2011年10月28日金曜日

小田部ひろのさん





この写真はルフォスタ創立当時にみんなで横浜の動物園に行ったときのものです。



ルフォスタには多士済々、いろいろな職業の人が来ています。中でも、金沢八景の動物園の飼育係の方は口笛の名人で、発表会に口笛を吹いて出演した。あるとき、コアラに触らせてもらえると聞いて動物好きな私たちは小躍りして喜んだ。集合写真で数えてみたら19人、撮影者をいれて20人。



早朝にも関わらず(と言うのは混まないうちにという飼育係さんの配慮から)勇んで動物園へ。初めて見たコアラは本当にぬいぐるみの様だった。コアラの飼育係さんは口笛の人とは別の人だったけれど、親切にコアラを左手で持ち上げて一人ずつ触らせてくださった。小田部先生のうれしそうな顔が上の写真。



写真を見て気が付いたのは、初めのうちは飼育係のお兄さんも嬉しそうに抱き上げてくれていたけれど、お終いの方の人になると、明らかに疲れてもう限界って顔をしている。重たいのによく長い間捧げ持ってくれていたと思う。このころは小田部先生と私の間柄は非常に良好で、毎日笑ってばかり。面白いことを次々と考えて実行に移し、発表会はおじさんたちの汗やため息と笑いで、もうひっちゃかめっちゃか、打ち上げは止めどもなく盛り上がり、ジャズの教師とクラシックの教師も仲良く一緒に演奏していた。それを一番楽しんでいたのが小田部さん。みんなが楽しむのを本当にうれしそうに見ていた。そのうち、大きくなった教室は外部からスタッフが入ってきて急に規制が増え、そのことで私とはずいぶん喧嘩もした。喧嘩をして彼女が反撃に移る前に必ず、負けないもん!と言わんばかりに口を一文字に結ぶことが思い出される。しばらく冷戦状態が続いたあと、やはりこのままではいけないからと和解して、それからは以前と変わりなく仲良く一緒に歩いてきた。普通の会社などと同じような厳しい規制はそのうちにユルユルになった。私の突き崩しと、小田部先生の元々優しい人柄がそうさせたようだ。一度教師たちのためのコンサートが開かれ、ほとんどの教師が出演した。その時聴きに来た人が、小田部さんの吹いたクラリネット五重奏が一番良かったと言っていた。クラリネットの音が暖かく素晴らしかったそうだ。最後まで人のことしか考えなかった小田部さん。激しい痛みをおくびにも出さず、私を含めた数人以外にはほとんどの人が彼女の病状の深刻さに全く気がつかなかった。痛む足をかばいながら、オーケストラの団員のために椅子を運んだりしているので、もうやめてくださいと何度もお願いしたけれど、決して手伝うのをやめなかった。モルヒネで朦朧としていないときにはメールの返事もすぐ来たのに、ある時ばったりとそれもなくなって、ああ、もうだめなんだとわかっていても、まだ希望は捨てきれなかった。そして、危篤の知らせを受けて、病院へ息せき切って駆け付けた時、まだ苦しい息をしていて、私の呼びかけにウンウンと頷いて、そして待っていてくれたかのようにスッと息を引きとってしまった。ひどいじゃないですか。私より若い貴女が私を飛び越して行ってしまうなんて。ちょっと鼻にかかった可愛らしい声で「ねえ、先生、旅行に行きません?」っていつも聞いてきたのに、今度は一人で行ってしまった。思えば人の何倍もの濃い人生だったのかもしれない。最後に作り上げた西湘フィルは彼女の命の結晶となって、発展していってほしい。夢を実現してルフォスタの信念を貫いた小田部さん。やすらかにお休みください。



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