かつて私の拠点は渋谷だった。最初のヴァイオリンをかってもらったのも渋谷。父親の車で東横線の代官山近くの坂道を渋谷に向けてグーンとカーブして登った記憶がある。それはヴァイオリンへの期待が高まった瞬間。道玄坂だったのかなあ、坂の上の方にある楽器屋さんで小さな楽器を手に入れた。
あまり嬉しいという記憶がないから、父親と兄がよろこんでいたのかもしれない。買ってもらった本人は慾もなくて、ヴァイオリンを一生懸命やろうと決心した覚えもない。けれどそれから70年、ダラダラと続いているのだから、嫌いではなかったのかという程度のヴァイオリン愛。それより車に乗っていったことのほうが楽しかったような気もする。
父が大の車好きで、小学校低学年の頃に学校の窓から父の運転するド派手な空色の車が走りすぎるのを見ていた。クラスの男の子が「おい、お前んちの車が走ってるぞ」なんていうから恥ずかしい。その車はしょっちゅうエンストして、その都度父が車を降りてクランクというエンジンを始動させる道具で再起動。それが何より恥ずかしかった。クランク無しで走れる車がいいなあ、とか。
その後も我が家には様々な車がとっかえひっかえ現れた。あれはなんだったのか、父がどこかで借りたのか拾ったのか。とにかく日本中がまだ食うや食わずの時代に車なんて。やはり父はどうも私と同じで素っ頓狂、母が苦労したわけで。
白寿ホールでヴィオラとヴァイオリンの素敵なコンサートが行われた。彼らの第6回目のデュオ・コンサートは出演者が下手袖から登場しただけで会場が沸くというクラシックには異例の雰囲気だった。この詳細は後ほどお伝えします。今日は白寿ホールに行き着くまでと帰りのお話です。
下手はしもてと読んでください。演奏はヘタの真逆、二人の名手の素晴らしさに沸いた素敵な演奏会でした。
渋谷は私の拠点だった。仕事もNHKでのことが多く、最盛期には週4日くらいかようこともあったほど。その上渋谷で音楽教室を開きましょうというお誘いで始めた教室は大繁盛だったから、土曜日のレッスンは途切れなく、よる8時まで食事をとる暇もなかった。それ以前はまだ渋谷はマイナーで、しかしその後急激にパルコや西武デパートなどがファッション界をリードし始めた。そして今再開発が繰り返されて、そろそろ西武デパートもなくなるとか。いつ行っても駅構内の改築や新しいビルの工事やで全く落ち着かない街になった。
富ヶ谷の白寿ホールに向かう私は電車を降りた途端に人の波に巻き込まれた。長年の勘で方角はわかるのに、以前のタクシー乗り場やバス停などが移動して何が何やら。ハチ公前広場に行くと行列ができている。なにかと思ったら、ハチ公と一緒に写真を取る順番の列だった。笑ってしまう。
その先に富ヶ谷方面に行くバスがあるはずだったけれど、もうぐちゃぐちゃで、以前はNHKに行くときに乗っていた150円のバスはどこ?ついにバスの案内人に助けを求めた。おじさんがすごく親切に案内してくれたけれど、そこへ空のタクシーが来たので走り寄って乗り込む。タクシーに向かって走り始めたとき、バス停の後ろの人が、あっというような声を上げた。振り向くと二人の男性がタクシー待ちでいたらしい。その人達は私に手でどうぞというような仕草をしたので、お辞儀をして乗り込む。やれやれ、やっと足の確保ができた。駅での時間ロスでギリギリでコンサート開始に間に合った。
終演後、再び渋谷に向かおうとタクシーをひろうと、急に気が変わった。またあの渋谷駅の雑踏は勘弁してほしい。それなら少し遠くても中目黒に行こう。気が変わったことを告げるとドライバーは快く方向転換をしてくれた。寡黙だけれどすごく親切なのはよく分かる。この辺の地理はNHKに通っていた頃、渋滞を避けて裏道を通っていたからよく分かる。それでも私の上を行く省距離のプロ技、感心していたらすっと大通りに出た。中目黒駅近くでは、改札口が反対側にあるから信号に気をつけてわたってください、と至れり尽くせりで、今どきの若者の親切なことったら。
私は時々思う。私のように年を取ったらこんな混雑した場所に出ないほうが良いと。他の人達が座りたい座席を我慢して譲ってくれたり、あれやこれやと世話してくれるのは申し訳ないと。しかし皆さんニコニコして本当にやさしい。大きなリュックを前に抱えてスマホを見るのに、座りたいと思うのに。優しい若者たちが一方で仲間を殺したり強盗したり。この差はほんの少しの育ちの差かも。それでも歯止めのきかない悪事はますます過激になっていることは理解に苦しむ。
ワンちゃんならチワワサイズのグレイヘアのおばあさんが渋谷を走り回っているのを見つけたら、それは多分私です。見た目よりずっと元気なので親切にしないで結構。でも蹴飛ばしたら噛みつく凶暴につき要注意ですぞ。
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