2012年11月12日月曜日

小田部ひろのさんを偲んで

世田谷のOさんの家に集まった。命日の10月21日に少し遅れたけれど、十数人午後からちらほらと自分の都合の良い時間に来ては奥様の手料理を戴いてお酒を飲んだ。こんなことが小田部さんは大好きだった。いつも老若男女を問わず小田部さんの周りに人がいて、楽しい輪ができあがる・・・そんな人だった。溢れるようにアイディアがわいて、そのたびに少し鼻にかかったような声で「ねえ、先生こんなことはできるかしら」と相談を持ちかけられた。それがルフォスタの立ち上げだったり、西湘フィルの創立だったり、ここ一番と言うときに引っ張り出されて「しょうがないわねえ」とぼやきながらも、つい手伝ってしまわされるようなところが彼女にはあった。美しくチャーミングで頭が良くて少し頑固で、私とは本気で喧嘩をしたのに、どちらからも訣別という選択は出なかった。私もこんなによく喧嘩をしたのは彼女以外にはいない。ぶつかり合いながらも、ガンの末期になって足が痛い彼女を渋谷の教室に迎えに行ったり、息を引き取る間際枕元で旅立ちを見送ったり・・・。本気で喧嘩できたからこその身近な存在だった。ガンの痛みに耐えながら一緒に旅に出て、カッパドキアで熱気球に乗って並んで夜明けの空を見ながら「天国ってこんなところかしら」と話し合った、その天国へ行ってしまった小田部さん。すでに7年くらい前に乳がんの手術をした時に、リンパ節への転移が見られ、でも腕が上がらなくなってクラリネットが吹けなくなってはいけないと言って切除を拒んだ。覚悟の上での選択だった。ずっと死と向かい合いながら、私とほかの2人くらいしか、そのことを知らなかった。最後まで楽観的で、最後の最後まで人のために奔走して、まだまだ彼女の存在は私たちの中で消えてはいない。皆でお酒を飲みながら笑って語り合っている傍で、何時も座って一緒に笑っているような気がする。

3 件のコメント:

  1. S@西湘フィルVn2012年11月13日 15:52

    西湘フィルのVnのSです。最近はよく小田部さんのことを思い出します。そして夢の中で会っています。自分自身と西湘フィルについて、果たしてこれでよいのかと自問を続ける毎日です。なるようにしかならないのかもしれませんが、時間の経過は残酷ですね。しかしそれはさておき、自身のVnには磨きをかけていきたいです。一時は本当に「これ以上はもう望めない・・」と上達をあきらめかけたこともありましたが、耐えてスケールを毎日弾き続けてきた成果が出たのでしょうか、最近は左手のフレームがしっかりしてきたように感じます。これを忘れないように継続しなければ・・・

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  2. Sさん、コメントありがとうございます。西湘フィルにもご無沙汰しています。みなさんお元気でしょうか。上達はあきらめないで。この歳の私でも毎日なにかしら発見していますから。でも波があって上手くいくときとどうしようもない時と、毎日コンディションはちがいますから、いちいち気にしないで長い目で目標に向かいましょう。小田部さんがいてくれたらと何度も思います。まだ私の夢には出てきてくれないのですよ。羨ましいです。

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  3. 久しぶりの休日を利用して片づけをしています。16年前渋谷ヤマハでクラリネットを小田部先生に教えて頂きました。ちっとも上達できず、3年位で諦めました。その頃小田部先生は乳がんが見つかり、慶応義塾大学病院の先生にかかっていました。私は小児科ですが、医師なのでもっと治療を受けてほしいとしつこく言ってしまいました。
    先生といてはクラリネットを第一に考えての選択だったのですね。きょう整理して
    もう私はクラリネットを使わないと思い、小田部先生にお願いしてどなたかお使いになられる方がいらしたら、差し上げたいと思い、電話をかけましたが、既に使われていない、ということでインターネットで小田部先生を検索致した次第です。
    本当にきさくな方で、亡くなられたことを知り、がっかりいたします。
    お嬢さんはお元気でしょうか?
    クラリネットもおしゃべりも沢山致しました。先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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