2015年7月15日水曜日

うつろい

右手にバナナ、トマト、左手にお豆腐をぶら下げての帰り道。
私の家のすぐ傍まで来ると、川沿いの桜並木の途中でおじさん1人。
西の方の空を見あげている人がいる。
つられてそちらを眺めると、まあ、なんて素敵な夕焼け。
しばらく私も見物。
家に戻ってから、そうだ!写真を撮っておこうと思い立った。
すぐにスマフォを手にして川沿いの道に出る。
その間ほんの5分ほど、いや、もう少し短かったかもしれない。

しかし、真っ青な空に輝いていたバラ色の雲は、すでに暮れかかっていた。
こんなに早く消えてしまうとは。
撮れていればここに掲載できたのに。
みなさんにお見せしたかった。
今日1日、本当にきれいな日だった。

246号線を神奈川側から東京方面へ向かって走っていたら、陸橋の上に夏の雲が大きく広がっていた。
夏の空は雲も力強い。
子供の頃は夏は蝉とり、海水浴、花火大会、お祭りなど、それは楽しかったけれど、いつの間にかそんなことも忘れるようになった。
雲を見て、一瞬夏の楽しさを思い出した。
最近は熱中症の危険ばかり考えて、夏が嫌になっていたけれど、今日の日はいかにも懐かしい感じのする夏日。

昨日のクラス会の参加者から、メールが届く。
楽しかったと言ってもらえるのは、やはり嬉しい。
私たちを1日の時間に例えれば、夕方から夜に差し掛かっている年齢になった。
元気に生活出来ているのはすごく幸せ。
今の私の人生の黄昏時は、ちょうど今日の夕焼けのような日差しだと思っている。
優しい人達に囲まれて音楽を楽しんで、猫も1匹だけになってしまったけれど、飼っていられる。

最近、世界がざわざわしている。
殺戮に明け暮れている国でも、夕焼けは同じようにきれいだと思う。
その美しい風景の下で、人が人を攻撃することの愚かさに、気がついてほしいと、心から願っている。
狂った心が不幸を呼び込む。
それでも人類が増えすぎれば自然淘汰で、流行病や戦争が起きるのは必然とか?
いえ、絶対そんなことはない。
なぜ憎しみでしか他の国とつきあえない人達がいるのか、どうしても理解できない。
彼らも必ず、誰かに愛されていると思うのに。

自然も最近狂っているらしく、大きな災害が巻き起こっている。
でも、それが本来の姿なのかもしれない。
私たちが文明の力に頼って安楽に暮していくのが、そもそも間違っているのかも。

あっという間に外は真っ暗。
今日一日の幸せを感謝。
いつもはあまり宗教的でも哲学的でもない自分が、こんな風に物事を考えるのは久しぶりのことだった。

私らしくもない文章を恥じて、おかしい話しをひとつ。

友人のご主人Tさん。
あるとき九州に行って蕎麦屋に入った。
Tさんは親族のお葬式だったので、黒服、日差しが強い時だったのでサングラス着用。
なにやら辺りが騒然としていて、黒服の人がたくさんいる。
どうやらその辺りのやあさんの親分が、抗争でなくなったらしい。

蕎麦をたべていると、やあさんの子分さんが話しかけてきた。
「本当につらい、かなしい」と。
それでTさんは自分も、やあさんの身内の1人と思われていることに、気が付いた。
さて、どうしようかと考えた。
なにか言ってまずいことになってはいけない。
抗争の内容も知らないので、コメントも出来ない。
それで「明けない夜はない」と言ったそうだ。

Tさんはどっしりとした風貌で声も太く、黒服とサングラスをかけていれば相当貫禄があるから、子分もいかにも感に入ったに違いない。
その子分さんの将来を明るくしてあげたのではないかと思う。
暮れない昼もないけれど、明けない夜もない。
すべて輪廻転生。
おや、私今日はなんだか哲学的では?















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