2015年5月25日月曜日

カルテット

一昨日クラス会の案内状を送ったら、もう参加の電話をもらった。
でもそれなのに、声が出なくて話しも出来やしない。
相手も私の声を聞いてびっくり、しきりに電話したことを謝られた。
とんでもない、うれしい電話ですよ。

カルテットを組んで練習しているグループがある。
その内の1人から電話があった。
急なんだけど明日・・・と言いかけて、私の声を聞いてなにかためらっている。
メンバーの1人が風邪を引いたというので、私を引っ張り出そうと思ったらしい。
私が電話に出たらすぐにこの声ではダメだとわかったらしく、笑いながら諦めた。
声は2日前よりはずっと出るようになった。
最初は空気が漏れる音しかしなかった。

その内にカルテットにも来てねと言われる。
すごく有り難いし、私もカルテットは大好きなので行きたいのはやまやまだけど、今以上色々首を突っ込むと自分の首を絞めることになる。
私はカルテットになると目の色が変わる。
普段自分の曲はゆっくりやっているのに、カルテットになると気が狂ったように練習の虫になる。
曲を一から構築していくのは本当に面白い。
だから練習にはとても時間が必要になる。

しかし今で目一杯なのだ。
最近時間がゆっくりとれて、好きな曲にじっくりと向かえる様になった。
納得がいくまで練習できる。
忙しく仕事をしていた頃は全てが高速回転で、とにかくステージをこなすのに精一杯。
考えるひまもなかった。
今は曲の構造や音色に対する技術なども、ゆっくり考えられる。
これは本当に幸せな時間。
以前は派手に聴き映え良く弾くのが良い演奏だと思っていたけれど、今は作曲家の心の襞に入り込んで、共感することが務めだと思う様になった。
チャラチャラと賑やかに仕事をしていた頃はそれなりに楽しかったし、人が沢山集まってくるのが自分の世界を広くすると思っていたけれど、今は静かに深みのある音楽をしたいと願う様になった。
若さがなくなったと言えばそうなのかもしれない。
以前よりもずっと深いところで音を感じられるようになった。

年をとるのは良いことなのだ。
今カルテットを組むと、私は相手をつぶしてしまいそうで怖い。
これ以上もっとその上を目指すと、どうしても前に進めないことがある。
何回も何回も同じところを練習して、一種の偏執狂にならないといけない。

かつて何十年も一緒にカルテットを組んでいたチェリストに逃げ出されたことがあって、せっかく良い音になってもう少し上をめざそうとする私の要求が彼には重荷だったようだ。
大雪の降った日、最後に弾いたのはシューベルト「死と乙女」
交通がマヒしていたのに、お客さんは新幹線で岡山から来てくれるはずだった人を除いて、あらかた予定通り来てくれて、心に残る演奏会となった。

その後はお互いに他の人と組んで活動して、10年ほどしてからチェリストと再会したら、心底喜んでくれたのが嬉しかった。
確執があったのは演奏の部分だけだったから、彼も彼の奥さんも彼の友人も、皆が嬉しそうに歓迎してくれた。
又一緒にどうかな?なんて彼の友人には言われたけれど、それはもうダメでしょう。
たぶん進む方向が違ってしまっているから。
又私が鬼になったら、今度は完全に決裂しかねない。

ハイドンやドヴォルザークの後期の作品はとても難しくて大変だけれど、素晴らしい曲が多い。
それと、ベートーヴェンの後期の作品、もう一度弾きたい。
今なら若い頃より、もっと理解できると思う。

とかなんとかつぶやいていたら、咳が酷いことになってきた。
横になって眠れない。
昨夜はイスに座って夜を明かした。
ついに病院に行くことにした。


































2 件のコメント:

  1. 私の場合ですが、昨年酔って転倒して頭を撃ってから、頭がぼおっとしたり物忘れが激しくなったりしてました。心配になって先週病院に行って頭のMRIをとってもらったら、医者は「MRIで見て、脳は問題なし」とのこと。 結局、私たち年代の女性によくある、体調の変化によるものでした。('~`;)
    そんなこんなでいろいろありますね。 nekotama様も風邪だと思いますが、あまり心配しないで、ゆっくり直してくださいな。 

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  2. はい、ありがとうございます。
    こう見えて(どう見えるかわかりませんが)けっこう心配性。
    nyarcilさまもお気を付けて!
    ほんとうに人生いろいろですね。
    だから面白いのですが・・・

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