今から31年前の3月、地下鉄サリン事件が起きたとき、私はカナダでスキーを楽しんでいた。日本の家族に電話をしたら「今それどころじゃないよ、サリンがサリンが・・・」と騒いでいたので、ぽかんとしてなんのことかわからない。サリンって?
なんだか日比谷線で車輪がどうとかした?とか、皆はぽかんとしていた。帰国して初めて大惨事を知って驚いた。サリンなんてそれまで聞いたこともないもの。
そんな思い出が急に蘇ったのは今回の村瀬心桃選手の金メダルの素晴らしい演技を見て、当時のスノーボードの環境を思い出したので。
当時日本にもボーダーがチラホラと出現し始め、スキーヤーたちは白い目で彼らを眺めていた。もう、邪魔で邪魔で嫌になっちゃう、なんて言いながら。もたもたと横に滑るカニのような奴ら。カラスの群れみたいに、座っていたと思うと急に横に滑り始める。左右を確かめもしないで。滑ったあとの雪は変なところがえぐれたりしている。危ないことこの上ない。
それに比べてカナダのボーダーたちのなんとスマートな!ゲレンデのヘリの雪溜まりをスーッとまっすぐ降りていく。現地カナダのガイドに「上手いね」と言ったら「当ったり前田のクラッカーよ」と言われた。これは嘘だけど、このコマーシャル知っている人手を上げて。いやいやお古い。
とにかくまるで器具が違うかのような滑降には度肝を抜かれた。それが今や日本人がオリンピックで金メダルとは!本当に立っていられないほどの急斜面、私ならスタート地点で気絶してしまう。村瀬選手はキリッとした美女、真っ直ぐな視線の先には何者も寄せ付けないほどの目標があるような。
しかも彼女の動画には整備された競技場でなく、自然な環境で練習する姿、林やとんでもない急斜面や川を渡ってしまう姿まであって、惚れ惚れしちゃうなあ、なんて素敵な勇敢な女性なんだろう。
ジャンプも新人が銅メダルを獲得した。ジャンプと言うといつも長野五輪のジャンプの原田、舟木両選手のエピソードが未だに日本人の心に残っている。せっかく新人が銅メダルの快挙を果たしたのに、テレビの解説に舟木選手が出演するとその話が繰り返された。
舟木選手の映像が流れると、まず、原田選手の「ふなき~」というお祈りの言葉が流れる。そして舟木選手は堂々と役目を果たし日本中が歓喜に湧くといういつもの。舟木選手は苦笑しながら「どうも原田さんと私はセットにされているようで」でも、その映像を見ると私も未だにほろりとする。国民が喜んでいるのに肝心の舟木選手は冷静なのだ。
今や日本選手は世界的なレベルで活躍しているのに、いまだに猪谷千春選手以後、大回転でメダリストは出ていない。私はスキーのモーグルやフリースタイルも面白いと思うけれど、あんな危険なことはできないし、そんな運動神経の持ち合わせもない。やはり何と言っても広いバーンを雄大に滑るスキーが一番好きなのだ。
そして、それも実現した。ヴァルトランスのトロワバレーはヨーロッパ1の標高の高いゲレンデで、コロナ禍の日本を脱出したと思っていたら世界中でコロナが蔓延していた頃。私は新しい板を引っ提げてスイスからフランスへ。初日は軽くホテル近くのゲレンデで。二日目にリフトを乗り継いでいよいよ見渡す限りの広いゲレンデに。滑り始めるとそのスピードは日本のゲレンデでは絶対に経験できないスピード感、ややスピード狂のわたしはたまらずバッファローの大群が疾走しているようなスキーヤーたちの中に加わった。
晩年になってこんなに素敵な体験ができるなんて。いつもは志賀高原で先生に言われる。「スピード狂!」決して褒めてもらえず、とにかく年寄りは安全に帰宅させるのが自分の使命だと思っているらしい先生から暴走を止められる。でも先生自身も一緒に滑るときには早い。しかも後ろについて行くとすごく嬉しそうなのだ。
ときには後ろからあおってみたりする。そんなときには文句は言われない。私がトロワバレーに行くと言ったら「あそこはしろいよー」と言われた。そりゃ雪山だから白いに決まっている。でも先生は「ひ」と「し」の発音が区別できない江戸っ子風の人なので「広いよ」と言ってるつもり。
今は笑いながらも悲しい。ずっと教えていただいたその先生も雪ならぬ虹の橋を渡ってしまった。今頃うちの猫コチャとあちらで「おしさまがあったかいね」なんて会話していらっしゃるかも。多分天国には雪はふらないと思うから。
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