2018年10月28日日曜日

葬儀は続く

またしても葬式。
私の甥がなくなった。
まだ若いのに。

棺の中の顔は若々しく、ひげを伸ばしたまま。
なんだか慣れっこになってしまった風で、涙も枯れ果てた。
去年は私が飼っていた4匹の猫のうち3匹が、たて続けに天国へ行ってしまった。
そして我が家は残った1匹の天下になった。
今まで他の猫に邪魔されて甘えられなかったのが、今や私を独占。
顔つきまで変わって、幸せそうに生きている。

甥は一番上の姉の長男。
生まれたときに少し問題があって運動機能の発育が遅れたけれど、大人になったら普通のレベルに追いついた。
とことん優しい性格で犬を可愛がり、父親の死後一人になった母親の面倒を見ていた。
私の姉は幼少の頃溺愛されてお姫様状態だったからとんでもなくわがままで、彼は嫁をもらえず苦労したと思う。
それでも自分の趣味の車を楽しんだり、周囲から可愛がられていたから、いつもにこにこしていた。
両親ともに美男美女で彼も中々立派な顔だったけれど、態度がヘラヘラしているのでいつまでも坊やみたいだった。
特に彼の姉と弟がえらく優秀で、その間にいるのは辛いものがあったかもしれない。

訃報を聞いたのが23日、私は「偲ぶ会」の準備で忙しくショックを受ける余裕もないというのに、トリプルパンチ(旦那、ノンちゃん、甥)を食らってノックダウン寸前。
もうどうにでもなれ、さあ、殺せ!状態。
あまりにも大変だと、脳みそがちゃんとショックを和らげる様に対応するのには驚いた。
一時的な記憶の書き換えとか・・・
人体はすごい!

甥の葬儀は簡素に行われて家族だけに見守られて旅立った。
参列者は12人ほど。
これでいいのだと思う。
「ヤマゲンを偲ぶ会」のときは、多数のお悔やみの予想があったので、思いっきり大勢の人に参加してもらった。
長く生きたおかげで、知人友人は数多い。
しかも交友関係の濃い人が多いので、誰も疎かにできない。
それならパーティーにしてしまえば良い、というわけで。
でも家族だけでひっそりと送るのは、温かい送り方だと思う。

甥は生きていたときと同じように優しい穏やかな顔で、棺に横たわっていた。
犬が残された。
その子は諏訪に住む弟夫妻に引き取られていった。
良かった。
諏訪の自然の中で伸び伸びと走り回ってほしい。

甥を見送って帰りの車の中で、ちと飲みすぎた風の次兄が気分が悪いと言うので、一旦長兄の家で休ませた。
久しぶりで集まった兄二人と姉と私。
しばらくお茶を飲んで話をした。

うちの家系は皆あっという間に亡くなるねえと、兄が言う。
なるほど、私達の父親から始まって、今日の葬儀をした甥と甥の母親である私達の姉も、あっという間に。
姉と私の連れ合いも同様。
父にいたっては、高校野球をテレビで観戦中に眠るように逝ってしまった。
長患いする人がいない。
直前まで元気で、天寿を全うしている。
「明るい死に方」のお手本みたいに。

甥の発育が遅れていたために、その姉である姪は考えるところがあったらしい。
小学生の時に「私は福祉関係の仕事をする」と宣言して、私は驚いた。
弟のことが心配だったからだと思う。
この姪は動物も鳥も寄ってくるという不思議ちゃん。
他の人に絶対に寄っていかなかった私の飼い猫が、彼女だけには初めからなついた。
恐ろしく無口なのに、そばにいると気が休まる。

そんなだったから弟をずいぶん気遣っていたらしい。
福祉の勉強のためにイギリス留学。
帰国は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚の数日前だった。
結婚式見てから帰ればいいのにと言ったら、そうしたいけれど帰国日が決められているのでということで。
国費留学生だから、自由がきかないそうなのだ。
それを残念に思うのは私の方で、彼女は少しも気に留めないで淡々としていた。

弟の方は長じてほとんどハンディはなくなった。
多少足を引きずって歩くくらいで、スキーも車も楽しんでいた。
ここ数年、毎年年賀状が出せない。























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