2012年6月8日金曜日

弓の毛

長い間同じ工房で弓の毛の張替を頼んでいた。そこは弓専門の技術では他の追随を許さないと言われた一代目「弓のFさん」で通っていた。その人が体を壊して、今は息子さんが後を継いでいる。お父さんは気さくな方で、毛替えが終わるとよく話し込んでしまった。引退間近には人懐かしいのか、わざわざ車で最寄でない遠い駅まで送ってもらったりした。2人の息子さんが両方ともお父さんの仕事を継いで立派に独り立ちしている。あるとき忙しいので向ヶ丘遊園のそのお宅に行くのが面倒になって、つい出入りの楽器屋さんに毛替えをたのんでしまった。値段も格段に安い。貧乏音楽家にはありがたいし、そこの講師の知人も張り替えていると言う。そして出来上がってきたものは、見るも無残なぼこぼこ波打った毛。使ってみたけれど、とうてい使い物にならない。もう一度張り替えを頼むと、さすがに緊張して見た目はきれいに張って戻ってきた。うん、これならいいかもしれない。しかし使ってみると、前よりマシだがどうにも違和感がある。そのお店には教室もあって名の知れた先生も多い。その方たちもそこで張り替えるのだから、私の感覚がおかしいのかと思ったけれど、それでも我慢できなくなって、ついにいつもの工房に出向いた。忙しいのなんの言ってはいられない。こんな状態では楽器も可哀そう。出来上がりは前の状態と見た目大して変わりはない。しかもお値段は高い。しかし、ああ、これだよね。これでなくっちゃ。弓の性能が一ランク上がった。いったいどこが違うのかわからなかったけれど、くだんの出入りの楽器屋さんが来てその話になった。ぜひ見たいと言うから見せたら非常に感激して、毛の付け根のところがかすかに丸みを帯びていること、緩めた時に見事に均斉がとれていること、これはすごい技術ですと言う。自分のところの職人をけなされているのに、良い技術の前には謙虚に頭を下げるところがえらい。おそらくこんな張り方ができるのは世界にもあまりいないと、最大限の賞賛をして帰って行った。私も長い間ほとんどその工房で頼んでいたので、これほど技術に差があるとは思いもよらなかった。いい腕は大事にしなくては。

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