2012年8月20日月曜日

イギリスへ

明日午前中に成田からロンドン、ヒースロー空港に向けて飛び立ちます。今回はまずロンドンの美智子・Richard Stagg夫妻の御宅に泊めてもらい、翌日コツウォルズに車で出発、そこで4泊、またロンドンに戻ってプロムナードコンサートや観光をたのしもうという計画。奥さんの美智子さんはピアニストで、ここ18年間、毎年日本にロンドンアンサンブルの一員として来日。去年私は一日だけヴィオラで参加して、それ以来非常に親しくさせていただいている。私の連れはやはりピアニストの美里さん。偶然にも美智子さんの音大の後輩にあたって、共通のお知り合いも沢山いるようだ。それからコツウォルズに行くときには、まりさんという若い御嬢さんが同行することになった。この方は美智子さんのピアノのお弟子さん。イギリスで育ち、一時日本に帰国して大学を卒業後、またイギリスで大学院に入ったと言う才媛。だからネイティブのように英語が出来る。その方が私たち心もとないおばさん二人に付き合ってくれるという願ったりかなったりの設定となった。美智子さんはたぶん私がヒョロヒョロと車を運転してあらぬ方向にいって、しかもろくすっぽ英語がしゃべれないのをずいぶん心配したと思う。その頃美智子さんは忙しくて私たちに付き合っている暇がない。そこでお弟子さんを説き伏せて同行させたに違いない。災難なのはまりさんで、どんな人たちと一緒に行かされるかもわからず、先生のおおせのままにお付き合いしてくださる。本当にいい御嬢さん。4日間果たして彼女が我慢してくれるかどうか。とにかく初めは美里さんと二人の弥次喜多道中のはずだったので、とんでもないことになっていたかもしれない。荷物は送って後は体一つで成田に行けばいい。これですっかり旅行が済んだ気分になる。あとは野となれ山となれ。行ってきます。時々はnekotamaに投稿するかもしれませんが、しばらくは休業させていただきます。今月末に帰りますので、またよろしくお願いします。

2012年8月19日日曜日

今年も先生の誕生会

毎年、かつて師事した中山朋子先生の誕生日を祝う会食がある。今年も恵比寿のガーデンプレイスの東天紅で開かれた。いつも10人以上の門下生が集まるのに、今年は急に親または本人の具合が悪くなった人が続出、6人になってしまった。東天紅は最上階にあって、東京タワーとスカイツリーがはるかかなたで並んで見える。今日は初秋のまだ強い日差しがまぶしい良いお天気だった。先生は私より10歳年上なのに、頭の切れはいまだ健在。足が悪いと言うのでちょうど通り道の私がお迎えに行った。私がぼんやり過ぎるのか、先生が気が付きすぎるのかはわからないけれど、道でも建物でもすぐに行き方をすばやく見つけられるのにはびっくり。エレヴェーターの場所とか曲がり角、レストラン街への入り口など、私が見つける前に「ほら、あっちよ」と急き立てられる。さすがに足の速さでは負けないけれど、頭の回転は完敗。全てに規格を超えた方だから、脳みそも大きいのかもしれない。「先生早い」というと「あなたがぼんやりなのよ」はっしとうちかえされる。この調子でレッスンをされるものだから、生徒たちからは大いに恐れられていた。ところが私の記憶では、私のレッスンでは先生は笑ってばかり。そのことを言うと「貴女はいろいろ練習してくるけど、なにも言うことも出来ないくらいひどくて笑うしかないのよ」と宣う。悪うございました。その代り私もずいぶんひどいことをずけずけと言わせて頂いたので、これでおあいこ。たとえば・・これも去年書いたけれど先生が「私は指の先の皮膚が薄いのよ」それに対して私「あら、全部顔の方に引っ張られちゃったのね」背中をどつかれながら大笑いしたのも懐かしい。足が悪い以外は去年よりもむしろお元気そうに見えるのが嬉しい。優秀な生徒を多数輩出した門下だけれど、時には私のような落ちこぼれもいて、その落ちこぼれをずいぶん可愛がってくださった。笑い甲斐のある生徒だったようだ。笑われてもめげないのが私の取り柄。そうすると取り柄というのはずいぶんいいかげんなものだなあ。

2012年8月18日土曜日

荷造り

そろそろイギリスへ出発する日が近付いたので、昨日から荷物を詰める作業に入った。私の持っている中で一番大きいスーツケースを開けると、なんと、去年カナダにスキーに行った時の出し忘れのヘルメットやスキーブーツなどがぞろぞろ出てきた。こんなところにいたのか、君たちは。窮屈で悪かったねえ。取り出してそこいら中に放り出し、予定の荷物を詰めると、思いのほか少ない。私が一番荷物が多くなるのは夏場で、ものすごい汗かきだから。汗さえかかなければ着た切り雀に徹していられる。あと2,3の物を詰めれば出来上がり。長年旅行に明け暮れていた割には荷造りが下手で、いつもパンパンに膨れ上がったスーツケースは、上に乗ってからでないと鍵がかからないくらいなのに、今回はガラガラ。いやな予感がする。なにかきっと忘れているに違いない。それでも文明国に行くので買い物ができるから心配はないだろう・・・と思っても現地に行くとなにかしら忘れていることが多い。数年前に天元台にスキーに行った時は、ソックスが一枚も入っていなくて、ババシャツがこれでもかと言うくらい入っていたことがあった。天元台は山の上だから買い物が出来なくて参った。忙しく荷造りをするとこんなことになるから今回はゆっくり準備しようと思ったけれど、ゆっくりやっても結果は同じことになるのが残念なところ。自分でもしっかりしているのかしていないのか、よくわからない。むしろ私より忙しかったのはパソコンの師匠のHさん。現地での電話のかけかた、日本から安く国際電話をかけるやりかた、レンタカーの調査等々、毎度お騒がせのクライアントのために様々な調査をしていただいた。以前持っていたGALAXYが少し私には大きいので最新の小さい物にして、これ一つで写真撮影からメール、スカイプなど全部網羅できる。その操作方法を動画にしてもらっても、送ってこられたことにも気が付かない。そのたびに彼は砂漠に柄杓で水撒いているようなものだと無力感に襲われるそうだ。すみません、できの悪い生徒で。ざるで出来た脳みその持ち主ですから。パスポートと国際免許証さえあればあとは野となれ山となれ、ヒースロー空港に迎えに来てくれるはずのリチャードと、ちゃんと出会えることを祈るのみ。

2012年8月17日金曜日

日本ならでは

子供の時からひどいウッカリヤだったけれど、年齢を重ねるうちにいよいよ磨きがかかってきた。メガネをかけていながらメガネを探すなんてのは序の口。2.3歩歩けばスッポリ記憶が抜け落ち、いったい何をするつもりだったか少しも思い出せない。よくこのブログに投稿しようとしていてもテーマを忘れるなんてことは日常茶飯事。さて、この数日やったウッカリは、もし日本以外の国だったら、おそらく無事ではなかったと思う。10日ほど前、仕事から帰って来て駅の駐輪場で料金を払った。財布を出して支払いを済ませ、前かごに財布を置いてゲートを出る前にチラッと思ったのは、財布をちゃんとバッグにしまわないとなくすぞと言うことだった。それもゲートを通った途端忘れてしまった。家に着いて自転車を所定の場所においた。そこは自宅車庫の一番端の人通りの多い道に面したところで、自転車は常に人目にさらされている。前かごのバッグを取り出し、家に入って寝てしまった。次の日は暑いから買い置きの食料で食事を済ませ、一切買い物をしなかったし、自転車も使わなかった。そしてまた一夜明けて、今日は買い物に・・・と思ってバッグを開けると財布が無い。さてどこへ置いたかしら。捜しても見当たらない。その時ふと記憶がよみがえってきた。自転車の前かごに財布を置いた時ちらっと考えたことを。思わず真っ青になった。最近カードで買い物をすると大そう気軽になんでも買ってしまう。それでなるべく現金で買うようにすれば、目の前でお金が消えて行くからあまり無駄遣いをしなくなると考えて、月初めにひと月分の生活費をまとめて財布に入れ、その範囲で買い物をしようと考えた。だから結構大枚のお札が入っていたのだった。ちまちまと銀行から下ろしているとやはり使った感じがせずに、思いがけず沢山使ってしまうこともあるので、この方法にした。それ以後その金額の範囲で買い物をするようになった。それは良かったのだけれど、失くした時は大損害。3日も経っているし、人目に付きやすい所だからもうとっくになくなっているに違いない。前かごを覗くと、あった。緑色の古びた財布がひっそりと籠の底にへばりついていた。単に人目が届かなかったのかもしれないが、もし、日本以外だったらおそらく財布は無事ではなかったと思う。かつてボリショイバレー団のツアーに同行していた時、道端のバス停付近でバレエダンサーの荷物がなくなったことがあって、彼女はオーケストラのヴァイオリン奏者が盗ったと言い張ったことがあった。結局その荷物は彼女の思い違いでホテルのロビーで保管されていた。彼女はあらぬ疑いをかけた人に謝ろうともしなかった。みな嫌な気分になったが、お国柄ということであきらめた。そんなことを思い出した。もし日本人だったら、傍にいたと言うだけで人を疑ったりしないでしょう。財布が目に入っても持っていこうとする人は少ないと思う。良い国だなあ、日本って。

2012年8月14日火曜日

同窓音楽会。

毎年8月14日、国立音楽大学の弦楽科有志の同窓会があって、それぞれ楽器を持ち寄って自分の好きな曲、アンサンブルなどを演奏してから飲み会に移る。国立駅の傍の小さなホールを借りて、今年もいつものメンバーが集まった。発起人は滝沢さん。毎年演奏とあいさつをしていたのが今年は姿が見えない。少し具合が悪いようなのでお宅で休養中と訊いて、ショックを受けた。彼を中心に集まった会だから、彼がいないとさびしい。それでも皆意欲的にプログラムを発表していく。初めはささやかで、いくぶんくだけたというか、ふざけた会だったのが、回を重ねて行くうちにだんだん真剣になっていって、いまや立派なプログラムがずらりと並ぶようになった。私も初めのうちは楽器を持ってぶらりと出かけ、だれか余った人がいたら組んでアンサンブルをぶっつけ本番で弾いたりしていた。そのうちピアノの芝さんとよくアンサンブルをするようになったので、彼女とデュエットを弾くようになった。この人は超真面目で練習をきちんとするから、練習嫌いの私もいやいやするようになった。面白いことに一度きちんと練習して出すと、次からは練習しないでは出せなくなる。今年は「クロイツェルソナタ」の予定だった。しかし、松原湖のコンサートが思いのほか内容が濃いものだったので、プロコフィエフの「ソナタ2番」に変更。それもだんだん縮小されて1楽章のみとなってしまった。参加者が増えて時間が制限されるのと、疲れがたまっていて全楽章は無理となった。演奏が終わると場所を「天政」という料理屋さんに変えて宴会が始まる。これがやはり演奏会の続きとなって、飲みながら食べながら、楽器を弾いて楽しむ。ほとんどみな病気のように音楽が好きなんだと、いつも思う。「天政」は先代の頃から音大生を応援して可愛がってくれた大恩のあるお店で、貧乏な学生たちに快く安くお酒を飲ませてくれた。いまでも2代目が私たちを毎年迎えて、お店を開けてくれる。ホールでは時間の都合で弾けなかった曲などを、ここでメンバーをつのって即興的にアンサンブルを楽しむ。私もモーツァルトの「狩り」を弾いて楽しんだ。又来年は何を弾こうかなあ。

2012年8月13日月曜日

松原湖名曲コンサート

毎日の練習を終えてやっと本番を迎えると言う日は、前日の雨も上がってきれいに晴れた。朝11時からゲネプロが始まった。30分ずつの持ち時間で、「鱒」にはすこし短いので要所要所をあたってお終い。でも中々よく仕上がっていると言う感触はある。初めて会ったメンバーもいる中で、まあまあではないだろうか。この曲は非常に難曲で、今まで何回も弾いているのに上手くいったと言えることは少ない。それに長いので体力もいる。今回のプログラムで4曲中3曲が私の出番になってしまった。ヴァイオリンが3人もいるのに、なぜか私の出番が多すぎる。弾くのは嬉しいけれど、負担は大きい。本番前にどのくらい聴きに来てくれる人がいるか心配だったけれど、ふたをあけると80人を超えたらしい。毎年会を重ねていると言うこのシリーズも最初は一列しかお客さんがいないこともあったそうで、それから比べたら今回は大盛況と言える。北杜市に住む私の友人や、軽井沢から、東京からと教室の生徒さんがきてくれた。本当にうれしい。休憩時間にお客様の応対をしていたら、品のあるご婦人が私に話しかけてきた。「私、角道の姉でございます」角道さんは古典音楽協会のコンサートマスター。何十年も私は角道さんのお隣で弾いている。こんなところでお姉さまにお目にかかるなんて、ビックリしたなー。聞けば佐久にお住まいだとか。東京に出られた時に「古典」のコンサートを聞いてくださったことがあるそうで、私の事も覚えていらしたようだ。演奏会は成功裡に終わって盛大な拍手とブラボーを頂いて、苦労した甲斐があったというもの。そして打ち上げで判明したのは、今回の出演者全員がすべてどこかでつながりがあって、友人が共通だったり、親御さんが知り合いだったり、それはもう大変なご縁でつながっていたことが判明した。音楽の世界は限られていて狭いと言っても、これほど網の目のようにつながっていようとは。驚きと喜びのうちにそれぞれお別れを言って解散した。少しワインを飲んだので、まだコテージに泊まると言うFUMIKOさんと高木さんのご厚意で、出発前に仮眠を取らせてもらうことにした。初めてジュリちゃんとご対面。私は犬から好かれるから、初対面に興奮して吠えられても平気。すぐに仲良しになってまあ、可愛いこと。首や背中を掻くとトロンとした目をして満足げ。猫もいいけどワンちゃん飼いたいなあ。渋滞も解消した夜道を順調に走って家に帰れば、たまさぶろうが狂喜乱舞。一晩中べったりとそばを離れない。うーん、世界でいちばんはたまさぶろうだね、やっぱり。

松原湖二日目

リハーサルを本番会場であるヤルヴィホールでやっていいと言う嬉しい小海町の計らいで、朝から会場に出かけた。主要道路から会場までのほんの少しの距離ではあるけれど、農道のように車一台がやっとという狭い道を登る。明日の本番を聴きに私の友人や生徒がかなり来てくれるのに、こんな道をどうやってくるのだろうか。少し心配していると、生徒からメールが来た。小海町が電車に合わせて車を出してくれるらしい。少し安心した。ヤルヴィホールは山間の小さな湖のほとりにぽつんと立っている。この湖は松原湖ではないという。中は木をふんだんに使った、こじんまりとしてはいるけれどステキな空間。そこに椅子を並べると100人くらいは入れる小ホール。響きがとても良くて、館野泉さんが毎年来て演奏する。館野さんはフィンランドの国民的ピアニスト。日本人だから国民的と言うのはおかしいかもしれないけれど、フィンランドで圧倒的な人気と尊敬を受けていたのが、あるとき病気で右手がマヒすると言う悲劇が起こった。それでも彼は残された左手だけで、演奏活動を続けている。音を出してみると本当に気持ちがいい。客席が空の時はすこし響き過ぎるようだが、客席が満杯になるとちょうど良くなると思う。だから本番の時には沢山聴衆がきてほしい。昨日響きすぎてよく聞こえなかった「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も今日はお互いに聴きやすく、テンポも落ち着いてきた。これならいける。でも、この超有名な曲は実はとても演奏が難しい。私が一番緊張する曲でもある。楽しく明るい曲の陰には、大変な緊張が隠れている。今回のプログラムで最初の曲目であり、まだ体がほぐれていないときに弾くのは中々難しい。だからと言ってあとの方で出す曲でもない。大抵は初っ端に弾く。それでも曲が易しいわけではないのがジレンマになる。全部の練習が終わって夕食の後も会場練習をすると言うから、怠け者の私が猛反対。そんなことしたら明日の本番は疲れ果ててしまう。本番に向かって体調を整えないと、いざと言うときの力がでない。私の反対で夜の練習は取りやめとなって康子さんはすこし不満顔。彼女は練習したいらしい。でも、力の配分を間違えると本番で疲れ果てて弾けなくなってしまう。それを調整するのも演奏者の役目なのだ。夜はまたコテージの5人で酒盛りをしても、明日の本番に備えて早目に切り上げて眠りについた。

松原湖第一日目

甲府を出発して一路松原湖へ。私の車のカーナビはちょっと変わっているので要注意。現地近くまで行くとなにやら舗装もされていないような車一台やっと通れるような山道を登れと言う。しかもメールで送られてきた練習場の住所が間違っていたので、なかなかたどり着けない。木に上って作業している人に聞いてやっと到着。広々としたセミナーハウスは元は絵描きさんのアトリエで、広いホールの隣にダイニングキッチンとバス、トイレ。階上に宿泊できる部屋がいくつか。そしてその上に天体望遠鏡が設置されている。残念なことに望遠鏡は壊れていて、見ることはできない。一時からプログラム第一曲目の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の音合わせが始まった。ファーストヴァイオリンの康子さんは初対面、ヴィオラはFUMIKOさん、チェロは大先輩の服部さん。音を出してみると、広いホールは反響が大きすぎてお互いの音が聞こえない。ワンワンと響くので、相手が何をやっているか良くわからないと言う悪条件の中で悪戦苦闘しながらとにかく練習は終わった。そのあとは「鱒」康子さんのご主人の秀文さんがコントラバスで、私の同級生でピアノの芝さんとチェロは高橋さんに替わって、リハーサルが始まった。ホールの残響が多すぎてピアノはかんかんなるし、弦楽器同士は音が聞こえないし最悪ではあったけれど、秀文さん以外は出発前にコントラバス抜きで練習をしておいたので、なんとか最後までたどり着いた。夕飯の後は大阪から来るピアニストの真紀子さんと「街の歌」のリハーサルがあるので、アルコールは飲めない。これでワインが飲めたら最高な素敵な夕食で、地元産の野菜がふんだんに使われ、ダイエット中であることは一時棚上げすることにした。初対面の真紀子さんはご主人の運転する車で到着。大阪を早朝出てこの時間に到着したので、さぞお疲れだと思うのに、熱心にリハーサルを重ねた。初めて合わせる時はお互いに少し探り合ったりするので、テンポが前向きにならなかったり、緊張して早すぎたりするので丁度良くなるのに時間がかかる。一日目は慎重にゆっくり目のテンポのまま終わった。練習後はコテージに戻って、FUMIKOさんとその親友である画家の高木さん、そしてこちらのコテージのメンバーは芝さんとそのお姉さんの篠井さん、そして私の5人でワインを飲みながら楽しい宴会が遅くまで続いた。FUMIKOさんの愛犬ジュリちゃんがよその犬に鼻を噛まれたそうで、可哀そうに引き籠っていると言う。こんな自然の中ではしゃぎたいところなのに。人間は大いに楽しく眠りについた。

松原湖から帰りました。

あちらから投稿しようと思っていたのに、リハーサルやら飲み会やらが大変でブログを留守にしました。昨日夜11時に現地発、けさの2時に自宅に帰ってまいりました。出発日にはハプニングの連続で、もう何が何やら・・・。まずは、出発2日前に楽譜用の眼鏡を壊したことが騒動の始まり。真っ青になって眼鏡屋さんに駆け込み、とにかく出発日に間に合うように作ってくれるようにお願いして、ギリギリで出来あがった。さて荷物をまとめて出かけようと思って、ふと、イギリス行きの航空券のEチケットが届いていないので予約の確認をしようと航空会社に電話すると、なにっ、予約が取れてないっ?確かに予約したのに、支払いがされていないので自動的にっキャンセルになりましたとのつれない返事。ま、まさか。とっくに支払ったつもりだったのに、きゃあ、とんでもないことになった。もしこれでチケットが取れないと、鬼の形相で連れの美里さんが怒るに違いない。わー、どうしよう。何回もの電話のやり取りがあって、無事にチケットの予約完了。そこで一時間のロス。でも確認して良かった。もし、空港へ行ってからチケットが無かったら・・・ぞっとする。美里さんに殺されるところだった。やっと胸をなでおろしながら高速道路をひた走っていると、携帯がなった。走行中なのででられないのに、何度も何度も着信音が響く。なにか緊急事態発生?次のパーキングに滑り込み、あんまり慌てていたので縁石にドカンとぶつかって止まった。かなりの音がしたのに電話に気をとられていて気が付かなかったけれど、後で見ると前のバンパーがぐにゃりと潰れていた。電話は何かと言うと教えている音楽教室からのもので、今日レッスン日で生徒さんが来て待っていますよというもの。確か今月は今週お休みで来週がレッスン日だと思っていた。私のカレンダーにはそう書いてあったけれど、教室の方へは違うことを言ったようだ。しかも後で確認した時にも気が付かなかったようで、なんたるドジ!平身低頭謝って来週に振り替えてもらった。なんなのさ、このハプニング続きは。甲府に着いた時はもうぐったり。でも一人でホテル近くのカフェバーで美人のバーテンさんを相手にビールを飲んで、ホテル最上階の温泉につかったらもう、ご機嫌。この変わり身の速さが私の特技なのです。

2012年8月9日木曜日

松原湖へ

今日の夕方から甲府に向かって出発します。松原湖は目と鼻の先。それならそのまま行ってしまえばいいけれど、夜人気のないところを通るのは怖い。バックミラーに居るはずのない人が映ったりしたら・・・きゃー!これでも非常に怖がりなのです。甲府で温泉につかってビールを飲んで、猫のいないベッドで寝るのは極楽にちがいない。ちょっと気になるのはたまさぶろうのことで、最近異常に甘えたがる。どこか体の具合が悪いのかもしれない。以前検査した時は、腎機能が4分の3機能していないという。尿の量が非常に多く、これは良くない兆候なので、覚悟がいるかもしれない。とはいえ、それも時の運だから心配してもどうにもなることではないので、可哀そうだけど置いて行く。これが犬だったら連れて行って、林の中を散歩させてあげられるのに。すこし心を残しながら、行ってまいります。道中渋滞がひどくないことを祈りながら。明日から初対面の方たちとの練習が始まる。いつでもこのワクワク感がたまらない。

2012年8月7日火曜日

岡本忠成の世界(すばらしいアニメーション)

岡本さんは私たちの愉快なスキークラブ「雪雀連」の初期の頃からのメンバーだった。亡くなって22年、山田会長がいつも懐かしそうにお名前を口に出す。奥様のさとこさんは今でもスキー仲間としてご健在。岡本さんのアニメには常連の、のんちゃんのお人形が出演している。「おこんじょうるり」を初めてみた時は涙が止まらなかった。一コマずつ手作業で動かして、気の遠くなるような作業をしたに違いない。そして画面からは豊かな世界が伝わってくる。素朴で心優しい日本人の原点がここにある。ぜひ会場に足をお運びください。写真をクリックすると拡大されます。少し見難いかもしれないので念のため。9月8日(土)午後1時30分、日経ホール(大手町)です。

2012年8月6日月曜日

帰省ラッシュ対策

松原湖のコンサートの練習は10日から、本番は12日午後2時。練習日の10日の朝出発するつもりだった。そういえば世の中はお盆の最中。帰省ラッシュが始まるころかなと交通情報を見たら、あらまあ、最大35キロの予想が出ている。しかも、ちょうど出かけようとしていた時間帯に。この予想は本当によく当たる。通常なら30分位のところが2時間前後かかるらしい。その渋滞の中で事故でも起きようものなら、目も当てられない。それで考えたのはとんでもなく早い時間に出ると言うこと。同行予定のピアニストに連絡して、早朝出られない?と言ったら、私は電車で行こうかなと言うつれない返事。なるほど、その手もあるか。調べてみると彼女の最寄駅の荻窪を10時ころの電車に乗れば、13時過ぎには小海あたりに到着する。私もそれなら電車でと考えたけれど、あちらに着いてから必ず車が必要になる。それに、ワインやビールを沢山持っていく予定だったので、車でないと少しつらい。それではあなたは電車にして、私は早朝出るからと言ったのだが、まてよ、前日の夜出かけるのはどうだろう。渋滞も少ないし、目的地まで行かなくても近くまで行って、ビジネスホテルに泊まれば楽じゃない。一番最寄りの大きな町と言えば甲府。甲府になにか・・・ドーミーインを見つけた。贅沢言わなければ安い部屋もある。なんといっても温泉なのがいい。このホテルは仕事で全国を飛び回っていた頃たまに利用した。女性をターゲットにしているのか、女性客が多い。温泉だからいつでも大浴場に入れる。性分がせっかちなので、何としても近くにいるのが安心だから、仕事の時も必ず前の日に出かけることが多かった。本当は目的地に行ってしまえば話は早い。でも、早く言っても私の出番は10日から。泊るところは大きな部屋に数人が一緒ではつらい。それで近くのペンションを予約してもらったら、これが宿泊代4000円と異常に安い。大丈夫かこの宿はと思っていたら、予約してくれたこのコンサートのマネージャーのTさんから、安すぎるので心配ですというメールが来た。まさか出る?そうこうしているうちに運の良いことに、小海町のコテージが一軒キャンセルが出たというので、そちらに泊まれることになった。これなら夜通し大騒ぎしても大丈夫。とか何とか言って、あっという間に寝てしまうのがいつもの私のパターン。帰りの渋滞も又耐え忍ばなければならない。やたら車を使うと言うのも、そろそろ考え直さないといけないかもしれない。

2012年8月5日日曜日

がんばれ!(元)国立市長

1999年並木沿いに計画された高層マンションが町の景観を損ねるとして市民が反対、並木と同じ高さにするように条例が定められた。そのために業者がこうむった損害3000万円を市は賠償した。その後市民の税金で払うのは納得できないとする一部住民が、その3000万円を当時の市長だった上原君子さん個人が支払うように裁判を起こしたと言う。国立にはよく行く。一ツ橋通りは並木が美しい。その向こうににょっきりと高層マンションが顔をだすなんて本当にいや。国立は学園都市として落ち着いたたたずまいと、私が学校に通っていた頃からおしゃれなお店が多かった。今でも一部の喫茶店などは健在で町全体の雰囲気はあまり様変わりはしていない。富士見通りにスーパーや飲食店の入っている雑居ビルができた。やや低俗な感じにはなってきたけれど、これが建物の高さ制限でかろうじてこの程度でとどまっているのだと思う。私は原始人だから考え方はいつも後ろ向き。発展や虚栄を求めない。「足るを知る」の精神でいたいものだと常々思っている。日本はバブルがはじけた上に恒常的な不景気で、世界経済のランク付けからも転落の一途。一時期はなんでも一番でないといけないという風潮だったけれど、それがどうした。「ジャパン アズ ナンバーワン」なんて本を書かれて大喜びしていた時期もあった。それでどうなった。今の中国を見ていると申し訳ないけれどあさましいという感じがする。当時は日本だって同じだったのに。世界中を札束持って張り倒していたのに。今の落ち着きが本来の姿だと思っていい。一度高層マンションを許してしまったら、あの町は一変してしまうに違いない。市長個人に賠償を求めるとは、あまりにも汚いやり方だと思う。条例は議会で承認されたもの、条例は違法ではないのになぜ個人がしはらわなければならないのか納得いかない。要するに儲けそこなった業者と、それにつるんでいる役人たちのいやがらせとしか思えない。こんな理不尽はゆるせない。国立のあのさわやかな並木道は私たちのオアシスだった。ローマの遺跡を見て、イタリアは復興が遅れていると言った、情けない日本の議員がいたそうだ。ヨーロッパの落ち着きを今、日本も取り戻してほしい。ランクが下がったからといって、何が恥ずかしいのかよくわからない。

取扱説明書が読めない。

取説をまるで楽譜を読むかのようにすらすらと読む人がいる。細かい字を近視にも拘わらず、裸眼で読んでいくので「よく読めますね」と言ったら「心眼」と一言答え返ってきた。私はまず新しい物を買ってくると茫然として其処等辺に放置する。何日か経って恐る恐る箱を開けて、バラバラの部品を茫然として眺める。箱から出して更に何日か床に転がしておく。手に取ってちょっと組み立ててみるがすぐに飽きる。最低一週間くらいかかってようやく簡単なものなら完成。どうしてもわからないときはしぶしぶ取説を引っ張り出して来る。そこに書かれている言葉は何語?と思うくらいチンプンカンプン。去年野良猫が棲みついた時は、哀れに思うあまり犬小屋を作ってあげることにした。猫にあげるという言葉を使ってはいけないと、目くじらをたてられそうだけど、やるという言葉はきれいじゃないのでつかわない。いいじゃない、お猫様なんだから。「やる」と言うと「殺してやる」とかそんな言葉を連想する。決して「殺してあげる」とは言わない。あげると言うと殺意が無くなりそうで怖い。なにが怖いのか、意味不明ですみません。その時は急いでいたので、さすがの私も今度こそ説明書を読んで完璧に仕上げようと思った。雨漏りしたりするとかわいそうだから。さて腰を据えて階段の踊り場でじっくりと読み始めた。フンフン、これが壁面でこれが屋根、床は二重構造で雨がしみてこないようになっている。うまく出来ているなあ。必死で作業して出来上がったので、さて、車庫の倉庫裏の敷地に設置と思ったら、結構大きさがあるので、人間一人やっと通れるような通路が入れない。お隣さんにお断りしてそちらの庭から入れば入るのに、そのうちは大の猫嫌い。こんなもの持って行ったら大ゲンカになりそう。スゴスゴと引き返し、屋根の部分を取り外してなんとか通過。そしてさっきまで完璧だった屋根はなんだかぎくしゃくする。どうやら左右間違えたみたい。取り外そうにもねじ山が潰れて外せない。かくして、またも私の製作品は未完に終わった。なんでこんなことを思い出したかと言うと、買ってから優に5年はたつという洗濯機に、洗濯槽を洗う機能がついているのを発見した。いままでは洗濯槽は通常の洗濯の手順で洗っていたのだ。ここにたどり着くまで五年!説明書に書いてあるでしょ!

2012年8月4日土曜日

夏バテ

特に暑さに弱いので今年はつらい。去年はあの地震騒ぎで意識が飛んでしまっていたので、暑かったけれどじっとこらえることが出来た。今年はやたらに暑さを感じる。朝、目が醒めると頭痛がする。私は頭痛もちではないので、ふだんめったに頭が痛いことはない。たぶん寝ているうちに軽い熱中症になっているのではないかと思う。水分もとっているし、ショートスリーパーであるはずの私が7、8時間も寝るし、かなり気を付けているつもりなのに寝覚めが悪い。少しも疲れがとれない。寝過ぎなのかもしれない。早く涼しくなって4、5時間の睡眠でも元気でいられる日が来るのが待ち遠しい。眠りすぎるとむくんでしまって、体がだるい。長年少しの睡眠時間ですませていた。5年くらい前まではほとんど4時間寝ればいいほうだった。それが3年くらい続き、やっとヒマになったと思っても、おいそれと生活パターンはかわらない。それで熱中症対策として睡眠をとりすぎるのは逆効果かもしれない。睡眠時間を長くとるためには私の場合、早寝をすればいい。ほとんど寝覚めの時間は決まっていて夏なら5時、冬なら6時ころ。今は10時に就寝すれば7時間。ところが寝るのが好きではないのでいつまでも起きていたい。パソコンの前でコックリしてもしぶとく起きている。頭ががくんと落ちる。ハッと目を醒ましてまた遊んでいると、いつの間にか気が遠くなっていて、やっと諦めてベッドに転がり込むと同時にもう眠っている。やたら寝つきがいいのも病気のうちなのかもしれない。それにしても今年のこのだるさはどうしたことか。そろそろ健康診断に行かないといけないようだ。ダイエットをしていても、バランスのとれた食事を3食必ず食べる。しかし気力がない。ヴァイオリンを弾いていても音が良くない。なにか心がうつろで、珍しく鬱状態が続く。根は陽性だからひどく落ち込んだりはしないけれど、それでも時々落ち込む。本当の鬱の人が聞いたら呆れるほどの微細な症状だと思うけれど、いつも陽気なだけに結構応える。猫のように隅っこでじっとしていればいいかもしれない。

2012年8月3日金曜日

ホルンの「紅白歌合戦」

私の住んでいる地域の区役所では昼休みにコンサートが開かれる。昨日は東京交響楽団のホルン奏者が演奏すると言うので出かけてみた。先日私の英語の先生であるヴァイオリニストのルースさんが珍しくポカをやった。レッスン日を間違えたのだ。私は待ちぼうけをくわされスゴスゴ帰宅。恐縮しまくったルースさんは次のレッスンはどこへでも行くからいつがいいかしら?と言ってきた。たまたまそんなことがあって、区役所コンサートにご主人と来ると言うから、午前中から我が家に来ていただいての出張教授になった。ルースさんのご主人は同じオーケストラのホルン奏者で、わざわざ柏から聴きに来るのだと言う。それで奥さんのルースさんも一緒に来るからということで、お互いに大変好都合なことになった。さて、レッスンも終わり車で5分位のところにある区役所に出かけた。かなり広い会議室用の会場はすでに満員に近い。ピアノが一台、ホルンが2本、司会者の4人で進行していく。曲目は熟年の聴衆に合わせて「夏の紅白歌合戦」と称して歌謡曲やポップスなどの軽い曲ばかり。2人の奏者は赤と白のシャツを着て、一人ずつ交代に演奏する。2人とも上手い!歌謡曲をこんなに美しく聴くのは初めてだった。生き残った曲と言うのはやはりメロディーだけで聴いてもいいものだ。むしろ下手な歌手がいない方がいい。私は主にクラシックを演奏しているけれど、ジャズやポップス、演歌も嫌いではないし、そういう仕事もよくしていた。クラシックだけでは中々お金が稼げないから、テレビの仕事も良くやっていた。クラシックだけ演奏している人から白い目で見られることもあったけれど、そのお蔭でクラシックの演奏会も好きなようにできたと言える。クラシックのオーケストラが歌謡曲を演奏するのは今ではなんでもない。でも私たちが社会に出たころはクラシック奏者は気位が高くて「題名のない音楽会」が始まったころは、演歌を弾かされると言うので泣いて拒否した人もいた。根強くクラシックオンリーの人は存在すると思うけれど、パールマンなどがアンコールにジャズを弾いたりするようになって、やっとクラシックの呪縛から解放されるようになってきた。いまではどこのオーケストラも歌謡曲のバックで演奏することに抵抗はなくなった。ホルンの二人は優れた演奏家で、どんなジャンルであろうと心を籠めて吹けばこんなに人の心を打つものなのだ。一人は岩手出身、さすが民謡の流れを汲んでこぶしの歌いまわしは見事。2人とも軽いジョークを品よくこなし、楽しげに演奏して喝采を浴びた。ホルンと言う楽器の最近のレベルの高さはどうだ。昔はホルンが出てくると皆は演奏の無事を祈ったものなのに。ひっくり返るのは当たり前の楽器だと思っていたのに。心地よい昼のコンサートはルースさんのミスのおかげで聴くことが出来た。そもそもこんなコンサートがあるなんて、近所に住んでいるのに初めて知った。川崎市さん、なかなかやるじゃない。