2026年3月30日月曜日

花見にパエリア

 今日の花見客は長年在籍したアンサンブルのメンバーの中でも特に苦楽をともにした女性メンバーたち。創立以来一緒に歩み続けた。そしてコンサートマスター交代のときに存続するか廃止するかという瀬戸際で、存続のために尽力した。

軍資金もないというか、継続時に長年の使徒不明金があり、残されたのは見た目お金の流れがわからないように隠蔽された通帳。その提出を求めたとき、会計は長い時間拒み続けた。10ヶ月以上の攻防戦によりやっと一通だけ渡された。けれどまだ多数の通帳があるはず。それを時間をかけて素人の我々がパズルを解くように解き明かしてゆく。全員から絶大な信頼を得ていた会計が、実はとんでもないことをやっていたということがわかって、私は精神も肉体も病んでしまった。

その時の四人の働きは今でも胸が熱くなるような連携プレイだった。眠れない夜を過ごす毎日。思いついた対策を伝えようと仲間にメールすると、深夜にもかかわらず電話がかかってくる。あら、起きていたのね。それから思いついたことや様々な解決策を相談しながら、次の朝も確認のために郵便局や銀行などの通帳を調べ、相談に走り、カフェなどに集まっては本人の弁明を聞くけれど、あまりにも矛盾点や嘘が見つかって、しかも答えはボケたフリの連続、言い逃れや弁明は辻褄が合わない。

私はいつも自慢するように友人知人に恵まれて、穏やかな人生を送ってきたけれど、こんなに裏切られた思いは私の人生を根底からひっくり返す事件だった。そのために私は本当に寂しかった。その上、まだ会計の嘘が信じられないという人々の疑念の言葉も受け、心は沈みっぱなし、最後には体に異変が起きて耐え難いほどの倦怠感や体の痛みが続く。私の人生最大の暗黒時代だった。

聞こえてくるのはしっかり監督をしなかったあなた達が悪いという声。これには本当にそうだったと反省もした。全幅の信頼などは無用だった。一切会計報告をされなかったからにはこちらから申し出ても監査するべきだった。しかし友達だと思っていた人に、それは失礼かと。これがいけない。人は見かけによらないとも痛切に思った。

その一方で存続するならメンバーの確保をしなければならないため、様々な人に声をかけた。まずお金がない、有能なプレーヤーを確保するための軍資金は使い込まれ、どこへいったかわからない。肝心な時期の通帳が提出されない。お金がなくてもそれでも声掛けはしないといけない。

しかし音楽に情熱を持つ優秀なプレーヤーが続々と参加表明をしてくれた。その方たちには感謝しかない。私の取り柄はおっちょこちょい、誰も言えないような恥ずかしいお願いを当たって砕けろとばかり試しにお願いしてみると、すべての方から参加の返事を頂戴した。そしてついに新しいアンサンブルが生まれ、存続後の第3回目の定期公演を果たすことができた。

会を追って状況は良くなり客席は大盛況。私の友人たちの助けもありがたい。メンバー確保の助力や会場に足を運んでくれる友人たちに助けられた。今ホッとしてようやく引退生活に没入できるようになった。明るい私が戻ってきた。すると、おかしなことにあれほど痛かった膝の痛みが消えた。心の闇が私の体に痛みとなって現れていたのだと思う。

そのうち女子会をしましょうと約束していた存続推進のメンバー5人。今日は天気もよく穏やかな花見日和。我が家の前の桜並木も私たちの苦労を知っていたのではないかしら。こんな仲間たちに出会えたのも、苦労が実ってアンサンブルの継続ができたのも、そして演奏の評判の良いことも、いままで聴いてくださったお客様、影で支えていただいた方たちのおかげです。本当にありがとうございました。

今日、私の渾身の料理はパエリア。メニューを決めて3日前に作ってみたけれどイマイチ。それを食べ終わるのに2日かかってもうパエリアはごめんなさい。でも献立を決めたのだから諦められない。そのためにAIさんに教えを乞うた。懇切丁寧にレシピと秘訣を伝授されて今朝、再度挑戦した。

メンバーが集まる時間ギリギリに出来上がった。なんと素敵に美味しい出来栄え。我ながらでかした。懐かしい友人たちの顔を見たらこんなにも嬉しく美味しいものかと感無量でした。















2026年3月29日日曜日

今年も花見

毎年我が家に花を見に来るのかお酒を飲むだけに来るのか判別がつかない連中がいる。けれど、今年はまだ実行されていない。

かつてはメンバーの数が数十人もいて、お正月のスキー宿では眠る場所の確保も難しいほどのメンバー数を誇った「雪雀連」も、会長の引退と主要メンバーの体調不良などで休眠中。スキーの指導者であった小川源次郎先生も長い眠りについてまだ起きてきてくださらない。困った。私はいよいよスキーまで引退することになってしまうのか。

スキー仲間のお花見のときには必ず源次郎先生から我が家にお酒の差し入れがあった。去年はお酒がそろそろ届く頃かと待っていたけれど、一向に気配がない。いただくのに催促はできないから変だと思っていたら先生の訃報、ショックだった。ちなみに先生はいくらお誘いしてもプライベートの集まりには参加しなかった。

今年もきれいに桜が咲いた。それで1昨日は旧友たちが集まって咲きかけた桜を愛でて、ランチを楽しんだ。

最近見つけた自宅近くのレストラン。店外に出ていたチラシを見ていたらご主人がドアを開けてくれた。どんなお料理かと訊いてみた。南アルプスで栽培された野菜を中心としたランチコースの説明を聞いていたらたべてみたくなった。とりあえず店に入る。新鮮なパリッとした野菜はシャキシャキと美味しい。それで松本のしごとで意気投合した女子会が未だに続いていて、その女子会をここでやったらと思った。

最近は女子会メンバーも年老いて、かつては集まると嬉しくて嬉しくて笑ってばかりいた女子たちはもう姥桜。姥桜とは年老いてなお色香を失わない女性をいうのだけれど、色香の方はとっくに出ていってしまったから食い気で勝負。よっしゃ!ここが今回の会場と決めてきた。本当のこと言うと姥桜の年齢制限は、女盛りを過ぎた頃らしいけれど、なに、かまうものか、もう頂点を超えたら盛りも下りも一緒。あとは一気に転がり落ちてゆくのみ。もう怖いものはない。

当日時間通り(これだけは相変わらず皆さん絶体に守る)駅に迎えに行くと、とっくに改札口前でおしゃべりが盛り上がっていた。駅から店までは5分圏内。それを咲きかけの桜を愛でながら20分くらいかけて店に着く。

中年をとっくに過ぎた女子たちは皆さん身綺麗で大きな声を出したりしないのは、それぞれお育ちがいいから。地元民の私は評判が悪いから、ここで友人をダシに良い評判を上げたい。店のご主人も大いに喜んでくれてお腹がいっぱいになったところで、我が家でお昼寝タイムとはいかないけれど、お茶しようと誘う。

その後は賑やかなティータイムが過ぎてお名残惜しいけれど皆さん帰っていった。皆一緒に帰ってしまうと取り残された感じで寂しい。来年もお花見ができるかしら。











2026年3月28日土曜日

ダルタニャン

まさか実在の人物だとは思ってもいなかった。オランダ、マーストリヒトの教会で彼のものと見られる遺骨が見つかったという。現在DNA鑑定が進められているという。

デ ュマの「三銃士」の主人公、ダルタニャンは本名シャルル・ド・パッーカステルモール(1611-1673)はガスコーニュ出身の小貴族、母方の実名ダルタニャンを名乗った。フランス王室の軍人、銃士隊の副隊長。ルイ14世の信頼厚く、特に大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕の任務で知られている。1673年、マースとリヒト包囲戦で戦死。

2026年、オランダ、マースとリヒトの聖ペテロ・パウロ教会の床下の墓で遺骨が見つかり、近くには17世紀の硬貨や銃弾片も発見された。現在DNA鑑定進行中。既存の子孫のDNAと照合される予定。

「三銃士」の仲間たちは実在した。デユマの「三銃士」に登場するアトス、ポルトス、アラミスは実在の人物をモデルにしたが、物語とは大きく異なる。

アトス :アルマンド・ド・シルク゚・ダトスは史料に名が残る銃士、性格は小説ほど陰影が深くはない。

ポルトス :アイザック・ド・ポルトーは豪快な人物像は脚色が強い。

アラミス :アンリ・ドルス 聖職者的な側面は史実に一部対応。

ダルタニャン :シャルル・ド・パツーカステルモール 小説よりはるかに実務的で冷静な軍人。

これらのモデルはデユマの参考にした回想録「ダルタニャン物語」に登場するする人物たちである。4人は同時代に実在し同じ銃士隊に所属していたが、大きな部隊での任務はばらばらで常に4人で行動するような編成はなく、デュマの創作である。ただし銃士隊は王直属の精鋭部隊であり人数も限られていたので、4人が知り合いであった可能性は十分にある。

史実のダルタニャンの働きは大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕(1661年)単独任務であり他の3人は関わっていない。ダルタニアンは剣豪というよりも王の信頼厚い実務家で、むしろ渋くて魅力ある人物である。

なんでこんなこと延々と調べたかというと、私にとってダルタニャンは永遠の友達。子供の頃の憧れの人。私の誕生日やクリスマス、長姉からのプレゼントはいつも本だった。私の小学校3年生の頃「三銃士」は病気がちだった私に与えられた。

三銃士はそんな中でも最高のプレゼント、もちろんデュマの原作の翻訳ではなく、子供向きに易しく書き換えられたものだった。登場人物も随分単純に、筋書きも明るく女性の存在も希薄に、ただただ面白く読ませてもらった。15回も繰り返し読んだ。長じて翻訳の原作を読んでびっくり、陰謀渦巻く世界、それぞれの銃士の性格も単純ではなく、女性との暗い過去を背負っていたり、、ではあったけれど、ダルタニャンは性格が真っ直ぐで勇敢で、他のメンバーより明るく輝いていた。

デュマという人は「三銃士」も「モンテ・クリスト伯爵」にしても壮大な舞台を作り上げる天才で、本を手に取ると息もつかずに一気に読み上げたものだった。今でも覚えているのは子供向きに書かれた本の中で、フランス国旗を奪われそうになったとき、ダルタニャンが取り戻しに行くシーン。・・・友の制止を聞かばこそ息せき切って丘に駆け上り・・・まるで講釈師が見てきたような嘘をつくような一節、今思うと笑ってしまう。きっと子供向きに書き直していた編集者が興奮して書いたのだろうと思われるリズム感。ここで扇子でパンパンと音を出すのだろうと想像してしまう。

そういえば子供向きに編集した人もきっと、面白くてついこんな調子になったのだろうと思われる。今朝のニュースで遺骨発掘のことを偶々聞いて、ずっと忘れていたことが一気に思い出された。

本を読もう!私が忘れていた大切なこと。想像力や文字に対するセンスを養うことで豊かな感情が湧き上がる。音楽に対してもすごく大事なことを。










2026年3月26日木曜日

物書き

子供の頃からたいそうませていたので大人の小説を読み漁っていた。そして思ったことは、小説家は自分のことをなんでこんな赤裸々にかけるのか、恥ずかしくはないのかということだった。私なら恥ずかしくてこんなことを公にはできないわ。書くだけでも恥ずかしいじゃない。

今こうしてnekotamaなど書いているといつの間にか随分みっともないことも平気で書いるので、自分が大人になったからなのか、年取って羞恥心が希薄になったからなのか、よくわからない。最初のうちは公開する気もなく、おずおずと日記のように書いていた。自分のための記録であり、当時の周囲の出来事であり、後に読んでみたら面白いだうと言う気持ちがあった。

しばらく書いているうちにいつの間にかフォローしてくれる人が五人、未だにその数はふえないものの、時々時期にヒットした話題などでは100人超えたり、ほそぼそと続いて読んでくださる人がいるため、やめられない。私としては私がまだ生存しているぞというメッセージのつもりなので、もしある日からふっつりと投稿が途絶えたら死んだと思っていただきたい。こんなことを読んでくださっているのかと思うこともあって、それなりに嬉しいけれど、責任もあることだなあとじっかんしている。

今はこうして毎日のように投稿できるけれど時々大きなショックを受けたときとか、心にわだかまりが充満しているときには全くかけなくなることがある。そういうときには、作家というのは大変な仕事だなあと思う。新聞の連載などは毎日本当に大変なことで、こんなたわ言のブログであっても、スランプはちゃんとくる。

最小単位のこだわりといえば、政治の分野での投稿は差し控えようと思っていたのが、今はだんだんむかっ腹がたってきてムズムズする。なんともなく書いたことで大騒ぎになるようなネットの世界は怖い。ちょっとした悪意で大事になる危険性を孕んでいる。それでも臆面なく自分の非を認めないどこぞの大統領のように鉄面皮ならいざ知らず、ひ弱な一個人としては今生きているだけでも青息吐息なんだから、これ以上の揉め事は手に余る。というので楽しいことだけ考えようと思っている。

昨日健康診断を受けて思ったのは、私の取り柄は健康だけだということで、毎年ところどころ具合が悪くても今までは無事に生きてこられた。私の年代で自分で車を運転して付き添い無しで病院へ行けるということだけでもありがたい。そのありがたい人たちが集まって、時々食事を一緒にとる。皆さん頭も足もしっかり、だれもまだボケていないというところがすごい!本当はボケているのかもしれないけれど、今のところ皆うまく隠蔽しているのかもしれない。

気の確かな5人、本当は6人だったのが一人欠けてしまって、花の季節には思い出す。思い出すと涙ぐんでしまう。ヴァイオリニストの北川靖子さん。ドイツのオーケストラでコンサートミストレスを務め、日本に戻ってからは私たちのボスとして中心的な存在だった。

非常に泰然とした性格で小さなことにはこだわらない。けれど、仕事に対しては、N響のヴァイオリン奏者であったお父上の教えを守り、非常に厳しかった。もう8年ほどにもなるかもしれない、それ以前から入院や手術を乗り越えて非常な苦痛にも耐えていたのに、誰にも弱音を吐かないから、情報がなくて心配していた。

多分彼女が最後と覚悟したとき、私は彼女と旅に出た。京都、奈良で神社を巡り、ご開帳でたまたま見られた仏様たちに快癒を祈ったけれど、翌年4月ひと足先に逝ってしまった。彼女が入院中は毎日メールで話をしていた。最後のメールは一日前のものだった。当時のコロナ禍の中で、最後に会えなかったのが返す返すも悔しかった。「病院の窓から見える車のヘッドライトは、こちらに向かうあなたの運転する車ではないかと思うのよ」と。泣きました。

ときには腹を立てて喧嘩もしたけれど、4月になると無性に悲しい。そしてこんなことを毎年書かなくてもと思っても、またどうしても書いてしまう。










2026年3月23日月曜日

さくら開花

 毎年私が自慢げに自宅前の川沿いに咲く桜を語るので、もう聞き飽きたと思う方々、でもまあ聞いて下さい。

ソメイヨシノの寿命は大体60年と言われるけれど、実際には100年のものもあり、管理が良ければ130年以上の個体も現存しているという。私の家の前は用水路があって、川の両側に桜が植えられたのは戦後まもなくだから70年ほどの年齢。

今や老木が目立ち、幹にきのこが生えているものや枯れ枝を切り取られて木としての形が変形しているものも多く、ややみすぼらしい。幸い我が家の前は護岸工事で切り倒されてその後若木が植えられたので今壮年期。一時期、満開のときには両岸から覆いかぶさるように川に向かって頭を下げていたものが、これも工事のため手前が切り倒されてスカスカの状態だから、目黒川などの名所と比べると見劣りするけれど、それでも毎年お花見は我が家の恒例行事だった。

スキーの仲間「雪雀連」と言うグループが一時期は20人近く狭いレッスン室に集まった。しかしながら彼らは花などどうでもいい、お酒が飲みたいという連中なのだ。花見後のごみ捨てのときはさすがの私も恥ずかしいくらいの酒瓶がゴロゴロ捨てられ、あまりの量に二週間に分けて捨てるなどしたものだった。その頃が最盛期、今やもう飲める人もいない。せいぜいワインが2,3本。日本酒の四合瓶が2本くらい。寂しくなりました。

そして今年はメンバーの一人が体調を崩したので花の咲くうちに花見はできない。多分来月後半にでも花なしの「花見たつもり会」でもしようと。何よりいいのは我が家の二階から花を見下ろして、ついでに道を通る人達を眺め、時には通行人から声がかかる。ベランダでサンマを焼いていたら「わあ、おいしそうだなあ」なんて。通行人に向かって挨拶をするメンバーも居る。「僕、アオちゃんです」たまたま下を通りかかった私の姉が笑いながら今でもおかしそうに笑う。

思い出しては私も笑う。思い出だけでもこんなにおかしいのだから、当時は毎日泣き笑い。泣くのが3%、笑うのが90%。残りの7%が怒っていた。今は怒りが50%くらい。戦争が終われば多分もとに戻るけれど。

パールハーバーが卑怯なら同じことした大統領、あなたもおなじですよ。墓穴を掘ったわね。
















2026年3月20日金曜日

うちのネコをよろしく

マウスが復活したので俄然仕事が早くなった。こんなにも効率化されるとなにか書かないといけないようになる。けれど、最近はどこかの大統領のお陰で面白いニュースも楽しい話題もなくなってしまった。戦争ばっかり。大体他人の家に突然ドカドカと乗り込んで、そこの家の住人にお構いなく家庭内を引っ掻き回すなんて、普通なら犯罪じゃん!それが許されるなんてもうどうかしている。

とばっちりは関係もない日本人の私まで及んで、生活苦ですよ。少し買い物すると以前の2倍以上の請求書、私の膝はここ数年来痛みが止まらず階段の昇り降りが辛かったので、今年は階段に昇降機を取り付ける計画をしていた。去年、レッスン室の防音を強化、次は今年の光熱対策、夏場の暑さを避けるための強化ガラスの 窓を新しく入れた。それらの工事費が大変嵩んで随分預金も減ったしお腹も減るし、お腹の脂肪は減らないし。アハハ。それで考えた。まず今年は貯金に励もうと。昇降機をつける相談をしたらリフォーム会社の社長が「そんなものつけないで自分の足で登ったらどうですか」と言う。人の苦労も知らないで。

入ってくるものは年々目減りの一途だから使うのを減らす。ところが予想を上回る値上げラッシュで今や計画は遅々として進まず、手元にある現金は一斉に羽ばたいてとこかへと飛び去ってしまう。これはいかん。手元にあると私は見境なくものを買うから、閉じ込めて使えないようにしておこう。これはいい考えだと5年間は現金化できないように金融機関に預けた。

そして預金高はしょぼしょぼと残っているものの、金額を見るとため息が出そうになる。それでもこれで少しでも浪費しなくなるだろうと、私なりの蓄財術なのだ。それともう一つ、8年近く悩まされていた膝痛が治ってしまった!何と言うことか、確かに治療には通っていたけれど、それほど頻繁ではなく、特に整形外科の治療に行くとかえって症状が悪化するという状態で、もう一生のお付き合いかと思っていたのに、それがケロリと治っただけでなく早足までできるようになった。

それと、机の引き出しから何年も前に通っていたマッサージのお店の回数券を発見。それがまだ有効なら使えると、すごく得した気分でいる。もともと私が倹約し始めるともっと貧乏になるというジンクスがあって、使っている方がよく回っていくのだけれど、この先の見えない世の中で野放図にお金を使うだけの勇気はない。

疎遠になっていた友人たちと次々と再会を果たし、いつお別れが来ても心残りなくしようという気持ちでお付き合いしている。毎回お別れのときにはもう二度と会えないかもしれないと思って挨拶を交わす。最後の仕上げは着々と進んでいるのに、いつの間にか再会の約束をしていたりで、忙しいのなんのって。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄著︀ という本がある。象さんは脈が遅い。ネズミさんは脈が早い。それで長生きの象さんも短命のネズミさんも結局はそれぞれの時間での一生を全うする。だから決してネズミは短い人(鼠)生ではないということらしい。

私の人生は「象とネズミの時間」で怠けるときは徹底して、勉強はそれなりにだから、もしかしたら長生きかもしれないけれど、明日にも終わるかもしれない。いつ終わってもいいけれど、猫たちが心配でかれらより1時間でもあとに逝きたい。もし猫が残ったらどなたか、よろしくお願いします。やっと幸せな毎日を送れるようになった野良たちが、また可哀想な境遇に落ちないように、よろしくお願いします。








2026年3月19日木曜日

ネズミ生還

 去年の暮れあたりからずっと使っていたパソコンのマウスの具合が悪くて、自分ではどうしようもないのでパソコンに内蔵されている指で動かすマウス(こんな説明でわかりますか?)で作業をしてきた。その操作にもすっかり慣れて何不自由なかったけれど、やはりマウスがあればより効率が上がるなあと、思っていた。

すっかりその作業にも慣れて自由に使えるようになったけれど、ついさっきマウスを手で触ったら何やら画面が動いた。あれ?この子生きていたの?高価そうなマウスだったので、それとコード付きなのでうっかり者のわたしが取り落とすこともない。便利に使っていたのに、最近は「パソコンの本体についている指で操作するマウスの役割のもの」にもだいぶ慣れて来たところだった。ここの部分はなんというのだろうか。あとでAIさんに訊いてみよう。

なんだ、君、生きていたんだね。でも不思議、何回やっても使えなかったのが今頃どうして?新しいマウスに取り替えようと買ったものの、今度は接続がわからない。友人の娘さんのY ちゃんが接続してくれるといったけれど、彼女もいそがしい。私も最近忙しくてなかなか頼めなかったらいつの間にかマウスが復活したということ。新しいマウスはそれならスペアということにして、おなじみのマウスを使い始めた。

最近は友人よりもその子供さんたちにお世話になることが多くなった。そして今年9月には小さい頃から教えてきて音大大学院を卒業した、かつての教え子といっしょに演奏することになった。負うた子に教えられるというけれど、なにか教えてくれるかな?

あちらとしては私が引退したというので一緒に弾くことはもうないと思っていたかも。ところが私がゾンビのごとくフラフラと生き延びて共演しないといけなくなって、おやおやといったところかもしれない。こちらは次世代に繫げられて本当にありがたいと思っているけれど、彼女の方はステージでいつ居眠りをしてしまうかわからない老先生にハラハラしそうだなあ。

彼女はそのコンサートの2日後に東京文化会館の小ホールでソロをひくというので、私は「忙しすぎない、大丈夫?」と訊いたら「大丈夫です」と、こともなげにいう。よくぞここまで育ってくれたものだと私は感無量。

だいぶ前にnekotamaに書いたけれどもう一度。

あるとき仕事場で昔ばなし。私の少し年下のヴァイオリン奏者が言った。「nekotamaちゃんは、昔はほっそりしていてバンビちゃんみたいだったよね」すると自分の母親が私と同世代だというもう一人の男性が言った。「でも今はゾンビちゃんですね」

一瞬周囲がヒヤーっとして黙り込む。しかし一番受けて大笑いしたのは言われた本人の私。こういうトンチは座布団何枚も上げたいくらい。今でも時々思い出しては笑っている。
















2026年3月16日月曜日

遠方より助っ人時々

古い友人の娘さんがなにかと気をかけてくれて、助けてもらっている。事務的なことにからきし苦手な私はSOSを発信。私がぐちゃぐちゃにした書類をあっという間に整理してクリアファイルに挟み込むと、こんなに少しになるものかと驚くほどきちんと揃う。面倒な作業が終わって二人で近所の居酒屋にいった。

この店は魚料理の店で、お寿司もおいしい。最近ワインとチーズの店を見つけたのでそちらに行こうかと言っていたのだけれど、気がついたらランチタイムを逸していたので、此方に急遽変更した。しかし良い時代になった。以前なら女二人で酒を飲んでなど、ちょっと気が差すようなところがあった。今は普通に大衆酒場に行っても驚かれない。

私は仕事をずっと続けてきたから、一人で地方に行って仕事をすることも多かったし、仲間たちとは別に出かけて仕事の当日に皆と合流するようなときもあった。それで一人で店に入ることもなんとも思わなかった。しかもレストランなどではなくいわゆる飲み屋に入るのもさほど抵抗はなかった。そういうお店はご飯が美味しいから時々利用した。

いい年した女性が1人、暖簾をくぐってとなるとやはり特殊な場合(嫁に追い出された姑とか)らしく、たいていその店の女将さんが出てきて話しかけられる。私はどう見ても陰気ではないのでしばらくお相手をしてくれて安心して厨房に戻っていく。

高崎にいったとき夜食を食べようと店を探したら、男装の麗人が話相手をしてくれるバーがあった。キリッとタキシードを着た美女が出てきたのでびっくり。相手は私のような高齢者が夜中にちょっと飲みたくて寄ったことに驚きもしないで話相手をしてくれた。これは少し新鮮な体験だった。

レマルク「西部戦線異状なし」の女主人公がカルバドスというお酒を飲む場面がある。私はそれを読んだのが小学校6年生のときだったので、それがどんなお酒なのか確かめるすべもなかった。けれどその高崎での夜にはふとそれを思い出したので訊いてみた。「カルバドスってあります?」そのときはハズレだった。後に志賀高原のスキー場のラウンジでやっとみつけたけれど、私にはそれほど美味しいと思われなかった。もし今後フランスに行くことがあれば試してみたい。ノルマンディー地方の林檎酒らしい。

それで我がAIさんに質問した。「西部戦線異状なし」に出てくるカルバドスというのはどんなお酒?回答はそんな場面はありません、だった。しかも私は主人公の恋人がそれを飲む場面を覚えていたのだけれど、なにか他の小説と混同しているのかしら。これはもう一度小説を読むっきゃない。しかも主人公に恋人はいないだと!!小説自体を取り違えているとか?

大体戦場が舞台だから女性が出てくるのはほんのちょっと、だそうです。

ああ!今思い出した。題名が違っていた。「西部戦線」でなくて「凱旋門」でした。書いてみるものだわねえ。でもAI が「凱旋門」を出さなかったのはどうしたことか。同じ作家なのに。

「凱旋門」は大戦前の不安定な社会状況の中で恋人との関係、戦争前の不穏な雰囲気に揺れる女心がえがかれていて、そのカルバドスが要所で小道具として出てくるのですよ。よくあんな心を小学生の私が理解したものだと思うけれど、本当にわかっていたのかどうか、これからたしかめてみよう。

凱旋門は恋愛、西部戦線は男の子の物語、でした。

少し前、お風呂場でバスタブに頭をぶつけて以来頭痛と物忘れが酷かったけれど、確定申告を済ませたら急に頭がはっきりして、こんな古い記憶が蘇った。にっくき確定申告め。やれやれ。


















2026年3月15日日曜日

春眠快眠

何回見てもここしばらく耳垢の話が居座っていて申し訳ありませんでした。なかなか忙しくてブログの更新は後回しになっています。それでもこのようにnekotamaに来ていただいてありがとうございます。

明日は確定申告の締切日、なんとか提出できそうですが相変わらず自分では何がなんだかわからず泣きそうな毎度の緊張感。私は本当に金銭感覚がない。それでも必死で最近の物価上昇に節約の工夫もしているのですが、身についた浪費癖は一向に収まらない。そしたらyou tubeで見つけた占いには、ああ、なんということか、基本的に私はお金を出す人だそうで、そのために大金持ちにはなれないけれど、天の助けがあって超貧乏人にはならないそうで、運がいいのか悪いのか。

それにしても米騒動以来の物価値上げがあまりにも大幅で、流石に私でさえも危機感を覚える。今まで、例えば100万円あったとすると、その100万円が今では50万円くらいの価値しかないとしたらちょっと怖い!いつまで物価が上昇するのかと思うと迂闊に買い物はできない。

面白いもので物価の上昇は、人によっては嬉しくなることもある。自分の持っている土地や建物などが値上がりすれば嬉しい。けれど、これから買おうと思っている人はとんだ災難になる。ああ、早く買っておけばよかったなど。だから不運だと嘆いても決して諦めないほうがいい。いつかは自分も運が良くなることもあるのだから。もっと良いのは買ってしまったり買いそこねたりしたものをくよくよ嘆かない。いつかは立場が逆転することは多々あるのだから。

占いによれば、私の今年の後半から運勢がガラッと変わるそうで、大変楽しみにしているのです。このご時世では変わってもろくなことがありそうに思えないけれど、私は変化を非常に好む。いつも現状維持の人ではなくて修羅場を好むから、変化は大いに結構。ただし年が年だからあまり強い刺激には耐えられそうにない。修羅場で居眠りしてしまいそうで。今や睡眠障害だから一番の関心事は睡眠。

それで広告につられて快眠を得られるパジャマを買った。しかし、高い。パジャマごときにこんなお金を使っていいものかと考えたけれど自身の体に投資するなら仕方がない。ところがこのパジャマ、すこぶる優れ者。石油由来の製品だというから少し肌触りが気持ち悪いとか、温かみがないとか思ったけれど、着てみたらじんわりと優しい暖かさ。このように自分の気持ちにフィットしたときは、この買い物は大成功ということになる。そしてここ数日よく眠れる。

私はずっと自然素材派だったから、この年代になってもほとんどの衣類は木綿、絹、ウール以外はあまり着ないことにしていたけれど、今回は化学素材さま、おみそれしました。じんわりと暖かく臭みがなく、新品を着たばかりなのにオリーブオイルをこぼしてシミをつけた。それも洗えばすぐに落ちる。肌に違和感がない。

イギリスのダイアナ妃のエピソードがある。あまりにも薄着の彼女を心配した子供が「寒くないの?」と尋ねると「いいえ、寒くないわ、ダマールを着ているから」と答えた。野次馬の私はすぐにダマールを買ってきた。身につけると確かに温かいけれど、なにか肌が拒否するので一回で着るのをやめた。

イラン戦争のさなかに石油製品を買ってしまうと、そのうち品切れにならないかと心配になってきた。たいそう気に入ったので、それでもう一枚買おうかどうしようか迷っている。石油不足で値上がりしたらその前に買っておけば良かったと思うだろうし、戦争が終わって世の中安定した頃、物価が下がり始めたら待っていれば良かったと思うだろうし。だから気にしないのが一番。とりあえず車にガソリンを入れるかどうかで迷っている。今がピークでも政府の石油対策で値下がりしたら損したと思うだろうし。だから何度でも言うけれど、気にしないのが一番。

最近はスーパーに行ったらお米が店にずらりと並んでいる。だから言ったでしょう、少し待ってって。商売でどうしても米が必要でない限り家庭ならいくらでも代用品はある。戦争に巻き込まれたのでない限り少し我慢していればもとに戻るのに、大騒ぎして買い漁っている姿を見ると、バカバカしくなる。なければ工夫して新しい料理のレシピが生まれる。あの騒ぎは古くなった備蓄米を消費させるための芝居ではなかったのかと勘ぐりたくなる。















 

2026年3月7日土曜日

耳垢除去の功徳

 耳掃除の結果、笑っちゃうけど、急に聴力が良くなった。聴力検査の結果、10年前に受けた監査結果とさほど違いがないらしい。それでも今は花粉症の一つの症状だと思うけれど、鼻の周囲がすごく鈍くなった感じがする。これは中が腫れているということかもしれないのでまた耳鼻科に行こうと思っている。この花粉飛来の最盛期に行くと混雑した待合室で待たなければならないから、少しブームが去ってから。

今朝パソコンで遊んでいて気がついた。なにか、かすかにチチッチチッと音が聞こえる。ん?なんの音かな?聞き覚えがあるから私の身の回りにあるものからの発信だと。例えば電池切れを知らせるSOSとか。あちこち聞きまわっても、どうやらこの部屋でなくもっと遠くからの音のようだ。ドアのそばまで来るともっと外から聞こえる。隣の部屋に行くとテーブルの上が発信源だった。

そこにいたのは、固定電話の子機がスタンドから放り出されて助けを呼ぶ声と分かった。かわいそうに一晩中充電されず、おなかがすいたとわめいていたのだ。

しかし耳の状態がよくなったら、こんなかすかな音でも聞き逃さない。皆さんも聴力検査、耳掃除、おすすめですぞ。まあ、こんなご時世、耳にしたくないことも多いけれど、耳には自分の都合の良い音だけを選択できる能力があるのだから、都合の悪いことは聞かないか聞こえないふりをすることもできる。これも一種の生き残りの術と心得て長生きしましょう。

で、私といえば、耳鼻科医院に行ったときに自分が段々とぼけてきたなと思える行動があった。すごく久しぶりの受診だったので保険証と受診カードを受付に置くと、なにか訊かれると思って受付窓口に突っ立っていた。しかしここの受付は必要以外のことはしゃべらないように教育されているらしい。なにも言われないけれど、ぼんやり窓口から中を覗き込んで立っていたら「なにか?」と訊かれた。そこでハッと気が付く。そう、立っている必要はないのだ。なにもいう必要もない。ちょっと恥ずかしい。

相手は、ちょっとぼけ始めたおばあさんが所在なげにたたずんでいると見たのだろう。外側からの図を想像して思わず笑いそうになった。でも「今朝はまだご飯食べてないから」なんて言ってみればよかったかも。観客の期待に添えたかもしれない。こういうけったいな思考が私を間抜けに見せるのは重々承知しているけれど、馬鹿なユーモアセンスが私にやれやれとけしかけてくる。そのセンスのおかげで今までどれほど損をしてきたことか。











今日もまたシニア連合

私は困っていた。レッスン室のトイレが故障して水が流れないで溢れそうになる。これは一大事。今までだましだまし使ってきてときには困ったことになっていたけれど、なんとか薬を使って乗り越えてきた。慌ててリフォーム業者さんに連絡をすると、春先の引っ越し の多い時期で職人さんが大わらわ、ずっと先まで空いていないという。

今日は友たちが集まってシューベルトなどを奏でる日。

まあ、仕方がない、客人には他の部屋のトイレを使ってもらおう。今回は親しいというより、もうあまりにも長い付き合いで裏も表も皆ご存知の仲間たちだから恥ずかしがることもない。汚い猫部屋の方のトイレをどうぞと言って使っていただいた。

のっけから尾籠なお話で申し訳ない。しかし、こういうことはいつ何時災害が起きるかもしれない。その時にとても大事なことで、もしかしたら一番大事かも、今回はせっかくだからこれを機に備えることにしようと思った。災害用のトイレとか食料の備蓄とか。しかし、只今すべての物価上昇の上、イランを襲うアメリカ、イスラエルの戦争で石油価格も高騰しそうだし、お金はおいそれとは使えない。またいつだったかのオイルショックが我が国を襲うのだろうか。

あの時慌ててトイレットペーパーを買いに走った人たちを、私は冷たい目で眺めていた。時が経て静まるさと。今回もその時と同じなら慌てることはない。数ヶ月くらいは持ちこたえられるからと。ほらご覧!お米の値段が急落しているとか。

でも今回の世界の指導者たちのなんとお粗末なことか。こんな人達を選挙で選ぶ国民も国民だし。人の家に勝手に上がり込んで、そのうちの問題を頼まれもしないのに解決してやると言って、自分の利益や戦争の口実に使うとは何たる暴挙。学校や病院に爆弾を落とすとは!

それに比べて我が友、シニア連合の平和なこと。各々武器ならぬ楽器を持っていざ戦いを。丁々発止と火花が散るけれど、終われば持ち寄った手料理やお菓子で大いに話が盛り上がる。戦うだけのために行動するのは失礼ながらおバカさん。なぜいい年してそれがわからないのか。年はこうやってとるものですよ。

私は若いときとても元気で年をとることがどういうことか、よくわからなかった。そして今後悔することは、家を建てるときに将来のことを考えて作るべきだったと。今一番困っているのは足のこと。最初からエレベーターをつければよかった。それは決して安くはないけれど、足の弱りは誰にでも来るから必需品になる。エレべーターがあれば一人で自立して老後が暮らせる。私の楽友たちが重たい楽器を持ち上げて階段を登らないですむ。

そしてお風呂のこと。一人で入れるようになるべく低めのバスタブ、寝ながら入っていられるから楽だし安全。バスタブの出入りもしやすい。中には集団で暮らすのが苦にならない人もいるけれど、私は集団生活ができないのだ。だから施設では暮らせない。最後まで自宅にいたい。

お互い年をとってもなお楽器の演奏ができるのは仲間たちのおかげ。この楽しみを捨ててなるものか。




















2026年3月4日水曜日

雨がやんだら

 今日は晴れて強風の一日、昨夜は夜通し猫が表に出たがって大騒ぎ。オス猫のグレちゃんはトラウマがあるらしい。きっと以前に、知らない間に家に閉じ込められて逃げられなくていじめられたのではないかと思う。私はずっとかわいがっているのにそれでも人間は信用できにゃいのだ。窓を締めてしまうと恐れて大騒ぎする。雨だろうと風だろうとお構い無しに逃げてゆく。ちょっとした音と温度の変化で窓が空いているかしまっているか感じ取る。この敏感さが彼を生き延びさせているのだ。

人間はこの寒さでまさか窓を開けっ放しで眠れないから、気が付かれないようにそっと閉める。餌を離れた場所においたりして。それでも途中で、ハッと気がつくと「あけろー!」と言って大騒ぎする。その時には温厚なグレは豹変してヤクザ猫になる。

幸い今朝は早くから晴れて夜中に出ていったグレもいつの間にか帰って来て澄まし顔で自分のタオルの上で毛づくろい。早朝出かけたのんちゃんが何処かで彼を見つけて「お兄ちゃん、もう開いたよ」なんて言うのだろう。二人揃ってあちこちでご飯をもらっているらしい。お陰でこの物価高の日々、猫の餌代が半分くらいで済むのはありがたい。

今朝、目が覚めると、片方の耳が痛い。これは心配。先週から鼻が腫れたような感覚があって耳が痛かった。病院の定休日だったので明日行こうと思っていたけれど、次の日は痛みが消えていた。それで診察も受けず放置したら、その後良くもならない悪くもならない状態。しかしちょうど一週間目にまた耳の痛みが始まった。

耳はヴァイオリン奏者の命。これはもう急いで病院へ。ところがものすごい混雑で1時間半も待たされた。先週、この病院のホームページを覗いたらひどい口コミを見つけた。医師の態度が悪いと言って、最後にヒステリックに「もう二度と行きません」と。そうかなあ、私はこの病院はとても気に入っているので不審に思った。これだけ患者さんが来るというのは信頼されているということでしょう。

要するに医師が雑談に応じてくれなかったいうだけのことのようだ。お世辞も言わないし必要以外のことは言わない。まさに私が気に入っているのはそこなんだけどなあ、色々な人がいるなあ。おかしかったのは先生を擁護する熱烈な書き込みがその後2通あったこと。うちの先生を悪く言うなという常連さんのものらしい。

大体誰にも好かれることは不可能なんだから、先生は気にもとめないと思うけれど。無口な代わり、診察はとても早い。今日は稀に見る花粉の災害日だったらしいので混み合いが半端なかった。

私の耳は最近少し遠くなったかと思っていたら、あな、恥ずかしや!耳垢が溜まっていた。除去器具で吸い出したら、まあ!じっと自分のブツを見ていたら「まっすぐ向いて」と注意された。その後聴力検査を受けたら、問題なし。これで安心してヴァイオリンに戻れる。以前この医院で聴力を調べた記録があって、それがちょうど10年前。それと大差ない内容だから私の耳はまだ使えるらしい。良かった!















2026年3月3日火曜日

横倉の壁

昨日放送の「帰れマンデー」という テレビ番組は蔵王が舞台。今頃は樹氷で雪のモンスターをみたいというスキーヤーと観光客でさぞ賑やかなことでしょう。

今から約60年以上前、運動神経の持ち合わせがないのに大学の体育の授業の単位を取るために参加したスキー。初めてのスキー板は170センチもあって、ストックに至っては竹製で、ブーツは革靴で編み上げのもの。手袋は薄くてあっという間にびしょ濡れになってしまう。物のない時代、ヤッケも薄い綿入れという軽装備。

講習は大学の体育の教師が受け持つのだからひどいもので「まっすぐ滑ってこーい。止まりたかったら転べー」無茶苦茶な指導だった。幸い私が入った班は地元の若い指導員だった。それでも彼はヤッケも着ていなくて、赤いセーターで白いパンツ、格好いいけれど、すごく寒かっただろうに。体育の教師に教えられていた人たちは不満そうで、毎日私たちの班の人数が増えていく。みんな、こちらの班に来てしまった。

夜行列車でついたので午前から滑り始め午後には止まり方も覚えて、見様見真似で曲がり方も覚えた。若さとは偉大なもので、ほとんど怖いと思うこともない。小学生の頃は全く運動神経がないと思っていた自分が、案外とこのスポーツはあっているのではないかと目覚めた。

二日目には初めてリフトに乗った。高いところは超絶苦手のはずが不思議と怖くない。大平コースを無茶苦茶だけど、降りてきた。しかも途中で段差があってもジャンプしながら爽快感を味わった。よほどこの遊びが気に入ったと見える。大平コースの最後は木の下にある穴にあたまからコケるという結果だったのに。

最初のスキーは蔵王だったのでその後10年以上は毎年蔵王で過ごした。けれど暖冬が続いた頃、雪質が極端に悪くなって、低いところにあるゲレンデはときには水浸しという悪条件が重なり、徐々に志賀高原に移動していった。定宿もできてその後定着してしまった。というわけで蔵王の雪景色を久しぶりに映像で眺め懐かしさでいっぱいになった。

蔵王ではロッジの家族とは親戚のような交流もあったし、また行きたいといつでも思っていたのに決まるのは志賀高原で、そこのホテルとも親戚みたいになって雪国の人たちは暖かかった。

蔵王は朝一番でロープウエイに乗っててっぺんまで上がってしまわないと混んで大変だった。ロープウエイの順番を取るのは至難の業、当時スキー人気が最盛期で1時間や2時間待つのは普通のことなので、朝食が終わるとタクシーでロープエイの乗り場まで行って順番取り。それで上に行くとほとんど人のいない真新しいゲレンデが独占できるのだ。

今日のテレビでも蔵王といえば樹氷という設定。タレントさんが軽装でマイナス11度の樹氷高原を、しかもてっぺんにあるお地蔵様のところまで行ってホワイトアウトに巻き込まれている。仕事とはいえ、危険じゃないのかな。やはり雪山ではちゃんとしたそれなりの服装をしないのはまずい。寒さとホワイトアウトに巻き込まれて、事によったら事故らないとも限らない。たくさんスタッフがいても皆動きやすい軽装でハラハラする。雪山を舐めるなよ。ちょっとでもゲレンデをそれたら、もう命がけだということを。

私の心残りは、蔵王といえば横倉の壁と呼ばれる有名な急斜面がある、そこをついにすべらなかったことなのだ。まだ若くて一番血気盛んな頃、二回ほど挑戦しようと思ったことがあった。それまでは急斜面と言っても35度くらいのゲレンデの途中にほんの少しだけ混じって出てくる斜面には経験がある。それもほんの短い間なら40度でも耐えられるけれど、横倉は特別。上から見てもほとんど斜面は見えないくらいの急角度。つれに「私も滑れるかしら」と聞いたら「行けば行けるよ」と無責任な答えがかえってきた。行くか行かないかだけで、やってみたらというから恐る恐る実行しようと思い、上まで行ったら雪不足でゲレンデは閉鎖されていた。その時のホッとしたこと。口では残念なんて言いながらお腹ではああ良かった。

次の年も上から覗こうと思ったらもう綱が張ってあって閉鎖、結局横倉の壁はすべらずじまい。その後、志賀高原に変更してしまったから。滑ったからと言ってどうということはないけれど、もしゲレンデが普通の状態ですべらなかったら、自分で臆病者と自分を罵ることになる。

一度、試しに志賀高原の急なコブ斜面を一人で降りたことがあった。これで今日はおしまいにしようと思っていたのに、夕暮れでもう誰もいないので、どんな不格好にでも降りられるからと最初のコブは乗り越えた。そして半分も行かないうちに雪溜まりに突っ込んで板が抜けなくなってしまった。妙に足がねじれた形で硬い雪に板を取られて抜けない。このまま抜くとペキッと骨が折れるかも。とにかく抜いてくれる人が来るまで待とう。

もう日が暮れて来て、誰も降りてこない。もう夕飯の時間だから、私が宿に帰らなかったら誰か来てくれるだろうと気楽に待っていたけれど、そのうち心配になってきた。なぜか夕飯が食べられないということばかり考えていた。その時一人降りてきた人がいたので叫んだけれど、その人も目一杯だったらしく聞こえなかったらしい。またしばらく待つと、降りてきた最後の人に声が届いた。

板を抜いてもらいゆるゆると降りていくと、その人は下から私が降りきるまで見ていてくれた。それなのに「これで夕飯に間に合った」ということばかりしか頭に浮かんでこない。どうも危機感が薄く、周りに迷惑かけたという反省がない。空腹は恐怖に勝る。

スキーのゲレンデは自然のままの地形だから、中級くらいのゲレンデでも一部分だけ急斜面のことも多い。その時にその一部分を滑りきってしまえばいいと思うから恐怖心はない。けれど、急斜面が長く続くと思うと足がすくむ。「行けば行ける」というのはそういうことなのだ。

以前ホワイトアウトのことを書いたことがある。その時の周囲の視界は足元しか見えなかった。コブ斜面であるとはわかっていたが、後で晴れたときに見たらコブの急斜面、いつもならそんな斜面にはいかないのに、見えないために滑る事ができた。笑ってしまう。「行けば行けるのよね」横倉の壁だって?恐怖心が行動を制限するのだ。




























2026年3月2日月曜日

ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ

 「ローマの巨匠たち」この合奏団の演奏は、私は中学生か高校生のときに聴いた。横浜県立音楽堂しか近くにめぼしいコンサートホールもない時代だった。何を聞いたかはあまり覚えていないけれど、トップはフェリックス・アーヨ。生まれて初めてきいた素晴らしい弦楽合奏の音に魅せられたのが私の運命を決めた。

その時のプログラムで知ったのはアーヨがいかにいたずらかということで、周りを悩ましていたという。これもおぼろげな記憶だから、またお叱りをうけそうだけれど、となりにいる人は、いつの間にか靴紐を左右結ばてしまうとか、椅子の脚に繋がれてしまうとか、様々ないたずらを受けたらしい。それって危険だなあ、と子供心に思った。楽器持っている時にはまさかやらないでしょうね?

へえ、ヴァイオリン弾く人は変な人たちだなあなんて。その後私がヴァイオリン弾きの端くれとなってよくわかった。ヴァイオリン奏者はいつも緊張している。奏法が飛び抜けて難しい。音程も幅が狭く、正しく演奏するには常に緊張する。練習時間も飛び抜けて長い時間を要する。半分気が狂った状態で何かあれば膨らんだ風船を針で突いたときのように、破裂する。もうみんな破裂寸前。常にハイになっているから、ハチャメチャやりたくなる。わかるわかる、私も随分いたずらして叱られていたもの。

オーケストラに入った頃、先輩にいたずら小僧がいて、自分の楽器を椅子においたまま席を離れ、戻って来るとすっかり調弦が変わっているとか、調弦だけならいいけれど、弦が張り替えられていたり、鉛筆の芯がゴムでできていて書けないものにすり替わっていたり。弓の根本にネジがあって、外せるようになっている。そこを外すと弓の本体の木と馬の毛が2つに分かれる。その馬の毛をひとネジリしてネジをもとに戻し、なに食わぬ顔で獲物を待つ。なにもしらない持ち主は弾き始めると馬の毛がねじれているからまっすぐに弾けない。もう散々いじられたものだった。

今は皆楽器も弓も大変高額なものだからそんなことしたら訴えられるけど、その頃はまだ高額な楽器を持っていつのはごく限られた人だった。その後は他人の楽器に手を触れるような人はいなくなった。古き良き?時代の話。

一番やられたのは新人に楽譜を見せない。ある大先輩はご自身が暗譜しているから楽譜はいらないとばかり、裏返しにされてしまう。まだ覚えていない新人は諳譜では弾けないから泣くところだが、私は超人的な視力の良さで難なく切り抜けられた。両目視力が1・5だったので前の席の楽譜が普通にみえたので。いくらやってもめげない私に今度は嫌味で色々言われたけれど、大家族で育った強み、何を言われてもどこ吹く風。それから何十年も経ってフリーになった頃、私は彼より立ち場が強くなってしまった。だから弱いものいじめはするなという教訓なのだ。

フェリックス・アーヨはイタリアの弦楽器を背負って立つ名手だったけれど、私はその時以来彼に会うことはできなかった。ある時パスクワーレ・ペレグリー二さんというアーヨのお弟子さんと「四季」を弾かせてもらうチャンスがあって、彼の持っていた楽器を譲ってもらったことがあった。ペレグリーニさんはその時はイ・ムジチのサブコンサートマスターだったけれど、日本で演奏会のあと明日成田を飛び立つという二日前、日本で彼の楽器を売りに出そうと思って持参したものが売れなかったので持ち帰るという。

ちょっと見せてもらったらあまりにも汚く鳴りも悪いけれど、かすかに芯のところに手応えがあるのを聞き取った。ガブリエリという名のしれた制作者、それまでフレンチの楽器を持っていたけれど、今ひとつ迫力のない自分の楽器にあきたらずでいたので興味が湧いた。しかもこういう事態だから言値は半分までに下がっていた。

一晩貸してもらえたら買うかもしれないと言って、彼を成田まで車で送るからその時に返事をする約束をした。彼は日本の食べ物が合わず「海苔、あのブラックペーパーは悪魔の食べ物だ」なんて喚いていた。食べ物が合わず体調不良で気の毒だったけれど、成田までのドライブは快調、一晩弾いて楽器はよくなるようになった。かれも体調が回復したようで商談成立。それから何年かガブリエリは下手くそな私に弾かれて嫌だったかもしれないけれど、音色の良さは評判が良かった。その後私は今の楽器に出会ってガブちゃんは下取りに出してしまった。今は新しい女性演奏者に渡ったというところまではわかっている。

ローマの看板に偽りあり、話がそれていってしまった。もしかしてローマの巨匠たちの話が聞けると思ったでしょう?でも、その思い出はあまりに若かったので記憶があまりないのよ。昨日聞いたベルリンの巨匠たちで、ちょっと思い出したので。しかし、昨日の演奏は心の内部に深く入りこみ、ローマ合奏団は輝かしい明るい響きに未来を見せられた、私の進路を決めるような音。どちらも私にとって運命の出会いでした。







2026年3月1日日曜日

7人のヴィルトゥオーゾたち

ベルリン・フィルのメンバーで構成されたアンサンブル。

ヴァイオリン 樫本大進 ロマーノ・トマシーニ  ヴィオラ アミハイ・グロス

チェロ クリストフ・イグルプリンク コントラバス エスコ・ライネ

クラリネット ヴェンツェル・フックス ファゴット シュテファン・ツヴァイゲルト


ベートーヴェン:クラリネットとファゴットのための二重奏曲第3番

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 ハ短調 作品9-3

ドヴォルザーク:弦楽五重奏のためのノクターン 作品40

ルーセル:ファゴットとコントラバスのための二重奏曲

ブラームス:クラリネット五重奏曲 作品115

友人にチケット購入を依頼してあったので、詳しいプログラムは知らなかった。待ち合わせてチケットを受け取っても会場に入るまでは曲目は知らない。この曲が聞きたいというよりもベルリン・フィルの人たちのアンサンブルというだけで、本当のことをいえば、トップが樫本だという事も知らなかった。ごく華奢なヴァイオリニストが大柄な他の奏者たちと素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれたと思ったので、途中で友人にトップは誰?と訊くと「樫本よ」というから驚いた。すごく華奢に見えたので。

樫本のリサイタルは毎年のように聞いていたし、でもあんなに痩せていたっけ?他の人が大柄だから痩せて見えたのかな?透き通るような美しい音。ガルネリ・デル・ジェスから宇宙の青い空間のような世界が広がる。

一番目のクラリネットとファゴットの二重奏曲の最初の音を聞いた途端、私はもう現世の人ではなく冥界に入ったような状態になった。深い瞑想に陥ってしまったような。深く深く降りてゆく、そして無重力の世界に浮遊しているような、ステージのたった一箇所に明るい空間があって。そこに自分が落ちてゆく。音が私を包む。なんと幸せな深い休息。

こんなに集中したのは人生で数回しかない。ポリーニのサントリーホールでの連続コンサート、ベルリンドイツオペラのパーカッションと日本の和太鼓とのコラボによるコンサート、ギターのラゴズニックとペーター・シュライヤーの冬の旅等。今まで聞いた数多いコンサートの中でもいつまでも心に残る音の世界がこっそりと私の中に住み着いてしまった。胸の奥に温かい隠れ家があってそこにひっそりと隠しておきたい。

いい音を聞くと本当に幸せ。最後のブラームスのなんと素晴らしかったことか。一つ一つの楽器が別々に聞こえるのではなくて、例えば繭の中にくるまれた共鳴体が振動しているような、文字では言い表せないからこの辺でやめておきます。

もう少しうまい表現ができるようになったらもう一度書いてみようかと思いますのであと百年後にまたお会いしましょう。