2013年11月16日土曜日

泣いたり笑ったり

姉の葬儀があって兄弟が皆集まった。
家族葬だから姉の3人の子供達とそのいとこ達、姉の娘婿のお母さんとその家族。
ほんとうにわずかな人数で簡素だったが、和やかに(葬式にふさわしい言葉では無いが)執り行われた。
姉もかなり高齢まで生きたし、最後まで元気で人の手を煩わせる事無く生きられたのは幸せだったと思う。
私の家系はどちらかというと陽気なうちだから、兄弟が揃うと冗談ばかり言い合う。
たとえ葬式でも女どもはおしゃべりに余念が無い。
それでも姉の死は悲しいので、泣くかと思うと笑ったり、笑っているうちに涙がこぼれたりでたいそう忙しい。
今日は午後から仕事も入っていたのでヴァイオリンを持って出かけた。
昨日まで全くそんな気持ちはなかったのに、姉には子供の頃へたくそな練習をさんざん聞かせたのだから、今日は罪滅ぼしに少しはいい音をきかせたい・・・急に思いついた。
楽器も持って行くことだから一曲だけ姉のために弾こう。
時間より少し前に着いたのでヴァイオリンを出して皆が来る前に祭壇の前で「タイースの瞑想曲」を弾いていたら、急にこみ上げるものがあって涙がこぼれた。
式場の人が「タイースの瞑想曲ですね。実はBGMでその曲をかけようと思っていたのです。お花を入れるときに弾いて頂けないでしょうか」と訊いてきてので、もう一度弾く事にした。
納棺の時に私だけ先にお花を入れてヴァイオリンを弾く。
「瞑想曲」とヘンデルの「ラルゴ」
終ってから姉の子供達に感謝された。
次兄が言うには、私が背中にヴァイオリンを背負って合掌していたら、ヴァイオリンのケースからさあっと光が迸ったのを見たらしい。
皆が「きっと姉が感謝してくれたのだ」と言うから、子供の時より少しはましな音を聴いて喜んでもらえたのだろうか。
次兄は数学者だから理屈に合わないことは信じない方で、その兄が見たというのは不思議な気がする。
とにかく順番だから、この先兄や姉達が逝った時にも私はヴァイオリンを弾かないと不公平になる。
私の時は誰が演奏してくれるのかしら。
姉の死は悲しいけれど兄弟が集まって賑やかにしているとマーラーの「巨人」を思い出す。
巨人が死んで森の動物たちが集まって嘆き悲しんでいるが、その内に愉しくなってワイワイ騒ぎ出すというあの音楽。
葬送行進曲から突然田舎の楽隊風になって・・・私が大好きなあの場面が重なり合ってしまった。




















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