2017年5月23日火曜日

お客さん

うちの敷地内にいつの間にか生えた木が成長して2階のベランダまで枝が達している。
夏は葉が茂り、暑い日差しを遮ってくれて省エネになるけれど、お隣は枝が伸びてくるのがうっとおしいらしく、切ってもいいかと訊いてくる。
言われるのは嫌だから、毎年、葉が茂る前にこちらでお隣に侵入する分を切ってしまう。
それで妙な格好の枝ぶりになっていささか可哀想で、近所の人がいっそのこと全部切っちゃえばと言うのを無視して、半身だけのみじめな姿でも愛でている。

その木にあまりきれいではない花が咲いて実がつくころ、小鳥たちがやってくる。
最近は鳥インフルエンザなどもあるから野生の鳥にたむろされるのも困るけれど、ガラス窓越しに見ている分には可愛いもの。
首をちょっと傾けて横目で見る姿が可愛い。

以前から気が付いていたけれど、彼らはどうやらヴァイオリンの音に反応している。
先日は気が付くと、ベランダの手すりにヒヨドリが4羽、ダークダックスみたいに並んでこちらを覗いていた。
お客さんがいると張り切っちゃうなあ。
等間隔に並んで全員がこちらを見ているから、可愛いのなんのって。
どうやら波長が合うというか、仲間の鳴き声と同じようなサイクルなのか、なかなか面白い。
上手下手の区別はないのかしら。
以前私が飼っていた猫は私が音程を外すと、それまで足元でうずくまっていたのに、キッと顔を上げてフンと言った(ように思えた)
チューナーの代わりに飼っていたのだけど(うそ)

スズメたちは、私が練習を始めるとさーっと近所の電線から舞い降りてくる。
ヴァイオリンの音は甲高く、小鳥の鳴き声の周波数とシンクロするのかも。
長居はしないけれど、明らかにヴァイオリンに反応するのは確か。
というか・・・・この木には大きな青虫が付く。
どちらかと言うと、音よりも食べ物に反応かもしれない。
音がする方に行くと、おいしい青虫が食べられるとかなんとか。

毎年葉が茂ると、バッサバッサと切り落とす。
その葉を始末するときにうっかりすると、猛烈痛い目にあう。
大きな青虫が刺すので。
何回も刺されても毎年忘れて、素手で始末。
刺されてやっと思い出す。
小鳥たちは、食べるときに痛い思いはしなのだろうか。

ことしは茂ってからでは大変だから、芽の出た頃に伐採。
気(木)の毒でならない。
せっかくこの世に生まれてのびのびと天に向かって手を伸ばすと、いきなり切られてしまう木の気持ちになってみよう。
そうやって幼い頃に、才能の芽を摘まれた気の毒な子供がたくさんいると思う。
でも親が気にかけてくれた子供はまだ良い。
私の様に放置され、なんの教育もされなかったというのは本当に残念。
親がもう少し基礎的なことを叩き込んでくれたらなあと、いつも思う。

ヴァイオリンを始めたのが8歳。
プロになるには遅すぎる。
しかも10歳から2年間、稽古をやめている。
これも致命的。
周りの人たちの様に良い先生にも付かせてもらえなかった。
最初は近所のアマチュアのお兄さんが教えてくれた。
ソルフェージュも習わせてもらっていない。
でも音程はわかるのが不思議。
これは遺伝子に音が組み込まれていたのかも。
母はわたしに音楽なんかさせたくなかった。
それでも音楽家になってしまった娘を、母は生涯嘆いていた。

そんなわけで、こんな歳まで私は毎日練習をしなければならない運命なのだ。
他の人たちは若い頃に上手になって、ほとんど満足して今頃はやめているのに、私はまだまだ遅れた分を取り戻さないといけない。
今はようやく皆と同じスタートラインに立っているにすぎない。
スズメやヒヨドリが覗いてくるのは、下手くそ頑張れ!とでも言ってくれているのかもしれない。
まあ、仕方ないからもう少し頑張ってみるね。

と言うわけで、今年後半は

6月11日   立川市民会館
          ベートーヴェン:クロイツェルソナタ
8月17日   北軽井沢ミュージックホール 
          バルトーク:ルーマニア民族舞曲他
9月21日   東京文化会館小ホール     
          バッハ:ブランデンブルク協奏曲4番他
11月3日   ミューザ川崎市民交流室 
        曲目未定たぶん 
          モーツアルト:ソナタ
          プロコフィエフ:ソナタ
          フランク:ソナタ    になると思う。

小鳥さんたちは立ち入り禁止。
以前ホルン奏者のザイフェルトが一橋大学の講堂で演奏した時、鳩が一羽入り込んできて高窓のあたりを飛んでいたことがあった。
ホルンの伸びやかな音とその情景がぴったりとして、印象に残るコンサートだった。



 











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