「マス」の仲間はパールマンをはじめとする世界的な演奏家たち。私の仲間は飲兵衛のAちゃん、酒豪のHさんとほぼ下戸の同じくHさん。「マス」よりも大きい「サケ」をこよなく愛する人達。
酒豪のHさんは珍しく飲みすぎたと言って今朝は朝食をほとんど食べなかった。この珍しくというのは飲み過ぎのことではない。いつも彼女は飲み過ぎだから。飲んだ挙げ句に食欲がないというのが珍しい。コロナの引きこもりで家でもあまりお酒を飲まなかったため、腕(喉?)が落ちたらしい。朝食は昨日の余り物の筑前煮、卵焼き、焼海苔、味噌汁と和風に仕立てた。
昨日の昼過ぎ食料をたくさん積んだ車到着。高速を出てから地元の市場やスーパーマーケットに寄ってなにか買い込んできたらしい。そのときに昼食用にと言って、北軽井沢の名物の花豆を使ったおこわと下戸のHさんが煮てくれた筑前煮を持参。それから楽しい話が繰り広げられて久しぶりの再会を喜んだ。思えば今年はじめにコロナの感染が始まってから、ほとんどの人と会わなくなってしまった。時々電話で話をしても皆なんだかぼんやりしていて覇気が感じられない。あんなに冗談が好きで陽気だった人たちとは思えないほどだった。面白いことに、この中で一番頭の切れる酒豪のHさんが一番落差が激しい。他の人たちは普段から能天気で、それがコロナのせいか天然なのかよくわからないので。
昼食後は散歩がてら夕暮れの浅間牧場を訪れた。浅間山は頭の上に雲を乗せて、その雲と同じようなかすかな噴煙を上げていた。どちらが雲でどちらが噴煙かわからない。夕日が山や牧場を柔らかく包んで、ずっと昔子供の頃に見たような風景が広がる。懐かしいような寂しいような美しい景色だった。牧場から下って北軽井沢の交差点近くの武蔵川温泉でお風呂に入った。レトロな格子戸のある風情あるホテルで、湯上がりにくつろげるロビーは手入れの行き届いた庭園に面している。そこでしばし湯上がりのほてりをさまし、ビールが待っている我が家に戻った。
最初のうちはいつものペースにもどれなかったけれど、こうして集まると徐々に調子が上がってきて夜中まで話題は尽きない。酒豪のHさんはコロナ謹慎中は家ではほとんど飲まなかったそうで、飲むにつれピッチが上がっていく。すっかりへべれけになって寝てしまった。それで今朝の朝食が食べられなかったというわけ。
今日も暖かく晴天でほとんど無風。それで去年は完成したばかりでまだ貯水のできていなかった八ッ場ダムを見に行くことにした。去年完成後すぐに台風が来て、全国にとんでもない水害を起こし信濃川が反乱した。その台風のときに八ッ場ダムは一気に満水になった。去年はまだ水没していない街と鉄道の線路が見えた。これらがすっかり水の中に沈んでしまった。そしてその周囲は紅葉の名所。両方見られる。北軽井沢からはさほど遠くなく、山の中を進んでいく。酒豪のHさんはこのへんから従来の切れ味を発揮し始めた。めっぽう方角に強い。方向音痴の私は一回角を曲がるともう西も東もわからなくなるというのに、彼女は常に自分の居場所を心得ている。
八ッ場ダムは去年とは打って変わった景色になっていた。満々と水をたたえて紅葉の山を背景に静かに佇むダム湖。この下に一つの街がすっぽりと埋まっているのだ。
もう一度北軽井沢に戻って私だけ自分の車に乗り換え、そこから御代田にある地粉やというお蕎麦屋さんに行くことにした。もう昼食時間をだいぶ回っている。お店に到着したときにはすでに本日の分の粉は終了していた。お蕎麦が食べられないのでは意味がないから、少し戻って浅間サンラインの入り口そばの「きこりや」という蕎麦屋へ行った。「地粉や」のお蕎麦がぜひ食べたいという下戸のHさんのたっての希望だったけれど、「木こり」も十分美味しい。そこで食事の後、私は山を登って帰宅、客人たちは東京までの長いドライブ。道中の無事を祈った。
今夜はまた一人ぼっち。みんなが残していったおせんべいをかじったり、チョコレートをつまんだり。これがいけない。体重が増えると膝や足首が痛くなる。
せっかく来てくれたのに一泊しかできないのは残念、友人たちまだまだ現役で頑張っているから仕事の都合で仕方がない。私は彼らが早く失業しないかと密かに願っているのだ。誰かが一緒にいる、それはそれで煩わしいかもしれないけれど、でも幸せなことなのだ。でも尊敬する我らが同士は皆さん生涯現役を貫き通すだろうと思う。頭も体も超丈夫な人たちだから。何だかんだ言いながら私は一人でいるのが好き。でも自分よりももっと好きな人ならずっと一緒にいられるのだろうな。今は猫が我が友。その同居人(にゃん)は北軽井沢に来る前は風邪気味で調子が悪かった。けれどこちらに来ると自宅にいるより食欲が進むらしい。今はすっかり元気になった。
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