土曜日、日曜日とノラたちは駐車場に現れず、心配していたけれど、何食わぬ顔で戻ってきた。
しかし、食事の量はぐんと減っている。
一体どこで食べさせてもらっているのだろうか。
猫缶のストックが底をつきそうなので、明日は買い出しにでかけようと思っているけれど、前より量は少なくて済むかも知れない。
やはり土日というのがキーワード、飼い主が居るかも知れないノラたちは、ウイークデーの朝だけ我が家に来るようだ。
ボス猫シロリンはすっかり丸々として気分も落ち着いて、私が手を伸ばしても引っ掻かれなくなった。
以前ならちょっと手を前に出しただけで、フーッと威嚇して歯をむき出したのに、今は平然と餌を食べ続ける。
一向に気にならないどころか、おい、撫でても良いんだぜとばかりに、わざわざ横腹を見せてくる。
最近は頭まで撫でさせて頂ける有り難い状態。
衣食足りて礼節を知ると言うけれど、猫もこれほど変わるものなのか。
この2年ばかり、シロリンは傷が絶えなかった。
目は半分ふさがり、耳は血を流しといった状態が続いた。
縄張り争いの熾烈さを窺い知らされた。
それが最近は毛並みは真っ白。
撫でるとフカフカ。
明らかにシャンプーかブラッシングが施され、こうやって見るとなかなかの美猫。
顔はフーテンの寅さんなみの面白い顔だが、身体が大きく立派にボス猫の素質を持ち合わせている。
猫の世界で雌にもてる雄猫は、美形ではなく、頭が大きくて骨格のしっかりした雄が多い。
以前我が家に通ってきていたパンダちゃんは、白と黒のパンダ模様。
真四角の顔に小さな目。
がに股でのっしのっしと歩く。
その模様と顔がそっくりな子猫が、至る所にいた。
おや、お前もパンダちゃんの息子かえ?と話しかけたものだった。
我が家の近辺は殆どパンダ族が横行していた。
ある日、商店街の途中にある踏切の向こう側で、パンダを見つけた。
その頃、踏切は開かずの踏切に近く、中々電車が途切れない。
それなのに、ずっと無事で線路の向こう側にまで出張していた。
我が家の軒下で餌を与えていたら、川を挟んだ向こう岸の家の奥さんが通りかかった。
「あら、このこ、去年までうちに来ていたのよ。最近来ないから死んだと思っていたら、お宅でご飯もらってるのね」
その去年は私の方が、パンダちゃんは死んだと思っていたのだった。
うまく立ち回って餌を確保するために、ノラ達は日夜努力している。
たいしたものだ。
毎日餌をやっていたノラが、死ぬ間際に挨拶をしに来た事もあった。
そうやって生き物の連鎖がいつまでも途切れないことを祈る。
最近は人も動物も生きにくい世の中なので、ノラ達も迫害に遭っていることだと思う。
でも、猫の生きられない世界なんて、考えただけで不気味だと思いませんか?
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