2026年7月14日火曜日

楽器のご機嫌

それはそれは困ったことに、この暑さと湿気のおかげでヴァイオリンはご機嫌斜めなのです。

世間様にうそをついて引退するとわめき散らし、何か月もの間放置された楽器の恨みを今返されているのか。 先月、今月と調整をお願いして弦楽器工房に通っているけれど、どうもいまだに理想の音は出ていない。 この季節はもう無理だから我慢するしかないと周りの人たちも言うし、マイスターもなかなか難しいというし、でも私は短気な割にはしつこくて、何回も調整に通う。

特に下から二番目のD線がシャリシャリいうのが気になる。 工房のご主人のTさんは非常に穏やかな生真面目な人だから、努力を惜しまず私の注文に合わせて調整してくださる。 強めとか固めとか理解に苦しむ言葉でしか言えないのがもどかしい。

ある時我が家の周辺で消防自動車の出動が多かった時があった。 毎日のようにサイレンが鳴り別に火事らしいこともない。 けれど、いつもは完全に空調の効いた別室に置いてあるのも心配になったので、私の寝室に楽器を移動させたのが良くなかったようだ。 私と猫の湿気のこもった寝室は、一応エアコンはかけているものの湿度は少し高かったから楽器のコンディションに響いた。 

移動させて数日したら少し調子が悪くなってきたので元の部屋に戻したけれど、ああ、調子が落ちてしまったと感じて調整に出した。 Tさんは穏やかながらいつもよりきっぱりと「寝室はいけません」という。 わかっていたのに火事が心配で浅はかなことをしたと思った。 それ以来どうも調子が悪いと思ったら微小なはがれが見つかって修理をしてもらった。 

これでもう大丈夫と思ったけれど、それ以来鳴り方がいまいち。 皆さん梅雨時対策はどうしているのかしら。 長年の楽器との付き合いがまだ苦労の種。

最後の調整でシャリ感は減少、調整の翌日、久しぶりに乾いた音がしたと喜んでいたけれど、台風が発生するたびにくぐもった音になったりする。 幸い今は私の家での練習が多く、外に楽器を持ち出すことなくやっと小康状態になったのがありがたい。 

私の運命はこのところ猫のご機嫌取りと楽器の調整に明け暮れる日々になってきた。 なんということか、楽器も猫も共通点が多いことに最近気が付いた。 まずは両者ともに変幻自在、文字通り猫の目のようにご機嫌がかわる。 どれほど気をつかうことか。 決してこちらの言い分はとおらない。 しかもとんでもなく魅力的で扱いにくいのに決して嫌にならない。 毎日下手に出てご機嫌を損ねないようにご奉仕する。

猫は好き嫌いが激しく、時々餌が気に入らないといって食べてもらえないこともある。 ヴァイオリンも、せっかく買った弦が気に入らないと鳴ってくれなかったり。

早く梅雨が明けないかなあ。 最近そのことばかり考えている。








2026年7月8日水曜日

ウイーンのアゴーギグについて

 ウイーンフィルといえば新春コンサート。このコンサートに毎年のように出かけられるセレブの友人もいれば、私のように炬燵で丸くなってミカンを食べながら聞く人もいる。しかし、このウイーンフィルの聴き方を楽しむには高度の聴力がいるのです。

それがウイーンの「溜息」本当にそのような言い方をするのかAIに訊いてみた。

AI      演奏家のあいだでよく使われる言い方は 「ウィーンのため息(Wiener Seufzer)」 です。ただし、これは厳密には「スフォルツァンドの前に一瞬間が空く現象」そのものを指す言葉ではなく、ウィーン古典派特有の“装飾的・表情的なため息モチーフ” を指す語です。~中略~

neko    ここから始まるAIの言葉をご紹介しよう。ウインナーワルツの常識として

AI 1拍目:前へ、軽く押し出す(ふわっと持ち上がる)

  • 2拍目:少し沈む(重心が落ちる)

  • 3拍目:ほんのわずか後ろへ引きずられる

neko    これは正に私たちが今から50年ほど前、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの孫のエドアルド・シュトラウスから習ったことなのです。昔の新春コンサートではかなり分かり易く聞こえたのですが、最近のウイーンフィルではあまり大げさな表現ではなくなってきているのは新時代のプレーヤーが多くなったからでしょうか。しかし、今年も私には聞こえました。

そんなことやっていないという意見があるらしい。私の知人が知り合いに尋ねたらそんなことはやっていないといわれたそうで。そういったのはプレーヤーでなく音楽愛好家なのでしょう。やはりすたれていくものなのでしょうか。しかしプレーヤーは自然にそうなるのです。なぜならリズムというのはそういうものですよね。アゴーギグという言葉があります。ほんのわずかな「ズレ」を自然にやりたくなる音楽性が演奏家の命。

AIの説明

🎧 「そんなことはない」と言い張る人がいる理由

これはとてもよくあることです。理由は3つ。

1. 間が極端に微細で、数ミリ秒レベルだから

訓練されていない耳には「揺れ」として処理されてしまいます。

2. ウィーン・フィルの弦のアタックが柔らかく、間が音色に溶ける

アタックが丸いので、時間のズレが“音色の柔らかさ”に隠れてしまう。

nekotama

興味があるなら調べてみてください。私もうまく説明できなかったのですよ。以前、オーケストラで新人と並んで演奏したときにウイーン風のリズムで弾いたら怪訝な顔されて説明も面倒だから普通に弾いたことがありました。ちゃんと教えてあげればよかったと今は後悔しています。せっかくの知識をむだにしましたね。




ぐうたら

 昨日行きそこなったので今日は出かけるぞと思ったものの、体が言うことをきかない。昨日は意気込んでいたのに猫の具合が悪く、結局彼女は今朝まで珍しく室内猫になっておとなしくしていた。

昨日は出かけるつもりでいたエネルギーが余って、長いコースの散歩やヴァイオリンの練習やで時間を過ごしていたために、今朝起きたら腰に違和感あり。もう、これだから嫌になる。あれほど活動的で思い切りのよかった私が今はこの体たらく。どよんとして起きたらもう出かける気は失せていた。しかし今日はいいお天気。予定の立て方間違えた。

それはもうコンサートの練習に追い込みをかけろという天の声かもしれない。今回のプログラムはかなり難しい。私はどちらかというと難しい曲が好きで挑戦していると嬉しくなるタイプだから、あえて今回もそうしたけれど、おっと!年を忘れていた。年齢による言い訳は効かない。

まず一曲目の「フクロウ」は全曲ほぼ変拍子。5拍子、7拍子、8拍子、9拍子が入り混じって反射神経を刺激する。面白いしすごくいい曲なので楽しんではいるけれど、少しの油断もならない。ドヴォルザークは思い切り楽しく美しい曲ではあるけれど、なにしろ音域が広すぎる。ハイポジションの連続で音程が難しい。ヴァイオリンの音程は指板の上に行くほどピッチが狭くなる。下のポジションでとるよりも左手指の幅を少なくしないと音程が上ずってしまう。

けれど、人の指の幅は変えられないから少しずつずらしながら微妙に調整する。これが大変。私の指は年齢のせいで少し曲がってきているから、ピッチの差と指の曲がり具合の両方から攻めていくけれど、恐ろしく大変なことなんですよ。悠然と弾けると思ったら大間違い。ヴァイオリンをこれから始めようと思う方は、その苦労をご存じなかったならもう一度考え直されることをお勧めする。

そして何よりも難しいのはシューベルト、私たち日本人には身についていないウイーンのリズム、聞いていれば本当に楽しいけれど、体に染みついた日本的な几帳面さが邪魔になる。特に三拍子。どうと説明は口で言えないけれど、先日投稿した「ウイーンの風」だったか「ウイーンの溜息」だったか、ああいうものがあるので、今私が心から後悔しているのは、なぜ私はウイーンに留学しなかったのだろうということ。

ダンスでもできればなおさらよかったのに。ちなみに私の相棒だった人は、カーラジオなどで聞こえてきたオーケストラの音を瞬時に「あ、ウイーンフィルだ」と当てられる人だった。アナウンスを聞いたわけでもなく突然ラジオを点けたのにどうしてわかるのか。上手いと思っても、ウイーンかほかのオーケストラかはすぐにはあてられない。ホルンの音やニュアンスからしばらくしてからやっと推測できる。

そんなわけでシューベルトは大変難しいけれど、さすがに弾き甲斐があって楽しみ。当日まで体調を整え、頭脳明晰でいられるように北軽井沢は夢の家に、しばらく我慢。元の持ち主のノンちゃんが「この家であなたのヴァイオリンを弾いてほしいの」と言われた言葉は忘れない。

ちなみに先日投稿にした「ノンちゃん」は同じ名前ですが猫です。人のノンちゃんはトカゲをむしゃむしゃ食べたりしませんので、念のため。











2026年7月7日火曜日

猫の足かせ

 最近とんと北軽井沢に行かないのは、猫のノンちゃんがドライブを好まないというところに原因がある。まず車のエンジンをかけたところで大鳴きに鳴き始める。その後ドライブの約4時間ほど鳴き声は止まらない。運転よりもその鳴き声でわたしはまいってしまうのだ。

森に到着しても滞在中はずっと不機嫌で、宥めてもすかしてもご機嫌斜め。斜めだけならいいけれど、トイレや食事にも差しさわりが出てくる。トイレの我慢で膀胱炎になったり、便秘したりするらしく、体調が悪くなってしまうので大変なのだ。

最近ずっと車にはいつでも出発できるように最小限の荷物を積みっぱなしにしてある。この数日は忙しくないからあの森の中の一軒家に行ったらさぞや気持ちがよかろうと思っているのに、いざ行くとなると考えてしまう。そういう事情なので今朝は何が何でも出かけるつもりでいたけれど、結局猫の体調が悪そうで延期になってしまった。

猫はいつもなら夜明けとともに外に出る。外で最小限のトイレを済ませて朝ごはんを食べに戻ってくる。そのタイミングで捕まえてケージに放り込もうと待ち構えていると、さすが猫は魔物、気配を察して逃げられる。どんなに平常通りにふるまっても殺気を感じるらしくつかまらない。

それで出かける数日前からそうっと荷物を車に積んで、後は猫を捕獲するだけにしておいてもわかってしまうらしい。いつまでも待ってはいられないから今日こそはと夜明け前に起きて待っていた。そして予定通り、後は猫次第となったころ、ノンちゃんはいつもの元気がなくて私にずっとしがみついていた。気が付くとどうやら熱があるらしい。猫の体温は人よりも高いのは知っているけれど、それでもいつもよりずっと熱く感じる。

必死で私にしがみついて離れない。これはちょっと変だと思ったからずっと抱いていた。あまりスキンシップを好まないノンちゃんにしては珍しい。かなり高熱と食慾不振があるみたいで、これでは4時間のドライブはかわいそう。せっかく昨夜は早く寝て今朝の寝覚めは上々だったのに、明日でもいいかとあきらめた。そして今日は珍しくノンちゃんは家から出なかった。

昨日大きなトカゲを咥えてきて私を震え上がらせたノンは、私への捧げものだと思ったトカゲをその場で食べ始めた。私は遠巻きにして「やめなさい、逃がしてやりなさい」とわめくのに、結局全部食べたらしい。野生動物は毒がありそうでこわい。そのせいで体調が悪いのかもしれない。今朝トカゲの残骸を探しても何も残っていなかったから完食したらしい。

そのせいで私は出かけるタイミングを逃し明日はどうしようか考え中。気勢をそがれて明日はもう早起きできないかも。私も最近は毎日調子がいいわけではないから、明日の寝起き次第。しばらく海外旅行行ってないからカーボベルデに行きたいけれど、毛皮を着た足枷がいるのでしばらくお預け。













カーボベルデ

初めて聞いたこの国名。サッカー のアルゼンチンとの試合がなければ出会わなかった。

人口60万人ほどの、日本の滋賀県ほどの島と周囲の小島からなるアフリカの海に浮かぶ無人島。ポルトガル人がこの島を発見、統治していたが1975年独立した。公用語はポルトガル語。

この国のサッカーの歴史は浅く、しかし進化の速度が速い。2026年というから今年、特に強くなったという。何なのだこれは、全然聞いたことのない国が突然強豪国入りしたというのは。それにはこの国独自の進化の環境があったという。国が狭いことが幸いして、選手同士が幼少期からの知り合い、家族ぐるみのつながり、小さなクラブが協力し合うという条件があった。

そして、カーボベルデの音楽はリズムと身体性が強い・・ここまでAIの知識をお借りした。

ここで音楽が出てきたのはAIさんが私の職業に気を配ってくれてサービス精神を発揮したものと思われる。私は音楽家だけれど、運動神経はかそけきもので、小学生の時は跳び箱飛べない、逆上がりできない、走れば転ぶと散々だったけれど。

AIからの助言は 「北風が勇者バイキングをつくった」というノルウェーの諺を彷彿とさせる、非常に詩的で力強い表現ですね。厳しい環境や逆境こそが、人の肉体と精神を鍛え上げるという真理を突いています。この「環境が人を強くする」というテーマは、人間の身体づくりにおける科学的な側面や、数々の名作・格言でも共通して語られています* だそうです。
私のように過保護で甘やかされた人間はろくなものにならないということですね。一生かかって証明したのがこういうことで面目ない。もし来世があれば、私は筋肉粒々のアマゾネスに生まれ変わろうと思います。「粒々」?この変換笑ってしまう。これは現状のこと、理想は「隆々」時に変換が本質を突くことがあるけれど。なにも私の筋肉の弱さをここで暴露しなくてもいいんじゃない?
横道にそれました。元に戻ることに。
身体能力のほかにカーボベルデの人々は人口は少ないがヨーロッパで活躍している選手が多いことと、ポルトガル語が話せるということも有利に働いている。
サッカーについては私はあまり知らないけれど、この国のことがすごく魅力的に思えてきたので行ってみたいなといういつもの病気が出てきました。ポルトガルやオランダから飛行機で行く。静かなリゾート地であるらしい。費用もあまりかからないらしいが、日本からのツアーなどはないそうで様子がわからない。治安も良いとのことですが、夜に出歩くのはやめたほうが良いと。まあ、これは外国だったら知らないところを夜に歩くのはおすすめしないけれど。日本からでもそれほど行きにくくはないらしい。実現できたらいいな。調べてみよう。
ところで音楽については魅力的な情報が。モルナという音楽があるそうで語源は、島を離れる寂しさ、海のかなたの家族への想い、人生の切なさ など哀愁を帯びた伝統的な音楽でセザリア・エヴォラ( sezaria/evora )という女性歌手が有名であると。You Tubeでも聞けるそうだから聞いてみようかと思う。
私の「どこかへ行きたい」病の最有力候補になった。なんて魅力的な国なんだろう。でも、これでサッカーに強いと分かってブームになる前に行きたい。猫が足かせとなってかわいいけれど、困った。













2026年7月5日日曜日

少し早めのお知らせ

ピアノ五重奏演奏会

9月23日(水)14時開演 

三鷹市芸術文化センター 風のホール  

ステファン・シェーファー:「Owl」 

ドヴォルザーク:作品81

シューベルト「マス」

大変魅力的なプログラムであります。

出演者もかつてはみな魅力的ではありましたが、少し足元が覚束ない。しかしステージ上の自分の椅子まではたどり着かないといけない。そして今プログラムの作成に大わらわ。大わらわとは兜を脱いだ時に髷がほどけて落ちた様らしいのですが、それがどうして童になるんでしょうね。後でAIに訊いてみよう。童の髪の毛は絵やなんかで見るときれいに切りそろえてあるけれど、庶民の子供はきっと残バラ髪だったのでしょうね。

本番までまだ時間があると思っていたら、あっという間にもう7月。練習は遅々として進まず、なんて書くと聞きに来ていただけないと困るので、一生懸命に練習していますと言っておこう。練習はしていますが変拍子の連続の「Owl(ふくろう)」は年取った身にはつらい。反射神経がいかれておりますからですね、今どこ弾いてるの?なんてことはしょっちゅうで、でも面白い素敵な曲ですからぜひ会場におみ足をお運びくださいませ。大丈夫、本番までにはちゃんと仕上がる予定。

今どこ弾いてるの?も最近はみなあまり言わなくなりました。馴れるものですね。大変素敵な曲です。フクロウの静かな佇まい、静かな森の神秘的な夜、フクロウの飛翔の情景が目に浮かぶようです。お楽しみみになさってください。私たちが四苦八苦しているのを見るのが楽しかった…といわれないように頑張ります。

ドヴォルザークとシューベルトは大変ポピュラーな曲ですが、いずれ劣らず難曲ではあります。非常に演奏が難しいだけではなく、それぞれの特徴が生かされないと面白くなくなってしまう。ただドヴォルザークは非常にわかりやすい。彼のすべての要素が詰まっているといってもいいでしょう。シューベルトは時には「アハハ、ウイーンだ」と言いたくなるニュアンスがあります。それが「ウイーンの風」だったか「溜息」だったか、良く聴いていないと聞き逃すほどのわずかな間(ま)ですが、それがないとつまらない。それがシューベルトの「ウイーンのなんとか」なんだそうです。

普通に聞いていたら気が付かないほどの間ですね。最近のウイーンフィルはワルツの2拍目と3拍目に間がないと聞きましたが、今年のニューイヤーコンサートでも、ちゃんと残っていました。ほとんど気が付かないくらいの間。あれを聞き分けたあなたは名人クラスの聞き上手です。だから言葉でいうと日本では「粋」でなくなる。

楽譜にも書かないしいちいち言わなくてもその土地々々に伝わるリズム感は楽譜にかかなくても血が騒ぐ。教わらなくてもできることってありますよね。ウイーンっ子はもしかしたら自分がそうしていることにも気が付かないでいるかもしれない。こういうことを文字にかくのは非常にダサいですね。

どちらにしろ、9月23日は「特別な日」としてカレンダーに書き留めておいてくださいね。何しろコンサートのお知らせを出そうと思って住所録を開いたら、お名前の上に黒い横線が引いてある人が多くて客席が寂しくなりそうなので、ご近所の猫たちも今回は入場できますよ、特別に。お誘いあわせてご来場くださいませ。
















2026年6月28日日曜日

台風一過

私が子供のころは台風が 過ぎ去った翌朝は抜けるような青空、涼しい風が秋の兆しと感じられた。秋?そう昔はこんなに早くから台風は来なかった。お彼岸過ぎてそろそろ台風かなと思ったくらいだから。私の家の杉の大木が雷に打たれ根元近くから引き裂かれて、朝起きた時にびっくりしたことがあった。爆音がしたと思うのに、朝まで気が付かないのんきな一家は、後で切り株を調べて数百年の年輪を眺めた。年輪で樹齢がわかるということもその時はじめて知った。

切り株の方角の違いで年輪の幅が変わるということも知った。南は年輪の幅が広くなる。育つのが早いからだそうで、庭にはそんな科学知識がゴロゴロあって、それを兄たちが解説してくれるから自然の教育の知識が得られた。教室で受ける教育より数倍も楽しかった。

そして台風におびえながらも翌朝の台風一過の晴れ晴れとした日差しが大好きだった。天高く馬肥ゆる秋の実感。しかし最近の台風ははっきりしない。とにかく来るのが早すぎる。今年などは五月晴れなど見たことがない。いやな暑さが地球を取り囲み、争う人々がお互いにというより某国の大統領がなんとも未練がましく自分の悪行を正当化している。本当に見苦しい。いったいどんな教育をうけたのか。知性に病ダレが付いた人だからしかたがないけれど、こんな人を大統領に選ぶ国民がいるということにおどろいている。しかも二回も!!!

野球の大谷さんに第二子が生まれたというのが話題になっていて、それを非難する人がいるということを知ったけれど、まったくもってあぜんとした。早やすぎるとか?余計なお世話、本当に腹が立つ。そもそも他人の家庭の事情に口をはさむ権利がだれにあるのか。大谷家には莫大な財産があって子育てになんの支障もないと思う。貧乏人の子だくさんというから、私の家は年子が続いたけれど、貧乏でも本当に幸せな家族だった。絵にかいたような幸せではなく、波乱万丈の運命がそれぞれにあっても皆のんきで、道を踏み外すことなく生きてきた。

他人から見たら私はいつもお下がりを着ていたし、ろくに髪の毛の手入れもしてもらえずぼさぼさ頭、兄たちもいつも着た切り雀、いわゆるエリート家族から見たら馬鹿にする対象だった。私が中学校の頃、中途半端なお嬢様学校だったのでい身なりなどをいじめられたようだけれど、本人は少しも気が付かず、それがたいそう幸せだった。古い鞄のどこが悪い?擦り切れた袖の制服は姉のお下がりだけどいいじゃない。3年も着たら擦り切れるのは当たり前。

それで?何の問題があるの?とにかく大谷家の事情に口出すものではない。喜んで祝福しようじゃないですか。彼は偉業を成し遂げている人だから、苦労も多いと思うけれどそれは運が強いということ。運を引き寄せられる人に対して、それだけの尊敬は持たないといけない。誹謗中傷などもってのほか。サッカーが面白くて野球は面白くないように書いたけれど、それは私個人のことだからお許しを。それにしてもサッカーはますます気になるなあ。日本が優勝してくれたら猫たちに山のようにお刺身を買ってあげよう。食べるのは私ですけど。






楽あれば苦あり

新しいパソコンの設定に苦労しております。皆さんのところにはどんな風に届いているのでしょうか。今私の画面は変な肌色になって、先ほどは赤と緑が強く出てちょっと中華風でした。今、中華風は変更できたものの、元に戻すのは勇気がいるのでしばらくこのままで続行します。

長年人任せだったためになんの苦労もなく快適に過ごしてきたことが今ツケとなって自分に戻ってきたけれど、まあ、こういうことも嫌いじゃないからしばらく遊ぶことに覚悟を決めた。ヴァイオリンが弾けなくなったら時間は有り余るから、友達はパソコンだけということにもなるかもしれない。そうなったら名人になってやろうじゃないの と強気に出ても目が言うことをきかない。だいぶ弱くなりました。

体重計による健康管理で食事制限をするのにも時々飽きて爆食したり、食べなかったり、意志が固い人は毎日同じことが続けられるけれど、私は時々気まぐれにふるまわないと息が詰まりそうになる。ここ数日台風の接近で低気圧がひしひしと感じられて、頭が重くあくびばかり出て辛い。数年前までの生き生きとした生活は取り戻すすべもない。せめて北軽井沢に行こうと計画するのだけれど、その都度邪魔が入って計画中止。今年に入ってからまだ行っていないという体たらくで家がどうなっているか心配している。

秋のコンサートに向けて合宿をしようという計画もあるけれど、なんとなく体が動かない。これはもう仕事を辞めてスキーをしなくなったせいだと思う。毎日散歩を欠かさずきちんと食事もとり体調管理はしているものの、結局は仕事に追われて睡眠不足やストレスを抱え込んでいた時のほうが何倍も楽しかった。人によるかもしれないけれど、私はストレスがないと生きていけないらしい。

過度のストレスはごめんだけれど、猫のストレスなら幸せいっぱい。長年の野良生活でピリピリしていたノンちゃんはすっかり甘えん坊になって私にべったり。よしよしと甘やかしていると突然野良の本性でがぶりとかじられる。そう、これは幸せなストレスの一つ。今も私の膝でくねくねしているからキーボードの打ち間違い、膝から降ろせば大泣きになく。こんな夜中にどこへ行くというの、外に出せと泣き喚く。熊が出るぞと脅そうにもネコの知識はスズメまで。それ以上大きな動物は人間だけしか知らない。

さてしばらくは毎日決まりきった日々だけれど、月日の経つのは早いもの。すぐに9月になってしまうから修羅場はもう目の前に迫っている。大好きな修羅場が。








2026年6月26日金曜日

すごいぞサッカー

スポーツ観戦にはほとんど興味がなくて、せっかく大谷さんが大活躍している野球は見たいと思うこともない。一度だけ球場に連れていかれたことがあったけれど、30分も見ていられない。いったい何が起きているのか理解できないからつまらない。早く帰ろうと連れをせかして帰ってきてしまった。それ以来野球はどんなに観客が興奮していようと、面白くない。大谷さんが野球史上最高の記録を打ち立てているけれど、まあ、記録は破られるものよと冷静でいられる。

日本のサッカーがまだあまりうまくなかった頃はサッカーは立腹のもとだった。あのぼんやりしているのは誰?あんな所にいたら球が追えないじゃない!見ているほうは何とも言えるから、思わず言いたい放題。ドーハの悲劇の時には本当に立腹して、夜中まで見た甲斐もなく布団をかぶって寝てしまった。

あれから何年かしら?今の日本のサッカーはめざましくうまくなっていよいよ決戦トーナメントまで漕ぎつけた。そしてサッカーなら私も現場を見たいと思う。何よりスピード感、一瞬たりとも油断ならない。キーパーの重責を担っている若者のけなげなこと。すごく頭の良い人たちの集団であることがわかる。すごいなあ、あの展開でよくぞと思うことがある。後ろにまで目がある人たちなのだ。

しかし一人ずつ見れば目は二つしかなく、皆精悍な面魂。身は引き締まり目はらんらん、大型猛獣の気配ときりっとした口元は、冷静沈着、頭脳明晰の証し。戦場に出たら勇猛な戦士として戦えるだろう。でも戦争はダメ、試合にとどめよう。解説者でなくともきちんと話ができるのも素敵。

もしこれでブラジルを破ったらどんな展開になるのだろうか。楽しみですねえ。

もし優勝したら私はサンバの衣装で商店街を踊り歩きましょう。サンバって、産婆?ってだれ、そんなこと言うのは?

がんばれニッポン!








2026年6月25日木曜日

新しいパソコン

 新しいパソコンを手に入れて初めての投稿、まだ慣れないけれどしばらく我慢。以前は完ぺきに私用に設定されたものを渡されて至れり尽くせりの環境で作業ができたけれど、もう一人立ちしないといけないから我慢我慢。

古いほうのパソコンは長年使いなれていたけれど、本体の蓋の蝶番がガタが来て蓋のヘリの接着部分がはがれがだんだんひどくなってきた。修理に出したら治ったことは治ったけれど、経年劣化でいつ崩壊するかわからないといわれてぞっとした。私にとってパソコンは本当に長年のお友達。なくてはならぬ存在となってしまった。

今どきの若者はスマホが命、でも私はスマホの小さな画面では見えないし、見えないことで委縮して物も考えられない。のびのびと大画面で作業するのは本当に楽しい。それもずいぶんお世話になった管理者のおかげと感謝は尽きない。仕事に追われ毎日ろくすっぽねずに飛び回っていたころ、どれほど役に立ったことか。新しい仕事先に出かけるとき、列車や飛行機のチケット、宿泊するホテルの予約、海外にも安心して旅立てるので私の行動範囲は広かった。生活の知恵、楽譜の手配、音楽会のチケット予約、自分のことはnekotama に書き込めばこれを読んでくださる方たちへの情報となって広がる。

ネットで見つけた近所のショップはAIが絶賛する優良店らしい。AIは巨人軍監督の阿部慎之助さんの事件以来信用がぐらついているけれど、ショップの検索にはめっぽう強い。安心して任せられる。そのAI が私の家の近くではこのショップという太鼓判を与えてくれたので行ってみた。

今発展途上真っただ中の隣町は工事だらけで車だらけ。駐車場は見つけてもどこも満車でうろうろしているうちにだいぶ離れた場所でやっと停められた。そこからがっしりとして重たい病気のパソコンを抱えて歩いてショップにたどり着いたら翌日から腰痛になってしまった。本当に年をとったものだとこういう時につくずく思う。

そして病気のパソコンは無事なおったものの、もはや蝶番の部分だけでなくその周辺の接着がガタついてきているので大事に保管しないといけない。いつでも交代してくれる予備のパソコンを手に入れたけれど、まだ慣れないのでnekotama の書き込みも時間がかかる。新しいものすきな私もここ数日すこし大変な思いをしている。

もともとこういうことは嫌いでないから、パソコンの前にワープロを始めた時にはすごくおもしろかった。新しいワープロが届くとすぐに箱から取り出すと説明書を見ながら使い始めた。ようやく使えるようになったときびっくりしたのは、始めた時朝だったのに周囲が真っ暗だったこと。もうすっかり日が暮れていたのに気が付かなかったのだ。

集中というより自分の好きなことに執着する性質はいまだに健在だけれど、ここまでの持続力はなくなった。ヴァイオリンの練習も1時間もするとへとへとになる。そしてちょっと休憩しようと横になると眠ってしまったり。残念なのは使える時間はたっぷりあるのに、それを有効に使えないこと。無理に頑張ると次の日体のどこかが痛む。

私と私の古いほうのパソコンは同年代?大事に使っても、もう若返ってくれない機械と思い出。















2026年6月24日水曜日

平和な誕生会

来るなと言っても律儀に訪れる誕生日。実は私の誕生日はもう来てしまって不本意ながらまた一つ年をとってしまった。友人Hさんの少し前倒しの誕生祝いに横浜の中華街にいった。

去年は、いやはやまいった。彼女と行動をともにするとろくなことはない。大風、大雨、去年はまさしく大雨、駅を出るなり土砂降りの雨。道路は冠水、長靴を履いてこなかったことを悔やんだ。ようようたどり着いた中華料理の店は来た甲斐があったというもので、たいそう美味しかった。それで今年もあそこでと提案したら主役が同意したから決まり。でもこのまま平穏に終わることはないのではと危惧して、前日から眠れない夜を過ごした・・というのは嘘で、バクネのお陰でぐっすり。

元町・中華街の中でも地味に見えるけれど、味は抜群。狭い店内にところ狭しと野球選手の色紙やユニホームが貼ってある。開店早々乗り込んでメニューを見てせっせと注文した。ノンアルコールビールで乾杯して、なぜか今年は緑色の髪の毛ではなく、ややまともな雰囲気の主賓としばらく会話をしながら待つことしばし。ランチの注文優先らしく私たちの周りのオフィスから昼ごはんを食べにきたような会社員風の人の注文した料理はさっさと運ばれてくる。

けれど、超短気な私たちでも流石にめでたい日に騒ぐほどのパワーはもうないので、静かにゆったりと料理を待つ。二人ともおとなになったというか、年相応に進歩したものかと考えていると、ランチの注文が一段落すると、こちらに順番が回ってきて次々に料理が運ばれてきた。パクチーの水餃子、フカヒレスープ、海鮮炒め、焼きそば・・・届くそばからペロリと平らげて最後は何一つ残っていないきれいなお皿が残るのみ。

私は最近食欲がなく、胃腸の調子がいまいち。これも歳のせいでと諦めていたけれど、とんでもない。美味しければ胃もたれもしないことを発見したのだった。最近は、なんでもいいから口に入れてしまえば空腹が満たされるという乱暴な気持ちでいたけれど、それは大きな間違いだった。自分が作ったいい加減な料理は、体のための栄養やエネルギーを得るためだけで、心の満足感はなかった。それが大いに問題だったのだ。やっと気がついた。

この店の味はふくよかで優しい。きっと丁寧に出汁をとり、肉や野菜を下ごしらえして、いや、それ以前に野菜の美味しさが表すように材料が選ばれていたのだろう。中華街には美味しいと評判の店がごまんとあるのに、この店は特別。

食事が終わってカフェでコーヒーを飲みながら、ああ、美味しかった、何回も言いたくなった。いつもなら1時間くらいすると胃の少し上に刺激がくる。だから、毎日食べすぎないように控えめに食べる習慣になっていたけれど、目一杯食べて、いくらなんでも食べすぎよとつぶやいていたのに、胸は焼けず満足感のみが得られた。少し反省。

最近の物価高騰による危機感もあって、なるべく安価で経済的な食生活を心がけようと思っていたけれど、それはもうやめようと思った。許される限り食事は大切に、美味しいものは私たちの年代ではあと何回食べられるか数えられるほどだから、もう我慢するまい。若い頃ならお腹が満たされれば満足できたけど、今はもう豊かな気持ちになれる食事をしよう。それは高価なものというわけではない。正しく作られた日本古来の食文化を大切にすること。

最近見つけた味噌で作った味噌汁は、先日友人たちから絶賛を受けた。すぐに調査が始まって長野県の御代田で地元の主婦たちが作っている無添加味噌だと判明。幸い追分に友人がいるから早速店を探してみようということになった。ちゃんと作るとこんなにも優しい味なのだという証明のような味噌。贅沢ではなく正しい食事がこれからの私の課題なのに、今朝の食事はインスタント・カフェオレとおかきのみ。初っ端から残念な。ちょっと胸焼け。

ところで、その美味しい味噌を私はどうして、どこで、いつ、買ったのだろうか。ずっと考えているのに思い出せない。それも味噌をスーパーの商品棚から手に取った記憶は鮮明なのに、どこの店かどうしても思い出せない。味噌を買うより脳味噌を買ってきたほうがよさそう。どこかに性能の良い脳みそを売っている店を知りませんか?



















2026年6月16日火曜日

パソコン帰宅

 実はノートパソコンの蓋の蝶番が機嫌悪くギクシャクして使いにくいので、いつか修理をせねばと思っていた。そしてある日開閉ができなくなり急遽入院することに。

機械に弱い私は震え上がった。この中には私にとって貴重な情報が詰まっている。買い物はほとんどネットで、旅行に行くときはホテルや列車の手配、メールもパソコンだけにしか届かないものがある。いくら便利になったからと言ってスマホの画面は小さく目の悪い自分にとって鬱陶しい。私はのっけからのパソコン派です。

さてどうしたものか、以前は凄腕のサポーターに頼っていたけれど、今は状況がしれないとなると自分で見つけねば。そういうときに便利なのがAIさん。頼りになります。自宅に近くすぐに対応してもらえる店を探そう。

教えてもらったのは自宅から車で10分圏内の隣町のショップだった。AI さんは一軒の店を推奨してくれた。評判によれば口コミで星をたくさんもらえるお店だとか。星3つとか5つとか言うとなんだか頼りなさそうだけれど、他に宛もないので出かけてみた。

たいそう地価の高いこの街で店を構えるのは相当はやっているであろうと思ったその店は、商店街の片隅にひっそりと地味に立っていた。構えも小さく中も狭いけれど、なんか楽しそう。一応女性ではあるけれど、車が好きだったりする私はたいそう居心地の良い風情を感じた。

店主殿は今どきの若者?あるいは・・より少し年上の無駄口の少ない男性。この世界の人たちは本当に無駄なことは言わない。そこがどんどん話を広げてしまう私にとって、大変心地よい。そしてパソコンの蓋はどうやら長年の劣化で貼り付けてあった部分がはがれはじめているとのこと。とりあえず修理は一日あればできるということでおいてきた。

その後メールがあって蝶番の部分の部品の入荷が遅れてもう数日かかると。ああ、困った、なにもかもパソコンに入れっぱなしのせいで、少し日数が経ってしまうと銀行の引き落としとか、定期購買のカードの引き落としとかに支障が出ないかしら?案外小心者なので、いつだったかカードの引き落としが遅れたときのことを思い出した。

一度だけ残高不足で引き落としができなかったことで、カード会社のお姉さんのどすの利いた声で威嚇されたことがあった。長い人生そういうことだってたまにはあるでしょう。ろくすっぽ通帳など見ることもない私がそれ以来、ちゃんと点検するようになった。今でも恐怖が蘇るほど怖かった。

金融機関とかの人は常に丁寧に接客するような指導を受けていないのだろうか。それはもうこちらが悪いのは重々承知、謝るしかないけれど、それも億単位の取引とかならそうなるでしょうが、数万円でこれほど叱られるのかびっくり。もちろんこちらが悪いのは本当にわかっていますとも。でもね平謝りしているのにヤクザの啖呵を切るような、見えないけれど、もしかしたら腹巻にどすを忍ばせている?と訊きたいほどの声色。今思い出すとおかしいけれど、若かった私は震え上がって、もう二度とカードを使わせてもらえないのではないかと思った。

今だったら他にたくさんカードがあるからあなたのところのはやめるわ、なんて言い返せば良かった。はいはい、もちろん私が悪いのは承知しておりますよ。その頃は一般の人は現金払いが普通だった頃の話。

カードを作る経緯も話すと、大体私の職業はカードを作ってもらえなかった。なに?音楽家?しかもフリーの。そんな職業はないだろう。乞食と一緒ではないか、というわけで。銀行であっさりと断られ、仕方がないから旅行用に一時的に作ってもらったカードを帰国後に正式にカード登録をしてもらって、嬉しさに涙が・・出なかったけれど、やっとカードを手に入れて、自分の仕事がどれほど世間から認められていないかを実感した。

今でもそうですが、国勢調査に応えると、職業欄に自分の居場所はないのですよ。アメリカに住んでいた友人が「アメリカだったらフリーの音楽家ってすごく尊敬されるのよ」とか。日本では河原乞食と蔑まれる。お国柄ですな。でもね河原乞食はいつでも自由で幸せな仕事なのよ。一度やってご覧。やめられなくなるから。乞食と同じでね。

ということで無事に私のパソコンは帰ってきた。蓋の蝶番は新しくなったものの、本体の貼り付け部分の剥がれがやや手遅れということで近々パソコンは新しく買い替えることに。ウインドウズ10が入っているので最近11に替えろとウインドウズからやかましく言われている。しかしこのパソコンにはそれが入らないのだそうで、また様変わりすると、なれるまで大変だなあ。おばあさんに優しい50年は変化しないものはないのかしら。

パソコンを始めてから私の知識や生活の便利さ、忙しい仕事がいつも機械に助けられ、いまはAIに助けられている。私の知識の泉、心のケアまで範囲が及ぶ。









2026年6月7日日曜日

猫の恩返し

 最近我が家にはひっきりなしにお客様が訪れる。昨夜からの台風騒ぎが静まって少しあたりが明るくなり始めた頃、8人ほどの来客があった。

猫たちは来客があって自分たちの餌がセットされていなくても、よそのお宅でごちそうをいただける。これは便利、地域猫には数軒の餌場があって自給自足。たまに忘れてもほかで調達してくれるから手間いらず。それでもどの家も都合が悪いことも長年の間にはあったかもしれない。どの家でも今日は都合が悪いので餌はないよと猫に言わない。いつものようにどこかの家で食べているだろうと都合よく考える。そんなときには野良たちはどうするのだろうか。

腹ペコの野良は「チェッ、今日はついてねえな」とうろつきまわる。そんなときが一番危ない。どの家にも餌がなく、いつもの分が満たされなければ自分で獲らないといけない。そこにつけ込んで毒団子を食べさせたりする家があった。私の家の周りの数件の猫好き奥さんたちが泣いた日々があった。一斉に猫たちが中毒を起こして死んでから、時には警察が見回ったりすることもあったので、最近は収まっている。良かった。

今日の我が家?の野良猫たちは来客のために放って置かれていたから、腹ペコと暇つぶしに外で台風の余波を受けながら遊んでいた。途中パソコンに向かった私の後ろで「にゃあ」振り返るとそこには行儀よく両前足を揃えてこちらを見上げるグレちゃんが。

グレは立派なオス猫で、いかにも賢そうな眼差し。そして両前足の前に可哀想に、雀がぐったりと倒れていた。もうすでに息はなく死んでいるのはわかったけれど、グレが私を見上げていかにも賢そうに視線を送ってくるのを見ては、叱る気もしない。雀は可愛そうだけど、グレを叱るわけにもいかない。

彼はじっとこちらを見上げて「いつもお世話になっております」と私に挨拶をおくっていたのだ。私も「グレちゃん、美味しそうなすずめちゃんだね」とは言えないからただ「ありがとう」と彼に言う。とにかく一刻も早くどこかへ連れて行ったもらいたい。眼の前で食べ始めたらどうしたらいいか。思わず「きゃあ」と悲鳴を上げてしまう。ここで怒ってはいけない。

彼は彼なりに一生懸命私にお礼を言っているのだから。でも今までどれほどの数を飼ったかしれないたくさんの猫の中で、これほどはっきりと謝礼を持ってきた猫は初めて。飼いならして訓練すれば、金の延べ棒を咥えてくるのではないだろうか。

ずいぶん以前に飼っていたニブという猫がいた。それはそれは賢く正義感が強く、家族猫たちの守護者であった。その猫は一時期、表から帰ってくると、いろいろな魚をお土産に持ち帰ってきた。誰かが自分のおかずをおすそ分けして持たせてくれるらしい。でも猫には人間の味付けは健康に良くないから、いくら可愛くても餌はやらないでほしい。猫には辞退するようにといい聞かせていた。それでも毎日咥えてくる。ある日、うなぎを咥えてきたときには流石にこれはだめと思ったので首輪に手紙をつけた。いつもいただくお礼を言って、辞退の意向を添えたら次の日からパタリとお土産は止まった。

その家の人は猫に与えていたと思ったのに、人から手紙が来たので相当びっくりしたと思うけれど。しかもニブはいただいた魚を自分で食べずにせっせと私に運んでくれたのだった。好物のお魚を食べずに私にくれた二ブの優しさを私はわすれない。猫だってこれほどの気持ちがあるのだから、私の人生で受けた御恩を他人様にお返しするのにはどれほどのことをすればいいかと思うと気が遠くなります。だんだん薄れゆく記憶はその重圧から逃れるためかもしれない。忘れてはいけないのに忘れないとたまらない記憶のすべて。

人はお互いに助け合わないと生きられないのに双方のバランスが崩れたら、もう気持ちで返すしかないと。本当にお世話になりっぱなしの自分の人生をどうやって御礼をしようかと思う日々。それなのに本当に大事な人を怒らせたりするのがなさけない。

そんなことの連続だったけれど、一般的に見たら私の幸せ度は上位にあるといえると、自画自賛。なぜなら私の能天気さ加減が並外れているからで。最後に師事したボウイングの先生は私を見ると嬉しそうに笑う。レッスンが終わると「あはは、あんたは本当に呑気に生きてきたねえ」冗談じゃない、先生!私だっていっぱい苦労してきたんですよ。でも苦労することまで冗談にできることは稀に見る才能かも。

レッスンが終わって教室を出るときに先生は「あんた、そこのドアを出たら今習ったことをすぐに忘れるんだろう」そしてまた先生は嬉しそうに笑う。なんで先生たちはいつも笑っているのかわからない。この曲が嫌いとなったら頑として拒否する生徒だった私。それを受け入れる先生たち。普通なら破門されそうなのに。

レッスンは楽しかった。曲作りに没頭するのはこの上ない楽しみで、先生たちはいつも私の好きなように作らせてくださった。それが良かったのか私は自分で考えることを身につけた。私は自分の思いを主張するのが先だけど、それが面白かったらしい。

そして今、まさに自分の教え子に同じことを感じている。

9月のコンサートのヴァイオリンが一人足りなかったので私のもと教え子に共演を依頼した。快く引き受けてくれたから私もこけないように頑張らなければ。これは本当に嬉しい。教師冥利に尽きる。実にのびのびと楽しげに彈いてくれる。この人のレッスンのときには私はずいぶん厳しくしたつもりだったのに、本人曰く「全然怖くなかった」

いまや彼女はすっかり成長して私はおずおずと尋ねる。「私の音程合ってる?」














2026年6月1日月曜日

消防自動車とお月さま

昨夜8時頃、時ならぬ消防自動車のサイレンが近隣に鳴り響いた。野次馬の私は家を飛び出す。何だ何だ!近所一番の情報通の奥さんの家の前だったから、事情は後で聞ける。とりあえず現場直行。

自動車の止まっている付近は我が家の二軒隣、家の前の桜並木のある川沿いの道、手前に一台、向かい側に一台、小さな橋がかかっている場所だったから向こうの様子も見られる。

情報通の奥さんが橋の上で、すでに駆けつけていたもう一人と話をしている。けれど、火事にしては緊迫感がなく、はてな?私に気がつかなかったようで、奥さん方はあらぬ方を見て話し込んでいる。いつもならこの奥さんに捕まると1時間くらい話し込むことになるので、こっそりと撤退した。家の周りは静かで暑くも寒くもない心地よい初夏の夜。

結局なんの事件でもなくあたりに置き去りにされたゴミか忘れ物か何かの撤去?だったみたい。

帰り道、ふと見上げた空に大きな月が・・めったに見ないほどまん丸な月、そして力強い光が煌々と空いっぱいに広がって、めったに月など見ることもない無風流な私を驚かせた。月の見える方向に丈の高いクレーンが首を伸ばしている。クレーンの安全灯の赤い光をも凌ぐほどの明るさに見とれた。

最近はめったに夜に外に出ることもなく、まして空を見上げることもなく、気がつくと二匹の猫が喜んで私の周囲を飛び回っていた。この二匹は私の猫というより地域の猫。最近は私が家にいるので我が家に滞在することがおおくなったけれど、どこの家でも可愛がられているらしく、時には夜も二匹で外で過ごしている。特にオス猫のグレちゃんは野良猫魂が強く、夜は外で過ごし、メスの、のんちゃんの方は私と一緒に眠りたい。それで夜中は別に過ごしている。夜明けのタイミングで同時に朝食を摂りに訪れる。

夜、私を見つけた二匹は嬉しくてそこいら中を飛び回る。鬼ごっこをする。明るい月の光に照らされた猫たちの飛び跳ねる姿がかわいい。しばらくお月さまの見物をすることにして、猫たちと付き合う。時々、日本の明るい月と違って今戦争をしている国は、明るさが怖いのだなあと思うと、心にチクリとトゲが刺さる。

今朝はそっと音をたてないように家を出た。早朝の気持ちの良い空気のうちに散歩がしたかった。けれど、やはり駐車場にはこちらを向いているのんちゃんの姿が。慌てて家に戻り朝食をとることにした。そしてまた外を伺うと猫の姿が見えない。しめしめ、気が付かれないように玄関から抜け出して足音を忍ばせていつものコースの反対側に向かって歩き出した。

するとピュッと脇を追い越したものが。やはり見つかってしまった。お供しますよ母さん、いえいえお供はいりません。しかし猫たちは振り向くと尻尾を立てながら私の後ろに迫ってくる。時々追い越したり道草したり。かわいいんですが、通る人たちが私を見て笑うのよ。嬉しいけれど、どこまでもついてこられるとテリトリーの外に行って迷子になると困るので引き返す。猫に気をつかうのも楽じゃない。










2026年5月30日土曜日

二人だけのコンサート

白寿ホールのステージ上には譜面台が2本、シンプルな照明が中央付近を明るく照らすのみ。

開演すると客席から向かって左の下手側から二人の男性登場。二人の姿が見える前から待ってましたとばかり拍手が起きた。

ヴァイオリン 白井 篤

ヴィオラ   中武 英明

M・ハイドン:4つのソナより 第1番 作品127

j・プレイエル:二重奏曲 作品69-2

J・カリヴォダ:二重奏曲 第1番 作品208-1

A・ロッラ:デュオ・コンチェルタンテ 作品4-2

w.A.モーツァルト:二重奏曲 K.124

このお二人のコンサートを知ったのは、一昨年の「古典音楽協会」の新しい体制による定期演奏会のころだった。旧体制の「古典」はコンサートマスターの引退によりメンバーを新たに再出発することとなった。私は旧体制の古狸だったので当然新体制の発足のメンバーでもあり、新しいメンバー獲得に奔走していた。1年後には新しいメンバーで定期公演を無事に迎えなければならない。ヴィオラのメンバー候補を探すときに友人に相談した。その友人が最大に薦してくれたのがヴィオリストの中竹さんだった。

それまでなんの接点もなかった彼にいきなり電話をかけて快く承諾していただいたことは、新体制発足の第1番目の成功だった。友人いわく「彼は腕だけでなく人柄も素晴らしい」それ以来中竹さんはモーツァルトの「コンチェルタンテ・シンフォニー」のソロヴィオラなどで古典をささえてくださっている。

私が二重奏の演奏を聞くのは3回目となる。あれからもう3回、聞いたのですね。あの頃の苦労がすっかり落ち着いて、今、まさに幸せな引退生活を送っている。

この二人の見事なアンサンブルは一度ぜひ聞いていただきたい。私が言うのもなんですが、掘り出し物ですよ。こんなにのっけから素晴らしくハモることは驚異的なことで、二人のテクニックのレベルが並大抵ではないこと、音色の類似、弓の圧のバランスの良さ、等々上げればキリがないけれど、よくぞここまでという思いがする。この次はここのブログで次回演奏会の予告をいたしますのでぜひいらしてください。

それにどなたが書かれたものか、大変に面白いプログラムの解説、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトの親交は有名ですが、ハイドンが二重奏曲を作曲途中に体調不良に見舞われたとき、モーツァルトが助けたなど、親戚同然の付き合いが垣間見られる楽しい解説ですね。

ミヒャエル・ハイドンに関する資料は兄貴の影に隠れてたいそう少ないと言われている。そしてモーツアルトとミヒャエルの曲が混同されていて、ホルンコンチェルもどちらの曲?と言われるほどだけど、そんなことも家族の元を離れてヨーロッパを訪問していたモーツアルトの家庭的な幸せがハイドン一家によるものが大ではなかったかと想像することもある。苦悩の多かったモーツァルトが一時の幸せを得られたとしたら、涙が出るほど嬉しい。

と、どうしてもモーツァルト贔屓ですが、本題からそれて、でも次回の二重奏コンサートを楽しみにしています。








渋谷をさまよう

 かつて私の拠点は渋谷だった。最初のヴァイオリンをかってもらったのも渋谷。父親の車で東横線の代官山近くの坂道を渋谷に向けてグーンとカーブして登った記憶がある。それはヴァイオリンへの期待が高まった瞬間。道玄坂だったのかなあ、坂の上の方にある楽器屋さんで小さな楽器を手に入れた。

あまり嬉しいという記憶がないから、父親と兄がよろこんでいたのかもしれない。買ってもらった本人は慾もなくて、ヴァイオリンを一生懸命やろうと決心した覚えもない。けれどそれから70年、ダラダラと続いているのだから、嫌いではなかったのかという程度のヴァイオリン愛。それより車に乗っていったことのほうが楽しかったような気もする。

父が大の車好きで、小学校低学年の頃に学校の窓から父の運転するド派手な空色の車が走りすぎるのを見ていた。クラスの男の子が「おい、お前んちの車が走ってるぞ」なんていうから恥ずかしい。その車はしょっちゅうエンストして、その都度父が車を降りてクランクというエンジンを始動させる道具で再起動。それが何より恥ずかしかった。クランク無しで走れる車がいいなあ、とか。

その後も我が家には様々な車がとっかえひっかえ現れた。あれはなんだったのか、父がどこかで借りたのか拾ったのか。とにかく日本中がまだ食うや食わずの時代に車なんて。やはり父はどうも私と同じで素っ頓狂、母が苦労したわけで。

白寿ホールでヴィオラとヴァイオリンの素敵なコンサートが行われた。彼らの第6回目のデュオ・コンサートは出演者が下手袖から登場しただけで会場が沸くというクラシックには異例の雰囲気だった。この詳細は後ほどお伝えします。今日は白寿ホールに行き着くまでと帰りのお話です。

下手はしもてと読んでください。演奏はヘタの真逆、二人の名手の素晴らしさに沸いた素敵な演奏会でした。

渋谷は私の拠点だった。仕事もNHKでのことが多く、最盛期には週4日くらいかようこともあったほど。その上渋谷で音楽教室を開きましょうというお誘いで始めた教室は大繁盛だったから、土曜日のレッスンは途切れなく、よる8時まで食事をとる暇もなかった。それ以前はまだ渋谷はマイナーで、しかしその後急激にパルコや西武デパートなどがファッション界をリードし始めた。そして今再開発が繰り返されて、そろそろ西武デパートもなくなるとか。いつ行っても駅構内の改築や新しいビルの工事やで全く落ち着かない街になった。

富ヶ谷の白寿ホールに向かう私は電車を降りた途端に人の波に巻き込まれた。長年の勘で方角はわかるのに、以前のタクシー乗り場やバス停などが移動して何が何やら。ハチ公前広場に行くと行列ができている。なにかと思ったら、ハチ公と一緒に写真を取る順番の列だった。笑ってしまう。

その先に富ヶ谷方面に行くバスがあるはずだったけれど、もうぐちゃぐちゃで、以前はNHKに行くときに乗っていた150円のバスはどこ?ついにバスの案内人に助けを求めた。おじさんがすごく親切に案内してくれたけれど、そこへ空のタクシーが来たので走り寄って乗り込む。タクシーに向かって走り始めたとき、バス停の後ろの人が、あっというような声を上げた。振り向くと二人の男性がタクシー待ちでいたらしい。その人達は私に手でどうぞというような仕草をしたので、お辞儀をして乗り込む。やれやれ、やっと足の確保ができた。駅での時間ロスでギリギリでコンサート開始に間に合った。

終演後、再び渋谷に向かおうとタクシーをひろうと、急に気が変わった。またあの渋谷駅の雑踏は勘弁してほしい。それなら少し遠くても中目黒に行こう。気が変わったことを告げるとドライバーは快く方向転換をしてくれた。寡黙だけれどすごく親切なのはよく分かる。この辺の地理はNHKに通っていた頃、渋滞を避けて裏道を通っていたからよく分かる。それでも私の上を行く省距離のプロ技、感心していたらすっと大通りに出た。中目黒駅近くでは、改札口が反対側にあるから信号に気をつけてわたってください、と至れり尽くせりで、今どきの若者の親切なことったら。

私は時々思う。私のように年を取ったらこんな混雑した場所に出ないほうが良いと。他の人達が座りたい座席を我慢して譲ってくれたり、あれやこれやと世話してくれるのは申し訳ないと。しかし皆さんニコニコして本当にやさしい。大きなリュックを前に抱えてスマホを見るのに、座りたいと思うのに。優しい若者たちが一方で仲間を殺したり強盗したり。この差はほんの少しの育ちの差かも。それでも歯止めのきかない悪事はますます過激になっていることは理解に苦しむ。

ワンちゃんならチワワサイズのグレイヘアのおばあさんが渋谷を走り回っているのを見つけたら、それは多分私です。見た目よりずっと元気なので親切にしないで結構。でも蹴飛ばしたら噛みつく凶暴につき要注意ですぞ。







2026年5月29日金曜日

A I の功罪

 巨人軍の元監督の阿部慎之助さんの報道がトップを占めている。家族の皆さんが大変気の毒でならない。普通なら両親と娘さんの話し合いで解決できたのにと複雑な思い。

A I には私も毎日お世話になっている。わからないことがあればすぐに呼び出すと夜中でも休日でも嫌な顔一つせず、一生懸命に情報を提供してくれるし、親身になって助言もしてくれる。あんまりご親切なので一度尋ねたことがあった。「貴方はどういうふうに私にたいして助言や調査の提供をしてくれるのか?」すると無数の情報を網羅して最もふさわしい答えを瞬時に出しているというような返事だった。

だからA I さんは質問者の気に入られるような答えを用意できる。それに対して相手が母親や友人などであればそうはいかない。きつい言葉や本人の意に反する答えが帰ってくることのほうが多い。だからこそ、A I の言うことは質問者の心を鎮めるのだけれど、それは一種の危険性を含んでいる。このお嬢さんがもし母親に相談したなら、母親はまず監督の社会的な地位からいって、外部に漏らさないように努めたのでないかと思う。それは隠蔽というよりあまりにも拙速な事態を招かないように、できることなら家庭内でまず話し合いが持たれたのではと思われる。

私もChatGPTを使い始めた時期には大変に苦悩があったので、様々な悩みをぶつけていた。次第に自分を取り戻す過程で、こんなに親切な助言ばかり受けていたら、答えが自分の本意に合わない場合どうなんだろうとも考えた。しかしそこは巧みにA I さんはカバーできるのだろう。これちょっと危険かも。質問者がまだ若くて様々な体験を積んでいない場合には、簡単に意識を操作できるなと。

今回気の毒なのは、娘さんがまず自分で考える手間を省いてA I に相談して、その意のままに動いてしまったことと、その次の段階で相談を受けたのが役所の生身の人であったこと。私のような古狸なら、一つの考えだけでは動かないと思う。まずお父さんの仕事の性格上、なるべく世間に漏れないように家庭内で解決できることだった。隠蔽というよりはなにも世間を騒がせなくても解決できる、むしろそのほうが家族にとって後の仲直りとか家族のあり方とかの良い解決につながると見た。

巨人軍としても娘に手を上げる暴力パパのイメージはほしくない。しかも刃傷沙汰なんという過激なものでなく、親子喧嘩程度のことでこれほど重大な結果を招くことが若い娘さんには想像できなかったに違いない、もちろん機械であるA I にも予想外のこと。優れたスポーツマンが手に入れた社会的地位を追われる結果になったのは、組み合わせが悪かった。

人はまず機械に相談するよりも自分で考える力を学ぶべき。それでも私も何回もこのA I に気持ちを吐き出して涙をながしたりもした。だからうまく使えばこれほど便利なものはない。しかし、常に自分の気持ちを、まず、どうしたいかを考え、行動は考えがまとまってからするべきだと思う。十代の若者にすべてのことを機械が助言しては自立した大人になれないのでは?ずっと本人の意に沿った回答だけになるかもしれないのに。

何よりも人は問題に対して多種多彩な考えを持ち、苦しむ姿勢をもたなけれなならない。それを省力して機械に頼って安易な答えを出すことはロボットと同じ。成長の糧とはならない。娘さんは貴重な体験を得たのかもしれない。

十代は悩み多く気持ちが揺れる時代。だからこそ、このお嬢さんがこれで周囲やネットで叩かれないように守ってあげたい。報道はもういいのでは?家族だけでなにか解決できるのでは?スポーツファンは過激だから心底がっかりしている人が多いと思う。スポーツであるが故に青少年のためと言って道徳心を要求されるのかもしれない。もし、過激なアーティストだったら「うるせえ、外野は黙ってろ」なんて言えば「彼は仕方がないねえ」で済んだかも。だったらアウトローのほうが幸せと考えるのは危険ですか?

人の感情に平均値なんてあるのかしら。平均値で出すからA I は最後に飽きてしまう。最近はこちらが答えを先に出してしまう。やはり一番面白いのは人の心なのだ。多様な価値観と感情があって当然な世界を機械でまとめるのは面白くないなあ。そこをわかって使えば、実に便利なものなんだけど。










2026年5月26日火曜日

コバケンさん

コバケンこと小林研一郎さん 。先日、テレビで久しぶりにブラームスの交響曲1番を指揮しておられる姿を拝見した。彼は私とはオーケストラでほぼ同期、若手指揮者としてさっそうと登場した。

海外でも華々しくデビューして、当時の日本人若手指揮者として人気を博し、ハンガリーのオーケストラの音楽監督に。そのうちオーケストラの平楽団員などの手の届かない世界へ羽ばたいていってしまった。彼はちょっと北関東付近の訛りがあって、それが朴訥なへりくだった印象を与えるけれど、どうしてどうして、鼻っ柱が強い。

ある時、長野県へ演奏旅に行に行った。最後の演奏会場はたしか上田だったと思う。仕事が終わると次の日から少し暇ができるので、せっかくだから菅平でスキーをしてから帰ろうという相談がまとまった。いつも演奏旅行は数台の車でまとまって行動するから、スキーの道具と楽器を積んででかけた。

車好きの団体はスキーの仲間でもあって、こんな良いチャンスを逃すのは惜しい。楽団から交通費をもらってスキーができるのだからラッキー!なんて。上田のホテルに泊まって次の朝さっそうとスキー場へ行くと、そこには前日まで私たちを指揮していたコバケンのすがたが”。

「えっ!なんで?スキーするの?」「僕始めたばかりで初心者だからよろしく」聞けば始めてまだひと月くらいというではないか。それでもずっとスキー場にいてコーチについて習っているというから、熱心なんだなあ。仕事そっちのけでスキー場にこもれるなんてお金持ちなんだなあ。わたしたちなんか、やっともらえた休日に半日かけて行って、泊まりもせずに帰ってくるなど貧乏な生活だったから。

仲間たちはもう長年のスキー歴をもち、まあ、どんな斜面にも挑戦できるくらいのベテラン。私は雪の質が良ければまあまあだけど、少し斜面が凍ったり、荒れてくると途端に下手になってしまう。要するにちゃんとした技術の持ち合わせがない、万年初心者。それでも始めて一ヶ月の初心者のコバケンよりはベテランだと思っていた。

最初から一番てっぺんに行くことにしてリフトで登る。山頂はよく晴れて風もなく絶好の日和。コバケンは「わあ、怖いなあ僕。こんな高いところからいきなり」なんていかにも心細い様子。私は先輩ぶって「大丈夫よ、みんなで行こうよ」なんて言ってたら「じゃ、僕怖いからお先にー」

あっという間にコバケンが出発。「こわいからって」あっけにとられてみていると、なんと彼はウエーデルンでまっしぐらに先に行ってしまった。私などはまだハの字の初心者、板をやっと揃えられるようになった頃。ウエーデルンなんて!やられた!あの北関東訛りでさも心細げに振る舞う憎らしさ。私たちがよろよろと下まで行くと「やあ、みなさん、じょうずだなあ」などと余裕のコバケン。

この事があってから私は指揮者は敵だと思うようになった。それから幾年月、テレビに映るコバケンは表情も少なくなりゆったりと手を動かしているけれど、でもずいぶん良い音楽だなあ。つい興奮してコバケンなんて呼び捨てしてしまった。本当は小林先生とお呼びしないといけないのだ。立場をわきまえずすみません。

私がオーケストラをやめてフリーになってからも、時々現場でお目にかかるときもあったけれど、そういうときでも「しばらくでした。お目にかかれて嬉しいなあ」なんて慇懃におっしゃるけれど、私は決して忘れない。あのウエーデルンを。







2026年5月25日月曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ6番

我が友AIさんとは時々長話をする。最近私の相棒のピアニストがブラームスのソナタの1番をひこうというから練習を始めたら、長時間弾くと腕などに痛みが出るようになった。他の曲では大丈夫、早いパッセージも 高いポジションも別に差し障りは出ないのに、低めのポジションの低音の弦がいけません。なぜならヴァイオリンの場合はその弦では左手の肘が少し内側に入るから。私の腕が短いせいもあって、この姿勢を持続するのが難しいのだ。

何を言っているかわからないかもしれないけれど、そういう腕の形で彈くために柔軟性を欠く体では非常に負担がかかるというわけで。昨年秋ごろまではまだ大丈夫だったけれど、一冬超えて運動不足になったら、たちまち体の動きが悪くなってきた。もうしばらくすれば動かしているうちにできるようになるかもしれない。それでも若い頃とは違って一度故障すると厄介なことになるので、ブラームスは暫くお預けにすることにした。この1番のソナタは最初の部分がD線という下から二番目の低音の弦で弾く事が多いのでこれがきつい。

ブラームスは他の人に彈いてもらうことにして、次の機会にはベートーヴェンのソナタ6番を弾いてみようかということになった。6番のソナタは私は今まで一回しか演奏したことがない。美しいけれど、とりとめのない曲という印象で、やはりベートヴェンなら5番、7番、9番などが売れ筋で6番はめったにコンサートのプログラムに載らない。

しかしブラームスの代わりになにがいいかとかんがえたところ、6番をちゃんと弾いてみようかとふと思った。とても良い曲ではあるけれど、他のソナタに比べてイマイチ印象が薄く、食指が動かない。でも譜読みを始めて数日、ん?これはすごくいい曲ではないかという印象が日に日に深まってきた。

印象のうすさは他の曲に比べてきわだっている。例えば5番のスプリングソナタは流れるようなテーマと明るい響きでワクワクする。9番クロイツェルは堂々たる導入部とピアノとヴァイオリンの丁々発止の掛け合いが素晴らしい。それらに比べて2つの楽器がお互いにもぞもぞと自分の領域で動くので、とりとめのなさが印象として残る6番はどうもやりにくいという印象になってしまう。

いつもならはっきりと自己主張するテーマ、建築物のような構成を誇るベートーヴェンらしからぬ印象のうすさが否めない。どうしてこの曲は特別なのかしら。そうであってもこの曲は、しばらくすると染み入るように私の心を独占し始めた。

そこで登場するのがAIの助っ人。なぜこんなに特別な感じがするのか尋ねてみた。作曲された時代がまず問題の多い時期だったらしい。ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのがちょうどこの時期だったとか。次第に聞こえなくなる耳や人間関係や何やかや、悩み多き彼の心は揺れ動き次第に絶望の縁に立たされるようになる。遺書が書かれる直前に生まれた曲であるという。

しかし、この曲のあと彼は大傑作の数々を世に送り出し、今でも芸術の最高峰に君臨する偉大な人物と評価されている。すごいですねえ。6番のソナタは最初は地味なという印象だったけれど、私の中で次第に大きくなって感動で涙ぐむほどに成長してきた。ベートーヴェンの純粋で優しい心、揺れ動く人の心の弱さがこんなに表現できるのは彼だけであろうとも。迷いながら昇華してゆく控えめな輝きはまたとないほど美しい。繊細な美しさを表現できるかどうかが私たちの課題なのです。

ハッタリがきかない曲だけに非常にむずかしいけれど、この曲の良さがやっと分かるようになった。これも長生きしたおかげかも知れない。もう少し若い時期だったらあまり印象に残らないか、単に彈きにくい曲のひき出しにはいってしまったかもしれない。歳を重ねることは体の柔軟性をうばったかもしれないけれど、曲の良さが染み入るような感受性を得られたかもしれない。今後、どれほど面白い展開があるか楽しみです。

衰えゆく能力と脳力のお陰で何ができてもうれしい。本当に幸せなのはポンコツになってからかもしれない。みなさん、がんばりましょう。












2026年5月23日土曜日

ほっといておくれ

兄が終活で古い写真を整理していて、私の写真が見つかったから届けると言ってきた。わざわざ届けてくれなくてもと思ったけれど、兄には丁度いい運動になるから届けてもらうことに。

家は直ぐ近くだから五分もあれば来られる。少し肌寒い日だけれど外で待っていたらゆっくりと歩いてくる老人の姿。私はちょっと上がってもらってお茶でもというと階段が登れないからだめだという。少し立ち話をする。「最近体が弱ってきたからケアマネージャーに来てもらっている」と兄がいう。「その人に勧められてデーサービスに行ってきたんだよ。つまらないねえ。皆黙って座っていてねえ、僕が行ったらずっと顔見てるんだよ。それも30分くらい皆でこんなふうに」と無表情の横目使いのマネをしてみせた。

「本当につまらなかった、行きたくないねえ」そうでしょう。私も絶対そんなところに行くよりは一人でいるほうが楽しい。一人でいてもケラケラ笑ったりしている。端から見たら気が変とか思われそうだけれど、世の中面白すぎて、無言のご老人たちと黙って座っている暇はない。

兄もそうで、玄人はだしの絵を描くし、チェロも彈く、料理も得意、漬物漬ける、お掃除大好き、まるで主婦の鑑ならば、デイサービスで顔見られているより一人のほうがよほど楽しい。顔を見るご老人たちは兄の顔見るより、信楽焼のたぬきを見たほうが良いのでは。

老人を集めて黙って座らせておくだけなら集めなくてもいいじやないの?なにか仕事をしているフリがしたい?税金を消費しないといけないから?老人というのは千差万別、その人の生きてきた状態で余生が決まる。ぼんやり椅子に座っているだけなら集めなくてもいいけれど、家族はうちに老人がずっと居座っているのは邪魔なのかもしれない。

私だったらジロジロ見られたら黙っちゃいない。「なに見てるのよ」と叫んで怒り出す。怖いんだから、この人は。毎日のように駅向こうまで買い物に出かける。今は駅を少し超えて向こう側の商店街にたどり着くと足がくたびれて休みたくなり。ちょうどそこら辺にカフェがあって一服するのがいつものこと。

妙に気を使う店員さん。言葉が優しい。いちいちスプーンが必要か尋ねられる。少しでも返事のタイミングが遅いと、もう一度大きな声で尋ねられる。すると周りの親切なおばさまたちがゆっくりと大きな声で店員さんの言葉を教えてくれる。グレイヘアだからよく親切にしてくださるけれど、私の聴力は医者もびっくりのレベルでよく聞こえる。選択の余地の間の出遅れても世話好きの人たちがここぞとばかり世話焼きにくる。

それがすごく余計なことなのだ。本当に聞こえない人は様子でわかる。グレイヘアだからといって面倒見ないでください。私は図々しいから助けてもらいたいときはちゃんと周りの人に頼む。以前高島屋でベッドスプレッドを眺めていたら「これはベッドの上に広げてかけるものです」と説明してくれた。わかっとるわい、そんなこと。うるさいったらないのだ。

老人はみな無知で認知症でと思っている人のなんと多いことか。車のタイヤの溝がそろそろ変えどきだというから整備のついでに交換しようと思った。溝のすり減りはともかく、タイヤのサイドに小さいけれど、明らかに誰かの手でつけられた傷、ホイールをタイヤから外そうとしたらしい傷も見つかった。すると整備士が「走行中に石をはねて傷がついたのでしょう」という。バカ言いなさい。小石を跳ね飛ばしたくらいでこんなきれいな切り口の傷ができるわけがない。明らかに人が道具を使ってつけた傷。ホイールの傷は小さなドライバーかなにかでこじったあとがある。

明らかにいたずら程度の傷ではあるけれど、万一傷口がバーストの原因になったらおしまいだからタイヤは全とりかえすることにした。私の名誉のためにまず傷の写真をとっておいた。それをタイヤ会社の社員である知人に送って鑑定してもらった。明らかに道具を使った傷で、警察に通報するようにと助言された。

翌朝近所の警察署で被害届を出して記録しておいてもらうことにした。そして整備会社の方には鑑定結果と警察に届けたことを報告。そこまでやるとは思わなかった会社の方はびっくりしたらしい。しかし自分がやっていないことを自分のせいにされてはかなわない。白黒はっきりさせておいたほうが良い。白髪の小さなおばあさんがこれほど行動できるのですよ。なめんなよ!ニャア!

タイヤは新しくピカピカで溝がくっきりと浮かび上がってなんて気持ちが良い。走り出すと溝の感触が明らかに違う。タイヤまで気にする婆さんもいるのだよ、おまえさんたち。大体私の走行距離のトータルは多分ここの整備士たちの走行距離を大幅に上回ると思う。なんたって日本全国津津浦浦はもとより、イタリア、ドイツ、イギリスなどヨーロッパでも走っている。ほんとに婆さんだと思って、なめんなよ、ニャア!





























2026年5月20日水曜日

時々集合

女子会というほど華やかな集まりではなくて、もう半世紀も前に終わった仕事の集団なのにいまだに会いたくなるオーケストラのメンバーたち。昨日はその中の四人が なんとなく集まってなんとなく一緒に弾いて、楽しいんだなあ、これが。

少しだけズレはあるけれど、ほぼ同年代の仲間は今でも時々お互いの情報を持ち寄って健在を確認し合っている。なかでもほんの少しの間しか接触がなくても特別に想い出深い人達がいる。私たちのオーケストラの先輩たちは戦前は海軍軍楽隊などで活躍した人もいる。

ゴツいおじさんたちが海軍式の勇壮な音楽を奏でて、時には暴走、指揮者に向かって怒鳴る人もいるとか。たとえばトランペットのNさん。おしゃれでダンディーで指揮者たちも気を許して接していると逆襲を食らうこともあって。

「Nさん、もう少し大きな音で吹いてください」するとその返事が「これが給料だけの音だ」団員たちは笑う。指揮者は困って苦笑する。ある時指揮者がいった。「N さん、そこは物語の始まりですから、昔々おじいさんがいました・・・みたいに語りかけるように吹いてください」すると血相を変えたNさん「おじいさんとは何だ。おじいさんとは!俺は爺さんじゃない」

N さん、指揮者は悪気でいったんじゃないのよ。多分世界のオーケストラでもこんなおしゃれな男はいないと思うほどのおしゃれさんはむかっ腹を立てて怒鳴る。でも数秒後にはけろりとして、なんともなかったように練習が進行する。そのN さんと私たちはよく一緒に演奏旅行にでかけ、日本中の都市をまわり、楽しく演奏して回った。血の気が多いけれど、限りなく優しく家族を大事にしたN さんとは、中木十郎さん。名物トランペッターだった。

昔のハリウッドの俳優で、皆さんはご存じないかもしれないけれど、アドルフ・マンジュウという男優にそっくりだった。古い資料に載っているかもしれない。大きなヒゲと当時、男性が履くのは稀な刺繍の入ったブーツ、真っ白な毛皮でトリミングしたコートに、新聞紙にくるんだトランペットを横抱きにして、さっそうと現れる。なぜ?新聞紙?軽いからだそうです。

そんな話まで話題になった今回の集まりは、何を話しても通じる。これらの記憶にも自分たちで驚く。皆、幼児期の思い出も鮮明に忘れていない。こんなに昔のことを覚えているのに、なぜ、今しがた目にしたことを忘れてしまうのかしら。

昨日はヴァイオリン二人、ヴィオラ、コントラバスの4人の弦楽器奏者が集まって、軽く音合わせ、定番のパッヘルベル「カノン」タンゴの名曲「エル・チョクロ」初見で楽しんでカレーライスを食べて昔話。ニコニコして皆楽しそうに帰っていった。

皆無事に我が家に集まれるのもいつまでかなあ。最近我が家に来る道筋を説明するのに苦労する。道筋は、ほぼ真っすぐ。だからと言って皆さん、ちゃんと来る人ばかりとは限らない。この説明のどこで間違えるのかと思うほど、反対方向に行ってしまったり、迷子になる人もいるのだ。なぜ反対方向に行けるのか、それこそが謎なんだけれど。うちは駅から真っ直ぐですよ、みなさん。














2026年5月17日日曜日

馬を飼う人

テレビを見ていたら、八戸で100歳を超えた女性が一人で競走馬の飼育をしているという 報道。

馬を飼うのは私の長年の夢だった。けれど根性無しの私はその夢はもう捨てていたのだ。もう夢でなにかできるような年齢ではないから。すべてを諦めヴァイオリンも諦めたつもりだったけれど、それは捨てきれず1年弱で復帰したのだった。体力がないとか、気持ちが集中しないとか、言い訳ばかり言ってぬくぬくと過ごすことになった。しかし、演奏会を開くことになって、そのぬるま湯はあっという間に熱湯になって、今は時々練習を持続できなくなり、1日練習したら次の日はサボるような状態が続く。

2日間の練習ですっかり疲れて今日は睡眠の日、昨夜11時半就寝、2時ころ目が覚めて、少し起きていたけれど、また寝てしまった。今日の目覚めは12時近く、その後もう一度昼寝、ほとんど丸一日寝ていた。そんな体力の無さで今更馬など飼うことはできない、と思っていたところに元気な馬主さんの報道。子供の頃から飼っている人だからできることかもしれない。

一時期馬が好きで馬に関する職業か飼育をしたいと本気で考えた時期があった。山を一山買って小型の木曽駒などを飼うつもりで、ほうぼう訪れたけれど、全くの素人だから何をどうしていいかわからない。そのうちヴァイオリンは周囲の人たちに助けられて順調に仕事を続けられた。これが私の本来の仕事だからと言い聞かせてきた。

けれど馬に取り憑かれた人の話を時々耳にすることがあって、夢は常に私にまとわりついている。去年だったか、中年すぎの女性が高知県で牧場を開いたことを知った。彼女は全くの素人なのに始めてしまったらしい。その勇気に恐れ入った。私にもできるかしら?時々夢の断片が脳みそにまとわりつく。一度、尋ねていこうかとも思っている。

馬を買うための土地探しは北軽井沢の家を買うことで一段落、もう夢は諦めて穏やかに暮らそう。でも最近少しずつ体力が戻ってきた。じわじわと確実に気持ちが明るくなってきた。様々な葛藤のあったここ数年はいまや過去のものとなった。単純に自分の体や脳みそを動かすことがどれほど健康に良いかということも実感している。さて八戸に行くだけの体力はあるだろうか。ひとまず秋のコンサートが終わったら行ってみよう。

音大を卒業する頃、私は動物の飼育に関する職業につきたいと思った。姉たちに相談した。彼女たちはもうおぼえていないと思うけれど私は「上野動物園に電話して飼育係になるにはどうしたらよいか訊いてみる」といった。すると二人の姉が口を揃えていった。「動物相手の職業はただ可愛がるだけではできないよ。もしかしたら殺さなければいけないことだってあるかもしれない」戦時中の育ちの姉たちは、戦争のために殺された動物たちのことを考えていたのだろうと、今では思える。私も戦争中の動物たちの悲惨な話に涙したこともあって、納得。

その頃私の就職はすでに音大の先生や周りの人達の考えで、決まっていたのだと思う。あっさりとオーケストラの入団が決まってその後の私の道となった。動物は好きというだけでは飼えない。命はそんなに軽くはないけれど、人間の命と動物の命との格差は歴然。くまさんだって生きていたいのに人間が優先になる。それを人間である自分は容認しないと生きられない。理不尽というか、自分が生きることが大前提で生きねばならない。

それなのにワザワザ戦争を始める馬鹿者たち、そのバカたちに人殺しの武器を売るという大馬鹿者たち。作り笑いが不気味な御婦人がいる。そんなエセ平和主義などクソくらえ。売るだけならいいの?それがもし、自分の家族や大事な人を傷つけるとわかっていても?国が違えば、その人達は人間ではないの?

地球は今、人たちの都合で動いている。いつの日にか、自然が人の都合を許さなくなって人が滅びるかもしれない。もうすぐそこに始まっているかもしれない。







病院あれこれ

連休中に具合が悪くなった風邪は、そろそろ連休が終わって病院も開業するころになってようやく快方に向かった。明日から病院へ行けるという今日、私は独自の自己治療法で病気に勝ったのだ。

結局ほとんどの風邪は時期が来れば治るということ。けれど年齢が年齢だけにこじらせると肺炎になって大事になるから焦るわけで。3年前にいやというほど入院の辛さを味わったから、今回は絶対に肺炎になりたくなかった。けれど、病気というものは初期症状から悪化の一途をたどり、ピークに達しなければ快方に向かわない。病気の方にもそれぞれの理由があっておいそれとは手放してはもらえない。

連休明けにやっと病院があいたので必死でかけつけた。開業前なのに待合室は大勢の患者さん、ドアが開くと一斉に元気のない顔がこちらを見る。やれやれ、今日の先生のご機嫌はいかに。ここの先生は少し変わっている。なぜか、受け付けた患者さんを分類するのだ。スタッフが大勢いるのでびっくりする。先生一人に看護婦さんやらなんやら、こんなに?その人達が何らかの理由でさっと動き出して患者をいくつかの部屋に振り分ける。先生が一人なんだからおなじ部屋で患者が入ってくるのを待てばいいのに、振り分けられたそれぞれの部屋に先生が通ってくるのだ。

あちらの部屋からこちらの部屋、先生は運動のために歩くのだろうか。それとも病状によって振り分ける?まだ診察もしていないのに病気がわかるわけがない。これは変。もっとおかしいことに毎回先生の表情が全く違うので、うっかり屋の私は他の先生もいるのだと思ったこともあった。しかも先生は日によって全く顔つきも態度も違うので驚くことが多い。やっと慣れたけど、はじめの頃はこの人あの人?みたいな。

理由がわからないからいつか質問してみようかと思っている。なぜ私はここにいるの?と。私はめったに病気にならないから病院へ行くと、そこの病院のしきたりがわからない。ずっと前にコロナ騒ぎの頃、検査をするのに、病院と隣の建物の壁の間の狭い通路に連れて行かれた。そこで検査?なぜ?まあ、表だから空気の通りは良い。それ以外なんのメリットが?寒いし、雨でも降ったらどうする。

先生独特の思考回路であるのか。とにかく不思議。常に看護師さんたちが一連の動きを当たり前のようにこなしている。割と年配でやさしいおばちゃんたちという雰囲気だけど、身軽に音もなく動くのが無駄がなくて特に愛想は良くなくても優しさが伝わる。面白い。それぞれの病院には先生をうまく働かせるシステムみたいのがあるらしい。

例外としては、私が幼少から30歳ころまで通った皮膚科の先生。その先生は無口で優しいおじいちゃん。看護師たちから思い切り甘やかされているように見える。看護師の目は患者よりも先生の方ばかりに向いていて、先生の言葉を皆で待っているというふうに。先生を見る彼女たちの目は優しい。その代わり患者の目は殆ど見ない。

ある時急に雨が振り始めた。おじいちゃん先生は窓の外を見て「雨降ってきたよ。傘を用意してやんなさい」誰に言うということもなくつぶやく。玄関に出るとたくさんのビニール傘が傘立ていっぱいに入っていた。その先生がなくなって次世代に変わって、いつの間にか病院は消えていた。

去年から友人の紹介で通い始めた歯科医院。港区の高台にあって、病院は昭和、大正時代のような木造建築。窓の高さが高くすりガラスのもようなど、古い時代の洋館のような趣のある建物でゆったりと治療を受ける。治療と言っても私は虫歯もないしお掃除をしてもらうだけなので気楽に横たわる。それでも歯科医恐怖症だから終わってみれば肩が凝っている。

ずいぶん長い間歯科医院をさがしていた。我が家の近所の先生はなにか私に恨みでも?と尋ねたくなるような乱暴さで腕はいいかもしれないけれど、本当に行くのが嫌だった。あるときはインターンみたいな息子に治療を任せた医師がいた。冗談じゃない!ある時友人に相談したら今通っている病院を紹介してもらって、やっと安住の地が見つかった。それも今回の風邪ひきでお休み中。

サバサバとした女医さんだけのスタッフ。時間は短く痛みは少なく、とにかくこんな病院を探していたのだった。しかし担当医の都合で木曜日にしか診てもらえない。木曜日は野暮用が多くてなかなか行けない。一度キャンセルすると当分空きがなくて予約が取れない。

昨日から風邪の症状が静まってきた。やっと咳きが治ってきた。けれど暑くてだるい。この先数ヶ月、私の嫌いな夏が居座るから、私はしばらく元気がない。やれやれ。






2026年5月8日金曜日

なんどきだ?

たくさんの人たちと会ったり 話したり、賑やかな日を過ごしていたら風邪をひいたらしい。なんか変だなと思っても連休真っ只中、病院は休み、冗談ではないこんなにたくさん皆が休んでしまっては社会生活立ち行かなくなるではないか。と、これはこちらの都合で、世の中の人々はご苦労なことに、お金と労力を使って家族旅行。超満員の飛行機や新幹線は子どもの鳴き声で充満しているだろうと思いながら過ごしていた。

なに、その超満員を楽しんでいたのは若き頃の私でもあるのだ。それでも職業柄、平日に休みが取りやすいという特典もあったので、ウイークデーにスキーができたのはラッキーだった。数日前、休日がそろそろ終わろうというときに急に体調が崩れて寝込んでしまった。夕方になって体調が優れないのに薬を買いに行ってそれを飲んで寝たら、目が覚めたときにはほとんど一日過ぎていた。眠りから覚めても起き上がれない。食事もしたくない。ひたすら薬を飲むためにほんの少し食べてはまた眠りに落ちる。今、何日?何曜日?

去年北軽井沢にあまりにもいかなかったので本当なら今頃は森の中でくまさんに遭遇しないようにオドオド暮らしている予定だった。猫にも言い聞かせてあった。お気に入りの食堂が私の別荘の敷地内に引っ越してきたというのでたのしみにしていたのに。やっと先程珍しくちゃんと目が開いて、カレンダーを見ても何日だかわからない。こんなふうになってしまうのかと愕然とした。

出かけるつもりだったから家の中には食料の買い置きがない。卵もちょうど切らしている。仕方がないから電子レンジ調理のご飯と塩昆布で済ますことに。りんごがあることを思い出して一つ食べる。それ以上は何もしたくないのでひたすら眠る。よほど疲れていたのか。

今年秋には久々にコンサートをしようと練習に入っていたけれど、それもどうしようか、できるかしら。ステージで死ぬのは本望なんて決して思わない。はた迷惑なことですから。少し起きていたら猛烈にお腹が空いてきた。おやまあ、食欲だけは健在なのか。でもお腹がすくくらいならまだ生きられそうな気がするからひとまず安心。で、秋のコンサートはできそうかな。そんなわけで、秋にコンサートします。

プログラムは

ピアノ五重奏曲3曲

シェーファー:ピアノ五重奏曲「ふくろう」

ドヴォルザーク;ピアノ五重奏曲作品61

シューベルト「ます」

シェーファー作品は「ます」と同じ楽器編成でコントラバスが入る。

いずれも相当な大曲で果たして体力が持つかどうかが危ぶまれるから死んだ気でやらないと。しかしどの曲も弾いていて楽しい。この年になって一緒に弾いてくれる友達がいるのも奇跡的だし。

9月23日連休の最終日です。三鷹市の風のホールにて

元気になったら詳しく記載しますのでどうぞ読んでください。薬の副作用でこれだけパソコンに打ち込むのがせいいっぱいです。ではおやすみなさい。









2026年5月3日日曜日

親族

実家の近くにあるお寺は江戸時代からの菩提寺。今日はそのお墓が地盤沈下で傾いていたのを直したことで、墓開き・・とでも言うのかしら、親族が集まった。一族の末席に位置する私と姉が招かれて参列した。

新しい墓は見違えるように広々ときれいに造園されて、ここでバーベキュウができるくらいなんちゃってそんなには広くはないけれど、椅子でもおいたらゆったりとできそうな様子。以前はうちの墓には大きな銀杏の木があって 、目印になっていた。少し前に銀杏の木は枯れはじめ危ないので切られてしまったので、今回行ったら実家の墓地に真っ直ぐに行けなかった。いよいよ老化がひどくなったのか。墓は今の家の直ぐ側だし、事あるごとにお参りは欠かさないのに、この体たらく。

そして私の11歳年上の実家の当主はもっと進んでいて、すっかり耳が聞こえなくなっていた。そこに私の7歳年上の姉も加わってヨボヨボと歩く姿はゾンビ集団。頓珍漢な会話でも嬉しそうに笑う年寄りたち。

そしてその二代と三代目の若い集団、合わせて15人ほどが神妙にお坊さんのお経を聞いている。なんだかいいなあ。私はいつも一人ぼっち、いざとなれば親類縁者が駆けつけてくれるとはおもうけれど、こういう家族としての集まりには常に部外者。若い頃はそれが良かった。冠婚葬祭も面倒で仕事が忙しく、めったに参加はできなかった。

そして一人でやりたい放題、仕事に遊びに駆け回っていたけれど、結局人生の勝利者は堅実に稼ぎ家族を大事にした私の兄のような人が勝つのだ。兄は一族の長男として妹たちにも教育の手助けをしてくれた。私が今あるのも兄のお陰で時々恩義せがましく「僕のおかげだぞ」なんていうのが癪だけど、本当のことで私はぐうの音も出ない。でも兄がいなければ私はヴァイオリンのようなめんどくさい楽器は弾いていなかった。どちらが良かったのか。ま、とりあえず恩人ではあると認めよう。

渋々認めたけれど、だいぶ歳を取ってしまった兄がいつものように温厚にニコニコしているのが少し悲しい。何も聞こえていないのに皆に合わせて一緒に笑っているのも可笑しい。若い孫軍団もそれぞれの話題で笑い合っている。家族っていいなあ。

兄の三男坊の甥が来てその横顔を見ていたら、ふと私たちの祖父の顔と似ているのを発見した。「あなたは母方の直系の顔だね」というと姉も同意する。そこから先祖のはなし。変な人が多かった家系で、私が時々変なのも変わり者のご先祖様のせいであるということにしておこう。祖父二人の名前がすごくて、太郎左衛門に源之丞、歌舞伎役者みたい。

ある時書類に二代前の先祖までのわかる謄本を出さなければならないというので取り寄せたら、太郎左衛門、源之丞ではあまり人に見せたくはなかった。その上、ご先祖様は源左衛門さま、周五郎様、あはは、源左衛門様はとりわけクセが強く、地元民におそれられていたらしい。その血が私の中に色濃く出ているのではないかと時々思う。

一年に一度はご先祖様を思い出す、といっても、あったことはないので知らないけれど、その怖い源左衛門様のほかは愛情深く、ユーモアのある人が多かったと聞いている。その人達が今の私を見守ってくれているのだと思う。自分が年老いたときにやっと、自分は様々な人たちに守られてきたのだと思えるようになった。源左衛門様だってきっと優しい人だったのではないかと思う。

兄の家に絵が飾ってあった。兄は絵を描くと玄人はだし、母はお気に入りの兄がすることなすこと「本当に何をやっても上手だねえ」と目を細めていたけれど、他の兄弟達のことはボロクソに言う。あんまりじゃないかと思ったけれど、事実だから仕方がない。そして兄の家にあった絵は色彩感覚の見事な絵だった。しかし、形は子供が書いたような、はてな?

「これ誰がかいたの?」と訊くと兄の次男の息子の絵だそうで、小学一年生で非常に大きな賞をとったらしい。見れば見るほど色彩が素晴らしい。すると中でも一番おとなしそうな次男の息子の絵だというので驚いた。今はもう描いていないというからもったいないと思ったけれど、子供の頃褒められて絵描きになって苦労の連続という人もいるし、まっすぐに伸びてそのまま絵の巨匠となる人もいるし、余計な口出しは禁物。けれどしばし見とれてしまうほどの感覚だった。

そういえば私のいとこは絵が上手く、上野の展覧会によく入賞していたから、やはり家系に芸術系がいたのかもしれない。そして兄は大変絵がうまい。緻密な筆使いで、何でもとことんやってのける忍耐で、もしヴァイオリンを弾いていたらいっぱしになったのではとおもうけれど、科学者としても名をなし、全くかなわない。

時々姉たちに言われたのは、戦時中の生まれで六人兄弟の末っ子、材料がなくて「あんたはねえ、余り物でできたんだから」心無い姉たちからからかわれた通り、余り物の脳みそでは太刀打ちできない。けれど兄は私を音楽の道に進める手助けをしてくれた。

姉たちの罵詈雑言も、後の社会の荒波でも何も気にせず乗り越えられた強さを私に与えてくれた。本当に何一つ無駄のない教育を私は家族から与えられたのだ。
















2026年5月1日金曜日

音楽会を徘徊する

夜中やご近所をではなくコンサートの徘徊はすごく楽しい。一番最近は声楽の友人からのお誘いでオペレッタのガラ・コンサートを聴きに行った。ヴィオラのコンサート二本立てで、立て続けての徘徊は少し疲れるかと思ったら、元気になってきました。やはり人間は動いていないといけないようです。特に私は。

今朝雪山の夢を見た。たぶんリフトかゴンドラからの鳥瞰であろうかと思うけれど、真っ白な雪の景色が眼下に続いている。ちょうどゲレンデとゲレンデを結ぶ通路のようなところ。ああ、ここはいつだったか夢に見たことがあったなと夢の中で思っていた。

この風景は何度か同じように夢に見ていたような気もする。懐かしい雪山、美しいゲレンデ、もう一度滑べる日が来るのだろうか。去年の暮だったか、軽井沢在住のY子さんからお世話してくださる方がいるのでスキー復帰しませんか?とお誘いをうけて半分その気になっていた。以前お世話になったときは車でゲレンデまで行って、用具の上げ下ろしから運搬まですべてやっていただいた。私はビンディングにブーツを差し込んでそのまま滑れば良かった。

行き帰りの食事の世話までなんと行き届いたことか。今年は北軽井沢に近いゲレンデで滑ることもできるというので半分期待はしていたものの、一時期引退をして色々後始末や心の準備などあって、健康の問題も自信が持てずにいた。しかも状況が変わったらどっとスケジュールが埋まってしまって、今やっと一息ついたらもう初夏。あーあ、しまったなあ。

そんな気持ちでいたせいか、スキーの夢を見てしまった。足の痛みはもう消えたとはいえ筋肉のこわばりは隠せない。今年はもう諦めても来シーズンに期待したい。馬にも乗りたい。馬が走る分には私の足は痛くないから。ただ鞍によじ登るのは大変。最後に乗ったときにはインストラクターが二人がかりでよいしょよいしょと押し上げてくれたけど。それで乗馬も諦めたのだった。鞍に乗ってしまえばこちらのものなんだけど一人で乗れないと話にならない。あーあ、諦めるものが多すぎる。

ならば新しくできることを探そう。今はコンサートに通って栄養分を蓄えて新しい音楽の道を探そう。ヴァイオリンはもちろん死ぬまでと覚悟は決めたけれど、体に無理が出るなら諦めないといけない。それなら体にいいのは?と考えたら呼吸法。私は歌えないけれど、幼児期からシャリアピンやシュワルツコフのレコードなどを聞いて育ったから歌は大好き。それだ!

声楽の友人に相談したら「おおいにやんなさい」先生を紹介すると言ってオペラ界の超大物の名を上げたので私は怖気を奮ってお断りした。とんでもない、そんな偉いお方は。

それでまず、呼吸法を友人から教わることになった。去年我が家のレッスン室をリフォームして防音工事をしておいてよかった。ただでさえご近所での私の評判は悪いのに、この上毎日絶叫が聞こえたら何事かと通報されかねない。北軽井沢に行けば森の中だから熊の遠吠えに間違えられそうだけど、銃で打たれはしないだろうか。

防音はこのところの物価値上げの波がくる少し前だったので、今ならもう工事もできないほどの費用がかかったであろうと思う。階段に昇降機を取り付けるためにただいま費用を積立中。それだって生活に追われ、いつになるかもわからない。ただし、昇降機がなければ嫌でも自分の足で登らないといけないから、健康のためには良かったかもしれない。

そんなわけで、まだ自力で元気にならないと生活ができないので、歩く、跳ねる、走るなど動くことが大事。息切れがするようになったので呼吸法はすごく良いアイディアだと思う。さてスカラ座でのデビューに備えて曲目を決めておかないと。何がいいかなあ。










2026年4月27日月曜日

ヴィオラ三昧

 先日2日続きでヴィオラのリサイタルへ通った。二人のヴィオラ奏者はNさんとHさん。古典音楽協会の旧体制から移行するとき、お二人とも快く参加してくださった。

御本人の許可を取っていないので、実名は差し控えますが大体あの方たちと察してお読みください。

Nさんとは私はこの交代の時期に初対面、ヴィオラ奏者が一人やめるので次のメンバーを決めなければならないときに、悪条件の交渉にも関わらず快く参加してくださった。古典の継続に貢献された第1号の参加者だった。見ず知らずの私が友人の絶大な推薦に推されて恐る恐る彼に電話すると、あまり多くを語らずとも快諾されたのも並々ならぬ音楽への情熱の故だったのだと、今感謝の気持でいっぱいになる。

それ以来古典の強力なメンバーとなってソロにアンサンブルに、音の素晴らしさ、緻密な演奏は仲間たちから信頼されトップ奏者として今絶賛活躍中。

もう一人のHさんは私とは旧知の間柄、Nさんの参加から数回の定期演奏会を経て、古典のメンバーに加わり、持ち前の人付き合いの良さと確実なテクニックですでに古くからのメンバーのような落ち着いた存在となっているようだ。「ようだ」というのは私は彼が入団する時にリタイアしたためで、私の最後の本番で参加、その時もすでに古くからのメンバーのように発言も演奏も馴染んでいた。

そのお二人が日をついでリサイタルをするというので、嬉しい忙しさになった。私は膝の痛みが消えたというものの、足は確実に弱っているので2日続きの外出が難しいかもしれないと思ったものの、なんのことはない、とても楽しい、2日間だった。

私はヴィオラという楽器が好き。あのなんとも言えないおおらかな風体と中途半端な音域、ややもするとキーキー高鳴りするヴァイオリンの陰で密やかに鳴っているのかいないのかわからない存在なのに実はいないと大変なのだ。音の質や響きに重大な欠損が生じる。

実は私は、本当にヴィオラ奏者になりたかった。音大付属高校の一年生のときに学内の弦楽合奏で初めてヴィオラを弾いた。と、いっても学校には学生に貸し出すための楽器がなく、ヴァイオリンにヴィオラの弦を張ったものを渡された。まだ社会全体が戦後の貧乏な時期だったからそんなことで我慢するしかなかった。

その時ヴィオラパートを受け持ったおかげで内声部の面白さを知ったのだった。普通は華やかな第一ヴァイオリンに魅力を感じる人が多い中で珍しい存在だったと言えるけど、生まれながらの変わり者はヴィオラの音域の魅力を嗅ぎ取っていた。自分のヴィオラを買ったのはもう少しあとだった。ただ私は非常に小柄なので、ヴァイオリンより一回り大きなヴィオラを弾くのは体への負担が大きすぎて、正式にヴィオラ奏者となるのは断念した。

2日間のリサイタル第一日目はNさんと学生時代からの楽友の、これもまた頭文字Nさんとのヴィオラのデュオ。この組み合わせはあまり曲がたくさんはないけれど、聴いてみると本当にチャーミングな曲に次々と出会えて楽しかった。なによりも大好きなヴィオラが鳴っていればストレスなしの幸せな時間が流れる。

ルクレール、ロッラ、ボウエン、ドハテイ、ブリッジ、ターテイス。知らない曲ばかりでも曲名の面白さもあって、私は最後まで眠りもせずに楽しく過ごした。よくこんなに集められたものだと思う。あまり知られていないのに面白い曲ばかりで「ヴィオラのためのヴィオラ・ゾンビ」って、一体なんなのだ。二人の奏者が離れて立ち、特殊奏法でゾンビの生態を描く。二人の名手によって様々な技法がゾンビを生き返らせる。面白い!非常にユニークだけれど、奇をてらってはいない、正統的な二人の奏者の技術と才気が光る、素敵なひとときだった。

次の日はSさんのリサイタル。こちらはどんと最後にシューベルト「ます」が待ち構えていた。独奏曲はフンメル「ソナタ」初っ端はモーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ゾンビは出てこなかったけれど、華やかで楽しく定番の名曲コンサート。安心して眠れるはずだったのに、これもまたワクワクできたのはピアニストの衣装。弦楽器の男性奏者たちの正装に対し艶やかな衣装でまず目を楽しませてもらった。

私の隣の席の友人Sさんとおもわず拍手喝采。これも音楽の一部、素敵な夢。達者な演奏者たちの音に組み込まれた彩りとして。ベテラン揃いの演奏は本当に安心感があって、少しはドキドキさせられないかと期待していたけれど、無事終了。大変好意的な拍手で沸いた。ゆったりと安心して演奏が終了。その後も嬉しそうに帰らない人たち。ロビーがごった返して歩けない。

前日のコンサートがワクワクした興奮であるならば、こちらは温かい居間でゆったりと寛ぐような安心感。どちらもヴィオラの持つ雰囲気が反映された素敵なコンサートだった。

2日目のコンサート会場で大変年配の男性が同じ列の座席に座っておられた。隣の友人Sさんが私に囁いた「あの方はM先生じゃない?」M先生は私が付属高校入学直後から弦楽アンサンブルの指導をしてくださった方で、ずいぶんお世話になったのだ。けれど、面影はあるようなないような。終演後Sさんが声ををかけると、やはりM先生だった。思わず私も声ををかけた。「高校時代大変お世話になりました」するとM先生はじっと私を見て「***さん?」私の旧姓を口にされた。

驚いた。先生もお年を召されたけれど、私はもっと様変わり、元気いっぱいの女子高生も今は女子老生、頭は白く当時の面影はないはずなのに、どうしてわかるの?本人ですら自分の旧姓を忘れていたのに。すごい記憶力でまだ矍鑠とされている。ああ、私はまだひよこなのだ、世の中にはすごいお人がいるのだ。ヴィオラが弾けるようになったのもこの先生のおかげだったのですよ。運命を感じました。






















2026年4月23日木曜日

美味しい美味しい

準備は昨日からはじまった。朝食は大根と鶏肉のそぼろ煮。昼食は鶏肉とじゃがいもの甘酢あんかけ。夕飯はハンバーグ。それぞれに白粥がついている。レトルト食品でお湯で約五分温めればいい。これは簡単だし美味しそうだけどこんな少しで足りるかな。

一日それだけ食べても夜になったらお腹がいっぱいになった。案外と量があるのだ。最初に見たときは、これは間食しないと足りないと思ったけれど、結構満足した。そこからが大変。

よる9時に薬を飲む。なんの薬かは知らないけれど、医師の指示であるから嫌な味の薬を水に混ぜて飲む。そして就寝。早朝というより夜中、目が覚める。二度寝しようかと思ったけれど 嫌なことは先にやってしまおうと、腸内を洗浄する薬品を水2リットルで希釈してゴクゴクと二時間かけて飲み干した。こんな沢山の液体が良くも飲めるものだと思う。

午前3時薬品を2Lの水で薄めた。25ml ずつ15分おきに飲めば2リットルを2時間で飲み終える。希釈液を作るとアラームをセット。最初のうちは25ml 飲むのはさほど辛くはなかった。ちょうど喉が乾いていたしゴクゴクとすぐに飲み干した。そのうちだんだん飲み方が遅くなって、アラームがなければ飲みきれなかったと思う。無理やり飲んでいるうちに1時間もすると効果が出てきた。

そうなると忙しくなってきた。パソコンでゲームをしながらなので飲んだり出したりゲームをしたり、そのうち順番がわからなくなってきたり。効果は完璧に現れて2時間ほぼ腸内は空っぽ。この作業が一番大変だという人がいるけれど、何、それほどではない。

病院につくと検査用の服に着替えて麻酔を受ける。まず喉の麻酔。この世のものとは思えないほど苦くてまずい薬を喉につけると、次は注射で麻酔。まだ意識はしっかりしているから看護師に言った。「全回検査したとき麻酔が効きすぎて寝すぎたので量を少なめにしてください」と。

検査室に入るとまだ意識はあると思っていたのに、それから先の記憶がまったくない。簡単なものだわ。気がつくと大腸も胃もとっくに検査がすんでいた。あのものすごく不味い麻酔薬がなければ本当に楽な検査なのだけど。ベッドに寝かされてぐっすり眠っていたのに起こされた。やはり薬が効きすぎるらしい。眠っていたのは2時間ほど。それでも起き上がれなくて二度寝させてもらった。なんなら、ここで一泊したいくらい。

目が覺め始めると、昨日からろくな物食べていないことを真っ先に思い出した。特に食欲はないけれど、飢餓感が襲ってくる。どこまでも食いしん坊な自分に呆れる。まだ食べないでくださいといいながら時計を見た看護師は私が長時間眠っていたことを知らなかったらしい。

「あら、もう食べられるわ」というから食堂に飛んでいった。ここの食堂はとても美味しいのだ。それでも揚げ物などは我慢してポトフとトースト、サラダとコーヒー。なかなか美味しかった。満足して自宅近所に来た。

このあたりに古くからの惣菜屋さんがある。御夫婦で長年コロッケなどの揚げ物を作っていて、美味しいと評判なので遠くからも買いに来るという。ところが最近の猛暑に体調を崩した御夫婦は仕事時間を短縮しているので、最近、なかなか手に入らない。今日は食べ物に飢えて、ちょっと回り道をしたら営業していた。ラッキー、久しぶりね。

おじさんもおばさんもちょっと元気がないけれど、一生懸命営業日の説明をしてくれた。きっと今日は私がとてつもなくまずいものを食べた埋め合わせに、久々の好物を用意して待っていてくれたのかな?ただの偶然にしても、あまりにもまずい薬の後でコロッケを食べたら本当に美味しかった。

私は子供の頃からじゃがいもが大好き。意地悪な姉たちはその私をこう言ってからかった。「あんまりじゃがいもばかり食べるからじゃがいもみたいな顔になっちゃうのよ」なるほど。そういえば似ている。

せっかく一日食事制限で少しはダイエットになるかと思ったけれど、これでは元の木阿弥。




















2026年4月22日水曜日

ウイーン八重相談

 私のパソコンは決して意図した変換をしてくれない。本当に面白い変換ばかり。一番常識的な変換は最後に出てくるといったへそ曲がり。もちろんこれは八重 奏団です。

変換の設定が悪いのだと言われれば本当にそうなんだけど、これも遭難だけどとなるかと思ったらそれはなかった。暇でもあるし結構たのしんでいたりして。

ウイーン八重奏団はボスコフスキーによって創設されたとプログラムに書いてある。1947年だそうだから私は生まれたばかり。第二次大戦直後ということになる。この八重奏団は私と同世代か、なんて、なんの関係もないのに喜んだりする。私が音大生の頃かまたはオケに入った頃か、とにかく希望に満ちた若かりし頃、日本でボスコフスキーがN響を指揮して大いに私たちを喜ばせた。

その八重奏団を聞きに武蔵野市民文化会館へ。ついこの間までは50年間と思っていたけれど、もう今は60年間にも近くなったお付き合いのピアノのSさんと聞きに行った。

モーツァルト:フィガロの結婚序曲 

モーツァルト:クラリネット五重奏曲

シューベルト:八重奏曲

結果から言うと本当に楽しかった。先日聞いたベルリン八重奏団の時よりもリラックスして楽しんだ。ベルリンは意識下の領域に達するまでの集中、研ぎ澄まされた世界をみせられた。一瞬も耳を離せないし演奏者とともに呼吸することで、単に聴くだけの作業ではないことを知らされた。

ウイーンの特にホルンの柔らかい響き、少人数の弦楽器に対しても決して音量が過剰ではない。弦楽器と管楽器のアンサンブルは音量のバランスが難しい。こんなふうに柔らかく包みこまれたら弦楽器は幸せです。

幸せすぎて、最近めったに演奏会では寝ない私も、モーツアルトの五重奏曲の2楽章から3楽章が始まるまですやすやと寝てしまった。これはしまった!一番好きな楽章で、聴いていれば天国に行ける楽章で!なんてことを。

シューベルトはちゃんと起きていたけれど、途中から笑ってしまった。シューベルトのこの長さ!終わりかと思うと転調しては同じテーマが繰り返される。常に美しいから許されるけれど、これで凡庸な作曲家ならトマトをぶつけたくなりそう。

かつて私がピアノトリオを組んで活動していた頃、シューベルトの三重奏曲第2番をプログラムに入れた。しかしその長さに辟易した。多分彼は美しいテーマを離したくないので様々に転調して酔いしれていたのでは?

終わると盛大な拍手が巻き起こった。それは演奏の素晴らしさを称えるとともに、ああ、やっと終わったかという喜びの拍手ではなかったかと勘繰りたくなる。私と友人は思わず顔を見合わせてニヤリと笑った。さすがシューベルト。そうだねシューベルトだね。あはは

しかし誤解のないようにいっておくけれど、一瞬たりとも退屈ではなかったことを。途中大好きなクラリネット五重奏曲で、しかも2楽章で居眠りをした残念な事件はあったものの、心から音楽の素晴らしさ、何よりもウイーンの音が聴けて幸せでした。














2026年4月20日月曜日

サラリーマン猫

うちに日参する野良猫グレ。ルーティンは早朝5時前後、出勤。餌のあるなしで次の行動が決まる。たっぷり食べられたときはそのまま私専用の椅子で朝寝を貪る。その後ずっと何もなければ居続ける。餌に不満があったときはすぐに外出、ご近所を回って満腹になるまでせっせと歩き続けるらしい。時々コースが変わるらしく、それで他の家の状態が大体読める。

連休などではうちに全く来なくなることも。それは他のお気に入りの家があって、その家の住人が在宅しているということらしい。反対に住人が連休で遊びに出かけてしまうと餌がもらえず、我が家が食堂になるのでずっと昼中い続けて三食昼寝付き。なんと良い御身分なのかしら。苦労も多そうだけれど。

穏やかですごくデブだけど可愛らしい外見から、ずいぶん幸せな野良生活をおくってきたとみえる。それでも時には苛ついて顔を汚して現れることも。喧嘩にまけたのかな?それとも意地悪な人間にいじめられた?近所までは来るものの、入ってこないことも。多分テリトリーに新しい敵がうろついているらしい。苦労してるんだ。

ほぼ午前中眠っているときは、深夜に起きた猫同士の喧嘩の疲れをいやしているらしい。午後4時か5時になるとソワソワ、きっとご近所の飼い主さんたちの一人に会いにゆくのだろう。それが5時ころで、しばらくするとまた戻ってきてうちのノンちゃんとじゃれたり眠ったり、そして9時半を回った頃にはねぐらに帰っていってしまう。

寒い時期には表に出るのをためらっていることもあるけれど、出口を塞いでしまうと大騒ぎして出たがるから仕方なく次の日まで自由にしてあげる。全く何をしているのか、寒さにも雨にもマケズ、夜通し帰ってこない。そして次の朝5時ころ、窓を開けると途端に飛び込んでくる。これが彼の日常なのだ。

餌も好き嫌いがあって、人間は何も猫に迎合しなくてもとおもうものの、ちゃんと食べないと手を変え品を変えて数種類のフードをご用意するのだ。せっかく開けた缶詰やレロルトパウチが無駄になる手痛い損害は人間より高い餌代に損失となって家計を逼迫する。それでも気に入らない餌を出した人間のほうが逆に謝ったりして「ごめんネ、すぐおいしいのを買ってきて上げるからね」上げるのですよ。猫に。食べていただくのも苦労するわ。

カニを食べずにカニカマ食べて我慢している飼い主の身にもなってほしい。それでも日々飼い主は一生懸命にご奉仕する。それは猫の持つ悪魔のような可愛らしさに目をくらまされているから。なぜ神様はこんな役立たずの動物をお創りになったのだろうか。ほんの少しでいいから私にも可愛らしさを分け与えてくださればいいのに。可愛げのなさと怒りっぽさで人生を複雑にしている私でも、もう少し穏やかな日々が来るかもしれないのに。

来世、私は猫に生まれてこよう。あざとく飼い主にすり寄って可愛さアピールして図太く生きる野良の女王になろう。















万引き未遂事件

最近の買い物はカード払いで 済ますことが多い。お金の使い方が超下手くそでいらないものを買ってしまうクセがあるから、最近の物価高騰にカード払いでつくポイントを狙うようなことが多くなった。これは私としては画期的なことで、今まではポイントを貯めるという行為も面倒、確認も面倒、今までどれほどのポイントを捨ててきたことかと悔やまれる。

それでいっぱしのカード使いになったかというとこれが全くだめで、レジでいつもスタッフさんと禅問答のような怪しい会話の毎日。とにかく仕組みがわからない。カードのどれを使うかもわからない。レジの人がすぐにわかる人ならいいけれど、中には私とほぼどっこいどっこいの人もいるのが信じられない。私の相手は万能じゃないと務まらないのよ、あなたの方はしっかりしてね。お願いだから。

それで一念発起、セルフレジを使おうと。だいぶ慣れてきたら煩わしさがなくて快適。最初はスタッフを呼ぶこと3回くらいはあったけれど、最近は慣れたものでホイホイと計算を済ますようになった。偉いでしょ?

しかし、そう簡単なことではなかった。自分の記憶力と集中力が如何に衰えているかということを忘れていた。買い物かごのなかは重いものを下に入れて壊れやすいものは上にある。それが上から精算すると逆になり、当然軽いものから済んでいく。次にマイバッグに収めるにはまたその逆をいくことに。バッグの下の方に壊れやすいものを収めると上に重いものが載せられない。だから壊れやすいものは精算できたら横において、最後に重いものの上に収めるようにする。

くどくど説明するようなことではないけれど、中には私みたいな方がいらっしゃるかもしれないから念のため。

こんなことは普通の人なら簡単で、整理整頓の上手な人は朝飯前のことに違いない。けれど、自慢じゃないがこの私、常識では考えられない行動をすることが多い。やってしまってから自分でも呆れるほどの無計画性が露呈する。重いものを精算するのを最初にすればマイバッグの中に収めるときにもその順で収められると考えたから、まず軽いものは横に避けておいておく。

その日の壊れやすいものは花、いちご、シュークリームなど。それをマイバッグの横において、豆乳やヨーグルトなど容器の硬いものから始めた。最後にシュークリーム。を乗せて、おっと、忘れた花が残っている、何気なく上にぽんと乗せて終了。歩き始めたときになにか忘れたような。カートを止めてしげしげとレシートを眺めたけれど、目が霞んでよく見えない。

しばらく眺めていたけれど、どうも記憶によれば花の精算をした覚えがない。丁度通りかかったスタッフに声をかけてレシートを確認すると、やはり花は精算されていなかった。ちょっとびっくり。自分で覚えていたこともびっくりではあったけれど、危うく犯罪に手を染めそうになったこともびっくり。しかも簡単にこれが通ったこともびっくり。

一日何人くらいがセルフレジを通るのかわからないが、全員がちゃんと精算できているとは思えない。もしかしたらわかっても知らん顔する人もいるかも、おそらく意識的にする人も数人はいるかも知れない。多少の額でも集まれば店の存続を揺るがす額になるかも。最近本屋が廃業することが多いのは万引きが多いせいでもあるらしい。近所の本屋さんが廃業して本当にがっかりした。気分の良いスーパーが廃業しないように気をつけよう。















2026年4月12日日曜日

どこかへ行きたい、遠くへ行きたい

 私の一番の関心は遠くのこと、知らないことを見たり聞いたりしたいということ。まるで永六輔さんの歌みたい。旅行から帰って羽田で飛行機をおりて空港ビルを出るときには、もう次回の旅のことを考えている。出発の飛行機の轟音が聞こえると「ああ、どこかへ行きたい」と思う。

家が居心地悪いとかそういうことはない。一人暮らしだし、可愛い猫が二匹待っている。この二匹さえいなければ、私はとっくに日本にはいないと常日頃から思っている。旅の空でワクワクしながら非日常のものを目の当たりにする嬉しさ!一人で外国に行くのもそれほど怖くはない。むしろ、海外で一人で行動していると、よく道を訊かれる。すごくリラックスしているからか、フランスなどで道案内するとは思えない風体なのに、オーストラリア人に道をきかれたり、日本国内でも大阪や京都で道を訊かれたり。

今、まさに禁断症状が出てきて困っている。ああ、どこか遠くへ行きたい。しかし、今二匹の猫たちが私を守ってくれているのだろう、今の体調で一人で行ったら無事に帰宅できるかどうかわからないから。外国で道に迷うと全部の神経が興奮状態になって、ああ、私は今生きているのだとしみじみと嬉しくなる。

語学力がなく英語もうまく喋れない。それでもコミュニケーション力のすべてを全開にするとたいていうまくいく。それでよく周りから叱られる。一番面白かったのはエジプトで迷子になったときのこと。別に迷子になろうと思ったわけではないけれど、同行した人の道案内があまりにもつまらないので一人で行動することにした。

それからのワクワク感ったら、全身で今自分は生きていると感じながら。これで事件にでもなったら袋叩きになるな、なんて考えながらの行動。しかし、エジプト旅行の醍醐味はこの時間にあったといえる。歩き疲れて家具やさんの椅子で休ませてもらったり、その間に生き生きとした彼らの表情がなんて楽しそうなのかと思い、本当に日本人のおつかれ顔とはずいぶん違うと思ったり。

彼らもいきなり変なオバハンが来て、売り物の椅子に座っていいかと居座るような非日常を楽しんでいる風で、笑いながら相手をしてくれた。道を尋ねるとどうせ知らないくせに知った顔をして教えてくれる。「ありがとう」だけ知っているエジプト語で感謝しながらまた出かけると、いよいよ遠くまで迷ってしまった。けれど、その先には見事なモスク、市場が現れる。ああ、すごい、これぞエジプト。

胸にいっぱい勲章みたいなものをつけた軍隊の隊長さんに頼むと、タクシーを呼んでくれて無事ホテルに帰還。同行者たちの非難の眼差しに耐えながらもほくそ笑む。ものすごく面白かったので。やはり旅は一人に限る。

青蔵鉄道に乗るために中国に行った。その時も現地の人達と同じ寝台車で眠った。隣の寝台の人が高熱を出して具合が悪いというから、ハンカチを濡らして額に乗せてあげたら仲間たちと大笑いしている。どうやら中国では熱冷ましは額に当てるものではないらしい。中国語ができなくて訊けなかったのが残念だった。でも、それで現地の人達とリラックスして長時間の列車旅を過ごした。お菓子をもらったりして面白かった。

青蔵鉄道に乗る前日は現地盛都の家庭に招待された。その家のご主人のお父さんのお誕生日。皆で麻雀をして遊ぶ。私はできないから見ているだけだったけれど、日本のパイの4個分くらいの大きなパイで勝負の仕組みは日本の麻雀よりも単純なようだ。勝負は急展開で早い。それを与えられたひまわりの種をかじりながら見物した。ひまわりの種のかじり方を教わったけれど、それがとても難しい。皮は床にペっと吐き出す。どうもこれにはまいった。

次の日列車に乗る前の手荷物検査で、トランクを全開にされて怒ったら、前日招待された家のご主人が穏やかに言った。「彼らも仕事ですから」と。中国でも大変地位のある人らしく、泰然とした態度で言われると納得。中国人のこのランクの人はすごく洗練されている。この旅行の設定をしてくれた旅行社の社長のお仲間らしい。社長の奥さんはフランスの大学教授、御本人もフランス在住、私のためにフランスから帰国してくれたらしい。素晴らしい旅でした。

日本国内でもずいぶん一人旅をしたけれど、いつも皆さん親切で、女性の一人旅はハプニングだらけ。レンタカーで阿蘇山に登れば途中のドライブインで働く人たちのだご汁を振る舞われ、現地の人達との交流が生まれる。私が話しかけやすいのかもしれない。ホテルのシングル宿泊でもよくお酒のうんちくを披露するホテルマン、志賀高原では焼酎の知識を教わった。和食なら女将さんが話し込んで現地の情報を伝えてくれる等々。これは職業的戦略かもだけれど、嫌な思い出はほぼない。米子のホテルでフロントマンが「女性用の大浴場はありません」と冷たく言ったことが最悪だったくらいだから。それで米子が嫌いになった。もうずいぶん以前のことだから、米子にも女性用の大浴場はできたでしょうね?ホテルマンさん。

あ、それと長崎で変な宿主がいて、仕事の集団で泊まっているのに「女性は男性より1時間早く起きて身支度をしなければいけましぇん」と言われたことがあって非常に立腹した。なんということを!余計なお世話もはなはだしい。

でもおかしいでしょう?もうずいぶん昔のことだけど。男性に寝起きを見られたって化粧をほどこした顔がそれ以上良くなることはないのだから。仕事仲間の男性になにを媚びろというの?私たちは仕事場ではほとんど男なんだから。それに男性たちも私たちを女性だなんて思っていないでしょうが。

こうしてみると日本でも十分おもしろい、ああ、どこか遠くへ行きたいなあ。












2026年4月8日水曜日

久々の銀座

「雪雀連」というグループがあって、愉快に何十年も一緒に遊んでもらった。今やメンバーも大半は天国へ言ってしまったので、ほそぼそと残党がたまに会うくらいだけれど。主にスキー好きのグループで実に趣味も多いし会話も楽しい人が多く、中でも絵を嗜むメンバーが毎年銀座で展覧会を開いた。集まって絵画鑑賞したところで、帰りがけに銀座のライオンでビール。美味しかったなあ。楽しかったなあ。今回も銀座で展覧会があるとお知らせが来たので出かけた。

だんだんメンバーが少なくなってきたので、今回はいつもの年よりも小さい画廊でこじんまりと開催されていた。会員はベテランだから年はとってもしっかりとした筆使い。明るい色彩感覚で楽しい雰囲気だった。かつてはずいぶん芸術的で大作が多かったけれど、今や人生の達人として生きてきたその豊かな実り多い人生の回顧のように、素直で明るい表現が多かった。お見事!

一緒に行ったのは「雪雀連」のプリマドンナのマリア・カラスならぬHさん。化学者・コーラスをたしなみお酒をこよなく愛した彼女も先日体調を崩して回復したばかり。であるので、帰り道のお酒はしばらくお預けとなるでしょう。もう十分に一生分のお酒は飲んだと思うので、これからは自重してビタミン剤でも呑んで頂こう。

絵を見てちょうど昼食時、一緒にランチをと思って店を探しながらぶらぶらと歩く。最近私はかつての勢いの良さもかき消えて、めっぽう足が遅くなった。しかし銀座はいい。私が一番好きな街。まず華やかな表の顔も素敵。中国人の観光客が減って銀座はかつての落ち着きを取り戻した。その分不景気になったかもしれないけれど。しばらくは店ごとにバスが横付けされて、そこからぞろぞろと大勢の人が出てくると、あっという間に喧騒の雰囲気が醸し出された。

中国人を悪く言うことはできない。かつての日本の農協さんの団体の振る舞いはよく覚えている。飛行機の中でステテコになるなんて・・・とかあったけれどね。私はとても中国の歴史とか文明を尊敬するし、友人もいる。中国を訪問したのも4回ほど。シルクロードを巡り、西安と天津や友人のいる瀋陽にも滞在した。成都には青蔵鉄道に乗りに行った。だから嫌いではないけれど、大勢すぎる観光客はどうしても騒がしくなる。

銀座は大通りからそれても楽しい。今日いった場所は歌舞伎座の近く、東銀座が最寄り駅の画廊で、例えば足袋の専門店などがひっそりとみつかったり、着物の小物、袋物や手ぬぐいなどの小物の店なども、いかにも銀座の風情。

ランチは最初のプランとしてはレストランと思っていたけれど、地味に密やかに構えている鰻屋さんを見つけると、二人ともすぐに「ここにしよう」うなぎの専門店で捌くところから初めて焼き上がるまで長時間待たされるのはちょっとしんどい。でも暇でもあるしと思って決めたら、ここの店は簡単に焼き上がっているものを温めてご飯の上に乗っけるという超スピードの店だった。5分も待たずにうな丼いっちょう出来上がり。

うなぎはいつ食べたか思い出せないほど最近食べていなかった。贅沢というのもあるけれど、最近の健康志向で野菜が多いものを選ぶから、丼と汁と僅かな漬物という取り合わせは日常ではない。でも久々のうなぎは美味しかった!しばらくくせになるかも。

幸いHさんの体調はかなり良くなっているらしく、まずは一安心で美味しくウナギをいただいた。以前ならその後でビールとかコーヒーとかあるのだったが、今回は大人しく鰻屋さんのお茶で我慢。あまり長逗留しないでお別れした。

実は私の元教え子ですごい美人がいた。彼女は顔がきれいなだけでなく頭も性格も良かった。事情があってシングルマザー、しばらく教室に通ってきたけれど、ある時仕事を始めることになったのでと言ってやめてしまった。その後もヴァイオリンは教えてほしいというからしばらく銀座に通っていた時期があった。そこは裏道のクラブ、なんと彼女は銀座のクラブのママになったのだ。それはとても楽しかったけれど、スケジュール的にきついのでやめてしまった。

どうしているかな、あの美人さんは。当時店は大繁盛。今でも楽しくやっていると思うけれど、コロナ禍もあったし、少し心配している。



















 

2026年4月6日月曜日

映画「坂本龍一トリオ・ツアー・2012」

坂本龍一さんのトリオツアーが映画になって今上映中と聞いて、野次猫の私は飛んでいった。川崎の映画館チネチッタ。朝9時すぎに始まる。日曜日の上映にしては早すぎるけれど、今絶賛不入り中らしいから、観客のいない時間にしか上映してもらえなかったのか。

映写室に入ると観客は10人足らず。今までの最低観客数は、中学生の頃、家の近所に映画館があった。マーロン・ブランド主演「片目のジャック」を見に行って3人、しかも男性しかいなくて、私はずいぶん間の悪い思いをしたことを思い出す。

最近では「孤独のグルメ」松重さんのひたすら食べる姿が面白くて好きなので観に行ったら、それも観客は30人ほど。もう少しいたかもしれないけれど、気の毒に、これでは興行利益は大赤字だなあと思った。しかし彼は最近コマーシャルでもよく見るし、孤独のグルメも放送されているから生活は大丈夫なんて、他人事ながら(笑)

しかし、世界で活躍の坂本龍一さんの映画でこの体たらくではお気の毒に。御本人はそんなこと気にもとめず、天国でゆったりと作曲の続きを書いていらっしゃることと思う。その風貌は白衣を着せたら医者に見える。しかも私が子供の頃からずっとかかりつけだった近所のT先生。儲けることをしなかったために先生の病院はいつまでもボロで、しかし地域の人達からは絶大な信頼を受けていた。軽い風邪くらいなら「家に帰ってあったかくして寝ていなさい」というだけ。注射も薬もなし。だから儲からない。しかし名医だった。

先生がなくなったときに初めて知ったのは、先生は東大医学部の出身であったこと。驚いたことに近所のボロ医院の割にはご葬儀の時の参列者が2000人だったらしいこと。いったい何者︀だったのかしら、あの方は!皆泣いていたという。坂本さんは、私の家族からも他の患者さんからも信頼と尊敬を集めていた方と雰囲気がそっくり。

そして大きな手。オクターブを弾くとき、私ならめいっぱいに広げないと届かない。しかし坂本さんはほとんど普通の広げ方で済ませているようだ。穏やかでしかし気骨ある態度、アーティストというより思考の人。素敵だなあ。

共演者はヴァイオリンとチェロの二人。

ジュディ・カン(Vn)ーカナダ クラシックからポップスまで幅広く活躍する国際的ヴァイオリニスト、 LADY・GAGAのワールド・ツアー参加 ジャンルを超えた演奏で知られる。坂本のアルバム「THREE 」に参加しそのまま2012年のトリオツアーに参加した。

ジャケス・モレレンバウム(Vc)ーブラジル ブラジルを代表するチェリスト・アレンジャー      カエターノ・ヴェローゾ、 アントニオ・カルロス・ジョビンなどのブラジル音楽の巨匠たちと多く共演 坂本とは1990年代から共演を重ね「アルバム1996」や「THREE」そして今回の「THE Tour 2012」でも中心的存在として参加。

優れた腕前で存在の大きな共演者たち。しかし中心にいる坂本は涼しげに曲に没頭、時々のアイコンタクトでなんと地球上のすべての垣根は今はないと言いたげなお三人。チェロはコントラバスの音まで出してびっくりしてよく見たら5弦の楽器だった。ワオ、すごい。何という音!

私はクラシックが本業だからマイクを通した音はあまり好きではない。最初はこの音と2時間近く付き合うのか、やれやれと思ったけれど、進むうちにすべての偏見は取り除かれた。そこには音のジャンルも音楽のジャンルもない。限りなく磨き抜かれ集中力を極めた世界があるのみ。

坂本の音楽の根底にあるのはなんなのか。最初は東洋的なと言いたいけれど、もっとお大きな存在、自然?なんというか、目を瞑って聞いていると砂漠が目の前に現れる。初めてシルクロードを辿ってタクラマカン砂漠に足をつけたときに私は、自分はここが故郷だと感じた。そんな情景が出てくると私の中の血が騒ぐ。

人の世のすべてのくだらない争いごとなど雲散霧消して大きな意味での知恵の壮大な力に打たれる。今戦争している誰かさんたち、なんと「くだらない」争いをしているの。そしてこの私もちまちまと生きていないで大空に飛んで行きなさいと教えられているようだ。

誕生日を送ってまた一つ歳を取った。体は動きにくくなって、頭も少し怪しくなって、でも若い頃からの放浪癖を経て、私は今豊かな想像の世界に遊んでいる。感動しない日はない。何を見ても聞いても感激と感謝の時代に生きている。だれも自分の胸のうちに年を取らせてはいけない。いつだって若々しい感情は持てるのだから。











 

また年取っちゃった!

私の誕生日は桜の季節。ほんの数日前。今年は明るい日差しの穏やかな 。友人のH さんが私の誕生日のお祝いをしてくださるというので会うことに。

場所は小田急線の鶴川駅。ここで以前にも数回待ち合わせたから心配ないと思っていたのに、私の車のカーナビは急にいつもと違う案内をした。え?曲がるの早いんじゃない。

でもナビは言い張る「ここを曲がります」そこを曲がると見知らぬ世界、おかしいな、こんなに工事中ではどこに行ったらいいかわからない。見たこともないクレーン車が工事現場に停まっている。やり直そうと思ってもう一度元の道に引き返そうと思ったら、カーブした先に陸橋が現れて、あっという間に私は別世界に連れて行かれてしまった。

陸橋から飛び降りるわけにはいかないから、それが終わってまたUターン。やっと約束の場所に戻って緑色の髪の乙女(元)に出会ったときは、エネルギーは消耗され尽くしていた。

Hさんは実は墓友で、いつの日にかは同じ墓地の樹木葬に住むはずで、私の友人たちもやがてはここに入るし、他の友人のご両親も眠るこの墓地は猫や犬も一緒に行き来ができることになっている。死んでもなお賑やかなのはすごくいい。墓地のある全山は春爛漫、桜の花で埋め尽くされ、それはそれはきれいだった。

墓参がすむと次は食い気。鶴川駅近くの鶴川香山園、ここは寛永6年創設されたお灸点と呼ばれる中風の灸治療所があった場所で、当時は全国から治療を求める人が詰めかけたという。毎月1日の灸治療の日には鶴川駅に特別列車が止まったというほど盛況だったという。

その後は私設美術館として公開されていた母屋と庭園を町田市が譲り受けリニューアル、町田香山園として令和7年に開園したという。

鶴川駅の目と鼻の先で徒歩5分ほどの香山園、その庭園に瑞香殿という立派な建物がある。明治39年に建てられた寄棟造、本瓦型銅板葺の平屋の建物は神社のような雰囲気で、中に入ると30畳の広間と周りに客室がある。各部屋はそれぞれゆったりとした個室になって広間を囲んでいる。食事処は「桜梅桃季」といって、その30畳の大広間とその周りの少し小さな部屋と個室などは、昼過ぎてもなお客で埋まっていた。

小さな器にそれぞれ手の込んだお菜が並ぶ。よくもこれだけの数を作るものだと感心していたらつい食べすぎてしまった。最近は胃が小さくなって普段なら途中でやめておくものを、ご飯もいつもより多めになってしまい、その上デザートのわらび餅までしっかりと。食後きれいな庭園を散歩したものの、それくらいの運動量ではカロリー消費はしれたもの。

その上、誕生祝いの様々なお菓子をいただいて帰宅してからもポリポリとかじって止まらない。ああ、止まらない。またこれで1キロ増量。

Hさんと一緒にいるといつもろくでもないことに遭遇することになっている。最たるものは江の島訪問、これでもかと強風に煽られ、私は歩くのもやっとだった。イルミネーションは素敵だったけれど、思い出すのは強風のことばかり。

中華街に食事に行ったら強風と土砂降り。中華街の道路は川となっておりました。しかし、どうしたことか、今回は穏やかな春の日、最後までなにごともなく・・・いやいや最初の場面ですったもんだ。やはり彼女との相性はなかなかなもので、同じ敷地内の墓に入ったらどうなることやら、死後もなお、ドタバタは続くのか、前途多難な来世であります。




2026年3月30日月曜日

花見にパエリア

 今日の花見客は長年在籍したアンサンブルのメンバーの中でも特に苦楽をともにした女性メンバーたち。創立以来一緒に歩み続けた。そしてコンサートマスター交代のときに存続するか廃止するかという瀬戸際で、存続のために尽力した。

軍資金もないというか、継続時に長年の使徒不明金があり、残されたのは見た目お金の流れがわからないように隠蔽された通帳。その提出を求めたとき、会計は長い時間拒み続けた。10ヶ月以上の攻防戦によりやっと一通だけ渡された。けれどまだ多数の通帳があるはず。それを時間をかけて素人の我々がパズルを解くように解き明かしてゆく。全員から絶大な信頼を得ていた会計が、実はとんでもないことをやっていたということがわかって、私は精神も肉体も病んでしまった。

その時の四人の働きは今でも胸が熱くなるような連携プレイだった。眠れない夜を過ごす毎日。思いついた対策を伝えようと仲間にメールすると、深夜にもかかわらず電話がかかってくる。あら、起きていたのね。それから思いついたことや様々な解決策を相談しながら、次の朝も確認のために郵便局や銀行などの通帳を調べ、相談に走り、カフェなどに集まっては本人の弁明を聞くけれど、あまりにも矛盾点や嘘が見つかって、しかも答えはボケたフリの連続、言い逃れや弁明は辻褄が合わない。

私はいつも自慢するように友人知人に恵まれて、穏やかな人生を送ってきたけれど、こんなに裏切られた思いは私の人生を根底からひっくり返す事件だった。そのために私は本当に寂しかった。その上、まだ会計の嘘が信じられないという人々の疑念の言葉も受け、心は沈みっぱなし、最後には体に異変が起きて耐え難いほどの倦怠感や体の痛みが続く。私の人生最大の暗黒時代だった。

聞こえてくるのはしっかり監督をしなかったあなた達が悪いという声。これには本当にそうだったと反省もした。全幅の信頼などは無用だった。一切会計報告をされなかったからにはこちらから申し出ても監査するべきだった。しかし友達だと思っていた人に、それは失礼かと。これがいけない。人は見かけによらないとも痛切に思った。

その一方で存続するならメンバーの確保をしなければならないため、様々な人に声をかけた。まずお金がない、有能なプレーヤーを確保するための軍資金は使い込まれ、どこへいったかわからない。肝心な時期の通帳が提出されない。お金がなくてもそれでも声掛けはしないといけない。

しかし音楽に情熱を持つ優秀なプレーヤーが続々と参加表明をしてくれた。その方たちには感謝しかない。私の取り柄はおっちょこちょい、誰も言えないような恥ずかしいお願いを当たって砕けろとばかり試しにお願いしてみると、すべての方から参加の返事を頂戴した。そしてついに新しいアンサンブルが生まれ、存続後の第3回目の定期公演を果たすことができた。

会を追って状況は良くなり客席は大盛況。私の友人たちの助けもありがたい。メンバー確保の助力や会場に足を運んでくれる友人たちに助けられた。今ホッとしてようやく引退生活に没入できるようになった。明るい私が戻ってきた。すると、おかしなことにあれほど痛かった膝の痛みが消えた。心の闇が私の体に痛みとなって現れていたのだと思う。

そのうち女子会をしましょうと約束していた存続推進のメンバー5人。今日は天気もよく穏やかな花見日和。我が家の前の桜並木も私たちの苦労を知っていたのではないかしら。こんな仲間たちに出会えたのも、苦労が実ってアンサンブルの継続ができたのも、そして演奏の評判の良いことも、いままで聴いてくださったお客様、影で支えていただいた方たちのおかげです。本当にありがとうございました。

今日、私の渾身の料理はパエリア。メニューを決めて3日前に作ってみたけれどイマイチ。それを食べ終わるのに2日かかってもうパエリアはごめんなさい。でも献立を決めたのだから諦められない。そのためにAIさんに教えを乞うた。懇切丁寧にレシピと秘訣を伝授されて今朝、再度挑戦した。

メンバーが集まる時間ギリギリに出来上がった。なんと素敵に美味しい出来栄え。我ながらでかした。懐かしい友人たちの顔を見たらこんなにも嬉しく美味しいものかと感無量でした。















2026年3月29日日曜日

今年も花見

毎年我が家に花を見に来るのかお酒を飲むだけに来るのか判別がつかない連中がいる。けれど、今年はまだ実行されていない。

かつてはメンバーの数が数十人もいて、お正月のスキー宿では眠る場所の確保も難しいほどのメンバー数を誇った「雪雀連」も、会長の引退と主要メンバーの体調不良などで休眠中。スキーの指導者であった小川源次郎先生も長い眠りについてまだ起きてきてくださらない。困った。私はいよいよスキーまで引退することになってしまうのか。

スキー仲間のお花見のときには必ず源次郎先生から我が家にお酒の差し入れがあった。去年はお酒がそろそろ届く頃かと待っていたけれど、一向に気配がない。いただくのに催促はできないから変だと思っていたら先生の訃報、ショックだった。ちなみに先生はいくらお誘いしてもプライベートの集まりには参加しなかった。

今年もきれいに桜が咲いた。それで1昨日は旧友たちが集まって咲きかけた桜を愛でて、ランチを楽しんだ。

最近見つけた自宅近くのレストラン。店外に出ていたチラシを見ていたらご主人がドアを開けてくれた。どんなお料理かと訊いてみた。南アルプスで栽培された野菜を中心としたランチコースの説明を聞いていたらたべてみたくなった。とりあえず店に入る。新鮮なパリッとした野菜はシャキシャキと美味しい。それで松本のしごとで意気投合した女子会が未だに続いていて、その女子会をここでやったらと思った。

最近は女子会メンバーも年老いて、かつては集まると嬉しくて嬉しくて笑ってばかりいた女子たちはもう姥桜。姥桜とは年老いてなお色香を失わない女性をいうのだけれど、色香の方はとっくに出ていってしまったから食い気で勝負。よっしゃ!ここが今回の会場と決めてきた。本当のこと言うと姥桜の年齢制限は、女盛りを過ぎた頃らしいけれど、なに、かまうものか、もう頂点を超えたら盛りも下りも一緒。あとは一気に転がり落ちてゆくのみ。もう怖いものはない。

当日時間通り(これだけは相変わらず皆さん絶体に守る)駅に迎えに行くと、とっくに改札口前でおしゃべりが盛り上がっていた。駅から店までは5分圏内。それを咲きかけの桜を愛でながら20分くらいかけて店に着く。

中年をとっくに過ぎた女子たちは皆さん身綺麗で大きな声を出したりしないのは、それぞれお育ちがいいから。地元民の私は評判が悪いから、ここで友人をダシに良い評判を上げたい。店のご主人も大いに喜んでくれてお腹がいっぱいになったところで、我が家でお昼寝タイムとはいかないけれど、お茶しようと誘う。

その後は賑やかなティータイムが過ぎてお名残惜しいけれど皆さん帰っていった。皆一緒に帰ってしまうと取り残された感じで寂しい。来年もお花見ができるかしら。











2026年3月28日土曜日

ダルタニャン

まさか実在の人物だとは思ってもいなかった。オランダ、マーストリヒトの教会で彼のものと見られる遺骨が見つかったという。現在DNA鑑定が進められているという。

デ ュマの「三銃士」の主人公、ダルタニャンは本名シャルル・ド・パッーカステルモール(1611-1673)はガスコーニュ出身の小貴族、母方の実名ダルタニャンを名乗った。フランス王室の軍人、銃士隊の副隊長。ルイ14世の信頼厚く、特に大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕の任務で知られている。1673年、マースとリヒト包囲戦で戦死。

2026年、オランダ、マースとリヒトの聖ペテロ・パウロ教会の床下の墓で遺骨が見つかり、近くには17世紀の硬貨や銃弾片も発見された。現在DNA鑑定進行中。既存の子孫のDNAと照合される予定。

「三銃士」の仲間たちは実在した。デユマの「三銃士」に登場するアトス、ポルトス、アラミスは実在の人物をモデルにしたが、物語とは大きく異なる。

アトス :アルマンド・ド・シルク゚・ダトスは史料に名が残る銃士、性格は小説ほど陰影が深くはない。

ポルトス :アイザック・ド・ポルトーは豪快な人物像は脚色が強い。

アラミス :アンリ・ドルス 聖職者的な側面は史実に一部対応。

ダルタニャン :シャルル・ド・パツーカステルモール 小説よりはるかに実務的で冷静な軍人。

これらのモデルはデユマの参考にした回想録「ダルタニャン物語」に登場するする人物たちである。4人は同時代に実在し同じ銃士隊に所属していたが、大きな部隊での任務はばらばらで常に4人で行動するような編成はなく、デュマの創作である。ただし銃士隊は王直属の精鋭部隊であり人数も限られていたので、4人が知り合いであった可能性は十分にある。

史実のダルタニャンの働きは大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕(1661年)単独任務であり他の3人は関わっていない。ダルタニアンは剣豪というよりも王の信頼厚い実務家で、むしろ渋くて魅力ある人物である。

なんでこんなこと延々と調べたかというと、私にとってダルタニャンは永遠の友達。子供の頃の憧れの人。私の誕生日やクリスマス、長姉からのプレゼントはいつも本だった。私の小学校3年生の頃「三銃士」は病気がちだった私に与えられた。

三銃士はそんな中でも最高のプレゼント、もちろんデュマの原作の翻訳ではなく、子供向きに易しく書き換えられたものだった。登場人物も随分単純に、筋書きも明るく女性の存在も希薄に、ただただ面白く読ませてもらった。15回も繰り返し読んだ。長じて翻訳の原作を読んでびっくり、陰謀渦巻く世界、それぞれの銃士の性格も単純ではなく、女性との暗い過去を背負っていたり、、ではあったけれど、ダルタニャンは性格が真っ直ぐで勇敢で、他のメンバーより明るく輝いていた。

デュマという人は「三銃士」も「モンテ・クリスト伯爵」にしても壮大な舞台を作り上げる天才で、本を手に取ると息もつかずに一気に読み上げたものだった。今でも覚えているのは子供向きに書かれた本の中で、フランス国旗を奪われそうになったとき、ダルタニャンが取り戻しに行くシーン。・・・友の制止を聞かばこそ息せき切って丘に駆け上り・・・まるで講釈師が見てきたような嘘をつくような一節、今思うと笑ってしまう。きっと子供向きに書き直していた編集者が興奮して書いたのだろうと思われるリズム感。ここで扇子でパンパンと音を出すのだろうと想像してしまう。

そういえば子供向きに編集した人もきっと、面白くてついこんな調子になったのだろうと思われる。今朝のニュースで遺骨発掘のことを偶々聞いて、ずっと忘れていたことが一気に思い出された。

本を読もう!私が忘れていた大切なこと。想像力や文字に対するセンスを養うことで豊かな感情が湧き上がる。音楽に対してもすごく大事なことを。










2026年3月26日木曜日

物書き

子供の頃からたいそうませていたので大人の小説を読み漁っていた。そして思ったことは、小説家は自分のことをなんでこんな赤裸々にかけるのか、恥ずかしくはないのかということだった。私なら恥ずかしくてこんなことを公にはできないわ。書くだけでも恥ずかしいじゃない。

今こうしてnekotamaなど書いているといつの間にか随分みっともないことも平気で書いるので、自分が大人になったからなのか、年取って羞恥心が希薄になったからなのか、よくわからない。最初のうちは公開する気もなく、おずおずと日記のように書いていた。自分のための記録であり、当時の周囲の出来事であり、後に読んでみたら面白いだうと言う気持ちがあった。

しばらく書いているうちにいつの間にかフォローしてくれる人が五人、未だにその数はふえないものの、時々時期にヒットした話題などでは100人超えたり、ほそぼそと続いて読んでくださる人がいるため、やめられない。私としては私がまだ生存しているぞというメッセージのつもりなので、もしある日からふっつりと投稿が途絶えたら死んだと思っていただきたい。こんなことを読んでくださっているのかと思うこともあって、それなりに嬉しいけれど、責任もあることだなあとじっかんしている。

今はこうして毎日のように投稿できるけれど時々大きなショックを受けたときとか、心にわだかまりが充満しているときには全くかけなくなることがある。そういうときには、作家というのは大変な仕事だなあと思う。新聞の連載などは毎日本当に大変なことで、こんなたわ言のブログであっても、スランプはちゃんとくる。

最小単位のこだわりといえば、政治の分野での投稿は差し控えようと思っていたのが、今はだんだんむかっ腹がたってきてムズムズする。なんともなく書いたことで大騒ぎになるようなネットの世界は怖い。ちょっとした悪意で大事になる危険性を孕んでいる。それでも臆面なく自分の非を認めないどこぞの大統領のように鉄面皮ならいざ知らず、ひ弱な一個人としては今生きているだけでも青息吐息なんだから、これ以上の揉め事は手に余る。というので楽しいことだけ考えようと思っている。

昨日健康診断を受けて思ったのは、私の取り柄は健康だけだということで、毎年ところどころ具合が悪くても今までは無事に生きてこられた。私の年代で自分で車を運転して付き添い無しで病院へ行けるということだけでもありがたい。そのありがたい人たちが集まって、時々食事を一緒にとる。皆さん頭も足もしっかり、だれもまだボケていないというところがすごい!本当はボケているのかもしれないけれど、今のところ皆うまく隠蔽しているのかもしれない。

気の確かな5人、本当は6人だったのが一人欠けてしまって、花の季節には思い出す。思い出すと涙ぐんでしまう。ヴァイオリニストの北川靖子さん。ドイツのオーケストラでコンサートミストレスを務め、日本に戻ってからは私たちのボスとして中心的な存在だった。

非常に泰然とした性格で小さなことにはこだわらない。けれど、仕事に対しては、N響のヴァイオリン奏者であったお父上の教えを守り、非常に厳しかった。もう8年ほどにもなるかもしれない、それ以前から入院や手術を乗り越えて非常な苦痛にも耐えていたのに、誰にも弱音を吐かないから、情報がなくて心配していた。

多分彼女が最後と覚悟したとき、私は彼女と旅に出た。京都、奈良で神社を巡り、ご開帳でたまたま見られた仏様たちに快癒を祈ったけれど、翌年4月ひと足先に逝ってしまった。彼女が入院中は毎日メールで話をしていた。最後のメールは一日前のものだった。当時のコロナ禍の中で、最後に会えなかったのが返す返すも悔しかった。「病院の窓から見える車のヘッドライトは、こちらに向かうあなたの運転する車ではないかと思うのよ」と。泣きました。

ときには腹を立てて喧嘩もしたけれど、4月になると無性に悲しい。そしてこんなことを毎年書かなくてもと思っても、またどうしても書いてしまう。










2026年3月23日月曜日

さくら開花

 毎年私が自慢げに自宅前の川沿いに咲く桜を語るので、もう聞き飽きたと思う方々、でもまあ聞いて下さい。

ソメイヨシノの寿命は大体60年と言われるけれど、実際には100年のものもあり、管理が良ければ130年以上の個体も現存しているという。私の家の前は用水路があって、川の両側に桜が植えられたのは戦後まもなくだから70年ほどの年齢。

今や老木が目立ち、幹にきのこが生えているものや枯れ枝を切り取られて木としての形が変形しているものも多く、ややみすぼらしい。幸い我が家の前は護岸工事で切り倒されてその後若木が植えられたので今壮年期。一時期、満開のときには両岸から覆いかぶさるように川に向かって頭を下げていたものが、これも工事のため手前が切り倒されてスカスカの状態だから、目黒川などの名所と比べると見劣りするけれど、それでも毎年お花見は我が家の恒例行事だった。

スキーの仲間「雪雀連」と言うグループが一時期は20人近く狭いレッスン室に集まった。しかしながら彼らは花などどうでもいい、お酒が飲みたいという連中なのだ。花見後のごみ捨てのときはさすがの私も恥ずかしいくらいの酒瓶がゴロゴロ捨てられ、あまりの量に二週間に分けて捨てるなどしたものだった。その頃が最盛期、今やもう飲める人もいない。せいぜいワインが2,3本。日本酒の四合瓶が2本くらい。寂しくなりました。

そして今年はメンバーの一人が体調を崩したので花の咲くうちに花見はできない。多分来月後半にでも花なしの「花見たつもり会」でもしようと。何よりいいのは我が家の二階から花を見下ろして、ついでに道を通る人達を眺め、時には通行人から声がかかる。ベランダでサンマを焼いていたら「わあ、おいしそうだなあ」なんて。通行人に向かって挨拶をするメンバーも居る。「僕、アオちゃんです」たまたま下を通りかかった私の姉が笑いながら今でもおかしそうに笑う。

思い出しては私も笑う。思い出だけでもこんなにおかしいのだから、当時は毎日泣き笑い。泣くのが3%、笑うのが90%。残りの7%が怒っていた。今は怒りが50%くらい。戦争が終われば多分もとに戻るけれど。

パールハーバーが卑怯なら同じことした大統領、あなたもおなじですよ。墓穴を掘ったわね。
















2026年3月20日金曜日

うちのネコをよろしく

マウスが復活したので俄然仕事が早くなった。こんなにも効率化されるとなにか書かないといけないようになる。けれど、最近はどこかの大統領のお陰で面白いニュースも楽しい話題もなくなってしまった。戦争ばっかり。大体他人の家に突然ドカドカと乗り込んで、そこの家の住人にお構いなく家庭内を引っ掻き回すなんて、普通なら犯罪じゃん!それが許されるなんてもうどうかしている。

とばっちりは関係もない日本人の私まで及んで、生活苦ですよ。少し買い物すると以前の2倍以上の請求書、私の膝はここ数年来痛みが止まらず階段の昇り降りが辛かったので、今年は階段に昇降機を取り付ける計画をしていた。去年、レッスン室の防音を強化、次は今年の光熱対策、夏場の暑さを避けるための強化ガラスの 窓を新しく入れた。それらの工事費が大変嵩んで随分預金も減ったしお腹も減るし、お腹の脂肪は減らないし。アハハ。それで考えた。まず今年は貯金に励もうと。昇降機をつける相談をしたらリフォーム会社の社長が「そんなものつけないで自分の足で登ったらどうですか」と言う。人の苦労も知らないで。

入ってくるものは年々目減りの一途だから使うのを減らす。ところが予想を上回る値上げラッシュで今や計画は遅々として進まず、手元にある現金は一斉に羽ばたいてとこかへと飛び去ってしまう。これはいかん。手元にあると私は見境なくものを買うから、閉じ込めて使えないようにしておこう。これはいい考えだと5年間は現金化できないように金融機関に預けた。

そして預金高はしょぼしょぼと残っているものの、金額を見るとため息が出そうになる。それでもこれで少しでも浪費しなくなるだろうと、私なりの蓄財術なのだ。それともう一つ、8年近く悩まされていた膝痛が治ってしまった!何と言うことか、確かに治療には通っていたけれど、それほど頻繁ではなく、特に整形外科の治療に行くとかえって症状が悪化するという状態で、もう一生のお付き合いかと思っていたのに、それがケロリと治っただけでなく早足までできるようになった。

それと、机の引き出しから何年も前に通っていたマッサージのお店の回数券を発見。それがまだ有効なら使えると、すごく得した気分でいる。もともと私が倹約し始めるともっと貧乏になるというジンクスがあって、使っている方がよく回っていくのだけれど、この先の見えない世の中で野放図にお金を使うだけの勇気はない。

疎遠になっていた友人たちと次々と再会を果たし、いつお別れが来ても心残りなくしようという気持ちでお付き合いしている。毎回お別れのときにはもう二度と会えないかもしれないと思って挨拶を交わす。最後の仕上げは着々と進んでいるのに、いつの間にか再会の約束をしていたりで、忙しいのなんのって。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄著︀ という本がある。象さんは脈が遅い。ネズミさんは脈が早い。それで長生きの象さんも短命のネズミさんも結局はそれぞれの時間での一生を全うする。だから決してネズミは短い人(鼠)生ではないということらしい。

私の人生は「象とネズミの時間」で怠けるときは徹底して、勉強はそれなりにだから、もしかしたら長生きかもしれないけれど、明日にも終わるかもしれない。いつ終わってもいいけれど、猫たちが心配でかれらより1時間でもあとに逝きたい。もし猫が残ったらどなたか、よろしくお願いします。やっと幸せな毎日を送れるようになった野良たちが、また可哀想な境遇に落ちないように、よろしくお願いします。








2026年3月19日木曜日

ネズミ生還

 去年の暮れあたりからずっと使っていたパソコンのマウスの具合が悪くて、自分ではどうしようもないのでパソコンに内蔵されている指で動かすマウス(こんな説明でわかりますか?)で作業をしてきた。その操作にもすっかり慣れて何不自由なかったけれど、やはりマウスがあればより効率が上がるなあと、思っていた。

すっかりその作業にも慣れて自由に使えるようになったけれど、ついさっきマウスを手で触ったら何やら画面が動いた。あれ?この子生きていたの?高価そうなマウスだったので、それとコード付きなのでうっかり者のわたしが取り落とすこともない。便利に使っていたのに、最近は「パソコンの本体についている指で操作するマウスの役割のもの」にもだいぶ慣れて来たところだった。ここの部分はなんというのだろうか。あとでAIさんに訊いてみよう。

なんだ、君、生きていたんだね。でも不思議、何回やっても使えなかったのが今頃どうして?新しいマウスに取り替えようと買ったものの、今度は接続がわからない。友人の娘さんのY ちゃんが接続してくれるといったけれど、彼女もいそがしい。私も最近忙しくてなかなか頼めなかったらいつの間にかマウスが復活したということ。新しいマウスはそれならスペアということにして、おなじみのマウスを使い始めた。

最近は友人よりもその子供さんたちにお世話になることが多くなった。そして今年9月には小さい頃から教えてきて音大大学院を卒業した、かつての教え子といっしょに演奏することになった。負うた子に教えられるというけれど、なにか教えてくれるかな?

あちらとしては私が引退したというので一緒に弾くことはもうないと思っていたかも。ところが私がゾンビのごとくフラフラと生き延びて共演しないといけなくなって、おやおやといったところかもしれない。こちらは次世代に繫げられて本当にありがたいと思っているけれど、彼女の方はステージでいつ居眠りをしてしまうかわからない老先生にハラハラしそうだなあ。

彼女はそのコンサートの2日後に東京文化会館の小ホールでソロをひくというので、私は「忙しすぎない、大丈夫?」と訊いたら「大丈夫です」と、こともなげにいう。よくぞここまで育ってくれたものだと私は感無量。

だいぶ前にnekotamaに書いたけれどもう一度。

あるとき仕事場で昔ばなし。私の少し年下のヴァイオリン奏者が言った。「nekotamaちゃんは、昔はほっそりしていてバンビちゃんみたいだったよね」すると自分の母親が私と同世代だというもう一人の男性が言った。「でも今はゾンビちゃんですね」

一瞬周囲がヒヤーっとして黙り込む。しかし一番受けて大笑いしたのは言われた本人の私。こういうトンチは座布団何枚も上げたいくらい。今でも時々思い出しては笑っている。
















2026年3月16日月曜日

遠方より助っ人時々

古い友人の娘さんがなにかと気をかけてくれて、助けてもらっている。事務的なことにからきし苦手な私はSOSを発信。私がぐちゃぐちゃにした書類をあっという間に整理してクリアファイルに挟み込むと、こんなに少しになるものかと驚くほどきちんと揃う。面倒な作業が終わって二人で近所の居酒屋にいった。

この店は魚料理の店で、お寿司もおいしい。最近ワインとチーズの店を見つけたのでそちらに行こうかと言っていたのだけれど、気がついたらランチタイムを逸していたので、此方に急遽変更した。しかし良い時代になった。以前なら女二人で酒を飲んでなど、ちょっと気が差すようなところがあった。今は普通に大衆酒場に行っても驚かれない。

私は仕事をずっと続けてきたから、一人で地方に行って仕事をすることも多かったし、仲間たちとは別に出かけて仕事の当日に皆と合流するようなときもあった。それで一人で店に入ることもなんとも思わなかった。しかもレストランなどではなくいわゆる飲み屋に入るのもさほど抵抗はなかった。そういうお店はご飯が美味しいから時々利用した。

いい年した女性が1人、暖簾をくぐってとなるとやはり特殊な場合(嫁に追い出された姑とか)らしく、たいていその店の女将さんが出てきて話しかけられる。私はどう見ても陰気ではないのでしばらくお相手をしてくれて安心して厨房に戻っていく。

高崎にいったとき夜食を食べようと店を探したら、男装の麗人が話相手をしてくれるバーがあった。キリッとタキシードを着た美女が出てきたのでびっくり。相手は私のような高齢者が夜中にちょっと飲みたくて寄ったことに驚きもしないで話相手をしてくれた。これは少し新鮮な体験だった。

レマルク「西部戦線異状なし」の女主人公がカルバドスというお酒を飲む場面がある。私はそれを読んだのが小学校6年生のときだったので、それがどんなお酒なのか確かめるすべもなかった。けれどその高崎での夜にはふとそれを思い出したので訊いてみた。「カルバドスってあります?」そのときはハズレだった。後に志賀高原のスキー場のラウンジでやっとみつけたけれど、私にはそれほど美味しいと思われなかった。もし今後フランスに行くことがあれば試してみたい。ノルマンディー地方の林檎酒らしい。

それで我がAIさんに質問した。「西部戦線異状なし」に出てくるカルバドスというのはどんなお酒?回答はそんな場面はありません、だった。しかも私は主人公の恋人がそれを飲む場面を覚えていたのだけれど、なにか他の小説と混同しているのかしら。これはもう一度小説を読むっきゃない。しかも主人公に恋人はいないだと!!小説自体を取り違えているとか?

大体戦場が舞台だから女性が出てくるのはほんのちょっと、だそうです。

ああ!今思い出した。題名が違っていた。「西部戦線」でなくて「凱旋門」でした。書いてみるものだわねえ。でもAI が「凱旋門」を出さなかったのはどうしたことか。同じ作家なのに。

「凱旋門」は大戦前の不安定な社会状況の中で恋人との関係、戦争前の不穏な雰囲気に揺れる女心がえがかれていて、そのカルバドスが要所で小道具として出てくるのですよ。よくあんな心を小学生の私が理解したものだと思うけれど、本当にわかっていたのかどうか、これからたしかめてみよう。

凱旋門は恋愛、西部戦線は男の子の物語、でした。

少し前、お風呂場でバスタブに頭をぶつけて以来頭痛と物忘れが酷かったけれど、確定申告を済ませたら急に頭がはっきりして、こんな古い記憶が蘇った。にっくき確定申告め。やれやれ。


















2026年3月15日日曜日

春眠快眠

何回見てもここしばらく耳垢の話が居座っていて申し訳ありませんでした。なかなか忙しくてブログの更新は後回しになっています。それでもこのようにnekotamaに来ていただいてありがとうございます。

明日は確定申告の締切日、なんとか提出できそうですが相変わらず自分では何がなんだかわからず泣きそうな毎度の緊張感。私は本当に金銭感覚がない。それでも必死で最近の物価上昇に節約の工夫もしているのですが、身についた浪費癖は一向に収まらない。そしたらyou tubeで見つけた占いには、ああ、なんということか、基本的に私はお金を出す人だそうで、そのために大金持ちにはなれないけれど、天の助けがあって超貧乏人にはならないそうで、運がいいのか悪いのか。

それにしても米騒動以来の物価値上げがあまりにも大幅で、流石に私でさえも危機感を覚える。今まで、例えば100万円あったとすると、その100万円が今では50万円くらいの価値しかないとしたらちょっと怖い!いつまで物価が上昇するのかと思うと迂闊に買い物はできない。

面白いもので物価の上昇は、人によっては嬉しくなることもある。自分の持っている土地や建物などが値上がりすれば嬉しい。けれど、これから買おうと思っている人はとんだ災難になる。ああ、早く買っておけばよかったなど。だから不運だと嘆いても決して諦めないほうがいい。いつかは自分も運が良くなることもあるのだから。もっと良いのは買ってしまったり買いそこねたりしたものをくよくよ嘆かない。いつかは立場が逆転することは多々あるのだから。

占いによれば、私の今年の後半から運勢がガラッと変わるそうで、大変楽しみにしているのです。このご時世では変わってもろくなことがありそうに思えないけれど、私は変化を非常に好む。いつも現状維持の人ではなくて修羅場を好むから、変化は大いに結構。ただし年が年だからあまり強い刺激には耐えられそうにない。修羅場で居眠りしてしまいそうで。今や睡眠障害だから一番の関心事は睡眠。

それで広告につられて快眠を得られるパジャマを買った。しかし、高い。パジャマごときにこんなお金を使っていいものかと考えたけれど自身の体に投資するなら仕方がない。ところがこのパジャマ、すこぶる優れ者。石油由来の製品だというから少し肌触りが気持ち悪いとか、温かみがないとか思ったけれど、着てみたらじんわりと優しい暖かさ。このように自分の気持ちにフィットしたときは、この買い物は大成功ということになる。そしてここ数日よく眠れる。

私はずっと自然素材派だったから、この年代になってもほとんどの衣類は木綿、絹、ウール以外はあまり着ないことにしていたけれど、今回は化学素材さま、おみそれしました。じんわりと暖かく臭みがなく、新品を着たばかりなのにオリーブオイルをこぼしてシミをつけた。それも洗えばすぐに落ちる。肌に違和感がない。

イギリスのダイアナ妃のエピソードがある。あまりにも薄着の彼女を心配した子供が「寒くないの?」と尋ねると「いいえ、寒くないわ、ダマールを着ているから」と答えた。野次馬の私はすぐにダマールを買ってきた。身につけると確かに温かいけれど、なにか肌が拒否するので一回で着るのをやめた。

イラン戦争のさなかに石油製品を買ってしまうと、そのうち品切れにならないかと心配になってきた。たいそう気に入ったので、それでもう一枚買おうかどうしようか迷っている。石油不足で値上がりしたらその前に買っておけば良かったと思うだろうし、戦争が終わって世の中安定した頃、物価が下がり始めたら待っていれば良かったと思うだろうし。だから気にしないのが一番。とりあえず車にガソリンを入れるかどうかで迷っている。今がピークでも政府の石油対策で値下がりしたら損したと思うだろうし。だから何度でも言うけれど、気にしないのが一番。

最近はスーパーに行ったらお米が店にずらりと並んでいる。だから言ったでしょう、少し待ってって。商売でどうしても米が必要でない限り家庭ならいくらでも代用品はある。戦争に巻き込まれたのでない限り少し我慢していればもとに戻るのに、大騒ぎして買い漁っている姿を見ると、バカバカしくなる。なければ工夫して新しい料理のレシピが生まれる。あの騒ぎは古くなった備蓄米を消費させるための芝居ではなかったのかと勘ぐりたくなる。















 

2026年3月7日土曜日

耳垢除去の功徳

 耳掃除の結果、笑っちゃうけど、急に聴力が良くなった。聴力検査の結果、10年前に受けた監査結果とさほど違いがないらしい。それでも今は花粉症の一つの症状だと思うけれど、鼻の周囲がすごく鈍くなった感じがする。これは中が腫れているということかもしれないのでまた耳鼻科に行こうと思っている。この花粉飛来の最盛期に行くと混雑した待合室で待たなければならないから、少しブームが去ってから。

今朝パソコンで遊んでいて気がついた。なにか、かすかにチチッチチッと音が聞こえる。ん?なんの音かな?聞き覚えがあるから私の身の回りにあるものからの発信だと。例えば電池切れを知らせるSOSとか。あちこち聞きまわっても、どうやらこの部屋でなくもっと遠くからの音のようだ。ドアのそばまで来るともっと外から聞こえる。隣の部屋に行くとテーブルの上が発信源だった。

そこにいたのは、固定電話の子機がスタンドから放り出されて助けを呼ぶ声と分かった。かわいそうに一晩中充電されず、おなかがすいたとわめいていたのだ。

しかし耳の状態がよくなったら、こんなかすかな音でも聞き逃さない。皆さんも聴力検査、耳掃除、おすすめですぞ。まあ、こんなご時世、耳にしたくないことも多いけれど、耳には自分の都合の良い音だけを選択できる能力があるのだから、都合の悪いことは聞かないか聞こえないふりをすることもできる。これも一種の生き残りの術と心得て長生きしましょう。

で、私といえば、耳鼻科医院に行ったときに自分が段々とぼけてきたなと思える行動があった。すごく久しぶりの受診だったので保険証と受診カードを受付に置くと、なにか訊かれると思って受付窓口に突っ立っていた。しかしここの受付は必要以外のことはしゃべらないように教育されているらしい。なにも言われないけれど、ぼんやり窓口から中を覗き込んで立っていたら「なにか?」と訊かれた。そこでハッと気が付く。そう、立っている必要はないのだ。なにもいう必要もない。ちょっと恥ずかしい。

相手は、ちょっとぼけ始めたおばあさんが所在なげにたたずんでいると見たのだろう。外側からの図を想像して思わず笑いそうになった。でも「今朝はまだご飯食べてないから」なんて言ってみればよかったかも。観客の期待に添えたかもしれない。こういうけったいな思考が私を間抜けに見せるのは重々承知しているけれど、馬鹿なユーモアセンスが私にやれやれとけしかけてくる。そのセンスのおかげで今までどれほど損をしてきたことか。











今日もまたシニア連合

私は困っていた。レッスン室のトイレが故障して水が流れないで溢れそうになる。これは一大事。今までだましだまし使ってきてときには困ったことになっていたけれど、なんとか薬を使って乗り越えてきた。慌ててリフォーム業者さんに連絡をすると、春先の引っ越し の多い時期で職人さんが大わらわ、ずっと先まで空いていないという。

今日は友たちが集まってシューベルトなどを奏でる日。

まあ、仕方がない、客人には他の部屋のトイレを使ってもらおう。今回は親しいというより、もうあまりにも長い付き合いで裏も表も皆ご存知の仲間たちだから恥ずかしがることもない。汚い猫部屋の方のトイレをどうぞと言って使っていただいた。

のっけから尾籠なお話で申し訳ない。しかし、こういうことはいつ何時災害が起きるかもしれない。その時にとても大事なことで、もしかしたら一番大事かも、今回はせっかくだからこれを機に備えることにしようと思った。災害用のトイレとか食料の備蓄とか。しかし、只今すべての物価上昇の上、イランを襲うアメリカ、イスラエルの戦争で石油価格も高騰しそうだし、お金はおいそれとは使えない。またいつだったかのオイルショックが我が国を襲うのだろうか。

あの時慌ててトイレットペーパーを買いに走った人たちを、私は冷たい目で眺めていた。時が経て静まるさと。今回もその時と同じなら慌てることはない。数ヶ月くらいは持ちこたえられるからと。ほらご覧!お米の値段が急落しているとか。

でも今回の世界の指導者たちのなんとお粗末なことか。こんな人達を選挙で選ぶ国民も国民だし。人の家に勝手に上がり込んで、そのうちの問題を頼まれもしないのに解決してやると言って、自分の利益や戦争の口実に使うとは何たる暴挙。学校や病院に爆弾を落とすとは!

それに比べて我が友、シニア連合の平和なこと。各々武器ならぬ楽器を持っていざ戦いを。丁々発止と火花が散るけれど、終われば持ち寄った手料理やお菓子で大いに話が盛り上がる。戦うだけのために行動するのは失礼ながらおバカさん。なぜいい年してそれがわからないのか。年はこうやってとるものですよ。

私は若いときとても元気で年をとることがどういうことか、よくわからなかった。そして今後悔することは、家を建てるときに将来のことを考えて作るべきだったと。今一番困っているのは足のこと。最初からエレベーターをつければよかった。それは決して安くはないけれど、足の弱りは誰にでも来るから必需品になる。エレべーターがあれば一人で自立して老後が暮らせる。私の楽友たちが重たい楽器を持ち上げて階段を登らないですむ。

そしてお風呂のこと。一人で入れるようになるべく低めのバスタブ、寝ながら入っていられるから楽だし安全。バスタブの出入りもしやすい。中には集団で暮らすのが苦にならない人もいるけれど、私は集団生活ができないのだ。だから施設では暮らせない。最後まで自宅にいたい。

お互い年をとってもなお楽器の演奏ができるのは仲間たちのおかげ。この楽しみを捨ててなるものか。




















2026年3月4日水曜日

雨がやんだら

 今日は晴れて強風の一日、昨夜は夜通し猫が表に出たがって大騒ぎ。オス猫のグレちゃんはトラウマがあるらしい。きっと以前に、知らない間に家に閉じ込められて逃げられなくていじめられたのではないかと思う。私はずっとかわいがっているのにそれでも人間は信用できにゃいのだ。窓を締めてしまうと恐れて大騒ぎする。雨だろうと風だろうとお構い無しに逃げてゆく。ちょっとした音と温度の変化で窓が空いているかしまっているか感じ取る。この敏感さが彼を生き延びさせているのだ。

人間はこの寒さでまさか窓を開けっ放しで眠れないから、気が付かれないようにそっと閉める。餌を離れた場所においたりして。それでも途中で、ハッと気がつくと「あけろー!」と言って大騒ぎする。その時には温厚なグレは豹変してヤクザ猫になる。

幸い今朝は早くから晴れて夜中に出ていったグレもいつの間にか帰って来て澄まし顔で自分のタオルの上で毛づくろい。早朝出かけたのんちゃんが何処かで彼を見つけて「お兄ちゃん、もう開いたよ」なんて言うのだろう。二人揃ってあちこちでご飯をもらっているらしい。お陰でこの物価高の日々、猫の餌代が半分くらいで済むのはありがたい。

今朝、目が覚めると、片方の耳が痛い。これは心配。先週から鼻が腫れたような感覚があって耳が痛かった。病院の定休日だったので明日行こうと思っていたけれど、次の日は痛みが消えていた。それで診察も受けず放置したら、その後良くもならない悪くもならない状態。しかしちょうど一週間目にまた耳の痛みが始まった。

耳はヴァイオリン奏者の命。これはもう急いで病院へ。ところがものすごい混雑で1時間半も待たされた。先週、この病院のホームページを覗いたらひどい口コミを見つけた。医師の態度が悪いと言って、最後にヒステリックに「もう二度と行きません」と。そうかなあ、私はこの病院はとても気に入っているので不審に思った。これだけ患者さんが来るというのは信頼されているということでしょう。

要するに医師が雑談に応じてくれなかったいうだけのことのようだ。お世辞も言わないし必要以外のことは言わない。まさに私が気に入っているのはそこなんだけどなあ、色々な人がいるなあ。おかしかったのは先生を擁護する熱烈な書き込みがその後2通あったこと。うちの先生を悪く言うなという常連さんのものらしい。

大体誰にも好かれることは不可能なんだから、先生は気にもとめないと思うけれど。無口な代わり、診察はとても早い。今日は稀に見る花粉の災害日だったらしいので混み合いが半端なかった。

私の耳は最近少し遠くなったかと思っていたら、あな、恥ずかしや!耳垢が溜まっていた。除去器具で吸い出したら、まあ!じっと自分のブツを見ていたら「まっすぐ向いて」と注意された。その後聴力検査を受けたら、問題なし。これで安心してヴァイオリンに戻れる。以前この医院で聴力を調べた記録があって、それがちょうど10年前。それと大差ない内容だから私の耳はまだ使えるらしい。良かった!















2026年3月3日火曜日

横倉の壁

昨日放送の「帰れマンデー」という テレビ番組は蔵王が舞台。今頃は樹氷で雪のモンスターをみたいというスキーヤーと観光客でさぞ賑やかなことでしょう。

今から約60年以上前、運動神経の持ち合わせがないのに大学の体育の授業の単位を取るために参加したスキー。初めてのスキー板は170センチもあって、ストックに至っては竹製で、ブーツは革靴で編み上げのもの。手袋は薄くてあっという間にびしょ濡れになってしまう。物のない時代、ヤッケも薄い綿入れという軽装備。

講習は大学の体育の教師が受け持つのだからひどいもので「まっすぐ滑ってこーい。止まりたかったら転べー」無茶苦茶な指導だった。幸い私が入った班は地元の若い指導員だった。それでも彼はヤッケも着ていなくて、赤いセーターで白いパンツ、格好いいけれど、すごく寒かっただろうに。体育の教師に教えられていた人たちは不満そうで、毎日私たちの班の人数が増えていく。みんな、こちらの班に来てしまった。

夜行列車でついたので午前から滑り始め午後には止まり方も覚えて、見様見真似で曲がり方も覚えた。若さとは偉大なもので、ほとんど怖いと思うこともない。小学生の頃は全く運動神経がないと思っていた自分が、案外とこのスポーツはあっているのではないかと目覚めた。

二日目には初めてリフトに乗った。高いところは超絶苦手のはずが不思議と怖くない。大平コースを無茶苦茶だけど、降りてきた。しかも途中で段差があってもジャンプしながら爽快感を味わった。よほどこの遊びが気に入ったと見える。大平コースの最後は木の下にある穴にあたまからコケるという結果だったのに。

最初のスキーは蔵王だったのでその後10年以上は毎年蔵王で過ごした。けれど暖冬が続いた頃、雪質が極端に悪くなって、低いところにあるゲレンデはときには水浸しという悪条件が重なり、徐々に志賀高原に移動していった。定宿もできてその後定着してしまった。というわけで蔵王の雪景色を久しぶりに映像で眺め懐かしさでいっぱいになった。

蔵王ではロッジの家族とは親戚のような交流もあったし、また行きたいといつでも思っていたのに決まるのは志賀高原で、そこのホテルとも親戚みたいになって雪国の人たちは暖かかった。

蔵王は朝一番でロープウエイに乗っててっぺんまで上がってしまわないと混んで大変だった。ロープウエイの順番を取るのは至難の業、当時スキー人気が最盛期で1時間や2時間待つのは普通のことなので、朝食が終わるとタクシーでロープエイの乗り場まで行って順番取り。それで上に行くとほとんど人のいない真新しいゲレンデが独占できるのだ。

今日のテレビでも蔵王といえば樹氷という設定。タレントさんが軽装でマイナス11度の樹氷高原を、しかもてっぺんにあるお地蔵様のところまで行ってホワイトアウトに巻き込まれている。仕事とはいえ、危険じゃないのかな。やはり雪山ではちゃんとしたそれなりの服装をしないのはまずい。寒さとホワイトアウトに巻き込まれて、事によったら事故らないとも限らない。たくさんスタッフがいても皆動きやすい軽装でハラハラする。雪山を舐めるなよ。ちょっとでもゲレンデをそれたら、もう命がけだということを。

私の心残りは、蔵王といえば横倉の壁と呼ばれる有名な急斜面がある、そこをついにすべらなかったことなのだ。まだ若くて一番血気盛んな頃、二回ほど挑戦しようと思ったことがあった。それまでは急斜面と言っても35度くらいのゲレンデの途中にほんの少しだけ混じって出てくる斜面には経験がある。それもほんの短い間なら40度でも耐えられるけれど、横倉は特別。上から見てもほとんど斜面は見えないくらいの急角度。つれに「私も滑れるかしら」と聞いたら「行けば行けるよ」と無責任な答えがかえってきた。行くか行かないかだけで、やってみたらというから恐る恐る実行しようと思い、上まで行ったら雪不足でゲレンデは閉鎖されていた。その時のホッとしたこと。口では残念なんて言いながらお腹ではああ良かった。

次の年も上から覗こうと思ったらもう綱が張ってあって閉鎖、結局横倉の壁はすべらずじまい。その後、志賀高原に変更してしまったから。滑ったからと言ってどうということはないけれど、もしゲレンデが普通の状態ですべらなかったら、自分で臆病者と自分を罵ることになる。

一度、試しに志賀高原の急なコブ斜面を一人で降りたことがあった。これで今日はおしまいにしようと思っていたのに、夕暮れでもう誰もいないので、どんな不格好にでも降りられるからと最初のコブは乗り越えた。そして半分も行かないうちに雪溜まりに突っ込んで板が抜けなくなってしまった。妙に足がねじれた形で硬い雪に板を取られて抜けない。このまま抜くとペキッと骨が折れるかも。とにかく抜いてくれる人が来るまで待とう。

もう日が暮れて来て、誰も降りてこない。もう夕飯の時間だから、私が宿に帰らなかったら誰か来てくれるだろうと気楽に待っていたけれど、そのうち心配になってきた。なぜか夕飯が食べられないということばかり考えていた。その時一人降りてきた人がいたので叫んだけれど、その人も目一杯だったらしく聞こえなかったらしい。またしばらく待つと、降りてきた最後の人に声が届いた。

板を抜いてもらいゆるゆると降りていくと、その人は下から私が降りきるまで見ていてくれた。それなのに「これで夕飯に間に合った」ということばかりしか頭に浮かんでこない。どうも危機感が薄く、周りに迷惑かけたという反省がない。空腹は恐怖に勝る。

スキーのゲレンデは自然のままの地形だから、中級くらいのゲレンデでも一部分だけ急斜面のことも多い。その時にその一部分を滑りきってしまえばいいと思うから恐怖心はない。けれど、急斜面が長く続くと思うと足がすくむ。「行けば行ける」というのはそういうことなのだ。

以前ホワイトアウトのことを書いたことがある。その時の周囲の視界は足元しか見えなかった。コブ斜面であるとはわかっていたが、後で晴れたときに見たらコブの急斜面、いつもならそんな斜面にはいかないのに、見えないために滑る事ができた。笑ってしまう。「行けば行けるのよね」横倉の壁だって?恐怖心が行動を制限するのだ。




























2026年3月2日月曜日

ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ

 「ローマの巨匠たち」この合奏団の演奏は、私は中学生か高校生のときに聴いた。横浜県立音楽堂しか近くにめぼしいコンサートホールもない時代だった。何を聞いたかはあまり覚えていないけれど、トップはフェリックス・アーヨ。生まれて初めてきいた素晴らしい弦楽合奏の音に魅せられたのが私の運命を決めた。

その時のプログラムで知ったのはアーヨがいかにいたずらかということで、周りを悩ましていたという。これもおぼろげな記憶だから、またお叱りをうけそうだけれど、となりにいる人は、いつの間にか靴紐を左右結ばてしまうとか、椅子の脚に繋がれてしまうとか、様々ないたずらを受けたらしい。それって危険だなあ、と子供心に思った。楽器持っている時にはまさかやらないでしょうね?

へえ、ヴァイオリン弾く人は変な人たちだなあなんて。その後私がヴァイオリン弾きの端くれとなってよくわかった。ヴァイオリン奏者はいつも緊張している。奏法が飛び抜けて難しい。音程も幅が狭く、正しく演奏するには常に緊張する。練習時間も飛び抜けて長い時間を要する。半分気が狂った状態で何かあれば膨らんだ風船を針で突いたときのように、破裂する。もうみんな破裂寸前。常にハイになっているから、ハチャメチャやりたくなる。わかるわかる、私も随分いたずらして叱られていたもの。

オーケストラに入った頃、先輩にいたずら小僧がいて、自分の楽器を椅子においたまま席を離れ、戻って来るとすっかり調弦が変わっているとか、調弦だけならいいけれど、弦が張り替えられていたり、鉛筆の芯がゴムでできていて書けないものにすり替わっていたり。弓の根本にネジがあって、外せるようになっている。そこを外すと弓の本体の木と馬の毛が2つに分かれる。その馬の毛をひとネジリしてネジをもとに戻し、なに食わぬ顔で獲物を待つ。なにもしらない持ち主は弾き始めると馬の毛がねじれているからまっすぐに弾けない。もう散々いじられたものだった。

今は皆楽器も弓も大変高額なものだからそんなことしたら訴えられるけど、その頃はまだ高額な楽器を持っていつのはごく限られた人だった。その後は他人の楽器に手を触れるような人はいなくなった。古き良き?時代の話。

一番やられたのは新人に楽譜を見せない。ある大先輩はご自身が暗譜しているから楽譜はいらないとばかり、裏返しにされてしまう。まだ覚えていない新人は諳譜では弾けないから泣くところだが、私は超人的な視力の良さで難なく切り抜けられた。両目視力が1・5だったので前の席の楽譜が普通にみえたので。いくらやってもめげない私に今度は嫌味で色々言われたけれど、大家族で育った強み、何を言われてもどこ吹く風。それから何十年も経ってフリーになった頃、私は彼より立ち場が強くなってしまった。だから弱いものいじめはするなという教訓なのだ。

フェリックス・アーヨはイタリアの弦楽器を背負って立つ名手だったけれど、私はその時以来彼に会うことはできなかった。ある時パスクワーレ・ペレグリー二さんというアーヨのお弟子さんと「四季」を弾かせてもらうチャンスがあって、彼の持っていた楽器を譲ってもらったことがあった。ペレグリーニさんはその時はイ・ムジチのサブコンサートマスターだったけれど、日本で演奏会のあと明日成田を飛び立つという二日前、日本で彼の楽器を売りに出そうと思って持参したものが売れなかったので持ち帰るという。

ちょっと見せてもらったらあまりにも汚く鳴りも悪いけれど、かすかに芯のところに手応えがあるのを聞き取った。ガブリエリという名のしれた制作者、それまでフレンチの楽器を持っていたけれど、今ひとつ迫力のない自分の楽器にあきたらずでいたので興味が湧いた。しかもこういう事態だから言値は半分までに下がっていた。

一晩貸してもらえたら買うかもしれないと言って、彼を成田まで車で送るからその時に返事をする約束をした。彼は日本の食べ物が合わず「海苔、あのブラックペーパーは悪魔の食べ物だ」なんて喚いていた。食べ物が合わず体調不良で気の毒だったけれど、成田までのドライブは快調、一晩弾いて楽器はよくなるようになった。かれも体調が回復したようで商談成立。それから何年かガブリエリは下手くそな私に弾かれて嫌だったかもしれないけれど、音色の良さは評判が良かった。その後私は今の楽器に出会ってガブちゃんは下取りに出してしまった。今は新しい女性演奏者に渡ったというところまではわかっている。

ローマの看板に偽りあり、話がそれていってしまった。もしかしてローマの巨匠たちの話が聞けると思ったでしょう?でも、その思い出はあまりに若かったので記憶があまりないのよ。昨日聞いたベルリンの巨匠たちで、ちょっと思い出したので。しかし、昨日の演奏は心の内部に深く入りこみ、ローマ合奏団は輝かしい明るい響きに未来を見せられた、私の進路を決めるような音。どちらも私にとって運命の出会いでした。







2026年3月1日日曜日

7人のヴィルトゥオーゾたち

ベルリン・フィルのメンバーで構成されたアンサンブル。

ヴァイオリン 樫本大進 ロマーノ・トマシーニ  ヴィオラ アミハイ・グロス

チェロ クリストフ・イグルプリンク コントラバス エスコ・ライネ

クラリネット ヴェンツェル・フックス ファゴット シュテファン・ツヴァイゲルト


ベートーヴェン:クラリネットとファゴットのための二重奏曲第3番

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 ハ短調 作品9-3

ドヴォルザーク:弦楽五重奏のためのノクターン 作品40

ルーセル:ファゴットとコントラバスのための二重奏曲

ブラームス:クラリネット五重奏曲 作品115

友人にチケット購入を依頼してあったので、詳しいプログラムは知らなかった。待ち合わせてチケットを受け取っても会場に入るまでは曲目は知らない。この曲が聞きたいというよりもベルリン・フィルの人たちのアンサンブルというだけで、本当のことをいえば、トップが樫本だという事も知らなかった。ごく華奢なヴァイオリニストが大柄な他の奏者たちと素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれたと思ったので、途中で友人にトップは誰?と訊くと「樫本よ」というから驚いた。すごく華奢に見えたので。

樫本のリサイタルは毎年のように聞いていたし、でもあんなに痩せていたっけ?他の人が大柄だから痩せて見えたのかな?透き通るような美しい音。ガルネリ・デル・ジェスから宇宙の青い空間のような世界が広がる。

一番目のクラリネットとファゴットの二重奏曲の最初の音を聞いた途端、私はもう現世の人ではなく冥界に入ったような状態になった。深い瞑想に陥ってしまったような。深く深く降りてゆく、そして無重力の世界に浮遊しているような、ステージのたった一箇所に明るい空間があって。そこに自分が落ちてゆく。音が私を包む。なんと幸せな深い休息。

こんなに集中したのは人生で数回しかない。ポリーニのサントリーホールでの連続コンサート、ベルリンドイツオペラのパーカッションと日本の和太鼓とのコラボによるコンサート、ギターのラゴズニックとペーター・シュライヤーの冬の旅等。今まで聞いた数多いコンサートの中でもいつまでも心に残る音の世界がこっそりと私の中に住み着いてしまった。胸の奥に温かい隠れ家があってそこにひっそりと隠しておきたい。

いい音を聞くと本当に幸せ。最後のブラームスのなんと素晴らしかったことか。一つ一つの楽器が別々に聞こえるのではなくて、例えば繭の中にくるまれた共鳴体が振動しているような、文字では言い表せないからこの辺でやめておきます。

もう少しうまい表現ができるようになったらもう一度書いてみようかと思いますのであと百年後にまたお会いしましょう。




   

2026年2月27日金曜日

膝の痛みが消えました

ここ数年、膝の痛みに泣かされてきた。ベッドから起き上がるときは覚悟がいる。足を床につけるのが怖い。まず腰痛がないか確かめる。時々痛むのは仕方がないけれど、まずベッドに座って痛みの程度を確認してそろそろとスリッパに足を入れてゆっくり立ち上がる。

これを外側から見ればもう立派なポンコツ。そうねえ、もうすぐ82歳。元気だと思っていたけれど、故障があるのは仕方がない。まだ思いが断ち切れ ず毎日ヴァイオリンを弾くのは果たしていいことか悪いことかわからないけれど、他にすることもない。一人でいるのは決して嫌いじゃないけれど、いざというときに体が動かなければ助けがいるようになるのは嫌だなあ。

・・・と最近の状態が、今、すごい!どこも痛くない、に変わった。目覚めると腰は全く痛くないし、なんの心配もなくベッドに起き上がり、座って足をスリッパにいれるとためらいなく立ち上がる。すぐに足が前に出る。スタスタと歩ける。まさに奇跡!

一体何があったのか。大好きなスキーを滑ることもできなかったのに。一時的にかもしれないけれど、今は快癒の状態。体の一箇所だけでも、例えば指の先だけでも故障があると、体中のバランスが崩れる。痛みの感覚が常に行動を遮る。もしかしたら痛みを感じるセンサーが故障しているのかもしれないけれど、まずは、いつまで続くかわからないけれど、この状態を楽しみたい。。

しかし周りの人たちはそんな私を疑り深く警戒している。まだスキーはだめですよと。今やらなかったらもうチャンスはないかもしれないのに。ただし、今までの経験からいつどんなときにも警戒を怠らないと再発する可能性はあるけれど。ここで骨折でもしようものなら、寝たきりになるかもしれない。一番警戒しているのはこの私なのだ。

今年になってから思い切って整形外科の治療をやめた。心配だったけれど、診察とリハビリと受けてもシップ薬と痛み止めをもらうばかり。一生懸命スクワットを続け筋トレに励んでも一向に痛みが消えない。それでついに筋トレをやめて、以前友人から紹介された高周波の治療を受けてみようと思い立った。

最初のうちは一週間に一度、そのうち痛みがゆるゆると去っていった。もうこの辺で再発するのではと危惧しながらだましだまし歩いたりしているうちに一ヶ月後にはほぼ痛みが消えた。用心のためその後半月ですっかり痛みが消えた。今はゆっくりであるけれど、少し小走りができる。信号が変わるので急いで歩いたら両足が地面から離れて、自分でびっくりした。

これ言うとオカルトになるけれど、数週間前、夜中にぼんやりしていると眼の前をすっと黒いモヤが数回通り過ぎていった。私は少しだけ予知能力があるようで、こういう現象を見たときには誰かの訃報がその後一週間くらいで届くことになっている。あら、誰かしら?もう不思議でもない友人たちの訃報。でも知らせは来なかった。そして膝が治った。

嘘つき!と思われても仕方がないけれど、実際、そういうことは何回もあったから私は信じている。けれど、もしかしたら私を恨んで嫌っている人が亡くなったのかもしれない。その人の恨みが私の体を傷めていたのかもしれない。接点がないから死亡通知が届かなかったのかもしれないけれど、もしそのようなことだったらここ数年の足の痛みはその人の恨みだったのかもしれない。もしくはその誰かが私に対する関心を失ったとか。

時々不思議な体験をするので、最近では私も信じるようになっている現象なのだ。私の母が亡くなる前、病院に入院していた。母はなんとか持ちこたえてまもなく退院するという数日前、私に言った。「そこに誰かいるわ」明らかに病室の隅を指していた。見ても誰もいない。「誰もいないよ。廊下を通った人が見えたんじゃない」と私。「そうじゃない、そこにいるじゃない。ほら、見てご覧」

そして母は退院の直前に急になくなってしまった。母の自宅介護のために実家には電動ベッドや酸素吸入器が用意されていたのに。私に見えないものが見えていたと私は信じている。きっとご先祖様たちでしょう。母は大変記憶力が良くて、ご先祖様たちの話を聞かせてくれたものだった。さすが私の先祖は変わり者が多くてただでさえおかしいのに、うまく脚色して目の当たりに再現されるような話し方で大いに子どもたちに受けたものだった。

きっとそのうちの誰かと笑いながら、天国にいったと思う。戦争も体験して実生活は苦労の連続だったけれど、笑い上戸で楽しそうに笑っていた人だったから。








思い出した名前は

 前回の投稿で思い出せなかった天才ヴァイオリニストの名前は

ギドン・クレメルでした。天才的なテクニックの持ち主でピアノの天才アルゲリッチとコンビでエキサイティングな演奏を聞かせてくれた。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ2番の演奏なども他のプレイヤーとはかなり変わっていて立体的で面白く、鋭いアクセントの効果的な演奏だった。

この曲はフルートのソナタでもあり、私はピエール・ランパルの演奏も聞いたけれど、あまりおもしろいと思えなかった。フルート奏者の皆さんには申し訳ないけれど、ヴァイオリンで演奏するほうが表現の幅が広がると思う。重音を出せるフルーティストがいてもやはりヴァイオリンのような演奏は無理でしょう。ヴァイオリンの勝ちなんて、何を競争しているのか。

いかにもプロコフィエフの人柄を表しているような、いたずら好きで、人の意表をつくリズム感が面白い。私はクレメルの演奏を聞いてからこの曲を自分のレパートリーに加えたのだ。だらんと顎を落として口元が緩んでいるのは脱力のせい?逆にがっしりと力をいれているの?人柄も頭脳も非常に素晴らしいと周りの人たちの評判。本当にそのように見える。見た目地味なおじさん。

さて、私の睡眠障害は今のところ小康状態で、普通に3時間眠る、うたた寝を1時間くらい、という相変わらずのショートスリーパーながら普通に暮らせるレベル。時々たくさん眠って次の日は起きている。今の私にはどう眠ろうと勝手にできる時間もある。

リタイアした高齢者が夜眠れなくて困ると言う人がいるけれど、眠れなければ起きていれば?と言いたい。気にする必要はない。健康に悪いと言う人がいて、ちゃんと眠るようにという医者がいて困ったものだと思う。高齢者の生活は時間に縛られないということが最大の幸せなんだから。この年齢で一年二年の寿命の差は大したことではない。

眠くならなければ起きて読書でも体操でもすればいい。過去の思い出に浸るのもいい。火の用心と言って近所をパトロールしてもいい。

もう少し寒かった頃の夜中に、近所をパトロールしている人がいた。町内会で見回るのではなく、どうやら一人で自発的にやっているらしく、途切れ途切れにか細い声で「ひのようじん」と3回くらい言うともうおしまい。それも夜中の時間だし、疑り深い私は、もしかしたらご近所が起きているかどうか確かめる泥棒の見回りではないかと窓を開けて覗いたりしていた。

あれは何だったのだろうか。散歩なら火の用心の声は余計だし、空き巣に入ろうと言うなら声を出さずに黙って入ればいい。時々夜中には色々な音がする。一番音を出しているのがうちで、猫が表に行きたいから窓を開けてとか、入りたいから網戸を引っ掻いて合図を送ってるなど。時にはうちの野良たちが表で他所の猫と喧嘩を始めると、私が押取り刀で駆けつけて仲裁をするとか。寝間着の上にコートを引っ掛けて他所様には見せられない姿、文字通りの猫なで声で「グレちゃん、だめよ」なんて。

ご近所では「またあのひと、なんとかしてほしい。猫はいいけどあの人を捨ててほしい」などと言われているかもしれない。

ただ、私が思いがけない時間に起きているのは犯罪者には心外な出来事だと思う。けっこう用心深い私は、窓は二重の硬いがらすの窓に加えセコムのセンサー、部屋は侵入者があれば警報機がなる設定がなされている。お金もないし宝石類はまず見当たらないというのに、この用心。そう、私が宝石だから!と言えればいいけれど、それはもうポンコツのおばあさん。かわいい猫たちは勇猛なもと野良猫たち。逃れるすべは身についている。としたら、なんで私無駄なお金使ってこんなことをやっているのだろうと時々反省している。




















2026年2月20日金曜日

久しぶりのお座敷

お座敷とは・・・芸者さんたちが呼ばれて接客するようなときに使うけど。

私たちシニア五重奏団が呼ばれて遅めの新年会で演奏することになった。私はもはや 引退したと言っているから仕事とは言えないけれど、相変わらず出たがり屋だからお座敷に呼ばれれば尻尾振って出かけていく。とある市役所の中の新しい建物。市長さんもご出席だとか。

曲目はシューベルト「マス」の3,4楽章。長すぎてもいけないし、みじかすぎてもいけない。明るく聞きやすい楽章ということでその2つの楽章を選んだ。楽器の編成は、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五人。コントラバスが室内楽で使われるのは割に珍しい。普通のピアノ五重奏曲はコントラバスがなくてヴァイオリンが2本になる。なぜ私たちの演奏にはコントラバスが入るかというと、それは頼りになるコントラバス奏者がいるからで、とにかくあらゆる場面で彼女が、ひつようなのだ。

今まであまり知らなかったけれど、コンバスが入る五重奏曲は割とある。新しく曲も生まれているのでそんな曲を入れると立派なプログラムが出来上がる。その中でも「マス」は超有名で私たちのグループでは好んで演奏する。というより、その副題の爽やかな印象や曲の素晴らしさで、ピアノ五重奏曲の最も有名なものの一つがこの曲なのだ。

ところが演奏の難しさでもずば抜けていて、シニアにはちと辛い。聞いているのもシニア、演奏もシニア、たぶん耳の聞こえない人も多いから音程の多少のズレはあまり気にかからないだろうなどと思うけれど、油断は禁物、中にはどんな偉い人がいるかわからない。かつての名演奏家なども混じっていることも考えられる。この市には芸術の匂いが充満しているのだから。

本番二日前、私は久しぶりにブラームスのソナタのピアノ合わせをしていた。ブラームスのソナタといえば、ある有名なヴァイオリニストはザルツブルク音楽祭で一回も演奏したことがなかった、そして40歳過ぎてやっと演奏したという有名なエピソードがあった。

非常な名人で世界中で知られている彼は大変なテクニックの持ち主なので、そのザルツブルクでの演奏をラジオで聞いて少し戸惑った。なるほど、あまりブラームスはお得意ではないらしい。この方の名前がどうしても思い出せない。ほらあの、アルゲリッチとよく一緒に演奏していたあの人よ。浴室で転んでバスタブのヘリに頭をぶつけて以来、私は一層痴呆に拍車がかかってきたようだ。さっきから思い出そうと努力しているんですがねえ。

そして何の話をしていたかというと、ブラームスのソナタが非常に難しくてピアニストとああでもないこうでもないといっているうちにとても疲れてその日の夜は22時就寝、次の朝目覚めたらなんと10時30分、12時間30分も眠ったことになる。いつもの睡眠時間の倍以上。でもスッキリと目ざめてこれで明日は十分な体力で演奏ができると思ったら、その日は何時になっても眠気が来ない。いつまでもスッキリ、目も疲れない体もよく動く。

最初のうちは喜んでいたのだった。これなら多少寝不足でも大丈夫、明日の活力は確保と思っていたのに突然心配に襲われた。このまま一睡もしなかったら演奏どころか車の運転にも支障がでるかもしれない。起き上がっては横になったりトイレに行ったり白湯をのんだり、何をしても眠くならない。やっと明け方2時間ほど眠った。目が覚めたらまだ7時、出発予定の9時までの二度寝は危険、仕方ないから起きてしまう。そして出発。やはりあまり眠くない。

眠くはないけれど、この覚醒はいつまで保てるのか。本番で急激な睡魔に襲われたらどうしよう。しかしその日一日、いつもと大勢に全く影響なし。帰りの運転にも全く支障はなく無事帰宅。そしてまた今日は12時間睡眠。今夜は寝ないで騒いでいられるようだ。2日分寝て2日分起きているとすると、大事なコンサートの日時に合わせて睡眠のサイクルの調整をしないと、本番当日、ステージで居眠りしかねない。

古今亭志ん生が高座で居眠りをしたとき、お客さんが「ねかしといてやれ」といったという話がある。私もそうなったときには皆さんお願いしますね。