2018年10月5日金曜日

居酒屋で女子会

女子会メンバー6人は会が終わるとすぐに次の予定を決める。
だいたい2,3ヶ月に1度の割合で、幹事はほとんど私だから予定日の前日、恐る恐る「覚えてるかい?」とメールする。
覚えているんだなあ、これが。
皆さん仕事をやっていたので、スケジュールの管理はさすが!

幹事が物ぐさだからだいたい私のテリトリーの範囲内で店を決める。
最初のうちは場所を変えたり、ネットで良さそうな店をせっせと見つけていたけれど、今回は博打。
自由が丘あたりが面白いと思ったので「自由が丘・個室」で検索。
一番最初にヒットしたお店に決定。
時間ぴったりに全員、自由が丘駅改札口に集合した。

店は居酒屋で、焼き鳥とかモツ鍋とか、およそ品の良いメンバーには似つかわしくないカジュアルなお店になった。
皆さん嫌がるかと思ったら、ぜんぜん気にしないでお酒を飲み、焼酎を啜る。
店に入るとまだ早い時間帯なので、一番奥の個室風の座敷に通された。
完全な個室ではなく、ノレンで仕切られただけの掘り炬燵席。

ビールを頼むとなんだか薄味。
これをドライというのか。
その後は各自好きな飲物片手に話に花が咲く。
いつまでも女学生みたいなノリで、苦労知らずのお嬢さんがそのまま大人になってしまい、この年になってようやく人並みの苦労を味わっているような集団なのだ。
苦労たって別になんのことはない、1人で行動できるし健康でなによりもユーモアや好奇心を忘れない。
今回は私がワサワサしているのをわかっているけれど、あえてそれには最小限しか触れない。
下手な同情の言葉がないのが清々しい。
根掘り葉掘り訊かない。

というのも他に話題はワンサカあって、それはいつも可笑しいことが多い。
私達が生きてきた戦後の日本の音楽界は、混乱と希望に満ちていた。
私達の教師たちも手探り状態、私達もどんどん進化する演奏技術に追いつこうと必死に勉強した。
海外に留学する人が増えて外国からの情報が入るに連れて、目からウロコ状態、日々発見の楽しさにワクワクした。
海外からの演奏家も、毎日のように聞くことができるようになった。
学生時代には週に何日も日比谷や上野の音楽会に通っていた。

現在の若い演奏家たちは、最初からある一定の水準が出発点。
情報はわんさか入ってくる。
すぐれた教師がいて海外にも簡単に行ける。
それで演奏技術はとても高い。
しかし、学校出ても仕事が少ない。
楽器の生演奏はシンセサイザーに変わり、オーケストラはポジションに空きがない。
とても気の毒だから、できるだけコンサートに行ってあげてください。

混乱の時代には沢山のエピソードがあって、ガクタイは異常性格が多いからとんでもないことをしでかしたりする。
特に一世を風靡した指揮者などは、常軌を逸していた。
今のような窮屈な行儀の良い時代になると、とてもじゃないけど許されない、週刊誌の餌食になるようなことも笑って「あいつだから」と済まされてしまうところもあった。
それが良いか悪いかは別として、群雄割拠、豪傑が多かった。
話題に事欠かない本当に面白い時代だった。
そんな話をしながらさんざん笑い転げて女子会は解散、来年の新年会の約束をして別れた。

それらのエピソードがそろそろ忘れられようとしている。
私の飲み仲間の1人、芹澤さんは驚くべき脳力の持ち主で、彼から沢山の昔のエピソードを聞いた。
けれど、私は超絶物忘れ名人だから片っ端から忘れてしまう。
私はそのエピソードを書き留めておこうと、最近ボイスレコーダーを買った。
聞いているだけだと翌日忘れているから、次回からは録音して書き留めておくことにしたのだ。

そのボイスレコーダーの取説を読む段階で、もう頭が痛い。
しかも最近のドサクサに紛れて、本体がどこぞのゴミの山の中に埋もれてしまったらしい。
これを探し出すのも大仕事。
あ~あ!なんでこうなっちゃうの。

























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