2021年9月4日土曜日

人生の佳境

 すでに一ヶ月ほど、投稿を休みました。

なぜかといえば書き始めると腹の立つことばかり思い出して精神衛生上非常によろしくない。読む人たちもうんざりだろ思うし、まだブスブスと胸の奥にくすぶっている熾火が再燃するといけないから黙っていたけれど、相変わらず・・・いやいややめておきましょう。

これがどれほど脳みそに悪いことかというと、私は急激に痴呆症になってしまった。物言わぬは腹ふくるるわざなりというけれど、腹はやけ食いで膨れたのであって、これは筋トレでしばらく頑張れば解決すると思うけれど、心のケアは自分だけでは難しい。せめての慰めはだんだん日常が復活して来て、古典音楽協会の定期演奏会が再開の運びとなったこと。でも一年半のブランクは私達の年齢の者にとっては相当厳しい。すでに筋肉や反射神経が衰えているところにもってきて、脳みそが萎縮し始めているので何回も弾いた曲なのに、あなた誰?みたいに忘れている。

9月はめずらしく忙しい。音楽教室の発表会に出演する弦楽アンサンブルの指導と本番で一緒に弾いてほしいとの要望。少し前なら本番で初見でもいけたと思うけれど、それがなかなか早いパッセージが覚えられない。あ~あ!

本当なら今頃は北軽井沢の私の家に生徒たちが集まって盛大に合宿をしていたはずなのに、コロナ感染が異常に拡大したために直近で中止の憂き目にあった。ほら、又ぐちが始まってしまった。オリンピックなどやらなければお盆の時期にも国民は里帰りを我慢したと思う。けれど8割もの人達が反対したにも関わらず海外の感染者を国内に入れて、それで国民に我慢しろというのが無理というもの。メダル量産とか言って喜んでいるのがバカバカしい。選手たちは本当に気の毒に思うけれど、この人達に罪はないし恨みもない。頑張っている姿を子どもたちに見せたいと言って、すぐに引率者の陽性が見つかったり若年層に感染が拡大したり、当たり前じゃないですか。一本筋の通った政策ができない政府に対して国民は皆呆れている。教育は臨機応変に、こんな時期に混雑する場所にどうして子どもたちを連れて行くのかしら。

たしかなにか面白いことがあったのでブログ再開するつもりだったのに、なんだったかそれすら思い出せない。そうそう、先月の北軽井沢でのフェスティヴァルで演奏が終わったときに、地元の人からたくさんきゅうりを頂いた。なんでもたくさん獲れ過ぎて余ったのでということだった。その量が半端でなくずっしりと重いので、楽器を置いてきゅうりをケースに詰めて帰ろうかという冗談まで出た。こんなに食べきれるかなと思ったけれど、それがとんでもなく美味しかった。

見た目は形も色もバラバラ、曲がっていたり太ったのや痩せたのや様々。帰宅してから塩麹に漬けて見た。一日おいて食べたら「エッ、きゅうりってこんなに甘いの?」バリバリと食べて私はキリギリスになってしまうかと思えるほど毎日きゅうり三昧。もともときゅうりはそれほど好物というわけではなく、毎年夏の暑いさなかにしか食べない。あとは他の料理に付け合わせとか添え物でしかないと思っていたのに、この期間だけは主食になってしまった。きゅうりもこんなに喜んで食べてもらえて本望、少なくとも生産者は得意になる資格十分だった。

先日北軽井沢の我が家にしばらく滞在していった人からお礼のメールが来た。彼女は半分ドイツ人。なぜかというとドイツの企業にいまだ在籍していて、今後、余生を日本で過ごすかドイツに戻ってドイツ人と結婚するかの選択肢があるということなので、その決断のために私に相談したいという。私だったらドイツを選ぶかもしれない。しかし無責任に私が決めるわけにもいかないから、とりあえず残りの数年を仕事がんばってみたらという無難な返答になってしまった。それからでも決断することができる。彼はずっと待っていてくれるというなんとも羨ましいお話なので。いいないいな、私を待っているのは猫ばっかりなのに。

メールは北軽井沢は「期待していたのより遥かに美しいところ」だったとのお褒めの言葉。そうでしょう、そうでしょう。浅間山の全景が見られるポイントに長い時間座って雲の流れを見てそよ風にふかれて、幸せな時間を過ごした。それが彼女の選択に一役買ったかもしれない。

更に嬉しかったのは、北軽井沢は日本のバイクのレースの発祥の地だったということを知ったこと。浅間牧場の売店で見かけたのがバイクの展示室。入ってみると懐かしいバイクがずらりと並んでいた。こうしてみると私は子供の頃から車やバイクに興味を持っていたらしい。よく覚えているのがその証拠。女の子なのに珍しい。なるほど、北軽井沢への入り口となる山道は、走り屋さんたちの絶好の走り場。2年ほど前、そこで事故で亡くなった女性が倒れているのを見てしまった。バイクと命の危険は隣り合わせ、ご主人らしき人が呆然と立ちすくんでいた。それでも亡くなった人はその瞬間まで幸せだったのではないかと。

こう言うと生真面目な人は私を不謹慎と思うかもしれない。けれど、自分が大好きなことをしている瞬間に死ねたら本望。私はオーケストラで演奏している最中に鳴り響く音の中で、ふと、今死ねたら・・と思うことがあった。












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