2014年9月24日水曜日

当たらない

生涯で一度だけ毛蟹を当てたのが、私の最高賞。
あとは全く当たることがない。
まず、身近なところから。
我が家は居住空間とレッスン室に、階段をはさんで別れている。
それでドアはそれぞれの鍵が必要。
キーホルダーに鍵が2本。
どちらも特徴のない普通の金属の鍵だから、ぱっと見には見分けがつかない。
物置の鍵と3本あって、その内の真ん中のものがレッスン室。
だから三つ折りの皮のキーホルダーを開いて確認すれば、どちらの鍵かはすぐ分かる。
ところが稀代の不精者、開いて確かめる前に当てずっぽうに鍵穴に差し込んでみる。
それが又、殆どはずれ!

いつも外れるから反対側のキーを差し込んでみる。
すると、これも外れ。
要するに、私がやることは常に、外れなのだ。
それはそれは面白いほど外れる。
それでいて、車はよくポールなどに当てる。
これが不思議。
ここで当たり運を使い果たしているようだ。
キーの場合は2本しかないのだから、確率は半々。
なのに、めったに当たりはない。
それほどのくじ運の持ち主だから、宝くじなぞ全くあたらないと信じている。
それで買わない。
人に言わせれば買わなきゃ当たらないと言うけれど、買うだけ損という気がする。
その私が一度だけ、高松で町中をフラフラしていたら、目の前の信号が赤になりかけていた。
渡ってしまおうか、停まろうか・・・でも停まった。
そして何気なく後ろを振り返ると、目に止まったのが宝くじ売り場。
旅先だと少し気が触れてくるから、これは運命なのだと思った。
きっと、当たるに違いない。
生まれて初めて買うから、買い方がわからない。
窓口の人に教えられて10枚、連番で買った。
楽しみにしていたけれど、見事外れ。
それ以来、全く買う事もない。
人生全て当たることがないというのは、良いのか寂しいのか。

やることなすこと全部外れの生涯で終りそうだけれど、案外それは安穏として良いことなのかもしれない。

もし私がもう少し才能があって、世界を飛び回って演奏する羽目になっていたら、それは大変なことだと思うので、毎日あくびしながら食っちゃ寝の「猫の幸せ」を味わえない。

もし私が絶世の美女で、大富豪の3番目の奥さんになれたとしたら、遺産目当ての係争に巻き込まれていたかもしれない。
もし私が凄い頭脳の持ち主だったとしたら、とんでもない発明をして悪さをしていたに違いない。
猫は猫らしく、これからも平和に。


















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