2014年8月20日水曜日

休業中

松原湖から帰って以来、なーあんにもやる気なし。
それでも練習とか勉強は、いつもと同じようにしてはいる。
なのに空気の抜けた風船のようにドヨンとして、ただいま休業中みたいな・・・
同じ日本なのに、この温度差はなんなのだ。
あちらはいつもの年のようにはカラッとしていなかったけれど、それでもこんなに暑くはなかった。
今や我が家はクーラーつけっぱなし。
去年二回も熱中症にやられたから、今年は夜もクーラーを切らない。
お陰で熱中症になることはないけれど、夕方買い物に出るとあまりの蒸し暑さにクラッとする。
今週金曜日から軽井沢に逃げることにした。

土曜日に長坂で、八ヶ岳音楽祭の練習がある。
いつもの年だと、そこまで練習に出ることはないけれど、今年はトップのkさんが練習に出られない。
そしてヴィオラは人数が少なくて、頼りないから是非出て欲しいと言われた。
そうは言っても私が出たからと言って、あまり頼りになるとは思えないけれど。
軽井沢の友人、人形制作者のノンちゃんの別荘に転がり込んで、そこから長坂まで通う。

今年のメインの曲はベートーヴェン「運命」
ヴィオラでは、はじめて弾く。
長年ヴァイオリンでしか弾いたことが無くて、しかも良く知っている曲。
この知っているというのが始末が悪い。
いっそ知らない曲ならば、新鮮な気持ちで楽譜を見るのに、なまじヴァイオリンパートが染みついているから、オットット、アレっとなる。
ヴァイオリンと一緒に出てしまいそうな、少し音が違うとヴァイオリンと同じ音を弾いてしまいそうな、これに困っている。

ベートーヴェンのように音自体はシンプルだけど、内容が深いというのが一番始末に負えない。
超絶技巧もないし和声的にもビックリするようなことはなにもない。
ほとんど音階を弾いているようなものなのに、感動するのはどうしたわけなのか。
こんな曲を作られたら後世の作曲家は、一体どこまで新しいものを生み出せばいいか、途方に暮れるだろう。
だから、やたらに音を重ねリズムを変え、厚化粧を施して作品を世に送り出すのだが、誰もベートーヴェンは越えられない。
もっと越えられないのが、モーツァルト。
このお方の音はベートーヴェンよりもっとシンプルで、神様が作ったとしか思えないほど純粋。

ベートーヴェンの後期のピアノソナタとか、弦楽4重奏とか聴くと、その後世への筋道がかすかに提示されているようだ。
もう少し彼が生きていたら、かなり斬新な音楽が生まれたのではないかと思える部分がある。
惜しかったなあ、もう後10年でも長生きしてくれたら。

明後日軽井沢に向けて、又車を走らせる。
来週月曜日くらいまで、居候させてもらうことにした。
松原湖からの帰り道は、夜中の山路で濃霧にまかれ難儀した。
今度はそんなことの無いように、昼間走ることにした。
霧は怖い。
前に車がいればテールランプを追いかけて走るけれど、なにもいないと道路の白線だけが頼り。
しかもガス欠間近とあって、焦ったのなんのって。

追記
松原湖で主宰者の服部秀文さんとのおしゃべり。
彼はアマチュアではあるけれどコントラバスの名手で、初めてこのコンサートに参加させてもらったときはシューベルト「鱒」のコンバスパートを受け持った。
それで、ロッシーニの数曲の(たぶん6曲くらい)「ソナタ」があって、これはヴァイオリン2本、チェロ、コントラバスの編成だから、それをお弾きになったらいかが?とたずねると、曲についての蘊蓄を披露してくれた。
ロッシー二はこの曲を、二回目の誕生日にかいたそうなのだ。
え!二回目?  そう、二回目。
実はロッシーニの誕生日は2月29日だというオチ。
だから12才の時の作品。
天才はすごい。






















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