2019年1月30日水曜日

金は天下の回り物と言ったって

連れ合いがなくなって早くも半年になろうというこの頃、請求書や還付金やら、未だに書類が届く。
今朝来たのは保険金の過払いの還付金。
金額は6000円ほど。
以前は700円ほど戻ってきたので今回も600円かとおもったけれど、0が1つ多かった。

昨日支払ったのは324円。
カードの未払い分。
あまりの小さな金額に請求書が来ていたのに、うっかり払い忘れていた。
カード会社から電話があって、思い出した。
金額を尋ねると、申し訳なさそうに小さな声で324円ですと言う。
申し訳ない、すぐ振り込みますと言って電話を切った。

私は何よりも借金が嫌い。
ある人にずっと以前500円借りっぱなしになっていて、そのことを何年も覚えているのだけれど、まだ連絡先がわからず未払いになっている。
ところが本当にうっかり屋なので、もし、本人に出会って眼の前にいても、話しに夢中で返すことを忘れてしまいそうなのだ。

ある時あまりにも頻繁な請求や還付金の知らせに、役所の人に訊ねたことがあった。
「こういう金額まで始末するのは、それ以上に費用がかかるのではないですか。請求を破棄してはいけないの?」
するとそういうわけにはいかないのだという当然ながらの返事が返ってきた。
私だって全部辻褄が合わないといけないとはわかっているけれど、微少な金額のためにそれ以上の費用がかかるのは納得がいかない。

今日は過払い金の返還請求をしてほしいとのお知らせ。
そのために又戸籍謄本がいるって・・・
憤慨していたけれどよく読んだら、同一住民票の人なら必要ないと。
みみっちいことをいえば、戸籍謄本取るのにもお金と時間がかかる。

家の中に書類が沢山残っている。
もう終わったと思っているものも、今後なにが起こるかわからないから捨てられない。
早くさっぱりしたいのだけど。

去年ニューヨークへ行ったときの飛行機代。
立て替えてくれた人から請求書が届かない。
何回も催促しているのにお金持ちは鷹揚なものだ。
私が認知症になって「あら、そんなもの借りていないわよ」とでも言い出したらどうするつもりなのかしら。
羽田~ニューヨーク往復の飛行機代だから、324円とはいかないのに。
この際、催促するのが借りたほうで、逃げ回っているのは貸したほうという不思議な現象となっている。
これを読んだら請求書送ってくださいな。

去年の収入といったら目も当てられないほどなのに、なぜかあまりお金に困っていない。
周りからとても助けられているからで、私を助けてもなんの見返りもないのに優しい人達が手を差し伸べてくれる。
この御恩は一生忘れませんと言いたいところだが、最近の物忘れの激しさはヒタヒタと足音をたててやってくる。

もうすぐ免許証の更新。
いつか免許を取り上げられたらどうしよう。
これから北軽井沢で暮らすことになったら、車は必需品。
当然免許も必要。
高速道路を逆走し始める前に運転やめるようにと、誰が言ってくれるのか。
猫の首に鈴をつけるのは誰?
この猫、猛獣につき、恐ろしくて言い出せないかもしれない。












2019年1月29日火曜日

早くも花粉症?

2日ほど前、なんだかゾクゾクした。
お風呂にゆっくり浸かってようやく寒気は収まった。
次の日も少し鼻水が出るくらいで、頭痛や喉の痛みなどの風邪の症状もない。
今日は強い風が吹いていたので外出のときにマスクをした。
もしかして・・・花粉症?

最近の様々な厄介事にかまけて忘れていた。
そうだ、花粉症の季節なんだ。
おお嫌だ。

これから2,3ヶ月は外出もままならない。
まだ冬だというのに。

毎年このことを書いているから、すでにご存知の方は読み飛ばしていただきたい。
都内のオーケストラの合同演奏会があって、フリーでオーケストラに属さない私に何故かお声がかかって、のこのこオーチャードホールにでかけたことがあった。
ずいぶん以前のお話。
ゲネプロ(本番前の総稽古)を済ませて、うっかり外に出てしまった。
時期はちょうど今頃。

渋谷は私の長年のテリトリーで、餌場があちこちに・・・ではない、野良猫じゃあるまいし。
その頃は毎週のようにNHKで仕事をしていたから、渋谷は最も気軽に歩ける街だった。
本番前に1時間半ほど空きがあるから、オーチャードの近所のうどん屋さんなどに行ったのだと思う。
なにを食べたかまでは流石に記憶がないけれど、本番30分ほど前に戻ってがいつものパターンだった。

ステージ衣装に着替えて、開演間近に舞台袖へ。
その頃から鼻がムズムズ。
気がついた!
花粉症なのに外をウロウロあるき回るなんて!
しかもマスクもしないで。

その時の曲はシンフォニーから特に美しい楽章を取り出して演奏するという企画だった。
お隣は、日フィルのメンバーの女性。
以前からの知人だけれど、めったに会うこともない人だった。
彼女は残念なことにその後若くしてこの世を去ってしまったけれど。

曲目はマーラーのシンフォニー5番のあの美しいアダージオ。
映画「ベニスに死す」の映画音楽に使われたゆっくりで悲しい曲。
映像も美しかったけれど、この音楽があってこその感動的な作品だった。
弾き始めると、休みなく長ーい音をものすごく小さな音で弾き続けないといけない。
それが始まって私の地獄も始まった。
鼻水がツツーッと流れ始め、あまりにも静かな曲なので、鼻をすすることも出来ない。

しかし、もし鼻をすすったら、曲に感動して泣きながら弾いていると思われないかしら?
もう我慢ができない。
ほんの数拍の休止符に、ハンカチを鼻にあてるしかない。
この曲を弾くときは、長いゆっくりの弓運びになるから弦楽器奏者はえらく緊張する。
早い曲のほうが難しいと思われるけれど、いやいや、ゆっくり弾くほうがはるかに難しいのだ。
しかもピアニッシモなので、緊張のあまり弓が震えそうになる。
その上、鼻からはすすることもままならない鼻水がツツー。

今思うとおかしいけれど、他のオーケストラのメンバーに交じって、しかもフリー奏者の分際で鼻水の音を鳴り響かせるとは!
轟々たる非難を浴びそうだけれど、オケマンは優しいからそんなことはなかったけれどね。

毎年花粉の季節になるとまっさきに思い出す。
お隣で弾いたOさんのお葬式に行った。
生前は顔見知り程度のお付き合いだったけれど、お葬式のときは彼女の知人と演奏をしていて、その人の願いで同行したしだい。
あのとき、この世で最も美しい曲を一緒に弾いたことが、彼女との濃密な思い出となった。
人の顔を覚えるのが苦手な私が、今でも即座に思い出せるのがOさん。
ずいぶん以前のことなのに。

そういう縁ってあるんだなと思う。






絆創膏が私を救う

私はデブで小さいけれど、およそヴァイオリンで体型のハンディは感じたことがなかった。
最後に運弓法を習いにいったときのこと、他の生徒さんのレッスンを見学し終わって初めて先生と向かい合うと「貴女はそのままできるよ」と言われた。
他の生徒さんのレッスンをしながら、先生は密かに私のことを観察していたようだ。
体型や手指の形がヴァイオリンに向いているらしい。
四角い手、肉厚の指先、親指が中に向いているなど、そのまま自然に弓が持てる形なのだそうで。

なるほど、子供の時初めて楽器を構えたときにも、なんの苦労もしなかった。
指の長さもバランスが良いらしく、音程でもあまり苦労はしなかった。
ほぼそのまま指をならべていけばよかったので。
手指の湿度も最近まで十分だった。

放送やスタジオでの録音関係の仕事は、マイクを直接楽器の駒に取り付けることが多い。
だから個人個人の音はミキサー室で、もろ拾える。
マイクテストのときには一人ずつチェックされる。
だから他の人達にも全部聞かれてしまう。
そんな中で数十年仕事をさせてもらえた。

しかし、年齢という悪魔が私の指を曲げてしまって、最近音程が上手くとれなくなった。
指の曲がりはしかたがない。
早く耳が悪くなれば気がつかないかもしれないけれど、あいにく耳の機能は衰えるのが遅いから、自分の音程が気になる。

特に左手の中指の曲がりが致命的で、クロイツェル・ソナタの冒頭部分の音程が合わない。
どうにかして指を捻じ曲げて音程を合わせようと四苦八苦する。
そこだけ何十回、いや、何百回となく練習しても以前のような響きがとれない。
そして今、手の形や指に特徴がある人達、例えば小指の付け根が極端に他の指より低い位置にある人、右手の親指が内側に入りにくい人、手が乾燥肌の人などが、ヴァイオリンを弾くためにどれほど苦労したかに気がついた。

私がヴァイオリンを初めたのは他人に遅れること5年ほど。
それでも音大を出て仕事に恵まれ、楽しくやってこられたのは、ヴァイオリンに向いた体型だったからなのだ。

以前教えていた生徒で小指の音程がとても低くなってしまう人がいた。
私は小指を伸ばすように毎回指摘していたら、ある日切れられた。
「私だって努力しているんです」わあわあ泣かれた。
その人の小指は、指関節一本分下に下がってついていた。
私は彼女の努力がたりないだけだと思っていたけれど、自分の指が変形し始めて初めてその大変さに気が付かされた。
最近、弓を上手く持てないことが多くなった。
指の湿度が極端に低くなって、弓を柔らかく持てない。
緩めに持つと、弓が落ちそうになる。
以前は湿度が適当にあったので、弓は固く持たなくても、じんわりと手に落ち着いていたのに。
レジ袋の重なりも手の湿気がないと上手く剥がせない。
ツルリと滑ってしまう、あれと同じ。

いままでどれほど自分がめぐまれていたのか、ようやく気がついた。
これからの練習でそれらのハンディをどう克服するか。

以前、チェコのヴァイオリニストのスークさんの最後の演奏会に行った。
これが日本で聴ける最後の演奏。
それはそれは素晴らしい演奏で、会場は総立ちになって拍手をした。
みんな泣いた。
なぜこんなに上手いのに引退してしまうのだろうかと、そのときは思った。
しかし、年齢は容赦なく彼にも影響していたのだろうと、今になればわかる。
毎日年齢と戦って出した結論が引退だったのかと。
その時の彼は、ちょうど今の私くらいの年齢だったと思う。

弓が滑り落ちそうになることは、右手指に絆創膏を貼ることで多少しのげることに気がついた。
怪我をしていないのに、右手は絆創膏だらけ。
ただ左手の指の曲がりはまだ対処法が見つかっていない。
0コンマ何ミリのことで音程が狂う。
今まで普通に並べていればよかった指が曲がると、いちいちそれを修正するのは至難の業。
でも、長い時間をかけて、修正していかないといけない。
最初に小指が曲がり始めたときにはなんとか修正できたけれど、老化が加速している現在では♫どちらが先にかけつくか♫だわね。
そして指先の湿気が音色にまで影響することもわかっているので、時々ぺろりと自分の左指を舐める。
私の楽器は汚い!

どこの誰かは知らないけれど、この楽器の次の持ち主には言えない。





2019年1月24日木曜日

奥志賀高原で遊ぶ

今回の滑り初は奥志賀スキー場。
長野駅を出たバスは志賀高原の各スキー場を経由して、延々と雪道をたどる。
奥志賀高原の一番奥に今回の宿、ホテル・グランフェニックスが待ち構えていた。

昼過ぎに到着すると、粉雪がチラホラと舞っている。
昼食を終えて今シーズン初めてゲレンデへ。
寒い!
今年は都心が暖かく、寒さに耐性が出来ていない。
まずホテルの目の前の緩斜面で足慣らしを始めたけれど、そこのリフトは超スローモー。
短い距離なのに、すごく時間がかかる。

高度は海抜約1500メートル。
頂上に行くわけではないからと薄着で出たら、震え上がった。
シャツの上にニュージーランドのウールのウエア。
その上にヤッケを羽織っただけなので、リフトの遅さがこたえる。

ここは緩斜面で全くの初心者向きのゲレンデ。
滑り終わっても汗もかかないから、次は隣の中級者用ゲレンデへ。
ホテルから歩いてこちらのリフトに乗るには、前のリフトより少し遠い。
そのほんの少しの距離でも我々年代にはもう辛い。
ヨロヨロとリフト乗り場にたどり着く。

次の斜面の初めは曲がりくねった狭い通路が続く。
前日が大雪で圧雪が間に合わないから、ひどく滑りにくい。
ドタドタと数回降りるとやっと足がなれてきた。
次のリフトに進んで上へ行くと、そこは緩やかな広いゲレンデ。
これはご機嫌。
そんな風に徐々に足が慣れた頃、リフトの営業時間が終わった。
最後の一本は、できる限りのスピードでホテルへ向かう。
風が耳元でヒュウヒュウと唸る。

ホテルに帰りスキーを脱ぎながら景色を見ると、雪がやんで青空が少し見えた。
バラ色の夕日を背景にした数本の白樺と、雲の合間から見える青空。
この瞬間、心の底から喜びが湧き上がる。
しばらく寒さを忘れて、景色に見入ってしまった。

二日目は用心してヤッケの下にダウンベストを着る。
顔をマスクで覆うと、ほとんど寒くない。
時々雪、ガスが出て頂上が見えないから、焼額のゲレンデまで行って、ゆっくり戻ってきた。
ゴンドラに乗っても視界が悪いからあまりおもしろくはない。
ホテル前の緩斜面にたどり着く少し前で、同行のSさんが転んで起き上がれない。
やっと立ち上がってきたものの膝から力が抜けて、滑るのは危険というのでスノーモービルに乗せてもらうことになった。
他の皆は前日滑ったウネウネした細い通路を降りることにした。
Sさんが後ろの座席に乗ったスノーモービルが降りていくのが見えた。
嬉しそうに満面の笑顔で。
その日は圧雪が行き届いて、細い通路もあまり苦にならない。

その翌日は快晴・無風の絶好のスキー日和。
転んでスノーモービルに乗ったSさんとSさんの奥さんを除いて、前日同行しなかった人が加わって、もう一度焼額に。
すると昨日はガスで見えなかった焼額山頂に向かうリフトが右手に見えた。
山頂付近のゲレンデはなだらかで広い。
そこで数回遊び、リフト2つ分降りて、ゴンドラに乗って、前日と同じコースを戻ってきた。
途中少し雲と風がでてきたけれど、午後には回復した。
ホテル前の緩斜面のリフトの営業が終わるまで、基礎練習をする。

空の青さとバラ色の夕日は前日よりも更に美しい。
最後のひと滑りはスピード全開。
この瞬間が一番楽しい。

スキーは自分のペースで楽しめるひじょうに素晴らしいスポーツなのだ。
高齢の我々にも体に負担がかからない。
実際、これだけ滑っても一切筋肉痛もない。
我が「雪雀連」の会長は御年89歳。
誰よりも軽やかに早く楽しげに滑る。

次回の予定は2月半ば。
志賀高原の高天ケ原に宿泊予定。
今朝ホテルで次の宿泊先にスキーを送った。
ほんの目と鼻の先なのに、自力で持っていけないからクロネコさんに運んでもらう。
前夜から雪と風が強くなってきて、長野行のバスに乗る頃には新しい雪がどんどん積もっていく。
少し下界に降りる頃には雪はやみ日が差し始めた。

東京は帽子をかぶると汗をかきそうに暖かい。
帰宅したら猫が爛爛と目を光らせて怒っていた。
留守中姉が餌とトイレの世話をしてくれていたけれど、私以外の人間になつかない猫だから、ずいぶんつらい思いで過ごしていたと思われる。
帰宅から数時間経ってようやくご機嫌が治ったようだ。
ごめんね、猫さん。一緒に行けるといいのにね。















2019年1月19日土曜日

ホワイトアウトの恐怖

去年、志賀高原でホワイトアウトに見舞われた。
自分の足元すら見えない恐怖を初めて体験した。

北海道の当別町で60代の男性から、ホワイトアウトのため車を雪山に突っ込んでしまったという110番通報があったという。
自力で脱出できると言ったらしい。
しかし、その後警察が捜したところ、自宅の玄関の数十センチのところで力尽きて倒れていたという。
数十メートルではなくセンチ。
玄関の鍵が側に落ちていた。
やっと自宅にたどり着き玄関を開けようと鍵を取り出し、手が凍えて落としてしまったら・・・と思うとぞっとする。

志賀高原で突然のホワイトアウトを経験したときには、スキーのインストラクターが一緒だった。
彼は富山の雪山で働いていた山男だから、こういうときにも冷静に私達を誘導してくれたけれど、自分たちだけだったらどうなったことか。
ゲレンデでインストラクターに惚れ込んで「なんて格好良い」なんてよく聞くはなし。
こういうときにはとても頼もしく思える。
我らが惚れ込んだスキーの先生。
彼は稀代の奇人変人で、私達のような美女軍団を目の前にしても、心ははるか彼方の雪山をうっとりと思い起こし、スキーの話になると目が座ってくる。
むりやり話を捻じ曲げても、少し間があくとすぐにスキーの話しにもどってしまう。
今まで生徒たちからモーションをかけられた話も数多いのに纏まらないのは、そんなわけらしい。
でもあれじゃあね!

ホワイトアウトの話に戻る。
なんとか視界のきくところまで降りて見ると、実は結構な急斜面。
しかもコブコブだったのに驚いた。
コブのある急斜面は、見えていたら避けて通る。
見えないのが幸いして、斜面に対する恐怖は感じない。
ひたすら下に降りることだけ考えていたから、わかってびっくり。

スキーの技術は未熟でも年数だけは重ねているから、大抵の斜面は降りることができる。
けれど斜度やコブなどを見るとまず恐怖心が湧く。
それさえなければ十分に降りられるはずなのに。
いつも新しいゲレンデに行こうと誘われると「私でも降りられる?」と訊く。
いつも「大丈夫だよ怖がらなければ」という返事が返ってくる。
そうなのさ、怖がらなければ基本的なことさえ守れば、ちゃんと降りられるのだ。

そんなことは重々承知している。
ステージで演奏するときも、怖がらなければ良いのに。
どんなに小さいコンサートでも気軽には弾けない。
舞台袖で待っているときには、お腹が痛くなる。
この瞬間客席がホワイトアウトで消えればいい。
だから本番前には気持ち悪くなるほど、練習を繰り返す。
本番になると、ストンと胸のつかえが消える。
まな板の鯉。
さあ、殺せ!なんて。

今シーズン初めてのスキーは来週、奥志賀高原から。
良い天候を祈るのみ。









2019年1月15日火曜日

抱腹絶倒

昨夜のミューザ川崎の市民交流室は、終始笑いに包まれた
こんなに笑ったのは久しぶり。

この会場は一昨年、私たちがデュオリサイタルに使った場所。
音響が良くて手頃なキャパシティ、使用料もお安い。
ただし、競争が激しくて希望日はなかなかとれない。
友人のSさんが、くじ運の強さで見事希望日ゲットしてくれたおかげで実現できた。

会場内は自由に飲食もできる。
椅子やテーブルを好きなように並べることができる。
ひじょうに使い勝手の良いホールなのだ。

2日ほど前レッスンを受けに来た生徒を誘って、でかけた。
東京交響楽団のホルンセクションによる、愉快なコンサート。
題して紅白歌合戦。
私はこれを聴くのは今回で3回目になる。
司会者はチャーリー和田氏。
怪しい名前のこの人は、誰あろう、私の英語の先生ルースさんのご主人。

会場に入るとテーブルが並べられて、ビールやソフトドリンクの用意がしてある。
最初から寛いだ雰囲気で、もうすでに笑う気満々の人たちがわんさか待ち構えていた。
司会が始まると爆笑に次ぐ爆笑。
いつも不思議に思うのは、今テレビに出ている芸人さんたちのつまらなさ。
絶叫したりわざとらしい振りをしたりしても少しも面白くないから、テレビはほとんど見ない。
なんであれで商売になるのだろうと常々思っているのだけれど、受け止める層が幅広過ぎると、あの程度でないとだめなのかなと思う。
とても不遜な言い方だけれど、この会場に一般の人たちが聞きに来ても笑うポイントがわからないかもしれない。

紅白歌合戦と称して、紅組と白組に別れた二人のホルン奏者が歌謡曲などを演奏して勝負するという趣向。
それぞれの歌い手の衣装や髪型などに扮装して、歌うときの振りも真似しながらホルンという難しい楽器を吹くのだから大変。
そのホルンの演奏が上手い!
上手くないと悪ふざけに終わってしまってつまらない。

昭和のヒット曲を聴くと、自分の生きてきた時代を思い出す。
クラシック音楽好きな人達は演歌などバカにすることも多いけれど、私は演歌大好き。
演歌歌手は皆すごい。
たった3分ほどの歌にあれほど情感を込められるのは、彼らの歌唱力が並大抵ではないから。
私も仕事でずいぶん歌伴をしたけれど、一流歌手たちは教養も集中力も半端ない。
それでなくては短い曲であれほど人々を熱狂させることは出来ない。

美空ひばりの最晩年、緑山スタジオでの収録があった。
スタッフは彼女が現れる前からピリピリ。
なんでこんなに緊張しているのかと思ったら、ひばりさんが現れてその答えがわかった。
どんな場面でも完璧に歌う。
体力も気力も限界だったと思うのに。
一度として声がかすれたり音程を外すことはなかった。
和田A子という歌手がいて、現場でたいそう嫌われていた。
リハーサルの時間が細かく決まっているのに自分だけ沢山時間を要求する、音程といえば合ったためしがないのに、なんで歌手と言えるのか不思議。

おっと!他人の悪口を言うと自分に跳ね返ってくる。
なんであれがヴァイオリン奏者と言えるのかってね。
いや、私のはハイ(廃)オリンだから。










2019年1月13日日曜日

14日ミューザ川崎市民交流室にて


急な話で申し訳ない。
明日14日夜、ミューザ川崎の市民交流室にて、こんな愉快なコンサートがあります。

司会を務めるのは、私の英語の先生のルースさんの最愛のご主人、ホルン奏者の大和田さん。
彼らはドイツ留学中に知り合って結婚したらしい。
らしいというのは、プライベートのことはお互いにあまり話さないから。
ホルン奏者になる前は本気で吉本に入りたかったという話を聞いた。
軽妙な語り口でお客さんを沸かせる。

このシリーズは何回か聴かせてもらった。
ほとんど笑っているから、コンサートで眠る習慣のある私としては寝不足になる。
お笑いだと思うかもしれないけれど、演奏がいつも素晴らしくて本当に楽しめるので、お薦めの一品です。
ミューザ川崎は駅直結、改札を出ると屋根のある通路を通って徒歩2分くらい。
大ホールの向かい側のドアを入ってすぐ左側です。











2019年1月12日土曜日

日が経つにつれて

まだ生活の変化に戸惑っているけれど、いつまでも愚痴を言っても仕方ないのでペースを徐々に戻す様にしてきた。
ものを沢山捨てて、風通しが良くなった。

いつまでも食事を疎かにしないように、シチューとお蕎麦なんてことのないようにと思って買い物にでかけた。
まず、野菜と果物。
いざ野菜を選ぶ段になって、別に食べたくないことに気がついた。
食べなければと思うけれど、まず青物には目が向かない。
ホーレンソウとかブロッコリーとか、青臭そうで手が出ない。
以前冬になるともりもり食べていた根菜類にも食指が動かない。
今までは絶対に切らさなかったキャベツも買う気がしない。
魚売り場にも欲しいものはない。
お寿司なら食べられるのに。

結局りんごなら買ってもいいかな、と一つ手に取る。
日本酒が冷蔵庫に入っているから、焼き味噌のしそ巻と生揚げを買った。
けれど、途中で唐揚げやさんの前を通ったら、ゴロゴロ野菜のカレー弁当というのがあって、それが無性に食べたくなったので買ってしまった。

夕飯はそのカレー弁当だけ。
体調がというよりも気持ちが食事のほうに向かっていないらしい。
やはりまだ残っている事務的なことの整理がついていないので、気になっているのだと思う。
案外気が小さいものだから、あまり付き合いのなかった親戚にどう向かい合ったらいいものかよくわからない。
穏やかで、決して難しい人たちではないけれど。

いままでレッスン室にあったパソコンを居間の方に移した。
時々夜中に目が覚めて、ちょっとパソコンで遊びたいと思っても、ドアを開けて暗いレッスン室まで行くことを考えると面倒だった。
まして今の時期は薄い寝間着では寒すぎて、震え上がる。
これでいつでもパソコンが使えると思って喜んでいたら、今までヴァイオリンの稽古の合間にしていたゲームができなくなった。
わざわざ、ゲームのために居間に戻るのも面倒。
おかげで練習が捗るようになった。
今までちょっと気分転換と思って始めたゲームにのめり込んで、無駄な時間を使っていたから。

パソコンが消えて徐々に事務関係の書類が少なくなって、今朝レッスン室に来た人が「部屋がすっきりしましたね」という。
あともう少し。
部屋に余計なものがなくなると、楽器の響きが良くなる。
楽譜も楽器も整理しないといけない。

パソコンは3~4畳ほどの小さな部屋にすっぽりと収まって、居心地良さそうにしている。
専用のエアコンをつけたから、温度調節も簡単。
必要なものは全部手の届く所にある。
これでますます私の体脂肪率は増加するのみ。
人間、あまり楽してはいけない。

いつ果てるともしれない事務処理も、日が経つにつれて一つずつ解決されていく。
始まれば終わるものなのだとつくづく思う。
それにしても私の最も苦手なことばかりの5ヶ月、でも、もう5ヶ月過ぎた。
あとはどのくらいすれば平和がもどるのだろうか。

2月の末に、北軽井沢の町民会館でコンサートの予定。
冬から春への季節の変わり目だから、曲もそれにちなんでプログラムを組んでみた。
北軽井沢は立春過ぎてもなお春は程遠いと思うから、最初の曲はヴィヴァルディの四季より「冬」から始めようと思っている。
そのへんで日常に戻れれば良いなあと思っている。




















2019年1月11日金曜日

食べ過ぎ

このところ、家で一人で食べるご飯が不味いから、友人たちと食べ歩いている。
誰かと一緒に食べるとまるで味が違う。
昨日は自由が丘のイタリアンで女子会。
その前日はやはり自由が丘の寿司屋。
もう少し前は数駅先の友人の家でランチ。
その前日は・・・とずっと続いているために、胃腸の具合がよろしくない。

一人で食べるご飯は、まずい。
ひとに食べさせようと思えば多少バランスや彩りも考えるけれど、全く一人だと栄養さえ摂れていればよしとしてしまう。
たまたま日本酒があるからつまみをと思っても、そこにあるものがクリームシチュウだったりすると、ミスマッチ。
やはり♪肴は炙ったイカでいい♪ イカいい。
カラスミやウニもいい。
チーズでも悪くはないが、あまり合うとはいえない。

先日は小田原のビアホールで10人ほどでワイワイ飲んだら、本当に美味しかった。
その時来た連中も口々に「みんなで食べるとうまいなあ」
連れ合いが亡くなったり、子どもたちが独立して夫婦ふたりきりになったり、年をとれば誰もが寂しくなる。
料理をする気もないから、食材の買い置きもない。
さて夕飯でもと思って冷蔵庫を開けると、玉ねぎすらなかった。

昨日の女子会は、ネットで調べたお店に行ってみた。
駅には近いけれど、裏道の地下にひっそりとあるお店だった。
しかし、ネットの書き込みを見ると、かなり有名なお店らしい。
女子会メンバーの中にこの界隈のひとがいて、「あら、ここ来たことある」

定時に店に入ると痩せ型のウエイターに迎えられた。
私の名前で予約したので、nekotamaさまと名前の書かれたカードがテーブルにあるという、心憎い気配り。
さっそくワインと料理を注文して一斉に話が始まった。
年のわりには皆コロコロよく笑う。
女学生の集まりみたいで、もりもりと料理を平らげていくと、嬉しそうなウエイター氏。
そして又「みんなで食べるとおいしいわねー」

次第に会話に加わるウエイター氏。
「以前はどこそこの店にいました」
「あら、そのお店うちのほうよ」とかなんとか。
やはり音に敏感だから、陽気なおばさんたちでも決して声高にはならない。
帰り際には厨房からもスタッフみんなの挨拶が飛んできた。
どこへ行っても楽しい人達なのだ。

さんざん話をしたくせに別れ難く、近くでお茶してから解散。

今日は久々にハリー・ポッターの購読。
5ヶ月ぶりの再会にルースさんは大喜びしてくれた。
彼女がこの本を読むことを喜んでくれるから、私も続けていられる。
今6巻の半ば。
ルースさんは日本人よりも大和撫子と言われるだけあって、とても優しい。
私が一人になったので、仕事をしているのか、生活は大丈夫かと訊いてくれる。
レッスンの謝礼が大変ならお金はいらない、私はこれを読むのが好きでやっているのだからと言ってくれる。
ほんと、皆ありがとう。
大丈夫、お金がなくなったら猫に貢がせるから。

昔飼っていたニブというミラクル猫。
以前は放し飼いだったから、ニブは毎日どこかへ出かけて帰りには魚を咥えて戻ってくる。
近所の家で可愛がられていたらしい。
けれどある時、鰻を咥えて戻ってきたときには、流石に青くなった。
首輪に餌をやらないでくださいと書いておいたら、それからぱったり持ち帰らなくなったけれど、時々は鰻咥えてこないかななんて冗談を言ったこともあった。

実家にいた頃に飼っていた三毛猫は、毎日高価そうな金魚を咥えてきた。
ある日実家を訪れた人が「別に良いのですが・・・」
言いにくそうに「お宅の猫がうちの金魚を!いえ、別に良いんですよ」
応対していた母がコメツキバッタのように頭を下げていたのを思い出す。

今日帰宅して冷蔵庫を開けたら、小さい鍋にシチュウの残りが。
それだけだと足りないからインスタントのカップそば。
ちゃんと食べてる?と友人が心配してメールをくれたからシチュウとお蕎麦と返信したら、呆れ果てて、ちゃんと食べなさいよと言われた。
















2019年1月1日火曜日

年明けに

今年もお正月が来たけれど、ご挨拶はぬきで、昨年中の御厚誼に感謝するのみで失礼します。

去年は私の人生でも取って置きの修羅場続き。
私でも苦労することがあるんだと実感した。
大晦日には友人たちから、来年はきっと良い年になるよと励ましの言葉を頂戴した。
大げさに騒がず暖かく見守ってもらえているらしい。
ありがとう、みんな!
大丈夫、私は修羅場にあっても、右往左往する自分を面白がって眺めているような猫だから。

今朝、暮に買ってきたローストビーフ用の牛肉があったのを思い出した。
今までローストビーフを自分で作ったことがなかったけれど、だいたいやり方は想像できる。
塩コショウしてフライパンで表面を焼き固める。
そして、超とろ火にして約45分。
周りにりんごの薄切りとはちみつをとろりと流し込み、蓋をして放置。
中がピンクで少し肉汁がにじむくらいの絶妙な焼き加減で完成。

つまみ食いをしたら、ほっぺが落ちるくらいの美味しさ。
うーん、私は料理の天才だあ!(まぐれなのに)
フライパンに残った肉汁を煮詰めてソースを作る。
しばらく考えた。
一体何を混ぜたら美味しいソースになるだろうか?

醤油?オイスターソース?めんつゆ?赤ワイン?
足し算して味を想像すると、バルサミコ酢。

りんごとはちみつの甘味が出ているから、ここに複雑な味のバルサミコ酢はぴったり。
でもこの酢は味に癖があるので、入れすぎてはいけないから慎重に。
慎重という言葉は私には無縁で、そのせいで屡々大失敗を繰り返してきた。
今回に限り慎重が幸いして、少し酸味のある美味しいソースができた。
やったね!

レシピを見て作ることがないから、常に均一の味というわけにはいかない。
ときにはとんでもなく失敗する。
失敗するときの原因は緊張。
食べる人を意識するとうまくいかない。
自分の想像力を信じて集中すればいいものを、食べる人を意識すると集中力が鈍る。

これって演奏と同じだなといつも思う。
自分の世界にとことん向かい合っていればうまくいくのに、聞き手を意識して、面白く聴いてもらっているだろうかなんて気持ちが出たら失敗する。
あくまでも強烈な自意識の元で集中しないと、時分の世界は紡ぎ出せない。
他人がどう思うかではなく、自分がどう弾きたいか。
それをどう伝えるか。

技術はすごく高いレベルなのにそれができない人もいる。
弾くのはうまいから若いうちはエリートコース。
優等生に多いタイプなのだ。
学生時代は教師のいうとおり弾くから、先生の覚えもめでたい。
けれど、そこから脱却出来なくて、あら、お上手ねで終わってしまうひとが多い。
自分の中に強烈な意識がないからそれで満足する、それも良い人生かもしれない。

私のように気持ちの中に常に渦巻いているものがあって、表現したい。
ところが表現する技術が未熟。
これが最悪のケース。
大元の技術不足ではどうにもならない。
今年も鳴らせない楽器に頭を下げて、恐れ入ります、もう少し良い音で鳴っていただけないでしょうかと、お願いするしかない。
特に私の楽器の頑固さはどうしようもない。
以前使っていた楽器は多少のことがあっても、あまり目立たなく処理してくれたのに、今の楽器は頑としてはねつけてくる。
少しでも調弦が狂っていると、どんなにしても重音が合わない。
スイートスポットが狭いというか。
ひっきりなしに調弦するのに疲れ果てていますよ。
楽器の要望に答えられるようになれば私の技術が上がったということなのに、この先、年をとるばかりで、これからも楽器にはねつけられる日々が続くと思うとお先真っ暗。

しかし、人生すべて楽しく生きることしか考えていないから、こういう性格ではたいした演奏家になれるわけはない。
生涯ヘボヴァイオリン弾き。
すべて自分のサイズで生きるしかないのだから。

初っ端からこんなボヤキで迎えた新年。
皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。