2015年12月26日土曜日

忘年会コンサート

今年最後のドキドキは忘年会コンサートで、歌のピアノ伴奏をすること。
ピアノは大好きで、高校時代はヴァイオリンとどちらが好きかというほど、ピアノもよく弾いていた。
なにが良いのかというと、蓋を開けるとすぐに弾けること。
ヴァイオリンのように、楽器を出すとまず調弦、それから楽器のゴキゲンを伺う。
湿気がこもっていないか、乾燥しすぎていないか、弦は傷んでいないか、弓の毛はまだ保つかしら、どこかヒビがはいっていないだろうか・・・様々な心配事が、のしかかってくる。

気むずかしくてお天気や、それが魅力でもあるけれど。
それでも選んだのはヴァイオリン。
子供の頃にレコードで聴いたハイフェッツの音に魅了されたから。
それはもう魔術のような演奏だった。

長年眠っていたピアノを練習すると、若い頃夢中になってショパンやモーツアルトを弾いたことが嘘のような気がする。
指はあちらこちらをさまよい、ミスタッチの連続。
ショパンのノクターンやマズルカなども、夢のように遠い過去になってしまった。
本当に弾いていたのかどうか。

それでもトチトチと音を拾っていくうちに、和音の魅力に取り憑かれていく。
ヴァイオリンの重音はバッハやイザイの無伴奏では当たり前に出てくるけれど、普段は単音でメロディーを弾くほうが多い。
ピアノは自分で伴奏までしてしまうので、独立できる楽器だけれど、ヴァイオリンはほとんどの場合、伴奏をつけてもらわなければならない。
そこが不自由なのだ。

歌の人なら両手が空いているから、弾き語りができる。
ヴァイオリンは腕が4本ないと、自分で伴奏までは手がまわらない。
子供の頃から音が重なって響くことに魅力を感じていたから、むしろピアノの道を選んでも良かったかもしれない。
それでも弦楽四重奏を聞くと、完璧なハーモニーには本当に感動させられる。
だから、やはりヴァイオリンを選んだのは正解かとも。

欲張りなんだなあ。

我らの「雪雀連」ようするにスキーと麻雀を楽しむ会は、会長がピアノ調律師だけあって、会員はステージ関係、音楽家も多い。
中には化学者なのに歌を歌う女史がいて、最近はますます歌の道に励んでいる。
肝心の仕事は放り出そうとしたので、まだやめないほうがいいよ、と忠告しておいた。
自分はさっさと引退宣言したくせに、なにを言うかと叱られそうだけれど。
そしてもうひとりは、この人はピアニストだから音楽家ではあるけれど、やはり畑違いの声楽に顔を突っ込んでいる。

この二人がいるから、わたしはモーツアルト「フィガロの結婚」からスザンナと伯爵夫人のロジーナが歌う「手紙の歌」が聞きたいと思った。
この曲ははじめのうちは一人ずつ交互に歌うけれど、最後のところで二重唱になる。
そこの音が重なる部分が好きでたまらない。
それでわたしが二人にリクエストをした。
ところがピアニストが歌ってしまうと、伴奏はだれが?

それでわたしが、ウン十年ぶりに人前でピアノを弾くことになった。
当日、リハーサルはうまくいったのに、本番になったらペダルは踏み間違えるは、ミスタッチはするはで、「雪雀連」の忘年会コンサートの会則を忠実に実行してしまった。

曰く

 決して上手に演奏してはならない。
 必ず一回は間違えるべし・・・等など。

そう、わたしは規則に忠実なのだ。

さんざん歌って飲んで、お開きとなってゴキゲンで5人ほど、東急線に乗ったら、いきなり車内放送。
この電車の前の電車が人身事故のため止まっているという。
この年の瀬、酔っ払ってかそれとも深い事情があってか、事故にあった人も、その電車の運転手も、気の毒でならない。

約1時間半ほど電車は動かず、その間本を読んだりうとうとしたり。
やっと帰ったらすっかり午前様。
そろそろこういう生活もやめないと。

嬉しかったのはネット上で知り合った人が馳せ参じてくれたこと。
ネットでは畑違いでも様々な人に出会える。
チロリン村から来たジュニア」を覗いてみてください。
わたしのお気に入りのサイトです。












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