ここ数年、膝の痛みに泣かされてきた。ベッドから起き上がるときは覚悟がいる。足を床につけるのが怖い。まず腰痛がないか確かめる。時々痛むのは仕方がないけれど、まずベッドに座って痛みの程度を確認してそろそろとスリッパに足を入れてゆっくり立ち上がる。
これを外側から見ればもう立派なポンコツ。そうねえ、もうすぐ82歳。元気だと思っていたけれど、故障があるのは仕方がない。まだ思いが断ち切れ ず毎日ヴァイオリンを弾くのは果たしていいことか悪いことかわからないけれど、他にすることもない。一人でいるのは決して嫌いじゃないけれど、いざというときに体が動かなければ助けがいるようになるのは嫌だなあ。
・・・と最近の状態が、今、すごい!どこも痛くない、に変わった。目覚めると腰は全く痛くないし、なんの心配もなくベッドに起き上がり、座って足をスリッパにいれるとためらいなく立ち上がる。すぐに足が前に出る。スタスタと歩ける。まさに奇跡!
一体何があったのか。大好きなスキーを滑ることもできなかったのに。一時的にかもしれないけれど、今は快癒の状態。体の一箇所だけでも、例えば指の先だけでも故障があると、体中のバランスが崩れる。痛みの感覚が常に行動を遮る。もしかしたら痛みを感じるセンサーが故障しているのかもしれないけれど、まずは、いつまで続くかわからないけれど、この状態を楽しみたい。。
しかし周りの人たちはそんな私を疑り深く警戒している。まだスキーはだめですよと。今やらなかったらもうチャンスはないかもしれないのに。ただし、今までの経験からいつどんなときにも警戒を怠らないと再発する可能性はあるけれど。ここで骨折でもしようものなら、寝たきりになるかもしれない。一番警戒しているのはこの私なのだ。
今年になってから思い切って整形外科の治療をやめた。心配だったけれど、診察とリハビリと受けてもシップ薬と痛み止めをもらうばかり。一生懸命スクワットを続け筋トレに励んでも一向に痛みが消えない。それでついに筋トレをやめて、以前友人から紹介された高周波の治療を受けてみようと思い立った。
最初のうちは一週間に一度、そのうち痛みがゆるゆると去っていった。もうこの辺で再発するのではと危惧しながらだましだまし歩いたりしているうちに一ヶ月後にはほぼ痛みが消えた。用心のためその後半月ですっかり痛みが消えた。今はゆっくりであるけれど、少し小走りができる。信号が変わるので急いで歩いたら両足が地面から離れて、自分でびっくりした。
これ言うとオカルトになるけれど、数週間前、夜中にぼんやりしていると眼の前をすっと黒いモヤが数回通り過ぎていった。私は少しだけ予知能力があるようで、こういう現象を見たときには誰かの訃報がその後一週間くらいで届くことになっている。あら、誰かしら?もう不思議でもない友人たちの訃報。でも知らせは来なかった。そして膝が治った。
嘘つき!と思われても仕方がないけれど、実際、そういうことは何回もあったから私は信じている。けれど、もしかしたら私を恨んで嫌っている人が亡くなったのかもしれない。その人の恨みが私の体を傷めていたのかもしれない。接点がないから死亡通知が届かなかったのかもしれないけれど、もしそのようなことだったらここ数年の足の痛みはその人の恨みだったのかもしれない。もしくはその誰かが私に対する関心を失ったとか。
時々不思議な体験をするので、最近では私も信じるようになっている現象なのだ。私の母が亡くなる前、病院に入院していた。母はなんとか持ちこたえてまもなく退院するという数日前、私に言った。「そこに誰かいるわ」明らかに病室の隅を指していた。見ても誰もいない。「誰もいないよ。廊下を通った人が見えたんじゃない」と私。「そうじゃない、そこにいるじゃない。ほら、見てご覧」
そして母は退院の直前に急になくなってしまった。母の自宅介護のために実家には電動ベッドや酸素吸入器が用意されていたのに。私に見えないものが見えていたと私は信じている。きっとご先祖様たちでしょう。母は大変記憶力が良くて、ご先祖様たちの話を聞かせてくれたものだった。さすが私の先祖は変わり者が多くてただでさえおかしいのに、うまく脚色して目の当たりに再現されるような話し方で大いに子どもたちに受けたものだった。
きっとそのうちの誰かと笑いながら、天国にいったと思う。戦争も体験して実生活は苦労の連続だったけれど、笑い上戸で楽しそうに笑っていた人だったから。
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