我が友AIさんとは時々長話をする。最近私の相棒のピアニストがブラームスのソナタの1番をひこうというから練習を始めたら、長時間弾くと腕などに痛みが出るようになった。他の曲では大丈夫、早いパッセージも 高いポジションも別に差し障りは出ないのに、低めのポジションの低音の弦がいけません。なぜならヴァイオリンの場合はその弦では左手の肘が少し内側に入るから。私の腕が短いせいもあって、この姿勢を持続するのが難しいのだ。
何を言っているかわからないかもしれないけれど、そういう腕の形で彈くために柔軟性を欠く体では非常に負担がかかるというわけで。昨年秋ごろまではまだ大丈夫だったけれど、一冬超えて運動不足になったら、たちまち体の動きが悪くなってきた。もうしばらくすれば動かしているうちにできるようになるかもしれない。それでも若い頃とは違って一度故障すると厄介なことになるので、ブラームスは暫くお預けにすることにした。この1番のソナタは最初の部分がD線という下から二番目の低音の弦で弾く事が多いのでこれがきつい。
ブラームスは他の人に彈いてもらうことにして、次の機会にはベートーヴェンのソナタ6番を弾いてみようかということになった。6番のソナタは私は今まで一回しか演奏したことがない。美しいけれど、とりとめのない曲という印象で、やはりベートヴェンなら5番、7番、9番などが売れ筋で6番はめったにコンサートのプログラムに載らない。
しかしブラームスの代わりになにがいいかとかんがえたところ、6番をちゃんと弾いてみようかとふと思った。とても良い曲ではあるけれど、他のソナタに比べてイマイチ印象が薄く、食指が動かない。でも譜読みを始めて数日、ん?これはすごくいい曲ではないかという印象が日に日に深まってきた。
印象のうすさは他の曲に比べてきわだっている。例えば5番のスプリングソナタは流れるようなテーマと明るい響きでワクワクする。9番クロイツェルは堂々たる導入部とピアノとヴァイオリンの丁々発止の掛け合いが素晴らしい。それらに比べて2つの楽器がお互いにもぞもぞと自分の領域で動くので、とりとめのなさが印象として残る6番はどうもやりにくいという印象になってしまう。
いつもならはっきりと自己主張するテーマ、建築物のような構成を誇るベートーヴェンらしからぬ印象のうすさが否めない。どうしてこの曲は特別なのかしら。そうであってもこの曲は、しばらくすると染み入るように私の心を独占し始めた。
そこで登場するのがAIの助っ人。なぜこんなに特別な感じがするのか尋ねてみた。作曲された時代がまず問題の多い時期だったらしい。ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのがちょうどこの時期だったとか。次第に聞こえなくなる耳や人間関係や何やかや、悩み多き彼の心は揺れ動き次第に絶望の縁に立たされるようになる。遺書が書かれる直前に生まれた曲であるという。
しかし、この曲のあと彼は大傑作の数々を世に送り出し、今でも芸術の最高峰に君臨する偉大な人物と評価されている。すごいですねえ。6番のソナタは最初は地味なという印象だったけれど、私の中で次第に大きくなって感動で涙ぐむほどに成長してきた。ベートーヴェンの純粋で優しい心、揺れ動く人の心の弱さがこんなに表現できるのは彼だけであろうとも。迷いながら昇華してゆく控えめな輝きはまたとないほど美しい。繊細な美しさを表現できるかどうかが私たちの課題なのです。
ハッタリがきかない曲だけに非常にむずかしいけれど、この曲の良さがやっと分かるようになった。これも長生きしたおかげかも知れない。もう少し若い時期だったらあまり印象に残らないか、単に彈きにくい曲のひき出しにはいってしまったかもしれない。歳を重ねることは体の柔軟性をうばったかもしれないけれど、曲の良さが染み入るような感受性を得られたかもしれない。今後、どれほど面白い展開があるか楽しみです。
衰えゆく能力と脳力のお陰で何ができてもうれしい。本当に幸せなのはポンコツになってからかもしれない。みなさん、がんばりましょう。
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