昨年中は転んだり精神的に不安定になったりで、皆様にはご心配おかけしました。
でも去年後半からは少しずつ良い方に向かっている気がします。
どうぞ今年もよろしくおねがいします。
おめでとうの言葉がないのは、去年暮れに義兄が亡くなって喪中なので。
私は兄弟が多くて皆年をとっているため喪中は今後続くと思うので、年賀状は今年から廃止ということにさせていただこうと思う。
頂いた方には感謝だけれど、数年前義姉がなくなったのが大晦日寸前、用意していた年賀状を全部処分したことがあって、もうその二の舞は御免被りたい。
というわけで、静かな元日を一人で過ごしている。
明日からは寒風吹きすさぶ山の中。
果たして体力や喘息や、大丈夫なのかしら。
この1年半、私にとっては怒涛のような日々を過ごした。
なにがなにやらわからない中で、自分を律することを忘れ、体力を失い、心も折れての毎日。
でも人間の心は上手に再生できるものだと実感している。
このブログでも冗談が痛々しくなって、自分でも寒々とした思いにかられた。
楽器は鳴らなくなり、音がかすれて悲惨な状態だった。
でもこの数ヶ月で又、よく鳴るようになってきたのが嬉しい。
ヴァイオリンがあれば一人でも大丈夫。
私の年令になって、自分にやりたいことがあるというのは無上の幸せ。
音楽仲間が集まってよく言うのは、ヴァイオリンを弾いていない人は一体何をしているのだろうか?
それぞれ孫のいる年齢で、孫が生きがいだったりするのだけれど、自分自身だけでできることと言ったらなんだろう。
読書や手仕事など?ヴァイオリンが弾けなくなったら自分は何をするのかしら。
大晦日、滅多に見たことのない紅白歌合戦を見た。
いままで見たことが無いのは、数年ほど前まで毎年自分が演奏していたから。
舞台装置が大掛かりになるにつれて、私達演奏する側はステージから追い出され、別のスタジオから音だけ送るようになった。
それ以前は舞台上に組まれた櫓のような移動式オケボックスに載せられて、約3時間、じっとしていた。
大地震が起きたら大事だと思った。
時々そのオケボックスが移動するときは大道具さんが決死の働きをする。
20秒で移動しないと次の画面に差し障りが出来るときがあって、修羅場のようだった。
結局カメラリハーサルでも出来なくて、本番で成功したときには、私達からも盛大な拍手が大道具さんたちに送られた。
誇らしげに喜ぶ彼らの姿が未だに目に浮かぶ。
昨日テレビを見ていたら、もうそんな時代ではなくて、殆どのことはコンピュータの画面処理ですむようになったようだ。
それが素晴らしいといえばそうだけど、アナログ人間の私には奇妙に空々しく見える。
石川さゆりさんが熱唱する演歌のほうが胸に響くのだ。
紅白に出ていないときにはテレビ東京の「年忘れ日本の歌」に出ていた。
「紅白」か「年忘れ」が終わるとニューオータニに馳せ参じ、朝までジャズオーケストラで演奏。
その後お正月は殆ど仕事。やっと終わるのが7日ころ。
そして15日からNHKの仕事が始まってという毎年のパターンだった。
私にとっての古き良き時代。
最近まで過去を思い出すということは、殆どしなかった。
懐旧にふけるのはまだまだ先だと思っていたら、やはり私にもその時期が来たのだと感無量。
人はちゃんと段階を踏んで同じように過ごしているのだ。
じぶんだけ若いつもりでいるのは大間違い。
今年は北軽井沢で過ごすことを優先したい。
猫も私も呼吸がらくになる。
最近面白いと思って見ているテレビ番組は「ぽつんと一軒家」
あんな寂しい山の中で暮らす人はどんな人かと思うと、皆さんステキな顔をしている。
心から自然を楽しみ何事も肯定して受け入れている様は、今後の私の生き方のお手本となるのではないかと思っている。
不思議なことに、一人で自宅にいるととても寂しいのに、北軽井沢の林の中にいると少しも寂しくない。
心を癒やす力が林にあるようだ。
木々と会話して余生を過ごすのは、理想的な生き方だと思う。
ただ本当のことを言えば、相棒がいればなあ。
犬を飼うか馬を飼うか。
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