2014年8月8日金曜日

分奏

来週末の松原湖のコンサートのためにすでにピアニストと共に2回練習をしたけれど、まだ納得はしていない。
それで現地に行くまえに、もう一度合わせるつもりだったのが全員の都合が合わず、今日は仕方なく、集まれる弦奏者だけで分奏することにした。
これはこれでとても意義のあることで、細かい部分の音程やニュアンス、ボウイング合わせなど、ピアノが一緒だとついピアノに隠れてしまう部分のチェックができる。
1楽章の出始めからもう紛糾する。
セカンドヴァイオリンの安原さんは、1小節目の弾き方について意見を述べる。
あまりに重々し過ぎて前にすすまない。
それに対しわたしはここは重く、次の小節で前向きに行こうという意見。
今まで数回演奏したうちで、このスタイルが私の身についてしまっていたので、何の気なしに弾いていたのだが、なるほどそう言われればそんな方法もある。
なにも私の考えが最善ということではないので、よくよく問いただしてみると、彼女は2小節から3小節に行くときにもっと前向きにという意見だったらしい。
お互い自分の考えをきちんと言葉で伝えるのは、特にニュアンスのことになると、ひとそれぞれ、受け取り方も様々で誤解が生じやすい。
たったそれだけのことにかなり時間を取られ、次の問題にも時間をとられ、音程合わせも、ああでもないこうでもない。
室内楽の最大の楽しみは、このああでもないこうでもないなのだ。
効率第一主義の人なら、こんなまどろっこしいことするくらいなら、不安定な人の音程よりも、電子楽器でひいてしまえばいいのにとおもうかもしれない。
実際現代の風潮は安定した電子音でほとんどのことができてしまうので、アコースティックをつかわないことも多い。
しかし、よくしたもので、その不安定さでないと本当にハモらないこともある。


つい先だって亡くなった外山滋さんと弦楽トリオを弾いていたときのことだった。
私はその時はヴィオラを受け持っていて、数小節に亙って同じ音を伸ばしていた。
すると外山さんが「そこの小節のその音は少し高めに」とおっしゃる。
「でも私は前からずっと同じ音で伸ばしているので、そこだけ高めにですか?」と尋ねると、そこは何調の第何音ですから、高めに。次の小節は何調の第何音ですから低めに」
正確には覚えていないが、こんな様なことだった。
いままで何とも思わず弾いていたのが、目から鱗だったことがある。
これでは電子楽器の出る幕はない。
ヴィオラといえば、今回アンコールのブラームスの弦楽6重奏の1番、2楽章を弾くことになった。
私は第2ヴィオラを受け持つ。

去年もこの2楽章をひいたのだが、メンバーの中で眼鏡をもって出るのを忘れ、弾きはじめてから楽譜が見えなくて、落ちてしまった人がいた。
そのリベンジ?
今年は忘れ物なくいけるかな。年齢が高くなってきて泣かされるのは、視力の衰え。
某チェリストのリサイタルで、演奏者が席についてやおら弓を構えたと思ったら、降ろし、楽器を置いてステージ袖に引っ込んでしまった。
すぐに出てきたので何かと思ったら、彼女の手に眼鏡が握られていた。
非常に厳しいので有名なチェリストだから、ニコリともしないで椅子に掛けて、演奏を始めた。
私もロンドンアンサンブルの小田原公演の時に、しでかした。
しかも眼鏡は楽屋に置いてきたので、しばらく皆を待たせてしまった。
私の生徒が聴きに来ていて、ハラハラしたと言われてしまった。

今回のブラームスはそんなことのないように祈っている。
私ヴィオラという楽器が殊の外好きで、もう少し体が大きかったらヴィオラ
弾きになりたかった。
一時期は本気でヴィオラに転向することも考えた。
けれど、あまりにもヴィオラを弾きすぎて腰を痛めたことがあって、諦めた。
やはりヴィオラは体の大きい人でないと無理なので。
それでも今回のようにちょこっと弾かせてもらえれば、大喜びで引き受ける。

松原湖でヴィオラを演奏することを、とても楽しみにしている。
でも、ヴィオラはブラームスだけで、シューマンはヴァイオリンを弾きます。
避暑で近隣にご滞在されている方は、ぜひ足をお運びください。
とても良いホールです。
お待ちしております。








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