2011年5月15日日曜日

偏った美意識

私は美しい物、とりわけ美しい音に敏感に反応するのに、なんだってまあ・・・猫の汚した物を始末しながら考えた。このうちの汚さ。天性、整理整頓ができない。一種の病気と言うのがはやったけれど、これは断じて病気ではない。単なるだらしなさ。というより無関心。決して汚いのが平気ではないけれど、関心が向かない、気がつかない。テレビで占い師が、部屋が汚れていると運気が向いてこないと言っていたけれど、なるほど、そのとおり。幸運は入ってこない。宝くじには当たらない。抽選には漏れる。じゃんけんしても勝たない。某有名女流ヴァイオリニストは自宅が汚くなって限界が来るとサッサと引っ越すとか。客人が鉢植えをお土産に買おうとしたら、あの家に持って行ってもすぐ枯らすから無駄だと、園芸店のご主人がとめたとか。生徒がレッスンに来ると、譜面台までたどり着くのが大変だとか、まことしやかな噂を聞く。私も以前、生徒から慰められた。「前の先生の家は階段にキャベツが置いてありました。この家はまだましです」 家をいつも綺麗に保っている人はどうするのかと思ったら、一人は朝起きたらパジャマのままでも、もう手に雑巾をもってますよ、という。想像もつかない。パジャマを着たまま、ゆっくり朝刊を広げ、コーヒーを飲み、猫とじゃれて軽く一時間。さあて、伸びをして散歩するか、で一時間。メールのチェックやよそのブログみて一時間。ヴァイオリンを1時間か2時間。それで午前が終わる。行きつけのブティックのご主人に言われたことがある。いつも最高のものを手にとりますね、と。美意識は発達していると思う。そのお店に入ってまず目について手にとるのは、どんなにグチャグチャに積まれていても、一番いい物。買おうとすると、思いもかけない高額でたいてい諦めてしまうので、いつもはスーパーのワゴン積みでさがす。だから、私はスーパーレディーなのだ。

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