2018年7月19日木曜日

焦熱地獄

今年の災害は90年に一度の水害、その後の猛暑。
西日本では家を流され、家族を失い、この猛暑の中で元気を出してと言われても耳に入らない人が沢山いる。
ボランティアの人たちは本当に善意なのだけれど、被災者たちはときには悩まされることもあるらしい。
元気だしてくださいと言われても、誰が元気になれる?
寂しいだろうと話しかけたりするのも迷惑なこともあるらしい。
心底落胆した人に慰めの言葉は虚しく響く。
この暑さでゴミの山は腐敗するだろうし、プライバシーのない避難所で着替えもままならない、お風呂にも不自由するし、今の自分のなにも起こらない状態がどれほど平和なことかと思う。
お金がたくさん欲しいとか、美味しいものを食べたい、きれいな服が着たいなどの欲は、ただひたすら生きたいという気持ちの前にはほんの小さなこと。
家族がいてごく当たり前に生活できることだけでもありがたい。

今朝ピアノ合わせの練習に車で出かけた。
徒歩でいきたいところだけれど、アスファルトの照り返しと蒸し風呂のような空気の中を歩く勇気はない。

玄関を出て駐車場まではほんの僅かの距離、目に刺激を感じる。
かゆいような痛いような。
空気が刺激物を運んでくる。
目一杯クーラーを効かせて走り始めた。

環状8号線。
今日も混んでいる。
走り始めてすぐに1台の救急車。
道を譲って暫く行くと、又救急車。
さっき左に曲がったと思ったら又前方に救急車。
ひっきりなしにサイレンが聞こえる。

甲州街道の陸橋で、間もなく左折する私は左車線へ。
陸橋のてっぺんのあたりの前方の車の様子に違和感があった。
別に普通に渋滞で停まっているだけのようにも見えるけれど、念の為、私はすぐ後ろにつけないで距離を開けて停まった。
すると2台前の車から人が降りてきて、自分の車のテールを調べている。
1台前の車からも人が降りてきた。
どうやら追突事故を起こしたらしい。
すぐに右車線に戻り走り抜けた。
万一これが事故発生から時間が經って警察が来ていたら、ひどい渋滞に巻き込まれるところだった。
この猛暑の中でイライラしながら車の中で茹で上がって、体調を崩していたかもしれない。
陸橋を降りてすぐ、対向車線に又救急車。
さっきの事故では負傷者がいないようだったから、別の事故か急病人。
私が走ってきた方向へ走り去る。
いったい今日は何台の救急車に出会ったことか。

アスファルト道路が揺らいで見える。
自然災害は人の驕りに対する天罰と言う人も居るけれど、災害をなくそうとして試行錯誤の末に逆に災害を引き起こすこともある。
砂防ダムの近くの自宅にいた高校生。
ダムは彼の祖父が自治体に働きかけて実現したもので、彼はそのダムを信じていたから自宅から離れなかったのかもしれない。

でも未曾有の規模の土石流はあっけなくダムを乗り越えてしまった。
彼の母親が早く逃げるようにと電話をしていた最中だった。
慰める言葉がみつからない。
祖父は自分がこのダムの実現を望まなければ、高校生のその孫はもっと早く逃げたのではないかと自分を責めていないだろうか。
母親はその子にもっと早く電話をしていればと悔やんでないだろうか。
それらを思うといたたまれない気持ちになる。
死はだれにでもいつかは訪れる。
一日長く生きたからと言ってそれが幸せとは限らないけれど、若くして亡くなるのは痛ましい。

猛暑が容赦なく襲ってくるので、いつもなら練習を終えるとランチでもとなるのに、今日は食べないほうが良さそうと言って帰ってきた。
昼ごはんを食べたら睡魔に襲われる。
特に今日のような暑さではただでさえ注意力が散漫になるのに、満腹になったらどういうことになるのか恐ろしい。
案の定、帰宅して軽い食事を摂ったら、めったに昼寝をしない私でもぐっすり眠ってしまった。









0 件のコメント:

コメントを投稿