2015年12月22日火曜日

ヴァイオリンの感覚

12月に入ってからはずっとヴィオラを弾いていた。
そしてロンドアンサンブルの小田原公演が終ってからは、ずっとピアノを弾いていた。
その間、私のヴァイオリンはケースにしまわれ、出番がなかった。

今度の忘年会コンサートで、3月の「古典」定期演奏会で弾くトレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」を弾くことにした。
幸い一緒に弾くIさんも「雪雀連」のメンバーでスキーの達人。
忘年会に出るというから、それでは練習させてもらおうよ、というわけでの出場。
この夏に北軽井沢のコンサートでも弾かせてもらったし、何回でも人前で弾くのはすごく練習効果がある。
それでピアノばかり弾いてはいられないから、ようやくヴァイオリンを取り出して音をだしたら、なにやら様子が変。

ヴァイオリンはすっかり拗ねてしまって、涙声。
鼻の詰まったような音しか出ない。
1日弾いても出ない。
2日弾いても出ない。
3日目に漸く少しずつ鳴り始めた。

それは楽器のせいでもあるけれど、自分の手がすっかりヴィオラ仕様になってしまったのだ。
弦楽器の弓の使い方は本当に難しい。
ほんの僅かの圧力の変化や、指の力加減、身体の柔軟性などに微妙に反応するのだから。
昨日は素敵な音が出たのに、今日はもうその音が出ないなんていうことは、しょっちゅうある。
緊張して弦を強くこすってしまうと、とたんに響きがなくなる。
傍で大きな音がしても、広い会場で遠くにとどかないとか。

なんでも運動というのはそうだけど、力んだらお終い。
ヴィオラとヴァイオリンの弓の使い方は全く同じではあるけれど、ヴィオラの方が多少弓に重みがいる。
それは1番低い音の弦が少し太いのと、楽器の大きさが違うから。
楽器自体が大きいので、当然弓を置くポイントが遠くなる。
指板と駒の間の1番良く鳴る場所を探して弾くのだから、ヴィオラの方が奏者からは少し遠くなる。
その感覚が身についてしまったらしく、ヴァイオリンを弾いても、いつもの場所からほんの僅かずれているなと感じた。
その修正は音を聴いてするのだけれど、手がしばらく覚えてしまっているので、ほんの数ミリ単位でずれていたようだ。
それがやっと元に戻ったらしい。

若いうちならなんでも馬力でこなせたけれど、省エネの奏法をしないと私の年齢ではもたない。
その省エネが今のところ上手くいっているので、まだ弾いていられる。
それでも身体はどんどん柔軟さを失っていくので、手首などが硬いと感じたら、他のところで・・例えば腕全体を使う方法で補ったり。
いやはや大変です。

お正月は例年のとおり、スキー場で過ごすことになっている。
スキーは年に数回行くけれど、毎年力をどうやって抜くかが課題になっている。
正しい姿勢で正しいポイントに乗ること、これが難しい。
楽器もスポーツも究極はそれ。
私がレッスンで生徒に文句を言うけれど、スキーの先生から同じことを毎年言われているのが、腹立たしい。
スキーの先生に、今度お返しにヴァイオリンを教えましょうと言ったら、きっぱりと断られた。
身の危険を感じたらしい。

























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