生涯で一度だけ毛蟹を当てたのが、私の最高賞。
あとは全く当たることがない。
まず、身近なところから。
我が家は居住空間とレッスン室に、階段をはさんで別れている。
それでドアはそれぞれの鍵が必要。
キーホルダーに鍵が2本。
どちらも特徴のない普通の金属の鍵だから、ぱっと見には見分けがつかない。
物置の鍵と3本あって、その内の真ん中のものがレッスン室。
だから三つ折りの皮のキーホルダーを開いて確認すれば、どちらの鍵かはすぐ分かる。
ところが稀代の不精者、開いて確かめる前に当てずっぽうに鍵穴に差し込んでみる。
それが又、殆どはずれ!
いつも外れるから反対側のキーを差し込んでみる。
すると、これも外れ。
要するに、私がやることは常に、外れなのだ。
それはそれは面白いほど外れる。
それでいて、車はよくポールなどに当てる。
これが不思議。
ここで当たり運を使い果たしているようだ。
キーの場合は2本しかないのだから、確率は半々。
なのに、めったに当たりはない。
それほどのくじ運の持ち主だから、宝くじなぞ全くあたらないと信じている。
それで買わない。
人に言わせれば買わなきゃ当たらないと言うけれど、買うだけ損という気がする。
その私が一度だけ、高松で町中をフラフラしていたら、目の前の信号が赤になりかけていた。
渡ってしまおうか、停まろうか・・・でも停まった。
そして何気なく後ろを振り返ると、目に止まったのが宝くじ売り場。
旅先だと少し気が触れてくるから、これは運命なのだと思った。
きっと、当たるに違いない。
生まれて初めて買うから、買い方がわからない。
窓口の人に教えられて10枚、連番で買った。
楽しみにしていたけれど、見事外れ。
それ以来、全く買う事もない。
人生全て当たることがないというのは、良いのか寂しいのか。
やることなすこと全部外れの生涯で終りそうだけれど、案外それは安穏として良いことなのかもしれない。
もし私がもう少し才能があって、世界を飛び回って演奏する羽目になっていたら、それは大変なことだと思うので、毎日あくびしながら食っちゃ寝の「猫の幸せ」を味わえない。
もし私が絶世の美女で、大富豪の3番目の奥さんになれたとしたら、遺産目当ての係争に巻き込まれていたかもしれない。
もし私が凄い頭脳の持ち主だったとしたら、とんでもない発明をして悪さをしていたに違いない。
猫は猫らしく、これからも平和に。
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