2015年12月17日木曜日

ヴィオラ弾きの夢

今から30年程前、私はヴィオラの音色に取り憑かれていて、本当にヴィオラ奏者になりたいと思っていた。
その頃、ヴィオラ曲の初演演奏の依頼があって、それが超難曲。
毎日四苦八苦して譜読みに追われていた。
無伴奏のすてきな曲だったけれど、あまりの難しさに2ヶ月かかりっきりで練習した。
練習の甲斐あって、本番はなんとか上手くいった。
しかし楽器の大きさから腰痛に見舞われて、ヴィオラ弾きの夢は断念。

その後はヴィオラの仕事は殆ど断って、楽器はひっそりと部屋の片隅に放置された。
その頃私はヴィオラを3台持っていた。
それで1つは売り払い、新しいヴァイオリンの支払いに充てた。
けれど、後の2つはなんとなくとってあり、一つは人に貸して、もう一つは今でも時々使っている。

なぜヴィオラかというと、まずその音の魅力。
人の声なら女性のアルトにあたる、中間の音域。
楽器がヴァイオリンより大きいので、深みのあるやさしい響きがする。
人の心を包み込むような、おおらかさ。
安らぎを感じる。

以前、神奈川県が県内在住又は県出身の演奏家を集めて、オーケストラのコンサートを開いたことがあった。
指揮者はヤマカズこと故山田一雄さん。
このことはもう3回くらい、このnekotamaに書いているけれど。

神奈川県出身か在住の音楽家は多くて、あっという間に超リッチなオーケストラが出来上がった。
日本の音楽界の頂点にいる人達が集まって、何故かその片隅にヴィオラ奏者として私が混じったのは、なにかの間違い。
ヴィオラも日本を代表するメンバーばかりで、私は恐縮しながらも楽しく演奏した。

とにかく大御所ばかりだったので、県側としても非常に気をつかったとみえて、曲ごとにメンバーの配置移動があって、トップ毎メンバーが入れ替わった。

一曲終る度に全体がゴソゴソと場所を入れ替わる中で、ヴィオラパートだけは悠然と居座って、トップ以外誰も立とうとしない。
「いいよね、ここで」なんてノンビリ言いながら。
私はそういうのがたまらなく好き。
ずぼら、いい加減、良く言えば我が道を行く。
ヴィオラという楽器の特性が良く表れている。

最近になって、ヴィオラが以前より楽に弾けるようになったことに気がついた。
身体の大きさは年々歳をとって小さくなっていく。
手も小さく、指は節々が関節炎で痛い。
それなのにヴィオラを何時間弾いても、あまり疲れない。
弓を力任せにこすらなくなったら、響きが増えて楽器が良く鳴るようになった。

今回のロンドンアンサンブルのコンサートでは「エニグマ」が特に難しかったけれど、今まで弾いた中で1番楽に弾けた。
これは、トーマスの素晴らしいチェロの音に助けられた部分が、多々あると思うけれど。
ベートーヴェンのピアノ四重奏曲の中には、ヴィオラのためのバリエーションが1曲ある。
モーツアルトの「フルート4重奏曲」にもヴィオラのヴァリエーションがあった。
ヴィオラはいつも陰に回っているので、そんな時には、急に脚光を浴びる。
それで今回のプログラムはヴィオラの出番が非常に多く、皆さんのお耳にとまったらしい。
時々肩が抜けそうになっても、演奏自体は以前よりずっと楽。
仕事が減って、身体が楽になったのが影響しているかも知れないけれど、これは嬉しい。
ヒマになった分、ヴァイオリンだけでなくヴィオラの曲にも挑戦できる。
この歳になって、こんなすてきな贈り物が待っていてくれたとは。

まずは先日トーマスが弾いたドヴォルザーク「チェロ協奏曲」をヴィオラ用に編曲した楽譜が手元にあるので、それに挑戦してみようと思う。
ヴィオラはそれ自身用に作曲された曲は少なく、チェロやヴァイオリンの曲を無理してオクターブ上げ下げしながら、弾かなければならないのが、少し可哀相。

私は小柄で、本来ヴィオラを弾くのは無理なはずなので、少しでも身体が拒否したらすぐにやめないといけない。
そういうリスクを冒しても、有り余るほどの魅力がヴィオラにはある。













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