近所の小高い丘の上にある公園まで散歩した。
丘に登る少し手前に小さな和菓子屋さんが、ひっそりと佇んでいる。
こんな場所で商売が成り立つのかしらと思っていたけれど、一向に潰れる気配もなく、ある日どんなものかと入ってみた。
それがなんと、上品で甘さ控えめで、こんな美味しい和菓子は久しぶりに食べた。
見た目もきれい。
最寄り駅近くに有名な和菓子店があるけれど、高いばかりで味はすぐ飽きてしまう。
きっちりと作られていて隙がないので菓子が可愛くない。
進物には見栄えもいいしブランドではあるけれど、毎日食べたいとは思わない。
それに引きかえ公園そばのお菓子は、いつも家に置いて時々つまみたくなるような優しい味がする。
これはこれは!
今朝は開店時間に合わせて出発。
公園のてっぺんに着くまでが20分くらい。
そこで5分休憩、下り始めてから5分弱だから30分前に出よう。
今日のおやつは道明寺かな、柏餅かな?
ちゃんと計算して出たのに開店時間が早かったらしく、私が丘に登り始める前に店開きしていた。
驚いたことにお客さんが数人、もう並んで待っている。
こんな事は初めてだった。
私が商売は大丈夫かと心配するくらい、いつもお客さんを見たことがなかったので。
緑色の幟がはためいている。
ああ、そうか今日はこどもの日。
柏餅を買うためにならんでいるのだと、やっと気がついた。
子供がいないと、毎日が変化に乏しい。
ときには曜日がわからなくなる。
和菓子店で柏餅を売っているのは知っていたけれど、今日がこどもの日という認識が飛んでいた。
今日にかぎらず物事すべて飛んでいってしまって、何曜日かわかるのはゴミ収集日だけ。
私には2人の兄と3人の姉がいるけれど、我が家の力関係は女子が圧倒的に強い。
女の子の節句にはお雛様が盛大に飾られた。
子供が乗っても大丈夫なくらい頑丈な雛壇。
男雛の刀まで抜けるような細工の細かさ。
目は描いたのではなく、ガラスのようなもので出来ていて光があった。
当時はどこの家にもネズミがいて、人形はネズミに齧られないように丁寧に顔を和紙などで保護してしまわれていた。
それに対し、端午の節句はほとんどお祝いされなかったのはどうしてなのか。
昔の古い家なので、長い廊下があった。
その廊下が鉤の手に曲がった離れの奥には、子どもたちはあまり近づかなかった。
なぜかと言うと、戦後まもなく家を失った人がそこに住んでいたから。
座敷でなく廊下に大きな荷物と布団が置いてあった。
いつの間にかその人が居なくなった後も、そこは少し近寄りがたい場所だった。
そこに端午の節句用の鎧兜と鍾馗様の人形がいて、私はその人形が怖くてたまらなかった。
見知らぬ人と髭面の鍾馗様は、私には不気味に見えた。
その代わり鯉のぼりが大好きなのに家に鯉のぼりがなかったのが不思議で、私は紙を貼って鱗を書いて自作鯉のぼりを作った。
派手好きな父が鯉のぼりを買わなかったのはどうしてか。
今でもそれが不思議で仕方がない。
男の子が二人いて、しかもふたりとも優秀で自慢の息子たちだったのに。
数年前長兄が奥さんに先立たれ、時々妹の私達を昼食に招いてくれる。
兄の手料理はとても美味しく家の中はきちんと整頓されていて、主夫の鑑。
これが私の本当の兄弟なのかと訝しくなる。
そのときに、昔話を兄から聞かされるようになった。
それでわかったのは、父と兄はあまり気が合う方ではなかったということ。
というか、父からのプレッシャーがきつかったのかもしれない。
兄は父から「お前は謂わば皇太子なんだからしっかりしろ」といつも言われて、それがとても嫌だったようだ。
もちろん我が家は皇族でもなんでもない、どこの猫の骨かわからない庶民なのに。
そのへんは子供だった私にはわからない。
父と息子というのはそんなものかもしれない。
それで鯉のぼりがなかったにしては、鍾馗様の人形、鎧兜は大きくて立派だったから、すべて謎。
両親は長姉を溺愛していた。
その姉は甘やかされ大事にされすぎて、亡くなるまでお姫様気質だった。
姉の写真がアルバムの大半を占めていた。
お宮参りや小学校の入学のときなどの節目に、プロが撮ったと思われる素敵な写真。
それに姉は女優のように美人だった。
私の写真?殆ど見当たらない。
家族の集合写真の中で、母に抱かれているのが一枚だけ。
それもシャッターがおりた瞬間のけぞったらしく、顔が半分だけ父の陰に隠れている。
姉に美貌の大半を持っていかれたので、私は残り物で出来ているです。
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