張して楽しんでもらいたい。
    とにかくレベルの高い充実した発表会だった。





































    2014年9月12日金曜日

    猫がだんだん増えてゆく

    外猫チャアが行方知れずになったので、暫く三毛猫ミッケ1匹にエサをやっていたけれど、このミッケがとんでもないお調子者で、次々と仲間を引き連れてくる。
    それでただいま、駐車場に来る常連は3匹になってしまった。
    チャアは立派な雄猫だったけれど、ミッケが嫌いでよせつけなかった。
    ミッケはチャアがいなくなってからは、近所のボス猫シロリンと新顔チャイロンを連れてくるようになった。
    チャイロンはまだ若くて、やせ細っている。
    どこかの飼い猫だったのかもしれない。
    あまりノラ風ではない。
    それがミッケとシロリンに多少遠慮しながら、必死でエサを食べている。
    この子が太って元気になったら、シロリンはボスの座を狙われるかも知れない。
    まだ若いからその内捕まえて去勢をしないといけない、大変だあなどと考えている。
    ノラは警戒心が強くて捕獲が難しい。
    それでもこの子くらい飢えていれば、エサに釣られてケージに入るかも。

    前にいたノラは、あまりにも感情移入したために、いなくなったときのショックが大きかった。
    しばらく探し回って数ヶ月も経って、ようやく諦めがついたけれど、未だに思い出す。
    どこでどうやって生きているのだろうか、お腹が空いていないか、寒くはないだろうか・・・などと。
    それでチャアの時には少し冷静にお付き合いしたけれど、それでも心配は変わりない。
    これからは一時期の風景として考えようと思っていても、相手が生き物だから、どうしても感情がこもってしまう。
    これは一番いけない例かもしれない。
    ノラとの付き合いは程々にしないと、まいってしまう。













    飼い主に取りすがる

    こちらは前にも紹介したけれど、評判になった警察犬。
    お手柄で表彰されるときに、緊張して訓練士にしがみついているのが可愛いと、ネットで大人気。




       こちらは初めて外に出て、飼い主にしがみつく猫さん。
               漫画みたいですね。



    こんな風に頼りにされたら、も~う、可愛い!!!

    2014年9月11日木曜日

    音楽なんかねえ

    美容院に大声で話すご婦人がいた。
    息子や孫の自慢、ご自分の趣味の多さ等々を、のべつ幕無しにしゃべっている。
    話の様子だと、どうやらご子息は弁護士さん?
    子供の頃ピアノをやっていて、ピアニストの夢も選択肢の一つ。
    芸大に入ろうと思えば、入れたとか。
    ふんふん、それはすごい!
    娘さんはフランスにいて、お孫さんに会いにフランスへは度々行くらしい。

    とそこまでは、まあ、なんてよろしいことと思っていた。
    息子さんが進路を決めるとき、ピアノをやめて所謂お堅いと言われる方面に進むことにしたら、周りから惜しまれたそうだ。
    「だってねえ、音楽なんかねえ、食べていけないでしょう」

    はいはい、食べていけなくても食べてますよ。
    少なくとも、芸大に入れたら食べていけるでしょう。
    私はもっと3流校だけど、ちゃんと食べてきました。
    芸大に入るのは、東大と同じくらい難しい。
    もしかしたら、それ以上かも。
    勉強できる上、楽器が人並以上上手くて、お金だってものすごくかかる。
    入試の倍率もすごい。(東大どころではない)
    その関門をかいくぐってきた人達に対して「音楽なんかねえ」はないでしょう。
    実情を知らずに、よそのジャンルの悪口を不特定多数の前で言うものではありません、教養のある人だったらね。
    特に美容院には、芸能人、音楽家などがウジャウジャ来ていますから。

    不思議なのは私たちの職種に対するランク付けが、社会的に上位の人達からは、高く見てもらえると言うこと。
    政経界の大御所や、やんごとなきご身分の方達などから、下へも置かない扱いを受けるかと思うと、やくざまがいのマネージャーからは、人並に扱ってはもらえない。
    特に欧米人が相手になると、私がヴァイオリンを弾くというだけで「グレート!」と急に愛想良くされる。
    それは何回も経験しているけれど、日本人にとって音楽家とは下層階級であるらしい。
    ヴィオリストの友人は、息子さんに恨まれたそうだ。
    就職の時日本の企業を受けて、お父さんがヴィオラを弾いていると分かると、たいそう不利になったという。
    どういう職業なのか、想像ができないらしい。
    ところが外資系企業を受験したら、役員が色めき立って、お父さんのことを詳しく訊かれたそうだ。
    オヤジのお陰で受かったと、よろこんでいたそうだ。
    その後新入社員だった彼は、あっと言う間に某外資系1流企業の支店長になってしまった。 
    音楽家の両親の元で、ユニークな発想の出来る教育を受けたからかも知れない。

    他の知人は、オーケストラに入るとき父親から「河原乞食になんかなるな」と反対されたそうだ。

    乞食とガクタイは、3日やったらやめられないという共通点がある。
    それで、ずっとやめられなくて困っている。
    体力気力とも、ガタガタなんですが。





























    2014年9月10日水曜日

    ぼんやり

    元々ぼんやりした性格で、先日も仕事で隣り合わせた男性から、なにやかや質問してくるから「知らない」を連発していたら、「訊いた相手が悪かった」と言われた。
    なら、訊いてくるなよ。
    それなのに又時間が経つと、質問してくる。
    わざわざ「訊いた相手が悪かった」と言いたいがためにそうしているのかと勘ぐってしまう。

    頭からかぶるタイプのワンピースを着ていたら「これ後ろ前逆さまじゃない?」と言われる。
    なるほど、どうも首の辺りが窮屈だと思った。
    「前にもそういう事があったわよ」と言われたが、日常茶飯事だから大して驚かない。
    さすがにヴァイオリンの裏表は間違えないけれど、これを間違えるようになったらもうお終い。
    音がでな~い!なんて騒いだりして。

    かなり練習をサボっていたから、久々にブラームス「ソナタ」を合せたら、遅れるは落ちるはで大変。
    体の調子が良くなるにつれて音は伸びてきた。
    それは喜ばしいことだけれど、頭はまだハッキリしていなくて、自分の出番でもボーッとして考え事をしていたり。
    練習の時には非常に色々考える。
    ピアノがあんな風に弾いているから私はこうしようとか、あそこの音色もう少し柔らかい方が、とか、ここでタイミング少し間を空けるか・・・等々。
    考えている内に、自分が弾くことを忘れる。
    気がつくとピアノが待っている。
    あらま失礼。
    今まで本番ではそんな事はなかったけれど、あぶないものだ。
    その内、弾きながら居眠りをするようになるかも。

    しかし、「ソナタ3番」は素晴らしい。
    私は2番が好きで、今まで好んで弾いていた。
    ほとんど同時期にできあがったらしいが、この2曲、いずれ劣らぬ傑作ではあるけれど、3番のスケール大きさは2番を遙かに超えている。
    ただ、2番の持つあの幸せ感はなんとも心にしみる。
    うーん、どちらも素敵!

    ボンヤリと言えばもう一つ。
    3日間の演奏旅行で、東京駅に着いた時。
    なんだか右足と左足の長さが違う。
    ひょこたんひょこたんとなる。
    エスカレーターでじっくりと足元見たら、右と左とべつの靴を履いていた。

    旅の初めだからそれから3日間、左右違う靴で旅した。
    ♫仲間は喜び写メ撮りまくり、ねこはこたつで丸くなる。♫
    だから服が後ろ前なんていうのは軽い軽い。















    2014年9月9日火曜日

    勝ち負け

    錦織選手、世界2位おめでとう!
    これを残念と思うか、すごいと思うかで人の幸せ度が変わってくる。
    私は大家族で育って、様々な人それぞれのあり方を見てきたから、他人と自分を比べることがほとんどない。
    およそ、競争心が育たなかったのは、両親兄弟皆変わり者で、マイペースでそれぞれ勝手な道を歩んできたから。
    「人に迷惑をかけるな」とただそれだけが家訓のようなものだった。
    その家訓が守れず、他人様に迷惑かけっぱなしだったけれど、およそ勝ち負けに拘らないから、勝負事全部ダメ。
    要するに負けて悔しいと思わないと、勝負事はなりたたない。
    麻雀、カードゲーム、ゴルフなど、勝っても負けても嬉しくも悔しくもない。
    だから、なんにも面白く無い。
    その代わり、自分1人でやること、例えば楽器を弾く、パズルを解くなどは、出来ないと悔しいから必死になるので、面白い。
    スキーなども、1人でじっくり練習するのが面白い。
    他人より上手くなろうというよりは、自分が納得出来る滑りがしたい。

    スキー場の同宿となった、さる女性。
    無類の麻雀好きで、遊んだことがある。
    その時は私は絶好調。
    技術はないのに、配られた牌の手はすでにできあがっているほど、ついていた。
    後はどれか一つ動かせば完成とか。
    来る手が殆どそうだったから、当然圧勝。
    それで面白くも何ともないから、半チャンでやめるといったら「勝ち逃げはダメよ」と、くだんの女性から言われた。
    でも、誰かは勝たなければ勝負は終らない。
    そう言われて嫌々ながら次の回に突入。
    もう、どうでもいいから早く終らせたくて、考え無しにぽいぽいと捨て牌をするのに、又勝ってしまう。
    ほとんど泣きべそをかきながら、1番当たりそうな牌を捨てるのに当たらない。
    そうこうして漸くかの女性に花を持たせることが出来たけれど、もうその人とは2度と会いたくなくなった。

    次のスキーのお誘いがあった時に、他の人からあの人とは行かない方が良いと助言をもらった。
    「家の子供達も皆、2度と一緒に行かないと言うくらい厳しいのよ」と告げ口されて、さもありなん。
    今は誰とも遊んでもらえてないのではと、少し気の毒に思っている。
    負けず嫌いは進歩の原動力となるけれど、過剰なまでに他人に負けまいとするのは、どういう心境なのか知りたい。
    たぶん自分の基準が、他人との比較の上に成り立っているのでしょうね。
    自分の中で自分にたいする評価ができていないと、そうなってしまうのか。
    けっきょく自分に自信がないとか?

    私が考えるに、人は生まれながらに優劣は決まっている。
    だから人に勝つのも負けるのも、生まれつき。
    それをなにも嘆くことも、卑下することもない。
    自分よりも劣っていると思って居た人が思いがけず、優れたものを持っていることだってある。
    そんなこと一々気にする方がおかしい。
    これだから私は進歩がないのかしらね。
    努力する人は美しいけれど、努力しないでボーッと海を見ている人が悪いワケじゃない。
    とまあ、自己弁護。
    病み上がりで体がまだ思うように動かせない。
    こういうボーッとした状態も中々よろしいもので。











    2014年9月8日月曜日

    イメージ違った

    今朝は副鼻腔炎の治療の結果を見るための通院。
    一昨日でもらった薬は全て飲み終り、土日にかけて再発しないか、びくびくしながら過ごしていたけれど、幸い病状は小康状態。
    予約の時間に診察室に入ると、先週は可愛らしい先生・・・と思っていたのが、あら、意外に高年齢?
    あの時には熱にうなされていたから分からなかったけれど、顎や首などにしっかりお肉がついて来始める年代。
    と言うことはアラフォー?
    人間の観察眼はあてにならない。
    というか、私の観察眼は全然アテにならないことが判明。
    これだから人は、いつもいつも元気でいなくてもいいのだ。
    時々熱を出して、朦朧とした状態で恋に落ち、そのついでに結婚しない限り、結婚なんてあほくさいことは、誰もしないに違いない。
    人が常に冷静だったら、その繁殖力は見事に低下するのだ。
    熱々の時期が過ぎて、一体なぜこんな人と結婚しちまったのだろうかと嘆く頃には、子供の2,3人も、そして孫の5,6人も出来て、けっこう幸せに人生を終ることができる。
    だから、時にはボンヤリするのも、病気になるのも大切・・・と、まあ、たわけたことを考えつつ、先生をぼんやり見ていた。

    又鼻に内視鏡を通され、説明を受ける。
    まだ多少奥に赤みが見られるが、鼻水とかさぶたはなくなった。
    首に出来たこりこりしたしこりも、漸く小さくなり始めた。
    私は分かっていれば痛みには強い方。
    傷が見えるとか、なにかでき物が腫れているとか、分かっていればかなり痛みには強いと思う。
    しかし今回の様に、外からは分からないのに、恐ろしく痛くて呼吸が苦しいという経験は初めてだったから、かなり恐怖だった。

    長いことサボっていた筋トレのジムに顔を出した。
    軽く運動していい汗かいたので、気分がすっきりした。
    驚いたことに、病気になる前は体中の筋肉が固くなっていて、ストレッチを受ける度に悲鳴を上げていたのが、すっかり筋肉がほぐれていたこと。
    今日はどんなに延ばされても少しも痛くない。

    今回の病気は必然だった。
    酷使され、過剰にカロリーを詰め込まれて飽和状態だった体を、元に戻すための自然の摂理。
    病気とはずっとお友達だったから、よく分かる。
    それを知っていながら、まんまと病気にかかる愚か者はこの私。
    猫より始末が悪い。














    2014年9月7日日曜日

    発表会リハーサル

    音楽教室「ルフォスタ」の発表会が来週月曜日(休)15日に迫って、生徒達は大忙し。
    今日は都内スタジオでの伴奏合せがあった。

    この教室は講師達が小編成のオーケストラで伴奏してあげることも出来る。
    協奏曲をピアノでなく、本来のオーケストラの形で、もちろん楽器も足りないので一部ピアノに入ってもらって、伴奏する。
    今回も、メンデルスゾーン、ブラームスなどのヴァイオリン協奏曲を小オーケストラで演奏する。
    生徒達は他では出来ないオケ伴で演奏出来るので大満足。
    もう少し楽器の種類が多ければ、より本物に近づけるのだが、今回はファゴットなども外部から助っ人で来てくれたので、大助かりしている。
    ファゴットが入ると本当にオーケストラという感じがする。
    去年はホルンが来てくれた。
    こんなふうに外からも助けてもらってのオケ伴。

    ミニオーケストラであっても、ピアノだけで伴奏するのとはえらく違って、本来の形により近づいて、豊かな音がするのが嬉しい。
    この教室の講師陣はいずれも現役バリバリの演奏家達だから、指揮者無しでも協奏曲の伴奏が務まる。
    とまあ、自慢話で恐縮ですが、この教室の創始者の(故)小田部ひろのさんは講師を依頼するときに、必ず講師が現役の演奏家であるということを条件にした。
    よくある、音大を出ただけで先生になってしまい演奏家として活躍していない人は、自分が教わっただけのものしか生徒に伝えられない。
    しかし現役で演奏していれば、必ず新しいことを吸収して生徒と共に進化していける。
    それで講師陣は皆さん忙しい。
    それでも生き生きとした音楽が教われる。
    旧態依然とした昔の技術を未だに教えている人は、この教室ではいないと思う。
    講師達は良く勉強するし、コンサートも頻繁に出演している。
    これが「ルフォスタ」の最大の売り物。

    生徒達も忙しい仕事の合間に良く練習する。
    ほとんど寝る間もないのでは?と思える程の多忙な中で、レッスンに駆けつけてくる。
    向上心が強くて、こんな曲を弾きたいと言われるとギョッとするような物を選んでくる。
    ほかの先生ならとめるかも知れないが、私はけしかける。
    だって、生涯で弾ける曲はもう限られているのだから、弾きたい曲を弾かせてあげたいではないですか。
    四苦八苦しながらなんとか発表会に出して、たとえ失敗しても、挑戦したことだけでも褒められるというもの。
    趣味であっても目一杯努力したならば、どんな結果であれ、私は褒めてあげたい。
    果敢に挑戦する姿は美しい。

    9月15日(月祝)午後2時45分~8時50分
    伝承ホール(澁谷)

    延々とやってます。お暇なら覗いて見て下さい。























    2014年9月5日金曜日

    いじわる文春の敗け

    先週号の週刊文春で、24時間テレビの101キロランナー城島さんの事を意地悪く書いていた。
    夜な夜な酒を飲み女性と群れ遊び、こんなことではマラソンなどとても無理なのではないかと。
    そして当日、走りに密着したらしい。
    それが見事完走したばかりか、余裕すらあったというので、今週号は持ち上げるのなんのって、笑えた。

    このマラソンは初めのうちこそ、どうやら裏があったようだが、今やこの情報時代。
    皆の目が光っていて、見つけられるとアッと言う間に情報が広がって、不正ができなくなってしまったらしい。
    そのために、完走出来なかったタレントもいたそうだ。
    だから城島さんも堂々と、全コース不正なしの走りだった。
    なんせ、週刊文春が密着していたし。

    初めてこの計画を聞いたときには、24時間で100キロもはしれることすら信じられなかった。
    歩いてだって無理。
    今までにも途中棄権や、時間に間に合わずランナー到着まで、最後の曲を延々と弾かされたこともあった。
    笑ったのは、はるな愛ちゃんの時。
    彼女というか彼が初めのうちは愛らしい女の子だったのに、ゴール寸前はどんどん男の顔になっていったこと。
    欽ちゃんが満身創痍で息も絶え絶えになってたどり着いた時は、なんでこんな事を高齢者にやらせるのかと、憤った。
    けれど、その後も欽ちゃんは元気で活躍しているから、後遺症は過大ではなかったかも。
    但し彼の場合、距離は少なかった。
    それにしても何日間は起き上がれないのではないだろうか。
    ただ、成功した人の誰もがそうだけれど、体力、気力共に並大抵ではない。
    タレントさんたちがテレビ画面でアホを演じているけれど、本当のアホだったら勤まるワケがない。
    図太さ、あくどさ、愛嬌、知能それにオーラが揃っていなければ、なれるものではない。

    文春先週号
    24時間マラソンは大丈夫?
    城島茂4人の美女と泥酔の夜撮った!(写真数枚)

    連日朝まで飲み歩き,4人の美女と日替わりデート。
    これがリーダー流のトレーニングなのかも。
    マラソンは大丈夫なのか?

    今週号
    神奈川県内の工場をスタートした城島は・・・しかし、いつもの千鳥足とは違って、足取りは実に軽快である。

    (その後足をいためたものの、ほとんど食事も摂らず朝4時まで歩き続け、ようやく休憩。一睡もしなかったらしい)

    人目のない場所では痛みと疲労で苦悶の表情を見せるも、女性ファンから声がかかると、ジャニーズスマイルで対応するのはさすが。

    四十路とは思えぬこの強靭さ。
    「リーダーにはトレーニングなど端から必要なかのかもしれない。」
    ここで文春さん、完敗!






























    2014年9月4日木曜日

    山姥

    日頃自分の顔を見る趣味がないので、鏡なぞはめったに覗かない。
    今朝は昨日よりも調子が良くて、朝の散歩を楽しんだ。
    帰って来てシャワーを浴びてふと鏡を見ると、あらまあ、山姥のような恐ろしい顔が映っていた。
    顔が妙に白くて、壁のよう。
    頬が細くなった分たるんで、下がっている。
    あの、ふっくらnekotamaちゃんはどこへ行ったの?
    やはり本調子とは言えないので、目つきがやけに真剣で怖い。
    その分本当に痩せて欲しいお腹の辺りは相変わらずメタボ。

    そういえばメタボメタボとこの数年騒いでいたのはどこへ消えたのかしら。
    大体あんなものは、アメリカ人の様な信じられない肥満体はともかく、日本人のポッチャリさんには目くじらたてる程のこともないらしい・・・と、最近の健診数値見直しの見聞。
    巨腹が悪くても巨乳は、世の男性達を魅了して居るではありませんか。
    ちょっと場所が違うだけで大きいのは一緒じゃん!
    私のお腹に魅了される人だって・・・・いないか。
    あはは、残念だなあ。

    体重が減ったのは、どうやら筋肉が落ちたかららしい。
    体重で計った筋肉量の数値が、数年変わらなかったのが急激に落ちている。
    これはまずい。
    筋トレも約2ヶ月休んだし、ウオーキングも昨日から再開。
    しかも肝心のヴァイオリンが弾けない。
    どうにもだるくて、1日30分がやっと。
    弓が弦の上を上滑りしていく。

    私の筋肉量はほとんどヴァイオリンを弾く筋肉だと思うから、これが減って致命的。
    それでも徐々に馴らして、筋肉の再生をしなくてはならない。
    若い頃なら知らず、高年齢になってヴァイオリンを弾くというのは中々に大変なものなのだ。
    まず体を真っ直ぐに保つための姿勢、立ち方。
    楽器をバランス良く保ち、右手の力加減の案配等々、これを1日でも練習をサボるとツケはあとからやってくる。
    サボった分だけ正直に下手になる。
    かといっていきなり猛練習をすれば、確実に筋肉が壊れる。
    神様がそろそろお休みと言ってくれたのかも。
    私の母は存命中、毎日の様にヴァイオリンをやめさせたがっていた。
    それは自分が素っ頓狂な男と結婚して、6人も子供を産んでしまったために好きな人生がおくれなかったので、せめて子供達、特に女の子には苦労をさせたくないという想いからだった。
    私はヴァイオリンを苦労だと思うことはないけれど、母にしてみればあんな腕前で世の中を渡っていけるワケがないと、心配し続けていた。
    大丈夫!世の中の人は全部親切なんだから。

































    2014年9月3日水曜日

    そろそろ娑婆に戻るか

    病気でいるのも悪くは無いが、この先色々予定が詰まっているので、無理にでも体を動かさないといけない。
    昨日の夕方2ヶ月ぶりに中国整体に行った。
    受付の女性がビックリして、バタバタと担当の先生を呼びにいった。
    出てきた先生が顔をパッと輝かして、嬉しそうに笑ったので、こちらも嬉しくなった。
    胸骨を痛めてすぐに整体に行って、背中を押された時に痛みが出て、それ以来ご無沙汰していたから、彼は自分の治療のせいで怪我が悪化したのではと考えていたかどうか。
    決して自分が悪いと思わない国の人だけど、それでも心配はしてくれていたらしい。
    すごく無口な人だから滅多にしゃべらないのに珍しく、少し痩せたねと言われた。
    相変わらず情け容赦もない荒療治なんだけど、これが次の日になると効き目がはっきり分かる。
    それで昨日の夜は珍しく爆睡。
    今朝は5時頃起きて近所を散歩してきた。
    足元がフラフラする。
    昨日少し重い物を自転車の前かごに乗せて走ったら、クラクラしてバランスがおぼつかない。
    病気の治療に要した日数の3倍くらい経つと、元気になってくるのは、長い経験と数多の病気から経験に依る。
    そうすると私が本当に回復するまでは、半年かかることになる。
    ただ気になるのは、まだ炎症が微かに残っている。
    ハッキリと症状がなくならない。
    まだ喉の奥には痛みと、体中のだるさと、リンパ節の炎症は残っている。
    今後はお嬢さん先生の腕が頼り。
    今、脳みそが解けて鼻から出て来るのが収まっただけでも、天国のようだ。
    ティッシュの箱を抱えて仕事をするのは、もうごめん。
    寝心地の良いベッドに病気を理由に、誰はばかることなく寝て居られる心地よさは、子供の時からのお馴染み。
    学校に行かないで、ボンヤリ空想にふけっていられる至福の時だった。
    そろそろベッドに別れを告げて、さあ、少し働くか。
    娑婆の空気も中々いいものじゃ。
    でもだるーい!
    まだまだ本調子とはいかない。

    ニコニコ動画にこんな替え歌が載っている。
    歌が下手くそなので面白く無いけど、歌詞はこちらの2014年8月30日のコメント欄で。

    私が鼻水期だといったら、この歌をひねって紹介してくれた。
    鼻水期って私の造語のつもりで我ながら・・・おほん!と思っていたらとっくに考えた人がいたのにはびっくり。

    ♪♪「鼻水期」(花粉バージョン) はい、歌ってください♪♪

    空を仰ぎ見て 鼻垂らす君五月のこと
    どうか効いてほしい ポリフェノール効いて欲しい

    ティッシュをあげよう ネピアの鼻セレブ

    薄紅色の可哀相な君のね こすれた鼻がちゃんと
    治りますように 君の好きなカフェの テラスに座れますように

    マスクはでかすぎて 帽子やゴーグルは重すぎて
    一緒に過ごす日は きっと「不審者」言われちゃう

    どうぞかみなさい お好きにかみなさい

    杉の花粉がいつか実を結ぶ 果てない恐怖がいつか
    終わりますように 君の洗濯物が ベランダに干せますように

    たらり鼻水を ふら下げて赤い目をあけて
    見た目気になれば 鼻マスク使ってください

    ヨーグルってもいいよ シソを食ってもいいよ

    薄紅色の可哀相な君のね こすれた鼻がちゃんと
    治りますように 君の好きなカフェの テラスに座れますように

    杉の花粉がいつか実を結ぶ 果てない恐怖がいつか
    終わりますように 君の洗濯物が ベランダに干せま
    すように











    2014年9月2日火曜日

    2キロ減量

    たった1週間ほどで2キロも体重が減っていた。
    気分が悪かったけれど、これは思いがけないラッキー。
    2キロ減らさなければとずっと思っていたから。
    ただ、健康的に痩せたワケではないので、すぐにリバウンドや、後で体力不足とか出てくるとは思うけれど、まずは目出度い!
    喉の痛みで、初めは液体も飲み込むのが苦痛だった。
    漸くおかゆが喉を通り、多少固形物が食べられるようになっても、酷い胸焼けが起きた。
    運動しないで殆どの時間、ベッドで唸っていたから、本当は食べずに点滴か何かで栄養補給すれば問題ないのだけれど、そうそう病院に行くのも面倒で・・・・そんなこと言ってると、手遅れになるかもしれないのに。

    24時間テレビで出されたお弁当は、運動する若者向き。
    スタッフたちは、前段階の準備、当日の仕事と走り回っている。
    だから高カロリーを必要とする。
    演奏側はずっと座って待っているから、運動不足。
    出されたお弁当に箸をつけると、残すことに罪の意識があって、食欲がなくてもつい食べてしまう。
    その結果、逆流性食道炎を発症。
    人間一カ所がダメになると、連動してあちらこちらに故障が起きる。
    昨日から今朝にかけて、回復の兆しが見えてきた。
    気分が良くなってきたけれど、まだ喉のリンパが腫れっぱなし。
    これが引っ込まないと、全快とは言えない。

    少しずつ固形物が食べられるようになり、1週間ぶりでコーヒーも飲んだ。
    朝起きてまずは濃いめのコーヒーをキュッと飲む習慣があったのに、受付けなくなっていた。
    まだ体はだるくてたまらないけれど、やっと一安心した。
    これからどのように治療していくかは、(中学生)先生の腕の見せ所。
    せっかくの減量をムダにしないように、これ以上体重を増やさないようにしようと思ったけれど、今朝揚げ餡パンが冷蔵庫でおいでおいでをしていたので、思わずパクリ。
    これですぐにリバウンドは必至。
    喉元過ぎればなんとやら。















    2014年9月1日月曜日

    24時間テレビ

    えいえいにゃー!と鬨の声を上げたけれど、かなりつらい1日。
    ひっきりなしに出る鼻水、結局風邪というより、副鼻腔炎というものらしい。
    どこをどうやって入ったか、のどの奥に酷い炎症が。
    もう2週間も薬を飲み続けているのに、まだ収まらない。
    24時間テレビの武道館の現場は、仲間達との雑談で待ち時間も楽しい。
    ただ時間に縛られるから単独行動をして、うっかり遅刻するといけないから、常に誰かに従いて歩く。
    1時間以上の空き時間があると、武道館の外の北の丸公園を散歩。
    時間がくるとリハーサルをして、次のスタンバイまでおしゃべり。
    ケータリングのコーナーへ行って、お茶や御菓子をもらう。
    こう言うとすごく気楽そうだけれど、時間がいつどう変わるかわからないので、結構緊張している。
    そして本番に入って、ラストまでステージ上でスタンバイ。
    今回の101キロランナーの城島さん、先日買った週刊誌でえらく叩かれていた。
    101キロも走るのに、夜ごと女性と飲み歩いているとかなんとか。
    別に良いじゃないの、余計なこと言わないで。
    最後に彼は苦しそうではあるが、余裕のゴールイン。
    週刊誌が悔しがるだろうな。
    もし失敗すれば、ほれ、見たことかと書けたのに、こんなに余裕綽々では。
    それにしても40台の男性のパワーはすごい。
    今まで見たランナーの中でも、飛び抜けてパワフル。
    本当に24時間で100キロも走れるのは、彼らがいつも体を使って動いているからでしょう。
    デスクワークの人なら半分の50キロもおぼつかない。
    めでたく今年の24時間テレビも終わり、帰途についた。
    一夜明けて今朝、起き上がれない。
    トロトロ寝てばかり居て、やっと今目覚めた。
    なにか体に起きて居るのは間違いない。
    大体10年周期で私の体は異変を起こす。
    今年は乳がんの手術から10年目。
    そろそろ次の病気が、スタンバイしているのかも。
    今度はなに病かな?
    子供の頃から病気は友達だったから、なるのは構わないが、なるべく苦しくないものにしてほしい。
    今回は呼吸器に来て息苦しい。
    これいやだなあ。