2015年2月28日土曜日

今年後半はヴィオラ奏者

ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが間もなくロンドンに帰るので、私の忘れ物を届けに来てくれた。
私がフメクリストとしてデビューしたのは、美智子さんのお兄様のコンサート。
その譜めくりのご褒美として頂戴した物を忘れてきてしまったので、帰国前の忙しい中、わざわざ私の自宅まで届けに来て下さったというわけ。
彼女は昼間お友達と会う約束、私は夜レッスンがあるから、その合間を縫って夕方の1時間ほど一緒にお茶を飲んだ。
お兄様の奥様から、可愛いグッズ(もちろん猫物)や危険なチョコレートが、我が家にわんさと届けられた。
なぜ危険かというと、最近体型がブタさんに近くなっているから。
これ全部食べたら巨大ブタになる。

暫く話しに花が咲いたけれど、時間があっと言う間に過ぎてしまった。
帰り際に、今年12月のロンドンアンサンブルは又ヴィオラを入れるから、小田原公演はお願いねと言われる。
小田原公演のヴァイオリンは小田原出身の碓井志帆さんが演奏する。
ヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェニファはイギリスのオーケストラの公演のため、一緒に帰ってしまうので、私がピンチヒッターというわけ。

演し物はなに?と訊くとドヴォルザーク「チェロ協奏曲」
わお、素敵。
トーマスの朗々としたチェロの音が、もう頭の中に聞こえてくる。
それからモーツァルト「フルート四重奏曲」
うーん、モーツァルト難しいけど、大好き。
そしてエルガー「エニグマ変奏曲」
えっ、ヴィオラのソロが何回も出てくるよね。
しかもリズム的な難所が沢山あって、指揮者無しだから、キャー、大丈夫かな!
後は、なにかピアノ四重奏曲でもと言うから、シューマンでないことを祈る。
あれはヴィオラの素晴らしいソロがあって、とても大変。
すごく上手いヴィオリストが弾いた方がいいかもね。
珍しくちょっと気弱になる。
シューマンと決ったわけでもないのに、もう緊張。
人一倍小柄な私がヴィオラを弾くのは、想像以上に大変なのに、なぜかヴィオラが好きで困る。
でも、この曲目は一筋縄ではいかないぞ。

それでも弾きたい気持ちは強いから、なんだかんだ言いながら結局引き受けてしまう。
これが間違いの元で、本番前は四苦八苦。
1年に数日しか弾かないヴィオラさんのご機嫌をとる。
弦楽器は長い時間かけて鳴らしていくので、いきなりケースから取り出して「さあ、鳴れ」と言っても言うことは聞かない。
毎日の積み重ねでようやく響き始めるのだから、間際になって練習を始めても手遅れ。

幸い10月の八ヶ岳音楽祭でヴィオラを弾く予定だから、夏頃から鳴らしていけば間に会うだろうか。
八ヶ岳ではフォーレの「レクイエム」
この曲はヴィオラのために書かれたかと思える程、ヴィオラが大活躍をする。
私は普段はヴァイオリンを弾いて居るから、まだヴィオラパートを弾いた事がない。
いつも素敵だなあと思いながらヴィオラが演奏するのを指をくわえて眺めていたから、今年は念願のヴィオラパートが弾けて嬉しい。
ところがメインのフランク「交響曲ニ短調」
こちらはヴァイオリンに回ってほしいと言われる。
最近、このヴァイオリンパートは弾いているからそれは構わないけれど、ト音記号とアルト記号の読み間違えをしないという保証はない。
反射神経が鈍くなっているから。

美智子さんの後ろ姿を見送ると、又数ヶ月で会えるのに、やはり寂しい。
いつでもお客さんが帰るとがっかりするところをみると、私も案外寂しがり屋なのかもしれない。
それでは、早々とヴィオラを押し入れから出して、洗って干しておこう。

あ、今のは冗談!
本気にして洗わないでね。






















2015年2月27日金曜日

チャンピオンだワン

このジグザグ走法、お見事!
パソコンの前で思わず拍手をしてしまったワン!

2015年2月25日水曜日

役所も大変

区役所からの電話。
「先日の地域の***(此処は秘密)の健康アンケートにお答え下さってありがとうございます」との内容だった。
はて?そんな事あったかしら。
まさか新手のオレオレサギかもと、身構える。

「最近液体を飲み込むときにむせるとありますが」・・・はて、そんなこともあったかしら。
「転んだと書いてありますが?」・・・確かに転んで胸を打った。
でも、それは理由があって、大きな荷物を持っていたので下が見えなくて、駐車場の車止めに躓いたので。
決してヨロヨロ転んだ訳ではありません。
「体重が減ったとありますが」
あはは、ダイエットの成果であって、病気ではないし、今は元に戻りました。
「運動はなにかなさっていますか?」
筋トレを週一でやっています。

中々サギらしくはならない。

「お近くに運動指導をする場所がありますので、よろしかったらいらして下さい」
そこで話しは終った。

なんだ本物の区役所職員だったみたい。

しかし、こんなアンケートに一々電話するとは、役所もヒマだなあ。
しかも電話に出た「お年寄り」がえらい元気でがっかりしたのではないかとも。
もう少しグチグチと泣きごと言えば良かった。
質問もアッと言う間に終ってしまったので、仕事をやったという達成感がなかったのでは?

どっちみち、こんな形ばかりの仕事をしても、本当に具合の悪い人は電話にも出られないだろうし、なんの役に立つのか疑ってしまう。
新手のサギだと思ったけれど、たいそうつまらない事で、私も丁度練習していたバッハの「シャコンヌ」を途中で切られて、不愉快。
昨日までスキー場で滑っていたのですよと言ったら、もっとがっかりされたかも。
それにしても私の友人を見ても、まだまだ現役でバリバリ活躍している。
そろそろ年齢の基準を引き上げたら、どうでしょうね。
年齢で物事を決めないで、本人の健康や経済状態で介護や保護を決めればいいのに。

私だって明日にも寝たきりになるかも知れないが、今はすごく元気でなんの手助けもいらない。
それよりも働くお母さんの子育て支援を、もっとしたらどうなのだろうか。
例えシングルマザーでも、ちゃんと子育てと仕事が出来るように、環境整備をすればいいのに。
高齢化少子化で緊急事態なのに、そういう事は後手後手。

大体、政治家が男だらけなのが良くない。
日本は男の思考で回っているから、こんなに女性が苦労するのよ、と言いたい。
もっとも私はすごく快適に人生を送ってきたから、大きな声じゃいえないが。
男性達よありがとうと、取り繕う。

そして、子供産まなくてごめんなさい、みなさん。
私だって欲しかったけど、産まれてきたのは猫ばっかりで。























2015年2月24日火曜日

あっという間に全快

今朝まで腰をかがめるのも怖かったのに、さっきノラ猫にエサをやりに行こうと、恐る恐る階段の上り下りをしてみた。
なんとかギクシャクしながらも出来た。
それでも上がる時には手すりが必要だった。
次にもう一度駐車場に用事があって、降りたときにはもう手すりに掴まらなくても大丈夫だった。
駐車場の高い所の写真を撮るために、イスを運んでそこに登ってシャッターを押した。
さて、登ったはいいけれど、果して下りられるだろうかと思ったが、なんなく下りられた。
おやおや、なんと治りの早いこと。
整体に行っても帰り道は凄く辛かったのに、今はケロリとしている。
疲労がたまっていたからなのか、一晩ぐっすり寝たら治ってしまった。
本当に元気なばあさんだなあと、我ながら驚嘆した。

昨日は整体院から出ても真っ直ぐに家に帰れそうも無かったので、喫茶店で一息つくことにした。
普通はセルフサービスなのに、頼んで席までコーヒーを持ってきてもらう。
ニコニコして感じよく運んでくれたドトールコーヒーのおねえさん、ありがとう。

家に帰って頼みの綱のコルセットを探す。
いつも其処いら辺にゴロゴロしているからなんなく見付かると思っていたのに、手強いなあ、どこへ雲隠れしたのか姿が見えない。
コルセットを着ければ、痛みは殆ど消えるから毎回そうしてきた。
それで思い出したけれど、腰は去年の秋にも痛めたのだわ。
すっかり忘れていた。
去年は何かと怪我の多い年で、胸を強打して胸骨にヒビを入れ、その後色々後遺症が出て調子が悪かった。
けれど、病気や怪我とは子供の頃からのお友達。
あまりビックリはしないので、それで治りが早いのかも。
痛みにも強いほうだし。
ただ、痛みは我慢出来ても腰が抜けるというか、足に力が入らなくなる状態はどうにも出来ない。

人はいつでも、独り暮らしが出来るようにしておかなければいけない。
老年期に1人で暮らすとなると、まず、足腰が大事になる。
人に世話されたくない。
しんどくてもスキーはできる限りやめないで、筋トレもちゃんとして、モリモリ食べて、最後までヴァイオリンが弾ける、これが私の理想なんですが。





















2015年2月23日月曜日

ぎっくり腰

腰を痛めたのは何年ぶりかしら。
ここ10年ほどは全く腰痛にならなかった。
急になってしまって、歩くのがえらく辛い。
中国整体に行ったけれど、けっきょくあまりパッとせず、帰り道は亀さんの歩みで帰って来た。
途中色々なものにつかまって、一休み。
怖いのは信号を渡るとき、途中で赤になってしまわないかビクビクもの。
信号でお年寄りが、なんであんなにゆっくり渡るの?と言いたくなって、見ていても怖い時があるけれど、まさにその状態になった。

なぜこんなになったかというと、スキーではあまり筋肉痛にはならないけれど、リフトに乗るとき、坂道を登らなければならない事がある。
そう言うときでも皆さん元気だからさっさと登れるけれど、私は足腰が弱いから中々これが大変なのだ。
それでも後ろの人に悪いので、目一杯頑張るので、足腰に負担がかかり、それが疲労の元になる。

今回も非常に頑張ってしまった。
空いているゲレンデでレッスンをするので、お客さんが少ない。
リフトの順番がすぐに回ってくる。
グズグズすると悪いと思ってつい、目一杯早く進む。
主にスキーでの疲労はその事があるから。
滑るのは自重を利用するので力もいらないし、筋肉も殆どバランスを取るだけだから、さほどの運動量ではない。
ヴァイオリンを弾くのと同じ。
何時間でも弾くためには、力んではいられない。

私たちのように、プロスキーヤーでもなんでもない一般人のためのセオリーは、長い距離を楽に怪我をしないように滑るためだから、1日滑ってもほとんど筋肉痛は出ない。
ただ、今回は、いつも使っていないような筋肉を使ったらしいので、滑り方が変わったのかも知れない。
良いのか悪いのかは、結果を見ないと分からない。

このシーズンはもう一度レッスンを受けるつもりで居る。
その時には坂道を登るのも、マイペースで行くようにしよう。
なんでもそうだけど、自分の力量に合った運動量が大切。

志賀高原は素晴らしいスキー場で、スケールも大きく、広大なゲレンデの全部を滑るには、途中で上り坂のある通路をえっさえっさと上ることがよくある。
重たい靴で長いスキーを付けての登りは、脚力がないと本当に辛い。
それを辛いと思ったらやめればいいのに、そうはいかない。
やはり奥の方に行けば、面白いゲレンデと素敵な景色が待っている。
以前は朝早くホテルを出て、奥志賀まで往復、ホテルの階段が上れないほど疲れて爆睡なんて事もやっていたけれど、最近はそんな無茶はしない。
それでも最後の日には、遠出がしたくなる。

レッスンで痛めつけられた鬱憤を晴らすのは、思いっきり飛ばして爽快感を味わいたい。
個人的に行く時には、あちらこちらのゲレンデを回って滑る。
滑る事は一緒でも、ゲレンデ毎の味わいがあって、今日はモーツァルト、明日はブラームスみたいな違いがある。

特に私は先生からスピード狂と言われるくらい、スピード大好き。
先生の言うスピード狂とは、ちゃんとした運動をしないでかっ飛ばす、いい加減な滑りなのだけれど。
とにかく耳元で風音が裂け、雪を捉えて板がしなる、そんな状態がたまらない。
スピードが出ると、喜びが体中を巡る。
いい歳こいて、これではいつの日にか大人になれるわけはない。
一生涯子供で終るのは・・・ちょっと人としてどうなのかしらね。

とりあえず、腰痛をしっかり治さないといけない。
大人になるのはそれから考えよう。















ここはどこ?

長野発の新幹線で東京駅まで戻ってきた。
出発前長野駅ホームで、立ち食い蕎麦を食べる。
今年から、自動券売機で食券を買うようになっていた。
外国人用に英語の表示も出るので、外国の子供達もお蕎麦を食べる事が出来る。
おとなしく並んで、出来上りを待っているのが可愛らしい。

自分の指定席に行くと、お隣はアメリカ人らしい男性2人。
私の席の前方の10数人は、中国からの旅行グループ。

最近志賀高原行のバスには外国人が沢山乗るので、いつも乗っているバスは増発しないとならない程の混雑ぶり。
なんでもニホンザルが温泉に入っている景色を見ようと押しかけてくるらしい。
youtubeなどで映像を見た人達が、世界からやってくるという。
サルが温泉に入ったって、そんなに面白いとはおもわないけれど、それが世界的にはとても珍しいことらしい。
長野から志賀高原に行く途中の神林温泉で、大勢の外人さんが下車する。
バス停から30分以上歩くと言うことなのに、中にはハイヒールを履いている女性がいたりする。

道は除雪されているとはいうものの、ずっと雪かきしているわけではないのだからハイヒールはないでしょうと思うけれど、こんなに雪深いところだと知らずに来ているのだろうか。
バスのドライバーも英語を話すようになった。

ゲレンデも韓国語や英語が飛び交っている。
中にはスキー講習会をやっている英語圏の人達がいて、子供が転んで起き上がれないと、厳しく「get up!」と叫んでいる。
子供のスキーは斜面に真っ直ぐに向いていて、あの状態ではぜったに起き上がるのは不可能だと思うのに、なんの説明もせずに立ち上がれと怒鳴っている。
子供が何とかして、自分で立ち上がるのを待っているようだ。
たとえ立ち上がれても、スキーを斜面の横向きにセットしなければ、そのまま滑り落ちてしまうのに。
日本人の子供の様に、手取り足取りしてもらえない。

帰りの新幹線に乗っていた中国人達はいかにも富裕層らしいのだが、体格が皆並外れて良い。
とても背が高く、手足も長く、しかも物怖じとか遠慮という言葉が辞書に無いらしい。
私の隣のアメリカ人らしい2人連れは、なんとなく気後れしているようで、世界の情勢も変わったものだと思った。
中国の春節で、中国人がどっと日本に押しかけて来ているようなので、暫く日本人はここは一体どこの国なのだろうと思いながら暮らすことになりそうだ。
それでも新幹線の中にゴミをまき散らすような振る舞いは無く、中国人もマナーを身につけてきたようだ。

私が最後に中国に行ったのは、5年ほど前。
その時乗った列車の通路はゴミの山で、御菓子の包み紙などは通路に捨てるものと決まっているようだった。
世界一高い所を走るので名高い青蔵鉄道も大層汚く、列車内はゴミだらけでトイレは汚物まみれだった。
トイレの後、水を流すことを知らない人が多いらしい。
大体誰もティッシュぺーパーなど持っていないから、私が自分の客室ベッドに置いたトイレットペーパーを黙って失敬してゆくので、タオルで隠してしまった。
日本から苦労して持って行ったのに、自分用がなくなってしまう。

これから世界を旅行する中国人が増えて、中国国内も綺麗になることを期待している。
それと食の安全と空気の清浄も、合わせてお願いしたい。
そうすれば私も、もう一度中国に行ってみたい。
なんせ、私は中国旅行が大好きなのだから。


















2015年2月22日日曜日

スキー大好き

志賀高原で、今年2回目のスキーを楽しんできた。
今回は奇人変人の誉れ高いO先生の講習会。
先生も最近は、随分人間が丸くなってきて、大変喜ばしい。
先生の講習を毎年受けるようになってから幾久しい。
初めのうちは忍の一字、吹雪の中でありがたいご高説をジッと寒さに耐えながら聞いていたけれど、ひどいスパルタで、出来が悪いと昼食にもありつけない。
それをわが「雪雀連」のメンバーが上手く懐柔して、今日に至り、最近は殆どグズグズ状態にしてしまった。
夕食でも最初の頃は決してお酒を飲まなかったのが、皆と同じようにワインをたしなむようになって、やっと人間らしくなってきた。

東京発8時台の新幹線で長野駅に到着。
10時過ぎの志賀高原直行バスに乗り込む。
バスの客席下の荷物入れに荷物を預けて、蓮池到着。
到着したときにドライバーに荷物お願いしますというと、ちょっとお待ち下さいと言われて下車。
そのまま、ホテルからの迎えの車に乗ってしまった。
ホテルに着いてハッと気がついた。
荷物を受け取るのを忘れていた。
本当に最近は危うい。
一つ以上のことは出来ない。
幸い、ホテルの人がバス会社に電話してくれて、営業所まで取りに行ってくれたけれど、これが長距離バスなんかだったらと思うとぞっとする。
このホテルも長いお付き合いで、経営陣が変わっても本当に親切だから、助かっているけれど。

今回も志賀高原は我々を歓迎してくれて、前日までの雪がやんで昼過ぎからは穏やかな天気となった。
二日目は無風のピーカン!
午前中は雲一つなく晴れ上がり、絶好のレッスン日和となった。
黙々と基本動作を繰り返す。
先生の粘りと「雪雀連」の忍耐と、これは絶妙の組み合わせ。
その中で、私は1人忍耐が足りない。
何をやっても、すぐに休みたくなる。
我慢というものをしないのは、子供の頃から末っ子で甘やかされたせいだと、責任を身内に転嫁している。
もう、いい歳なのに。

二日間ミッチリと基本動作を繰り返して、今朝ベッドから起き上がると、鳩尾の辺りから体の周囲に鈍い圧迫されるような痛みがあって、ワケが分からずもう一度横になった。
すると、ますます痛みが強くなって、狼狽した。
こんな所が痛むのは初めてのことで、内臓のどこかが悪いのか、リューマチにでもなってしまったか。
普通腰痛になる部位より少し上のあたり、体をリング状に回って痛い。
ワケの分からない鈍い痛みに、これは大変、帰ったらペインクリニックで診てもらおうなどと思った。
先生に話すと「ああ、それは筋肉痛だよ。いわゆるインナーマスルを動かしたから」と言われた。
すると、私は今までどこの筋肉を使って滑っていたのだろうか。
随分いい加減に滑っていたようだ。

長年やっていても、正しい運動をするのは本当に難しい。
それも年に1回か2回、数日のレッスンで技術を身につけるのは、若いうちならまだしも、年齢が高くなってからは殆ど不可能かと思っていたけれど、継続は力、蝸牛の歩みでも進歩があるらしい。
今回はほんの数回だったけれど、雪をスキーがしっかりと捉えていく感覚が良くわかった。
これはヴァイオリンのボウイングと全く同じ。
結局は脱力と正しいバランスと言うことに尽きる。

私が生徒達に常日頃言っていることを、スキーの先生から言われるのは癪だけれど、技術と言うものは全く同じであると実感する。
そのうち奇人先生にヴァイオリンを持たせて、こちらから同じ事を言って見たいと思っている。

















2015年2月18日水曜日

ワセリンの威力

冬場の乾燥が続いて身にしみて実感したのが、手の水分がどれほどヴァイオリンを弾く・・いや、ヴァイオリンだけで無く日常の動作にどれほど大事かということだった。
スーパーマーケットに行って、買い物をレジ袋に入れるとき、ピッタリと張り付いたビニールを剥がして開く。
この動作だけでも、水分を含んだスポンジで指を湿らさないと難しい。

先日譜めくりを頼まれたときに一番心配だったのが、指が楽譜の紙をキャッチできるかどうかだった。
それは濡らしたハンカチを手に持つことで解決したけれど、ヴァイオリンを弾いているときには、一々指を湿らせたりはできない。
水分は楽器には禁物だし、かと言って途中で弓を取り落としそうになるのは、もっと困る。
去年まではこんなに苦労はしなかった。
今年になってから、いよいよ、とうとう、干からびてきたらしく、手の水分は枯渇している。
以前は水分が多すぎて大変だったけれど、若さは偉大だと思うだけで、失われたものは帰ってはこない。
それでどうしようかと考えた。

楽器を弾く前に少し湿り気を、例えば、濡れたハンカチで手を拭くとかしてみたけれど、すぐに乾燥してしまう。
部屋の湿度をせめて40%くらいまで上げようと、加湿器をつける。
でも、部屋は加湿出来ても私はミイラ状態でカラカラ。
若い頃はあんなに汗をかくことが嫌だったのに、今は、戻っておいで手の湿気と叫びたい。
べたべたしないハンドクリームを頂いて塗ってみたら、多少は効果が持続するけれど、それも長続きはしない。
しばらくすると、音色が悪くなる。
これまで手の平の水分でこんなに影響があるとは、夢にも思わなかったのだが、湿気がないと弓を柔らかく持てなくて、明らかに音が悪くなることを知った。
こんな些細なことも影響するのは驚きだった。

以前、手の綺麗な人にどんな手入れをしているのか訊いたら、ワセリンを教えてくれた。
私が汚い手で瓶に手を突っ込んでばい菌が繁殖するといけないから、チューブがいいですよ、と言われて何本か買って置いたので、朝起きてからパソコンでメールを見たりブログを覗いたりする間、ワセリンを塗って手袋をすることにした。
夜、就寝中にやったら良いとおもって実行していたけれど、寝て居ても邪魔に思うらしく、目が醒めると手袋を脱ぎ捨てているので、効果なしだった。
もしかしたら、たまさぶろうが悪戯したとも考えたけれど、ご丁寧に両手を脱がせる程念の入ったことは、猫がやるわけはない。

やはり犯人は、我が家の猫ボスである私が自分で?

寝ぼけてもパジャマなどは脱ぐ事は無いのだから、習慣になってしまえば大丈夫かもしれないけれど。
それで、目が醒めているときにすることにした。

ワセリンを塗って手袋をして、1時間ほど蒸らしておくと、適度な湿度が保たれているようになった。
そのやり方だと、2時間位は辛うじて持続する。
当分はこの手でいこう。

ワセリンはあまり沢山塗るとべたべたするので、薄ーく薄くのばして使っている。






















2015年2月17日火曜日

麻雀ゲーム

春霞のかかったような穏やかな昨日。
英語のレッスンにでかけた。
ハリー・ポッターの5巻。
いよいよ難しくて、私の手に負えなくなってきた。
単語は新しくどんどん増えるし、文章はどんどん長くなるし・・・読んでいるうちに文章の最初で何を言っているのか忘れるし。
最近、無理に日本語に置き換えることをやめて、素直に英語として読む方が分かり易いことを発見した。

UB readerの英文説明書を翻訳するように知人から言われたことがあって、日本語にしようと四苦八苦。
そのままで読めばなんとか通じるのに、日本語にしようとすると、なにか変な文章になってしまう。
翻訳者は大変だなあと思った。

どんどん難しくなるハリー・ポッターにウンウン言いながら頭をひねって苦労した。
レッスンから帰って来て家で麻雀ゲームを始めた。

麻雀パイが色々な形に並んでいて、同じパイを見つけて揃えていくという単純なゲームなのだが、これが上級になるとけっこう難しい。
毎日、攻略法を考えて最近はやっと、このゲームにはこういう手で攻めれば良いという方法を考えついて、たいていの場合は勝利を収められるようになった。
それでも、どうしても最後にお情けのシャッフルを使って、なんとかできあがることが続いていた。

ところが、散々頭をつかったせいか、難易度の高い6個のゲームをすべてストレートでクリア。
頭に血が通ったらしい。
やはり頭は使った方がいいらしい。
それとも英語の形態がゲーム脳と一致するのだろうか。
そのへんは謎。

今日は雪になるかもとの予想だったけれど、幸い小雨。
友人と百円ショップで買い物。
なんとまあ、沢山の品揃えが!
余り沢山あるので、なにを買って良いか分からないから、人任せにして私の必要な物を選んでもらう。
実際にショップに行くと、私は必要で無いものに目がいって、本来の目的を忘れてしまう。
冷静な友人に頼んだ方がいい。
こんなふうに、自分の買い物まで頭を使わなくなってゲームばかりしていると、どんな未来が待っているか、少し心配してしまう。
あげくに、お寿司をたらふく食べてから家に帰ってゲームをしたら、成績はまあまあ。
単にやり方を習得したと言うだけで、頭が良くなった訳では無いことが判明。
未来は暗い!















2015年2月15日日曜日

竜巻?

夕方、食べるものが無くなったので、引きこもりをやめて買い物に出かけた。
この季節、花粉がちらほら飛び始めたとの情報もあり、外が好きな私も外出をなるべく控えている。
陽が落ちかけていて、風が強い!
そう言えば昨日だったか、相模原方面で竜巻発生のニュースを見た。
あんなところでも?

あんなと言うのは、うちも同じ神奈川県だし、竜巻なんて言うのはカンザス州あたりの広~い荒野で発生する物だと思っていたけれど、最近は日本でも筑波でとか、あちらこちらで起きて居るようだ。
実際、この穏やかな日本も、徐々に天候が激しさを増している。
日本だけでは無く、世界的にも大変動時代なのかもしれない。
それにつれて、世界中が混乱を増しているような気がする。

私がアイリッシュハープを習っていたアメリカ人がカンザスの出身で、竜巻が非常に沢山発生するという話しを聞いたときに、日本に生まれて良かったとおもったけれど、その日本も危うくなってきているとは。

買い物を済ませて帰宅する頃、風は増々強くなってきて、しかも吹いてくる方向がめまぐるしく変わる。
後ろから来るかと思えば、急に横になったり、前から吹いたり。
これは竜巻の前兆に違いないと、家路を急ぐ。
ハアハア言いながら家に入って一息ついたら、暫くしてすっかり風音もしなくなって、今は静まりかえっている。

時々自分の想像力の過剰さに悩まされるのだが、想像に終って良かった。

トルコに旅行したとき、地平線上に竜巻が発生しているのを見た事があった。
こちらに来たら大変だからと思ってガイドさんに言うと「トルコでは竜巻はありません」と言う。
だって、見えているのに。
何を根拠に、竜巻を見ながら竜巻はありませんなどと言うのか。
彼は自分の目で見た物を信じられなかったのか、先入観が強すぎて見えた物を否定してしまったのか。
それでも数分その光景を見て、やっと竜巻が発生しているのを認めた。

幸いなことに小さめの竜巻だったし、遠くに去っていったので、私たちは「オズの魔法使い」みたいにならないですんだ。

これを言うととっくにバレている年がバレるけれど、小学校の時に学校から映画館に連れて行ってもらって「オズの魔法使い」を見たっけ。
その後何度もリニューアルされたから、どのヴァージョンかは言わないけど。














2015年2月12日木曜日

サロンコンサート

都内某所でのご長寿のお祝い。
お誕生祝いの主は、弁護士のYさん。
綺麗な白髪につやつやしたお顔。
腰を少し傷められたらしく、真っ直ぐに座っているのがつらそうだけれど、口を開くとウイットに富んだ会話で周りを笑わせる。

その方のお嬢様がY子さんで、イニシャルはY・Y、なるほど。
なにかにつけてお招き頂いて、わいわいと楽しく飲んで騒いで、時々弾いて。
今回もドイツから最近帰られたヴィオラのHさんご夫妻、チェロのTさん、ヴァイオリンのHさん、それにロンドンの美智子さんとそのお兄様。
ヴィオラソロ、ヴィオラとヴァイオリンのデュオ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽トリオ、テノールとピアノで「冬の旅抜粋」など。

演奏が終ると、英多郎寿司から職人さんが来て、握ってくれるお寿司を頂く。
これが美味しい!

今回弦楽トリオは初めて弾く人も居て、合わせる時間も少なかったので、抜粋にしてしまった。
この「セレナード」というベートーヴェン作品8は、何回も弾いているけれど、大人物と弾く機会があって、ヴァイオリン外山滋さんで私がヴィオラを、あるいは、ヴァイオリンを私でヴィオラは鳩山さん、チェロは堀江さんなどとびっくりするような共演者に恵まれた。
鳩山さんはヴィオラもすごく上手くてしかも内声を弾く名人だった。
普段はコンサートマスターで、オーケストラでは面白くも無さそうに弾いているのに、室内楽では好んで内声を弾く。
その内声が素晴らしく、載せられてヴァイオリンも楽々弾ける。
やはり、天才だったなあと思い出す。
外山滋さんとは、ベートーヴェンの弦楽トリオ全曲と、モーツァルト弦楽トリオ「ディヴェルティメント」を弾かせてもらった。
その時は私はヴィオラ。
今日楽譜をパラパラとめくっていたら、沢山の書き込みがあって、病気になられる前の外山さんのお元気な姿を思い出した。

年上の人達に可愛がられる運の持ち主だから、よってたかって教えられ鍛えられて、今日の私があることを、先輩達に感謝したい。
若いときには、なるべく上手い人達と弾くのが上達の早道。
そういう意味では、私は、今思えばすごい人達に遭遇するチャンスをいっぱいもらった。
大物は決して偉そうにしない。
新人の私にも同等にお付き合いして下さる。
だから私も相手が年下の場合、偉そうに振る舞うのはよそうと思っているのだけれど、自身が小物だから、威張ったりしているかもしれない。
相手が猫ならもう、ふにゃふにゃだけど。













2015年2月10日火曜日

2015年2月9日月曜日

お寒うございます



寒さに強い私でも、ここ2,3日の寒さはこたえます。
皆さんお元気でしょうか。

暖かい室内から外へ出ると、なんだ、そんなに寒くないじゃないなどと嘯いていたのに、さすがに寒い!
それでもスキー場の寒さ、アラスカにオーロラを見に行った時の寒さなど、スキーをやっていたお陰で寒さは慣れっこ。
とにかく暑さにからきし弱いので、これから春になって花粉が飛ぶと思うと、このまま寒い方が良いような気がする。
北国で暮らしていると思えばいいのだから。

知り合いの、中国は瀋陽で生まれ育った人は、皆がダウンコートに首をすくめているときも、薄いジャケット一枚で、日本に来てもう10何年、寒いと言う言葉を聞いたことがない。
彼の地の冬は、零下20度はざらだそうだ。

地球温暖化が進んで、この先日本が熱帯になったら、私はアラスカにでも移住したい。
一番北極に近い土地で、犬ぞりで遊ぼう。
お正月に志賀高原に行ったら、零下12度だった。
体脂肪が多いから、寒くは感じなかったけれど。

ストーブ独占の猫さん、気持ちよさそう。















2015年2月7日土曜日

回復

去年までの私は少し元気が無くて、鏡を覗くと急に老け込んだ顔が映るので、それを見て又落ち込むというふうだった。
一昨年からこれではいけないと、筋トレに通っていたけれど、逆に疲れてしまって、これでは長く続けられないと、又落ち込む。
2週間続けてジムに通うと、次の1週間は休まないと疲労が蓄積するので、1ヶ月に2,3回通うのが精一杯。
それが去年の暮れあたりから、毎週通える様になってきた。
1時間、けっこうハードなトレーニングが楽に出来るようになって、次のトレーニングが楽しみになってきた。
そして、体も徐々にほぐれてきたようだ。

初めの頃は、筋トレの最後のストレッチが痛くて、毎回悲鳴を上げていた。
「降参!」と言って床をたたいてギブアップしているのに、トレーナーは情け容赦なく筋肉を引き延ばす。
痛さの余り「やめてー!」などと叫んでも笑いながら知らんぷりされる。
こちらも半べそで笑ってはいるのだが。
先日ストレッチの最中に、おや?前より痛くないと思ってトレーナーに訊くと、筋肉がほぐれてきていると言われた。
同じ力で伸ばされても、この違いが出てきている。
前屈も手の平がペタンと床につく。

2,3年前に仕事も全部引退するつもりでいた。
やめて友人の軽井沢の別荘に滞在させてもらって、自然の中で悠々自適なんて・・・
絵を描いたり本を読んだり、林の中を散歩したり、ああ、いいなあ。
音楽教室にも次の先生を探して、後を託そうとして話しをつけておいたのに、やはり、週1日でも都会に出て行くのは楽しい。
ズルズルとそのままになった。
私の生徒達はやる気満々で、ここで見放すわけにはいかない。
その後、ますます生徒達の気持ちに火がついたようで、心配になるくらい熱心にヴァイオリンを弾いて居る。

週1日都会にと言っても、遊びの予定も加わって、毎日のようにでかける事態になっている。
どうしてかと言えば、仲間も同じように年をとって、皆さんお暇になった。
それで、やたらとお誘いを受ける。
今日も、未だに日本に居残っているロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、お寿司をたべに行く予定。
貧乏音楽家の仲間達だから、お金のかからない安いお店にいくけれど、話しが面白くてそれが何よりも豪華なご馳走になる。

先日「兵士の物語」を弾いた時に、こんなに難しいことは無理だとおもっていたけれど、けっこうなんなくクリアできた。
しっかり脳を使ったせいか、その後調子がいい。

年をとって守りに入ってしまうと、なんてぼんやりした生活になってしまうのだろうかと、改めて実感した。
これからはもう一度、攻めの生活に切り替えようと思った。
無理しても人間は意外と強いもの。
少し無理だと思うくらいの事に挑戦すると、生き生きしてくる。
それで寿命が少し縮んでも、しょぼい生き方をするよりはマシ。

今は昨日食べたステーキが効いているせいか、やたらに元気が良い。
明日になったら、ああ、やはりもうだめだと、泣き言を言うかもしれない。
でも、それでいいのだ。毎日元気、毎日病気ではつまらない。
山あり谷あり、泣き言を言って、笑って、怒って、面白い。


















2015年2月6日金曜日

ステーキ

今日は今年初めての「弾く会」
ヴィオラとヴァイオリンはそれぞれバッハの無伴奏。
ピアノはシューマン「ソナタ」とモーツァルト「ピアノ協奏曲21番」バッハ「インベンション」など。
高齢にも拘わらず、皆良く勉強すること!
私はバッハ「パルティータ2番」の途中まで。
なぜか、1曲目を弾き終えると、呼吸困難になる。
ゆっくりした楽章は難しい。
シャコンヌの途中までいったけれど、途中棄権してしまった。
まだ上手く弾けないし、長いし、聴いている人が疲れてしまうといけないので、これは次の機会に全曲を弾くチャンスをもらおうと思って。

終ってから近くのファミレスで昼食会となった。
入り口に大きなステーキの写真が貼ってあったので、私はすぐにこれだ!と決まった。
いつもならメニューを見て、あれもこれも食べたいと迷うところなのに、今日は即決。
230グラムの大きなステーキ。
全部食べきれるかどうか分からないけれど、どうしても今日はこれ。
全部で6人、それぞれ大きさやセットメニューが違ってはいたけれど、全員がステーキを食べるという珍しいことになった。
いつもなら勝手にそれぞれが、べつのメニューを頼むところなのだが。
大きなステーキをモリモリ食べる。
お話も一時中断。
それぞれが見事な食べっぷりで、満足げに溜息をつきながら次回の約束をして別れた。

色々話している中で、私たちが高校生の頃、円形のスカートにペチコートを穿いて、髪はポニーテールというファッションが流行った話しをしたら、ヴィオラのFUMIKOさんだけは、それを知らなかった。
やはり10何歳か年下なので、見たことも無いらしい。
そうだよね、彼女は生まれたばかりだものね。

高校時代は制服も無く自由な校風だったから、中にはすごく派手な人も居た。
今どきの高校生がお化粧をするのは珍しくないけれど、私たちの学校にも、その膨らんだ円形スカートで目の周りを真っ青にアイシャドウを塗った声楽科の学生もいた。
当時としては、仰天するほど派手だったと思う。
その一方で、私たち器楽科は地味で、私が初めて口紅を塗ったのは、大学4年生の芸術祭のときだったから、相当遅かった。

誰も人の事は気にしないし、どんなに変わっていてもいじめも無く、本当に自由で明るい高校だった。
時々校長の有馬大五郎先生が高校に顔を出し、生徒達を長い腕に抱え込んでニコニコしていらした。
私の人生が明るくなったのはこの学校のお陰で、未だにその頃の同級生とこうして弾き合いをしていられるのも、なんてステーキな事かと思っている。




















2015年2月2日月曜日

モヤの恩返し

数日前の投稿で、私がすごく家事の出来る人という印象を与えてしまったら、ごめんなさい。
家事はからきしダメだし、家中混乱の極み。
玄関に入ればすぐに猫のトイレがドンと置いてある。
これでは福も邪気も入ってこないから、平穏に暮らせるのかも。

ただ一つ、きれい好きという誤解を招いたのは、毎日掃除機をかけること。
それはうちには猫がただ今3匹もいて、その内の1匹のモヤという雌猫が埃アレルギーだから。

埃が溜ってくると喘息のような症状になる。
初めはそれが分からなくて、特に低気圧の来るようないやな天候の日にゼイゼイ言うから、湿度や気圧の変化に弱いのかと思っていた。
しかし、それも日によって起きたり起きなかったり。
なんでかなあと考えて、ある日、床に雑巾をかけたらぴたりと治まったことがあった。
それでよく観察をしていると、埃が溜ってくると、ゼイゼイ始まることに気がついた。
それ以来、モヤのベッドの周りを、毎日掃除機をかけるようになったという次第。

モヤはその後、喘息は起こさなくなった。
そして、私もいつも咳が酷くて、しょっちゅう耳鼻科に通っていたのが、殆ど症状は出なくなった。

これはモヤの私への恩返しと言える。
モヤは、私の母が亡くなる前に入院していた病院で、拾われた。
痩せこけた子猫で、驚いたのは目がピンポン球ほどの大きさに腫れ上がっていた。
酷い炎症で、殆ど目が見えなかったに違いない。
腫れ上がった瞼の、針の穴程の隙間から世界を見ていた。
それなのにえらい元気で、病院の庭を走り回っている。
ほっとけなくて、かかりつけの獣医さんに治療を頼んだ。
勿論元の病院の庭に返すつもりだったけれど、獣医さんの「ここまでやったら、もう飼わなくちゃね」と言う言葉で、すでに数匹の猫がいたけれど、飼うことにした。

その後モヤは私にとって、最高の癒やしとなった。
気分が悪くて寝て居ると、なぜ分かるのか、枕元に侍ってそっと手で触ってくる。そう言うときには爪を絶対に出さない。
乳がんの宣告で心が折れそうだったときにも、ずっと傍に付いていてくれた。
モヤは自分の体で、私の気管支を救ってくれた。
私も気管支が弱くて、しょっちゅう咳をしていた。
でもそれは、掃除をあまりしなかったことによる、ダストアレルギーだったようだ。
だから恩返しは、私のほうこそしなければならない。

もやはたまさぶろうと共にすっかり年をとって、やせ細って軽くなってしまった。
最近は殆エサを食べないで、寝てばかり。
時々フラッと起きてきて、食器の前に座るけど、ほんの一口二口食べると、又寝床へ戻って行く。
それでも気分が良いときには、あたりを駆け回って、楽しそうにケラケラ笑っているみたい。
病院の庭で始めて遭った時も、そんな感じだった。

その病院は川崎市立の総合病院。
スタッフ全員が優しくて、庭のノラ猫の小屋も、医師達が段ボールで作ったと聞いた。
母が亡くなって、最後の猫もいなくなった頃、建て替えられて綺麗な建物になったけれど、スタッフは今でも皆優しい。















2015年2月1日日曜日

高望み

来月の「弾く会」例会でなにを弾こうかと考えた。
ピアニストのSさんと暮に弾いたベートーヴェン「ソナタ七番」をもう少し磨きをかけて出品しようかと思ったけれど、元々偉大なるベートーヴェンにコンプレックスがあって、今ひとつ気が乗らない。
Sさんからどうする?と訊かれてうーんと言っていたら、バッハの無伴奏にする?と追い打ちをかけられた。
そうか、バッハも最近弾いていないから、この辺でやっておかないと、もうすぐ弾くだけの気力も体力もなくなるなあ、それならというわけで、バッハの「パルティータ二番」を弾くことにした。
うわあ、大変。何がって、長大なシャコンヌがあるから。
息の長い曲だけに、ものすごくエネルギーを必要とする。

ヴァイオリンに限らず、楽器を弾くのは歌と同じで呼吸が重要になってくる。
緊張して横隔膜が上がってしまうと、音が出なくなってしまう。
音を出すのは、傍から見るよりずっとエネルギーがいる。
ヴァイオリンは殆どの場合単旋律だから、すごく簡単そうに思えるらしい。
ところがどっこい、姿勢の取り方、弓の圧力やバランスの取り方などが関係して、良い音を作るのは本当に難しい。
満足に音を出すこと、正しい音程をとること、そしてヴィブラートに至るまで、これでもかと練習しないとものにならない。

例えば白い紙に筆で、すっと1本の線を描くとする。
たったそれだけでも、何年かかっても満足のいく線を描くのは、本当に大変だと思う。
それをゆっくりした動作でやってみる。
手指の関節のどれか一つでも硬くなっていたら、線はまっすぐには引けない。
そこに筆の速さの緩急をつける、あるいは、線の濃さ、太さなどを変えてみる。
それと同じようなものだと思っていただけるかな。

弓を真っ直ぐに引くのがまず一つ、右手のあらゆる関節と筋肉をバランスよく動かさないといけない。
よく左手が難しいのでは?と言われるけれど、本当に難しいのは右手なのだ。
一流の弦楽器奏者の美しい動きは、汗と涙の結晶と言える。
ロンドンアンサンブルのチェリストのトーマスの右手は、驚嘆すべき柔軟な動きをしていた。
すべての指が独立してそれぞれの役割を果たしているから、不必要な力はまったくいらない。
それでいて、ステージを揺るがすような大音量が出る。

今一番の私の問題は、手の水分が少なくなってきたこと。
水分が少なくなると、前回の投稿「譜めくり」のように紙をめくるとかレジ袋を開けるとか、難しくなる。
弓を持って関節を柔軟にしないと、良い音は出ない。
そのためには手の水分が非常に重要であることに、最近やっと気がついた。
私の手は元々水分が多くていつも潤っていたから、最近になるまで何の問題も無く弓を軽く持てた。
ところが、最近なんだか弓が滑りそうになるなと思っていたら、それは手指の水分が失われてきた事に、原因があることに思い至った。
弓が滑りそうになるから、少し強く持たないと落としそうになる。
それが最悪で、弓を堅く持つともっと滑りそうになる。
どんどん悪循環にはまりこむ。
皮膚の水分が弓を持つ事にこんなに重要だったとは。
今まで恵まれ過ぎていて、年をとってから弾けなくなるのは単に練習をしないからだと思っていたけれど、様々な身体的な機能の低下が問題になるのだ。
毎日指にワセリンを塗っても、中からの水分の不足は補えるものではない。

無伴奏を休み無く弾くためには、途中で水分を補いたくなるところだが、今の季節の乾燥で指の先はツルツル。
困った!