2015年6月24日水曜日

モヤは散歩に出てしまいました。

今朝フラッと散歩に出てもう帰らないと言うから、長いことうちに居てくれてありがとうと言って送り出した。

昨日朝、水を飲ませようとしたら、全力で拒否してきた。
ああ、もうこれはダメだと思ったので、静かに寝かせてあげた。
夜になっても、もう起きることはなくて、明け方にはまだ息をしていたけれど、その後すぐに亡くなったらしい。
私は明け方特に眠りが深くなるので、一旦息をしているのを確認した後は安心して眠ってしまった。
その間にひっそりと逝ってしまった。

モヤはいつもそうだった。
ひっそりと、涼やかに、楽しげに生きていた。
夜中に何回か私を呼ぶ声で目が醒めて側に行くと、目を開けてしばらくこちらを見るけれど、たぶんもう見えて居なかったと思う。
モヤは元々酷い眼病を患っていたところを保護したので、若い頃から目は白濁していた。
視力は極端に悪いようで、それでも持ち前の勘の良さで家中を飛び回っていた。

母が入院していた市立病院の庭で、目をピンポン球くらいに腫らして、それでも蝶々を追いかけて遊んでいた。
獣医さんに連れて行くと、治療が終ってから「ここまでしたら飼うっきゃないよね」とヒゲの先生に言われ、うちの子になった。
治療しても目は白く濁ったまま。
わずかに左目が少し見えて居るようだった。
ヒゲ先生が記録したカルテには、保護したのが17年前と書いてあった。
保護したとき何歳かはわからないけれど、17歳は越えている。

少し喘息の気があって、低気圧が来る前にはゼイゼイと息が苦しそうだった。
私の枕で寝るのが好きだったのに、横暴なたまさぶろうが追い出すので、だんだん来なくなった。

一昨日、珍しくしばらく私の枕で寝てくれた。
ペーストを美味しそうになめてくれたり、鰺を食べたがったり、紐で遊んでくれたり、元気になるかなと思っていたけれど、あれは最後の親孝行だったのだ。
私が喜ぶので、そうしてくれたのかな。

この1ヶ月「モヤちゃんお願いだから食べて」と言ってエサを食べるように強要したのは、ひどいことだったかもしれない。
知らん顔して、静かに過ごさせてあげれば良かったかもしれない。
いつでも悔いは残る。
どの猫にも完璧にしてあげたという満足感はない。

自分の死にたいする心構えは、猫たちが教えてくれた。
ムダな治療は拒否して、自然に消えようと思っている。
モヤ、沢山の幸せをありがとう。
モヤがいてくれたから、私はすごく助けられた。
モヤとは猫と飼い主の枠を越えた、強い絆を感じる。

さきほど、たまさぶろうと同じ霊園にお願いしたけれど、モヤはたまが嫌いだったから今頃文句を言っているかもしれない。
たまはモヤが来て喜んで傍によっていって、猫パンチを頂戴したかも。
仲良くやってね、2人とも。























0 件のコメント:

コメントを投稿