昨日は春一番が吹いた。
去年、仕事を放り出して自分の気の向くままに生活しようと始めた、引きこもり生活。
穏やかな日々を送っているけれど、退屈というのは免れない。
時々無性に仕事が恋しくなる。
突然死覚悟で働いていた強烈な時代を思い出すと、あれも自分であり、今のんびりしているのも自分であると、どちらが自分の本性かわからなくなる。
どちらも面白い。
引きこもるようになったからと言っても、友人たちとは頻繁に会うから寂しくはない。
最近は数十年前の若い頃ハマっていた、瞑想をするのもわるくないと思っている。
瞑想を始めると静かで豊かな世界に入っていけるけれど、やりすぎると普通の生活が辛くなる。
講習を受けていた時にインストラクターからは、あまりのめりこまないようにしてくださいとの注意があった。
「変な人と思われますから」という言葉に納得がいく。
これはたぶんインストラクター自身の経験から出た言葉だと思う。
家族や友人たちから、ちょっと変わりものという扱いを受けたのかもしれない。
私は若い頃、激しい仕事のストレスを感じていたことから、なんとか緊張を和らげたいとヨガを始めたのがきっかけになった。
体の根本から整えようと思ったことでもあった。
ヨガの先生が瞑想をやっていると言うから、なんにでも首を突っ込みたくなる私の好奇心は我慢の限界を超えた。
早速講習を受けた。
私の場合は演奏の経験が幸いして、貴重な体験をすることができた。
本来それは集中するのではなくて集中を超えたところの領域なのだけれど、普通の生活を送っている人たちはそこまでたどり着くのはなかなか難しいらしい。
受講生の中にも一種の催眠術ではないかと言い出す人もいたけれど、それは大いに間違いで、心を空っぽにすればいい。
子供のころからぼんやりさんだったから、空っぽになるのはお手の物。
私はすでに変わり者の称号をほしいがままだから、人からなんと思われようとあまり気にしない。(時々は気になるけど)
その後の人生では、この体験に本当に助けられた。
激しく緊張する本番でも、瞑想時のあの静けさを思い出して、いつでもそこに戻れると思うと、気持ちが落ち着く。
ただし、一度本番前に瞑想状態に入ってしまったら、ぼんやりしてしまったことがあるから、要注意。
講習を受けた人の質問で「これは宗教なんでしょうか?」というのがあった。
教師は「いいえ、宗教でなくてテクニックです」と答えた。
神秘論がまかり通るこういう世界で、このように冷静な雰囲気が気に入ってしばらく継続していたけれど、今はすっかり怠けている。
こんなに暇な時期にやらないでいつやるの?と思うけれど、暇だからなにもしない。
する必要もないくらい心は平和。
北軽井沢の森の中で木々を眺めていると瞑想時に近い状態になるし、元々子供の時から常時ぼんやりしていたから、そこに戻ればいいわけで。
強烈に必要としていたあの頃、辛うじて立っていたような自分を支えてくれたのが、瞑想だった。
最近、女優さんが宗教関係とからんで芸能界からの引退騒ぎを起こしているけれど、あの頃の自分に置き換えると気持ちがよくわかる。
たぶん彼女はきれいな容姿に恵まれて女優になったけれど、自分にあるべき支えがないことに気が付いているのだと思う。
売れすぎて自分を失いそうなくらい次々に仕事をこなす毎日。
本当の元気ではないのにいかにも元気そうに振舞って、見ていて痛々しいなと思っていた。
そこで宗教に救いを求めたのかとも。
他人のことはわからない。
私は人より遅れてヴァイオリンをはじめ、もののはずみで音大に入学、入れるはずのないオーケストラにも入ってしまい、実力以上の仕事に恵まれてしまう。
オーケストラをやめてフリーになると、雲の上のような人たちとも共演できるチャンスがたびたびあって、あちらは世界的な方たち、こちらは雪の上を恐る恐る歩く猫。
これは恐ろしいことで、常時足元がいつ崩れるかという恐怖があった。
連日必要以上に緊張していたと思う。
そんな状態を、自分は自分のままでいいのだということを感じさせてくれた瞑想に感謝している。
最近やっと、自分の思うような音楽を作る入口に立ったと思えるようになった。
入口ですよ、まだドアノブに手が触れるか触れないかくらいの。
技術や体力は衰えていくのに、やっと気持ちが追い付くのは残酷なことだけど。
譜読みが早い、指は良く回るからなんとかしのいできたけれど、これは本当ではないといつも思っていた。
今ゆっくりと楽譜を根本から読み直すために、以前使っていた楽譜を使わず、新しい楽譜を読み直し。
何回も弾いた曲でも頭をまっさらにして、初めて見るように楽譜を読み始める。
すると・・・技術的にはたいして難しくないはずが、納得がいくまでに至らない。
1ページに何時間かけても満足できない。
閑だからのんびりやりますが、そうこう言っているうちに命が尽きてしまうかも。
学生時代、先生に言われた言葉。
「譜読みが終わってからが本当の勉強なのよ」
初見がきいて、難しい曲でもヘラヘラとその場で弾けてしまうようなところがあって、それを見透かされていた。
今その言葉がやっと身につまされて理解できる。
先生はいまごろ天国で「やっとわかったのね、お嬢ちゃん」と言って笑っているかもしれない。
ちなみにこの方は男性でしたけれど。
さて、引きこもりはここ数日間おあずけで、明日から寒い雪山に行ってまいります。
この猫はこたつで丸くならない珍種ですのにゃ。
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