兄嫁が亡くなって一年。
一周忌がささやかに執り行われた。
去年兄嫁が亡くなって、私の身内は本当の兄弟がなくなったように悲しんだ。
兄と娘、息子だけでなく私ら義理の姉妹、近所の奥様たちも大泣きに泣いた。
義姉は穏やかでいつも微笑んでいるような人だったから、近所の付き合いも多くて、最近も道で出会った人が涙ぐみながら話しかけてきて、ひとしきり義姉の話をした。
そんな義姉はキリスト教の牧師の娘だった。
私の家は代々日蓮宗だったけれど、クリスチャンの義姉は仏教的な行事にもきちんと参加してくれたので波風は立たなかった。
義姉の実家の教会ではどう思っていたか知らないけれど、義姉の仏教のお葬式にもあちらの兄弟が参列してくれた。
それでは可哀想なので、葬祭場で最後のお別れの時に私はヴァイオリン演奏を手向けた。
グノー「アヴェ・マリア」
せめて最後のときは、キリスト教の音楽で送られたいのではと思ったので。
あちらの親族もよろこんでくれて、妹さんからは何回も御礼の言葉をもらった。
一周忌の今日、義姉の関係者は教会の行事で参列できず、兄の身内だけの少人数で一周忌を執り行った。
穏やかな晴れた日。
集まったのは私の兄姉と姪が一人と甥が二人。
去年母親を失くして目を泣きはらしていた姪も、1年経って涙を見せない程の心の整理が付いたようだ。
お寺でお経を上げてもらい、その後は精進料理。
元々わが家は陽気な家系で、冗談ばかり言う親兄弟。
私の実の姉は、お坊さんの読経の間も大きな声で喋るから、私が注意する。
全く物事をわきまえていない家族は、好き放題。
「あら、あの子誰?」成長した甥を見て尋ねるのは、お経が終わってからにしてほしい。
会食は近くの和食のお店。
ビールが入ると更に陽気になる。
お義姉さんの写真がこちらをニコニコして見ている。
毎年暮れには、兄の家で義姉の作った料理を御馳走になって忘年会をしたけれど、ここ数年足が悪くなって歩けない義姉の代わりに兄が作ってくれるようになった。
兄は理系だから、漬物を漬けるのも、温度や湿度の管理、塩の混ぜる量などきっちりと量って漬けるから、とても美味しい。
それをニコニコして食べる義姉を見ていると、本当に仲が良くて幸せそうだった。
幸せな人生は、閉じてもその余韻が周りを幸せにしてくれるようだ。
兄は日本の男性にしては自立しているから、一人で不自由なく暮らしている。
チェロを弾いたり絵を描いたり。
今日は、いつもは参列者が多くて中々話が出来ない姪と甥とも話せて、面白かった。
彼らも陽気な一族の血筋を引いている。
私の両親の性格がいかに強烈だったかということで、話が盛り上がった。
やはり私のタガの外れた性格は、この両親なくしてはあり得なかった。
二人共本当に、他に類を見ない個性の持ち主だったようだ。
そうでなければ、大家族を統率できなかっただろうと思う。
私は母のことを密かに卑弥呼さまと呼ぶ。
家族全部を自分の羽の下に隠して、外敵から守ってくれた。
けれど、私達はその強烈な意志で、支配もされたのだった。
其の中で、穏やかに生き抜いたお義姉さんが、結局は1番強かったのではないかと思う。
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