2015年12月31日木曜日

小掃除

1番苦手なことはお掃除。
1番得意なのは、食べる事。
ようするにナマケモノ。

今日は大晦日で、いくら何でも許しがたいほど汚れている階段部分のお掃除をすることにした。
我が家は小さな貸しアパートで、3階に店子さんが2所帯入っている。
先日貸し部屋のことで不動産屋さんが来た時に、ヒクヒクと鼻をうごめかせながら「ここは埃っぽいですね、1度清掃業者を入れたらどうですか」と言われた。

私だって決して手を拱いているワケではない。
「雪雀連」にビル管理会社の役員をやっている人がいて、その人にもう何年も前からお掃除その他のことをお願いしているのに「わかったわかった」と言うかけ声だけで、ちっとも来てくれない。
そのくせ飲み会になると、いそいそと出かけてくる。
「雪雀連」のメンバーに頼んだ私が悪い。
「わかったわかった」は「かんぱーい」という位の意味しかないことを痛感した。
このグループに、まともな人がいると考えた私が甘かった。

今日は暖かくお掃除にはうってつけの日和りだから、運動不足解消も兼ねて、久し振りに自分で掃除してみることにした。
まず長靴を履く。
デッキブラシとバケツを取り出して、1番上の階の踊り場に水を撒く。
そして、上からゴシゴシしながら一段ずつ降りてゆく。
これが易しそうに見えて、案外に難しい。
階段の折れ曲がった部分に溜っている埃が、取りにくい。
「君たち、ちょっとどいてくれたまえ」と言うと「ココは居心地が良くて、外はさむいし~」なんて、しぶとく居座る。

やっと下の段まで降りて、元来た道を振り返ると、お掃除の効果は目に見えて、汚い水が白い壁に飛び散って張り付いている。
ある人からスーパー・おっちょこちょいと毎度言われているから、この位のことは驚くことはない。

がっかりして、もう一度同じ作業を繰り返す。
又振り返って見ると、さっきよりも白壁のまだらは増えている。
乾けばポトリと落ちてくることを期待して、諦めた。
後で刷毛でサッサと落としていこう。

いくら水を下に流しても階段はビショビショ。
自然乾燥するには半日くらいかかりそうだけれど、もう精も根も尽きた。
管理会社の役員を当てにするのはやめた。
友人は選ばないといけない。

友人と言えば面白い話し。
ユージン・オーマンディーという指揮者がいた。
私の友人がその「ユージン」と言う名前をずっと友人だと思っていたらしい。
よくロシアなどで、同志ペトロ二コフとか言うでしょう。
それで、友人オーマンディーだと、長いこと思っていたと告白された。

これが今年最後のくだらない話し。
失礼しました。
皆さん良いお年をお迎え下さい。






















2015年12月30日水曜日

晴れのち晴れ

今日は本当にストレスのない1日だった。
年賀状もやっと出し終わった。
演奏に携わってきた身としては、こんなにノンビリしたのは学生時代以来だと思う。
学生時代はそれでも試験や学内コンサート、発表会などでかなり緊張はあったから、子供の頃以来と言ったほうが良いかもしれない。
来年の予定にハラハラするような仕事は無く、決った日に出かけることも無くなって、つかの間の休暇を味わっている。

つかの間というのは、今までの仕事をやめただけであって、ヴァイオリンの演奏は勿論続けていくから。
なにか一つの区切りのような波が来て、それでどういうふうになるかは分からないけれど、変化が始まる予感がする。

今までの自分を振り返ると、ある期間毎に時々こうして変化の時期があった。
それは自分で決めるのではなく、自然にそういう風に流れが来るので、それに任せて行動すると、大抵のことが上手く行くようだ。
流れに逆らわず、無理に努力はしない。
私は吹いてきた風にまかせて、ふんわりと流されていくのがいつものスタイル。
今回もそんな時期が来たと思ったので、生活を切り替えることにした。
切り替えてもそれほど変りはないと思うけれど、なにか始めるというのはいつでもワクワクして楽しい。

なにをするという明確なプランはないので、今の所、ヒーコラ楽器を鳴らしているしかなく、好きな曲を片っ端から弾いて楽しもうと思っている。
毎年、年末から新年にかけて、送られてきた楽譜を必死で練習していたので、これはもう天国かと思える。

それでも、こんな状態が続くのを退屈だと思っている自分もいる。
多少のストレスは有った方が良いし、ストレスの元がなくなった時の爽快感も捨てがたい。

というわけで、まだ色々騒ぎは起こしかねない。

今日は所用があって、某さんと某ショッピングセンターへぼーっと出かけた。
気持ちの良い明るい日差しで、風もなく気分も良く、うーん、最高!
あらかたの人口は田舎へ移ってしまって、師走の買い物客もあまりいない状態。
最近はお正月でもコンビニも開いているから、それほど困りはしない。
次に生協に寄ってお正月用食品をゲット、そして大型スーパーへ行くと、こちらはかなりの人出。
ここでたらふく昼ご飯を食べて、狸のお腹になって帰って来た。
夕飯の時間になっても、まだお腹が空かない。
それではせっかくだから、冬眠させてもらおう。

とりあえず来年はほんの少しダイエット、毎日の基礎練習を欠かさないことを義務付けようと思っている。
さあて、いつまで保つか、この決心。



















2015年12月29日火曜日

年賀状

もう半世紀に亘って毎年年賀状は250枚。
そろそろやめようかと思っていても、頂けば嬉しいからこちらも出した方がいいかなと、どうしてもやめられない。
中には頂いた分だけ出すという、合理的な人もいる。

それである年、思い切って100枚程度に抑えてみたけれど、結局返事を出すと毎年同じ数になる。
あわててハガキを買いにでかけたので、諦めて最初から250枚そろえることにした。
今年は気が抜けないことが沢山あって、ようやく年賀状に思い至ったのが先週の土曜日。
郵便局に行ったらお休み。

コンビニを覗いたら、おでんの鍋の下あたりに年賀ハガキが積んであった。
250枚と言ったら店員さんが困惑して、これは5枚セットなので、そんなにあるかどうかと言う。
5枚をセロファンでキッチリ束ねて売っている。
とにかく250枚なくてもあるだけちょうだい、と言って数えてもらうと、なんとか調達できた。

それでやおら書き始めた。
ここ数年ラクスルというところで印刷してもらっていたけれど、それも注文するのが遅れて、今から申し込みでは間に合わない。
それで手書きとなってしまった。

コンビニの5枚セットの年賀ハガキは、セロファンの包装があまりにもぴっちりしていて、剥がすのに苦労する。
その手間だけでも大変。
いつもの年は最後の最後まで忙しくて、書き殴るようにして間に合わせたけれど、今年は余裕があって落ち着いているから、書き損じが少ない。
でも、まだナ行の入り口にたどり着いたばかりで、こんな事しているヒマは無いけれど、nekotamaもご無沙汰するといけないので、投稿しているしだい。

友人に転居した人の住所を問い合わせているうちにお喋りが始まって長話。
挙げ句の果て、その人が教えてくれた住所の郵便番号が、その友人自身の番号で、書いてからはてな?と思って調べたら、やはり違っていた。

さて、来年はどんな年になるのか、良い年でありますようにと思いを込めて、年賀状の続きにとりかかろうと・・・
その前にコーヒーを一杯!











2015年12月26日土曜日

忘年会コンサート

今年最後のドキドキは忘年会コンサートで、歌のピアノ伴奏をすること。
ピアノは大好きで、高校時代はヴァイオリンとどちらが好きかというほど、ピアノもよく弾いていた。
なにが良いのかというと、蓋を開けるとすぐに弾けること。
ヴァイオリンのように、楽器を出すとまず調弦、それから楽器のゴキゲンを伺う。
湿気がこもっていないか、乾燥しすぎていないか、弦は傷んでいないか、弓の毛はまだ保つかしら、どこかヒビがはいっていないだろうか・・・様々な心配事が、のしかかってくる。

気むずかしくてお天気や、それが魅力でもあるけれど。
それでも選んだのはヴァイオリン。
子供の頃にレコードで聴いたハイフェッツの音に魅了されたから。
それはもう魔術のような演奏だった。

長年眠っていたピアノを練習すると、若い頃夢中になってショパンやモーツアルトを弾いたことが嘘のような気がする。
指はあちらこちらをさまよい、ミスタッチの連続。
ショパンのノクターンやマズルカなども、夢のように遠い過去になってしまった。
本当に弾いていたのかどうか。

それでもトチトチと音を拾っていくうちに、和音の魅力に取り憑かれていく。
ヴァイオリンの重音はバッハやイザイの無伴奏では当たり前に出てくるけれど、普段は単音でメロディーを弾くほうが多い。
ピアノは自分で伴奏までしてしまうので、独立できる楽器だけれど、ヴァイオリンはほとんどの場合、伴奏をつけてもらわなければならない。
そこが不自由なのだ。

歌の人なら両手が空いているから、弾き語りができる。
ヴァイオリンは腕が4本ないと、自分で伴奏までは手がまわらない。
子供の頃から音が重なって響くことに魅力を感じていたから、むしろピアノの道を選んでも良かったかもしれない。
それでも弦楽四重奏を聞くと、完璧なハーモニーには本当に感動させられる。
だから、やはりヴァイオリンを選んだのは正解かとも。

欲張りなんだなあ。

我らの「雪雀連」ようするにスキーと麻雀を楽しむ会は、会長がピアノ調律師だけあって、会員はステージ関係、音楽家も多い。
中には化学者なのに歌を歌う女史がいて、最近はますます歌の道に励んでいる。
肝心の仕事は放り出そうとしたので、まだやめないほうがいいよ、と忠告しておいた。
自分はさっさと引退宣言したくせに、なにを言うかと叱られそうだけれど。
そしてもうひとりは、この人はピアニストだから音楽家ではあるけれど、やはり畑違いの声楽に顔を突っ込んでいる。

この二人がいるから、わたしはモーツアルト「フィガロの結婚」からスザンナと伯爵夫人のロジーナが歌う「手紙の歌」が聞きたいと思った。
この曲ははじめのうちは一人ずつ交互に歌うけれど、最後のところで二重唱になる。
そこの音が重なる部分が好きでたまらない。
それでわたしが二人にリクエストをした。
ところがピアニストが歌ってしまうと、伴奏はだれが?

それでわたしが、ウン十年ぶりに人前でピアノを弾くことになった。
当日、リハーサルはうまくいったのに、本番になったらペダルは踏み間違えるは、ミスタッチはするはで、「雪雀連」の忘年会コンサートの会則を忠実に実行してしまった。

曰く

 決して上手に演奏してはならない。
 必ず一回は間違えるべし・・・等など。

そう、わたしは規則に忠実なのだ。

さんざん歌って飲んで、お開きとなってゴキゲンで5人ほど、東急線に乗ったら、いきなり車内放送。
この電車の前の電車が人身事故のため止まっているという。
この年の瀬、酔っ払ってかそれとも深い事情があってか、事故にあった人も、その電車の運転手も、気の毒でならない。

約1時間半ほど電車は動かず、その間本を読んだりうとうとしたり。
やっと帰ったらすっかり午前様。
そろそろこういう生活もやめないと。

嬉しかったのはネット上で知り合った人が馳せ参じてくれたこと。
ネットでは畑違いでも様々な人に出会える。
チロリン村から来たジュニア」を覗いてみてください。
わたしのお気に入りのサイトです。












卒業

音楽教室「ルフォスタ」は私の謂わば第二の家庭みたいなものだった。
故 小田部ひろのさんが理想の教室を目指して「おじさんたちのオアシス」を作りたいという趣旨に賛同して、仲間入りさせてもらった。
その時は講師が5人くらい?だったかしら。
生徒はほんの数人。

小田部先生の不安をよそに、教室はあっと言う間に大勢の生徒数を抱えることとなった。
勢いのあるときには、私のヴァイオリンクラスは途中で食事を摂る間も無いくらいの、盛況ぶりだった。
ヘトヘトになってレッスンを終ると、自宅にも生徒が待っていて、大急ぎで帰ってレッスンを終ると、寝る時間も短くて大変だったことを思い出す。

生徒数が増えるに従って、私はあくまでも最初の理想に拘り、緩く甘く、ゆったりとしたオアシスを目指していたけれど、教室としてはそうもいかない。
規律が厳しくなり、最初の頃のいい加減な事務処理では、様々な問題に対応できない。
そんな中で、私は絶対に生徒側に立ってしまうので、その辺が経営陣との摩擦をよんでしまう。
小田部さんとの確執も多々あって角突き合わせている中でも、私たちは結局お互いに必要としていたから、訣別することはなかった。
そんな中でも、彼女は私との信頼関係を取り戻そうと近寄ってくれて、私たちはそれからも一緒に旅行したり、新しいアマチュアオーケストラを立ち上げたりと共同作業は続いた。

そして、小田部さんは一足先に天国へ行ってしまった。
臨終のベッドの傍らで彼女の手を握って、私は号泣した。
今でもそのことを思うと、涙がこぼれる。

力が抜けてしまって、生徒は友人に託し私はやめるつもりでいたけれど、他の講師が体調を崩して、回復するまでの代講を頼まれた。
休養期間だけという約束だったけれど、復帰のめどが立たないからと言って、その後は私に任された。

ほんの数人の生徒達。
その人達は優秀で熱心で、濃いレッスンとなったのは、私の生涯の宝物となった。
この人達を半端な講師に委ねるわけにはいかないので、熟慮していたけれど、とても優秀で経験豊富で、人柄も申し分ない先生にお願いできることとなった。
そして昨日のクリスマスイブは最後のレッスン。
生徒2人とこの教室創立以来、長年に亘って通ってくれた、Tさんと4人でお別れ会をした。

まだ全部教室をやめた訳ではなく、時々他に指導する人が見付からないときだけ、アンサンブルの指導をする予定。
1月もその予定が入っているけれど、決った曜日に出かけることは無くなった。
これで、私の日時に対する勘は益々鈍ってくるかもしれない。

教室はいつも居心地良く、言いたい放題やりたい放題にさせてもらったけれど、ここいらへんでそろそろひきこもりを始めたい。
オーケストラの仕事も殆ど引き受けなくなった、というより来ないし。

長い間読めないで積んであった本を読む。
猫に寂しい思いをさせない。
お掃除も・・・あ、これは言わない方がいいかな。
ヴァイオリンをちゃんと練習する・・これも言わない方が?























2015年12月22日火曜日

ヴァイオリンの感覚

12月に入ってからはずっとヴィオラを弾いていた。
そしてロンドアンサンブルの小田原公演が終ってからは、ずっとピアノを弾いていた。
その間、私のヴァイオリンはケースにしまわれ、出番がなかった。

今度の忘年会コンサートで、3月の「古典」定期演奏会で弾くトレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」を弾くことにした。
幸い一緒に弾くIさんも「雪雀連」のメンバーでスキーの達人。
忘年会に出るというから、それでは練習させてもらおうよ、というわけでの出場。
この夏に北軽井沢のコンサートでも弾かせてもらったし、何回でも人前で弾くのはすごく練習効果がある。
それでピアノばかり弾いてはいられないから、ようやくヴァイオリンを取り出して音をだしたら、なにやら様子が変。

ヴァイオリンはすっかり拗ねてしまって、涙声。
鼻の詰まったような音しか出ない。
1日弾いても出ない。
2日弾いても出ない。
3日目に漸く少しずつ鳴り始めた。

それは楽器のせいでもあるけれど、自分の手がすっかりヴィオラ仕様になってしまったのだ。
弦楽器の弓の使い方は本当に難しい。
ほんの僅かの圧力の変化や、指の力加減、身体の柔軟性などに微妙に反応するのだから。
昨日は素敵な音が出たのに、今日はもうその音が出ないなんていうことは、しょっちゅうある。
緊張して弦を強くこすってしまうと、とたんに響きがなくなる。
傍で大きな音がしても、広い会場で遠くにとどかないとか。

なんでも運動というのはそうだけど、力んだらお終い。
ヴィオラとヴァイオリンの弓の使い方は全く同じではあるけれど、ヴィオラの方が多少弓に重みがいる。
それは1番低い音の弦が少し太いのと、楽器の大きさが違うから。
楽器自体が大きいので、当然弓を置くポイントが遠くなる。
指板と駒の間の1番良く鳴る場所を探して弾くのだから、ヴィオラの方が奏者からは少し遠くなる。
その感覚が身についてしまったらしく、ヴァイオリンを弾いても、いつもの場所からほんの僅かずれているなと感じた。
その修正は音を聴いてするのだけれど、手がしばらく覚えてしまっているので、ほんの数ミリ単位でずれていたようだ。
それがやっと元に戻ったらしい。

若いうちならなんでも馬力でこなせたけれど、省エネの奏法をしないと私の年齢ではもたない。
その省エネが今のところ上手くいっているので、まだ弾いていられる。
それでも身体はどんどん柔軟さを失っていくので、手首などが硬いと感じたら、他のところで・・例えば腕全体を使う方法で補ったり。
いやはや大変です。

お正月は例年のとおり、スキー場で過ごすことになっている。
スキーは年に数回行くけれど、毎年力をどうやって抜くかが課題になっている。
正しい姿勢で正しいポイントに乗ること、これが難しい。
楽器もスポーツも究極はそれ。
私がレッスンで生徒に文句を言うけれど、スキーの先生から同じことを毎年言われているのが、腹立たしい。
スキーの先生に、今度お返しにヴァイオリンを教えましょうと言ったら、きっぱりと断られた。
身の危険を感じたらしい。

























2015年12月19日土曜日

ピアニストは挫折しそう

忘年会コンサートのための、オペラアリアの伴奏を引き受けた。
数十年ぶりのピアノ。
時々うちで生徒のために伴奏することはあっても、伴奏していると言うよりも邪魔をしているというか。
相手が先生だから生徒の方は文句も言えず、じっと耐えている。
うるさいなあ、私で練習しないでよね、とか思っているかもしれない。

アリアの伴奏は、何回練習してもミスタッチが多くて、自分の出した音にビックリして、先に進めなくなる。
これはもう諦めるべきかと思うけれど、まあ、最後まで頑張ってみよう。
本番の3日前に練習の約束をした。
伯爵夫人(もちろん役の上の)からメールが来て、練習日を指定されてOKを出しておいたのに、皆に伝わっていなかったらしい。
練習日に使わせてもらうはずのスタジオの持ち主から、ビックリ仰天したらしいメールが届いた。
私お約束していました?とかなんとか。

それにはこちらがビックリして、どうなってるの?
しばらくしたらメールが来て、私のOKを取り付けた人が、全員にそのことを伝えるのを忘れていたらしい。
私はその日、練習時間に合わせて美容院の予約をしていたので、一つスケジュールが狂うと全部ちぐはぐになってしまう。

結局予定を変更してもらったりして、全員が都合をあわせたけれど。
この先こういうことが、多くなっていくと思う。
皆危うくなってきた。
これから先はこんな事ばかり続くと思う。

私の所属している「古典音楽協会」というバロック演奏団体の平均年齢はずいぶん高いので、そのうち、まだ弾いていないのに「私はもうこの曲は弾きましたよ」とか「繰り返しはしましたっけ?」とか言い出しかねないと、皆で笑い合っている。
仲が良くて誰もやめないので一緒に歳をとってしまうから、平均年齢が若くなるという希望は持てない。
そろそろ危ないと言い始めてから、もう数十年。
今のところ、まだ大丈夫・・・だと当人達は思っている。

本当は間違えているのに、自分たちで気がつかないだけだったりするかも。

先日我が家で、ロンドンアンサンブルのヴァイオリンのタマーシュが、私の生徒にレッスンをしてくれた。
その時ヒマだったチェロのトーマスが、サンサーンス「ヴァイオリン協奏曲」のピアノ伴奏をしてくれて、あまりの上手さに皆びっくりした。
私のピアノとは雲泥の差!
初見?それでいて、生徒がニュアンスを出して少し緩めたり早めたり、そんな時にも完璧につけていく。
伴奏が全く煩くない。
生徒はこんな大物に伴奏をしてもらって、本当に幸せそうだった。
彼はヨーロッパで指揮者としても活躍中。

しかし指揮をすると、あの素晴らしいチェロの演奏がその分減ってしまうのは、惜しい。
もう1人クローン人間を作って、共演してくれれば嬉しい。




















2015年12月18日金曜日

ノンビリ

今年最後のコンサートも終り、後は「雪雀連」の忘年会コンサートを残すのみとなった。
コンサートと言っても、怪しげな会則があって、
 自分の専門を披露してはならない
 練習してはならない
 上手に演奏してはならない
 真面目に聞いてはならない
 楽譜通りに弾いてはならない などの、呆れた項目が並ぶ。

最初は会則に忠実なコンサートだったのに、巫山戯ていても根が真面目な人達。
段々本気になってきて、最近は陰でこそこそ練習するようになって、演奏も中々正統的になってきてしまった。
これを打破しようと立ち上がったのが、この私。
今年はピアニストとして、オペラのアリアの伴奏をすることにした。

うん十年ぶりに弾くピアノ。
楽譜は難なく読めるけれど、毎日弾いていないから指がヒットしない。
隣の音に触れてしまったり、オクターブ間違えたり、すったもんだしている。
果して今度の練習までに間に合うのか。

曲はモーツァルト「ドン・ジョバンニ」より「手を取り合って」
ドン・ジョバンニの誘惑に負けそうになるツェルリーナとドン・ジョバンニの二重唱。
もう一曲、「フィガロの結婚」から「手紙の二重唱」
夫の浮気に悩む伯爵夫人と、知恵を貸す小間使いのスザンナの二重唱。
これは私からのリクエスト。

両方とも伴奏はたいして難しくないけれど、なんと言っても数十年の間、弾いていなかったピアノなので、ミスタッチの連続。
うちのピアノは調律師は一流なのに、私が叩くのは生徒がヴァイオリンを調弦する時のA音(ラ)のみなのだ。
ロンドンアンサンブルの練習で、素敵な曲を奏でてもらって、さぞピアノも喜んでいることと思う。

初めて弾いた時には、どこの音域か忘れてオクターブ下から始めてしまった。
しかしピアノは良い。
音程だけは確保される。
本番は25日だから、後1週間ある。
それまでに鼻歌まじりに弾けるようになるかどうか。

すっかり遊びのモードに切り替わったので、本当は今日から志賀高原にスキーに行くつもりでいた。
ところがこの暖冬で、雪は無さそうだし、疲れが出ているしで諦めて家に居ることにした。
ピアノの練習が出来る。

久しぶりにノンビリ出来たと思ったら、自分から忙しくしているのだから、これは業としか言いようがない。
結局ストレスが無い生活なんて、泡のないビールみたいなもので、苦労があってこその楽しみ。
傍目には少しも苦労がないように見えるでしょうが、これで中々私にも苦労はあるのですよ。
なにが苦労かというと、今すぐには思い当たらないけれど、少なくとも周りの人が苦労しているのは確か。
あはは、すまない!











2015年12月17日木曜日

ヴィオラ弾きの夢

今から30年程前、私はヴィオラの音色に取り憑かれていて、本当にヴィオラ奏者になりたいと思っていた。
その頃、ヴィオラ曲の初演演奏の依頼があって、それが超難曲。
毎日四苦八苦して譜読みに追われていた。
無伴奏のすてきな曲だったけれど、あまりの難しさに2ヶ月かかりっきりで練習した。
練習の甲斐あって、本番はなんとか上手くいった。
しかし楽器の大きさから腰痛に見舞われて、ヴィオラ弾きの夢は断念。

その後はヴィオラの仕事は殆ど断って、楽器はひっそりと部屋の片隅に放置された。
その頃私はヴィオラを3台持っていた。
それで1つは売り払い、新しいヴァイオリンの支払いに充てた。
けれど、後の2つはなんとなくとってあり、一つは人に貸して、もう一つは今でも時々使っている。

なぜヴィオラかというと、まずその音の魅力。
人の声なら女性のアルトにあたる、中間の音域。
楽器がヴァイオリンより大きいので、深みのあるやさしい響きがする。
人の心を包み込むような、おおらかさ。
安らぎを感じる。

以前、神奈川県が県内在住又は県出身の演奏家を集めて、オーケストラのコンサートを開いたことがあった。
指揮者はヤマカズこと故山田一雄さん。
このことはもう3回くらい、このnekotamaに書いているけれど。

神奈川県出身か在住の音楽家は多くて、あっという間に超リッチなオーケストラが出来上がった。
日本の音楽界の頂点にいる人達が集まって、何故かその片隅にヴィオラ奏者として私が混じったのは、なにかの間違い。
ヴィオラも日本を代表するメンバーばかりで、私は恐縮しながらも楽しく演奏した。

とにかく大御所ばかりだったので、県側としても非常に気をつかったとみえて、曲ごとにメンバーの配置移動があって、トップ毎メンバーが入れ替わった。

一曲終る度に全体がゴソゴソと場所を入れ替わる中で、ヴィオラパートだけは悠然と居座って、トップ以外誰も立とうとしない。
「いいよね、ここで」なんてノンビリ言いながら。
私はそういうのがたまらなく好き。
ずぼら、いい加減、良く言えば我が道を行く。
ヴィオラという楽器の特性が良く表れている。

最近になって、ヴィオラが以前より楽に弾けるようになったことに気がついた。
身体の大きさは年々歳をとって小さくなっていく。
手も小さく、指は節々が関節炎で痛い。
それなのにヴィオラを何時間弾いても、あまり疲れない。
弓を力任せにこすらなくなったら、響きが増えて楽器が良く鳴るようになった。

今回のロンドンアンサンブルのコンサートでは「エニグマ」が特に難しかったけれど、今まで弾いた中で1番楽に弾けた。
これは、トーマスの素晴らしいチェロの音に助けられた部分が、多々あると思うけれど。
ベートーヴェンのピアノ四重奏曲の中には、ヴィオラのためのバリエーションが1曲ある。
モーツアルトの「フルート4重奏曲」にもヴィオラのヴァリエーションがあった。
ヴィオラはいつも陰に回っているので、そんな時には、急に脚光を浴びる。
それで今回のプログラムはヴィオラの出番が非常に多く、皆さんのお耳にとまったらしい。
時々肩が抜けそうになっても、演奏自体は以前よりずっと楽。
仕事が減って、身体が楽になったのが影響しているかも知れないけれど、これは嬉しい。
ヒマになった分、ヴァイオリンだけでなくヴィオラの曲にも挑戦できる。
この歳になって、こんなすてきな贈り物が待っていてくれたとは。

まずは先日トーマスが弾いたドヴォルザーク「チェロ協奏曲」をヴィオラ用に編曲した楽譜が手元にあるので、それに挑戦してみようと思う。
ヴィオラはそれ自身用に作曲された曲は少なく、チェロやヴァイオリンの曲を無理してオクターブ上げ下げしながら、弾かなければならないのが、少し可哀相。

私は小柄で、本来ヴィオラを弾くのは無理なはずなので、少しでも身体が拒否したらすぐにやめないといけない。
そういうリスクを冒しても、有り余るほどの魅力がヴィオラにはある。













2015年12月16日水曜日

お別れ

ロンドンアンサンブルのレギュラーメンバーは、14日の横浜公演が最後。
ヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェ二ファは、次の室内楽公演のために、イギリスに帰国した。
そして、小田原でのコンサートのために残った、チェリストのトーマスは明日、日本を離れてしまう。
彼はイギリスでのエルガー「エニグマ変奏曲」のオーケストラの指揮を控えていて、大きなスコアを演奏会の合間に覗いては絶えず勉強をしている。
大きな身体と人懐こい笑顔の陰には、とてつもない努力が隠されている。
陽気で大食漢で楽天的と思われがちだが、私たちは人一倍気をつかう繊細な彼を見て、ああでなければここまでは来られなかったと思う。
演奏会で少しのミスでもあれば、演奏会後にその箇所を納得のいくまで練習し直す。

世界の名だたる音楽家との親交がありながら、飾らない人柄が私の様な無名の音楽家とも気さくに交流してくれる。
それもこれも、美智子さんやリチャードとの友情のため。
練習の時の彼は厳しく、おそろしく耳が良く隅々までスコアが頭に入っているので、どこをどう間違えてもすぐにわかってしまう。

来日して以来、千葉や九州などで地方公演。
東京文化会館小ホール、横浜美術館まではロンドンアンサンブルの正規のメンバー、小田原では私たちも同じプログラムで演奏。
だから、練習も二重になる。

これがどれほど大変な事か。
連日のコンサートでは、いくらタフな彼らでも消耗する。

本当に疲れると思うので、彼らがいる間はなんとか快適に過ごして欲しいと思う。
どこへ行っても大歓迎されるのも、嬉しい反面、楽ではないはず。
その間は疲れていても愛想良く振る舞い、練習したくてジリジリしても、我慢する。
だから我が家に来たときには、なるべくほったらかし。
神経質にイライラしても気がつかないフリをする。

小田原公演の翌日にはトーマスはイギリスに帰る予定だったのに、毎年行く箱根の温泉に行きたくて1日滞在を延ばした。
今日の箱根は少し風が強かったものの、暖かい日差しが心地よい絶好のドライブ日和りだった。

芦ノ湖の湖畔を散歩するのは毎年のこと。
その後は仙石原に行って、お土産屋さんの二階にある喫茶店で、昼食をとらせてもらった。
前日の夜、箱根到着が遅くなるので、夜食用に買い込んであった食料が余っていた。
かなりの量なので、それを今日の昼食にあてることにしたけれど、いくら良いお天気でも湖水が波立つほどの風では、外は寒い。
試しに喫茶店で、持ち込みをしても良いかと訊ねたら、快く承知してくれたのだった。
なにか一品ずつとってくれれば構わないと言うので、コーヒーなどを頼んで、ほっと一息ついた。

日が傾き始めた頃、山路を御殿場に向かう。
車がカーブを曲がったとたん、目の前に大きな富士山が急に姿を現わした。
思わずブレーキを踏んで、車を道路脇に停めて、その雄大な姿に見とれてしまった。

今回のロンドンアンサンブルの公演はどこでも大成功で、東京文化会館小ホールの席はほぼ満席。
小田原も日にちの変更などで会場がとれず、市民会館の小ホールになったけれど、古くて申し訳ないと言う主宰者の言葉に反して、古いながら音響の良い弾き易い、しかも地の利も良いホールだった。
結果としては、客入りも良くなかなか楽しいコンサートになった。

しかも思いがけないことに、私のオーケストラ時代の先輩が顔を見せてくれた。
「え、どうして?」と言うと「小田原中にnekotamaさんの顔写真があったから、こない訳にはいかないでしょう」と言う。
そうか、手配書が回っていたか。
そう言えば買い物に入ったお店にも、チラシが置いてあった。
感謝感激だった。

コンサートが終ってから箱根までひとっ走り。
去年は霧の中を走って怖い思いをしたけれど、今年はむやみに暖かい。
それは助かるけれど、やはり山では身の引き締まるような寒さがふさわしい。
帰りの高速道路では疲れの出た男性達は眠ってしまい、心配性の美智子さんだけが起きていて私に話しかける。
私が居眠り運転をしないようにという配慮らしい。

最近の私の運転はいよいよ怪しくなってきたけれど、自覚しているだけに以前より慎重になってきた。
今回はタマーシュが「ブレーキを解除した?」「ライトをつけなくていいの?」とか脇から言う。
来年も果して無事に彼らを乗せられるかどうか、怪しいなと思う。
たぶん、来年は他のヴィオラ弾きと他のドライバーにお任せすることになると思う。
そして私は高みの見物。

もう一つ嬉しかったのは、今回はヴィオラの活躍する曲が多くて、皆さんがそのことに気がついて「ヴィオラって素敵な楽器なんですねえ」と言ってくれたこと。
「そうなんですよ、私もヴィオラが大好きなんです」と我が意を得たり。
ヴィオラも市民権を主張しないとね。

エニグマは本当に素晴らしい曲だが、初めて楽譜を見たときには絶望的な気分だった。
これを指揮者なしで?
出来るかどうか怪しかったけれど、きちんと分析してみればすごく合理的に描かれているのがわかる。
この曲を弾かせてくれたロンドンアンサンブルに感謝したい。































2015年12月15日火曜日

芥川也寸志さん


この曲をご存じの方も今は少ないと思うけれど、これはNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲。芥川也寸志作曲。
芥川さんは私たちのオーケストラが経営不振の頃、なにかと気にかけてくださった。
ハンサムで品が良く、ユーモアがあり素敵な方だった。
私たちがよくお目にかかったのは、女優の草笛光子さんと結婚なさったか離婚されたか・・・その頃だった。
そして次のお相手はテレビでのレギュラー番組で出会った、エレクトーン奏者。
そのお二人が熱い視線を交わすのを目にして、あ、これは結婚するなとおもっていたらその通りになった。
彼は頭の良い女性が好きなのだと思った。
奥様は素晴らしくきれいな足の持ち主で、女の私でも惚れ惚れするほど。

猫を飼っていて、猫のために自動ドアを付けて、それが体重不足で開かないんだよと、楽しそうにお話していた。
私もなにかと目を掛けて頂いて、私的なイベントにも出てくださった。
その時の写真を「もう、アルバムに貼ったよ」と次にお目にかかった時に聞いて、芥川家のアルバムに私たちごときが・・・と感激した。
まだそのアルバムはあるのかしら。

普段は優しい彼が怒ったのを見た事がある。
モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のチェロパートのある部分で、チェロが本気で弾かなかったと言って、激怒したことがある。

本当に心が若々しく、純粋で一生懸命。
万年青年だった。
いつも12月14日の赤穂浪士の討ち入りに、思い出すこと。











2015年12月13日日曜日

ヴォルフガング・ダヴィッド & 梯 剛之 デュオ・リサイタル

ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ3番」
フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ1番」
ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ7番」

ヴォルフガングとは、たぶん両親の思いの込められた名前なのではないかと思う。
その後がアマデウスだったら言うこと無し。
虎ノ門 JTホール

梯さんは盲目のピアニスト。
ヴォルフガングさんはタケシが楽譜を見ないなら、自分も見ないと言って、すべて暗譜で弾く事にしたという。

協奏曲は暗譜で弾くけれど、ソナタの場合はたいていピアノもヴァイオリンも楽譜を見る。
室内楽だし、両者がメロディーを受け持ったり伴奏に回ったり合の手を入れたりするから、暗譜をするのは大変難しい。

練習を重ねると殆ど覚えてしまうかも知れないけれど、それでも細かいやりとりなどは暗譜ではとても怖いはず。
しかし、両者とも本当に隅々まで、ジグゾーパズルを埋め込んでいくように、音を繋げていく。
しかも音色に透明感があって、細かい動きがそれぞれしっかりと聞こえてくる。
素晴らしいコンサートだった。

剛之さんとは毎年八ヶ岳音楽祭でお目にかかる。
お父さんは元N響のヴィオリストで、毎年この音楽祭にヴィオラのトップとして参加している。
そして剛之さんもお父さんと一緒に八ヶ岳に来て、コンサートを開く。
宿泊先の食堂で出会うと、私たちと一緒にご飯を食べる。
彼は非常に冗談の好きな明るい青年なので、ステージで見る求道者のようなストイックな姿と重ね合わせるのが難しい。

一時期、苦悩に満ちた表現をすることがあって、心配になる位だった。
音の響きを模索して、一つ一つ、塗り込めるように弾くのを聴くと、胸が締め付けられる感じがした。
たぶん音を追究するあまり、出口が見付からないでもがいていたのだと思う。
それがあるときから急に軽やかになり、おや、と思ったことがあった。
その後は初心に返ったかのように、素朴で飾らない音楽を淡々と弾くようになって、それはそれですごく良かった。

そして今日は、見事に洗練されて花開くような華麗さも加わって、名手の域に達したようだ。
それはヴォルフガングさん(この名前が素敵なので彼をそう呼ばせてもらう)との共演のたまものではないかと思う。
同じ感性を持った2人の出会いが、見事な会話になって聞えてくる。
言葉では言い表せないので、是非この2人の演奏を聴いてみてください。
すぐれた室内楽奏者が集まると、楽器を越えた響きを作り出す。
今日はまさにそんなケースで、一緒に行ったピアニストのSさんと感激しながら帰ってきた。
彼女とのフォーレのソナタは、半分で棚上げとなっている。
来年は本気で弾こうと話し合ってきた。
それにしてもヴォルフガング・剛之の半分でも弾けるかどうか。

ヴォルフガングさんが、剛之さんの本来の明るい性格を、引き出してくれたのかもしれない。
お互いに得がたい相棒を見つけたようだ。
楽しげに楽器で対話する2人を見ていると、来年こそちゃんとヴァイオリンを練習しようと・・・ね。いつも思う。
























2015年12月12日土曜日

まだまだ練習

今日も又小田原公演のための練習。
他のメンバーはすでに、九州や千葉方面で同じプログラムのコンサートを終えているので、完全に出来上がっているけれど、小田原だけの志帆さんと私は戸惑うことも多い。
私は「エニグマ」はすっかり頭に入っているからさほど緊張派しないけれど、くせ者はドヴォルザーク「チェロ協奏曲」
オーケストラで何回も弾いているから大丈夫と思っていたけれど、いつもは指揮者がいるから呑気に指揮に合わせているだけ。
指揮者なしだと時々迷子になりそう。

練習をやり直したいときは楽譜に練習番号が振ってあるので、例えばAの一小節前からとか、Bの6小節後からとか言って、皆でその場所からもう一度弾く。
そうやって、部分的に手直ししていく。

ところが、何回やっても私だけ違う事があった。
けれど、私はどうやっても楽譜通りに弾いている。
こんなことはヴァイオリンだったら間違えないと思うけれど、この曲のヴィオラパートを弾くのは初めてなので、ふーん、ヴィオラは一小節遅れて出るのかと思った。
それでも音が合わないからおかしいと思ったけれど、結局練習番号の位置の間違い。
オーケストラで楽譜に忠実に弾くことを訓練されすぎて、臨機応変が効かなかった私も悪い。

とにかくチェロのソロの洪水みたいな音量にはビックリする。

今日練習がないタマーシュとジェニファがやってきて、タマーシュはイギリスでの次のコンサートのための練習をしたいのでどこか部屋はないかと言う。
私の兄の家が近く、彼の娘は自宅でピアノを教えているからレッスン室もある。
そこへ連れて行ってあげた。
たっぷり3時間ほど練習して、ご機嫌で帰って来た。

私の兄のたぬきさんは、お客様大好き、音楽大好きだから、殊の外喜んで大歓迎。
心配なのは、練習したいタマーシュにまとわりついて、邪魔をしないかということ。
家に入るなり「お寿司をとろうか、お茶はいかがか」とたたみかける。
タマーシュは困って苦笑している。
そのまま放り出してきたけれど、その後どうなったか。
帰って来たタマーシュに訊いたら、コーヒーを淹れてもらったとか。
まあ、その辺で済んでよかった。
レコード蒐集品も見せたらしく、変な自慢していないといいけれど。

練習後かれらと食事をして解散。

小田原の分の練習も終わり、彼らは3回のコンサートを消化すると帰国する。
この1週間、ロンドンアンサンブルとのお付き合いは濃くて忙しくて、いささか疲れた。




















2015年12月10日木曜日

今日も練習

ロンドンアンサンブルのメンバーが九州佐賀の公演を終えて、羽田に帰ってくると言うので迎えに行った。
羽田空港はホンの数年前まで毎月のように飛行機で仕事に行くために利用していた。
このところ何にも用事は無く、久しぶりに出かけたので、多少様子が分からなくなっている。
道がどんどん新しく出来るので油断がならない。
入り組んだ立体交差などを1本間違えると、ほかのエリアにはいりこんでしまう。
それでも無事に彼らと会えて、私のボロ車に3人のでかいイギリス人を乗せると、荷物と人間で身動きとれないほどになった。
私のバカさ加減が遺憾なく発揮されたのは、夏の買い物用にトランクに入れてあったクーラーボックスを片付けていなかったこと。
これだけの荷物を載せることは分かっていたのに、トランクの点検をしなかったために、トランクにでんと置いてあったクーラーボックスがじゃまで、危うく荷物が全部のりきれないかと思えた。
タマーシュの必死の作業でトランクに荷物が収まったときには、皆で歓声をあげて拍手をした。

今年はヴィオラのパートがあるので、タマーシュの奥さんのジェニファがヴィオリストとして同行している。
ジェニが帰ってしまうと私の出番というわけ。

今日の練習は私たち小田原組。
チェロ無しの下稽古をしておいたお陰でスムーズに流れ、チェロが入ると一層弾きやすくなった。

トーマスのチェロのものすごさは、我が家が揺れ動くほどの振動。
圧巻はドヴォルザークの「チェロ協奏曲」で、息もつかせない迫力でグイグイと迫って来る。
聞き惚れて落ちそうになる。

練習の後にタマーシュがやってきて、私の元生徒が彼のレッスンを受けた。
彼女は今大学院の1年生。
曲はサンサーンスの「ヴァイオリン協奏曲」
学内のコンクールで本選に残り入賞したという。
毎回聴くたびに、上手くなっているのは喜ばしいけれど、若さゆえの弾きまくりが少しうるさい。
同じパッセージをタマーシュが弾くと、蕩けるような音とニュアンスで、やはりまだまだ彼女は修行が足りない。
タマーシュに言わせると、彼女は才能がある。
言えばすぐに反応する、言っても反応出来ない人が多いので、見所はあるそうだ。
良かった!
即席でピアノ伴奏を付けたのはトーマス。
彼はチェリスト、指揮者の二つの顔を持っているけれど、ピアノも大変上手い。
素晴らしい伴奏が入って、生徒の顔は幸せそうに輝いた。

終ってから一緒に軽く食事をして、これからまだ21時に練習の合わせがあると言って、あたふたと出て行った。
池袋まで合わせにいくそうで、そんなことも若い頃は少しも苦にならなかったことを思い出した。
むしろ、動き回っているのが楽しくて仕方がなかった。
私も夜討ち朝駆け、早朝から深夜まで良く練習したものだった。
体力も気力も充実している若いうちなら、苦労を苦労と思わない。

彼女が帰ってしまうと、そこからは大人の時間・・・とはならず、みんな子供みたいに冗談が飛び交い・・・と言っても英語が聞き取れない私は、キョトンとしていることの方が多いけれど。
なんやかんや、貧しさとか練習の厳しさ、本番の緊張と戦いながらも、私たちは本当に幸せなのかも知れない。

タマーシュ、ジェニファ組は13日(日)東京文化会館 14日(月)横浜美術館
志帆、nekotama組は15日(火)小田原市民会館です。
ピアノ、フルート、チェロは変わらず。
どうぞよろしく
















2015年12月8日火曜日

末っ子いじめ

6人兄弟の長兄が、時々自宅で兄妹会を催してくれる。
長姉は先年亡くなったので、今日は近所の姉2人とその連れ合い、長兄など、全部で7人集まった。
兄は歳をとって耳が少し不自由になったほかは、いたって元気で益々狸に似てきた。
先日その兄に似ていると言われて憤慨した私は、あまり側に寄りたくないけれど、そこはご馳走に釣られてやはり参加してしまう。
サラダ、焼き鳥、鶏肉とチーズの揚げ物、そしておこわのお弁当が今日のメニュー。
義姉はとてもお料理上手で、以前はよくお煮染めなども作ってくれたのに、このところ腰を痛めてメニューが簡単になってきた。
かつては色とりどりのお料理が、テーブル狭しと並んだものだったが。
飲み物もビールをコップ一杯ずつ飲むと、皆気がすんでしまう。
一升瓶がずらりとカラになっていく、かつての家族会が嘘のよう。
長姉の連れ合いの義兄は、酔っぱらうと、私の姉に捧げるベッサメムーチョを高唱したものだったけれど、2人とももういなくなってしまった。

焼き鳥などをつまみながらしばらくビールをのんでいた。
それではご飯にしようかと、兄がお弁当を配り始めた。
「あれ、一つ足りない、nekotamaちゃんの分を買うの忘れた」
私はビールでお腹がくちくなっていたから、「え~っ」と思いながらも「いいよ」と応えると、姉が笑いながら「また~、ほら、末っ子いじりが始まった」
なーんだ、兄の冗談か。

いつもそうやって兄姉から長年、悪戯をされてきた。
子供のころから、ぬいぐるみより面白いとかなんとか言われ、からかわれ続けたから、こんないじけた人間になってしまったのだ。

石鹸をチーズと言って騙されて食べさせられたり、紐を蛇だと言って追いかけ回されたり。
1番のいじめは、私は拾われた子で、赤いおべべを着て橋の下で泣いていたから、拾ってきたというものだった。
嘘だということは分かっている。
わかっているけど、悲しくなってメソメソ泣き始めるとわーっと笑って、嘘嘘、冗談だからと言う。
それなら初めから言わなければいいのに。
しかもこともあろうか、母までその冗談に加担するのだった。

友達に訊くと、皆たいがいそう言われて育ったという。
今でも子供にそうやって言って、からかうのかしら。
ワケがわからん。
本当に悲しかったのだから。

それでも兄がいなかったら、私はヴァイオリンをやっていなかった。
兄は最近まで趣味でチェロをやっていたけれど、耳が遠くなって大きな楽器を運ぶのも辛くなったと言って、チェロはやめてしまった。
もっぱら絵を描いている。
今日の漬け物は、厳重な管理の下に漬けられた蕪とキュウリ。
兄はぬか床を作るところから初めて、温度、湿度、塩分濃度などを計算して漬けるのだそうだ。
だから、すごく美味しい。
この兄の妹がこの私。
まるっきり大雑把でいい加減で、同じ両親から産まれたとは思えない。

そうか、私は拾われた子だった。











2015年12月4日金曜日

練習開始

ロンドンアンサンブル小田原公演の下稽古。
ロンドンから2日前に到着したフルートのリチャードと奥さんのピアニストの美智子さんが、まず顔を見せた。
すぐにヴァイオリンの志帆さんも交えて、チェロのトーマスなしで軽く下稽古・・・のはずなのに、始めるとカリカリと頭にきやすい我々は、初めから夢中になってしまう。
美智子さん夫妻はテンポのことで揉め、私は「喧嘩はおうちに帰ってからやって」と仲裁に入るフリして、煽り立てる。

私が夕方から仕事に出かけるので、時間は正味3時間半。
お茶も飲まず、積もる話もせず、ひたすら弾き続けた。
志帆さんは先日関東学院大学の定期演奏会で、チャイコフスキーのソロを弾いたばかり。
あまり準備が出来ていないと言いながら、持ってきた昼食用のお弁当も食べずに弾いている。
美智子さんは体調不良で、ヒースロー空港に行くタクシーの中で酔ってしまったそうで、少し痩せたようだ。
けれど、夫婦喧嘩が出来るようだし、リチャードの意見を強引にねじ伏せる時には、パワー全開。

チェロがいないからバランスが分からないけれど、やはり室内楽は面白うございます。
とにかく指揮者がいないのが良い。
指揮者が居ると我々楽隊は身動きとれない。
もう少しここをゆっくりなんて思っても、指揮者に強引に棒を振られたら、絶対服従する。
でないと、オーケストラは成り立たない。

昔ホルンの名手、ザイフェルトという人がいた。
指揮者のカラヤンと彼の意見が衝突して、カラヤンが「俺はカラヤンだ」と言ったら「俺はザイフェルトだ」と言い返した伝説がある。

世界的に有名な彼の演奏を聴いたのは、一橋大学の講堂だった。
天窓の辺りに鳩が飛んでいて、ホルンの、のどかな響きを背景に、まさに一幅の絵画の中に溶け込んだようで、実に良いコンサートだった。
ちなみにチェンバロは小林道夫せんせい。
記憶が曖昧で、チェンバロではなくてピアノだったかもしれない。

こちらは時間に追われて悠長にしていられない。
モーツアルト、ベートーヴェンはなんとかなるけれど、エルガー「エニグマ」は私は初めてお目にかかるので、十分な下準備はしたはず。
なのに、実際合わせてみると最後の方は置いてけぼり。
どんどんテンポが上がって行く。
そこは古狸だから、要所要所で見繕って最後はピタリと終る。
しかし、途中がきちんと分かっていないことに気がついた。
今日は初めから譜面を見直してチェックする。

やっとこれなら次の練習ではついていけるかも、というところまで漕ぎ着けた。
私が出かける時間が来ても全部の練習が終らなく、志帆さんのソロ「ポギーとベス」の練習が残ってしまった。
自宅の鍵を美智子さんに預けて、私は一足お先に仕事に飛んで行った。
全く休憩無しの3時間半、ヴィオラを弾き続けたので、今朝は少々寝坊をした。

次の練習は1週間先で、チェロのトーマスが来るから、もう少し楽に出来ると思う。
うちのレッスン室はまあまあの広さがあるけれど、トーマスが来ると突然小さな部屋になってしまって、人がひしめき合う感じになる。
楽器も人も大きい。音も大きい。
日本のチェリストも上手いけれど、トーマスの音を聴くと全部吹き飛んでしまいそうな気がする。

さて、小田原公演の宣伝です。

12月15日(火)18時開演 小田原市民会館小ホール

モーツアルト「フルート四重奏曲 第4番 イ長調 K.298」
ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 第1楽章」
ベートーヴェン「ピアノ四重奏曲 変ホ長調 WoO36 第1番」
作曲者不明尺八 古典本曲「手向け」
ガーシュイン「ポギーとベス」ハイフェッツ編
エルガー「エニグマ変奏曲作品36」

ドヴォルザークの伴奏とエルガーの原曲はオーケストラ。
それを5重奏曲に編曲した。
編曲と尺八演奏 リチャード・スタッグ
リチャードが尺八を持って袴姿で登場すると、観客席が喜ぶのがわかる。
このアンサンブルの、恒例の演しもの。












2015年12月1日火曜日

帰って来たノラ猫

土曜日、日曜日とノラたちは駐車場に現れず、心配していたけれど、何食わぬ顔で戻ってきた。
しかし、食事の量はぐんと減っている。
一体どこで食べさせてもらっているのだろうか。
猫缶のストックが底をつきそうなので、明日は買い出しにでかけようと思っているけれど、前より量は少なくて済むかも知れない。

やはり土日というのがキーワード、飼い主が居るかも知れないノラたちは、ウイークデーの朝だけ我が家に来るようだ。
ボス猫シロリンはすっかり丸々として気分も落ち着いて、私が手を伸ばしても引っ掻かれなくなった。

以前ならちょっと手を前に出しただけで、フーッと威嚇して歯をむき出したのに、今は平然と餌を食べ続ける。
一向に気にならないどころか、おい、撫でても良いんだぜとばかりに、わざわざ横腹を見せてくる。
最近は頭まで撫でさせて頂ける有り難い状態。

衣食足りて礼節を知ると言うけれど、猫もこれほど変わるものなのか。
この2年ばかり、シロリンは傷が絶えなかった。
目は半分ふさがり、耳は血を流しといった状態が続いた。
縄張り争いの熾烈さを窺い知らされた。
それが最近は毛並みは真っ白。
撫でるとフカフカ。
明らかにシャンプーかブラッシングが施され、こうやって見るとなかなかの美猫。
顔はフーテンの寅さんなみの面白い顔だが、身体が大きく立派にボス猫の素質を持ち合わせている。

猫の世界で雌にもてる雄猫は、美形ではなく、頭が大きくて骨格のしっかりした雄が多い。
以前我が家に通ってきていたパンダちゃんは、白と黒のパンダ模様。
真四角の顔に小さな目。
がに股でのっしのっしと歩く。
その模様と顔がそっくりな子猫が、至る所にいた。
おや、お前もパンダちゃんの息子かえ?と話しかけたものだった。
我が家の近辺は殆どパンダ族が横行していた。

ある日、商店街の途中にある踏切の向こう側で、パンダを見つけた。
その頃、踏切は開かずの踏切に近く、中々電車が途切れない。
それなのに、ずっと無事で線路の向こう側にまで出張していた。

我が家の軒下で餌を与えていたら、川を挟んだ向こう岸の家の奥さんが通りかかった。
「あら、このこ、去年までうちに来ていたのよ。最近来ないから死んだと思っていたら、お宅でご飯もらってるのね」
その去年は私の方が、パンダちゃんは死んだと思っていたのだった。

うまく立ち回って餌を確保するために、ノラ達は日夜努力している。
たいしたものだ。

毎日餌をやっていたノラが、死ぬ間際に挨拶をしに来た事もあった。
そうやって生き物の連鎖がいつまでも途切れないことを祈る。
最近は人も動物も生きにくい世の中なので、ノラ達も迫害に遭っていることだと思う。
でも、猫の生きられない世界なんて、考えただけで不気味だと思いませんか?