2018年10月28日日曜日

葬儀は続く

またしても葬式。
私の甥がなくなった。
まだ若いのに。

棺の中の顔は若々しく、ひげを伸ばしたまま。
なんだか慣れっこになってしまった風で、涙も枯れ果てた。
去年は私が飼っていた4匹の猫のうち3匹が、たて続けに天国へ行ってしまった。
そして我が家は残った1匹の天下になった。
今まで他の猫に邪魔されて甘えられなかったのが、今や私を独占。
顔つきまで変わって、幸せそうに生きている。

甥は一番上の姉の長男。
生まれたときに少し問題があって運動機能の発育が遅れたけれど、大人になったら普通のレベルに追いついた。
とことん優しい性格で犬を可愛がり、父親の死後一人になった母親の面倒を見ていた。
私の姉は幼少の頃溺愛されてお姫様状態だったからとんでもなくわがままで、彼は嫁をもらえず苦労したと思う。
それでも自分の趣味の車を楽しんだり、周囲から可愛がられていたから、いつもにこにこしていた。
両親ともに美男美女で彼も中々立派な顔だったけれど、態度がヘラヘラしているのでいつまでも坊やみたいだった。
特に彼の姉と弟がえらく優秀で、その間にいるのは辛いものがあったかもしれない。

訃報を聞いたのが23日、私は「偲ぶ会」の準備で忙しくショックを受ける余裕もないというのに、トリプルパンチ(旦那、ノンちゃん、甥)を食らってノックダウン寸前。
もうどうにでもなれ、さあ、殺せ!状態。
あまりにも大変だと、脳みそがちゃんとショックを和らげる様に対応するのには驚いた。
一時的な記憶の書き換えとか・・・
人体はすごい!

甥の葬儀は簡素に行われて家族だけに見守られて旅立った。
参列者は12人ほど。
これでいいのだと思う。
「ヤマゲンを偲ぶ会」のときは、多数のお悔やみの予想があったので、思いっきり大勢の人に参加してもらった。
長く生きたおかげで、知人友人は数多い。
しかも交友関係の濃い人が多いので、誰も疎かにできない。
それならパーティーにしてしまえば良い、というわけで。
でも家族だけでひっそりと送るのは、温かい送り方だと思う。

甥は生きていたときと同じように優しい穏やかな顔で、棺に横たわっていた。
犬が残された。
その子は諏訪に住む弟夫妻に引き取られていった。
良かった。
諏訪の自然の中で伸び伸びと走り回ってほしい。

甥を見送って帰りの車の中で、ちと飲みすぎた風の次兄が気分が悪いと言うので、一旦長兄の家で休ませた。
久しぶりで集まった兄二人と姉と私。
しばらくお茶を飲んで話をした。

うちの家系は皆あっという間に亡くなるねえと、兄が言う。
なるほど、私達の父親から始まって、今日の葬儀をした甥と甥の母親である私達の姉も、あっという間に。
姉と私の連れ合いも同様。
父にいたっては、高校野球をテレビで観戦中に眠るように逝ってしまった。
長患いする人がいない。
直前まで元気で、天寿を全うしている。
「明るい死に方」のお手本みたいに。

甥の発育が遅れていたために、その姉である姪は考えるところがあったらしい。
小学生の時に「私は福祉関係の仕事をする」と宣言して、私は驚いた。
弟のことが心配だったからだと思う。
この姪は動物も鳥も寄ってくるという不思議ちゃん。
他の人に絶対に寄っていかなかった私の飼い猫が、彼女だけには初めからなついた。
恐ろしく無口なのに、そばにいると気が休まる。

そんなだったから弟をずいぶん気遣っていたらしい。
福祉の勉強のためにイギリス留学。
帰国は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚の数日前だった。
結婚式見てから帰ればいいのにと言ったら、そうしたいけれど帰国日が決められているのでということで。
国費留学生だから、自由がきかないそうなのだ。
それを残念に思うのは私の方で、彼女は少しも気に留めないで淡々としていた。

弟の方は長じてほとんどハンディはなくなった。
多少足を引きずって歩くくらいで、スキーも車も楽しんでいた。
ここ数年、毎年年賀状が出せない。























2018年10月25日木曜日

みんな有難う!

23日の「偲ぶ会」は大成功。
本当に良い会だったと、皆さん口を揃えて言う。
葬式だったらこうはいかない。
良い葬式で楽しかったなどと言ったら遺族から往復ビンタが飛んでくるけれど、楽しい送る会にしたいという趣旨の「偲ぶ会」だから、みなさんが楽しかったと言ってくれると嬉しい。
褒めてくれる人たちに、あなたのときにもやってあげるわよと鼻息荒くいきまいていると、皆フン!と言って、私より長生きする気?と訊かれた。

地方からこの会に参加するために駆けつけてくれた数人の旧友と、お手伝いをしてくれた人たちから食事会に誘われた。
全部で7人。
新宿のハイアット・リージェンシーのカフェにて。
私はこのホテルは初めてだったけれど、食事が美味しくて時間的にもゆったりと過ごせて、会話がとても楽しかった。
ずいぶん会っていなかったのに、昨日まで一緒にいたかのように対話できる。

髪の毛が白くなったり、顔にシワが増えたりは気にしない。
話す内容が問題なので。
昨日飾ってもらった花の評判がすこぶる良い。
内容も演奏も、皆さん満足してもらえたようで、私は鼻が・・・高くはないけど高い。

夜、小田原からの電話。
とても良い会だったと、小田原に住む長老のSさんに言われたのはうれしかった。
Sさんは昨日の会に来て、懐かしい人とたくさん会えて、本当に嬉しかったと言う。
いつもの声よりも若返って聞こえた。
今日は満月だから見て!と、彼の娘さんのN子さん。
彼女と小一時間ばかり話していると、話が盛り上がって、これからは一緒に遊びましょうと約束する。
11月には飲み会とドライブ。
私を慰めると言いながら、ドライブの目的はソーセージだとか。
熱海の方に、ドイツの賞をもらった美味しいソーセージがあるらしい。
なんだ、私はダシに使われているのね。
でも良い、私を本気で心配してくれているけれど、あからさまに言わないでそれとなく楽しませようという見え透いた魂胆。
ありがたく騙されますわ。

話が長引いていると、携帯電話に着信が。
私の兄が、我が家の固定電話にいくらかけてもつながらないというので、携帯にかけてきた。
ずいぶん長く話しているねえ、と言われる。
ようやくN子さんと会話をやめて間もなく、兄の後に姉からも着信があった。
兄が何回かけても電話がつながらないといっているけど、どうしたの?と。
急にひとりぼっちになってしまった私のことを心配していたらしい。

夜も更けて表に出て空を見上げると、N子さんの言う通り、まん丸い月が出ていた。
私は大丈夫、1人でいても寂しくはない。
大勢の人達と一緒にいても寂しいときはさびしい。
みんな有難う。私は大丈夫!
















2018年10月21日日曜日

ズタズタ

築22年を迎えた我が家。
最大時は5匹の猫がいて、やりたい放題。
こちらも面白いからわざとカーテンのてっぺんまで登らせたり。
そこから爪を立てたままザーッと縦に降りてくるからカーテンも縦に裂ける。
一番太った子で6キロ。
目も当てられない状態になった。

壁という壁は爪とぎの跡。
こんなところまでどうやって登ったのかと思うほどの天井近くまでボロボロ。
仕事で飛び回っていた頃は、少しも気にならなかった。
暇になって見るとやたらと汚い。
見るだにおぞましい。

それで今年もまたリフォーム。
上の階のリフォームをたて続けにやったので財布は空っぽなのに、我慢できない。
ここ数ヶ月のドサクサでストレスは限界まで膨れ上がっている。

エエイ!いっその事すっからかんになってしまえば、さぞ気持ちよかろう。
というわけで、やっと自分の部屋をきれいにすることにした。

床板、壁紙、天井の張替え。
ドアの色を変える。
階段も張り替える。
照明器具のセンサー交換とフードをかぶせる。

暗くなるとセンサーが働いて、自然に駐車場、玄関、階段の電灯が点灯する仕掛け。
ところがセンサーが付いているのは、西日が当たって最後まで明るい壁。
そのため、西日がすっかり落ちるまで電灯が点かない。
階段などは建物の中だから早めに暗くなる。
外は明るいのに玄関から中が薄暗いと、冬の夕方などは寒々しく不気味。
それを解消するために、業者さんといろいろ考えて、フードを付けることになった。
階段付近と同じくらいの明るさになるようにということで、実験的にダンボールで作ったフードをかぶせて、高さなど調節して決定。
これで帰宅したとき玄関が明るく迎えてくれる。
最初にここを建てた工務店さんは、なにを考えてセンサーの位置を決めたのか理解不能。

床板は靴で歩いても傷がつきにくいという床材を使用。
椅子の跡が剥げていたのを隠す。
ドアはなんと薄青緑色に変える。
以前のドアは焦げ茶で、夜、部屋の奥を見ると重苦しい。
それで枠の焦げ茶を残して、ドア板は薄青緑に。

なぜそのように変わった配色になったかといえば・・・
以前買ったサムソナイトのキャリーケースが、焦げ茶と青緑のコンビネーション。
同じような配色の乗馬用のベストも持っている。
意表をつく配色ながらとても素敵なので。
その配色を部屋に使うのはどうかと思ったけれど、案外面白いかもしれない。
ただ、ドアノブの色がシルバーというのでただ今考慮中。
購入予定の鏡の縁がシャンパンゴールドで、壁がオフホワイト、ドア枠が焦げ茶、ドアが薄青緑、ドアノブがシルバーって(笑)
シャンパンゴールドのノブはないの?と訊いたら、職人さんがウーンと唸っている。
取り寄せで金額が高くなるとか、すぐにしっぽを巻いて降参。
キッチンが鮮やかな黄色。
私の髪は最近金髪。アハハ・・・大丈夫かしら。

一つ空いた狭い部屋は読書やパソコン用に書斎にしようと思っている。
今まではパソコンはレッスン室の方に置いてあったけれど、夜中に目が覚めてちょっと調べ物をしたいときにも隣の部屋に行かなければならない。
階段の踊り場を横切るだけだから大した時間はかからないけれど、一応集合住宅だから寝間着のまま外に出るのはいささか抵抗がある。
今までなかったエアコンもつけることにした。
以前はドアを開け放して、隣の部屋からエアコンの風を取り入れていたけれど、限界があったので。

ベッドのマットも変える。
猫がガリガリやって布から糸が垂れ下がっているのはとても風流だけど、今いる1匹の他に新しい猫を飼う予定はないので余生はきれいなベッドで寝たい。
と言いながら、昨日ベランダに来た若猫が気になっている。






















2018年10月20日土曜日

準備万端?

来週火曜日の「ヤマゲンを偲ぶ会」の用意は万端整った(かな?)
私のことだから必ず手抜かりあり。
会場と日時を決めて案内状を印刷して郵送。
そこまでが第1段階。

それから細々とした準備が始まった。
花はどうする?
献花台を設けるのかどうか。
大量の花はどこで手に入れようか。
写真は?
故人が描きためた絵を会場に飾りたい。
額に入れると重くて、会場には絵を吊るす設備はないから、さて、困った。
料理はどうしよう。
お酒はどのくらい用意すれば足りるのか。
会場に大きな垂れ幕か看板がほしい等々

9月に実行委員が集まって相談したけれど、まだ実感がわかなくて誰も建設的な意見は持っていない。
わざわざ山梨から馳せ参じた人は、なんの収穫もなくランチを食べただけで雨の中帰って行った。

それでは1番大変なところから片付けよう。
大量の食料とお酒。
幸い私は50年来、あるワイン輸入会社とつながりがある。
相談したら、高価ではないけれど美味しいワインを回してもらえた。
料理は、最初はファミレスのデリバリーなんて言っていたけれど、写真を見るとう~ん!
いろいろ探したらデリバリーのオードーブルで、とても素敵な店をみつけたので早速注文、やれやれ。
オードーブル、寿司と合わせて百人分。
どれほどの量か見当もつかない。
当日になって足りなかったらどうしよう。

花は近所の花屋に相談したら、前日までに用意してもらえることになった。
献花台のテーブルクロスはサイズが大きいものでないといけないので、クロス屋さんに注文、10日ほどで届いた。

写真は近所の写真やさんに相談したら「あら、この人良く見る顔だわ、いつもこの辺を散歩してましたよ」と言われた。
家に鬼嫁がいて居づらいので、こんなところまで散歩に来て時間を潰していたのか。

遺影は3枚。
正面からのものと、燕尾服を着てトロンボーンを吹いているものと、スキー場で撮ったものと。

絵は画用紙のまま、厚紙で裏打ちして周りをテープでトリミング。
これは手先が器用な私の兄が、とてもきれいに仕上げてくれた。
これなら額がなくても譜面台の上に並べて置けば、見栄えがする。

大きな垂れ幕は考えあぐねて、義弟のお嫁さんに相談。
掛け軸に書いてもらうことにした。
いつもは繊細な日本画を書いている人なので、大きな書に挑戦してみますと大張り切り。
        
当日はアマチュアオーケストラの下高フィルから、30人ものメンバーが来て演奏する。
平日なのに皆さんお仕事は?と訊いたら「休ませます」と鼻息荒い団長。
もと東京交響楽団と東京フィルハーモニーのトロンボーン奏者が集結してアンサンブルもあるので、さぞ壮観だと思う。

ほぼ完璧と思っていたら、デリバリーの会社から電話がかかってきた。
なんと私が注文したお店で食中毒発生。
すぐに替わりの店を探してくださいと。
それからバタバタと調べてなんとか注文できたけれど、前の店がとても気に入っていたので、すこしがっかりした。
それでも、もし今回の集まりで食中毒発生だったら目も当てられなかった。
中毒された方々には申し訳ないけれど、そういうことがあれば他の店も気をつけることだろうし。

ずっと私達は献体を考えていた。
役立たずの自分たちが死んでなにか残せるとしたら、ボディーのみ。
角膜でも臓器でもなんでも役に立つならどうぞというわけで、知り合いの日医大の先生から書類をもらってきた。
二親等までの同意が必要というのでサインを求めたら、姉に泣かれた。
お葬式なら兄弟や子どもたちが何とでもするから、献体なんてしないで。
意味がわからずポカンとしていた。
要するに子供のいない夫婦だから、他の兄弟の迷惑にならないようにと私達が配慮しての事と受け取られたらしい。
遠慮なんてしたことない。
迷惑はいくらでもかけてきたし。
けれど献体の話は有耶無耶になった。

生死は時間の経過にすぎないから、葬式はナンセンスと無宗教の私たちはかんがえていた。
けれど、長い人生の中で多くの人々にお世話になってきた。
その御礼として一献差し上げるのは、必要であると。
それで思い出の会になった。
とにかく楽しんでほしい。

今回の準備に取り掛かってから、関係者はなんだか楽しそうで嬉しい。
私も旧友たちに会えるのが待ち遠しい。
亡くなった当人は肴にされて、皆がトロンボーンを吹いたりオーケストラ演奏して楽しんでいるのをニコニコして眺めているにちがいない。
そういう人でした。



ヤマゲンを偲ぶ会

          10月23日(火)午後1~3時
          キリスト教矯風会館1F東京交響楽団練習所 
(総武線大久保駅前信号渡り富士そばの前の路地を左に入るとすぐ右側)























2018年10月13日土曜日

慰労会

同級生のピアニスト二人が私の慰労会を開いてくれた。
あたふたしている私を見かねて、今日は荻窪で中華料理をごちそうしてくれるという。
この店の近くに住むOさんとSさん。

最近の私はロクな物を食べていないし、家にいてもゴミばかり目につく。
ほいほいと、とある豪邸に馳せ参じた。
このお宅にはミルクティー色のチワワがいる。
ブリーダーで繁殖用に飼われていて、店では御用済みとなった彼女。
もらわれてきた当時は毛艶も悪く、顔には苦労の影が染み付いたような感じだった。
それはそれで可愛かったけれど、数か月・・1年・・2年・・と経つうちに艶やかになり、表情が変わってきた。
今日久しぶりに会ったら、すっかりお姫様になっていた。
境遇がこれほど表情を変えるものなのかと驚く。

すると私が美人でないのは境遇が悪いせいとも言える。
毎日猫の召使い、野良猫の餌を持っていくと「おそ~い」と喚かれ、飼い猫からはメシがまずいとそっぽを向かれる。
毎日同じ餌では飽きると思うから、様々な種類を取り揃え、恐る恐る差し上げてもお気に召さないとフン!と言って歩き去る。
ひょっとすると、この地球上で一番えらいのは猫か?思われる。
こんな生活を続けているから、私はいつまでも美人になれないのだ。
捨てても捨てても減らないゴミの山。
いつになったら私に幸せが訪れるのかしらと、毎日枕を濡らす日々・・・と言いたいところだが、あまりの寝付きの早さに泣いている暇はない。
目が覚めたときにはあまりにもスッキリ起き上がれるので、表に飛び出して落ち葉掃き。

確かにとても疲れていて体重も減ってしまったけれど、病気ではないから時間が経てば元気になれるでしょう。
日々の雑用に加えて、様々な事務処理がまだ終わらない。
それで最近ろくなものを食べていない。
上の階の奥さんが、時々お惣菜を差し入れてくれる。
作りすぎたからとか、たくさん作らないと美味しくないからとか、遠慮させないような口実を言いながら。
自分で作ると、一つの鍋で全部炒めておしまい。
食べるのもあっという間。
これでは美味しいわけがない。

人に食べさせるのは手間と時間がかかって面倒くさいと思っていたけれど、これはとても意味のあることだった。
かけた手間の分、自分にも食事の楽しさや栄養バランスの良さが還ってきていたのだ。

そんなことを気遣って友人たちがせっせと誘ってくれる。
いつも行く中華料理やさんは、御主人がたった1人で大奮闘。
15人も入れば満杯になる小さなお店は、開店と同時にお客さんが詰めかける。
料理の出てくる早さと美味しさは、私の知る限りナンバーワン。
猫が僻むといけないからもう一度、ナンバーニャン!

Oさんのスマホには、この店のメニューが入っていて、店に行く前に皆でどれを食べるか決めてメモする。
御主人にそのメモを渡しておけば自動的に料理が出てくる。
昨日の料理は、いつもお気に入りの青菜の炒めもの、豆腐のあんかけ風、ナスの肉味噌炒め、油淋鶏、最後にそばで〆。
味も炒め方も申し分ない上に、今日はじめて食べた油淋鶏の美味しいことったら!!!
こんなに頼んで大丈夫?と言いながら完食。
いつもは少なくとも4~5人で行くので、3人でこれほど食べられるとは思わなかった。
しかも胃もたれしない。
久しぶりの上質の食事は、胃袋とこころに沁みた。



















2018年10月9日火曜日

ゴミ、ゴミ、ゴミ・・・

8月にひとりぼっちになって、家の中を片付け始めた。
ゴミ袋に手当たり次第不用品を押し込んで、捨てまくった。
累計20個くらい、いや、もっとかもしれない。
それなのにまだ大きなゴミが居座っているので、ついに決心をした。

いつもリフォームを頼んでいる業者さんにごみ捨てを依頼したら、8万5000円という見積もりだったので考えた。
それだけ払うなら、自分でやれるだけやってみよう。
要らなくなったベッドを一つ解体。
マットをどかして木組みのビスを外すと、簡単に外れていくつかの部品になった。
これなら、階下の駐車場までなんとか運べる。
業者に依頼するか、行政のごみ処理に粗大ごみとして出すかは、それから決めよう。

ネットで安い業者を探すと、軽トラック1台分1万円くらいで見つかるけれど、見知らぬ人が家にくるのはちょっと怖い。
けれど、軽トラ1台ってどのくらい積めるのかしら。
考えていたらちょうどダンボールの回収業者のトラックがやってきた。
このトラックは積載量はどのくらい?と聞いたら2トンですって。
2トンはずいぶん小さい。
駐車場におろした粗大ごみは、もっと解体してバラバラにすれば積めそうだけれど、例えば食器戸棚などは角ばっていて、無駄に空間ができる。
ベッドの木枠の長さが190センチ超えだから、荷台の後ろから出そうな気がする。

寸法を測って依頼しても、現場で積載不能だったらやり直しとか超過料金とかかかりそう。
一切かかりませんと書いている業者もいるけれど、いま一つ不安が残る。
普段向こう気が強い割には臆病でもあるので、中々決心がつかないでいると、2トントラックのお兄さんが、ひとつずつ測って粗大ごみで申し込むと良いですよと、親切に教えてくれた。

それならと行政の窓口に電話してみた。
粗大ごみを出すのはこれが初めてではないけれど、こんなに大量のものは出したことがなかったので、断られるかと思ったら、親切に対応してくれて予約することができた。

なんとまあ、リフォーム業者の言い値の8万円安。
たったの5000円!
例えばゴルフクラブはケースに入っていれば、詰め込めるだけ詰め込んで500円。
ケースがなければ12本まとめて500円。
ベッドに至っては、マットと木組みのばらしたものをまとめれば、それで1000円。
スキーの板はストックとまとめて500円。
食器棚も500円。
昨日粗大ごみを駐車場に下ろして一晩寝たら、なんだか姿見が一つ増えていた。
私はこんなもの出した覚えがないから、誰かが便乗したらしい。
環境局のオペレーターに訴えたら、他の板とセットにして出せば500円で大丈夫と言われた。
その他小さいものは200円とか300円とか。

リフォーム業者にそのことを言ったら、行政は我々の税金で処理していますからと言う。
私達は産業廃棄物として出さないといけないので、高く付くのですと。
なるほど、すると軽トラ1台1万円というのはずいぶん無理しているのか、自分の廃棄場を持っているのか、使えるものは売り払って儲けているのか、いずれにしても遠いところから来て大変だなあと同情してしまう。
ガソリン代で消えてしまわないかしら。
たぶん解体や搬出もやってもらえるのだと思う。

市の粗大ごみだと、ゴミ捨て場に自分で持っていかないといけない。
一人暮らしの老人(私もそうですけど)では運べない人が多い。
私は力は全く無いけれど、意外と重いものを運ぶのがうまい。
階段の段差を利用して、重いものも運んでしまう。
そのかわり階段下の玄関の床に傷がついた。
それで浮いたごみ処理代金で階段のシートを張り替えようと思ったら、浮いた分の数倍かかりますと言われた。
中々世の中うまくいかない。















2018年10月6日土曜日

いつもの散歩コースは大小2つの公園を通る。
小さい方は自宅を出てすぐの住宅の片隅にある。
仲良しの猫と時々遊ぶ。

もう一つは元米軍の印刷所の跡地で、大木が茂り川が流れる大きな公園。
近隣の人たちのオアシスとなっている。
早朝には沢山の人が犬の散歩やラジオ体操を楽しんでいる。

小さな公園を通り過ぎるときに仲良しの猫がいないだろうかと探すけれど、最近彼らも年をとってきてめったに会えないのが寂しい。
大きな公園を一通り散歩しての帰り道、小さな公園にさしかかった。
団地の中を抜ける小道を曲がった途端、目に飛び込んできたのは大きな蛇だった。
私は蛇が大の苦手、写真でもイラストでもおよそ蛇の形をしていれば、パタリとページを閉じて見なかったふりをする。
早く記憶から追い出そうと必死に別のことを考える。

以前佐渡ヶ島に遊びに行ったときに、あまりの蛇の多さに辟易した。
車を借りて全島一周したら、道のいたるところに蛇がいてびっくりした。
昔佐渡に流された流人たちは、さぞ気持ち悪い思いをしたことだろう。
流人は高貴な人が多かったので立派なお寺や建造物が建てられたと聞いたけれど、こんなに蛇が多くては難儀しただろうと思った。

小さい公園で見た蛇は私の前を静々と横切っていった。
不思議なことに、その瞬間美しい!と思った。
いつもならギャア!と叫んで逃げ出すところなのに、しばらくじっと見ていると、やがて叢にスルスルと滑り込んで姿を消した。
長さは1メートルくらい、胴体はかなり太くて察するところ壮年期。
薄茶に緑が交じって艶があり、蛇界のハンサムさんといったところ。

以前、グレーのシンプルな麻のワンピースを買った。
これに合うベルトが欲しいと思って探していたら、大岡山のブティックで理想的なヘビ革のベルトを見つけた。
太さも色も申し分ない。
しかもバーゲンで半額。
飛びついて試着させてもらった。
ところが、それをウエストに巻き付けたところ、なんだか全身がゾワッとして買うのをやめてしまったことがあった。
それくらい、蛇はだめ。

スキューバダイビングのライセンスを取得しに沖縄へ行った時、目の前をウミヘビが横切っていくのが気持ち悪かった。
ウミヘビがいるなら海に潜るのはちょっと・・・と考えるほど。
仕事で沖縄に行ったとき、食事をしようと街に繰り出して、地元の観光協会の人の勧めるお店に入った。
最後にスープが出て、それがものすごく美味しい。
カップの底になにか円筒形の黒っぽいものが残った。
これはなに?と訊いたらウミヘビという返事。
最初に知っていたら飲まなかったと思ったけれど、美味しかった。
蛇という蛇は全部ダメなのに、公園で会った蛇は生まれて初めて美しいと思った。

動物がとても好きなのに爬虫類と昆虫は苦手。
この世に生まれて生きる権利があるのに忌み嫌われるのは彼らにとって不本意だろうと思うから、なんとか苦手意識を持たないようにとは思うけれど、だめなものはだめ。
それでも公園で会ったヘビさんに、もう一度会ってみたいと思ったのはどうしてなのか。
今朝も叢をチラチラ目で探す。
でも、本当は出てきてほしくない。
でも、もう一度見たらどんな気持ちがするか試してみたい。
でも、出てきてほしくない。
でも・・・・見たい。
見たいけど見たくない。















2018年10月5日金曜日

居酒屋で女子会

女子会メンバー6人は会が終わるとすぐに次の予定を決める。
だいたい2,3ヶ月に1度の割合で、幹事はほとんど私だから予定日の前日、恐る恐る「覚えてるかい?」とメールする。
覚えているんだなあ、これが。
皆さん仕事をやっていたので、スケジュールの管理はさすが!

幹事が物ぐさだからだいたい私のテリトリーの範囲内で店を決める。
最初のうちは場所を変えたり、ネットで良さそうな店をせっせと見つけていたけれど、今回は博打。
自由が丘あたりが面白いと思ったので「自由が丘・個室」で検索。
一番最初にヒットしたお店に決定。
時間ぴったりに全員、自由が丘駅改札口に集合した。

店は居酒屋で、焼き鳥とかモツ鍋とか、およそ品の良いメンバーには似つかわしくないカジュアルなお店になった。
皆さん嫌がるかと思ったら、ぜんぜん気にしないでお酒を飲み、焼酎を啜る。
店に入るとまだ早い時間帯なので、一番奥の個室風の座敷に通された。
完全な個室ではなく、ノレンで仕切られただけの掘り炬燵席。

ビールを頼むとなんだか薄味。
これをドライというのか。
その後は各自好きな飲物片手に話に花が咲く。
いつまでも女学生みたいなノリで、苦労知らずのお嬢さんがそのまま大人になってしまい、この年になってようやく人並みの苦労を味わっているような集団なのだ。
苦労たって別になんのことはない、1人で行動できるし健康でなによりもユーモアや好奇心を忘れない。
今回は私がワサワサしているのをわかっているけれど、あえてそれには最小限しか触れない。
下手な同情の言葉がないのが清々しい。
根掘り葉掘り訊かない。

というのも他に話題はワンサカあって、それはいつも可笑しいことが多い。
私達が生きてきた戦後の日本の音楽界は、混乱と希望に満ちていた。
私達の教師たちも手探り状態、私達もどんどん進化する演奏技術に追いつこうと必死に勉強した。
海外に留学する人が増えて外国からの情報が入るに連れて、目からウロコ状態、日々発見の楽しさにワクワクした。
海外からの演奏家も、毎日のように聞くことができるようになった。
学生時代には週に何日も日比谷や上野の音楽会に通っていた。

現在の若い演奏家たちは、最初からある一定の水準が出発点。
情報はわんさか入ってくる。
すぐれた教師がいて海外にも簡単に行ける。
それで演奏技術はとても高い。
しかし、学校出ても仕事が少ない。
楽器の生演奏はシンセサイザーに変わり、オーケストラはポジションに空きがない。
とても気の毒だから、できるだけコンサートに行ってあげてください。

混乱の時代には沢山のエピソードがあって、ガクタイは異常性格が多いからとんでもないことをしでかしたりする。
特に一世を風靡した指揮者などは、常軌を逸していた。
今のような窮屈な行儀の良い時代になると、とてもじゃないけど許されない、週刊誌の餌食になるようなことも笑って「あいつだから」と済まされてしまうところもあった。
それが良いか悪いかは別として、群雄割拠、豪傑が多かった。
話題に事欠かない本当に面白い時代だった。
そんな話をしながらさんざん笑い転げて女子会は解散、来年の新年会の約束をして別れた。

それらのエピソードがそろそろ忘れられようとしている。
私の飲み仲間の1人、芹澤さんは驚くべき脳力の持ち主で、彼から沢山の昔のエピソードを聞いた。
けれど、私は超絶物忘れ名人だから片っ端から忘れてしまう。
私はそのエピソードを書き留めておこうと、最近ボイスレコーダーを買った。
聞いているだけだと翌日忘れているから、次回からは録音して書き留めておくことにしたのだ。

そのボイスレコーダーの取説を読む段階で、もう頭が痛い。
しかも最近のドサクサに紛れて、本体がどこぞのゴミの山の中に埋もれてしまったらしい。
これを探し出すのも大仕事。
あ~あ!なんでこうなっちゃうの。

























2018年10月2日火曜日

ノーメル賞

イグノーベル賞展で楽しんで家に帰ったら、なんと本物のノーベル賞を日本人が獲得のニュース!
すごいな、イグも真正ノーベル賞も日本人の獲得立て続け。

思いがけなくもらった人は大喜びだけれど、村上春樹さんみたいに獲るぞ獲るぞと言われ続けてもなかなか獲れないのは辛いだろうなと、心中お察しする。

私の次兄はすごい!
学生時代ノーメル賞というのをもらった。
実は単に飲ん兵衛だったというだけで。

さて私ごとですが(今更ブログで私ごともないだろうがというツッコミがありそうな)とにかくこの2ヶ月はあまりにも忙しく、忙しいという字は心を亡くすと書くと言われる通り、なにもかも心ここにあらず。
毎日少しずつ請求書や払い戻し証明書やら、払うのかもらうのかどちらかにしてほしいと思うくらい、煩雑かつちまちました雑用に追われた。
預金を凍結したらカードの支払ができず、それを金融機関に払いに行くかと思えば、年金の過払い金を数百円還付するから、書類に記入しろとか・・・
数百円の払い戻しにかかる費用は一体いくらなんだろうか、これって税金が無駄だからチャラにすればいいのにと思う。
そうはいかないのがお役所仕事。

さんざん役所の悪口書いたけれど、自分が役人でなくてよかったと思う。
こんな大変な手続きを毎日やっているのかと思うと、しんどいだろうなと同情する。
もしかしたら好きでやっている?
それならいいけれど、私なら1日お勤めして、はい、さようならだわね。
だいたい雇ってもらえないから心配することはない。
住所欄に名前を書いてしまう人など、公務員試験に受かるわけがない。

それにしても手続きの煩雑さはなんなのだ。
人1人あの世に送るのに、生きている人がこんなに大変なようにしなくてもいいのに。
でも大変にしたい人たちが沢山いて、私みたいに罰当たりなことを言うと眉を顰められる。
特にこの夏から秋にかけて演奏することが沢山あって、傍目で見るよりも演奏は重労働。
演奏にかける準備はもっと大変なので、皆さん楽しいお仕事で良いですねなんておっしゃるけれど、冗談よしこさん。
好きでやっているから文句は言えないけれど。
その上馴れない事務処理に追われ青息吐息。
日頃は鼻息荒いのもどこへやら、毎日ため息ばかり。

10月には、亡くなった家人を送るイベントがあるので、その準備に大わらわ。
彼の友人たちが偲ぶ会をやってくれる。
広島、山梨など地方からも集まってくれる。
最初の予定では今月1日だった。
それが友人たちの都合で延期となり、23日に変更。
変更で良かった。
ちょうど台風が来て、1日の首都圏の交通は乱れていた。
地方の人達は前日からくるとなると、新幹線も飛行機も止まっているという事態に遭遇しかねなかった。

23日の天候がどうなるかはわからないけれど、ひとまず、難は避けられた。

            ヤマゲンを偲ぶ会

          10月23日(火)午後1~3時
          キリスト教矯風会館1F東京交響楽団練習所 
(総武線大久保駅前信号渡り富士そばの前の路地を左に入るとすぐ右側)

当日はトロンボーンの旧友たちの金管アンサンブルを始めとして、アマチュアオーケストラとプロのオケマンたちとで合同演奏もあるかも。
ピアノソロもあるらしい。
ワインや日本酒を飲みながらワイワイと楽しんでいれば、本人が悔しがって戻ってくるかもしれない。









2018年10月1日月曜日

チビとヤセは月面歩行体験ができなかった

イグ・ノーベル賞の世界展という展覧会が、後楽園の東京ドームシティで開催されている。
友人のHさんに誘われて見に行った。

イグ・ノーベル賞は1991年、マーク・エイブラハムズ氏によって創設され、毎年ハーバード大学で授賞式が行われる。
人々を笑わせそして考えさせる研究に与えられる賞で、裏のノーベル賞とも言われ、なんと日本人は12年連続で受賞という快挙!

ここnekotamaでは度々取り上げているけれど、今年は座ったままの姿勢で受けられる大腸内視鏡検査で受賞。

*牛のフンからバニラの香りと味を抽出して、その物質を使ったアイスクリームは授賞式で振る舞われた。

*私がえらく感心したのは、真正粘菌にパズルを解く能力があったという研究。

*ジャイアントパンダの糞から採取したバクテリアを用いると台所の生ゴミは90%以上削減できる。

*粘菌の続編として、粘菌を使って鉄道網の最適な路線を設計できる。

*ちなみにあのドクター中松も、34年間、自らの食事と体調に与える影響を分析し続け、イグ・ノーベル賞を受賞している。

日本人以外では、外せばすぐにガスマスクとして使えるブラジャーなんていうものも。
授賞式の様子もスクリーンで上映されていた。

笑いながら会場を巡っていくと、月面歩行が体験できる装置というのに出会った。
ブランコを吊るすようなかたちで上からフックのついたロープが下がり、その前には水を張ったプールのようなものが置かれている。

これはなにかと尋ねたら月面歩行の感覚を体験できる装置とか。
ロープにぶら下がってプールの水の上を飛び跳ねると、月面歩行と同じような感覚が得られるらしい。
二人のスタッフが暇そうにしている。
どうやら体験したい人が少なくて無聊をかこっていたようだ。
私達は野次馬!
見逃す手はない。
けれど、注意書きがあって、身長、体重に上下の制限がある。

私は体重は適正だけれど、身長が足りない。
Hさんは身長は十分だけれど、体重が足りない。
要はデブチビとヤセノッポのコンビだから。
身長が足りないのは足が水面に届かないから無理。
私は諦めた。
Hさんは体重が少し足りないけれど、試してみることになった。

痩せた体にハーネスをつけてロープの先にあるフックに繋がれた。
ピーターパンみたいねと笑いながらいざ空中飛行。
しかし・・・重さが足りなくてロープが下がらない。
水面ははるか下。
結局宙吊りになったまま。
それはそれでなかなか絵になったけれど、私が動画撮影に失敗したので、皆さんにみせられず残念でした。

私達が楽しんでいたらあっという間に人だかりができて、体験希望者が集まってきた。
日本人はほんとにシャイなんだから。

私は以前、戦闘機で成層圏まで飛ぶというツアーに申し込もうと思ったことがあった。
ツアーの内容を読んでいたら身長制限があって、とうてい無理ということがわかってがっかりした。
たぶん小さいと、安全装置とか宇宙服?とか、あらゆる部品が規格外になってしまうのだろうと動画を見て思った。
たいてい軍人みたいな人が乗っている動画なのだから。