音楽教室「ルフォスタ」は私の謂わば第二の家庭みたいなものだった。
故 小田部ひろのさんが理想の教室を目指して「おじさんたちのオアシス」を作りたいという趣旨に賛同して、仲間入りさせてもらった。
その時は講師が5人くらい?だったかしら。
生徒はほんの数人。
小田部先生の不安をよそに、教室はあっと言う間に大勢の生徒数を抱えることとなった。
勢いのあるときには、私のヴァイオリンクラスは途中で食事を摂る間も無いくらいの、盛況ぶりだった。
ヘトヘトになってレッスンを終ると、自宅にも生徒が待っていて、大急ぎで帰ってレッスンを終ると、寝る時間も短くて大変だったことを思い出す。
生徒数が増えるに従って、私はあくまでも最初の理想に拘り、緩く甘く、ゆったりとしたオアシスを目指していたけれど、教室としてはそうもいかない。
規律が厳しくなり、最初の頃のいい加減な事務処理では、様々な問題に対応できない。
そんな中で、私は絶対に生徒側に立ってしまうので、その辺が経営陣との摩擦をよんでしまう。
小田部さんとの確執も多々あって角突き合わせている中でも、私たちは結局お互いに必要としていたから、訣別することはなかった。
そんな中でも、彼女は私との信頼関係を取り戻そうと近寄ってくれて、私たちはそれからも一緒に旅行したり、新しいアマチュアオーケストラを立ち上げたりと共同作業は続いた。
そして、小田部さんは一足先に天国へ行ってしまった。
臨終のベッドの傍らで彼女の手を握って、私は号泣した。
今でもそのことを思うと、涙がこぼれる。
力が抜けてしまって、生徒は友人に託し私はやめるつもりでいたけれど、他の講師が体調を崩して、回復するまでの代講を頼まれた。
休養期間だけという約束だったけれど、復帰のめどが立たないからと言って、その後は私に任された。
ほんの数人の生徒達。
その人達は優秀で熱心で、濃いレッスンとなったのは、私の生涯の宝物となった。
この人達を半端な講師に委ねるわけにはいかないので、熟慮していたけれど、とても優秀で経験豊富で、人柄も申し分ない先生にお願いできることとなった。
そして昨日のクリスマスイブは最後のレッスン。
生徒2人とこの教室創立以来、長年に亘って通ってくれた、Tさんと4人でお別れ会をした。
まだ全部教室をやめた訳ではなく、時々他に指導する人が見付からないときだけ、アンサンブルの指導をする予定。
1月もその予定が入っているけれど、決った曜日に出かけることは無くなった。
これで、私の日時に対する勘は益々鈍ってくるかもしれない。
教室はいつも居心地良く、言いたい放題やりたい放題にさせてもらったけれど、ここいらへんでそろそろひきこもりを始めたい。
オーケストラの仕事も殆ど引き受けなくなった、というより来ないし。
長い間読めないで積んであった本を読む。
猫に寂しい思いをさせない。
お掃除も・・・あ、これは言わない方がいいかな。
ヴァイオリンをちゃんと練習する・・これも言わない方が?
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