2017年12月19日火曜日

兄のすき焼き

去年連れ合いを亡くしてしょんぼりしているかと思ったら、一人で残りの人生を楽しんでいるらしい兄から、すき焼きを食べさせるからおいでと言ってきた。
基本的に私の家系は陽気なほうなので、兄も最愛の奥さんがなくなっても自身のガンと戦いながら、チェロを弾いたり絵をかいたりしている。

男やもめになんとやらと言うから家の中は大丈夫かな?と思っていたら、家中ピカピカでチリひとつ無い。
台所の抽斗の中も整然と物が整理されていた。
いやはや恐れ入りました。
壁いっぱいのCDやレコード、書斎には本がぎっしりと、それも背表紙が見事に揃って、これが同じ両親から生まれた兄とはとても思えない。
自慢じゃないが・・・私の家は乱雑で物が毎日散歩に出るから、一日中捜しもの。
兄の家は、どこに何があるか一目瞭然。
そう言えば私は橋の下で拾われた子だとか、よく兄姉たちにからかわれて泣いたものだけど、あれはひょっとして本当のことだったのかしら。

長兄は総領息子として母から大事に育てられた。
マザコンの典型だと思っていた兄が嫁さんをもらった途端、母は自慢の息子のそばをすっと離れて兄は嫁さんべったり、二人共子離れ親離れをしたので皆驚いた。
大家族に嫁いできた義姉は嫁いびり覚悟だったと思うけれど、そんなこともなく(私が気がつかなかっただけかも)平和な家族だった。
とても仲が良かった兄と義姉だったけれど、兄は妻に先立たれてもマイペース。
家事一般、掃除、料理も出来る。
主夫の鑑。

家はほんの5分位の距離。
行くとテーブルはすっかり支度が出来ていて、さっそく美味しいすき焼きをたらふく食べて、お茶を飲みながら戦時中の話を聞いた。
細かいことまで良く覚えていて、焼夷弾が落ちて家が焼けそうになったのを消し止めたとか、田んぼの真中でB29に低空飛行で脅されたとか。
兄は自分がもう少し早く生まれていたら、特攻隊に志願していたかもしれないと言う。
知覧の飛行場に、特攻隊の家族への最後の手紙が展示してあるらしい。
もう少し戦争が長引いたら僕もああなっていたかもしれないと。
戦死する前に戦争が終わって良かった。
亡くなった若き戦闘員たちのことを思うと、涙がとまらなくなる。
しかし兄と戦争とはどうしても結びつかない。

兄弟というのは生まれた順番で性格が変わる。
長男ともなると家を背負い、両親、兄弟、姉妹を守るという役目が背中にかぶさってくる。
私のヴァイオリンも兄が習わせてくれた。
今の私があるのはこの兄のおかげ。

兄の料理上手は、会社を定年退職後静岡の大学で教えるために単身赴任した時に始まる。
一人暮らしなので学生がしょっちゅう遊びにくる。
彼らに食事をさせ、ついでにタヌキにも餌付け。
可愛がっていたタヌキが車にはねられて死んだときは、悲しかったよと言っていた。
今膀胱がんの術後の治療中で、その病院に可愛らしい看護婦さんがいるんだよとニコニコ。
おやおや、お義姉さんが亡くなって間もないのに、ほんとうに男ってやつは・・・
兄の治療には危険な菌を使うので、看護師は防護服を着るのだそうだ。
看護婦さんはとても小柄なのでその服がブカブカ。
普通の人がウエスト辺に来るベルトが腰のあたりまで来て、それでよたよたと駆けて来るのが可愛くてね~。
そうか娘を見ているようなものかな?
私も小さいからそれで可愛がってもらえたのかも。

帰り際に来年もよろしくと言ったけれど、私よりも11歳も年上だからいつまで元気でいてくれるのかしら。
来年の暮にもこうして一緒にすき焼きがたべられたら嬉しいと思う。

















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