2011年10月22日土曜日

慟哭

私の仕事場の音楽教室「ルフォスタ」のオーナーであり教師である小田部ひろのさんが亡くなった。10月21日午後3時、ご家族に囲まれ眠りについた。まだ50代、まだ若すぎる。彼女はクラリネット奏者で、その人目を引くエキゾチックな美貌と頭の良さ、そして何よりも心の豊かさで人々から愛された。どんな人でも彼女にひきつけられる。それは彼女が誰のことも楽しくさせてあげたいと、いつでも願っていたから。よく訊かれた。「どうしたらみんなが楽しめるかしら?」
今から17.8年前になるのだろうか。心優しい小田部さんは「大人のためのオアシス」のような音楽教室を作りたいと考え、それに賛同した教師5人ほど、生徒はわずか数名で渋谷の小さなマンションに教室を開いた。その教室を立ち上げる前に、やはり渋谷で教えていた彼女は経営者の拝金主義に嫌気がさして、本当に音楽を楽しませてあげられることを理想に、仕事に疲れたおじさんたちがここへくればホッとできるような空間を作りたいと言って、自ら教室を経営する決心をした。そして、その教室は初めのうちは理想通りのものとなった。毎日が愉快で希望と笑いにあふれていた。しばらくして人気の出た教室はいつしか生徒も教師も増え、手狭になったため青山通りに面した大きなマンションに移転した。しかし、その頃から教室の雰囲気は以前のような自由な雰囲気は消えてしまった。一般社会の規則が教室に入り込んでくるにつれて、私と小田部さんの間で軋轢が起きた。あくまでもオアシスを目指す私と経営者としての彼女とは、ことごとく対立してもう修復不可能かと思ったけれど、どちらからも離れようという言葉は出なかった。文句を言いあいながら、それでもお互い信頼しあい、旅行にもよく一緒に出掛けた。今から数年前、乳がんの手術をした後血液にも骨にも、そしてついに肺にまで転移して、苦痛に耐えながら仕事をしている彼女を、私は全力でサポートすることにした。本当にいい音を出せるアマチュアオーケストラを作りたいというので、秦野まで通ってトレーナーとしてプレーヤーとして協力してきた。そして第一回目の素晴らしいコンサートのあと一部の人に造反され、どれほど悔しい思いをしたことだろうか。そのことも彼女の命を縮める一因となったに違いない。そして分裂の後の新オーケストラ「西湘フィルハーモニー」も非常に良い演奏ができた。そのことがせめてもの慰めとなったと思うけれど、すでに体は蝕まれて命は消えようとしていた。激しい痛みに耐えながら最後まで人に尽くすことを貫き通し、天に昇ってしまった小田部さん。教室の名称「ルフォスタ」は「ルック フォー スター」を短くしたもの。星を見上げて願いをかなえようという理想を掲げ、教室の太陽だった彼女は、今自ら星になって人々を照らしている。今の私は泣くことしかできない。

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