2022年1月30日日曜日

ワクチン接種3回目

2月4日、3回目のコロナワクチン接種予定。8日に姉の予約も取れた。

8日の姉の接種会場は歩くと30分以上はかかるようなところにある病院だから車で送ってあげるというと「あのくらい歩けるわよ」だそうで、頑固に送迎を拒否する。それでいて「私はなんでも少し早めに行くから1時間前には着いてほしい」と宣う。いやいや、そんなに早く着いては病院にも迷惑、第一待合室には当然病人もコロナ予備軍もいないとは言えない。早く行くより予約時間の10分ほど前に行って手続きと問診票を書いて待つのが効率的だし安全でもある。しかし頑として1時間まえと言い張る。やはり送ってもらう気なのだ。 もし待合室がいっぱいで外で待つようなことになったら、この寒さ、風邪を引く。近くにカフェでもあればいいけれど、そんなところではない。

運転手としては姉の接種が終わるまで待合室にいるのはいささか剣呑。ただでさえ姉のように暇と時間を持て余し張り切ってワクチン接種に現れる人が多いのだから当然混み合う。家族で受けに来たりするとおしゃべりをする。家族でなくても話しかける人がいる。

普段の私は社交的だから誰かが話しかけてくればちゃんと対応するけれど、病院の待合室だけは断固として拒否する。こちらの顔をチラチラ見ながらベンチの間合いを詰めてこられると恐怖を感じる。一人でブツブツ言いながら会話のきっかけを作ろうとする人もいる。うっかり目があうと大変だから聞こえないふり。

それでもコロナ感染が始まってからは流石にあまりおしゃべりする人はいない。ある時エレベーターで大声で喋られてまいったことがあったけれど、あの人も今頃はおしゃべりに気をつけているのだろうか。周りから白い目で見られても気が付かない人は案外感染しないかもしれない。そのくらいおおらかというか無神経のほうが病気に取り憑かれなさそう。

私も幸いにして今まで無事にいられるけれど、最近妙に鼻水が、しかも透明な鼻水が出ることがあって思い出した。コロナ騒ぎで忘れていたけれど、花粉症はどこへ行ってしまったの?常時マスクをしていることもあって気が付かなかった。ゴミ捨てに表に出て家に戻るとツツーッと鼻水が。これはハウスダストなのか花粉なのか、一種のアレルギー。先日は鼻水垂らして掃除機をかけたらピタっと鼻水が止まった。もしやこれは猫アレルギー?

野良たちは寒さきびしいこの時期は温かいところへ入りたい。隙あらばとベランダの窓が開くのを待っている。おはようと挨拶しながら入ってきて温かい床にゴロゴロ、しばらく暖を取ってでていく。その間家の猫はなにか不穏な空気を察知するらしい。100歳近い老猫なのに勘は鋭い。隣の部屋の押し入れに入っていても外猫の気配を鋭く感知する。家猫の毛と野良2匹の毛が抜けて、私はややアレルギー気味。

猫アレルギーではないかと気がついてからは猫が出入りしたあとは必ず掃除機をかける。これで鼻水騒動は解決。それにしてもいまや季節の風物詩の花粉の話題はコロナにお株を奪われて一切聞かなくなった。花粉にはまだ早いのかもしれないけれど。猫のアレルギーだったら私にも猫にも大問題、本当にひどい人は目が腫れ上がったりするそうだから。

コロナに比べれば花粉症はまだ平和だった。本人は辛くても他人にうつすとかうつされるとかは心配しないでよい。あと数日内でコロナに感染しなければ3回目のワクチン接種が受けられる。少しホッとしている。ところが海外ではワクチン接種をするかしないかは個人の自由だという人がいる。それはそうなのだ。私の知人は注射によるショック状態になる体質で、これはやはり病気の一種だそうでワクチンが受けられないという。

そういう人はともかく、頑固に接種しないで自由を叫ばれるとなんともなあという気がする。暴動まで起こっている。自分だけでなく家族や社会的にも受けたほうがいいのはわかるから、四の五の言わずに受ければいいのにと私は思うけど。







2022年1月26日水曜日

会津磐梯山〜福島への想い〜


チェリスト:毛利巨塵さんの自作自演、お聴きください。
映像を担当したのは息子さんだそうです。


板を持って行ったのに

白馬八方へスキーに行ったつもりだったのに、結局板は一回も雪の上を滑らず、レストランのおいしい食事と山頂から白馬三山、鹿島槍などの真っ白な峰々を仰ぎ見て帰ってきた。毎回こんな風ではスキーはそろそろ卒業かと思うけれど、それでも年に数回山の霊気にあたって心の邪気を振り払う。それでもなお振り払えないほど心の襞に隠された 沢山の卑しい思いがあるからには、なかなか悟りはひらけない。

スキーを忘れないように毎年休まずに山に行くことにしているけれど、肝心の足が覚束ない。特に一昨年から去年はひどいことになっていたので、毎日ささやかに筋トレをすること、体重を減らすこと、ウオーキングを必ずすることを心がけていたら、今年は随分と調子がいい。けれどひどかったときに味わった思うように滑れない感覚が蘇ってきて怖さが残ってしまった。

もし滑っている途中で足が急に萎えたらどうしよう。転んだらきっと一人では起き上がれないに違いない。なまじ想像力があるので、一番悪いことを想定してしまう。過去2年間、歩いているときに転ぶことが多かったので、その時の感覚が思い出されてしまうのだ。けれど、今年になってからはメキメキと調子を取り戻していた。しかし好事魔多し、最近またころんだ。

どうやら膝のお皿が傷ついているようで、右膝をつくことができない。ときにどこかにちょっとぶつけたときに結構痛い。それでも歩行は格段に改善されているから、今年思い切って滑ってみればきっとまだ滑れるに違いない。最初の一歩を踏み出す勇気が必要なんだけど、その一歩で一番怖いのは腕を怪我すること。残り少ない音楽の時間が怪我で打ち切りなんてなったら、泣くに泣けない。と、悪い方悪い方へと考えが向かう。ほんの2年前まではヨーロッパまで出かける勇気があったのに。でももう一度行きたいので訓練し直しかな。去年の暮に北軽井沢の自宅付近にあるスノーパークでゆるーいスロープを滑っただけでそれ以上はまだ滑っていないから、もう一度出かけることにしているけれど。

今回は友人のSさんが一人で八方のホテルに泊ることになっていた。そこに割り込ませてもらった。ホテルは素敵だし食事も美味しい。私達がゴンドラで山頂に行くと聞いたスタッフが、スキーの板のカバーを外して玄関の外においてくれたのに、板は置いてけぼり。スキーのブーツも履かず山頂へ。

いつもの通り私は晴れ女。天気予報の曇を裏切って快晴無風。気温はさすがに零下13度とかだけど、ほとんど寒くはない。山頂から360度見渡せる景色。初めのうちは雲もなく、光り輝く真っ白な峰々が神々しくそびえているのを仰ぎ見た。しばらくすると次第に薄い雲がなびき始めて少し風が出たけれど、それでもこんな季節には珍しいくらい暖かく感じられた。それだけで十分。胸の中に明るい灯が灯ったようで幸せな満ち足りた気分。

ここまで書いたのはコロナ感染がもうすぐ終わりそうな雰囲気だった1月の初め。

そのときには世の中は人々がすっかり安心して明るい表情で歩いていた。けれど2度目のスキーに八幡平に行くつもりでホテルにスキーの道具一式を送っていざ出ようかというときに、爆発的にオミクロン感染拡大。もう出られなくなってしまった。八方では滑らなかったので今度こそスキー感覚を取り戻そうと決心していた矢先だった。ホテルにキャンセルを申し出てとにかく謝ってキャンセル料も払いますと言ったけれど、ホテル側はそれを取らなかった。あちらも諦めの境地だったのかもしれない。気の毒なことをした。

2月半ばにさいたま芸術劇場でモーツァルトのピアノ四重奏曲を弾く予定だった。いつも忙しさにかこつけて練習がいい加減だから、今回はきっちりとパート練習をしておこうと張り切っていたところだった。それで私がここで出掛けてコロナ感染したら、他のメンバーに申し訳ない。このコンサートは一昨年、去年ともう2回もコロナのために中止になってる。今回が3度めの正直だったけれど、流れてしまった。半端なく落ち込んだ。こんなことならスキーに行けばよかった。でもこういうめぐり合わせのときは、そうしてはいけないという運なのだと諦めた。

で、うちからは食料の買い物ほかはめったに出ないのに、昨日朝、目覚めると気分が悪い。わぁー、こんなに背筋がゾクゾクするのはコロナだあ!すぐに体温を計ると35.5℃、きゃあ低体温だ。とりあえずコロナではないらしい。朝食を食べると急に元気になって1時間でコロナは治った。

最近健康診断でコレステロール値が高いことが判明、しかも悪玉コレステロールが異常に高い。他の数値は全部基準値内なのに。それで調べてみると、キャベツやブロッコリーなどを食べるといいことがわかった。この半月ほどブロッコリーはもううんざりというほど食べている。それでコレステロール値が上がりそうな肉やバターなどの食品を控えていた。その結果食欲が落ちほんの少し痩せたので、寒さに弱くなったみたい。すぐにうなぎを買いに走った。やれやれこれではねえ。

体重が減れば足は調子良い。けれどやる気とか元気とかがなくなる。コレステロールは少し高めのほうが元気でいられる。かかりつけ医に食事で治すと捨て台詞を吐いて薬を断った手前、結果を出さないといけない。医師は無口な人で「食べ物より運動をしてください」とひとこと言っただけ。

2月はじめに3回目のコロナワクチン接種が受けられることになった。そうしたら北軽井沢に行って近所のパルコールつま恋に滑りに行こうかと思っている。往復は車、宿泊は自宅だしゲレンデは屋外だからコロナの心配がない。どうせ午前中とか午後しか滑らないからランチは自宅でとれる。心配は雪道だけ。果たして運転は大丈夫だろうか。人生初の雪道運転、怖いなあ。でも人生のフィナーレを意気地なしで終わりたくはない。




2022年1月4日火曜日

あけましておめでとうございます

最近はあまり大した話題もなくて このブログも停滞気味でしたが、年賀状でnekotama読んでいますと言ってくださる方がちらほら。やはりもう少しきちんと書かないといけないかなと思案中です。と言っても肝心の本人がガス切れ状態、なにかおもしろいことがあったから、よし、これを書こうと思っていても数分経つともう何だったか思い出せない。だから書くことといえば野良猫のことばかり。

うちの猫はぬくぬくと温かい室内で鳴けば餌をもらえるのに、野良たちは寒風のなかじっとベランダの窓が開くのを待っている。寒い夜、部屋に入りたくてもじもじしている猫たちを心を鬼にして外へ出す。うちの猫は御年人間にすれば百歳超え、だからなんでもお見通し。外の猫が我が家の窓の外にいるのも承知で、室内から威嚇する。それが続いて私は一晩中眠れないことも。一時期それで私の生活は昼夜逆転して体調を崩したこともあった。

この日は快晴率が高いのだろうか、元日は静かで温かい平和な一日。野良たちは我が家のベランダで日が当たる間はずっと過ごしている。夕方その日最後の餌をもらうとどこかへ消えていく。夜食をもらいに行くのかもしれない。そして早朝、朝ごはんを請求しに再び我が家へ現れる。パターンになっているようだ。時間がわかるのかもしれない。

大晦日、強い寒波が襲ってくるというので心配しながら野良たちの様子を覗っていた。ベランダの2個のダンボールには100円ショップで買った小さな座布団と猫用毛布、寒そうに丸まっているから上からバスタオルをかけてあげた。彼らは毛皮を着ているから大丈夫だとは思うけれど、半端ない寒さが情け容赦なく襲って来るので本当に可哀相。その上最近近所に現れ始めた茶トラの雄猫、うちの食事が気に入ったらしく、ちょくちょく現れる。白黒ねこのボーイフレンドと時々餌を巡っての大乱闘。野良の世界は厳しい。

2日、3日は箱根駅伝。私はいつも不思議に思っている。なんで他人がひたすら走っているだけのことを見ていて何が面白いのかということ。毎年のことなのに、なんの変わりばえもないかというと、これが大ありなので、そこが面白い。特に箱根の往路の山登りでは数々の伝説が生まれた。ここを制覇した人たちを山の神という。

今年の山の神は青山学院の若林選手。原監督の山の神にならないかという声かけに応じて青学に入ったという。監督は山の神と言わず若の神と呼んでいると言う言葉に「恥ずかしい」と照れる。大学のスポーツ部は厳しいのが普通。青学のこういう明るさが勝利を導いたのではないか。

好きで皆走っている。それなのになんでスポーツというと悲壮感が漂うのかといえば、根性でがむしゃらな練習ということが日本ではあたりまえ。青学の原監督は選手をのびのび育てているようだ。選手たちがニコニコしているのが印象に残る。意識に硬さが残らなければ体中の関節が緩んで、力まなくていい。結果疲れが少ないのではと思う。ここぞというときに本領が発揮できる。

好きなことは努力ができる。どんなに辛くとも辛いと思わない。だって好きなんだから。これをやれば進歩があると思えば当然やるべきだと自分でも納得しながらできる。怒鳴ったり叩いたりして家畜のようになってやらされるスポーツは、それはいじめであると考える。でも日本ではまだ怒鳴られないと気がすまない人たちがたくさんいそうな気がする。悲壮感漂うのが当たり前だと。それこそが人格形成に必要だと。

おもしろいなあ、そういう考え方。私は楽器を始めるのが遅かったから本当ならすごく苦労したと思うけれど、少しも苦労と思わなかった。好きで好きで楽しくてたまらなかったから。艱難辛苦汝を玉にすというけれど、それでだめになってしまう人を何人も見てきた。神経をすり減らし自らの命を絶ったひともいる。それは極端な例だけれど、せっかくこの世に生まれてきてその大事な命を無駄遣いすることはない。本当に少しずつでいいから前に進めば、一生涯かけて完成させれば、いや、完成しなくても途中まででもなにかをやったという証があれば素敵な人生だといえる。

人によってそれはノーベル賞がもらえるほどの成果かもしれない。人によっては子供を立派に育てたことかもしれない。立派に育たなくても、子供と過ごす人生は何よりも幸せかもしれない。例えば自分がずっと愛する人を見つけられることもその一つ。先日友人と話していて、その人は今、孫と生活するのがこの上なく幸せだといった。私は残念なことに子供を持てなかったので、野良猫と遊ぶ。ひだまりで野良と日向ぼっこ。大好きな友人もいる。それだけで十分、なにを幸せと思うか、それはその人しだい。

と、いうわけで今年も負け犬の遠吠えならぬ、負け猫の負け惜しみのブログ、読んでくださる物好きな(おっと失礼!)皆様よろしくおねがいします。

コロナに痛めつけられたおかげで、ささやかな幸せが今すごく大きく感じられる。人と会うだけで嬉しい。電話で話すだけで楽しい。この2年間、政治家の悪口ばかりいってごまめの歯軋りだったけれど、今年はごまめの鼻歌でいきましょう。たくさん我慢したことが戻ってくるだけでもこんなにうれしいのだから。

古典音楽協会定期演奏会も戻ってきました。春は3月17日、東京文化会館小ホールです。

お目にかかれれば私達は本当に嬉しいです。