2026年6月7日日曜日

猫の恩返し

 最近我が家にはひっきりなしにお客様が訪れる。昨夜からの台風騒ぎが静まって少しあたりが明るくなり始めた頃、8人ほどの来客があった。

猫たちは来客があって自分たちの餌がセットされていなくても、よそのお宅でごちそうをいただける。これは便利、地域猫には数軒の餌場があって自給自足。たまに忘れてもほかで調達してくれるから手間いらず。それでもどの家も都合が悪いことも長年の間にはあったかもしれない。どの家でも今日は都合が悪いので餌はないよと猫に言わない。いつものようにどこかの家で食べているだろうと都合よく考える。そんなときには野良たちはどうするのだろうか。

腹ペコの野良は「チェッ、今日はついてねえな」とうろつきまわる。そんなときが一番危ない。どの家にも餌がなく、いつもの分が満たされなければ自分で獲らないといけない。そこにつけ込んで毒団子を食べさせたりする家があった。私の家の周りの数件の猫好き奥さんたちが泣いた日々があった。一斉に猫たちが中毒を起こして死んでから、時には警察が見回ったりすることもあったので、最近は収まっている。良かった。

今日の我が家?の野良猫たちは来客のために放って置かれていたから、腹ペコと暇つぶしに外で台風の余波を受けながら遊んでいた。途中パソコンに向かった私の後ろで「にゃあ」振り返るとそこには行儀よく両前足を揃えてこちらを見上げるグレちゃんが。

グレは立派なオス猫で、いかにも賢そうな眼差し。そして両前足の前に可哀想に、雀がぐったりと倒れていた。もうすでに息はなく死んでいるのはわかったけれど、グレが私を見上げていかにも賢そうに視線を送ってくるのを見ては、叱る気もしない。雀は可愛そうだけど、グレを叱るわけにもいかない。

彼はじっとこちらを見上げて「いつもお世話になっております」と私に挨拶をおくっていたのだ。私も「グレちゃん、美味しそうなすずめちゃんだね」とは言えないからただ「ありがとう」と彼に言う。とにかく一刻も早くどこかへ連れて行ったもらいたい。眼の前で食べ始めたらどうしたらいいか。思わず「きゃあ」と悲鳴を上げてしまう。ここで怒ってはいけない。

彼は彼なりに一生懸命私にお礼を言っているのだから。でも今までどれほどの数を飼ったかしれないたくさんの猫の中で、これほどはっきりと謝礼を持ってきた猫は初めて。飼いならして訓練すれば、金の延べ棒を咥えてくるのではないだろうか。

ずいぶん以前に飼っていたニブという猫がいた。それはそれは賢く正義感が強く、家族猫たちの守護者であった。その猫は一時期、表から帰ってくると、いろいろな魚をお土産に持ち帰ってきた。誰かが自分のおかずをおすそ分けして持たせてくれるらしい。でも猫には人間の味付けは健康に良くないから、いくら可愛くても餌はやらないでほしい。猫には辞退するようにといい聞かせていた。それでも毎日咥えてくる。ある日、うなぎを咥えてきたときには流石にこれはだめと思ったので首輪に手紙をつけた。いつもいただくお礼を言って、辞退の意向を添えたら次の日からパタリとお土産は止まった。

その家の人は猫に与えていたと思ったのに、人から手紙が来たので相当びっくりしたと思うけれど。しかもニブはいただいた魚を自分で食べずにせっせと私に運んでくれたのだった。好物のお魚を食べずに私にくれた二ブの優しさを私はわすれない。猫だってこれほどの気持ちがあるのだから、私の人生で受けた御恩を他人様にお返しするのにはどれほどのことをすればいいかと思うと気が遠くなります。だんだん薄れゆく記憶はその重圧から逃れるためかもしれない。忘れてはいけないのに忘れないとたまらない記憶のすべて。

人はお互いに助け合わないと生きられないのに双方のバランスが崩れたら、もう気持ちで返すしかないと。本当にお世話になりっぱなしの自分の人生をどうやって御礼をしようかと思う日々。それなのに本当に大事な人を怒らせたりするのがなさけない。

そんなことの連続だったけれど、一般的に見たら私の幸せ度は上位にあるといえると、自画自賛。なぜなら私の能天気さ加減が並外れているからで。最後に師事したボウイングの先生は私を見ると嬉しそうに笑う。レッスンが終わると「あはは、あんたは本当に呑気に生きてきたねえ」冗談じゃない、先生!私だっていっぱい苦労してきたんですよ。でも苦労することまで冗談にできることは稀に見る才能かも。

レッスンが終わって教室を出るときに先生は「あんた、そこのドアを出たら今習ったことをすぐに忘れるんだろう」そしてまた先生は嬉しそうに笑う。なんで先生たちはいつも笑っているのかわからない。この曲が嫌いとなったら頑として拒否する生徒だった私。それを受け入れる先生たち。普通なら破門されそうなのに。

レッスンは楽しかった。曲作りに没頭するのはこの上ない楽しみで、先生たちはいつも私の好きなように作らせてくださった。それが良かったのか私は自分で考えることを身につけた。私は自分の思いを主張するのが先だけど、それが面白かったらしい。

そして今、まさに自分の教え子に同じことを感じている。

9月のコンサートのヴァイオリンが一人足りなかったので私のもと教え子に共演を依頼した。快く引き受けてくれたから私もこけないように頑張らなければ。これは本当に嬉しい。教師冥利に尽きる。実にのびのびと楽しげに彈いてくれる。この人のレッスンのときには私はずいぶん厳しくしたつもりだったのに、本人曰く「全然怖くなかった」

いまや彼女はすっかり成長して私はおずおずと尋ねる。「私の音程合ってる?」














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