左足のくるぶしが痛いので運動不足になっていたけれど、いつまでも痛いからと言って運動しないわけにはいかない。
人生のフィナーレを楽しく生きるためには、こんな痛みに気をとられてしたいこともしないで生きるのは、我慢出来ない。
それで痛かろうが何だろうがズンズン歩くことにした。
それで関節が悪くなったら、治療に消極的な医師も考えてくれるだろうというのがねらい。
レントゲンをとってみたら、くるぶしの関節の軟骨がすり減っているという。
治療法は痛み止めと湿布のみ。
そんなばかな。
痛み止めは飲みたくない。
それで、これからの人生、どうやって生きろというの。
歩く事も出来なければ、年寄りは家でじっとしていろと言わんばかり。
それで痛かろうがなんだろうが・・・と先程のフレーズが出る。
そして、毎日無理矢理歩いていたら、あら不思議。
日を追う毎に痛みが少なくなってきた。
そうなると歩く楽しさ倍増。
私の前世はムカデだったかもしれない。
靴が大好きで、足が2本しかないのに、うちの玄関は靴だらけ。
クローゼットの中も靴だらけ。
夜な夜な靴のネット通販のカタログを、目をらんらんとさせて覗いている。
今年に入って、くるぶしの痛み用にスニーカーを買う事にした。
スニーカーは運動用のものはごつくて色が派手すぎる。
オシャレで機能的なもので、カジュアル過ぎない物をと探していた。
そして見つけたのはイタリア製の革のスニーカー。
つい浮かれて、同じメーカーの物を3足も買ってしまった。
なんでも気に入ると、色違いや型違いをまとめて買ってしまう。
すごく気に入って玄関に置いたら、来る人毎に「素敵な靴ね」と言ってくれる。
やはり良い物はすぐにわかるらしい。
それもオシャレな人は、すぐに気がつく。
足が痛かったお陰で、素敵な靴に巡り会えた。
ほらね、人生すべて塞翁が馬でしょう。
身の周りの余計な物を捨てて、シンプルに生きようという風潮だけれど、私は無理。
ときめかない物は捨てなさいと言われても、ときめいたから買ったのであって、それを着ようが着まいがこちらの勝手。
物を捨ててスッキリと暮らせる人はそれでいい。
物に囲まれて一日中捜し物して、気がつくと日暮れ時、今日も1日ムダにしたと思っても、それがどうした。
別に悪くないと思うけど?
頭悪いと言いたいのだろうけれど、それがなにか?
それより、自分の考えを人に押しつける人の方が嫌。
本当に頭の良い人なんて、世界に一握りしかいない。
あとはドングリの背比べ。
簡潔に暮すのも乱雑に暮すのも、人それぞれ。
ゴミ屋敷の住人は、周囲からかまわれるのが嬉しいのではないかと、密かに思っている。
あれは本当に近所迷惑。
あれほど他人に迷惑掛けなければ、私だったら余計な口出しはしないと思うけれど、目の前の家があんな風だったら、きっと鬼の形相で怒鳴り込んでいくと思う。
それほど人は身勝手。
物を捨てないのがまるで罪の様に言うのは、やめてほしい。
私はガラクタに囲まれて、すごく幸せに暮しているのだから。
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