2017年7月23日日曜日

さようならは言いたくなかったのに

私の人生の中でも最も心に残る人は美智子さん。
強さと優しさと繊細さと大胆さとを併せ持っていた。
自分の主張はどこまでも押し通すけれど、それでいて誰にも嫌な思いはさせない。
誰もが彼女のために働くことは厭わない。
むしろ喜んで進んで彼女のためになろうとする。
稀有な存在だった。

飾らない人柄が私と妙に共鳴して、ほんの数年前にお付き合いが始まったのに、生涯の友となった。
ふたりとも歯に衣着せぬところがあり、それでも私のほうが3歳ほど年上だったから、彼女の方がこちらに気を遣っていたかもしれない。
猫が好き、落語が好きというのも共通点だった。
私は怠け者で彼女は本当に努力の人というところで私は負けていたから、年下の彼女を私はとても尊敬していた。

彼女はイギリスに渡り彼の地で結婚して演奏して、ロンドンから演奏家を引き連れて日本で毎年コンサートを開いていた。
そのバイタリティーにはいつも感心していた。
ロンドンアンサンブルを知ったのは私の友人が美智子さんの同級生だったから。
いつも演奏会の案内を頂いていたのに、毎年都合が悪くて聴きにいくことができなかった。
不思議なことに当日熱が出たり仕事が入ったり、必ずと言っていいほどいけなくなる。
まるで誰かが妨害しているのではないかと思うほどだった。
そんなことが数年続いて、やっと聴いたときに私は仰天した。
なに、この上手さ!
単に上手い人達の集まりというだけではなく、絶妙なアンサンブルの凄さに圧倒された。

ヴァイオリンのタマーシュ・アンドラーシュ。
ハンガリーの名手でロイヤル・フィルの副コンサートマスター。
ヴィオラは彼の奥さんのジェニファ、彼と同じオーケストラのメンバー。
チェロはトーマス・キャロル。
彼の圧倒的な音と素晴らしい音楽性は絶賛され、彼の人懐こい人柄は誰からも好かれた。
フルートのリチャード・スタッグ。
美智子さんの夫である彼は、文学と音楽をケンブリッジで修め、BBCオーケストラの副主席奏者として活躍。
日本の尺八に魅せられて、ロンドンアンサンブルのコンサートでは羽織袴姿で演奏。
これがこのアンサンブルのいわば目玉となった。
物静かで頑固で、典型的なジェントルマンなのに、時々天然を現して美智子さんに叱られていた。
美智子さんは時々私に「あなたとリチャードは同じよね」と言った。
え、どこが?物静かなところが?
「天然だから」ん、もう。
なにいうてんねん。

そんなアンサンブルも美智子さんが亡くなった今、もう二度と聞くことはできない。
その喪失感は、半端なものではない。

美智子さんを偲んで友人たちが集まったお別れの会。
彼女の生前からのたっての希望で、木野雅之さんが演奏した。
木野さんとはロンドンでルームシェアをして一緒に住んでいた・・・と言っても男女の関係ではなく、良き友としての同居だったようだ。
そういうことが普通にできるものを美智子さんは持っていた。
木野さんは若い頃痩せていてその写真も会場に飾ってあったけれど、今はかなり重量がありそう。
彼に言わせれば「美智子さんの料理があまりにも美味しくてこうなってしまった」そうなのだ。
彼女はお料理名人だった。
特に凝った物というのではなく、普通の家庭料理を素敵に美味しく作ることができた。

木野さんの演奏は美智子さんが切望したことにふさわしい見事なものだった。
ヴァイオリンの弓が宙を舞って、無伴奏の難曲を次々に披露。
私はその中では「シャコンヌ」と「名残のバラ」しか知らない。

バッハ
無伴奏パルティ-タ第2番より シャコンヌ
サン・リュバン
幻想曲(ドニゼッティ「ランメルモーアのルチア」の主題による)
エルンスト
練習曲第6番「夏の名残のバラ」
タレルガ(リッチ編曲)
アルハンブラ宮殿の思い出

信じられないほどのテクニックで披露していった。
お口あんぐり!!!
エルンストのエチュードは私も興味があって楽譜を手に入れたことがあった。
でも楽譜を見てすぐに諦めた。
左指が7本くらいないと弾けないような超絶技巧。
左手のピッチカートは音がでない。
尻尾を巻いて逃げ出した。

木野さんは何事もないように平然と弾く。
彼に素晴らしいと賞賛の言葉を言ったら「いや、普通です」とさらりと言ってのけたのが憎い!
普通かよ、あれが?じゃあ、普通でないのはどういう演奏なのっ!
首根っこ掴んで詰め寄りたくなった。
彼の弓は全く重量がないように楽しげに弦の上で踊っていた。
美智子さんがいつも「木野くん」の話をするのがよくわかった。

美智子さんを偲ぶ人たちを見ると、老若男女、年齢、職業を超越して、彼女のパワーに巻き込まれて喜んでいた人たちばかり。
私もそのうちの一人で、彼女の最後の最後まで関われたのは幸せというか・・・最後を見たのが切なすぎるというか・・・
なんにしても私より早く逝かないでほしかった。
美智子さんは今頃天国で愛猫「トゥインクル」と戯れているでしょう。
うちのタマサブロウも仲間に入れてくれるよね。





















4 件のコメント:

  1. nekotama様
    親友と思っていた人に先立たれるのは、さぞやお辛いことと思います。
    「黄金のアデーレ」という映画の葬式シーンで、妹を亡くした姉の弔辞が哀しみを抑えながらユーモアのあるスピーチで、それを思い出しました。
    「妹とは子どものころからずっと競い合ってきました。今ここでスポーツに喩えると、先にゴールしたのは彼女だともいえますし、最後までリングに立っていたのは私の方だ、ともいえます」
    木野雅之さんの演奏、YouTubeでお聴きしようと思います。

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  2. ゴールが先なら妹が勝った?とでも。
    それなら美智子さんは金メダリスト。
    私はスピーチを頼まれたのですが、予期していなかったのでしどろもどろになって、彼女がアジフライが好きだったなんてことしか思い出せないで赤っ恥をかきました。
    最初から言ってくだされば寝ないで考えましたのに。
    「黄金のアデーレ」のスピーチ素敵ですね。
    なぜか日本人はこういうおしゃれなことが言えなくて、世界的に損していると思えませんか?
    木野さんのテクニックはとんでもなくすごいです。

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  3. nekotama様
    そういえば、この映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」、主人公のお父さんがストラディバリウスのチェロ(?)をひくシーンがありましたっけ。
    私にとっては、その年見た映画のベスト1でした。ナチスに奪われたクリムトが描いた伯母の肖像画返還を求め、国を訴えた女性の奇跡の実話です。機会があったら見てみてください。

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  4. おお、そういう映画ですか。
    私は映画に詳しくなくていつもnyarcilさまのブログで拝見したものを見ています。映画選びのセンスが抜群のnyarcilさまなので、きっと素敵な映画なんでしょうね。夏のコンサートが終わったら探してみますね。

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