2014年9月9日火曜日

勝ち負け

錦織選手、世界2位おめでとう!
これを残念と思うか、すごいと思うかで人の幸せ度が変わってくる。
私は大家族で育って、様々な人それぞれのあり方を見てきたから、他人と自分を比べることがほとんどない。
およそ、競争心が育たなかったのは、両親兄弟皆変わり者で、マイペースでそれぞれ勝手な道を歩んできたから。
「人に迷惑をかけるな」とただそれだけが家訓のようなものだった。
その家訓が守れず、他人様に迷惑かけっぱなしだったけれど、およそ勝ち負けに拘らないから、勝負事全部ダメ。
要するに負けて悔しいと思わないと、勝負事はなりたたない。
麻雀、カードゲーム、ゴルフなど、勝っても負けても嬉しくも悔しくもない。
だから、なんにも面白く無い。
その代わり、自分1人でやること、例えば楽器を弾く、パズルを解くなどは、出来ないと悔しいから必死になるので、面白い。
スキーなども、1人でじっくり練習するのが面白い。
他人より上手くなろうというよりは、自分が納得出来る滑りがしたい。

スキー場の同宿となった、さる女性。
無類の麻雀好きで、遊んだことがある。
その時は私は絶好調。
技術はないのに、配られた牌の手はすでにできあがっているほど、ついていた。
後はどれか一つ動かせば完成とか。
来る手が殆どそうだったから、当然圧勝。
それで面白くも何ともないから、半チャンでやめるといったら「勝ち逃げはダメよ」と、くだんの女性から言われた。
でも、誰かは勝たなければ勝負は終らない。
そう言われて嫌々ながら次の回に突入。
もう、どうでもいいから早く終らせたくて、考え無しにぽいぽいと捨て牌をするのに、又勝ってしまう。
ほとんど泣きべそをかきながら、1番当たりそうな牌を捨てるのに当たらない。
そうこうして漸くかの女性に花を持たせることが出来たけれど、もうその人とは2度と会いたくなくなった。

次のスキーのお誘いがあった時に、他の人からあの人とは行かない方が良いと助言をもらった。
「家の子供達も皆、2度と一緒に行かないと言うくらい厳しいのよ」と告げ口されて、さもありなん。
今は誰とも遊んでもらえてないのではと、少し気の毒に思っている。
負けず嫌いは進歩の原動力となるけれど、過剰なまでに他人に負けまいとするのは、どういう心境なのか知りたい。
たぶん自分の基準が、他人との比較の上に成り立っているのでしょうね。
自分の中で自分にたいする評価ができていないと、そうなってしまうのか。
けっきょく自分に自信がないとか?

私が考えるに、人は生まれながらに優劣は決まっている。
だから人に勝つのも負けるのも、生まれつき。
それをなにも嘆くことも、卑下することもない。
自分よりも劣っていると思って居た人が思いがけず、優れたものを持っていることだってある。
そんなこと一々気にする方がおかしい。
これだから私は進歩がないのかしらね。
努力する人は美しいけれど、努力しないでボーッと海を見ている人が悪いワケじゃない。
とまあ、自己弁護。
病み上がりで体がまだ思うように動かせない。
こういうボーッとした状態も中々よろしいもので。











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