2017年12月31日日曜日

さて来年は

ここ数年健康診断を受けていないからどこか悪いところがあるかもしれないけれど、健康状態は自己診断では良好。
多少(?)メタボチックかもしれない。
コンサートの準備に追われていた半年ほど前は少し痩せて、服のサイズが一段下がった。
それで慌ててサイズの小さい服を買ったら、なんのことはないすぐに太って元の木阿弥。
今や以前にもまして体重増加の一途を辿っている。

この「元の木阿弥」の意味はご存知かな?
一旦良くなったものが元の状態に戻ることをいう。

戦国時代、大和郡山の城主、筒井順昭が亡くなった。
息子の順慶はまだ幼少だったために、順昭に姿が似ている木阿弥を替え玉にして寝室に寝かせ、城主の死を隠した。
3年後順慶が成人したために順昭の死を公表し、木阿弥は御用済みとなり、元の木阿弥に戻ったという説が最も有力とされる。

それではもう一つ。
「呉下の阿蒙にあらず」

「呉下の阿蒙」とはいつまでも進歩しない人のこと。同義語は「旧態依然」

中国の三国志の時代、呉の武将の呂蒙は武勇一点張りだった。
呉の主の孫権は彼に武勇だけでなく学問も修めたほうが良いと助言した。
主人の助言に従って猛勉強した呂蒙は高い教養と見識を持つに至る。
彼は「日々努力をしているものは3日も会わなければ目をみはるほど進歩をするものだ」と言ったそうで、そこから「呉下の阿蒙にあらず」すなわち呉のおバカちゃんではないと言う言葉が生まれたという。

この2つの言葉をつなげると私になる。
ただし、呉下の阿蒙のほうは「あらず」が付かない。

太るとウエストがきつくなって服が着られなくなるのを良く知っているのに、せっかく痩せても甘いものが我慢できずに太り、元の木阿弥。
それで「(呉下の)阿蒙」である。
阿蒙(蒙はバカ、阿は~ちゃん)要するにおバカちゃんとでもいう意味だそうで。
何回ダイエットしても又太る、ああ、もう、進歩のない人は私です。

こんな言葉遊びをするほど今は余裕綽々。
普段遊び呆けて、本番が近くなると真っ青になって練習すると言うところが「阿蒙」
これで、日々着々と練習を重ねていれば3日も会わないと目をみはるほど上手くなるなんて夢のまた夢。
何十年練習してもド下手のまま。
自分でもため息が出るほど進歩がない。

今年はまだこれでも頑張ったほうです。
体力、気力ともに衰える年代になって、なんとか演奏を続けている。
その代わり、疲労困憊。
やっと復活してそろそろヴァイオリン弾くか、なんていうのはここ数日前から。
3日も会わないと進歩に刮目するなんて、一度でいいから言ってみたい。
言うだけならタダだから言っても良いけれど、恥る気持ちはまだ多少残っているので今は言えない。
何を言っているか自分でわからないほどボケたら、その時に大いに吹いてみよう。

さて、今年一年皆様には本当にお世話になりました。
このグダグダした拙文を読んでくださってありがとうございます。
自分だけの日記のようなものとはいえ、やはり読まれるのは嬉しいものです。
どなたが読むかはわからないので時々フェイクを入れるので、わかりにくいことがあるかもしれなせん。
来年もまだ書き込みできそうなので、時々このページを覗いてみてください。

それではごきげんよう、良い年をお迎え下さい。


らいねんもよろしくおねがいします。
僕達頑張りますワン!







 





















2017年12月29日金曜日

きな臭い

毎日朝のテレビは貴乃花親方と相撲協会のバトルの報道ばかり。
他になにかニュースは無いのかと思う。
しかもどの局も一斉に延々と。
あまりにもその報道ばかりでちょっと勘ぐりたくなるのは、なにかきな臭いことが陰で行われていて、それを隠蔽するための放送情報操作では?と。
今北朝鮮の木造船が続々とやってきている。
日本の海は不穏な空気なのに、呑気に相撲界の内輪もめばかり。

モンゴルという国が絡んできているので、図らずも国際問題になるのではと心配もするけれど、今は相撲より北朝鮮とアメリカ、中国の動きのほうが怖い。
相撲を国技というけれど、私はほとんど興味はない。
このグローバルな時代に国技と言う閉鎖的な体質もなんだかピンとこない。

森友加計学園問題はどうなったの?
安倍さんはとても良い人だというけれど、良い人が身内にばかり向かうと良くないことになる。
損するのは国民ばかり。

ここ数日、相撲のことばかりきかされてうんざりしてテレビは見たくない。
貴乃花親方のちょっと飛んでしまっている目つきを見ると、気味が悪い。
言うべきこと言わないでなにを気取っているのかと思う。
相撲協会側は古い体質だと思うし、改革したいというのならちゃんと物申さなければどうやって改革するの。
名門の貴乃花には弁護士や著名人の陰のブレーンが沢山付いているだろうに、こんなに紛糾させて何が狙いなのか良くわからない。
私は単純で直球しか受け付けない性格なので、見ているだけでイライラする。

日本人は・・特に男性は議論より沈黙が美徳と思っていない?
きちんと話し合わなければわかるわけない。
物事は単純にすればするほどうまくいく。
と、私は思う。
皆で猿になろう!

さて、バカばっかり言って今年も残すところあと僅か。
今年は物事があまり上手くいかない年だった。
気持ちが落ち着かず忙しいばかりだったけれど、やりたいことはやってのけたし、トータルでは中々充実していたと思いたい。
特に最後の3ヶ月は地獄のストレス。
顔が別人のようになった。
ブツブツシミのもとが発生。
ストレスで肌荒れが酷く、驚くほど体に影響が出るものだと思った。

それが一段落して今落ち着いてくると、なんだか物足りない。
根っからの修羅場を好む性質だと思う。
又仕事始めようかな~なんて、考えたりして、いやいや、始めたら又シミが増えるからやめたほうが良い。
今年最後のイベントの忘年会も終わって、ぽかんと気の抜けた状態でお正月を迎える。

今年も喪中で、この数年間喪中続き。
毎年兄弟がすくなくなっていく。
姉がしみじみと「兄弟がたくさんいてすごく楽しかったけど、こんなふうに欠けていくとさびしいものだわね」と言う。

それは仕方がないことで、私は末っ子だから順番からいくと最後に残る。
母が私の兄姉に「この子は末っ子で親と居る時間が少なくてかわいそうだから、皆で面倒みるんだよ」と言っていたけれど、その兄姉たちもそろそろ危ない。
私は子供の頃から一人でいるのは苦にならない。
それでもなるべく来年は皆無事であってほしい。
友人たちも元気でいてほしい。

楽しみな冬がやってきて、白銀が招く。
北風が待ち受けている。
最初のスキーは北海道。
お正月の志賀高原はパスするので、猫と2人でまったりと過ごす予定。
お正月といえばこたつにミカン、あいにくわが家に畳の部屋はない。
百人一首や福笑いで過ごしたお正月は、遥か昔のことになってしまった。
来年が平和な一年でありますように心から祈っている。

それにしても北朝鮮の人民はかわいそう。
エリートのはずの国境警備隊ですら、栄養失調。
逃亡して銃撃された人は無事だろうか。
遭難した木造船のなかの遺体の胃からは、トウモロコシしか出てこなかったとか。
先年旅行したチベットの人たちのあまりの貧しさと諦めきった無気力さに涙したけれど、それを上回る悲惨さは気の毒すぎて言う言葉もない。
こんなことがほんの目と鼻の先の国で行われているとは。

日本は今のところ、どこの国よりも平和だと信じたい。
相撲だ不倫だとテレビは連日はしゃいでいるけれど、ほんとうのところはどうなんだろう。
楽天的と思っている自分でも心配する雰囲気が感じられるのは、なぜかな?


















2017年12月24日日曜日

リハーサルと称する飲み会

昨日246号線を走っていると富士山が綺麗に見えた。
手前の大山連峰も稜線がくっきりと青空に浮かんでいた。
今日は曇り空、さぶ~い!
引きこもりが始まって少し太ったのでダイエットと言いながら、次々に誰かしらと飲んだり食べたり。
明日は忘年会コンサートの練習で集まるので、ダイエットは絶望的。

ごちそうはローストチキン。
ピッツァ、キッシュ、柿の葉寿司など。
食べるのが目的ではなく練習・・・ではなく・・・食べるのが目的なのさ。
申し訳程度の練習が終わると、さっそくビールとワインの栓を抜く。
今回は特に飲ん兵衛のソプラノが一名。

買い物に行くのにクーラーボックスを持っていこうと蓋を開けたら、中にワインの空き瓶がどっさり入っていた。
前回集まって飲んだ後、ゴミに出すのを忘れていた。
なんとまあ、良く飲むこと!

ワインはいつもピーロートジャパンから送ってもらう。
担当のA女史からしょっちゅう電話が来る。
「今回はね、私達試飲してみましたが、ほんっとに美味しかったのでぜひご紹介しようと思いまして」
「めったにない出物です。このワインがこの値段で出るということは稀ですので、いかがでしょうか」
このようなセールストークが実に上手い。
長年の付き合いなので、お互いに駆け引きが上手くなった。
私自身はあまり飲まない方なので、必要ないんですが。

お花見や忘年会の練習やらで人が集まってくるから、つい嬉しくなって振る舞い酒をしたくなる。
皆それほど飲むわけではないし車で来た人は飲まないけれど、皆さん飲み会は大好き。
お酒が飲めない人はノンアルコールビールかジンジャーエール、ウーロン茶。
飲める人は楽しそうにくだをまく。
飲めない人は彼らの酔態を見て笑っている。
それぞれの楽しみ方をわきまえている大人の集団だから。

コンサートの時の練習は本当に真剣勝負だけれど、忘年会の遊びとなればゆるーく練習して、当日は会則にのっとって、間違えたりコケたり。

雪雀連のコンサートの会則は厳しく決められている。

真面目に演奏してはならない。
数回は間違えないといけない。
聞き手はなるべく演奏の邪魔をする。 等。

皆お酒を片手にやいのやいのと囃し立てながら、冗談の演奏を楽しんでいたのに、そこは根が真面目。
そのうち冗談でなく真剣に弾く人が現れ、こうなるともう面白くはない。
なんだかアカデミックになってきたから、今回は初心に戻ってふざけないと。
けれど、いつもの演奏もふざけているように聞こえるらしく、多少ふざけても効果はない。
あら、いつもと同じじゃないと言われそうなのが、残念なところ。
アハハ、てなことは流石にないか。いやいや、ありそうな話。

ニューヨークフィルとダニー・ケイ共演の抱腹絶倒のビデオがある。
両者のスキルがものすごく高くて、こういう人たちだから冗談が本当に面白いのであって、私が多少ふざけても多少真剣に弾いてもあまり変わりがないと、なんだか惨めだなあ。
来世は手にヴァイオリンを持って生まれてこよう。
歩くより早くヴァイオリンが弾けますように。

でも生まれ変わったら猫になっていたりして。
そうよ、物事すべてそう上手く行くわけはない。
天才になったらなったで、とてつもない苦労が待ち受けているに違いない。
凡庸で穏やかな今の状態が1番幸せなのかもしれない。


















2017年12月21日木曜日

忘年女子会

かつての同級生・・・今も同級生。
集まれば学生時代にRewind!
今日は荻窪の豪邸の主Oさん、先日デュオコンサートで一緒に演奏したSさん、府中に住む美貌の持ち主のNさん。
そして信楽焼の子狸そのままの私。
こう見るとなんかアンバランスだなあ。

この3人は学生時代から優秀で、底辺で喘いでいた私には高嶺の花、長年演奏を続けていたおかげで残ったメンバーに入れてもらえたというわけ。
国立(くにたち)音大は本当に良い学校だったと思うのは、卒業生が未だに皆助け合っていること。
他の大学の人達が羨ましがる。
M音大の人は、私達の学校ではこんな友達はできなかったと言うし、某国立(こくりつ)大学の人は、私の友達はみんな国立(くにたち)なのと言うし。
仕事場でも人間関係が上手くいくのは我が校の卒業生。

なぜなら学校全体がくにたちボケといわれるように、ほんわかしている。
私は人に遅れること5年以上ヴァイオリンを始めたのが遅かったから、他の大学に行っていたら潰されたと思う。
音大付属高校も入れるレベルではなかったけれど、幸い筆記試験と性格判断テストが良かったらしい。
私が良い成績を取れるテストというのはなんだったのか、たぶん粘り強く諦めないところと集中力を評価されたのだと思う。
粘り強さは未だにヴァイオリンを諦めないことで実証されたと思う。
逆に言えば、ダラダラといつまでも他にすることがないし~なんて言いながら、惰性で生きているということかもしれない。

ひとより遅く始めたので、大学を卒業してからが勝負。
その分長く弾き続けないといけない。
ヴァイオリンという変幻自在な楽器が、私の性格にぴったりだったとも言える。
増々難しく面白くなってきている。

そんなわけでピアニストの3人と異質な私が、未だにつるんでいるというわけ。
今日は定例の弾きあいではなく、忘年会ということで演奏はなし・・・と思ったら真面目なSさんが「ねえ、チャルダッシュ弾かない?」というので渋々弾くことに。
チャルダッシュは私達の「雪雀連」の忘年会でSさんと弾く予定だった。
それは年末なのでまだ練習もしていなかったから、今日はぶっつけ本番。
怠けに怠けていたから指が回るかしら。
それより音が出るかどうか。

友達と言えども彼らは音大のプロフェッサーたち。
厳しい耳が養われているから、けっこうな緊張がある。
終わったらOさんの家の近くの中華料理店で乾杯。
このお店は注文、調理、会計まですべて店主が一人でこなす。
素材が新鮮で味が良い。
その手際の良さったら、続々と客が入ってくるのにほとんど待つこともなく、次々と運ばれてくる。
しかも安い!
私達の大のお気に入りで、宣伝すると店主だけでは手が回らなくなりそうなので教えられないけれど、ぜひ一度どうぞ!なんて。

今日は私達が4人で6人掛けのテーブルを占領していたので、あとから来た6人家族のお客さんが腰掛けられず、断念して帰っていった。
申し訳ないことをしたけれど、私たちは家でメニューを決めてきたから次々と効率よく料理が運ばれてきて、満腹で満足。
このお店に来るために最近の弾きあいは、Oさんの家ですることが多くなった。

食後、高級住宅地を散歩がてら、イルミネーションを見にいった。
閑静な住宅街に立つ瀟洒な家、絵に描いたようなきれいな街。
突如キラキラ輝くイルミネーションが現れた。
良く見ると、1番はじは電気屋さん。
その奥とその手前の家が3軒まるごと輝いている。
この電気屋さんが手掛けたものと思われる。
1軒だけなら普通だけれど、3軒続きのイルミネーションはすごい!





















2017年12月19日火曜日

兄のすき焼き

去年連れ合いを亡くしてしょんぼりしているかと思ったら、一人で残りの人生を楽しんでいるらしい兄から、すき焼きを食べさせるからおいでと言ってきた。
基本的に私の家系は陽気なほうなので、兄も最愛の奥さんがなくなっても自身のガンと戦いながら、チェロを弾いたり絵をかいたりしている。

男やもめになんとやらと言うから家の中は大丈夫かな?と思っていたら、家中ピカピカでチリひとつ無い。
台所の抽斗の中も整然と物が整理されていた。
いやはや恐れ入りました。
壁いっぱいのCDやレコード、書斎には本がぎっしりと、それも背表紙が見事に揃って、これが同じ両親から生まれた兄とはとても思えない。
自慢じゃないが・・・私の家は乱雑で物が毎日散歩に出るから、一日中捜しもの。
兄の家は、どこに何があるか一目瞭然。
そう言えば私は橋の下で拾われた子だとか、よく兄姉たちにからかわれて泣いたものだけど、あれはひょっとして本当のことだったのかしら。

長兄は総領息子として母から大事に育てられた。
マザコンの典型だと思っていた兄が嫁さんをもらった途端、母は自慢の息子のそばをすっと離れて兄は嫁さんべったり、二人共子離れ親離れをしたので皆驚いた。
大家族に嫁いできた義姉は嫁いびり覚悟だったと思うけれど、そんなこともなく(私が気がつかなかっただけかも)平和な家族だった。
とても仲が良かった兄と義姉だったけれど、兄は妻に先立たれてもマイペース。
家事一般、掃除、料理も出来る。
主夫の鑑。

家はほんの5分位の距離。
行くとテーブルはすっかり支度が出来ていて、さっそく美味しいすき焼きをたらふく食べて、お茶を飲みながら戦時中の話を聞いた。
細かいことまで良く覚えていて、焼夷弾が落ちて家が焼けそうになったのを消し止めたとか、田んぼの真中でB29に低空飛行で脅されたとか。
兄は自分がもう少し早く生まれていたら、特攻隊に志願していたかもしれないと言う。
知覧の飛行場に、特攻隊の家族への最後の手紙が展示してあるらしい。
もう少し戦争が長引いたら僕もああなっていたかもしれないと。
戦死する前に戦争が終わって良かった。
亡くなった若き戦闘員たちのことを思うと、涙がとまらなくなる。
しかし兄と戦争とはどうしても結びつかない。

兄弟というのは生まれた順番で性格が変わる。
長男ともなると家を背負い、両親、兄弟、姉妹を守るという役目が背中にかぶさってくる。
私のヴァイオリンも兄が習わせてくれた。
今の私があるのはこの兄のおかげ。

兄の料理上手は、会社を定年退職後静岡の大学で教えるために単身赴任した時に始まる。
一人暮らしなので学生がしょっちゅう遊びにくる。
彼らに食事をさせ、ついでにタヌキにも餌付け。
可愛がっていたタヌキが車にはねられて死んだときは、悲しかったよと言っていた。
今膀胱がんの術後の治療中で、その病院に可愛らしい看護婦さんがいるんだよとニコニコ。
おやおや、お義姉さんが亡くなって間もないのに、ほんとうに男ってやつは・・・
兄の治療には危険な菌を使うので、看護師は防護服を着るのだそうだ。
看護婦さんはとても小柄なのでその服がブカブカ。
普通の人がウエスト辺に来るベルトが腰のあたりまで来て、それでよたよたと駆けて来るのが可愛くてね~。
そうか娘を見ているようなものかな?
私も小さいからそれで可愛がってもらえたのかも。

帰り際に来年もよろしくと言ったけれど、私よりも11歳も年上だからいつまで元気でいてくれるのかしら。
来年の暮にもこうして一緒にすき焼きがたべられたら嬉しいと思う。

















2017年12月15日金曜日

鬱だと言いながら

くたびれて鬱だと騒いでいる割には、ヒョイヒョイよく出かける。
今日は調布市西部公民館主催コンサートを聴きにいった。
調布在住の友人Iさんが、こんなコンサートがあるわよと教えてくれた。

今年の秋に、私は日野に住んでいる友人Hさんと、プロコフィエフのデュオを弾く約束をした。
私が特に忙しかった11月の後半が過ぎたらということで考えていたのが、疲労困憊で譜読みもままならない。
ぼんやりしていたらもう1ヶ月も過ぎてしまった。
その話をIさんにしたら、それならもうすぐ調布でプロコフィエフを弾く人がいるから聞いてみる?と教えてくれた。

調布は久しぶり。
以前は時々グリーンホールへ仕事に出かけることもあったけれど、最近はとんとおよびがない。
行ってみたらすっかり様変わりしていた。
整頓された小奇麗な町並みに変身。
今日はグリーンホールでなく文化会館の大会議室で、昼間の1時間ほどを市民のための無料コンサートに開放していた。
私は市民ではないけれど、Iさんが住んでいるお陰で潜り込む。

江口有香 ニュージーランドから
     ふるさと調布へ音楽の架け橋

ヴァイオリン・デュオ  共演者は田島華乃

エルガー:愛の挨拶
プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタ Op.56
グリエール:2つのヴァイオリンのためのデュオ   Op.49
ヴィニアフスキー:エチュードカプリス  Op.18-4

会場は会議室で講演用の音響の悪いステージ。
気の毒なくらい残響もない。
しかし、お二人の若き(微妙)ヴァイオリニストは美しくハモッて、非常に素敵だった。
江口有香さんは現在ニュージーランドで活躍、曲の間にニュージーランドの話をはさみながら楽しい1時間はあっという間に過ぎてしまった。

プロコフィエフのデュオソナタは合わせるのが非常に難しい。
例えば♬♬みたいな音形をバラバラにして二人に弾かせる。
一人で弾けばなんなく弾けるのに、二人で弾くとほんの僅かなズレでもいびつになってしまう。
しかも早いテンポで弾くとわずかに遅れたり早かったりが命取り。
今日の二人は悠然とクリアしていた。
それには二人のレベルが同等であることと、リズム感の良さが不可欠。

私はこの曲は今まで2,3回弾いているけれど、もう少し磨きをかけたい。
それで、古いオーケストラ仲間のHさんと、何年かぶりに合わせる約束をした。
いやいや、何年どころではなく、何十年になるのかなあ。

調布にお住まいのIさんは聴きに来ないと言うから、仕事か用事があるのかと思っていたので終わってすぐに帰宅した。
家に着いてお礼の電話をしたら、なんと会場まで2分位のところに住んでいるのに、聞きたくないから行かなかったと言う。
あら、もううちに帰ったの、寄ってくれればいいのにと言われてポカーン。
なーんだ、そういうことだったの。
前回のコンサートの演奏者がえらく力んで聞き苦しかったそうで、今日の人がそんなにうまかったら行けばよかったと言う。

若い人の中にはテクニックがあるのに力みすぎ、これみよがしに僕上手いでしょう?をアピールする人もいる。
まあ、坊やお上手ね!パチパチ。
そういう演奏は聞きたくないのはわかるけれど、毎回同じとは限らないので来ればよかったのに。

昼のコンサートだから来られる人は限られる。
当然高齢者、子供連れの主婦。
その中に多動児(爺)がいて、会場にはいってくるなり大声で顔見知りに話しかける。
話しかけられた方は恥ずかしそうに避けている。
避けられても意に介さず、落ち着かない素振りであちこち視線を彷徨わせ、プログラムの紙をガサガサいわせる。
どこにでも一人はこういう人がいるけれど、困ったものだわねえ。
あまりうるさいようだったら「いい年して1時間位じっとしていられないの?」と注意しようと思ったけれど、流石に演奏中は黙っていた。
しかし動作が落ち着かないので、なんか邪魔。
足を組んだり投げ出したり傍若無人。
過去にどんな社会生活を送ってきたのかしら。




















疑似鬱

今の私の状態は鬱。
今年一年頑張りすぎた。
特に春から11月の半ばまで自分のキャパシティーを越えた活動。
疲れ果てて何も出来ない状態が続く。
鬱になるのは必然なので、全面的に受け入れる。
鬱状態になったらどっぷりと浸かることにしている。

私は何年かに一度くらい、こんな事になる。
その時にジタバタしない。
うつ病の人は基本、真面目な人が多いと思う。
体が動かなくなってもなにかやらねばと、気持ちが急く。
そうなると悪循環。

そうなったら神様から与えられた休息だと思って、怠ければ良い。
幸い、私はナマケモノのオーソリティー。
私の理想はオオナマケモノになって、木にぶら下がって1日1センチ移動すること。
遊ぶ、怠けるは私の得意分野。
いくらでもじっとしていられる。

これがあるから、活動するときには目一杯出来る。
目一杯活動して休まなければ人間は壊れる。

私のいけないところは、回転し始めると壊れる寸前まで頑張ってしまう。
何事も我慢しないから歯止めが効かない。
これは覚悟の上だけれど、年齢的にはもう危ない。
若い頃とは違うと自分に何回も言い聞かせる。
しかし、世の中には年齡を言い訳にしない非常にタフな人たちがいる。
そういう人がいるからと言って、自分がそう出来ると思ったら大間違い。
分をわきまえないといけない。
周りも迷惑。

今は自宅で入院していると思って休みたい放題。
仕事をしていた頃の忙しさを乗り切るスキルがあるから、食事の支度も朝のうちに済ませて夕食の支度はものの10分もあれば出来る。
ちゃんとバランスがとれて量もたっぷりのご飯が出来る。
これは私の数少ない特技。
そのかわり整理整頓は思いっきり苦手。
明日で済むことは明日にまわす。

ちゃんとした人なら苦手の分野も頑張るだろうけれど、あいにく私は甘やかされ放題で育ったから、やりたくないことはやらない。
母は私が食べたくないと言えば食べなくていいよと言うし、学校に行きたくないと言えば行かなくていいよと言う人だった。
別に学校が嫌いだったわけではなくイジメもなかったけれど、勉強は家で兄姉から仕込まれてなに不自由なく、子供が嫌いだったから行ってもつまらない。
母が唯一許さなかったのは同年齢の子達と遊ばないことで、引きこもってレコードを聞いたり本を読んだりしていると家から引きずり出されて近所の子の家に連れて行かれた。
行くとすぐに私は帰ってしまう。
変人に育ってはいけないと思ったのだろうけれど、今、私は沢山の友人に支えられているから、母の思いは杞憂だった。
それに変人は少しも悪いことではないし。

今に始まったことではないけれど、学校でいじめが多いのは、均一の型から溢れることを良しとしないからで、子どもたちは窮屈。
個々の多様な発達状態があるのに、それをまとめるのは随分無理があるのではないか。
早く発育する子もいれば、ゆっくりと生涯を通してことを成し遂げる人もいる。
小学校から単位制にすれば、さっさと卒業して早く専門の道に進める。
それがしたくない人はノンビリと我が道を。
なんでも一緒でないといけないのは、窮屈。
だから小学校は嫌いだった。

時々子供の時代に戻って引きこもるのは悪くない。
けれど、それはいつでも声をかければ応じてくれる友人たちがいるからで、本当に持つべきものは友。


























2017年12月14日木曜日

アレルギー?

このところ怠けに怠けたお陰でやっと体調が上向きに。
昨日は体もよく動くようになって、ようやく回復かと思ったけれど・・・
徒歩30分ほどの隣町まで、ちょうど良い距離だから散歩のつもりで歩いた。
用事を済ませる頃になんだか鼻水がでてきて、オヤ、変だな。

今朝目をさますとやはり鼻水が。
しまった、又風邪をぶり返したかと思ったけれど、私の風邪は必ず喉にくる。
初めに喉が腫れて、それから咳というパターンのはずなのに喉は一向に痛くならない。
ひたすら鼻水。
これって、もしかして花粉症の一種?

昨日は暖かく風もなく気持ちのよい一日だったから、帽子もかぶらずマスクもせずに歩いた。
ただ、目が痒いとか喉がイガイガするとかでなく、透明な鼻水のみ。
しかし今頃花粉症でもあるまいに、なんのアレルギーなんだろう。

隣町は近頃急激に発展して高層ビル群が立ち並び、おしゃれなショッピングセンターが出来て、私の住んでいる雑駁な街とは大違い。
以前は工場が多かった。
焼肉屋とパチンコ屋しかなくて、この沿線一の底辺だったのに、最近はいつでも住みたい街の上位にランクされている。
高層マンションが移転した工場跡地に建って、人口が一気に数万人という規模で増えたので、電車は恐ろしいほど混み合っている。
プラットフォームからこぼれんばかりの人の群れ。

その割にはショッピングセンターも、クリニックセンターも混んでいない。
昨日行ったショピングセンターも閑散としていて、やたらに店員さんたちの愛想が良い。
特に私はチビでちょっとおバカだから保護の対象になるらしく、どこでも親切にしてもらえる。
カードのチャージをしたいと言ったら、手を取らんばかりに器械の前に連れて行ってくれて、至れり尽くせりの説明。
よほど暇と見えて、安もののルーペを買っただけなのに二人でかまってくれて、大騒ぎ。
なんなのさ、これって。
野良猫みたいのが来たので遊んでくれるってわけ?

そして帰りも30分かけて自宅に戻った。
その後鼻水が止まらなくなった。
せっかく咳が治ったのに。
そう言えば昨日は水分を取らなかった。
夕方考えたのは、今日はなにも飲まなかったので脱水状態ではないかと。
乾燥している上に外を計1時間歩いたので、ホコリを吸い込んできたのかも。
免疫力も弱くなっていることだし、外出時にはマスクをしないと危険かもしれない。
やっと今年の疲れがとれて気が緩んでいるのもいけない。

この数日間、なにをしても長続きしない。
ヴァイオリンを出して弾くと、楽譜の1ページくらいで疲れてしまう。
本をよんでも1ページ。
そして一日中パソコンのカードゲームをダラダラと続ける。
脳みそが使えないのだ。
脳は体の中で最もエネルギーを必要とするらしい。

ヴァイオリンなんて子供の頃からやっているのだから、頭なんか使わないでしょうと思うでしょう?
とーんでもない。
練習するときには、自分でもびっくりするほど、すごい勢いでコンピュータみたいにフル回転している。
だから疲れているともう駄目で、今の私の状態は多動児。
ちょっとヴァイオリンに触る。
すぐに嫌になって本をよむ。
鼻をかむ。
すぐになにを読んでいるのか分からなくなって、お菓子を食べる。
鼻をかむ。
又ヴァイオリンを弾くけれど、又本を読み始める。
鼻をかむ。
お菓子を食べる。

パソコンの前に移動。
するとオオナマケモノに変身。
そこで何時間もボーッとしてカードゲーム。
そこそこ脳みそ使うけれど別に面白いわけではなくて、せめてこの位のことをしていないと脳みそが腐ってしまうから。
なにか意味のあることは出来ない。

これは痴呆の前兆かあるいは痴呆に突入か、単に疲れているだけなのかわからないけれど、そろそろ仕事に復帰しないといけないかもしれない。
あと1年位、もう少し好き放題やってから考えよう。
と言うと、今まで好き放題やってこなかったのかと突っ込まれそうで・・・

随分以前の話。
軽井沢の某やんごとなき血統の方の別荘に泊めてもらったことがあった。
その方は、催眠術の研究をしていらした。
面白い実験をして見せてくれたり試験台になったり、性格診断をしてもらったり。
性格診断は「あなたは愛情不足かまたは愛情過剰で育ったために、周りの様子を気にしすぎる。もっと、好きなように生きなさい」とアドバイスされた。
それを友人たちの前で披露したら「あなた!今まで好き放題してこなかったわけ?」と猛烈な反発を食らって撃沈。





















2017年12月9日土曜日

時の運

今世間では将棋の羽生善治さんの竜王永世7冠達成に湧いている。
将棋に詳しくないのでそれがどんなにすごいことかは良くわからないけれど、前人未到ということらしい。
25歳の時にすべてのタイトル7冠で大騒ぎされたときのことは良く覚えている。

私は将棋を指したことがない。
次兄が時々指していたこともあるけれど、覗いてもちんぷんかんぷん。
もっとも彼の好みは碁のほうだったので、白黒の石を並べて難しい顔をして一体なにが面白いのかと思ったくらい。

羽生さんのことを注目するのはその偉業もだけれど、実は私の知人にプロ棋士を目指した人がいるから。
R君という彼は幼少時代、山奥のフリースクールのようなところへ通っていた。
非常にデリケートなので粗野な学童たちと合わず、イジメのようなこともあって理解者に預けられた。
両親は芸術家だから、非常に自由な考えの持ち主だった。
自分たちの息子を型にはめること無く、彼の望みを叶えてあげるよう努力をしてきた。
彼は幼少時代に将棋にのめり込み、プロ棋士を目指した。

そのプロになる昇段試験(こういうのかな?)の時に相手になったのが、羽生さんだった。
しかし、彼は善戦してあと一手?まで迫ったらしい。
なんのことかよくわからないけれど、そうらしい。
でもねえ、羽生さんではね!
もしこれが羽生さんでなかったら、プロになれたかもしれない。
本当に運が悪かった。

R君は穏やかな風貌とおっとりした言葉使い。
しかし、時々眼光鋭くなって、勝負師の目になる(ような気がする)
ご両親ともにとても頭が良いので、彼もIQはかなり高めだと見た。
今は将棋に関係のある職種を務めている。

勝負を好む人は遺伝子で受け継がれるのかもしれない。
彼の父方の祖母が大変麻雀が好きだと聞いている。
90才くらいになっても麻雀をやってのけるらしい。
とにかくIQの高い家族なので。
その嫁さんというのが私の友人で、彼女もお姑さんと麻雀をするらしい。

とても残念なことに、私の母は麻雀や花札はヤクザのするものだと思っていたこと。
家で出来るのは百人一首とカードゲーム。
麻雀はさせてもらえなかった。
大人になってから覚えたので、役も点数も覚えられない。
お正月のスキー場で、年一回だけの麻雀。
そこで覚えても一年経つと忘れる。
パイを揃えるだけで計算も他人にやってもらう。
ほとんど負けないのは運の強さから。
配牌が良いのだ。

ある時スキー仲間の親切な男性Sさんが、私ともう一人の女性Oさんを誘ってくれて卓を囲んだ。
Oさんはおっとりときれいな京言葉で話す。
とても勝負強いとは外見ではわからない。
Sさんは私達初心者のために解説したり助言をしたり、とにかく親切。
場が進むと形勢が、ん?となってきた。
私の手元には常に良い牌が並ぶ。
そしてOさんは見かけによらず凄腕だった。
「あら、私出来たみたい、これでいいの?」
ゆったりと手を公開。

段々機嫌が悪くなるSさん。
Oさんと私がSさんをむしった形となって、終了。
翌朝、食堂でSさんに会ったので挨拶をすると返事が戻ってこなかった。
ふん、肝っ玉の小さい奴め。
男はだからいやなのだ。ハハハハ・・・

Oさんは私と同じくらい小柄で優しげな笑顔の方だけど、頭の良さと肝の座り方は並の男性ではかなわない。
普段、気取らず威張らずだけど、怒ったときは怖い。
穏やかな京言葉でじわりと叱られると、男性でも震え上がる。
普通の高齢の女性だと思ったら大間違い、実は映像会社の社長さん。


ここで竜王永世7冠とは?調べてみた。

将棋のタイトルには
名人 竜王 王将 王位 王座 棋王 棋聖 叡王がある。

2017年新設された叡王以外の7つは、通算5期(名人)連続5期か通算7期(竜王など)それぞれ一定の条件を満たして複数回奪取すれば永世称号が得られる。
羽生さんは今回の竜王戦に挑戦する段階で、6つの永世称号を獲得している。

すごい!



















2017年12月6日水曜日

回復の兆し

とりあえず11月のコンサートの後始末がついたところで、気持ちが楽になってきた。
食欲は旺盛で体力的にはダメージは少ないけれど、やはり自分のキャパシティーを越えた脳みその使い方をしたらしく、思い切りぼんやりしたらやっと回復に向かう様子が見えてきた。
約半年、自分が早くも認知症ではないかと思うほどの判断力の低下、運動機能の劣化をいやというほど味わった。

例えば自転車のバランスが上手くとれないとか。
野良猫の餌を与えるのに、新しいお水を置いたのか古いままなのかわからなくなるとか。
今ここに置いたばかりなのに。
そんな小さなことまで分からなくなった。

今から10年位前にも一度そんな事があった。
あまりにも頭の中が一杯で、楽譜を見ても音と指の関連がわからない。
その時は、遺産相続のために多額のローンがかぶさってきて、死ぬかと思うくらい働いていたから。
睡眠時間は平均3~4時間。
その年齡でこれでは突然死も覚悟した。

ヴァイオリンの高い音は楽譜に書くと、五線から遥かに飛び出てしまう。
加線を何本も書かれるととっさになんの音かわからないから、オクターブ下の音を書いて、オクターブ上の音を弾くようにと指示が書き込まれることが多い。
1番疲れている頃、大晦日の紅白歌合戦の仕事の時に、それが理解できなくなったことがあった。
もちろん一時的にだし、練習してなんとか弾いたけれど、普段なら練習しなくてもすぐに弾ける範囲なのに。

突然死覚悟と言っても、私の場合ひどく楽天的だからなんとか乗り越えられた。
これが思いつめるタイプの人だったらそうはいかない。
とっくに鬱になっている事例。

今年の3月くらいから緊張することが多すぎて、ヴァイオリンの他のことは全く受け付けられなかった。
人の言うことも理解できない。
なんだかぼんやりと、仕切りの向こうからはなしかけられているような。
おそらく私の応答は少し変だったと思う。
これは日常的にそうなので、誰の注意も引かなかったと思うけれど。
とにかく過度の緊張が1番脳に悪い。
リラックスしていればなんなく出来るものが、できなくなる。

今、最近で1番リラックスしている。
そうするとやる気が出てくる。
ところがこれがいけません。
やる気は出さない方が良い。
やる気を出すと緊張が高まって睡眠時間が短くなり、疲労が回復しない悪循環になる。

私は普段、眠りにつくときは殆ど瞬時。
枕に頭がつくかつかないかで眠りに落ちる。
それが今は、猫と会話しながら少しの間起きていられる。
疲れているときは、猫がいることすら気が付かない。
それだけ疲労が減ってきたらしい。

私は修羅場を好む方だから忙しいのは苦にならないけれど、ほどほどにしないと回復に時間がかかる年齡になってきた。
なにもかも、若い頃のようにはいかない。
最近ストレスが多かったので、コメカミから頬にかけてシミが出来た。
これをレーザーで消してもらい、まつげのエクステに行って、エステでお肌の手入れをしてもらってと、ずっと我慢してきたことを計画しているけれど、まだ少し疲れているのと、やる気が出てきたので英語のレッスンの再開をするので時間が足りない。

困ったことは、あれもこれもと欲張る気質は変わらないのに、実行力が弱くなってきていること。
思いついたら即出かけられたのが、今はグズグズしているうちに夕方になってしまうなんてことが多い。
気がついたら人生も夕暮れで、只今きれいな夕焼けの時代。
































2017年12月5日火曜日

後始末

11月3日のコンサートに続いて帝国ホテルでの演奏、引き続いて奥州市のチェロフェスタへの参加、もうヘトヘトで風邪が治らない。
コンサートの収支決算も出来ないくらい疲れ果ててしまった。

私の今までの人生で1番疲れたかもしれない。
根が陽気だからうつにはならないけれど、青息吐息の状態は免れない。
やっとここ数日で体力が少しずつ戻ってきた。

今年は喪中だから喪中のハガキを用意。
それも11月始めの頃から気にかけてはいたけれど、たった数分で終わるのに、お店の前を通っても注文するのも億劫。
いったい私はどうなっちゃたのかしらと思っていると、徐々に回復してきた。
その間、食欲は全く衰えず。
動物病院へ病気の猫を連れて行くと「食べますか?」と訊かれる。
「食べる」と言うと「それなら大丈夫」

そのことが頭にあるから、それなら私は大丈夫と考える。
身の回りを片付けようと思って不要のダイレクトメールや郵便物の整理をしていたら、床中それが散乱して手がつけられない状態。
こうなると「もう、いや!」となって、今ものすごく散らかっている。
ただでさえ整理整頓まるで駄目なので、この先これが整理できるのはいつの日のことかと、絶望的になる。

久しぶりにわが家に来た友人はあたりを見回して「すごく居心地良くなったわね。生活用品が増えてリラックスするわ」と言う。
皮肉とも本心ともとれるような言い方だった。

私のレッスン室は最初は家具が少なかったから、いかにもレッスンするだけの部屋と見えた。
物がない分音響も良かった。
ところがこの頃は散歩から帰って汗ばんだシャツを着替えたりできるように、レッスン室にも着替えがおいてある。
外出する時にすぐに着られるように、コートも置いてある。
それらが皺くちゃの時にすぐにアイロンがかけられるように、アイロン台とアイロンが常時置いてある。

ボタンが取れそうな時、スカートの裾の纏りが解けそうな時にすぐに針と糸が使えるように裁縫道具が置いてある。
お掃除ロボットが2台常時待機しているけれど、何故か掃除は掃除機で。
拭き掃除ロボットが時々活躍している。
食事以外のことがたいてい出来るようになってしまって、生活色が濃くなってしまった。
これはいかん!
其の上疲れたら横になれるようにソファーに薄い布団と肌掛けが置いてあるようになった。
これでは居心地の良い厳しさのない空間が出来てしまうから、生活用品を追い出そうと思う。
やたらにものを買わないように、増やさないようにしたい。

そう思っていた矢先、電子辞書が壊れた(と思った)
今月からハリーポッターの原書購読を再開する。
6巻目に突入。
電子辞書がないとお手上げなので慌ててアマゾンに注文。
壊れたはずの電子辞書が実は生きていたと言うことが判明したけれど、後の祭りで、こうやって不用品が続々と増えていく。

目を瞑って手当たり次第袋に詰めてしまわない限り、物が増え続ける。
本当のこと言えば、自分を袋に詰めて動けないようにしないと改善はされないのだけれど。












2017年12月3日日曜日

混声合唱団フェブリエ定期公演

今日はアマチュア合唱団のコンサートへ。
勝どきの第一生命ホール。
合唱団は人数が多くて、こんな良いホールで演奏できて羨ましい。
私達貧乏音楽家の垂涎の的の第一生命ホール。

このホールができた時内覧会があって、故鳩山寛さんに連れられて見に行った。
音響も良いけれど、楽屋の行き届いた設備には感心した。
こんなところで出来たら良いなあと思ったけれど、その後はご縁がなくて聴きに行くこともなかった。
勝どきは最近めったに行かないけれど、以前は良く遊びや会食で訪れた。
独特の雰囲気と海に近いこともあって、空気の味が違う。

今日の出演者の中に「雪雀連」のメンバーが居る。
ソプラノ歌手は世を忍ぶ仮の姿。
実は凄腕化学者。
今まで薬品の調合を間違えて何人もの犠牲者が出た・・・とは聞いていないけれど。
その実態は、飲ん兵衛。
最近は清濁併せのむだけでなく、人をも飲み込むらしいからお気をつけあそばせ!
女性はある時期をすぎると魔女になるそうで。

さて、勝どき駅から動く歩道で10分弱。
立派な建物にたどり着く。
今日の合唱団の指揮者は島本啓太郎氏
自称オペラ研究家だそうです。

第1ステージ
混声組曲「明日へ続く道」

第2ステージ
日本の歌「増田順平編曲集」
夏の思い出、めだかのがっこう その他 全8曲

第3ステージ
混声合唱組曲「深き淵より」作者 ゆきやなぎ れい

第一生命ホールは大変音響が良いから、ハモって居るときは良いけれどアカペラで音程が定まらないと、もろ聞こえ。
コーラスは音程が命だから、なるべく伴奏がある方が、こちらとしてはありがたい。
もしアカペラで歌うなら、恐ろしく厳しい訓練をしないといけない。
アマチュアは、それぞれ自分の本業があるから、気が狂ったようにコーラスの練習ばかりしてはいられない。
家族のため自分の未来のために仕事に精出すのが先決だから、楽しく歌えれば良いという逃げ場があるのが羨ましい。

全体にはとても楽しめたし、ハモるときはとても良いけれど、やはりなるべくなら伴奏付きでお願いしたいというのが本音。
最後に伸ばした音が段々音程が下がってくると、ほれ、もう少し根性入れて!と叱咤激励したくなる。
しかし、アンコールの2曲は素晴らしかった。
本番の緊張から解き放たれて、楽に歌えばこんなに良いのにと・・・これは私達も同じなのであまり偉そうには言えないけれど。

時々メンバーの数人がひな壇から降りてきて、短いソロを歌う。
これは良いアイディアだけど、足元大丈夫?コケないでほしいとハラハラドキドキ。
私は気が付かなかったけれど、靴が脱げてしまった人がいたようで。
我が「雪雀連」の魔女も振り付きで熱演していた。
仲間たちは嬉しくなってエールを送る。

終演後はもちろん酒盛り。
近くの焼鳥屋さんでお腹を満たしてから、気持ちのよい夕暮れの中を、勝鬨橋を渡って銀座まで歩いた。
勝鬨橋からライトアップされた東京タワーが見える。
隅田川を屋形船が下る。
海の近い土地独特の雰囲気が何とも言えない。

歌舞伎座の前でお上りさんになって写真をとったり、コーヒーをのんだり。
銀座駅で仲間に別れを告げて帰宅。
今日も良い一日だった。

アカペラで音程がぶら下がるのはアマチュアに限ったことではなく、去年だったか一昨年だかに紅白歌合戦を落選して猛り狂った某女性歌手。
彼女はアカペラ部分になるとドンドン音程が下がっていく。
バンドのメンバーが笑っている。
そして伴奏が入るととてつもなく音程が違っているのがわかる。
どうして彼女が毎年紅白に出られるのか不思議だった。
あれでプロの歌手でございと、毎年トリで歌っていたのは図々しい。
落選してくれて本当に良かった。
と、又余計なことを。


















2017年12月2日土曜日

陽気な法事

兄嫁が亡くなって一年。
一周忌がささやかに執り行われた。
去年兄嫁が亡くなって、私の身内は本当の兄弟がなくなったように悲しんだ。
兄と娘、息子だけでなく私ら義理の姉妹、近所の奥様たちも大泣きに泣いた。
義姉は穏やかでいつも微笑んでいるような人だったから、近所の付き合いも多くて、最近も道で出会った人が涙ぐみながら話しかけてきて、ひとしきり義姉の話をした。

そんな義姉はキリスト教の牧師の娘だった。
私の家は代々日蓮宗だったけれど、クリスチャンの義姉は仏教的な行事にもきちんと参加してくれたので波風は立たなかった。
義姉の実家の教会ではどう思っていたか知らないけれど、義姉の仏教のお葬式にもあちらの兄弟が参列してくれた。
それでは可哀想なので、葬祭場で最後のお別れの時に私はヴァイオリン演奏を手向けた。
グノー「アヴェ・マリア」
せめて最後のときは、キリスト教の音楽で送られたいのではと思ったので。
あちらの親族もよろこんでくれて、妹さんからは何回も御礼の言葉をもらった。

一周忌の今日、義姉の関係者は教会の行事で参列できず、兄の身内だけの少人数で一周忌を執り行った。
穏やかな晴れた日。
集まったのは私の兄姉と姪が一人と甥が二人。

去年母親を失くして目を泣きはらしていた姪も、1年経って涙を見せない程の心の整理が付いたようだ。
お寺でお経を上げてもらい、その後は精進料理。
元々わが家は陽気な家系で、冗談ばかり言う親兄弟。
私の実の姉は、お坊さんの読経の間も大きな声で喋るから、私が注意する。
全く物事をわきまえていない家族は、好き放題。
「あら、あの子誰?」成長した甥を見て尋ねるのは、お経が終わってからにしてほしい。

会食は近くの和食のお店。
ビールが入ると更に陽気になる。
お義姉さんの写真がこちらをニコニコして見ている。
毎年暮れには、兄の家で義姉の作った料理を御馳走になって忘年会をしたけれど、ここ数年足が悪くなって歩けない義姉の代わりに兄が作ってくれるようになった。
兄は理系だから、漬物を漬けるのも、温度や湿度の管理、塩の混ぜる量などきっちりと量って漬けるから、とても美味しい。
それをニコニコして食べる義姉を見ていると、本当に仲が良くて幸せそうだった。

幸せな人生は、閉じてもその余韻が周りを幸せにしてくれるようだ。
兄は日本の男性にしては自立しているから、一人で不自由なく暮らしている。
チェロを弾いたり絵を描いたり。

今日は、いつもは参列者が多くて中々話が出来ない姪と甥とも話せて、面白かった。
彼らも陽気な一族の血筋を引いている。
私の両親の性格がいかに強烈だったかということで、話が盛り上がった。
やはり私のタガの外れた性格は、この両親なくしてはあり得なかった。
二人共本当に、他に類を見ない個性の持ち主だったようだ。
そうでなければ、大家族を統率できなかっただろうと思う。
私は母のことを密かに卑弥呼さまと呼ぶ。

家族全部を自分の羽の下に隠して、外敵から守ってくれた。
けれど、私達はその強烈な意志で、支配もされたのだった。
其の中で、穏やかに生き抜いたお義姉さんが、結局は1番強かったのではないかと思う。





















2017年12月1日金曜日

初忘年会

師走に入った途端、今日は蕎麦屋の飲み会。
メンバーは全部で6人。
いつも食事が終わると次回の予定を決める。
2、3ヶ月に一回集まる。
次回はたぶん春になると思うので、今日が事実上の忘年会になる。
もしかしたら、その前に新年会をするかもしれない。

今までは私がいつも幹事を押し付けられていたからブウブウ文句を言ったら、今回は前に行ったことのある蕎麦屋を地元の人が予約してくれた。
前回とても美味しかったので、この店を私がリクエスト。
駅の近くだけれど目立たない地味な外見で、初めての人はそんなに良いお店とは気が付かないと思う。
最寄り駅に集合、少し道がわかりにくいので一緒に行く。

今回メンバーの一人が風邪でダウン。
昨日メールが来て、明日行かれないから皆さんによろしくと書いてあった。
それで私は飛び上がるほど驚いた。
実は私の中で日が一日ワープしていた。
明日は?え~っ!義姉の法事じゃなかったっけ。
去年なくなった兄嫁の一周忌があるので、なぜか今日がその日と勘違いしていた。
それで親戚に持っていくお土産なども買いにいって、準備万端。
一周忌は喪服では大げさだから、黒っぽい服をなんてクローゼットを覗いたりしていた。

友人からの欠席のメールをもらうまでは、頭の中は今日が法事の日。
え!でも飲み会は1日だよ。
アナタ何か勘違いしてない?
他の人に問い合わせたら「あのね、明日が1日なのよ、大丈夫?」

私もいよいよ来たか・・・流石に心配になってきた。
カレンダーを見たら、予定は間違えずに入っていた。
そうか、法事は次の2日ね。
蕎麦屋でなくお寺に行くつもりになっていた。

今日はいつものメンバーが一人欠けて5人での忘年会。
忘れるという字が入ると、なにか自分のことを言われているようなんだけど。
お蕎麦屋さんの2階の席で盛り上がって笑い転げる。
このメンバーが集まるといつも女学生のようになってしまう。
外見は女学生とは言い難いけれど、内面を見るといつまでもお嬢さんたち。
それぞれ大病もすれば介護もあるのに、この若々しさと明るさはなんなのかと思う。

気取らない、威張らない、飾らない、自立した素敵な女性たち。
自分の道を自分の足でしっかりと踏みしめてきた人たちは、たとえ白髪が増えても美しく輝いて見える。
次回の予定は1月に新年会をしようということになった。