2024年3月16日土曜日

眠りから覚めて

 遥かに以前のことのように思える古典のコンサート、まだ1週間にもならないほどの経過だけれど様々な評判が聞こえてきた。

まだ今日も胃袋にはなにも入っていないけれどレッスンに訪れる生徒が部屋に入ってくるなり皆一様にニコニコと笑っている。ああ、聴きに来てくれたのね、ありがとう!「本当に良かったです、ヴァイオリンの音が素敵だった」皆山中さんの音が大いに気に入っているようだ。その中のいつもは物静かな男性も満面の笑顔。どうやらお世辞抜きで本当に良かったようだ。

良かったでしょう?本当に素敵な音よね。私も自分のことのように嬉しい。テレマンの幻想曲の評判が良くて静けさの中にりんとした筋の通った演奏が「鳥肌モノ」「禅のよう」「居合抜き」などなぜか日本の武道のような捉えられ方をされているのが印象深かった。なるほど、山中さんは日頃から物静かで大きな声を出しているのを見たことがない。弓の先から下まで神経の研ぎ澄まされた奏法は日本刀の扱いにも似ているかもしれない。ふーむ、古武道とヨーロッパの古典とコラボできるか・・・なんて

いろいろな意見の中でも面白かったのは、ブランデンブルク協奏曲をチェロ以外の楽器が立って演奏したので、その身長差が見ものだったという意見。今回は特に年齢の若い女性が入ってかなり身長が高い。スラリと伸びた手足、小顔でその先に行くと私と同年代のメンバーは小柄、その先はもう少し大きく私に至ると立っているのか座っているのかわからないくらい小さくて、その曲線が面白かったと。

まあ、同じ犬でも犬種によって大きさがあれほど違うのだから人間もそのくらい違っても不思議はない。

その曲線は戦後の時代背景よというと、なるほどと相手が答える。私と同年代は戦後の最悪の食糧事情、親の体力も限界だった頃の生まれ。すぐに戦後から日本人の背は伸び始める。私ももう少しあとに産まれればあと10センチは大きくなれたかも。しかいこの小さな体でヴィオラまでひけるんだぞ、どうだ偉いだろう!いや、どう見てもあなたがヴィオラを弾いているというよりもヴィオラがあなたを支えていると言うほうがあたっている。なにお、このべらぼうめ!

べらぼうというのはもともとはへらぼうと言うのだそうですよ。私が最近買った古今亭志ん朝師匠のCDでも言ってますよ。昔の大工さんはヘラの上で糊の代わりにご飯粒を潰して使っていたそうで、飯を潰すで轂を潰す、それで役立たずの職人のことを穀つぶし、へらぼうめというところをそれでは喧嘩にならないからべらぼうになったという。この説明を志ん朝師匠が説明するとどうしてこんなにも面白いのか。声を出して笑ってしまう。志ん朝さんは落語会のモーツアルト=天才ですなあ。

そうそう、単純なテレマンの楽曲が見事な曲になるか、ただの短いつまらない曲になるかはあなた次第・・ということなのですよ、ね。

さてまた寝るか。それではまた明日。














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