私の生存確認の電話が毎日のようにかかってくる。
パチンコ好きの男性に「パチンコ店に行ってはだめよ」と釘を刺したら「やってないよ、店があいてないもの」
次にかかってきた男性にその話をしたら「おれもそうなんだよ、その人によろしく。俺なんかパチンコしかすることがないからどうしようかと思って」
情けない、ふたりとも頭が禿げるくらい長生きしているのに、パチンコしか能がない?
2番めの男性が言うには「盛岡って良いところだよね。八幡平に行った帰りに列車の時間待ちでパチンコ屋に入ったら、出るは出るは10万円以上になってね、そうしたら店中の人たちが頑張れ頑張れって言うんだよ。もうやめようかと思ったけど皆が頑張れって言うからしかたなく続けたけど」
最後には13万円になったらしい。
彼の連れの女性は資金が足りなくなって、スキー場のホテル代を彼に借りていたけれど、その店で儲かったので、その場で借金を返したそうなのだ。
盛岡の人は本当にいい人たちだよな、と。
これで負けたらガラッと評価は変るでしょうけれどね。
そういえば盛岡では一度も嫌な思いをしたことがない。
毎年この時期、盛岡に集結するひとたちがいた。
盛岡に一泊して次の朝レンタカーで八幡平目指して走る。
初めて行ったときには、梅と桃と桜が一度に見られるので驚いた。
ひたすら走って定宿のホテルに到着。
そこからゲレンデまでひとっ走り。
毎年雪があるわけではないから、少ないときはゲレンデにまだらに残る雪を肩身の狭い思いをして滑る。
ところどころ切り倒された大木の切り株があったり、雷鳴が轟いたり、グズグズに溶け始めている残雪の間に蕗の薹が顔を出していたり、普段の整備されたゲレンデとは違う。
私達のスキーの仲間「雪雀連」はベテラン揃いだから、悪雪はそれなりに楽しんでいた。
その中に初めて参加したNさんがいた。
彼は切り株が好きだったらしく、滑り始めたとたん切り株に寄っていってひっくり返って脇腹を傷めた。
皆、息を呑んだ。
せっかく参加してくれたのに、初めて来てくれたのに、これでもう彼は二度とこないのではないか。
車で診療所に運んだ。
私の他に男性2名が付き添った。
Nさんは意外と元気そうで、痛みはするもののそれほど重大な怪我ではなかったようだ。
診察の間、私は心配で待合室にいたけれど、他の二人の男どもは不埒にもどこかへ出かけてしまった。
Nさんは私の友人のご主人。
監督不行き届きで怪我をさせ、奥さんになんと言おうかと心配していたのに。
彼はあまりにも堅物で、定年後楽しみがないと困ると言う奥さんからの依頼で、ここに連れてきたのだから。
やっと診察が終わってそれほど重症ではないというので、本当にホッとした。
帰ろうと思うのに、他の二人の連れが行方知れず。
周りを探し回ったけれど、どこにも姿がない。
しばらく探していたら、診療所のすぐ隣の家から聞き覚えのある大きな笑い声がする。
なんと、そこで二人はその家の住人とすっかり仲が良くなっておもてなしを受けていたようだ。
この人達は呆れるほどコミュニケーション能力が高い。
どこでも誰でもすぐに仲良しになってしまう。
Nさんは傷が痛むのでスキーはできないけれど、あとは普通にしていられる。
すると雪雀連の血も涙も持ち合わせのない会長が言う。
それも嬉しそうに。
「Nさん、スキーはだめでも運転できるよね?」
八幡平の山を滑るにはリフトなどないから、一人が犠牲になって車で皆を頂上に連れて行く。
皆が滑り始めたら、山を下って出発点で待ち受けて、又頂上まで連れていかなければならない。
普段なら交代で運転するけれど、滑れない人がいる以上その人に運転してもらえば皆スキーが楽しめるというわけ。
その日からNさんはお抱え運転手となって、皆さんに貢献した。
八幡平では雄大な山の横っ腹を一列になって斜めに滑り降りる。
下から風が吹き上げて、ゲレンデでは味わえない醍醐味。
下に降りると車道にでるけれど、段差があるからスキーを脱いで板を道に落とす。
そのあと人間が飛び降りる。
車が来るし、積雪の多いときには私の身長以上の高さがあって、それが怖い。
道の両側はやっと道が開通した頃なので、雪の壁が立ちはだかっている。
毎年通ったけれど、雪が少ないときは秋田側の八幡平まで行っても雪がなくて、ゲレンデで蕗の薹を摘んで帰ってくる。
それをホテルの玄関前でコッヘルとバーナーで天ぷらにしていたら怒られた。
次の年からはホテルの厨房で天ぷらにしてもらうようになった。
天ぷらにしたのはパチンコで儲けて借金を返した、某都立高校の女性教師。
教師たるもの、生徒たちのお手本にならなくてもいいの?
しかしお手本になるような人なら、雪雀連のメンバーとしてはやっていけない。
怪我をしたNさんは、あまりのひどい扱いに耐えきれずもう来ない・・・と思いきや、その時からすっかりメンバーに溶け込んでしまった。
下手に気を使われないのが心地よかったようだ。
八幡平から山を下って盛岡に戻る。
かならず寄る寿司やがあって、のっけからウニ、いくら、アワビなど、どんどん注文して恐怖に震えながらのお会計。
不思議なことにどれだけ食べても、3000円。
盛岡良いとこ一度はおいでと歌いたくなる。
遊びだけでなく、仕事でもよく行った。
仕事が終わって皆で飲みに行って、お品書きにどんこの唐揚げというのを見つけた。
どんこというのは私はしいたけの大きいのとおもっていたら、魚の名前だった。
しかも値段は時価だって。
貧乏音楽家は頼む勇気がない。
だいぶ酔ってから、皆気が大きくなったところで注文した。
出てきたのは大きな魚、しかも値段は高くなかった。
美味しかったなあ。
楽しかったし。
盛岡には随分久しく行ってない。
もう山スキーができる状態ではなく八幡平もご無沙汰だから、もう一度行く機会はないかもしれない。
こうして思い出の中に沈むしかないのは、少し癪だなあ。
今朝の陣中見舞いの電話で思い出したこと、まだまだ色々あるけれど。
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