2020年1月19日日曜日

スーパーロボットアーム

nekotamaの昨年11月の「男手がほしい」にかいたこと。
癒やし系のロボットよりも天井掃除や蛍光灯の取替のロボットがほしいとかなんとか。
先程テレビで見たら、とっくにそんなことはできるらしい。
素晴らしい!
外見はくねくねと曲がるチューブ状。
手を使って様々に動かせる。
それが導入部。

その後出てきたのは卓球のコーチングロボット。
ロボットに対するのはこのロボットの開発者で、卓球未経験だったという技術者。
この男性がとても卓球が上手いので、この人がロボットに教え込んだのかと思ったら、それは逆らしい。
このロボットには卓球の経験者百人のデータが入っていて、相手の球の軌道を読み取ることによって、そのレベルを読み取ることができる。
そして相手に合わせて、その人のレベルよりも少し上のプレーをしていく。
このロボットとプレーをすることによって、対戦者もレベルが上っていくという。
ヴァイオリンの練習にロボットと一緒に弾けば、私ももう少しマシになるかも。
実際、卓球未経験だった開発者はかなりの腕前になっていた。
そのように人に寄り添う優しいロボットであると言える。

最初のチューブ状のものは、プログラミングの進歩によってコンピュータでデータを入力しなくても、人の手で動かすことによってロボットアームがそのままの動きを覚え、活用できるようになったというではないか!
それなら私にもできる。

スーパーロボットアームでできることを興福寺の阿修羅像の働きに例え、両手がふさがっているときに手を使わず電話をとるとか、足指と手指を連動させて、手の動きで足を動かすとか、もし体の一部を故障したら、それを別の部位を動かすことで補える。
その動きは5分間くらいの練習で習得できるという。
ここで阿修羅が出てくるところはたくさんの手を持っているということらしい。

脇道に逸れるけれど、数年前、阿修羅像をはじめて見た時の感動は忘れられない。
瞬時に阿修羅にひと目で魅了され、夢に見そうなくらいだった。
美しい青年というより少年の顔を持った像には不思議な力が宿っていた。

将来私の体が不自由になったとき、こういうロボットが普及していたら余生は安泰。
誰にも面倒かけずに独立した生活が送れる。
まず、起床するとロボットを呼び寄せる。
ベッドの前に来たロボットは私の座った位置に電動車いすを寄せてアームを出して私の体を持ち上げ車椅子に座らせる。
そのまま、私はスイスイと家の中を動き回る。
段差があってもなんのその。
乗り越えながら進む。
決してお掃除ロボットみたいに段差に引っかかってバタバタしない。
あれ、どうにかならないかしらね。
譜面台の足に引っかかって斜めに停まっているルンバを見るといつも思う。

ロボットが私達の手に届くような実用化は、一体いつ頃までにできるのだろうか。
私は今、足腰怪しいなりに動けるけれど、まったく歩けなくなったりしたら人手を借りないといけない。
ヴァイオリンを教え込んで自分の代わりに仕事場に送り込むという野望もある。
ロボットが仕事に行った先が闇社会の人のパーティーだったとしても、あれはロボットが勝手にやったことですと言い逃れができるし。
ロボットのほうが上手だからと言って、私はクビになるなんてことも。

瓶詰の蓋が開けられなくて、我が家の冷蔵庫にはジャムや佃煮がゴロゴロ入っている。
勿体ないから捨てられない。
でも蓋が開かなくて中身が出せない。
蓋を開ける器具をもらったけれど、ペットボトルの蓋すら開けられないほど非力な私にはそれを使っても不可能なのだ。

その上我が家には、本当に役立たずの猫しかいないときている。
だからロボットさん、早く進化してくださいな。
ヴァイオリンの練習はロボットに、表舞台に立つのは私なんていう良いとこ取りもできるかなあ。

修羅像はこちら。

この優しげなお顔の裏側に、2つの顔がかくれている。
裏の顔は男性的で現実的で、この表面の顔は優雅で若々しい。
この3面性が魅力なのかもしれない。



































2020年1月15日水曜日

情けは猫の為ならず

最近nekotamaの内容が暗いというご指摘があった。
それはそうでしょう、老いてなお明るくというのはなかなかできない。
体のアチラコチラが痛い。
すぐに疲れて色々できなくなって、記憶力が落ちて人の顔も定かでなくなって、近所の猫だけはわかるというのは大変なショック。
元々ガンガン動いてきた者にとって、その全てが否定されていくわけで、しかも回復の見込みはないというのでは、いくら脳天気な私にしてもあまり明るい材料はないということなので。

それでも私の母は亡くなるまで笑い上戸だった。
その系統なので私もよく笑うのが救いかもしれない。
その私に明るい話題ができた。

猫の話しだけれど、去年、近所のボスねこに追いかけられて失踪していた白黒の猫が戻ってきたのが明るい話題。
雨の日に近所のベランダで濡れそぼって情けない声で泣いていた白黒猫さん。
ボスねこが襲いかかって、あっという間に駆逐されてしまった。
その後とんと現れないので、どこかで野垂れ死にしたのではないかと心配していた。
その頃は痩せていていつもお腹をすかせていた。
それがここ数日前似てはいるけれど、とても太って丸々した猫が現れた。
私を見ても逃げないどころか、足元にすり寄ってくる。
ん、もしや?

しかし毛艶もよく一回り大きいし。
いや~、それにしても似ている。
耳に不妊手術の印である切り込みも入っている。
その日から我が家のモーニングサービスに通ってくるようになった。
ああ、やはり、生きていてくれたのだ。
ボスねこは私が餌をあげなくなってから羽振りが悪くなって、最近とんと見かけなくなった。
それでも野良はたくましい。
きっと、どこかで番を張っているに違いない。

モーニングサービス再開。
ボリュームも味も申し分ないと見えて、毎朝ちゃんと待っている。
一体どこの家でくらしているのかしら。
その家の人は最近うちの猫が家によりつかないと心配していないだろうか。
飼い主がわかればうちの猫にいただきたい。
今一人ぼっちのうちの猫。
私が留守のときに寂しいと思うのでお友達に。
私の年齢からいうと成猫でないと飼いきれない。

私があと何年生きられるか予想して飼うと、子猫は無理。
しかし白黒ちゃんの身ぎれいな様子から見ると、あきらかに飼い猫。
かと言ってやたらに猫を飼う気はすでにない。
気の合う子が一番良い。

猫には随分助けられた。
かなりシビアな世界で仕事してきたので、緊張の毎日。
ドキドキして夜中に目が覚めることも多々あった。
そういうときに猫は人の気持ちを察するようだ。
スーッと寄ってきて傍らに寄り添ってくれる。
激しく動悸がしていたのが、猫の背中を撫でるとあっという間に平静になれる。
猫効果は私の生活をいつも明るくしてくれた。
私は今まで何十匹もの猫を保護して養ってきたけれど、猫が私に助けられたのか、私が猫に助けられているのか、どちらともはっきりしない。

しばらく餌をやっていた猫が最後の数日私に会いに来てくれたこともあった。
それまで絶対に撫でさせてくれなかった彼が、私の伸ばした手を恐れなくなって背中を触らせた。
最後の3日間私の手から餌を食べ、そして消えた。
ちゃんと礼儀を心得た猫さんだった。
人間以上に情の深さを感じた。
こういう些細なことが私の思い出の中に、ポッと明るく灯ってくれる。
猫さん達ありがとう。



























2020年1月10日金曜日

ガッテン!

去年のいつごろからか、右足に違和感があった。
妙に痺れて足先の感覚がなくなったり、足首が痛かったり。
一時期は糖尿病による血流障害かとも思ったけれど、血糖値は常に正常。
食事も最近は気を付けているので、それはないかと。
妙によく転ぶ。
つまずく。
加齢によるものと思っていたけれど、先日NHKのためしてガッテンを見ていたら、どうやら足梗塞というものらしい。

私も薄々、血流が悪くなっているなとは思っていたけれど、時々呂律が回らないなどもあるので脳梗塞のほうが気になっていた。
足梗塞は足の大動脈が詰まる病気で、それを避けるために付近の毛細血管が健気にも働くらしい。
嫌な痺れがあって、なんとも言えない痛みとも痺れともつかない感覚がある。
寝ているうちに痺れで目がさめることも。

これは動かさないとえらいことになると思っていたので、つま先立ちで両踵を寄せるなどの筋トレをはじめたら、少し改善されてきた。
ところがいつものことで、ついやりすぎる。
わかっているのに何遍も同じ間違いをするというのは、バカの証拠。
やりすぎて本当に痛くなり、度々中断。
これではなんの意味もない。

来週時間ができたら足専門の病院へ行こうと思っている。
足はとても大切だとわかっているのに、運動を怠る。
理想はオオナマケモノなどとほざいていたらバチが当たった。
幸い最近は症状も緩和されてきたから、少し治療すれば治ると思う。

今朝から年賀状を頂いた方に寒中見舞いを書き始めた。
ところがひどいもので、一通書くごとに3枚ほどはがきを無駄にする。
横目で宛先を見ながら書いているとどんどん左に曲がっていく。
元々大変な悪筆なのが更に倍増。
宛名は間違えては失礼なので慎重にと思っていると、バランスが崩れる。
郵便番号を間違える。
いつも書いているような字が妙に違って見える。
ふ~ん、こんな字だったっけ?

これは足梗塞だけではなく、脳梗塞も合併しているのではないかと思うくらい。
しかし、去年から悩んでいた足のだるさに治療法があると思うと、ひどく嬉しい。

友人に電話した。
年賀状ありがとう。
でも何枚も失敗してラチがあかないから、電話したの。
すると彼女も笑いながら、私も同じよと言う。
おかげで久し振りに友人と話ができた。

この先年賀状はそろそろ廃止しようか、でも、一年に一度消息が知れるのは悪くない。
枚数もどんどん減ってきているし。
思えば年賀状が出せるのは幸せなことかもしれない。















2020年1月6日月曜日

志賀高原でお正月

年が明けて2日から志賀高原でスキーを楽しんできた。
楽しんでと言うと,とてもたくさん滑ったかのように聞こえるけれど、元々私はオオナマケモノにあこがれているからのんびりと。
他の人達が気が狂ったように滑っているのに、ほんの半日とかほんの数時間とかでお終い。
去年以来足首を度々痛めたので、今年はますます怠け癖に磨きがかかった。

足首の痛みはスキーブーツを履いてしまえばなんのことはない。
普通に滑れる。
ところが寒さでカチカチになったブーツの足を入れる部分が広がらないと、それを履くことによって新たに捻挫しそうな勢いなのだ。
今回は頼もしい女子Nさんがいて、ヒーターの前に置いて柔らかくしたブーツをエイっとばかりに広げてくれた。
最初の日に自分で無理してはいたら、激痛だったのでめげてしまったから、またしても他力本願でいくことに決めた。
人に頼るのを良しとしない人が多いけれど、私は頼れるものなら猫でも頼れの口。

その日はSさんに金魚のフンのように張り付いて着脱をお願いした。
履くのも地獄脱ぐのも地獄、それでいて一旦足が入ってしまえば痛みはなくなる。
むしろギブスの役割をブーツがしてくれる。
足がブーツに収まったところで、それぞれのバックルをしめていく・・これも地獄のような作業。
なぜなら、暮れに自転車で転び、駅で若者に足が引っかかって転び。
その都度肋骨にヒビが入るらしく、前かがみになると猛烈痛い。
ブーツのバックルは硬く、これをしめるのはかなり硬くて力がいる。
肋骨が軋む。
その上咳喘息とやらの咳が追い打ちをかけてくる。
ええい、野郎ども、ひと束になってかかってこい!と言いたいところだが、半べそかいている。

そんなときに大事を取って体を怠けさすと、どんどん筋肉が落ちてしまう。
それにならないように痛みはないものと決めて行動することにした。
その結果一時期回復に向かっていたけれど、やたらに筋トレしたら、元の木阿弥。
いつでもやり過ぎるので、オオナマケモノの理想にはまだまだ近づけない。

今年の志賀高原は雪が少ないと心配していたけれど、到着2日目には夜中に積雪があって、非常に良いコンディション。
高天原にあるホテルTは初めて泊まったけれど、感じの良い過ごしやすいホテルだった。
なによりもフロントマンが陽気なのがいい。
建物は古いけれど、楽しく宿泊できた。
初日は半日滑り、2日目はいつもどおりおサボり。3日目の午前午後、痛む足をブーツに押し込む苦痛をこらえて、滑った。

最後に皆が帰る日は帰省ラッシュの最終日、恐ろしい混雑が予想されていた。
それで私は一人居残って、次の日に帰ることにした。
なんでも一番楽な方法でいきたいので。
友人たちが帰った後はのうのうと温泉に浸かり、昼寝をしたり、本を読んだり、テレビを見たり、ああ、お正月だとしみじみ楽しんだ。
その日は外は雪が降り続き、寒さは一層厳しくなった。
少し散歩しようかと思ったけれど、このところの運の悪さを考えると無難に家にいたほうが良いと結論した。
食堂での夕食は他のグループから外れ一人ぼっち。
すると厨房のスタッフが時々やってきて話しをしてくれる。
長野県だから蕎麦焼酎のお湯割りなんかどうです、とか。
もうひとり、男性のお一人様がいる方にはだれも寄り付かない。
なんだか気難しそうな人なので、煙たいらしい。

ロビーをウロウロしていると、スタッフがなにかと気を使ってくれる。
どうしたの?お嬢ちゃんなんて!あはは、お嬢ちゃんは半世紀以上も昔だった。
シングルルームは木の壁で簡素に、カーテンは可愛らしいギンガムチェック。
なんだか居心地良いなあ。

と思っていたら、隣の部屋との壁が薄く音がやたら聞こえるのにはまいった。
どうやらお隣は例の男性お一人さんらしい。
電話で話す声は筒抜け。
私が咳をすると、その後、隣の部屋でガタピシと戸を開け閉め、うるさい音がしばらく続く。
これって嫌がらせ?
彼がロビーをうろついていても、誰も声をかけない。
大体、一人でスキーに来るのは友達がいないから?なんて、大きなお世話。
かつて職場で偉い人をやってしまうと、リタイアしても偉さが態度に出てしまうといった口かな。
他人のこと言って、さて、私はどう人に見られているのかしら。
嫁から煙たがられて「お義母さま、モンキーパークで猿と温泉に入っていらしたらどうですか」と家を追い出されたお姑さんといったところかな。

次の朝、スタッフたちからバス停はすぐそばだから3分で行けると言われているのに、バスの出発時刻の20分前にホテルをでようとすると、まだ早いと制止された。
だって私は足元がおぼつかないし、停留所がみつからないと困るし、転ぶかもしれないからゆっくり歩くし、、とかなんとか言ってもまだまだと言われる。
バス停には小屋かなんかあるでしょう?と訊くと、それが無いから早くいかないほうが良いと言っているのですと言われた。
本当に親切なんだ。

フロントに人がいなくなったすきに10分前に玄関を出た。
なるほど!バス停は目と鼻の先。
空は晴れて気温はマイナス8度なのに風が弱いので、少しも寒くはない。
雪山を見ていたら、ああ、今日も滑りたいとチラッと思った。
いつも私は他の人達の4分の1くらいしか滑らない。
体力がないのと元々運動がすきではないから。

バスも列車も空いていて、順調に帰宅した。
もし昨日だったらこうはいかなかった。

















2020年1月1日水曜日

本年もよろしくおねがいします。

昨年中は転んだり精神的に不安定になったりで、皆様にはご心配おかけしました。
でも去年後半からは少しずつ良い方に向かっている気がします。
どうぞ今年もよろしくおねがいします。

おめでとうの言葉がないのは、去年暮れに義兄が亡くなって喪中なので。
私は兄弟が多くて皆年をとっているため喪中は今後続くと思うので、年賀状は今年から廃止ということにさせていただこうと思う。
頂いた方には感謝だけれど、数年前義姉がなくなったのが大晦日寸前、用意していた年賀状を全部処分したことがあって、もうその二の舞は御免被りたい。
というわけで、静かな元日を一人で過ごしている。
明日からは寒風吹きすさぶ山の中。
果たして体力や喘息や、大丈夫なのかしら。

この1年半、私にとっては怒涛のような日々を過ごした。
なにがなにやらわからない中で、自分を律することを忘れ、体力を失い、心も折れての毎日。
でも人間の心は上手に再生できるものだと実感している。
このブログでも冗談が痛々しくなって、自分でも寒々とした思いにかられた。
楽器は鳴らなくなり、音がかすれて悲惨な状態だった。
でもこの数ヶ月で又、よく鳴るようになってきたのが嬉しい。
ヴァイオリンがあれば一人でも大丈夫。

私の年令になって、自分にやりたいことがあるというのは無上の幸せ。
音楽仲間が集まってよく言うのは、ヴァイオリンを弾いていない人は一体何をしているのだろうか?
それぞれ孫のいる年齢で、孫が生きがいだったりするのだけれど、自分自身だけでできることと言ったらなんだろう。
読書や手仕事など?ヴァイオリンが弾けなくなったら自分は何をするのかしら。

大晦日、滅多に見たことのない紅白歌合戦を見た。
いままで見たことが無いのは、数年ほど前まで毎年自分が演奏していたから。
舞台装置が大掛かりになるにつれて、私達演奏する側はステージから追い出され、別のスタジオから音だけ送るようになった。
それ以前は舞台上に組まれた櫓のような移動式オケボックスに載せられて、約3時間、じっとしていた。
大地震が起きたら大事だと思った。
時々そのオケボックスが移動するときは大道具さんが決死の働きをする。
20秒で移動しないと次の画面に差し障りが出来るときがあって、修羅場のようだった。
結局カメラリハーサルでも出来なくて、本番で成功したときには、私達からも盛大な拍手が大道具さんたちに送られた。
誇らしげに喜ぶ彼らの姿が未だに目に浮かぶ。

昨日テレビを見ていたら、もうそんな時代ではなくて、殆どのことはコンピュータの画面処理ですむようになったようだ。
それが素晴らしいといえばそうだけど、アナログ人間の私には奇妙に空々しく見える。
石川さゆりさんが熱唱する演歌のほうが胸に響くのだ。

紅白に出ていないときにはテレビ東京の「年忘れ日本の歌」に出ていた。
「紅白」か「年忘れ」が終わるとニューオータニに馳せ参じ、朝までジャズオーケストラで演奏。
その後お正月は殆ど仕事。やっと終わるのが7日ころ。
そして15日からNHKの仕事が始まってという毎年のパターンだった。
私にとっての古き良き時代。

最近まで過去を思い出すということは、殆どしなかった。
懐旧にふけるのはまだまだ先だと思っていたら、やはり私にもその時期が来たのだと感無量。
人はちゃんと段階を踏んで同じように過ごしているのだ。
じぶんだけ若いつもりでいるのは大間違い。

今年は北軽井沢で過ごすことを優先したい。
猫も私も呼吸がらくになる。
最近面白いと思って見ているテレビ番組は「ぽつんと一軒家」
あんな寂しい山の中で暮らす人はどんな人かと思うと、皆さんステキな顔をしている。
心から自然を楽しみ何事も肯定して受け入れている様は、今後の私の生き方のお手本となるのではないかと思っている。
不思議なことに、一人で自宅にいるととても寂しいのに、北軽井沢の林の中にいると少しも寂しくない。
心を癒やす力が林にあるようだ。
木々と会話して余生を過ごすのは、理想的な生き方だと思う。
ただ本当のことを言えば、相棒がいればなあ。
犬を飼うか馬を飼うか。